親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 『歎異抄』に「卯毛(うもう)羊毛(ようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業(しゅくごう)にあらずということなしとしるべし」(『真宗聖典』633頁)という文がある。親鸞の言葉として、唯円によって書きとどめられているものである。しかしながら、現存する親鸞自筆の書き物のなかには、「宿業」という言葉はない。ただし、「業」という言葉やこの語のついた熟字は、無数に見いだされる。それでは、業と宿業とには、どういう差違があるのだろうか。

 一般的には「宿」という字が乗ることによって、過去からのはたらきを強く指示することになる。そもそも、「宿世」とは「過去世」を表す言葉である。これは、いのちの状況を異にしながらも、繰り返してこの世のいのちに現れるという「輪廻(りんね)」の思想を根拠にした言葉である。そして現世の存在状況には、先世(ぜんせ)の行為経験の結果という意味が乗っている、ということである。単なる運命ではなく、自己の命の背景に自己の見えざる過去の責任が乗っているという思想である。この理念が、数千年にわたってインドのカースト制度を強固に支え、未(いま)だに民衆の生活には、生まれによる不平等が、厳然と維持されているのである。

 この理念を保持する信念が、ヒンドゥー教という名で統合されている神々の宗教であり、階層と神々とが対応していて、現実の職業にまで隠然(いんぜん)たる力を加えているらしいのである。出家修行した釈尊に、いかなる疑念が萌(きざ)していたかは知る由(よし)もないが、釈尊の獲得したさとりの智慧には、この現世の不条理を破りうる原理が見いだされていた。すなわち、過去世の業縁(ごうえん)を引き受けて差別的状況を生きざるを得ないというのは、先世の業を背負う「アートマン」(自我)である。これを解体しうるなら、一挙に無始已来(むしいらい)の業報からの解放が見えてくるのではないか。

 無我のさとりは、かくして個人の解放という事実に止まらず、差別的状況を脱出できない思想的しがらみを摧破(ざいは)し、人類解放への思想的な基点にもなりうるのである。

(2007年10月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ