親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 自己とは何か。こういう問いがふと自分に起こったとしても、それを問う視点がどこにあるか、ということが大事な問題である。私たちは、普通には自分という意識がいつもくっついてはいても、自分の外のこと、すなわちいわゆる客観界のことを意識し、それについて思いはかったり心配したりしているものである。だから、取り分けて自分自身が意識されるということは、何か自己の存在の危機であるとか、自他の関係の行き詰まりとかが起こっている場合が多いのである。

 試みに、清沢満之(きよざわ まんし)の場合で考えてみよう。もっとも彼は初めから哲学の道を志していたのだから、「自己を問う」ということは、今さら問題にするようなことではないともいえるが、彼が日記に「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり」と記したことについて今取り上げてみようと思うのである。日記にこの言葉を書く直前に、自分がどこから来てどこへ行くのか、生まれる前のことや死んだ後のことは、皆目わからないといい、ただ生前死後がわからないのみではなく、自己の意識の現前の起滅もまた自分の思いのままではない、と記している。

 ここには、自己を問題とする主体そのものが確固としているのではなく、自己そのものが不安と揺らぎのただ中にあって、存在の全体が「問い」と化しているなかで、「自分」はいったい何であるのか、という問いが出されているということである。このことを「存在の危機」というのである。こういう質の問いには、いわゆる合理的な説明が求められているわけではない。存在全体を回復できるような視点が求められている、とでもいえようか。だからいうまでもないのだが、関係的に規定される人間の情況としての位置、たとえば親子とか兄弟とか、または社会的な地位とか職業とか、そういうことで言い当てられる人間の属性が問われているのではない。いわば一個の、そこに投げ出されてある実存の自己了解が危機に瀕している問題なのであるから、その全存在がそのまま頷けるような視点が求められているわけである。

(2004年1月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ