親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 「自利利他」の同時的な成就を菩薩道の目的に掲げた大乗の仏道は、『華厳経(けごんぎょう)』において「善財童子(ぜんざいどうじ)」や「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」の物語に見られるように、菩提心をもって歩み続ける人間像を教えている。この人間像は、念々に菩提心の確認がなされつつ、どこまでも歩み続ける願心を求めて止まない姿として描かれている。

 そして、一方で衆生がさとりを開こうが開くまいが、増えることもなく減ることもない真如・一如・涅槃(ねはん)というような内容をもった「法身(ほっしん)」としての如来を語る『涅槃経』が、大乗の「大経」として学びの中心に置かれてきた。その日本における学場の中心であった比叡の山で、一乗思想を自己に具現すべく求道していた親鸞は、この『華厳経』の人間像と『涅槃経』の理念とを自己自身のうえに合致させるべく悪戦苦闘していたと思われるのである。後に『教行信証』に引用される膨大な文献の読み込みからすると、その課題を、浄土教によって成就することができるかもしれないというところまでは、尋ね当てていたのではないかと拝察されるのである。

 このたゆまぬ菩薩道を成就しうるという確信が定まるのを、「不退転」とか「正定聚(しょうじょうじゅ)」という言葉で呼びかけ、成仏の必然性が自ずから確定されるようなはたらきを、浄土という場所のもつ功徳として語りかけることが、法蔵菩薩の本願の内容に成っている。そして、その必然性は「必至滅度(ひっしめつど)」の願のもつ大切な意味であると明らかにされたのが、曇鸞の『論註』の仕事であった。先月触れた龍樹・天親も願生せずにはおれなかったということには、この必然性を自分の自力の努力では確信できないという、菩提心自身の隘路(あいろ)にぶつかっていたということがあったと拝察されよう。

 『浄土論』において天親菩薩が、五念門というかたちで菩薩行をまとめて、その行の成就をもって阿弥陀の浄土に往生して、阿弥陀仏を見たてまつることを得るのだと語りながら、その五念門行の果に「五功徳門(ごくどくもん)」(『真宗聖典』144頁)を開いて、第五回向門の果徳としての第五の功徳門を「園林遊戯地門(おんりんゆげぢもん)」と名付け、煩悩の林に遊び、生死の園(その)に入って、衆生を仏道に導く「利他」の仕事を自由自在にできるようになることを語っている。つまり浄土という場所は、自己存在の成就が同時に、一切衆生を解放しようとする願心が歩み続ける場所なのである。この『浄土論』の形式は、『華厳経』の語ろうとする行願を、『無量寿経』を通して成就しようとするものだ、ということである。

 しかし、親鸞にとってはそこに大きな謎が残っていた。それは、愚かな凡夫に「専修念仏」をもって「必ず往生する」と説く法然上人の教えが、どうしてこの『浄土論』の五念門行に相応すると言えるのか、ということである。選択本願(せんじゃくほんがん)の念仏なるがゆえに、念仏をもって「正定業(しょうじょうごう)」だとする善導・法然の教えと、『浄土論』の五念門とはいかなる関係になるのか、ということである。

(2011年2月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第231回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」②
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第231回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」②  諸仏の国土とは、大乗仏道の歴史が見出した大いなる法界(大乗無上の菩提の内容)に、僧伽を支えてきた無数の求道者が値遇したことを現わそうとしているのであろう。そこには、果徳の平等性と共に、因位の差異を表している様々の名前によって、諸仏それぞれの因位の過程や求道課題の差異が認められているのである。...
公開講座画像
第230回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」①
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第230回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」①  親鸞聖人のお言葉には、人間存在のもつ実相への深い洞察とそこから染み出てくるような懺悔の心が感じられる。このことには、その背後に『大無量寿経』にまで煮詰められた大乗仏道の菩提心の歴史があるのであろう。総願から別願を開示して、この大乗の菩提心を掘り下げるべく歩みを進めるところに、「法蔵菩薩」なる人間像が生み出されてきている。...
公開講座画像
第229回「悲しみを秘めた讃嘆」⑬
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第229回「悲しみを秘めた讃嘆」⑬  本願によって衆生に開かれる「宗教的実存」とは、いかなる構造として表現し得るものであろうか。その構造解明の手がかりを、横と竪という菩提心のありかたから探ってみた。そして我らに開かれる信心の意味に、この世での生き方に対して、超越的で立体的な空間として本願の信仰空間と言うべきありかたが、教えられていることを了解した。...

テーマ別アーカイブ