親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」

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親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。

 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。

 では、現代の日本において、南無阿弥陀仏はどのような場面で使われ、どのように理解されているのだろうか。ここでは、日本のポップ・カルチャーの代表である「漫画」を取り上げ、一般的な日本人にとって、南無阿弥陀仏とは何であるのかを考えてみたい(ただし、仏教的なものが直接のテーマとなっている漫画は、すでに論じているものがあるため、ここでは敢えて取り上げなかった)。

 筆者の管見に入った南無阿弥陀仏の用例は、以下の6種に大別される。 なお、漫画は煩を避けるために、関連するものを1つずつ挙げるに留めた。

A、キャラ付け

金城宗幸/ノ村優介『ブルーロック』(講談社)

  主人公のチームメイト・五十嵐栗夢(いがらし ぐりむ)は、寺の息子という設定。このように、登場人物の特徴を際立たせるために、(何の脈絡もなく)南無阿弥陀仏が使われることがある。

B、弔いの言葉として

鳥山明『ドラゴンボール』(集英社)

 敵のロボットの首を吹き飛ばしてしまい、手を合わせる主人公の孫悟空(そん ごくう)。

C、呪文として

うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』(集英社)

 クリスマスの夜に現れた幽霊に対して、「ナムアミダブツ」を連呼するピヨ彦。それによって、幽霊が消滅しかけている。このようなシーンにおける南無阿弥陀仏は、何の効果も発揮しないことが多い。そのため、この描写は、極めて例外的なものであると言える。

D、危機的な状況における祈りの言葉として

アジチカ/梅村真也/フクイタクミ『終末のワルキューレ』(コアミックス)

 神々と人類との最終闘争(ラグナロク)が始まるシーンで、必死に念仏を唱える僧侶。

 このようなシーンの念仏は、何の効果も発揮しない「虚しい祈り」である場合が多い。

E、他者を攻撃する(殺す)際の言葉として

手塚治虫『シュマリ』(小学館)

 登場人物の1人である十兵衛(じゅうべえ)は、敵の腕を切り落とす際に「ナムアミダブツ」と呟く。

 このような念仏には、相手への弔い、または贖罪の意味が籠められていると思われる。

F、その他

オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』(小学館)

 主人公の弟・古見笑介が、米粒に南無阿弥陀仏を書き入れるシーン。なぜ、南無阿弥陀仏なのかは、よくわからない。

 以上のように、南無阿弥陀仏は様々な文脈の中に登場する。

 ただ、法然や親鸞の思想に沿った用例は皆無であり、それどころか、往生や成仏を願うという例も、ほぼ見られない。むしろ、現代日本において南無阿弥陀仏という言葉には、特定の宗派性を越えた仏教的(宗教的)表象という役割が、与えられているように思われる。
 一方、近年の漫画ほど、南無阿弥陀仏を漢字で表記する傾向が強いように感じられる。最早、仮名の表記では、南無阿弥陀仏は宗教的表現として十分に機能しないと、見られるようになっているのかもしれない。現代の日本において南無阿弥陀仏は、仏教性や宗教性を表わすフレーズとして、確固たる地位を占めているように見えるが、それが今後も続くという保証は、どこにも無いのである。そのことを我々は、確かめておくべきであろう。

 最後になったが、南無阿弥陀仏が出てくる漫画は、明治大学の学生諸君から教えてもらったものが多い。この場を借りて御礼申し上げる。

(2022年9月9日)

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第230回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」①

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

 親鸞聖人のお言葉には、人間存在のもつ実相への深い洞察とそこから染み出てくるような懺悔の心が感じられる。このことには、その背後に『大無量寿経』にまで煮詰められた大乗仏道の菩提心の歴史があるのであろう。総願から別願を開示して、この大乗の菩提心を掘り下げるべく歩みを進めるところに、「法蔵菩薩」なる人間像が生み出されてきている。

 私たちは、決して自見の覚悟に陥ることなく、この菩提心の歴史を担った法蔵菩薩の精神に随順して聞思していきたいと思うのである。この精神の根本には、大乗の「涅槃」、すなわち「無上大涅槃」ということがある。この事柄を人間存在の究極の課題であると押さえることが、大乗仏道に生きようとするものにとって、常に憶念されるべき大切な方向性なのであろう。

 このことが出発点であると共に、到達点でもある。仏道の極致である無為法としての大涅槃が、「法性・一如・真如」などとも表現され、そこから法蔵菩薩が立ち上がったという親鸞の「法蔵菩薩」の了解が出されてきているのである。物語としての『大無量寿経』は、究極的目的や出発点となる無為法などという概念そのものではなく、一切の衆生を視野に入れた救済物語として語り出されている。人間像としての「法蔵」なる菩薩のもとに、自利利他の菩提心の吟味が説き出され、その時に大乗仏道の歴史的な背景が「久遠無量」という超時間的な言葉で表明されてくる。大乗の菩提を求める要求は、人類の存在と共に古い要求であり、その目的たる大涅槃は、人間存在にとっての故郷とも表現されるような根源的意味があるとされているのである。

 法蔵菩薩の菩提心は、別願であるという。菩薩の総願は、四弘誓願に総括されているが、その中から、ことさらに「生きる」ことの根本にある環境的課題を解明するべく、仏土を建立するということが提示され、その仏土のあり方への要請が弘誓として展開されているのである。

 その国土の建立に当たり、諸仏国土の覩見(とけん)ということが出されている。仏陀の自内証とは、大乗の仏道においては諸仏平等であるとされる。正覚とも言われる「菩提」の内実は、諸仏においてすべて差異や上下が見出されず、平等なのだという。それは「無我」とか「空」といわれる根本の智慧が、みな同等であるということである。

 それに対して、諸仏国土の善悪を覩見するとは、いかなる事態を言い当てようとするのか。果位の諸仏の自内証が平等の智慧であるのに対して、諸仏国土の違いとは、因位の願心の差異であろうと教えられている。法蔵菩薩は諸仏の願心の差を見通して、国土の因の問題を考察することに、「五劫思惟」という超時間的時間を掛けていくのである。

(2022年9月9日)

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Interview 第27回 池田行信氏(後編)

shinran-bc

ikeda

浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー後編を掲載、前編中編はコチラから】

──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。

 

■親鸞の「プロセス」を課題とする

池田  村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。

 信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」 を参照のこと)

 また、小林一茶は『おらが春』において、さらに木越康先生は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』において、「他力」を解釈する難しさについて言及していますが、これらのテーマは、今日「慈悲」をどう理解するかという課題に通じているように思います。(前掲blog「補遺(213)文献解釈の落とし穴――ボランティアは自力?」を参照のこと)

 『歎異抄』第4条の「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」の理解について、田中教照先生はその著『現代文「歎異抄」に学ぶ親鸞の教え』(235頁)にて、「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」は、「区別」して、どちらを取るかという問題ではなく、「聖道の慈悲」から「浄土の慈悲」への「転換」の必要性を述べているのだと指摘しています。一茶が『おらが春』に記した「他力縄に縛られる」(『註解』214頁)という話や、ボランティアは「聖道の慈悲」だというような見解は、「区別」のレベル、言い換えれば、「解釈」のレベルで、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」(『註釈版』834頁、『聖典』628頁)ことを「自力」と否定してしまうあり方ではないでしょうか。

 そうではなく、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題として、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」ことが難しいと知ったならば、「浄土の慈悲」「大慈大悲心」が要請されて来るのではないでしょうか。はじめから「浄土の慈悲」という「結論」、言い換えれば「浄土の慈悲」のみが正しいという「区別」、建前に依拠して解釈するから、人間の自然な感情でもある「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」、道徳的な感情としても否定しきれない感情を、「自力作善」として否定してしまうことになりやすいのではないでしょうか。村上先生はこの「結論」、建前からの議論の陥穽を指摘しているように思います。

 このように、いわば後世の宗学の型にはめた、「結論」の押しつけに縛られているありようを、一茶は「他力縄に縛られる」と語ったと理解することもできるのではないでしょうか。

 

■私的な祈り

池田  この点に関連して、ひとつの例をご紹介します。たとえば、新型コロナウイルス対策として、各種の行事が中止や延期を余儀なくされています。そして、それは必要なことと思います。

 では新型コロナウイルスの終息を「祈る」ことはどうでしょう。日本の仏教教団は、「戦勝祈願」した戦時下の動向を戦後に深く反省し、そのことを表明してきました。このことについては、たとえ、それが当時の善意にもとづく「祈り」であったとしても、公的責任が問われるべきです。では、私的な「祈り」は、どうでしょう。もちろん公的責任が問われることはないと思います。しかし、もし教団が私的な「祈り」を抑圧するとしたら、どうでしょう。

 ある坊守様から聞いたのですが、その方が学生時代にある先生からお聞きしたお話だそうです。その先生が学校に通学される時、お母様がお寺の山門の下で、「大難を小難に、小難を無難に」ととなえて、毎日見送ってくださったというのです。息子に災難が起こることは避けようがないけれども、それを少しでも小さなものに、というのが、そのお母様の心だったということです。

 このお話を聞いて、その坊守様は自分も子どもを授かることがあったら実行しようと思ったそうです。その後、結婚をし、子どもが生まれ、その子が山門から見えなくなるまで、合掌してその言葉を繰り返しているそうです。そのことを、また別の坊守さんにお話しした時、「真宗でそんなことをするのはおかしい」と、あっさりと言われたそうです。そう言われても、今も子どもを見送る時に、相変わらず続けているとのことでした。

 本願寺派では三業惑乱以降、「祈り」を非常に警戒し、「心経験」つまり、心での経験、意識作用までを「意業」とし、「他力信心」は「非意業」というのが教学上の建前になっているようです。真宗者の日常生活の現場にあっては、「『祈ります』とは言いません、『念じます』と言います」ということになり、「祈る」が否定され、代わりに「念じる」が使用されているようです。多くの僧侶や門信徒のあいだでは、浄土真宗の教えにおいては「念じる」は認められても、「祈り」は否定されていると理解されているのが現状ではないでしょうか。

 しかし、参考までに述べますと、恵信尼様は「後世をいのらせたまひける」(『註釈版』811頁、『聖典』616頁)と、「祈り」という言葉を使われています。親鸞聖人と恵信尼様の、夫婦の会話の中での言葉です。親鸞聖人が実際に「祈り」という言葉を使ったかどうかは判然としませんが、恵信尼様が「祈り」という言葉で教えの一端を理解していたことは間違いないでしょう。夫婦の会話の中では「祈り」と理解されていたのだと思います。

 この「祈り」という言葉については、誤解を生じる恐れがあるから用いることのないように、という暗黙の了解が教団内にはあるのだと説明されることもあります。しかし、教団の中でのこういった暗黙の了解が、多くの僧侶や門信徒に共有されてきたとも思えません。結果として、「真宗でそんなことをするのはおかしい」という一言であっさり片づけられ、「大難を小難に、小難を無難に」という、ひとりの人間の心にさえ寄り添うこともできないのではないでしょうか。そもそも、そのような暗黙の前提をもつ教学理解は、教団内の多くの僧侶や門信徒はもとより、教団外の不特定多数の人々にも開かれたものとは言えないでしょう。

 先に「逆縁」ということを申しましたが、「逆縁」は新たな創造的解釈が生まれてくる契機ともなり得るものです。あるいは、これまで「寄り添う」とも申してきましたが、私が寄り添うのみではなく、そもそも私たち自身も苦悩の中にいるのです。親鸞聖人であっても、流罪の苦悩を経られたわけです。宗祖がなぜ『教行信証』といった大部の著作を書かれたのか。あるいは宗祖なき後になぜ『歎異抄』が書かれなければならなかったのか。そこから、これまで言葉にならなかった教学が生まれてきたのです。そこには痛みや悔しさがあったのではないかとも思います。「ありがたい・もったいない・おはずかしい」と言って済ませられない苦悩を経て、言葉が紡がれてきたのです。そのような言葉を生み出してきた教団であればこそ、信頼に値すると私は思います。

 もちろん「大難を小難に、小難を無難に」という言葉は、仏教の信仰そのものに関わる表現ではないのかもしれません。しかし、この場合でいえば少なくともそう願い祈る、ひとりの人間の心に寄り添うことができるような視点からの、「祈り」の考察が必要ではないでしょうか。教団内の暗黙の了解が理解できる者にしか通用しない教学では、高尚なる宗学の奥義ではあり得ても、次世代に対する責任を担う教学とはならないように思います。

 かつて安田理深先生の講義をお聞きしていた時に、あるご年配の女性の方が聞きに来られていました。その方が休憩時間に「すみません。先生が「しゅうじ」(「種子」)と仰っているのですけれど、あれは何ですか。お習字のことですか」って、私に聞いたのです。安田先生は本当にすごい先生だと、その時に思いました。そういうおばあちゃんたちにも懇々と仏教としての浄土真宗を説いて、そういった方々の生活のレベルにまで何かが響いているわけです。

 宗教は最終的には「面々の御はからひ」(『註釈版』833頁、『聖典』627頁)であると思います。しかし、「結論」に至る「プロセス」で、今悩んでいる人間がいるならば、建前からの議論、建前からの説教ではなく、今悩んでいる人間の、「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことのできる、そういう教学的営為が要請されているのではないでしょうか。

 親鸞聖人が「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことを、自己の課題とした教学的営為は、たとえば『教行信証』の「三願転入」を読み解くことで理解できるかも知れません。または、道綽禅師や善導大師による「本願取意の文」や「本願加減の文」として知られる、第十八願文の書き換え(『註解』394頁)や、親鸞聖人における、教行証の三法組織から教行信証の四法組織への展開は、まさにこの「結論」に至る「プロセス」に寄り添うがゆえの教学的営為であったようにも思うのです。

(文責:親鸞仏教センター)

前編はコチラ)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー中編を掲載、前編後編はコチラから】

──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。

 

池田  印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。

 また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。

 「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。

 

 

■『正信偈』の核心

池田  『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。

 また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。

 

 

──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。

 

 

■方法論の展開とそれに伴う現代の批判

池田  まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。

 清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。

 そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。

 また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。

 曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。

 しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。

 その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。

 

 

──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。

 

 

■教団として現実に向き合うとき

池田  先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。

 とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。

 さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

後編へ続く)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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Interview 第25回 池田行信氏(前編)

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浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー前編を掲載、中編後編はコチラから】

──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。
 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。

 

 

■なぜ『正信偈』なのか

池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。

 さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。

 曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。

 

■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し

池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。

 1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。

 浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。

 そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。

 いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。

 大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。

 だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。

 教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。

 

■「与奪」と「祖述」

池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。

 しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。

 ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。

 異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。

 「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。

 

■「逆縁」による「興宗」

池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。

 曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。

 逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。 

 星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

中編へ続く)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④

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龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

吉永  これまでの仏教史や宗教史では、身体やお金のようなマテリアルは軽視されてきたけれども、そういうマテリアルをもう一回見直したほうがよいという一般論は立てられると思うんですね。ではその一般論を越えてどういう見通しが立つかと言えば、僕にはよくわからない。ただ、今までつくられてきた「近代仏教」や「新宗教」というようなカテゴリーは、そろそろ一回外してみたほうがよいだろうなとは思います。今の「新宗教」だって、あと100年もすれば、立派な「宗派」になり得るわけです。そういう「宗門史」で留めてしまうと、100年後には後悔が残るんじゃないでしょうか。

 

長谷川  岡田先生も、その解釈をおっしゃっていましたね。

 

飯島  改めて大拙研究についてお聞きしたいのですが、大拙は旧来ずっと関心をもたれてきていながら、どちらかと言えば伝説化されてしまっていましたよね。それが昨今は、だんだんと客観的な研究対象として見られ出してきています。それこそジュディス・スノドグラス先生やリチャード・ジャフィ先生(デューク大学教授)のような欧米の研究者の関心は、米国の時代状況や人間関係のなかで一書生のような大拙がどう活動したのかという点ですね。D・T・スズキというブランドが米国にどう影響したのか、あるいはビアトリス夫人がどうして大拙の仏教観に影響を受けたのか、あるいは影響を与えたのか、ビアトリスの人となりも含めて史料的に研究されてきている。

 一方で、大拙の和文著作がちゃんとあるわけです。それら――『禅思想史研究』や『浄土系思想論』や『日本的霊性』といったもの――にも大拙の思想的なところが、当然あるんですよね。ある意味で一番厄介な、大拙の読みにくい部分をどう考えていくのか。これについては、小川隆先生(駒澤大学教授)や石井修道先生(駒澤大学名誉教授)、最近では安藤礼二先生が、ようやく着手されている印象です。

 そうした中で、吉永先生はこれからの大拙研究をどのように捉えていらっしゃるか、今後何が必要と感じていらっしゃるか、うかがえますか。

 

吉永  大拙研究は時間がかかるでしょうね。そもそも、大拙の研究がきちんとスタートしたと言えるのは、そんな古い話ではないのに、まだ信頼し得る伝記がないわけですから、歴史的に大拙の生涯がどういうものだったのか、はっきり言えないわけです。幸いなことに桐田清秀先生が残した詳細な年譜があります。あれは事実の羅列ですが、項目と項目に連関をつけて、外部の資料をつきあわせていけば、かなり充実した伝記ができるはずです。まず何よりも、今後の叩き台となる伝記をつくらなければいけないでしょうね(※参照;桐田清秀『鈴木大拙研究基礎資料』〔松ヶ岡文庫、2005〕。なお、同書の電子版は、松ヶ岡文庫のホームページから無料ダウンロードできる)。

 そういう事実を踏まえたうえで、その思想がどうかを検討し得る。だから、西洋思想からの研究と禅の伝統からの研究の二つをどこで折り合いをつけるのかというような問題は、まだ先だろうと思うんです。

 例えば19世紀のヨーロッパ社会での仏教のイメージと言えば、怪しげな邪教というような印象が強いわけですよね。「どこか遠くの国から入ってきた新宗教が、どういうわけか若い者の間で広まっている」ということになったら、みんなそこで偏見をもちます。そういう偏見をもたれていたところが、欧米圏での仏教のスタートラインだと思ってよいのではないでしょうか。そこに入ってみようとする当時の欧米人は、よほど物好きか変人なわけですよ。というのも、キリスト教にだいたい満足しているというなら、仏教へわざわざ入るわけがないじゃないですか。旧来のキリスト教では満足し得ない人たちが、どうしても仏教に問題解決を求めて入ってくる。しかも、その解決すべき問題が意外に普遍的だった。

 

長谷川  普遍的?

 

吉永  そうです。21世紀になると、マインドフルネス的な瞑想を実践しようとする人々がそこら中にいるという状況になってくる。もしかしたら、近代社会の変化の中で「仏教」(欧米圏で広まった形での)は非常に有効に働いたのであって、だからこそ広まったんじゃないか。しかも、その中で大拙の果たした働きは大きい――そこまではみなわかっているわけですね。

 ですから、大拙の思想について考えると、問題が二つあります。ひとつ目の問題は、例えば伝統的な仏教――臨済禅や真宗――を、大拙がどこまで保持していたのかということ。これは大体、これまでみなが批判する点ですね。二つ目の問題としては、そうした大拙の思想が現代に対してどれだけ大きいものをもたらしたのかということ。これはどういうような観点で評価するのかという、評価軸の問題もありますからいろいろな解答は出ると思います。大きな影響を与えたのは確かであるし、しかもそれは決して悪いものではなかっただろうと思いますし、海外への影響ばかり喧伝されますが、僕のような一般人の仏教観、禅観へかなり大きな影響を与えたのではないかと思うんです。

 大拙の思想的な研究と伝記的な研究とはどこかで融合するはずです。だとしても、もう少し時間はかかるのだと思います。というのは、大拙の批判的な研究を経て、改めて大拙への評価が始まったのは、末木文美士先生(国際日本文化研究センター名誉教授)以降、ほんの4~5年ですよね。

 いずれにせよ、まだ10年はかかると思いますよ。特に歴史資料はかなり整理されているのにもかかわらず、歴史学的に信頼できる資料が基本的に整理されきっていないというのがすごく残念ですね。結局、少数のすごく熱心な大拙研究者が伝記的な研究を熱心にやっていただけで、その問題が共有されていない。そういう伝記的な研究を多くの人が共有して、どんどん疑問点を出し、それをもう一回、思想へとフィードバックしていかなければ、なかなか次の世代にバトンタッチできないのではないかと思いますね。年寄りの世代は仏教好きなので、今はまだ大拙に人気はありますけれども、次の世代にバトンタッチするとなると、今のままでは研究としても大拙の理解としてもまだ不充分じゃないでしょうかね。

 大拙は達観した人生の達人のように語られます。確かに成功した人生だとは思いますが、まったくノンシャランで仏教研究に打ち込んだわけでもない。几帳面で事細かく人生に処した面もあり、誰の人生とも同じように、苦労と喜びが綾なしていたような――苦労と喜びは同じ事柄の両面ですから――そういう気がして仕方がないです。なにしろ、ものすごく遅咲きですよね。大谷大に就職して、仏教研究に専念できるようになったのが51歳です。しかも最終学歴は中等学校(現在の高校)卒業です。父親と母親を20歳までに亡くしているわけです。これだけで考えても、大学教員に至る前半生が平坦なものとは言えないでしょう。誰であれ、思想は、自分の人生の苦闘からしか得られないのですから、そこはよく考える必要があるかと思います。

 あと、われわれは大拙の著述のどういうところを面白いと思うのか。仏教の解説書として優れているかと言うと、あれだけ仏教研究者からの批判もあるので、解説としては最良のものではないのかもしれません。紙ゴミで捨ててしまう人もいるかもしれません。しかし、僕のように、紙ゴミで捨てるということもなく、やはり何度も取り出して読んでしまいたくなる人も少なからずいると思います。その魅力は何なのか。大拙は他人事として仏教を読んでいない、という点は大事なことだと思うんですが、では大拙が自分事として語ったものが、なぜ自分に共感できるのかとか、いろいろ疑念が湧いてくると思うんです。そうした疑念を突き詰めて考えてみる。自分の中から出て来る、大拙の面白味の由来を考えてみる。これもまた面白くも大事なことではないでしょうか。

 

長谷川・飯島  今回はどうもありがとうございました。(了)

 

 

インタビューを終えて

 

 吉永先生のインタビューで語られているのは、「宗教」、「哲学」、「文化」といった既存のカテゴリーを疑い、それらすべてを包摂する流動的な混沌――たとえばそれは「生(life)」という言葉でも名指される――を柔軟にとらえることの必要性であった。そして「近代仏教」という研究領域が注目を集めているのも、それが多様なアプローチを許容する(あるいはむしろ要求する)混沌とした対象だからでもあるだろう。「近代仏教」という領域そのものが、いわば「宗教」や「哲学」といった既存のカテゴリーの問い直しを突きつけてくるのである。

 インタビューの後半で、飯島氏と私は、それぞれが研究している鈴木大拙や井上円了についてうかがった。大拙にしろ円了にしろ、「仏教者」や「哲学者」といった既存のカテゴリーでは捉えきれない(それゆえ特定のディシプリンだけでは捉えきれない)ある種の混沌でもあるからだ。われわれはそうした混沌を捉えるための柔軟な知性を吉永先生に認め、そのなにがしかを学ぼうとしたのである。また混沌とした対象を捉えるには個人の視点だけでは不十分であり、だからこそ国内外の研究者のネットワークが必要になる。吉永先生を中心に形成された国際的・学際的ネットワークは、それ自体が一種の方法論でもあるのかもしれない。しかしいずれにせよ、今回われわれが垣間見ることができたのは、吉永進一という混沌のごく一部にすぎない。近い将来、より本格的な吉永進一研究のネットワークが形成されることを願うばかりである。

(長谷川琢哉・飯島孝良)

 

(文責:親鸞仏教センター)

 

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吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

Interview 第23回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」③

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龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

飯島  今、吉永先生や岡田正彦先生(天理大学教授)、あるいは大谷栄一先生がされている近代仏教研究というものと、大正から昭和にかけて京大の宗教学でされている哲学的な仏教研究は、どちらもある種の近代性を帯びながら発展してきたわけですよね。両者は重なるようで違う方が強いようにも感じるんですが、如何でしょうか。


吉永  仏教史の中で京都学派を考えてみるって面白いと思うんです。

 例えば、西田幾多郎(1870~1945)と仏教との関係を考えるとき、単純に禅で得た経験を言語化したとか、理論化したというのは単純すぎるとは思います。西田は哲学として確立しようとしてたのですから、まずは切り離して考えるべきだと思うんです。ただ、日本における「哲学」は、井上円了(1858~1919)によって仏教擁護論に用いられるなどしますし、思想的にも井上哲次郎らが提唱していた「現象即実在論」は『大乗起信論』の影響もあるといいますよね。ですから、西田が哲学を考える際の前提には仏教の影響があったのではないかというのが一点、そして大正時代以降、西田哲学は求道的な若者に受容されます。一種の代替宗教的な、今でいえばスピリチュアルな場なのでしょうが、そういう前後の文脈を考えてみたらどうかということです。

 そう考えることは、決して西田の思想にある普遍性が損なわれることではないんですが、ただ、西田が言いたかったことを考えるとき、そうした近代仏教の思想史や社会史的なところにもう一回落としてみると、実は見え方が違うんじゃないか――そういうことです。

 少し話が飛躍してしまいますが、突き詰めて考えてみると、厳密な意味で、哲学、道徳、宗教、あるいは政治というカテゴリー分けができるのかという疑問があります。ジェイムズは『宗教的経験の諸相』の冒頭で、「宗教」をかなり苦心して定義しているのです。その苦闘を読むと、そもそも定義は無理ではないかと思います。なにしろ、われわれの生(life)は切り分けられない連続だと彼は主張しているのですから。カテゴリーは後知恵にすぎない。さまざまな融合や結合が出てくるのは当たり前であると考えて、西田幾多郞や鈴木大拙を考えてみることもできると思うんですね。

 簡単に言えば、「宗教」というカテゴリーを一回疑ってみたうえで、もっと流動的なものとして考えてみようという気持ちはあります。「宗教」ということばにもちろんこだわるんだけれども、ただそれを原理主義的に狭く使うのではなくて、もうちょっと弾力的に用いて、カテゴリー間の往来や思想の往還のようなものを見ていこうという気はするんですね。


飯島  そういう弾力性を前提にして、さまざまな側面から近代の仏教を捉えていくというのは、共通認識になりそうでまだなりきってないようにも感じますね。


吉永  共通認識になるのは難しいと思う。具体的にいえば、近代仏教だとしても、やはり宗門の近代史が中心になりますし、またそこから学ぶことは多いのですが、宗門だけで語っていると、近代史のダイナミックさが見えにくくなるのだとも思います。ただ、近代仏教史研究は、研究者の側も、僕のような外道も含めて、色々なディシプリンの人間が入り込んでいます。単に共通点は近代というだけですから。ですので、さまざまな議論ができるという強みがありますね。


飯島  逆に、近代仏教研究に足りないなとか、もっとやったらいいじゃないかと感じる部分はありますか。

吉永 ひとつは、近代仏教をやる人は、英語、フランス語、ドイツ語、何でもいいですけれども、よその国の近代仏教研究ともう少し対話していってほしいなというのはありますよね。これからは、やはり中国だろうなと思いますね。中国の近代仏教研究は、ようやく吉田久一前夜ぐらいまできていると思います。坂井田夕起子さん(愛知大学国際問題研究所客員研究員)が、このごろ太虚(1890~1947)の研究会が立ち上がったと書いておられて、ああいう東アジアのネットワークがもうちょっと広がったらいいと思います。

 もうひとつは、新宗教と近代仏教の垣根をどうやって突破するか。真如苑や創価学会が、研究分野では宗教社会学になるわけですけれども、近代仏教史の方から見たらどうかと思うんですよね。


長谷川  なるほど。確かにそこにはちょっと線があるんですかね。


吉永  仏教思想の近代における展開といった視点で、伝統との連続性に留意しながら新宗教史を見直してみたらどうかという気もするんです。


飯島  宗派という観点でいうと、近代仏教史研究会の研究発表などで多いのは、やはり浄土真宗です。浄土宗や日蓮宗も多いですね。僕にとっては意外なんですけれども、禅は近代仏教研究で携わる方がいらっしゃらないんですよね。


吉永  日蓮宗については、日蓮主義の研究は盛んなのですが、近代日蓮宗はどうだったのか、となるとどうでしょうね。教学の近代化はどうなっていたのかとか、あるいは修法師のように祈祷の近代化はどうなっていたのかとか。ただ、禅宗となると、ほんとよく分からない。例えば、曹洞宗の近代化とは何だったのか、明らかになってほしい。忽滑谷快天(1867~1934)と原田祖岳(1871~1961)の「正信論争」のようなものは、すごく大きな運動だったはずなのに、すべて教団の中の話だということで結論づけられてしまっている。清沢満之(1863~1903)の場合ならば、宗門改革の運動が最終的にはかなりの広がりをもつ思想運動にまで展開するわけですね。そうした思想運動にまで広がらなかったのはどうしてなのかというのは、確かにありますね。

 さらに言えば、臨済宗全体の展開に関しても、色々なところが判然としない。特に臨済宗は釈宗演(1860~1919)のようなスターが出て、そのスターの話だけで終わっちゃうんですよね。ただ、禅宗の近代は、曹洞、臨済を問わず、老師とその帰依者による宗門内の半ば独立的な組織が、宗門全体の生命力を支えていたとは言えるので、そうしたスター研究の裾野を広げるという必要もあると思います。


飯島  臨済宗の場合は、例えば、今北洪川(1816~1892)や釈宗演が居士林という形で、居士にどんどん開いていく動きが特徴的ですよね。それに関連しては、レベッカ・メンデルソンさん(デューク大学大学院)が研究されているような興禅護国会の流れが、現在の白山道場へつながっていく。そういう居士にどんどん開いていくというムーブメントが、円覚寺派という一宗派に限定したものだったのか、あるいは臨済宗全体が教団としてどう考えていたのか、そこを明らかにしていかねばならないですよね。


吉永  曹洞宗の方でもうひとつ気がついたことは、学林の伝統が強いのかなという印象です。もともと学問の自立性というのは、曹洞宗は高かったのかもしれない。逆にいうと、それが宗門の教学にどこまでフィードバックできたのかという問題もありますよね。だから、曹洞宗は宗教学や仏教学に非常に大きな足跡を残しているけれども、それが在家教化にとってどうだったのか。大内青巒(1845~1918)の編集した修証義は見事なものだと思うのですが、それ以外に何があったのかよく分からない。あれだけの組織が現代まで維持されてきたわけなので、今後研究されていくべきだろうと思います(このインタビュー後、武井謙吾くんという若手の研究者から近代曹洞宗における授戒会の研究発表を聞きましたが、やはり儀礼を含めて身体から見る近代仏教史の研究は進められるべきかなと思いました)。


飯島  先ほど吉永先生がご指摘くださった海外進出や海外交流という点で言えば、禅では、鈴木大拙などをキックボードにして、まったく個の体験に還元していく。それが多くの混交を重ねて、欧米圏でまったく独特のものになるわけですよね。その中で面白いのは、弟子丸泰仙(1914~1982)がどんどんヨーロッパへ進出して、澤木興道(1880~1965)から弟子丸泰仙という法系がヨーロッパを席巻して道場も多くできていく。今、そうしたヨーロッパで独特に展開した道場を曹洞宗の本流に紐づけていく動きも出てきて、曹洞宗はフランスに設けたヨーロッパ国際布教総監部が盛んに活動しているようです。

 しかし、龍沢寺(静岡県三島市)の中川球童(死活庵/1927~2007)が米国やイスラエルで布教したことは、臨済宗ではむしろ例外的なような印象さえあります。だから、欧米の方々がイメージするZENは、長らく「D・T・スズキの教えに近いことを実践すること」というものだった印象が強い。ビートニク世代が受容したような仕方が、そのままどんどん拡散していって、宗派でもないような独特なZENが発展しているというのは、面白い現象だと思うんですよね。


吉永  そうですね、やはり臨済宗は釈宗演の系譜に接する人びとがみな面白いですよね。特に佐々木指月(1882~1945)が面白い。誰か本気で研究してほしい。あれはすごいです。

長谷川 2018年3月に開催した清沢満之研究交流会では、思想を歴史的にもう一回問い直すことが趣旨だったのですが、あまりかみ合わなかったんですよね。私がその企画をしたのは、「吉田久一に代表される戦後の近代仏教研究というものをもう一度相対化して、思想史的な研究をしたい」と言いました。それを吉永先生の表現をお借りして言えば、「大きな物語」や「イデオロギー」といったすごく明確な価値基準がかつてはあったわけですよね。例えば、国家と宗教とはそれぞれ個別の問題として分けるべきで、そのうえで「清沢の精神主義は○○という部分があったからいい」「▽▽以外は駄目だ」というような形で位置づけていた。けれども、その価値観だけではもう見られなくなってきている。井上円了も、それだともうまったく見られなくなりますよね。

 その上でどうするのかを考えると、吉永先生がおっしゃるように、「もう一回史料に戻ってさまざまな関係性を見たりしていくことをやらざるを得ない」ということまでは言いました。その後に、星野靖二さん(國學院大學准教授)が「その上で改めて、歴史をもう一回描くとすると、どういうように書けるのか。例えば、近代仏教史というものを書くときにどう書けるのか」というご指摘をされたんですよね。こうした点を、吉永先生はどのようにお考えになりますか。


吉永  ひとつは、僕は学問に対する信頼があるので、はじめはすべてが少し混沌としていても、次の時代にはまた何かしら「物語」が必ず出てくるはずなので、気にはしてないんです。では自分が何を考えているのか。大きな物語を提案することはできないのですが、自分にとっての近代を見ていく上での、現在のこだわりというと、やはり、「身体からみる宗教史」というものですね。先ほど「術」のことを言いましたが、もう少し個別に言えば、その「術」というのは霊術や精神療法、あるいは修養ですよ。

 近現代だと「身体」と「頭」というのは、完璧に分離されたものと捉えられていて、「身体」はブラックボックスだと言われてきた。そうではなくて、身体を使う作法とか、作法から出てくる何かしらの知恵とか、そういう視点から見ることはできないのかという気はしています。そのときの「身体」というのは、もちろん「心」も含んで考えているし、その前提となる仏教のイデオロギーやアイデアも踏まえているものです。そういう「身体」というものは、「頭」と常に相補的にあったと思いますね。そういうものの歴史を描くことで、例えば国家と宗教的なイデオロギーの混交というような、今まででは整理がつかなかったさまざまなことの整理がつくように思ってはいるんですけれどもね。


長谷川  ミシェル・フーコー(Michel Foucault/1926~1984)ではないですけれども、「身体」から国民道徳のようなものに展開していったのではないかというイメージは、これまでも結構見られますよね。


吉永  そうですね。だから、ある意味では「身体」というものだけに寄りかかってしまうと、非常に抑圧的な歴史の読み方になってしまう可能性もある。それは正しくないだろうと思います。だからといって、いつまでもイデオロギーだけではいかんだろうとも思います。例えば、「通俗道徳」というものも、最終的には「身体」をどう支配するかということに読み替えることもできると思うんですね。


長谷川  例えば井上円了だったら、後半生に哲学和讃や哲学堂公園を残していますね。それが思想の内容というよりも「身体」というものとして捉えられるのか、わかりませんけれども。

(文責:親鸞仏教センター)


④へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第22回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」②

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龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー②を掲載、の各回コチラから】

吉永  オカルト研究をしていてかなり昔から興味をもったのは、日本には西洋からのスピリチュアリズムとか神智学とかが入ってないのかということなんですよね。海外にはすでにいくつか研究があったので、では日本の研究をするのはどうだろうか、と。そこで、スピリチュアリズム、それから病気治しの精神療法というか霊術の研究をやりました。ジェイムズがそういう病気治しも好きだったこともあるし、井村宏次さん(鍼灸師・超心理研究家)が1980年頃に霊術の研究をはじめたこともあって、そのときに協力したこともありました。

 そのうちわかってきたことは、霊術・精神療法が大正時代に非常に流行したことです。ただ、当時は国会図書館のデジタルコレクションも使えなかったので、明治から大正ぐらいの霊に関する変な本を古本即売会で買い込んだりしました。現在では近デジでかなりのことがわかるのですが、古本屋で本を買っていると、同じ霊という言葉を使うにしても、仏教系、キリスト教系、スピリチュアリズム系や霊術・精神療法系、これらはそれぞれ「霊」という言葉の意味する範囲が微妙に異なっていたこともわかりました。

 もうひとつは、1970年代後半、編集者の武田崇元(洋一)さんが『地球ロマン』とか『迷宮』という雑誌を出していたことです。去年あたりになってようやく偽史の研究などが話題になっていましたけれども、武田さんはもう30年、40年前にそうした雑誌でやっていたんですね。日本の古いものであっても、ちゃんとこちらが書誌的にしっかり詰めていけば、何ら怪しげな話ではなく学問たり得ると考えていました。

 それで、精神療法家の松本道別という人物がいるのですが、彼の本をざっと読んでいたら、オーラのことが書いてあったんです。その出典が『瑞派仏教学』というとても面白い題名の本からだった。そこでどこかに置いてないかと調べたら、龍谷大学の大宮図書館になったのです。現物を見てみたら、「瑞派」の瑞というのはエマヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg/1688~1772)のことだとわかりました。なんでスウェーデンボルグが仏教なんだ、そんなバカな話があるか、と思ったんです。その時のことか、あるいはその前のことか忘れてしまったんですが、当時目録はまだカードの頃で、やはり龍大図書館のカードを繰っていたら『海外仏教事情』というカードもでてきたんです。明治時代に海外に仏教なんかあるわけがないと思って、内容を読んでみたら神智学の翻訳記事多数だったので、ひっくり返ってしまいました。どうして神智学が仏教に入ってきたのかというのを調べていったのがそもそもの始まりで、そこから近代仏教史に入っていった。

 要するに、霊術もそうですけれども、研究者が手をつけていない「空白地帯」があって、それに呼ばれるというか。ただ、2、3歩入ってみて、抜けられなくなった頃に「みながやらないのはこういう理由だったんだ」と気づく、でもすでに時遅し、その頃にはもう抜けられなくなっている――そういうパターンだったんですね。だから、神智学から仏教へ入っていくという、まったく外道も外道、大外道の入り方なんです。

 そのうちに、神智学と日本仏教をつないだ平井金三(1859〜1916)という人物がいたことがわかってきました。それまで日本に最初に心霊研究を紹介したということはわかっていたんですが、日本での仏教運動やシカゴ宗教会議での演説、さらに神智学との関係など、いろいろ面白い人物ということもわかってきました。たまたま、学校の海外研修制度でアメリカに2カ月だけ行ってよいことになったので、そこで日本人と神智学のことを平井金三から研究しようかと考えて、ジェイムズ・サントゥッチ教授(James Santucci/カリフォルニア州立大教授)にお願いして南カリフォルニアで一月ほど調査をしたら、図書館や神智学協会などから資料がいろいろ出てきたんです。一八九三年頃に彼が寄稿した英語の記事もいくつか出てきて、こりゃ凄いと驚きました。

 さらに、サントゥッチ教授のお薦めで、アメリカに行く前にAmerican Encounter with Buddhismという本を読んでいたら、神智学と日本仏教の関係がいろいろ出てくる。それで失礼とは思ったんですが、著者のトマス・ツイード(Thomas Tweed/ノートルダム大学教授)さんに直接問い合わせのメールを送ったところ、「フィラデルフィアの歴史協会には鈴木大拙の友人だったアルバート・J・エドマンズ(Albert Joseph Edmunds/1857~1941)の著作や資料がいっぱいあるんで、ぜひ見に行け」と言われたんです。そこでフィラデルフィアではエドマンズの古い資料が結構集まっていて、スウェーデンボルグと心霊研究と仏教という、確かに変な面白いやつだということがわかってきて、じゃあ大拙はどういう影響受けたのかなと、そこから興味を持ったんです。エドマンズから大拙という、普通とは逆のコースでした。

 とはいえ、ここまでの成果は、せいぜい論文1本書いて終わりだと思っていました。ところがアメリカから帰る直前、平井金三とか野口復堂などで情報交換していた佐藤哲朗君(『アジア大思想活劇』著者。テーラワーダ仏教協会編集局長)から「平井金三の子孫が見つかった」と聞いて、すぐに子孫の方に会いに水戸へ行きました。そこにはトランク一杯に、アメリカで見た資料や未見の資料などが、全部残っているわけです。そこで、これは何とかしなければと思い、平井の研究を始めたんです。幸い科研もとれたので、この時はじめて一次資料の悉皆調査を行いました。この頃、近代仏教研究が少なくて、吉田久一を何度か読み直したのを覚えています。この時、共同研究がたいへんうまくいって、デジタル資料つきの報告書を出すことができました。デジタル資料は、当時としてはかなり先駆的な試みだったと思います。

 平井金三を研究していると、そのひとつ下の世代の新仏教の運動が気になってきました。平井は、明治三〇年代にユニテリアンに入っていましたが、そのユニテリアンと協調関係にあった仏教改革運動である新仏教徒同志会、いわゆる新仏教運動です。平井の資料を読んでいると、この新仏教関係の人名がよく出て来る。同人の一人、加藤咄堂は平井の教え子でしたし、その他の人間も個人的交流があったようで、これが何なのか興味が出てきた。また、新仏教は合理的な宗教観を唱え、迷信を排除して、修養的な仏教を提唱したんですが、いわばあたりさわりのない普通の仏教という感じがしたんですね。もしかすると、自分のように、特に仏教と縁が深いわけでもない人間が考える仏教は、ここらへんが出発点かなと思ったんです。でもまあ、それ以上に、実際に原物を手にとってみたら、愉快なんですね、ギャグが隠してある、こんな笑える仏教雑誌があったのか、という驚きもありました。

 そのとき「新仏教は面白いよね」という話をしたのが安藤礼二さん(多摩美術大学教授)と大谷栄一さん(佛教大学教授)だったんですが、二人もやっぱり、同じことを考えていたんです。


長谷川  それが、たまたま重なったのですか。


吉永  そうです。それで研究会を作って、科研を申請しようという話になって、スタートさせたところ、2008年に運良く科研に採択され2011年まで共同研究を行いました。大谷くんと安藤さん以外にも、岡田正彦さん(天理大)、守屋友江さん(阪南大)、星野靖二君(國學院)、大澤広嗣君(文化庁)、高橋原君(東北大)、江島尚俊さん(田園調布学園大)など、当時はまだ若手だった有能な研究者が参加してくれました。岩田真美さん(龍谷大)や碧海寿広くん(武蔵野大)もいました。二人は大学院終わるころだったかな。たまたま、旧友の岩田文昭君が同時に近角常観調査を開始したので、碧海くんはそちらに力を注ぐことになって、それが彼の現在につながっているわけですから、偶然とはいえ、面白いものですね。今は皆さん、偉くなってしまいましたが、その頃はみんな若くて暇もあり、近代仏教の「史跡」を見学したり、研究会でも議論が盛り上がり、とても楽しい科研でした。

 この科研と並行して、大谷くんと末木文美士先生と林淳先生が日文研で進めていた「近代と仏教」という共同研究プロジェクトに呼ばれました。数年、研究会を定期的に行い、最終的には2011年に国際研究集会が開催されました。これがなかなか楽しかったのですが、この後、急に国際カンファレンスに呼ばれたり、呼んだりするようになったのですが、それも些細な縁がきっかけでした。

 この時研究会を通じて知り合ったジョン・ブリーンさん(国際日本文化研究センター教授)から、「ブライアン・ボッキング(Brian Bocking/元コーク大教授)という友人が、アイルランド人僧侶の研究しているんだけれど、知っているか」と質問されたのです。ダンマローカ(Dhammaloka/1856~1914)という人物ですが、岩田真美さんから聞いたことがあったので、彼女に教えてもらった話をブライアンに伝えたところ大変感謝されました。そこから縁ができて、2012年の春頃、ブライアンから突然、コーク大で開催される近代仏教の国際学会に呼ばれました。実は海外へ一人で旅行したのはこれが始めてだったんですが、これもまた充実した研究会で、同席していたリチャード・ジャフィさん(Richrd Jaffe/デューク大学)が、こういう研究会をデュークでもやろうと言い出したのです。それで翌年はデュークの研究会に呼ばれました。その時、来年は日本で出来ないかと言われて、つい調子にのって、僕が引き受けたと言ってしまったんですね。全然あてがなかったんですが、龍大におられた桂紹隆先生から仏教伝道協会につないでいただき、さらにアメリカ宗教学会から助成金をいただいて、2014年には京大と龍大でAsian Buddhism Kyotoという国際カンファレンスを開催できました。参加人数からしても大成功と言えると思います。

 振り返ってみると、2010年前後から風向きが変わって、近代仏教研究が求められはじめたんでしょう。たまたま僕はその風向きが変わる場所に居合わせてしまったんでしょうね。

(文責:親鸞仏教センター)


③へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
Interview 第26回 池田行信氏(中編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。...
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA Shin’ichi) Introduction...

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Interview 第21回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」①

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龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

長谷川  吉永先生は、われわれが勉強しているような宗教哲学とかとはまた違うやり方で、いろいろなことを研究しておられます。これまでの歩みは一体どういうものだったのかを、改めてお聞きしたいのですが。

 

吉永  そもそもぼくは理系だったんですが、高校時代は幻想文学が好きだったんです。京大に幻想文学研究会があると知って、京大を選んだのですが、理学部だったし、自分も文学は一生の仕事になると思ってなかったんです。学部時代は、幻想文学研究会の傍ら、UFO超心理研究会なるクラブに入っていました。ただ、怪しげなこと自体よりも、怪しげなことを信じる人に興味があったんですね。それで次第にオカルティズムの歴史研究が好きになったんです。

 結局、理学部は生物学科を出て、文学部に学士入学したんですが、その時、どの学科にするかということで、これもいいかげんなもんで、ラテン語をやらなくていいというのと、知り合いがすでに法学部から学士入学していたという理由でした。まあせめてシャーマニズムの研究とか出来るのかな、と思って宗教学を選んだところ、入ってみると周囲は、全部イマヌエル・カント(Immanuel Kant/1724~1804)やゲオルグ・W・F・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770~1831)といった宗教哲学を専攻しているし、先生は鈴木大拙(1870~1966)の禅について語りながら、机をガタガタさせる……。しまったあと思いました。理学部に入ったときも失敗して、宗教学に入ったのも失敗。これでどうしようかなと思ったんですよね。

 さらに紆余曲折あったんですが、なんとか大学院に入って、修士のときにはミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade/1907~1986)を取りあげました。ほんとは西洋のオカルティズムの歴史を研究したいという思いだけは、頭の中にしつこくありました。カール・G・ユング(Carl Gustav Jung/1875~1961)とかエリアーデが1970年代ぐらいに読まれるような時代になったとき、そうしたオカルト的なものへの関心がみられたんです。対象としては、大体ルネサンス期までの錬金術や占星術といったものですね。だからその頃は、表ではウィリアム・ジェイムズ(William James/1842~1910)を研究していることにしていて、裏ではちょっとオカルトの研究をこっそりやっているという、そんな感じでした。

 だから、僕がどうしてもジェイムズが大好きなのは、われわれの「生(life)」というのは訳のわからないものに取り囲まれていて、その訳のわからないものこそ意味をつくり出す源泉であるということが、ジェイムズを始めたときにすぐわかったんですよね。ジェイムズの場合、大切なのは「宗教」ではなくて「生(life)」なんだ、ということなんです。その訳のわからないものというのは、絶望とかもつくり出すかもしれないけれどもね。

 だから、自分自身がもっている問いは、そのメタフィジカルな部分や実存的な部分では、「生」ということなんだろうなと思います。ただ、考えているものはどれも重層的になります。その上で、例えば「宗教」や「文化」という言葉を相対化して比較してみると、ときどき「宗教」という言葉を用いること自体を嫌がっているようにもみられるんですけれどもね。

 そういう作業をすると、「宗教」という言葉自体のもっている文化的なものがひとつわかってきます。だから、「宗教」という言葉だけでは全部を覆いきれない何かに、僕は興味があるということですね。要するに、近代になって宗教という言葉で、オカルト的なものは私事化する。そうして、公共の場は基本的には科学が支配する。近代以降、その公共の場をめぐってさまざまな戦略でせめぎ合って、単純に宗教対科学の単なる激突以上のいくつものグラデーションになっているのではないかと思っています。少なくとも日本の近代を考えると、そんな印象があります。

 

飯島  吉永先生には、宗教と科学の接着点に対する関心がすごく強くおありなのだろうと感じるんです。21世紀に入って、「宗教と科学のどちらが必要なのか」といった議論は、表になったり裏になったり常に出てくるように思われます。典型的なのは、原発の安全神話や、あるいは生殖に関して子宮をすごく神聖なものと捉える言説や、ありとあらゆる言説が出てきていますね。そういう、一種「宗教」的に振舞っているものやある種オカルト的なものに対して、吉永先生は非常に目を向けられておられると思います。この点はどのように感じておられますか。

 

吉永  そうですね。科学と宗教という二分法ではなくなり、科学自体も批判にさらされている時代にあって、昔のようにナイーブに真理をめぐっての激突は、まずあり得ないですね。近代化の果てに、今の僕たちもまったくその真理にこだわらないのかといえば、そうでもないんです。そうすると、そもそも公共の場を下支えしている真理や価値観というのはどういうものなのかが問い直されたわけですから、1980年代は転換点だったように思います。

 

飯島  先生たちの世代は、80年代から90年代においては、おそらく進歩していくということを誰しも共通の前提として認識できていたと思うんです。ところが、今の我々の世代はそうではない。我々が生まれた80年代頃まで信じられてきた公共の場を下支えするもの――真理とか価値観といったもの――を、21世紀に生きている自分たちが己の力で見いだし得るんだろうかという虚無感も、若い世代にはちょっとあると思うんですよ。

 

吉永  なるほど、そうかもしれませんね。

 

飯島  バブル崩壊以後、「失われてしまっている」という実感はある。つまり、「真理」なんてことを軽々しく言えない時代だし、科学もそんなに純粋に信じられない時代だし、かといって、90年代のカルトによるテロ行為などを見たら宗教的な言説も公ではあり得ないよね、といった感覚が漂っている。何を自分たちの根っこにするのかということが、そう簡単に想定し得ないようになったんだと思うんです。

 バブル経済のバカ騒ぎのようにして、「世の中、そんな下支えなんか考えなくて、とにかくイケイケドンドンで経済的に発展すればそれでいいんだ」ということなどもっての外ですから、結局「どこにも居場所がないじゃないか」という実感のほうが強いかもしれない。むしろ以前に増して絶望的に、ごく少数のみが稼げて、大多数はそういう自分たちを下支えするものを何も見いだし得ない、どこにも居場所を見いだせないという実感が強いかもしれないですね。

 

吉永  そうか、僕らの頃はちょうどバブルでしたからね。浮かれたバブルをしり目にして、どんどん好きなことに没頭はできたという時代です。

 僕は理学部でしたから、一方でオウム真理教に行くというのもすごくわかった。京大で「UFO・超心理研究会」というサークルをつくったのは理学部の人間で、メンバーの3分の2は理系でした。

 

長谷川  当時は共有した問題意識があったのですか。

 

吉永  SF好きでオカルトを馬鹿にしたがる人たちがいる一方、もう一方ではインドで3カ月放浪して帰ってこないとか、でも対立はしてなくて、まだみんな仲良くしていた。少数であったし、世界観は違うけれども仲良くしようという雰囲気でした。

 

長谷川  なるほど。何となく趣味としては合致するけれど、モチベーションが違う。

吉永 僕は中学までSF読んで、高校になって幻想文学や怪奇小説が好きでしたね。大学では「幻想文学研究会」に入りました。そこで、C・S・ルイス(C. S. Lewis/1898~1963)やその友人のチャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams/1886~1945)を読みだしました。滅茶苦茶難しい英語でちゃんと読めなかったんですが、異常な世界が展開していて、やっぱり小説はすごかったですね。そういう文学のことは全部、2年先輩の横山茂雄君(奈良女子大学教授)に教えてもらいました。

 

長谷川  吉永先生の場合、最初の頃はそうした読書を重ねるなかで、御自身の宗教研究をだんだん形づくっていかれたのですか。

 

吉永  そうですね。しかし、京大の宗教学はみな哲学を修めているわけですよ。僕からみれば、哲学を修めているのにみなどうして宗教に結実していったんだということを、逆に聞きたいんですよ。

 

長谷川  それは面白い。よく、吉永先生のことを謎めいた辺境知識人のように言う人がいて、「吉永さんは、売れるようになったらおしまいだ」と言われていたんですよ。ところが最近は事情がちがっていて、「これはもう世も末だな」と岩田文昭先生(大阪教育大学教授)が仰っていて(笑)。

 

吉永  俺もそう思う。

 

長谷川  むしろ、今は吉永先生のようなアプローチにだんだん時代が追い付いてきたというか、われわれがものを考えるときにどうしても吉永先生に吸い寄せられていくところがある。これは何かがあると思うんですよね。

 

飯島  吉永先生が重視されているような近代以降の宗教的な体験――例えば、参禅したり、「神を見た」と語ったり、オカルティックな体験をするといったもの――は、つい最近まで「主観的なものにすぎない」と断じられて研究対象にならないと言われていたと思うんです。つまり、データで論証しようもなく客観的に共有できないものだから、それは研究ではないとも言われていたのではないでしょうか。しかし、今はそういう認識がだんだん変わってきたからなのか、そういうことこそ研究しようということが出てきているように思うのですが、どういうことが転機になったのでしょうか。

 

吉永  いや、僕はむしろ逆に、ないはずのものが見えたから宗教が起こってきたわけですし、そうしたものを追及する宗教学が排除されていたようには思わないんですね。ただ、同時代もしくは近い過去におけるそういう経験については、みんなためらいます。ためらうのだけれども、なぜためらっているのかがよくわからない。つまり、ある経験があったという言説が生まれたんだということを、もう一回語りたいだけなんです。そうした営み自体はまったく問題がないはずなのに、なぜかずっとタブー視されていたことが、おかしいんじゃないだろうか。人間が生きていれば経験は何かしらするわけで、その上で言説をつくる。それは、常に直接経験と距離があるからだ――ここまではジェイムズが言ったことですね。

 ですから、近代化というのは脱神秘化であるというようなテーゼがありますけれども、逆に脱神秘化そのものがやはり知識人の神話かもしれない。現代人は諸々が脱神秘化したと安心していますけれども、それは近代化した都市部に限った話かもしれない。それこそ、明治30年代から40年代の都市部なら医師にかかるのは簡単だけれども、同時期の農村部や山間部ならば医師そのものが近くにいないわけで、ならばやはり修験や祈祷を頼んだのではないでしょうか? 近代においても、同じ時代空間の中にあっても、ひとつの公共空間を共有してというよりもむしろ層を成していたのではないかと。

 

長谷川  なるほど。

(文責:親鸞仏教センター)


②へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第20回 安丸良夫氏「親鸞思想の現代的意義」後編

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日本思想史・一橋大学名誉教授

安丸 良夫

(YASUMARU Yoshio)

Introduction

 2016年4月、戦後日本の歴史学において、一つのエポックを切り開いた人物が逝去した。

 ――安丸良夫。丸山眞男に代表される「近代化論」への批判から歩みを始め、生涯にわたり「民衆思想史」のフィールドを開拓し続けた歴史家である。

 本インタビューは、安丸氏が亡くなる前年(2015年6月22日)、氏の自宅を訪問し、「現代と親鸞」という視座のもと聞き取りをしたものである。インタビューにあたっては、当方からの「安丸先生における「親鸞問題」をお聞きしたい」との要望に対し、氏からは「最終的には親鸞と現代のような問題に絞り込みたいのですが、自分の人生史に即した回り道をするのが、ぼくにはやりやすい」という応答とともに、①私の出自と育ち(自分のものの考え方の背景説明)、②歴史研究者としての問題意識の特徴や方法論、③親鸞宗教思想の現代的意義、という三つのテーマが提示された。

 当日の聞き取りは約二時間半に及び、①では、研究活動の基点となった「通俗道徳」論※の発想の具体的な契機は、真宗篤信地域である故郷(富山)での生活体験と大本教の研究であったこと、②では、その「通俗道徳」論を出発点にして、百姓一揆(いっき)や自由民権運動など、他のさまざまな問題を展望していったという研究活動の軌跡について語っていただいた。本稿では、それに続けて話された③の報告をする。

 なお、掲載にあたっては、ご遺族にご了承いただくとともに、当センターと安丸氏との間を架橋してくださった繁田真爾氏に編集の協力をしていただいた。

(名和 達宣)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

「実践的=惰性態」と「自然法爾」

 

 話は少し飛躍するかもしれませんが、サルトルの哲学の一番基礎的な概念は「実践的=惰性態」です。温暖化の問題でもテロの問題でも、私たちの日常生活の実践というものが一番基礎にあって、ごく平凡な実践の延長線上に、いろんな社会の仕組みというものが成り立っています。それは人間が作り出したものだから、簡単に変えることはできない、抑圧的な指針だと思います。この「実践的=惰性態」という概念の基礎にあるのは、ハイデガーの『存在と時間』における「現存在分析」だと思います。ハイデガー哲学の場合は、個人哲学という側面がかなり強いと思いますが、対してサルトルの場合は、それを社会化して、国家とか教会とか軍隊とか、そういう社会的なものの存在の仕方を、こういう概念から展望していると思うのです。

 この「実践的=惰性態」という考え方をすると、我々の日常的なものを踏まえながら、現在の世界の構造の全体をとらえることができます。そういうふうに考えると、この概念は親鸞の思想とある程度接近してくるのではないか。特に「自然法爾(じねんほうに)」という考え方と、かなり近づくのではないかというのが、私の今日お話ししたいと思ったことなのです。

 親鸞の思想を一応、「自然法爾」の思想というように考えますと、そこでは悪の必然性ということが根源的な意味をもっていると思います。善悪が宿業である、あるいは業縁であると。親鸞の時代でも現代でも、例えば人を殺すということを、我々は日常的にはすることはないと思います。しかし、よく考えてみれば、人間はいつも人を殺すような存在だとも言える。そういうとらえ方をするためには、全体としてとらえるということが必要だと思うのです。例えば、地球の温暖化ということは、地球のどこかでは国そのものが水没してしまってなくなるほど重大なことで、それは殺人と言えば殺人なわけですけど、我々が普通そのことを殺人として意識することはない。そして人間はだいたい皆、自分は多少悪いところもあるけれども、根本的にはそんなに悪い人間ではない、善人のほうだと思っているわけです。しかし、全体としてとらえてみた場合、我々の日常性のなかに、殺人にしろ、テロにしろ、破壊にしろ、そういう重大な結果をもたらすようなものが含まれているということになります。それがつまり、業縁とか宿縁というものであって、そういうものをとらえるためには、物事を世界全体の連関のなかでとらえなければならないと思うのです。

 普通の人が日常生活のなかで考えていますから、殺人のような重大な犯罪があったりすると驚くわけですね。悪というものが現代の日本人にはあまり切実なものとしては経験されたことがない、自分の体験としては経験されたことがないので、他人が突然犯して驚くという、そういう他人事として存在しているわけです。しかし、宿業とか業縁ということを媒介にして考えると、我々のなかにそういう悪に対する不可避性のようなものが深く宿っている。ただ運が良くて、たまたましていないというだけのことで、根本的な悪というものはやはり、我々の日常生活のなかにあるのだという考え方になるのではないでしょうか。

 このことはまた、善悪というようなものを単純に二元的に分けて考えるのではなくて、普通の人間のなかにもそういう要素があると考えるべきだということを意味しています。そういう表面的な二元論を避けて、自分たちの実践の意味を世界の全体性の光に照らして考え直せば、悪の根源性ということが、だんだん見えてくるということではないかと思います。その場合、現代ではその問題を考えるために、ある程度具体的な知識が必要だと思うのです。例えば、温暖化というのはどういうメカニズムで行われるのかとか、原発というのはどういうものかとか。ただ、そういう具体的な知識は、それだけを孤立させると、現状維持的で保守的なものになりかねません。そこで、そういう状況を何とか乗り越えるということが必要なので、そのための重要なやり方が、全体のなかで問題を考えるということだと私は思うのです。

 ちなみに、戦後歴史学でも親鸞は非常に高く評価されてきました。ただし、これまでの親鸞というのは、一種の社会革命思想家みたいなイメージが強かったように思います。しかし、そういうイメージとは少し次元をずらして考える必要があるわけです。階級とか国家とか搾取とかというようなものは、ある程度、先ほどの「実践的=惰性態」みたいなもので、人間の願望によってすぐになくなるというようなものではない。ものすごく強い力で存在しているのだと思うのです。それは一つの側面だけど、しかし、人間は心のなかにこういうものを超えようとする欲求をもっているのだと思うのです。ただ、そういう人間的な欲求やさまざまな善意は、世界全体の大きな仕組みのなかでは「実践的=惰性態」、つまり、抑圧的な仕組みのなかに流し込まれていきます。

 だから、我々の問題の立て方としては、日常生活に基づいていろんな問題が起こっているということを知るとともに、そのためには日常生活からとらわれない、広い知識をもつということが必要だと思うのです。しかし、その知識にも限りがありますから、やはりそこに広い意味での宗教性というか、コスモロジー的なものの見方というものが必要だと思います。コスモロジーというものは、現実の具体的な認識という問題と、主体の価値観というものとが混ざり合ったようなものだと思うのですね。だから、人間は完全に対象化された認識でもなく、主体的な価値観だけでもない、何かそういうものが結びついた存在として生きているわけですから、そういうコスモロジーの立場から眺め直すことで、反省の契機を見つけ出していけると思うのです。

 現代のような世の中ですから、我々の日常生活や、表面的な認識からはとらえられないさまざまな問題があるということは認めなければいけない。市場経済とかテロとか国家とか自然現象とか、そういうものは皆、我々の日常経験を超えた大きな力として存在しているわけですから、それに対してリアルに見つめるということは、なかなか難しいことだと思います。しかし、やはり自分がどういうものの見方をしているかということは、そのなかで絶えず問われているのであって、それは、世の中にいろんな問題あるけれども、そういう問題を冷静に見つめていけるようにという促しではないでしょうか。

(文責:親鸞仏教センター)

前編はコチラ

安丸 良夫(やすまる よしお)

 1934年富山県に生まれる。1953年京都大学文学部史学科入学、1962年京都大学大学院文学研究科(国史学専攻)博士課程単位取得退学。名城大学助教授を経て、一橋大学助教授、同教授。早稲田大学大学院客員教授などを歴任。一橋大学名誉教授。日本思想史専攻。2016年4月4日逝去。

 主な著書に『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、のち平凡社ライブラリー)、『出口なお』(朝日新聞社、のち岩波現代文庫)、『神々の明治維新』(岩波新書)、『近代天皇像の形成』(岩波書店、のち岩波現代文庫)、『〈方法〉としての思想史』(校倉書房)、『文明化の経験―近代転換期の日本―』(岩波書店)、『安丸良夫集』(全6巻、岩波書店)、『戦後歴史学という経験』(岩波書店)など多数。

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