親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

浄土双六とのご縁をいただいて

臨済宗妙心寺派 陽岳寺住職・クリエイター

向井 真人

(MUKAI Mahito)

 平成27(2015)年より毎年1作品以上、お寺や仏教をテーマにしたカードゲームやボードゲームを製作している。またお寺の本堂で市販のカードゲームやボードゲーム、けん玉などで遊ぶ会を開催している。おもちゃで遊ぶ会ではあるが、実際には遊ばずにお茶を飲みに来るだけでも良く、遊ぶことを主題にすることで気兼ねなくお入りいただけるような手立てである。そもそもの発端は、聖書のカードゲームを初めに知り、ついで浄土双六というものとの出会いをいただいたことである。


 双六と聞くと、どのような形を頭に思い浮かべるだろうか。スタートとゴールが設定されており、途中に分かれ道がありつつも一本道。サイコロなどを使い推進力を得て、自分の分身であるコマが道を進み、上がることを目指す。ゴールへと一路邁進する双六のはじまりは出世双六と言われる。まるで出世街道を突き進むかのようだからだ。そんな出世双六よりも前には、飛び双六という種類があった。自分の分身であるコマがマス目を飛んで移動するため飛び双六といい、浄土双六もそれである。ふりだしが人間、サイコロを振って、地獄に落ちたり、餓鬼・畜生を転々としたりしながら、修行の道を進んで、成仏を目指すのだ。ゴールが仏のいらっしゃる国土、すなわち浄土であるため、浄土双六と呼ばれている。

 

 浄土双六の前身として証果増進之図(仏法双六)があり、そこからさまざまな亜種が生まれ、今では日本全国の美術館や博物館に所蔵されている。ここでは東京国立博物館所蔵の『双六類聚(すごろくるいじゅ)』にある彩色された浄土双六について取り上げる。その中身を見ると、縦長の紙に、碁盤の目のような縦横並行の規則正しい線が引かれている。区分けされた箇所が双六のマス目で、須弥山世界観が振り分けられている。約100あるマス目には、仏教語、仏教語に関連した絵、そしてサイコロの出目による移動先が記載されている。遊び方はもともと口伝であったが、後の世には双六の紙自体に記載されたり、別紙が用意されたりしたようだ。

 

 浄土双六は、マス目が仏教の世界観から妖怪や高僧に取って代わられたり、あるいは仏教とは関係のないテーマの飛び双六が流行していったりする中で、姿を消してしまう。いまでは仏教関連の展覧会の展示品として見ることはできるが、浄土双六は歴史の遺物として認定され、遊ばれなくなってしまったのだ。しかし近年、様々な取り組みがなされている。お寺で遊ぶ会を催したり、現代語訳・海外対応版が製作されたりしている。拙作『浄土双六ペーパークラフト』では、マス目の用語解説集をつけて、須弥山世界観を模したペーパークラフト上で遊ぶことができるようにした。

 浄土双六の中身を見れば、仏教に精通している者が製作しているであろうことは推察される。江戸時代以前にそのような人物がいたことに驚かされる。しかも、浄土双六は見るだけで学びを得られ、遊んでも学びを得られるように作られているのだ。見て得られる学びとしては、マス目の配置がある。ふりだしは南閻浮州であり、世界の中心軸である須弥山の南方にある、人の住む島だ。経典に書かれている内容を見れば、その島の下部に地獄があるとされ、浄土双六でも南閻浮州の下部一列全てが地獄となっている。また、南閻浮州周辺や海に様々な生き方が散らばっているとされ、畜生・修羅・魚類・鳥類・虫類や天竜八部衆などのマス目の配置もそのようになっている。南閻浮州上部には須弥山内の天があり、欲界・色界・無色界へと天が上位になるにつれて、双六の上位にマス目として配置される。無色界の天のマス目は名前だけが書かれており、物質的なものからも欲望からも離れている無色界であるからこそ絵は描かれていない。須弥山世界観をマス目の配置や表記にしっかり落とし込んでいる。また、ゴールである仏のマス目のような箇所はあるのだが、実際にはゴールである仏のマス目は盤上に存在しない。なぜなら浄土双六の盤上とは三界、すなわち迷いの世界であり、そこから解脱しているのが仏であるからだ。

 

 実際に遊んでみると分かるのだが、自身の分身であるコマの移動が大変である。各マス目には、そのマス目でサイコロを振った結果なんの目が出たらどこへ飛ぶかが書いてある。指定先のマス目がどこにあるか探すことは難しく、慣れてきても動かすには苦労するのだ。コマが飛び回っている様子とは生まれ変わり死に変わりする輪廻の苦しみのダイナミックさ、はたまた生きている時のこころの変わり様である、と表現できるかもしれない。どちらにしても、ままならなさに振り回されている私たちの現実の在り様だと実感できる。各マス目の飛び先については適当に配置されているのではなく、経典や説話集など出典があるようだと分かる。たとえば、無色界のマス目。得意の絶頂にいることを表す有頂天とは本来仏教語であり、無色界の最上の天のことである。そんな有頂天の無色界のマス目には地獄の列へと移動する可能性が含まれている。

 

 広辞苑第五版「遊ぶ」欄を見ると、日常的な生活から心身を解放し別天地に身をゆだねる意、とある。真剣に遊びと向き合っている時は無我夢中になり、遊びへ引き込まれているように思う。そんな中ふと我に返ると文字通り「この私」に立ち戻る。ずいぶん夢中で遊んでいたな、と先ほどまでの自分の姿を客観視することとなる。遊びの良さはここにある。遊びとは日常の中の出来事ではありつつも、そんな日常やこの私自身を離れた場所から観察する視点を提供してくれるのだ。遊びは、気持ちの余裕・ゆとりや、ギチギチとした日常のすきまになってくれる。外からの視点を持ってきてくれる貴重な存在なのだ。

 

 私たち人間は必死に毎日を生きている。必死に生きているからこそ、この日常から離れることを自分で自分に許さない。そんな自縄自縛を解き放つためには、外からの視点を持ってくることだ。仏教で言えば、三界から離れた仏を礼拝したり念じたりすること、先に逝った親しい人々にお参りすることで完遂されるだろう。遊びは非日常を作り出し、自身を俯瞰して見ることを可能にする。時間や場所を区切って遊ぶことで、自分と向き合いやすくなるだろう。その点、浄土双六のような仏教を楽しく学びながらできる遊びは、ままならなさに振り回されている自身の姿、自分とは何者なのか、仏教と遊びの相乗効果でより俯瞰視することができる。出世間の僧侶や仏教とは社会から離れた視点を与えてくれる存在であり、「遊び」との親和性も高い。「遊び」にはとても大きな力があると私自身感じている。

(むかい まひと・臨済宗妙心寺派 陽岳寺住職、クリエイター)

 自坊でようがくじ「不二の会」を立ち上げ、坐禅会・ヨガ・ゲーム部・お茶の会などを企画開催。

 2015年からは「御朱印あつめ」「檀家-DANKA-」「浄土双六ペーパークラフト」「おえかきネハンズ」などのお寺系ボードゲームを製作している。

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