このたびは、定例講座『歎異抄』思想の解明への参加をご検討いただき、誠にありがとうございます。
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『歎異抄』の解説や講義はきわめて多い。その『歎異抄』をあらためてセンターの定例講座として開設する意義があるのだろうか。つまり、なぜ今『歎異抄』なのか。
20世紀の浄土真宗の思想を牽引してきたのが『歎異抄』であった。親鸞の人と思想とを宗派の枠を越えて一般の人々に開放する端緒となったのは『歎異抄』であった。日本文化を越えて親鸞の人と思想とを、海外に伝播する先駆けの役割を果たしたのも『歎異抄』であった。
今日、親鸞の思想を理解するためには、弟子の聞書である『歎異抄』ではなく、親鸞自身の著述である『教行信証』などに依るべきであるという見解を耳にする。確かに親鸞思想を解明するという課題においてはそうであろう。では現代の思想状況において『歎異抄』は賞味期限が切れたのであろうか。
『歎異抄』は近世においては破邪顕正の書として読まれ、近代においては信仰の書として読まれることが多かった。ひょっとすると賞味期限が切れたのは近世・近代における『歎異抄』理解かもしれない。私たちは現代における『歎異抄』思想の可能性を新たに切り拓くことがでないのだろうか。
私は、『歎異抄』が致命的な誤解のなかに置かれていると思う。「『歎異抄』は親鸞という人格を 正しく伝えていない」、「『歎異抄』は、親鸞の教義を正しく伝えていない」、「『歎異抄』は道徳破壊の危険な書である」、これらの疑難は『歎異抄』というテキストの性格についての誤解や、切り取られた『歎異抄』を読んだ結果にもとづいている。実は、『歎異抄』は親鸞の言行録でもないし、また親鸞思想の入門書でもない。
現存するもっとも古い『歎異抄』の写本(蓮如書写本)には「耳の底に留むる所、いささか之を注す」とある。『歎異抄』は「先師口伝の真信に異なることを歎く」という切実なそして明確な問題意識をもって、その使命を果たし遂げるために撰述されたテキストなのである。その意味で、宗教言説 の本質と力が見失われている現代にこそ、『歎異抄』を読み解くことが求められているのではないか。
このたびの講座においては、私たちがみずから出遇った宗教言説(「よきひとのおおせ」)を相続するとはどのような営みであるのかという視点から、『歎異抄』の思想がもつ現代的意義を聴講の皆 さんと共に解き明かしていきたいと考えている。
(加来 雄之)
第5回 『歎異抄』思想の解明
主任研究員 加来雄之による定例講座。『歎異抄』をテキストとして、毎月第3水曜日(12月・1月・2月を除く)に開催いたします(※会場聴講は毎回10名限定、お申込みが定数を超えた場合は抽選となります)。
第6回 『歎異抄』思想の解明
主任研究員 加来雄之による定例講座。『歎異抄』をテキストとして、毎月第3水曜日(12月・1月・2月を除く)に開催いたします(※会場聴講は毎回10名限定、お申込みが定数を超えた場合は抽選となります)。
第7回 『歎異抄』思想の解明
主任研究員 加来雄之による定例講座。『歎異抄』をテキストとして、毎月第3水曜日(12月・1月・2月を除く)に開催いたします(※会場聴講は毎回10名限定、お申込みが定数を超えた場合は抽選となります)。