親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

東日本大震災後の仏像

東日本大震災

和光大学 表現学部 講師

君島 彩子

(KIMISHIMA Ayako)

 「仏像」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?  あまり興味のない方は、歴史の授業で出てきたのを、ぼんやりと思い出す程度かもしれない。逆に美術が好きな方は、博物館や美術館に展示された仏像、そして京都や奈良の有名寺院に安置された仏像などをすぐに思い出すだろう。美術ファンの間で仏像の展覧会の人気はとても高い。2000年以降の美術展の入場者数のベスト3を見てみよう。1位が「国宝 阿修羅展」(2009年、東京国立博物館)、2位が「国宝 薬師寺展」(2008年、東京国立博物館)、3位も「国宝 阿修羅展」(2009年、九州国立博物館)、いずれも仏像がメインの展覧会だ。仏像を鑑賞するため、1日平均1万人以上の人々が博物館に足を運んでいる。

 

 仏像の展覧会に「国宝」という言葉がつけられていることからも分かるように、人気を集める仏像の多くは国宝に指定されている。例えば東大寺の毘盧遮那仏(奈良の大仏)、興福寺の阿修羅像、広隆寺の弥勒菩薩像など、著名な仏像の多くが国宝だ。日本において国宝に指定された彫刻の大半が仏像であることからも、仏像が日本美術を代表するものであることが理解できるであろう。葬儀や法事などの「仏事」の次に仏教に触れる機会になっているのは、仏教美術と言えるかもしれない。

 

 明治期、美術や文化財という概念によって仏像がとらえられるようになったことで、仏像は鑑賞の対象となった。だが仏像が鑑賞の対象となっても、仏像における宗教的役割が消えることはなかった。筆者は10年以上にわたり東京国立博物館において接客に携わり、多くの来場者を目にしてきた。「国宝 阿修羅展」や「国宝 薬師寺展」などの混雑する仏像展においても、展示された仏像に手をあわせる来館者が多かったことが印象的だった。仏像に対する祈りが根づいているからこそ、文化財・美術作品として仏像が「展示」されていても手をあわせるのだ。

 

 国宝の仏像のようにテレビや雑誌で紹介されるのは、飛鳥時代から鎌倉時代に造られた仏像であるため、仏像は「古いもの」という印象が強い。だが日本に残されている仏像の半数以上は、江戸時代以降に造立されたものだ。そして、現在も新しい仏像が発願され、制作されている。仏像が発願される理由はさまざまだが、そこには何らかの「祈り」が込められている。

 

 筆者は宗教学の領域で近代以降の仏像を研究しているが、それは仏像を「美術作品」として研究するのではなく、仏像にどのような祈りが込められているのかを考察するためだ。このような研究をしようと思ったきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だった。2013年から地震と津波の被害が大きかった岩手・宮城・福島の東北3県にて調査をおこない、その中で複数の仏像が造られる現場に立ち会った。

 

 何度も東北地方を訪れる中で、筆者自身が提案した「にぎり仏ワークショップ」で被災者の方々と一緒に仏像を造る機会もあった。このワークショップのきっかけは、岩手県大船渡市の仮設住宅にお住まいの目が不自由な高齢の女性から、私は目が見えないけれど、震災関連死を遂げた配偶者のために仏像を造ってあげたいとの申し出があったことだ。筆者は被災地で傾聴ボランティアをおこなっていた僧侶や学生ボランティアと協力しながら、木質粘土を使って仏像を造るワークショップを提案した。仮設住宅でおこなわれたワークショップでは、まず僧侶が女性の配偶者の戒名を紙に墨で書き、その紙を小さく丸めて芯にした。そして学生ボランティアに手を添えてもらいながら、芯の周りに粘土を盛りつけ仏像の形を造った。粘土を使った簡素な造形であったため、はじめて仏像を造る高齢の女性でも制作が可能になった。出来上がった小さく可愛らしい仏像を前に涙を流しながら手をあわせて祈る女性の姿に、改めて仏像は祈りの対象であることを感じた。

 

 粘土とは異なり、木材を彫る仏像彫刻は技術と経験が必要となる。東日本大震災後に筆者が出会った仏像の制作者のうち、木を彫ることに祈りを込められていると強く感じた2名の方を紹介したい。

 

 お一人目は陸前高田市の被災松に観音像を彫った仏像彫刻師の佐々木公一氏だ。佐々木氏は富山県で修行し、生まれ故郷である岩手県気仙郡住田町に木彫工房五葉舎を開いた。その2年後、東日本大震災が発生したのだ。当初は巨大地震の全貌がわからなかったが、消防団員として捜索活動に加わり津波による甚大な被害を目の当たりにしたという。震災からしばらくは物資の輸送などの支援をおこないながら、それまで引き受けていた木彫の仕事を続けていた。

 

  震災から1年が経過し、外部からの支援も増えたことで木彫の仕事に集中することができ、震災で亡くなった方のための仏像を彫るしかないと感じるようになった。特に陸前高田市の市役所に勤める従姉妹が津波によって亡くなったこともあり、陸前高田の松を使用したいと考えていた。被災した高田松原の松を陸前高田の木材商より、知人の紹介で無償で提供してもらうことができた。「奇跡の一本松」として現在はモニュメント化されている松よりも樹齢の長い大きな松の木に、高さ約160センチメートルの慈悲の表情に満ちた白衣観音像を彫り上げた。

 

 陸前高田は復興の途中であり恒久的な建物が少なかったこと、また気仙地域から盛岡に避難している方も多かったことから、観音像は盛岡市の復興支援センターに安置された。震災から10年が経過した2021年、観音像にヒビ割れが出てきたので、工房に持ち帰り修復した。当初、佐々木氏は、陸前高田市の公共施設に設置することを考えていたが、政教分離などの問題もあり、長期間にわたる観音像の設置に不安があるため断念した。そして観音像に地域の観音信仰の中で末永くお参りしていただけるよう、気仙三十三観音霊場の三十三番札所にあたる陸前高田市の浄土寺(浄土宗)に安置することになった。佐々木氏は、これだけ大きな仏像を彫れるほどの松の木が高田松原に何万本もあったのだということ、それらを植え育ててきた先人たちの思い、そしてそれらが一瞬にして失われたという事実を、いつまでも忘れないでいてほしいと願っているという。

 

 お二人目は、震災で亡くなった多くの人々のために巨大な不動明王像を彫り続ける僧侶、小池康裕氏だ。宮城県東松島市の清泰寺(曹洞宗)の住職である小池氏は、東日本大震災が発生した2011年の夏から葬儀などの合間を縫い、ケヤキ材を組み合わせて6メートルを超える巨大な不動明王像を彫り続けている。

 

 小池氏は30年ほど前から独学で仏像を彫っていた。転機となったのは2003年7月に発生した宮城県北部連続地震だ。この地震によって江戸時代から続く清泰寺の本堂や山門は全壊してしまった。この時、倒壊した建物の部材を用いて、檀家のために仏像を彫るようになった。宮城県北部連続地震からの復興が進められていたところに、また東日本大震災が発生した。内陸部にあり津波の被害を免れた清泰寺は檀家や近隣住民の避難場所となった。震災直後から小池氏は、菩提寺を持たない遺族らのため、犠牲者の供養に奔走し、震災で亡くなられた方、200名以上の葬儀で導師を務めた。さらに震災で家族を亡くした檀家のために仏像を彫り贈った。小池氏は、震災や津波、自然の巨大な力に立ち向かうには、お地蔵さんや観音様のような優しさだけではダメだ、不動明王のような力強さが必要であると考えた。一般的な不動明王像は右手に宝剣、左手に羂索(縄)を持つ二臂の姿だが、震災後に彫り始めた不動明王像は通常の二臂に左右一本ずつ腕を加えた四臂とした。加えられた二臂のうち、大地に下ろされた右腕は、地震を抑え犠牲者を津波からすくい上げることを表し、天に向かって伸びる左腕は、亡くなった人を極楽浄土へと導くことを表している。

 

 巨大な不動明王の周りに足場の組まれた作業場には暖房設備はなく、冬はとても寒い。またケヤキ材は固いため、節などに当たると弾き返されることもある。だが80歳を過ぎてなお、読経しながら大きな木槌を振るいノミを入れる小池氏の手は力強い。小池氏は「芸術のための仏像ではない、僧侶にしか彫ることのできない、亡くなった方を思い、人々が静かに手をあわせられる仏像を彫り続けたい」とおっしゃっていた。

 

 最後に東日本大震災による津波などによって亡くなられた方々の十三回忌にあたる2023年に新たに発願された大仏を紹介したい。遺族の心の拠り所となるように発願された「いのり大佛」である。震災の記憶が薄れはじめる十三回忌という節目は、新しい生活に少しずつ慣れる時期であるとともに、亡くなった方々への思いを受けとめてくれる存在が必要とされる時期となる。

 

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の門脇小学校のそば、西光寺(浄土宗)墓地内の慰霊広場「祈りの杜」に、同寺住職である樋口伸生氏を代表として、西光寺遺族会「蓮の会」が中心となり「いのり大佛」を建立する予定だ。遺族会の中には子供を失った母親も多い。遺族の方々は、今まで仏教にあまり関心がなかったが、悲しい気持ち、やりきれない思い、愛しい感情など、全ての想いを預けられる存在、自分自身を救い取ってもらい、そのような想いを受けとめ、支え、助けてくれる存在を考えたとき、実際に目に見えて、手に触れることが出来る大きな仏像が必要であると感じたという。生き残ったからこその苦悩、その辛さの中で生活してきたからこそ、寄り添う存在として大きな仏様が必要とされたのだ。

 

 「いのり大佛」は、台座を含めて高さ約5メートルの石でできた阿弥陀如来坐像となる予定である。大仏の制作は石材加工で有名な愛知県岡崎市の石工らによっておこなわれる。そして造形の監修は仏師の村上清氏がおこなう。2023年には村上氏が実物の阿弥陀如来坐像の6分の1サイズの石膏原型像を完成させ、檀家や支援者に公開された。2026年の完成を目標に寄付を募り、制作が進められている。

 

 大仏から手の中に収まるほどの小さな仏像まで、東日本大震災の被災地で造られた仏像は大きさも素材も尊格もさまざまである。だが、それらすべてに、未曾有の災害によって亡くなった方々のための供養・慰霊という「祈り」が込められているという。筆者は被災地で仏像を造る人々の声を直接聞くことができたおかげで、造形物として祈りを後世に残すという仏像にしかできない信仰があると知ることができた。東北地方の復興は進み、少しずつ記憶は薄れている。だが2024年は元旦に発生した能登半島地震によって改めて地震や津波の脅威を目の当たりにした。長い歴史の中で自然の脅威を前に人々は祈り続け、その祈りを形にしようとしてきたことを、仏像は伝えている。現在は国宝に指定された遥か昔に造られた仏像にも、当時のさまざまな社会状況を反映した祈りが込められているのだ。

(きみしま あやこ・和光大学表現学部講師)

著書に、『観音像とは何か 平和モニュメントの近・現代』(青弓社、2021)、大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『増補改訂 近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代』(分担執筆、法藏館、2023)など多数。

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哲学の言葉を編み、書くということ

東日本大震災

編集者・文筆家

田中 さをり

(TANAKA Sawori)

 私は大学で広報の仕事に従事している。その合間に哲学に関わる編集と執筆の仕事も続けている。メディアで何か発信する仕事を始めたばかりの方に向けて、何か益になることをお伝えできればと常々思うのだが、なにぶん、仕事Aから仕事Bの経費を捻出しながら自転車操業でここまで来た。ノウハウというものがない。ひとまず、メディアのあり方について模索する契機となった、あの日の話から始めたい。

 

 2011年3月11日。「東日本大震災」としてその後長く人々の記憶に刻まれることになるこの日が、まだ代わり映えのしない午後だったとき。ある駅ビルの中に私はいた。カフェの一席でノートパソコンを広げて、私は今と同じように何かの〆切に追われて書き物をしていた。前年の夏に哲学専攻の元学生たちの暮らしぶりを訪ねるインタビューを始めたばかりの頃だった。

 

 テーブル上のコーヒーカップがカタカタと音を立てて揺れているのに気付いてすぐ、目の前の席に座っていた50代の女性と目があった。「これは危険な揺れになりそうですね」。私たちは視線で確かめ合った。遠くでグラスが床に落ちて割れる音がして、私は荷物をまとめて急いでフードコートを出た。自動ドアを出ると左手に改札口が見えた。駅舎の屋根を支える直径1メートルほどの柱が地鳴りと共に揺れていた。

 

 背広を着たサラリーマンが駆け出そうとするも、足の置き場が定まらず、ふらふらと床に膝をつく。その様子を左手に見ながら、右手の建物脇の階段に座り込む。頭上には青空が広がっていた。そこには既に何人かの女性たちが避難していて、パン屋の白い制服を着た20代の女性が「怖い、怖い」と嗚咽していた。

 

 その場にいた数人の女性たちと、「大丈夫よ」と彼女の背中を摩って落ち着かせ、私は携帯電話を確認した。「震源地は東北で、ここからはかなり遠いです」と皆に伝えた。しばらくその場に留まってから駅前の広場に移動するまでに、二人組の70代の女性が「こんなことは人生で初めてよ」と言った。私は頷いた。広場から駅ビルの店舗の方へ行くとスプリンクラーが作動して水浸しになっていた。曇る視界の奥にPのマークを見つけて立体駐車場へ走る。私は車を出して、息子がいる保育所に向かった。

 

 保育所では、先生たちが部屋の真ん中で丸くなった子どもたちに頭から布団をかぶせて「大丈夫、大丈夫」と声をかけていた。子どもたちは柔らかい白煎餅を両手に持たされ、落ち着いていた。私は先生にお礼を告げて、息子を抱いて外に出た。すぐに向かいの家から、90代の女性の肩を支えた60代の女性が出てきて目があった。「大変ね、でもきっと大丈夫よ」。私たちは目を細めて頷き合った。

 

 駅ビルから家に辿り着くまでにこうして会話したのは、7、8人の女性たちだった。多くは言葉もなく視線だけで、安全かどうかを確認し合い、誰かの世話をしている人を労った。昼下がりの住宅街、女性がいる割合が高い時間帯。「大丈夫かしら」、「怖いわ」、「こんなこと初めて」、「きっと大丈夫よ」。私たちの多くは、自分の身近な人の体に触れていて、自分より弱い人をしっかり抱き寄せていた。

 高校生からの哲学雑誌『哲楽』は、この年の夏に刊行された。哲学者の生き方を取材して広めるため、編集協力委員の皆さんと制作した第1号は、家庭用のプリンターで印刷して製本した。東京のジュンク堂書店池袋本店に腕に抱えられる分だけ納品した日が正式な刊行日になった。

 

 私たちの未来は安全なのか、この手が触れている人々と共に生き延びることができるのか、名も無い小さな雑誌を作りながら確かめたかったのだと思う。

 

 哲学の言葉を編み、書くということは、こうして始まって、そして10年が過ぎた。「多角的に物事を捉えて伝えることは大事なことだ」と人は言う。これには完全に同意する。けれど気になることがある。多角的に物事を捉えて残されたはずの文章に、私が視線を交わしたような人々の観点は含まれているのかどうか。

 

 さらにもっと気になるのは、私が残す文章によって、私が視線を交わさなかった人々の観点は見過ごされないのか。

 

 人は自分と近い種類の人々を遠くからでも認識して、緊急時には視線だけでも会話ができる。「自分と自分の身近な人の安全を守って下さい」と、最近では災害が起きるたびにニュースキャスターが口にする。その一方で、自分と属性が異なる人々とは、どんなに近距離でも、どんなに危険な状況の渦中であっても、視線が交わらないことがある。ここで「自分と遠く隔たった人のことを思って下さい」と同時に言えるかどうかが、本当は問題なのだ。

 

 かつて哲学者のジョン・ロールズは、自分と遠く隔たった人のことを考えれば道徳的知覚が混乱するから、身体的な障害をもつ人々のことを自分の理論では扱わないことを正当化した。その後、哲学者のアマルティア・センは、このロールズの言説を批判した。しかし、そのセン自身も、赤ちゃんと知的な障害をもつ人々について、自由の能動的な行使には直接関係がないと述べた。私が哲学専攻の学生だったとき、この二人への反論を考えるだけで、連ねた言葉は5万字を越えた。

 

 「道徳的知覚の混乱」とは言い得て妙だ。何かを見たり想像したりすることで、通常の道徳的判断が不能に陥ることを指す。例えば、健康な子どもが生まれることを願っている親にとっては、それが叶わない可能性は脅威だし、自分が哀れみの念を抱いてしまうような人々とは距離を置く傾向がある。そのことがわかるからこそ、ロールズのこの言葉は抜けない刺のように胸に刺さった。

 

 厄介なことに、どんなに著名な哲学者であっても、この「道徳的知覚の混乱」を避けるために、人間の本質を規定し、その本質を体現しない人々を自らの理論の限界に押しやる傾向がある。これが認識を歪める。そこにある間違いを見落とし、そこにいる人を除外する。自己保存の原則が、近しい者たちと集団を形成し、他者危害をもたらすように。

 

 「道徳的知覚の混乱」を乗り越えることは、多くの分別ある大人にとって最大の課題の一つだろうと私は見ている。自分と異なる人々が危険に晒されないように、どんなメディアの形があり得るか、そのことをきちんと考えなさい。そう私はあの日の女性たちに教えられた。私たちの視線の交点からどこまで遠くに言葉を届けられるかが問題だと知ったからだ。

 

 最近の『哲楽』は、オンラインが中心で、更新頻度もあまり高いとはいえない。読者には申し訳ない限りだ。それでも新しい試みとして、音声だけでなく、手話での哲学対話も始めた。それぞれの対話空間から、その外側を想像する力をもらっている。

 

 哲学の言葉を編み、書くことで、その言葉を受け取った人の足元から、ずっと先まで照らせたら。こうして今日も自転車を漕いでいる。

(たなか さをり 編集者・文筆家)

 高校生からの哲学雑誌『哲楽』編集人。「現代哲学ラボ」世話人。著書に『時間の解体新書――手話と産みの空間ではじめる』(明石書店、2021)、インタビュー本に『哲学者に会いにゆこう』(ナカニシヤ出版、2016)『哲学者に会いにゆこう2』(ナカニシヤ出版、2017)など。

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