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■ 研究会報告
■ 研究会報告
伊藤 顕慈 「真宗教学史における慶秀の位置と教学理解」
伊藤 顕慈 「真宗教学史における慶秀の位置と教学理解」
親鸞仏教センター嘱託研究員
越部 良一
(KOSHIBE Ryoichi)
私はいったいいつから哲学し出したのか、という問いに、私はこう考えることにしている。それは12歳の時、ビートルズの「A Day in the Life」に出会った時であると。
大学教授であったカール・ヤスパースが、高齢になって大学を退職した後、自身の仕事場とした大学というものを回顧してこう述べている。「大学の理念というものを、大学入学以来、真剣に受け止めてきた一人の男が、この理念がほとんど通用していなかったドイツの大学企業体に入り込んだのだった」(ヤスパース『運命と意志』)。
精神的なものを求めて動いてゆきながら、精神を窒息させる状況に入り込む。精神の開放を求めて動いたのか、精神を閉じ込めるために動いたのか、わけがわからない。どこにでもあることだ。だから人は、その動いた初心を忘れないようにしなければならない。
次の表現は、こうした初心を示そうとしているのだと、私は見る。
「状況の中で状況と共に絶えず流転しながら、私がまだ存在しなかった暗闇からもはや存在しない暗闇へと、私は流れ落ちていく。[中略]流れ落ちてゆくにまかせながら、何かを掴まなければ、その何かは永遠に失われてしまうと考えて私は脅えるが、その何かが何であるのかがわからない。私は単に消滅するのでない存在を求める」
(ヤスパース『哲学』)
単に消滅するのではない存在、つまり永遠的なるものに遭遇する在り方を、ロック・ギタリストのロバート・フィリップ(キング・クリムゾン)は、音楽家にふさわしく、次のように表現する。
「音楽家が得る唯一の報酬は音楽である。音楽がわれわれを覆い、われわれにその秘密をあかすとき、音楽の現前のただ中に立つという恩典である。同じことが聴衆にも言える。この瞬間に、他のすべての物事は色あせ、力を失う。音楽の中にいるこの者たちにとって、これこそ、人生が現実になる瞬間である」
(キング・クリムゾンの4枚組ライブCD『The Great Deceiver』の
ブックレット中のフィリップの文章)
初心とは、形式的に表せば、自らにとってAの報酬がAである、そうしたAに出会った心である。だが、こうした心をもってしても、人は、Bの報酬がCである、Cの報酬がDである、Dの報酬がEである…、というきりのない状況に、相変わらず絡めとられる。だからこの持続する状況を、Aの報酬がAであるという事態でもって突破してゆくこと、それが「希哲学」(philosophyの最初の訳語)たる哲学の、不断の課題となるのである。
(2023年6月1日)
親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
我らの意識のあり方は、意識する作用と意識される内容とによって常に二分されている。このことを仏教では、意識は「分別(ふんべつ)」であると言い当てている。分別は、常に対象を内容とする作用なのである。しかもそれは虚しく妄りに分別しているから、虚妄分別(こもうふんべつ)であるとも言う。意識の分別のあり方そのものに、妄念が付いているのだというのである。
その虚妄を晴らすべく唯識思想の教えが表されてくるのであるが、その唯識思想の展開についてはここでは触れない。問題となるのは、その対象とされる意識内容が人間にとって常に興味を引く対象にのみ一切の頭脳活動を集中させていくという近代以降の発想方法のあり方である。その結果として、科学的な知識とそれを応用する技術は現代の文明社会の便利さを生み出したが、競争が過熱する社会をも現出してきているということなのである。
仏陀釈尊が無我の体験を言葉によって表すことを躊躇したという伝説が伝えられているのは、意識の二分化を前提にして言葉が成り立っているということ、そのことに釈尊が気づいていたからであろう。意識内容を言葉で表現することにより、自己の意識生活を他己に伝えることができる。それが言葉の持つ勝れた機能ではあるのだが、そこには限界がある。だから、自己の無我の体験を言葉にすることの困難さを前に、釈尊はひとまず沈黙された。しかし、その困難さを超えて、あえて言葉による共通体験の方向を信頼して、さとりの体験を言葉にして説き表すという決断をした。人間の現世の言葉による意識生活には、意識の対象界のみではなく、意識する作用それ自体によって起こってくる底知れぬ不安感や、生存自身の危機感がある。釈尊の決断の背景には、釈尊がそういった不安感・危機感から出家求道をせざるを得なかったという自己自身の求道過程があった。
それにより、衆生の持つ根本問題を見通した仏陀釈尊は、その問題を解き明かすべく、言葉の限界を超えて如来の教言を紡ぎ出していったのではないかと思う。
初期の仏弟子たちが出遇った如来の教えは、果である無我の体験、すなわち「さとり」と言われる内容を言葉によって表現しようとする教えであった。それは後に起こった大乗の教義了解からするなら、果たる証から教えが始められているということである。証から教が出てきている。因から果に到るという次第で、その果が説き出されたのである。
ところが仏陀の覚りに近づくために、虚妄分別から出発して果を求める道程を歩む者には、悪戦苦闘の努力をもってしても、その達成は困難であった。だからこそ大乗の志願は、如来の無限なる慈悲において、一切の衆生に普遍的な証果をもたらす教えを要求して止まなかったのである。
(2023年6月1日)
親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
有限なる存在を、浄土教の歴史的な表現では「凡夫」という。凡夫とは一般用語であるが、この語において、仏教に出遇っている自分の存在の意味を、無限なる如来の大悲の眼に照らし出されたあり方として、表現しているのである。そうすると、善導が押さえているように、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より已来(このかた)、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」(『真宗聖典』215頁)と深く信じるところにあるのが凡夫である。この自覚において親鸞は、「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(『一念多念文意』〔『真宗聖典』545頁〕)と言われているのである。
浄土教の自覚に表れてくる罪障の自覚とか罪業の身の重さということは、有限という語には現れてはいないのであるが、浄土教の求道における自覚的な表現とは、こういう罪障の自覚を通した有限なる自己の表現であると言える。その対照である無限という語にも、仏道の無為法ということで求められてくるような永劫に変わらない真実という性格はさしあたってないのであるが、求道の問題として無限という語を使う場合は、仏智の大きさや広大な涅槃ということも含まれてくると言うべきなのである。
この広大無辺の無限は、法蔵願心の果であり、因位の菩薩として法蔵菩薩は、果たる一如・涅槃から立ち上がったのだと言われる(『一念多念文意』〔『真宗聖典』543頁〕及び『唯信鈔文意』〔『真宗聖典』554頁〕参照)。その因位の修行は、大悲によって我ら衆生を済度せんがために、「兆載永劫」の時を貫く菩薩行であるとされている。兆載の時間をかけて、虚妄分別する我らに真実信を成就させようというのだと、親鸞は受けとめられているのである。
有限なる我らは、どこまでも煩悩具足の身を離れないから、決してそのまま無限に成ることはできない。しかし、無限の無限たる所以(ゆえん)は、一切の有限を包んでいるところにある。親鸞はこの道理について、善導が法蔵菩薩の果たる如来(阿弥陀如来)を「摂取不捨」として示していることに着眼している(「摂取して捨てざるがゆえに、阿弥陀と名づく」と善導が釈しているのを『教行信証』「行巻」で取り上げている〔『真宗聖典』174頁参照〕)。すなわち、無限大悲の光明は、たとえ我らが忘れようとも常に照らしていてくださるのだという。この道理にうなずくことにおいて、有限なる我らに無限のはたらきが具足する。親鸞は、このことを「如来回向」の信心として表されたのである。
(2023年5月1日)
親鸞仏教センター主任研究員
加来 雄之
(KAKU Takeshi)
どのような時代でも、どのような社会でも、私たちの問題は、自分の置かれている状況や遭遇する事件を受けとめる自己をどのように実現できるのかということにある。
人間が、事実そのものではなく、自我関心や価値観にとらわれた「思い」で作り上げた虚構の世界の中に生きている以上、人は不安から逃れることはできない。だからこそ人は、自分や他人の「思い」に左右されない依り処を与えてくれる何かに惹(ひ)かれるのだろう。その「思い」を超えた依り処として何を選ぶのか。それが、その人の生き方を決定する。
人は、そのような依り処を与えてくれる一つとして宗教(儀礼や信仰)を求めるのかもしれない。
例えば、毎朝の神仏への礼拝など日々の生活における儀礼的な様式や、誕生や結婚や死などの人々の人生の重要な出来事に結びつく儀礼や、大災害などとの遭遇や痛ましい事件を受けとめるための追悼や鎮霊のような特別な儀礼も、そのような要求を満たしてくれる。
また占いなどは日々の行動の指標となり、想定外の事件の意味を神仏からの試練として教えてくれる定式化された信条などは、私たちに安定した生き方を与えてくれるだろう。
しかしそれは本当に「思い」を超えた世界を開いてくるのだろうか。どのような儀礼も信条も、事実そのものを離れて、私たちの「思い」をかなえようとする呪術的・功利的なものにとどまるならば、真の意味で「思い」を超えた世界を開いてこないと思われる。
かつて大谷大学の学生と共に、他力浄土教の受容の現状について調査するための研修で台湾に行ったことがある。台北にある善導流の浄土教を広めている中華浄土宗協会を訪れたとき「念仏機」なる装置を眼にした(下画像、クリックすると音声が流れます)。それは24時間、協会の指導者が「南無阿弥陀仏」と念仏する声をひたすら流し続けるという装置である。最初はとても違和感を覚えた。一つは、自分で念仏せずに装置に念仏という行を代替させるということに。もう一つは、指導者の声を繰り返し流すということに(その行為が、或るカルト的な宗教の修行方法を連想させたからであった)。
後で調べると、この種の機械は台湾や中国などではごく一般的で、ネット上でも、それを鳴らしておくことでさまざまな利益が得られるといううたい文句で「ブッダマシーン」などと呼ばれて販売されていた。聞くところによると、交通事故の場所などにはよく置かれており、亡くなった人が成仏できるように、また鬼にならないように、さらに事故が再び起こらないようにと期待されているということであった。いわば除災招福機である。私もそのようなイメージで受けとめたのである。
ところが協会の或る女性信者に念仏機のことを尋ねたとき、その答えに触れて深く考えさせられた。彼女は次のように語った。
「私は商売をしています。朝から晩まで忙しく客に対応しており、念仏をとなえる暇もありません。しかし念仏機を鳴らしておけば、いつも念仏の中に居ることができるし、阿弥陀仏のことを忘れないですむのです」
そのとき私は、親鸞聖人が念仏の本質を、仏たちが阿弥陀如来の名を称えて私たちに聞かせてくれることである、と受けとめておられることを思い出した。また流れる念仏が協会の指導者の声であることについても、もし法然上人や親鸞聖人の念仏の声が今に残っていたら私もそれを聴いていたいと思うだろう、と考え直した。ひょっとすると念仏機に違和感をもった私の中には、念仏を自分の行為とし、また手柄とするような発想が残っていたのかもしれない。
もちろん念仏機を除災招福機として使用している人も多いだろう。しかし思えば、念仏を呪術的・功利的に捉え、現世や来世の幸福を追求するための道具とする傾向は法然上人や親鸞聖人の時代も同じであった。
私にとって、念仏のイメージが大きく変わったのは、『歎異抄』の有名な親鸞聖人の仰せと出会ったときであった。
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。
ただ念仏して、阿弥陀と名づけられる真実の意味に人生が支えられるならば、地獄におちてしまったとしても、まったく後悔するはずはない。この念仏についての仰せに出会って、私の念仏への印象や向き合い方が変わることになった。
私はときおり不安に襲われる。欲や怒りの思いに苦しめられる。死が怖く、死後に幸せな世界があればと思う。他人の不幸と比較して自分はまだましだという傲慢な思いに囚われる。私は念仏をすれば、このような思いが解決されるだろうと漠然と考えていた。もちろんこのような不安や功利的な思いは今も私から消えてなくなることはない。しかしこの仰せを聴いたとき、できるならば除災招福の念仏ではなく、このような念仏、「ただ念仏」の仰せにしたがっていきたいと感じた。
同じ台湾研修旅行の中で、同行した学生の一人が協会の指導者に次のような質問をした。
「あなたは、戒律を護ることができない人々を救う他力の念仏の教えを伝えているのに、どうしてご自身は出家して戒律を護るのですか」と。
その方は次のように答えた。
「それには二つ理由があります。一つには、私自身は出家の生活が楽しく、好きなのです。もう一つには、台湾では人々に教えを伝えるのに出家の形の方が都合がよいのです。」
この返答は、私に法然上人の有名な仰せを思い出させた。
現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。いわく、ひじり(聖)で申されずば、め(妻)をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。〔中略〕衣食住の三は、念仏の助業也。
(『黒谷上人和語灯録』巻五「諸人伝説の詞」)
法然上人は、念仏ができるように聖という出家の形でも妻をもつ俗人の形でも都合のよいものを選べばよいとし、あわせて衣食住は念仏することを助けるための活動だと結論している。それは衣食住を軽んじてもよいという意味ではない。念仏できる人生を、そして人世を実現することを可能にする衣食住がぜひとも必要だという意味である。
念仏は、この世の営みを否定し、この世の苦しみから逃避するための方法だろうか。そうであれば念仏の生活は次の世のための準備であって、この世において何の内実ももたないことになる。しかし念仏が、この世での営みのすべてを、この人生を深く受けとめていく縁とする場を開くのであれば、「ただ念仏」の生活ほど豊かな内実をもつ生活はない。
「ただ念仏」というのは、決して他のことよりも念仏を優先せよ、例えば仕事も辞めろ、社会活動も止めろという意味ではない。自分のことも、他者との関係も、今の世界のあり方も、命終の後のことも、すべて如来の慈悲と智慧をとおして受けとめ直すということを意味している。
科学技術の時代、生理や心理についての科学も発達したこの現代に、法然・親鸞という名に象徴される「ただ念仏」という仰せは必要とされているのだろうか。科学と念仏の生活は矛盾するのだろうか。
「ただ念仏」は、科学を悪魔扱いしたり、科学のない世を夢想させたりはしない。私たちの生活は科学を必要とする。むしろ「ただ念仏」は、科学を使う人間の「思い」の迷いに気づかせ、「思い」を超えた世界に立ちかえらせる。いかなる人間の属性も状況も問わない唯一の行として選ばれた「ただ念仏」は、人の価値を問わない。そのことによって呪術的・功利的な人生観を超えていく生き方を与えてくれる。
念仏は、一応は人生の出来事を「そのまま」受け容れる道であると言ってよい。しかし、それは無批判な現実肯定や受容を意味しない。「ただ念仏」は、如来の智慧の中でこの生を尽くしていくという私たちの宣言であり、それは出来事を「そのまま」ではなく「ありのままに」受けとめていこうとする態度表明だからである。だからこそ「ただ念仏」は、如来の悲しみにもとづいた批判が生まれてくるための唯一の場を開く。
「思い」を離れることのできない私たちは、「思い」ではどうしても受けとめることのできない現実を、どのように受けとめればよいのだろうか。「ただ念仏」という生き方の中には、それを探求してきた仏者たちの歴史が折りたたまれている。
台湾での「念仏機」との遭遇は、私にとって「念仏」という営みが現代にもつ意味を問い直す「契機」となった。
(かく たけし・親鸞仏教センター主任研究員)
親鸞仏教センター嘱託研究員
青柳 英司
(AOYAGI Eishi)
ある日、SNSで1つの投稿が目に留まった。
【本日発売】『即身仏になろう!』 新感覚即身仏体験ゲーム!
うほっ!? 思わず、変な声が出てしまった。
『即身仏になろう!』は、神戸を拠点にするクリエイター集団「グループSNE」が製作したボードゲームである。ゲームというと、「ゲーム機やスマートフォンを使ってするもの」というイメージが強いかもしれないが、駒やカードを使う非電子型のゲーム(これを本稿ではボードゲームと呼ぶ)の人気も根強い。たとえば、囲碁や将棋、トランプや花札、双六や麻雀などは、遊んだことのある人も多いだろう。
さらに近年、従来とはまったく違った新たなボードゲームが次々と世に出ており、その中には仏教を題材としたものもあるのである。その1つが、本稿で取り上げる『即身仏になろう!』だ。
では、そもそも即身仏とは何なのか? これは簡単に言えば、ミイラ化した僧侶のことである。即身仏を目指す者は、山に籠って身体を酷使すると共に、穀物の摂取を断つ。受戒した僧侶は、そもそも肉や魚を食べることができない。そのため、穀物を断つと口にできるのは、木の実や樹皮などに限られてしまう。また、臓器の腐敗を防ぐために、人体に有害である漆を飲むこともあったという。
こうして体中の脂肪を落とし、骨と皮だけになった後は、「土中入定」と呼ばれる段階へと進む。木棺に入ったまま、地下約3メートルの深さに造られた石室に降ろされ、弟子たちが入口を塞ぐのである。
真っ暗な土の中で、即身仏を目指す僧侶は水すら飲まずに、ひたすら読経を続ける。地上との繫がりは、換気用の竹筒1本だけである。その外で、弟子たちが決まった時刻に鐘を鳴らし、土中の僧侶も鳴らし返すことで生存確認を行う。音が返って来なくなると、それは修行の完成である。僧侶は即身仏と成り、永遠の禅定に入ったと見做される。
すると、弟子たちは竹筒を引き抜いて穴を完全に埋め、遺言で定められた日数が経った後に掘り起こす。そこで遺体が朽ちていなければ、法衣を着せられ、厨子の中に安置されることになる。
この即身仏の思想的淵源は、真言宗の開祖・空海(774-835)の即身成仏説にあるとされる。しかし、上述のような即身仏を目指す修行は、真言宗の中でも一般的なものではなく、基本的には近世の東北地方に見られる現象であった。その理由は様々に考察されているが、一説には、飢饉に苦しむ民衆の救済を願うものであったとされている。
さて、話をゲームの方に戻そう。
『即身仏になろう!』を初めて見た時、正直、「これは売れるのか?」と思った。
筆者は、通っていた小学校の図書室になぜか即身仏の漫画があり、なぜか筆者はそれを読んでいたので、即身仏の存在については幼いころから知っていた。しかし、一般の人は即身仏に関心など無いのではなかろうか。そう思ったのである。
だが、それは杞憂だったらしい。初版はすぐに完売したようで、現在はルールを少し修正した第二版が発売されている。そこでここでは、第二版の内容に沿いながら、『即身仏になろう!』の概要を紹介してみたい。
このゲームは、100枚ほどのカードを使って行うカードゲームであり、トランプのように2人から5人で遊ぶことができる。ゲームの流れとしては、以下の3つのフェイズを各自で進めていくことになる。
(1)五穀集めフェイズ:修行に入る前の、最後の食事をするフェイズ。五穀(米・粟・麦・大豆・黍)のカードを集めることを目指す。
(2)五穀断ちフェイズ:五穀に対する未練を断っていくフェイズ。手札の五穀カードを全て捨てることを目指す。このフェイズでのみ、「漆茶」を飲んで身体を浄めることができる。
(3)土中フェイズ:土中の石室に入る最後のフェイズ。全ての煩悩(手札)を捨てて、即身仏になることを目指す。このフェイズでのみ、「入定」を実践することができる。
この3つのフェイズを通して、プレイヤーは菩薩点(勝利点)を集めていく。菩薩点を獲得する方法は様々で、「最も早く次のフェイズに進む」「最も多くの漆茶を飲む」「最も多く入定する」などがある。最終的に、最も多くの菩薩点を獲得したプレイヤーが勝者だ。
このゲーム、各フェイズによって目的が変わるため、様々なジレンマを抱えることになる。「五穀集めフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードをまったく引かないこともあるし、「五穀断ちフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードばかりを引いて、断ちがたい食への執着を痛感させられることもある。また、「手札の上限枚数は7枚」というルールがあるため、序盤に「漆茶」や「入定」をたくさん引いてしまうと、五穀を揃えるために捨てざるを得ないという局面にも遭遇する。
さらに、他のプレイヤーに自分の手札を1枚押し付けることもできるため、もう少しで成仏というタイミングで、思わぬ妨害が入るということもある。ただ、この点は第二版になって、「「土中フェイズ」でのみ手札の同名のカードは同時に何枚でも捨てられる」、という仕様に変更となったため、初版の時の面倒臭さはかなり軽減された。
このように『即身仏になろう!』というゲームは、実際の即身仏修行の雰囲気を存分に残しつつ、競技としても十分に楽しめるものとなっている。
もちろん、仏教をゲームにしてしまうことに、抵抗を覚える方もいるだろう。しかし、仏教が一般の人々にとって、敷居の高いものになって久しいのも事実である。特にこのゲームは、我々は煩悩によって苦しむという事実を、ゲームシステムとして再現している。即身仏は、近世のムーブメントのようなものであるとも言えるし、現代において即身仏を目指すという人はいないだろう。けれど、現代の日本人にも、仏教的な「何か」に魅かれるところがあり、『即身仏になろう!』というゲームは、その端的な表象であると見ることもできるように思う。筆者は、その「何か」を丁寧に掘り起こしていきたい。そして、もっと変な声を出したい。このゲームから、そんなことを考えさせられた。
(あおやぎ えいし・親鸞仏教センター嘱託研究員)
親鸞仏教センター属託研究員
越部 良一
(KOSHIBE Ryoichi)
ヤスパースの『理性と実存』は、5つの講義から成り、その最初の講義でキルケゴールとニーチェをいわば同じ仲間として論ずる。しかし、この2人の何を同じだとしているのか、捉えるのは易しくない。ヤスパースの見る、2人を結び付けるものは、言葉を越えてゆくものなのだから。
ニーチェの思想を見る場合、永遠回帰とか超人とか力への意志とかに、キルケゴールでは、実存の三段階や絶望や不安などに眼をつけて、彼らの思想を捉えようとする、そうした仕方は普通にある。ヤスパースはここで、そうしたことへ深入りするそぶりが全くない。驚くべきことである。だがこの姿勢は、この2人の根本思考に厳密に忠実なのである。
「どこにも、有限性にも、意識的に把捉される根源にも、規定的に捉えられる超越者にも、歴史的な由来にも、最終的な支えは、彼らにとってはない」(ヤスパース『理性と実存』、越部良一訳、リベルタス出版、2023年。以下、引用はすべてこの拙訳から)。
ヤスパースが心底、眼を奪われているのは、彼らの規定されうるような諸思想ではなく、それらを越え包む何ものかである。
だから彼らの思考のいわば形、形式に、彼らの生き方、生きた形に眼をつける。例えばこうである。
「彼らにとって、ここでまた驚くべきことは、まさに彼らのできそこないの在り様それ自身が、彼ら特有の偉大さの条件であるということである。というのも、この偉大さは、彼らにとって、偉大さそのものではなく、時代状況に、その状況に固有なものとして属する、一回きりの偉大さなのであるから。注目すべきことは、いかに両者が、彼らの本質のこの側面に対しても、似たような比喩に思い至っているかである。ニーチェは自らをこう譬える、「でたらめな文字、見知らぬ力が、新しいペンを試すために紙の上に書く」。彼の病気の積極的な価値は、彼の絶えざる問題である。キルケゴールはしばしば思う、「神の暴力的な手によって抹消され、失敗した試みのように消し去られる」。彼は自らをまるで缶のふちに当って押し潰されるいわしのように感じる。彼に次のような思いが浮かぶ。「いつの代にも、他の人々の犠牲になり、ひどい苦悩のうちで他の人々に役立つものを……発見せねばならない2、3の人間がいるものだ」」。
この2人は現代ヨーロッパという時代と場所の「いわば代表的運命であり、犠牲者」なのである。しかも自ら進んで。「そのような犠牲なしでは決して気づくことはなかったであろう何ものか」、その前面には「何か途方もないこと」がある。ヤスパースは言う、「今の人は、過去の教説の全てを、書冊の意味では、以前の大哲学者たちの或る者が識っていたであろう以上に、ひょっとすると識っているかもしれない。しかし、教説に関する、そして歴史に関する、単なる知に変貌しているという意識、生それ自身から、そして事実信じられていた真理から解き放たれているという意識は、この伝統がいかに偉大であり、そして大きな満足を作り出してきたし、今も作り出していようとも、この伝統を、その究極的な意味において疑わしいものにしてきたのである。[中略]というのも、西洋の人間の現実のうちに、ひそかに、何か途方もないことが起っているからである。すなわち、あらゆる権威の崩壊、理性に対する溌剌たる信頼の徹底的な消滅、すべてを、全くもってすべてを可能にするように見える、結び付きの解消」。
実際上の無信仰のうちで、見かけ上何かを信じている風にすごしているという現代の状況、この状況の内にあって、「一方はキリスト教の信仰性をもち、他方は無神性を強調するという、まさに見かけ上は完全な本質相違性をもつから、それだけに彼らの思考の類似性は、ますます際立つものとなる。あたかもすべての過去のものがなおも存立しているかのような見かけのもと、実際は無信仰に生きているこの反省の時代において、信仰の拒否と自己を信仰へ強制することとは互いに属し合うものとなる。神なき者が信仰的に見え、信仰者が無信仰的に見えうる。両者は同じ弁証法のうちに立っている」。
現代の状況に沿いながら、その実、彼らが目指すものは、その状況がもつ、見かけ上の信仰と実際上の無信仰を、突破することなのである。この突破は、時代を超え、世界を超える。彼らは共に命がけの人間である。「彼らは一つの道を行くが、この道は、彼らにとっては、超越的な支えなくしては歩み通され得ない。というのも、彼らが反省するのは、平均的な現代性がするように、生命欲と生命関心という自明の限界をもってしてではないから。すべてか、しからずんば無か、それが問題である彼らは、限界のないことを敢えて行う。しかし、このことを彼らが行うことができるのは、ひとえに、彼らがはじめからあのものに根ざしているがゆえであり、それは、彼らにとっては同時に隠れているのである。すなわち、両名とも彼らの青年時代に、知られぬ神について言及している」。
「彼らの現存在の孤立無援、できそこなってあるものにして偶然的なもの、そうしたものと、彼らのもとで大きな対照をなしているのは、彼らを見舞うあらゆる出来事の意味、意義、必然性についての、人生が進むにつれ深まりゆく彼らの意識である。キルケゴールはそれを摂理と呼ぶ。彼は次のような神的なものをそこに認識する。「ここで起き、言われ、進行する等々すべてのことは、前兆であるということ、事実的なものは、それが何かはるかに高いものを意味するように、いつでも変貌するということ」」。
だからヤスパースは、彼ら自身では意識することが不可能な事実的なもの、彼らが40代でもう彼らの人生の突然の終りを迎えたこと等の、彼らの人生行路の共通性を指摘する。「まったく理解の無い反響に面するという運命も、彼らに共通であった」。彼らは、「この時代にとって、単に一つのセンセーションにすぎなかった」。「こうして彼らの影響力は、彼らの本質の、そして思考の意味に反して、限界なく崩壊させるものとなった」。彼らの交わりの追求は、だから、生前においてのみならず、死後もその趨勢において挫折した。
ヤスパースが見ようとするのは、彼らを包んでいる、知られぬあるものである。普通の、つまり、ただの人間的な見方では、例えば病気が「偉大さの条件」とされたりはしない。ここでは人間的視点を越えるものこそが、大なるものなのである。それが彼らを真に結び付ける。彼らが同じであることに驚くということは、そうしたものに、その者がふれているということであり、その知られぬものから問いかけられ、返答を迫られるということなのである。『理性と実存』という書物は、その返答の試みの書である。
この試みは、彼らの、掴みうるようにされた思想に従うことではあり得ない。彼ら自身がそのことをはねつける。「彼らは我々を立ち去らせる。我々にいかなる目標も与えず、いかなる規定された課題も立てはしない。個々の誰もが、彼らによって、自分自身であるものに成れるだけである」。
彼らを読むとは、そして彼らに対峙するこの書を読むこともまた、根本的に、その知られぬものに、自分自身が向かうということである。
(こしべ りょういち・親鸞仏教センター嘱託研究員)
親鸞仏教センター嘱託研究員
長谷川 琢哉
(HASEGAWA Takuya)
黒っぽいTシャツを脱いだ時にはもう朝焼け 照らされるイレズミはハートの模様だったかな?
(「TATTOOあり」MUKAI SHUTOKU)
私が京都に住んでいた学生の頃の話である。大学院に進学する関係で健康診断書を提出する必要が生じ、病院に出かけた。自宅から遠くない場所にあったその病院はずいぶん古めかしく、大きな木製のドアと大理石調の柱が印象的だった気がする。とはいえ、町中のそれほど大きくない、地元の、特に年配の人たちの利用が目立つごく普通の病院であった。私は階段を登って二階にある受付に向かった。受診のために必要な書類を提出して、待合室のソファーに腰掛けた。これから先の大学院生活への期待や不安を漠然と感じつつ、自分の名が呼ばれるのを待っていた。
ふとその時、強烈な違和感に襲われた。待合室の老人たちに交じって座っている、ひとりの若い女性である。見たところ10代後半から20代前半くらいの女性が私の目に入ったのだが、その女性は長く黒い髪をしっかりと結い(「日本髪」というのだろうか)、一見して普段着の、しかしそれでいてしっかりと仕立てられた上質の着物を着ていた。私の認識は混乱した。私の経験上、若い女性がいわゆる晴れ着の着物を着た姿を見たとこは、もちろん何度もあった。しかし普段着の着物を若い女性が着用し、しかも髪が本当に結われている。そのような若い女性を私は見たことがなかった。頭のてっぺんから足の先まで、現代的なものを一切身に着けていない時代錯誤なこの女性は、時間と空間を歪ませるに余りあるリアリティを有していた。どう見てもこれはコスプレではない。完璧に自然である。しかしなぜこの若い女性は、まるで明治か大正の世にいるかのようなスタイルで、平然と座っているのだろうか。病院の古めかしさと相まって、私は自分自身が今どこにいるのかも分からなくなるような強いめまいを感じたのだった。
しかし次の瞬間にすぐに思い至った。この病院は花街である上七軒の近くに位置している。そうか、この女性はおそらく舞妓さんか芸姑さんのプライベートな姿なのだろう。あまりにも時代錯誤でありながら、あまりにも自然なこのスタイルは、彼女の職業的な事情を考慮すれば簡単に説明がつくものだった。真偽のほどは定かではないが、少なくともこの認識によって、私の日常は瞬時に回復された。そこは近所にあるごく普通の病院の一室に戻ったのである。
――その時、私は萩原朔太郎の『猫町』を思い起こした。モルヒネやコカインの薬物中毒患者である「私」が、健康のための散歩の途中にふとしたきっかけで方向感覚を喪失し、見慣れた街並みが全く見知らぬ街であるかのように見える錯覚を主題とした小説である。北陸地方の「K」という温泉地に滞在した「私」は、山道に迷い込んでたまたま小さな街に行き着くが、突然、街の様子が変化する。辺りにいた人たちが消え、猫、猫、猫、猫、猫、に覆いつくされるという奇妙なヴィジョンをわずかな間に見るという話である。
私の京都の病院での体験は、『猫町』で描かれているそれと同種のものと言えるだろう。それは日常生活を転倒させ、まったくの異世界を垣間見させる体験であった。とはいえ、私の“猫町体験”への関心は、詩人である作者のそれとは異なるところもある。
『猫町』では最後に荘子の「胡蝶の夢」が引かれ、「夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるか」という疑問が取り上げられる。そして最終的に、「理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない」(萩原朔太郎『猫町 他十七篇』、岩波文庫、1995年)という詩人のヴィジョンの実在性が強調されるのである。たとえ幻のようなものであったとしても異世界を垣間見たことは事実であり、そしてその異世界はどこかに実在するという詩人の確信こそが、この著作の主題となっている。
これに対して、私が興味を惹かれるのは、むしろ非日常的体験の後に回復される日常性の問題である。私たちは確かに、この世の常識を引き裂き、転倒させるような強烈な体験をすることがあるかもしれない。しかし『猫町』で描かれているように、大抵の場合そうした体験は長くは続かず、一瞬で過ぎ去ってしまうに違いない。私たちは正気を取り戻し、今まで通りの日常に逆戻りするのである。もちろん、その一瞬が一生分のことを変えてしまうこともあるだろうが(「パウロの回心」はその典型例と言える)、その場合には、非日常的体験は意味づけられ、日常生活に組み込まれているはずである。そうでなければ、体験は現実に対して効果を与え続けることが出来ないからだ。
このように考えると、私が先に記述した病院での体験も、現在の私が再構築した物語に過ぎない。体験は記憶の中で改変され、体験それ自体は幻の中に消え失せているのかもしれない。
(はせがわ たくや・親鸞仏教センター嘱託研究員)