親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 「業」(カルマン)という言葉には、さまざまな意味がある。大まかに言うなら、迷いの意識が動くところに、かならず苦悩の結果が引き起こされるということを、迷いの「行為・経験」がもつ本質として言い当てる言葉が「業」であると言えよう。惑・業・苦という次第がここから言われるからである。無明に覆われた意識(惑)が、行為(業)を起こすことによって、必ず苦悩の現実が与えられてくるということである。

 現実のわれらの生存が、それぞれ他とは異なる独自の個の生命体として、ここに現在する。類として多くの存在が同じような命を生きているのではあるが、個はやはり他には置換不可能な存在である。この個の生存の由来する原因を求めようとするとき、究極的にその根本原因を探り当てることはできない。たとえ両親にその近い原因を求めて見ても、両親もまたそれぞれの両親から生存を与えられて来ているのであり、それをさかのぼってみても、窮極(きゅうきょく)の出発点にはたどり着けないからである。それに、それらには多くの因縁の関わりや重なりが加わっているのだから、特定の原因と言うべきものの決定など不可能なのである。

 そして、現在の個人の両親から、兄弟姉妹が生まれた場合、同じ両親であっても、まったく異なる個体が与えられるのであり、その場合、その個体の異なりの原因を両親に帰属することはできないであろう。やはり、個の根本原因は、個体それ自身の存在の必然性の背景に求めざるを得ないのである。そこに、自己の生存の背景に不可思議の「業」の背景を感得してきたのが、インド由来の業感の生命観なのではなかろうか。

 そして、業という言葉は、単なる行為を意味することもあるし、この業感の背景を言い当てることもある。この自己の存在の歴史的背景ともいうべき重さの面を表現して、「宿業」と言うのではないか。「宿」の字は、過去世を意味している。過去世とは、物語的には前世であり、今の生存として生まれる以前に感じられる自己の背景の過去の時間を表している。

 このことの実存的な意味は、この現在の個体としての存在が、自己独自の行為経験の結果引きおこされているという「生存の責任感」であると、安田理深師は言い当てられた。この場合の責任とは、行為の結果を言う倫理的責任ではない。現在の存在の由来の深い背景が、自己自身にあるという自己の存在根拠に対する責任感である。

 確かに人間存在の現在には、「自由」という面が与えられている。しかし行為の選びは、与えられている条件のなかに限られている。条件を離れて、行為は起こせない。この条件を「宿縁」とも言われているのである。そして、起こした行為の結果は、行為者に乗ってくる。行為には必ず結果を引くはたらきがあるので、行為を「業」というのであろうかとも思う。

(2016年6月1日)

最近の投稿を読む

公開講座画像
第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥  善導のいわゆる「十四行偈」の出だしの「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣 共発金剛志 横超断四流」(『真宗聖典』235頁)の問題である。この偈文に、了解しにくい内容がある、と思う。菩提心が「各発」という意味であるならば、それは成就しがたくあるのに、「共発」として「金剛の志」であるなら「横超」において「四流(迷妄の生存)」を「断つ」ことができる、という偈の言葉が突然に出されているからである。そもそも発菩提心は、個人に発起する仏教的意欲(仏に成りたいという意志)を表している言葉であるし、それが「共発」として「金剛」であるように発起するということは、かなり「困難」だとも思えるからである。...
公開講座画像
第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」  法蔵菩薩とは、苦悩の衆生を救済しようと願う普遍的な菩提心を象徴する名である。苦悩の衆生とは、親鸞の言葉に「諸有に流転の身」とある。諸(もろもろの)とは、それぞれの宿業因縁に依って、この五濁悪世に生存を与えられているすべての生命存在ということである。「諸有」として、それぞれ異なる身体を与えられ、おのおの別々の境遇や限定を受けつつ、この五濁の世に生きているということである。それらすべての事情を超えて、普遍的にすくい取らずにはおかない、という志願を「法蔵」という名にこめて、『大無量寿経』(以下、『大経』)が法蔵菩薩の因願を語り出しているのである。...
公開講座画像
第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
親鸞仏教センター所長 本多 弘之 (HONDA Hiroyuki) 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④  そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。  これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。...

テーマ別アーカイブ