親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 法蔵菩薩は、『無量寿経』のなかで語られる物語の主人公の名である。『無量寿経』は、一切衆生を平等に救済せんとする大悲の物語である。その主人公たる法蔵菩薩は、ある国の国王だった人物が、大乗仏教の諸仏の伝承(五十三仏)を受けて出家修行し、大乗の志願を満足する根本本願を選び出すという展開になっている。そして、この本願を成就するために「兆載永劫」に修行して、願を成就して成仏した名が「阿弥陀仏」である。この名の因位の願には「その寿命は尽きることがない」「その光明は照らさないところがない」ということを誓っていて、成就の名の意味は、「アミターバ(無量光)」・「アミターユス(無量寿)」である。それを略して、「アミダ」如来と呼んでいるのである。

 この法蔵菩薩の菩提心は、一切衆生の救済を誓っているのだから、われわれ一人ひとりにとっては、われわれが真にこの本願に出遇って救かるべき意味があるはずである。そのわれわれ自身にとっての法蔵願心との関わりは、われわれから努力して取り繕うべき事柄ではないはずである。なぜなら、われわれ凡夫が、罪業深重であり、愚痴深く煩悩具足であって、自ら菩提心を発(おこ)して仏道を成就することができない衆生だから、大悲の願心が立ち上がっているのである。すなわち、『無量寿経』の成り立ちは、無限の側から有限存在を包もうという本願力の救済を語る物語なのだからである。

 それなら、いかにしてわれわれに大悲の救済との接点が成立しうるのか。それについて、曇鸞は「他力」という世俗語を仏教用語に取り込んで、転輪聖王の行列にしたがうことにより一挙に数千里を行くという譬喩で語っている(『真宗聖典』196頁参照)。しかし、仏道は本来、「自によって他によるべからず。法によって他に依るべからず」と示されている。単に他者からの手助けによる救いということではなく、自己自身の妄念や無明を払って、存在の根本的な方向転換を見いだしてこそ、仏法の本領を成就できるとするべきである。

 その迷妄の自己自身について、唯識思想は行為経験の蓄積を成り立たせる場所として、深層意識に阿頼耶(あらや)識と名づける作用を見いだしてきた。すなわち、一切経験の蔵としての根源的主体ということである。この阿頼耶なる「蔵」には三義があるとされている。三義を能蔵・所蔵・執蔵と言う。

 能蔵とは、一切の行為や経験を生み出していく作用を言う。われらが生きているということは、常に新しい行為や経験をしていくということであり、その可能根拠という意味が能蔵である。所蔵とは、「現行(げんぎょう)」、すなわちその行為や経験が、一度事実になるなら、その結果として何らかのはたらきが行為した主体に残される。それを熏習(くんじゅう)と言う。一切の熏習を蓄積する場所が、阿頼耶識であるということが所蔵ということである。

(2016年10月1日)

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第254回「存在の故郷」⑨
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第254回「存在の故郷」⑨  衆生の本来性である「一如」・「大涅槃」は、釈尊の体験における「無我」を表現したことに相違ない。その無我が衆生の本来有るべきあり方ということである。しかしそのあり方を求める衆生は、その意識分別を如何にして無我の状態にすることができるのか。  釈尊滅後の僧伽においては、仏陀の生前の説法を収集することで仏陀を憶念し、仏法を再現しようとしたのであるが、いわゆる小乘の立場では、生ける仏陀の体験そのものを確保できたのは、仏弟子たちの中で十大弟子をはじめとするすぐれた弟子たちであったと信じられてきた。その弟子たちは生前に仏陀釈尊によって、必ずさとりを開くであろうと予言されていたからである。  これが大乗仏教の時代になると一切の求道者への予言として受け止めようということから、不退転とか正定聚という言葉が言い出されてきた。そのことを確信する歩みの展開として、大乗の求道者たちの中に、『華厳経』十地品のような菩薩十地の教えが説き出され、そして龍樹の名で伝えられる十地品の解釈書『十住毘婆沙論』が鳩摩羅什によって中国に翻訳伝達されている。その初地の解釈において、易行不退が言われ、それを曇鸞が取り上げているのである。  『十住毘婆沙論』の場合、それまでの求道心のあり方に立ちながら、その求道心に耐え得ない軟心の菩薩の要求に答えるがごとくに、称名易行が表されている。  このように無我の体験を求め続けた仏道の伝承は、迷いと分別に振り回されながら、衆生からの自力の菩提心を必要条件として、教えていたのである。それに対して、一切衆生の救済を願ってやまない悲願において、阿弥陀如来の浄土のもつはたらきの中に、究極的な衆生の本来帰すべき故郷を表し、それを仏陀のはたらきとして衆生に与えようという願心が、浄土からの呼びかけとして考察されてきた。衆生が本来有限であり、煩悩を脱出できる因縁すらないという視点から、それにもかかわらず一切衆生の菩提への道を開かなければならないという、大いなる慈悲心が阿弥陀の本願力として考察されてきたのである。  この視点を衆生が獲得するためには、長い求道の結果、その道に挫折せざるを得ないという事実を、待たなければならなかった。それを経験したのが中国の六朝時代に四論宗の学匠であった曇鸞なのである。曇鸞の伝記にある仙経に迷ったという事実を、親鸞が和讃や「正信偈」などで取り上げているのは、この事件によってこそ菩提心の挫折をくぐって、大悲による他力の救済が凡夫に自覚されることを得たという、親鸞の確信があったからであろう。 (2024年8月1日)       最近の投稿を読む...
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第253回「存在の故郷」⑧
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第253回「存在の故郷」⑧  この難信の課題が起こってきたのは、仏陀が衆生を無我の菩提に導こうとするそのとき、生きている釈尊を人間の模範として見ている衆生の眼に根本的な誤解があったからではないか。釈尊が入滅せんとするに当たって、仏弟子たちが寄り集うて悲歎の涙に暮れている様子が、釈尊の涅槃像を通して伝えられている。三千年になろうとする時間を超えて釈尊の入涅槃が仰がれるのには、いかなる意味があるのだろうか。  そもそも仏陀はさとりを言葉(教法)として表現し、その言葉によって衆生に菩提を体得させようとこころみた。それが、仏と法(ダルマ)と、それを受け止めようとする衆生(僧伽)という、三宝(仏・法・僧)として表現されたのであるが、そこでは仏陀としての人と教法としての法とは判然と分位されていたはずである。  それをさらに明示したのが、仏陀が入涅槃に当たって示された教言、「法によって人に依らざれ」という教えであった。人間としてこの世に現れた釈迦牟尼世尊に、あまりに深く執着することを助長する涅槃像は、広く情念に呼びかける力はあるであろうが、果たして仏陀のかかる教示に敵うのであろうか。  釈尊滅後当初の時代は基本的に仏陀釈尊の存在を表す痕跡が、仏足石のみに限られていたとされている。してみると、涅槃像は次の時代、すなわち釈尊の存在が見えなくなった時代に入ってから作られたに相違ない。それに加えて、滅後しばらくの間は、教えが僧伽における言葉の唱和によって伝授されていたようであるが、次の時代には、教言が文字として記述され、記録された経典としてダルマ(法)が伝授され始めたと、言われている。  文字に表記された教言が、僧伽の中心で経典として仰がれるようになり、ダルマが文字として伝授され始めたという。そのことと、大乗経典の起源とが重なっているということが明らかにされてきているのである。  釈尊の存在したことの意味は、仏陀となることを人類の普遍の本来帰るべき方向性として表現したことにあるというのが、仏教徒の仰ぐべき指標である。その方向性の極点に、大涅槃という課題が教えとして見出されたのであろう。そこに、「本来帰るべき故郷」ということが大きな目標であると共に、一切衆生がその本来あるべきあり方から呼びかけられていると表現されてくる必然性もあるのではないか。その本来性が「一如」とか「法性」とか、「大涅槃」と言われていると理解されているのである。 (2024年8月1日)     最近の投稿を読む...
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第252回「存在の故郷」⑦
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第252回「存在の故郷」⑦  「難中之難 無過此難」(『無量寿経』下巻、『真宗聖典』〔以下、『聖典』〕初版87頁、第二版94頁)とされる他力の信は、真実報土への往生を必然とする。親鸞は、その内実を釈迦如来の名で説かれる『無量寿経』の願心とその成就との文に見出された。その必然性を確保する力は、「他力と言うは、如来の本願力なり」(『教行信証』「行巻」、『聖典』初版193頁、第二版213頁)と押さえられていて、阿弥陀如来の大悲の力だとされる。法蔵願心の成就(果)たる阿弥陀如来の力なのである。この力について曇鸞は、因位法蔵菩薩の本願の力と成就した阿弥陀仏の仏力が、願力成就として信心の行者にはたらくのだと注釈される。それによって、阿弥陀如来の浄土の功徳に必ず値遇できるのだとされるのである。  この願力成就の功徳が、大乗仏教の「大涅槃」であり「一如」でもあることを、親鸞は「仮名聖教」で明らかにしている。この大乗仏教の至極である大涅槃こそが、いま筆者がここに表現しようとする「存在の故郷」なのである。大乗仏教の大涅槃を、親鸞は大乗の『涅槃経』によってさまざまな観点から取り上げているが、その課題として阿弥陀如来の本願力を信受するところに、我ら罪業深重の衆生に大涅槃が必ず成就するのだと論じておられるのである。  しかし、ここに大きな難問が生ずる。この「本願成就」の事実は、現実の生存のなかにいる我らのうえに、何時・どこで生起しうるのか、という問いである。我らの生存は、煩悩の身を離脱できないから、この生起は各人の「臨終」を待たねばならないのか。しかし、阿弥陀如来の別号たる無碍光は、いかなるものにも妨げられないはたらきであることを告げているのではないか。煩悩の身が摂取されることこそ、私たちがこの願心をいただくということではないか。  臨終を待って本願が成就すると誓うのは、第十九・第二十の願の意になる。第十八願は、成就文に「願生・即生」とあり、その「即」の文字に、親鸞は時・日を隔てないことだと注釈しておられる。そして、我らの身は本願を信じたからと言って、煩悩がなくなるわけではない。そのことを、「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(『悲歎述懐和讃』、『聖典』初版508頁、第二版622頁)と言っている。しかし同時に「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(同、『聖典』初版509頁、第二版622頁)とも言っておられるのである。ここに、難信の奧義があるようだが、これを突破するのが容易ではないことを、親鸞は「信巻」(『教行信証』)の三一問答「信楽」釈で、衆生のいかなる努力をもってしても「往生は不可能だ」と言われているのである。 (2024年7月1日) 最近の投稿を読む...

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