親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 有限なる衆生(しゅじょう)に、限りなき慈愛をもって呼びかけ、待ち続けるはたらきを、ここに生きているわれら凡愚(ぼんぐ)の存在の深みに感ずることがある。この深層からの信頼を、未来からの慈悲(じひ)の眼(まなこ)として教えの形に表(あらわ)してきたのが、阿弥陀如来の本願なのであろう。だから、この深みを有形の言葉にするところに、大きな慈悲のはたらきとしての「大悲方便」があるとされているのである。

 すなわち、深層からの大悲を、あたかも他界からの呼びかけとして語るから方便なのである。内なる深みを、外に表象しないことには、われらの意識には判然としないからである。しかし、いったん表現された他界には、この愚かな自己にはとうてい届かない不透明で不可解なものが蓄積されてくる。そこが、あたかも大悲の呼びかけるわれら衆生の到着点であると思わせられると、文字どおり無能な存在が、死後に救済を任せるしかないような、なにか不本意なものを残した「信心」の強制となるのではないか。

 親鸞は、そういう人間にとって不透明な場所を大悲の根底とすることに、徹底的に逆(さか)らったのではないか、と思う。それで、単なる人間の外であるような他界を、「浄土」と教える場合、「方便化身土(けしんど)」と名づけた。それに対して、「真実報土(ほうど)」と名づけられた浄土は、「無量光明」の「土」(世界)であるというのだ。どこまでも「明るみ」にするはたらきの動いている場所だというのである。光なる如来が、黒闇の衆生界を明るみに転じ続けるはたらきの場所だというのである。そういうふうに、光明土たる大悲の浄土を仰ぐとき、方便化身土も限りなく愚かな衆生を導く過程となって、衆生の自覚を育てる意味をもってくるのである。だから、他界的な浄土をも包んで、大いなる大悲方便のはたらきを仰いでいこうとされたのであろう。

 真実報土は、「われらが求めずして賜(たまわ)る大悲摂化(せっけ)のところにある」。それに対して、方便化身土は、「われらが求めても、決して得ることのない、妄念(もうねん)の世界である」、というのが亡き曽我量深(そがりょうじん:1875~1971)先生の教えである。

(2007年8月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ