親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 宿業の「不共業(ふぐうごう)」としての面を、宗教的自覚の必須の契機として考察することは、単に個人的事件や個人的事情の時間的背景を考察するということではない。一人ひとりが独立者として自分自身を生きているのではあるが、その苦悩のあり方には、人間としての共通の悩み方があり、その苦悩の本質の自覚は、しかし自分自身が気づくほかに道がないということなのである。言うならば、個人的事情を個人的に処理するのではなく、個人の苦悩を人類的苦悩の本質からの解放として、自覚しなければならないということである。

 『無量寿経』の物語の主人公である法蔵菩薩は、十方諸仏国土の衆生に呼びかけて、真実の明るみを与えようと願を起こしている。その明るみに照らされているのは、あらゆる国土の衆生であるが、その宗教的明るみに気づくのは、一人ひとりなのである。それが精神的なひるがえりとしての宗教的な救済の出来事なのである。「摂取不捨」の光明が、「念仏の衆生を摂取して捨て」ずと言われる所以である(『観無量寿経』、『真宗聖典』105頁参照)。如来の智眼から見れば、「一切衆生悉有仏性」(『真宗聖典』229頁参照)なのであるが、衆生は煩悩に眼を覆われてそれを見ることができない、ということでもある。これは、有情がひとりでに覚(さと)りを開く能力が備わっているということではない。一切衆生は必ず生きることを苦悩と感じる存在であり、その根本原因は「無明」とともに生きているという衆生の存在構造にある、という仏陀の智見と、それを気づかせたいという慈悲心から出ている表現なのである。その智見から見れば、衆生は出遇うべき縁が与えられれば、必ず目覚める可能性をもち、無明から解放されうる存在であると見ているということである。

 そうしてみると、十方の衆生の苦悩をみそなわして、その解放を願うことを呼びかける法蔵願心とは、この仏法との出遇いを待ち続ける衆生の深層の宗教的要求を表そうとする教えなのではないか。苦悩の深い闇に身を沈めて、それからの脱出を願い続ける深層の要求があることを本願の物語りで表そうとするのではないか。見えざる深層の闇に、縁が催すなら、必ずや光明に目覚めることが衆生に待たれている。そこに法蔵願心の大弘誓が、一如宝海から発起せざるをえないのだ、ということなのであろう。

 ここに、宿業因縁の深き闇と法蔵願心との感応を見いだしたのが、曽我量深の「法蔵菩薩は阿頼耶識(あらやしき)なり」という直覚だったのではないか。一切の経験の蓄積を自分自身とするはたらきを、阿頼耶(蔵)という名の根本主体として見いだしてきたことと、衆生の宗教的要求が無始以来の苦悩の闇から出てくるという感覚が、響き合っているのではなかろうか。

(2016年9月1月)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ