親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

第209回「〈願に生きる〉ということ」⑤

 「本願を信受する」という信念には、宗教的事実のもつ深い意味がある。それは仏教の自覚において「死して生きる」と表現され得るような、根本的な意識の変革とでも言うべき、人生態度の転換が起こることを意味している。そのことが、本願他力のはたらきを信ずることによって成り立つことを、親鸞は徹底して明確にしようとされたのである。

 その場合、「願に生きる」とは、いかなる意味を表示しようとしているのであろうか。そもそも、宗教的信念を獲得しようとするとき、苦悩の衆生にとっては、その信念を獲得できれば人生の苦悩が消え去る、というような安易さへの要求が起こりがちである。そのために、生命の有る限り消えることのない煩悩をもちながら、「浄土の生を得る」ことなど絶対にあり得ない、という言説が横行することになる。それに対して、「信に死す」というのは、宗教的信念が苦悩の終点であるという誤解を払拭して、真実の生命(煩悩を妨げとせず、苦悩をも乗り越えていく方向)に立ち上がることを表現しようとするのである。

 ここから親鸞が明らかにしようとする「信の一念」(『真宗聖典』239頁参照)には、「前念命終 後念即生」と表現される意味を見いだすことができるということなのである。ここに言う「前・後」は一念の二義であって、決して二念に分かれることを言わんとするものではない。信心に三心が言われても、しかも三心は即ち一心であると示されるように、信の一念に「前念・後念」の二義を開いて、宗教的信念のもつ実存的意味を示そうとするのである。「死す」という意味と、「生きる」という意味が、一念同時に成り立つことが、本願による衆生救済の事実であり、それが真の宗教的救済だということなのである。

 さらに言葉を重ねて表現するなら、周知のように他力の信心には、「二種の深信」(『真宗聖典』215216頁参照)と言われる意味がある。「機の深信」・「法の深信」と言われていることがらである。善導が言わんとする二種の深信とは、信心の二義である。決して一方の条件で他方が成り立つという交換条件的関係を表すものではないし、一方が成り立つとき他方は不要になるのでもない。他力至極の金剛信に必然的に内具する二義なのである。宗教的自覚とは、自己の有限なることの事実の信知と、それを護持してやまない無限なる大悲心への信順をもって、この矛盾多き生存を生きる智恵なのである。

 しかしここに「前後」という言葉があることは、信念に次第があるということでもある。無明の闇を破ってこそ、光明の広海に出る喜びがあるということである。

(2020年11月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ