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濁浪清風
宿業を大地として(11)

  法蔵願心が、まずは「自力」の意欲(第十九願)から出発することを選ぶのは、衆生の曠劫(こうごう)以来の流転の歴史に応じているからだ、と述べた。この願の成就文を、親鸞は『大無量寿経』下巻の三輩段であるとしている。三輩は『観無量寿経』では九品(くほん)に分けられている。三輩と九品とは、同じく人間の差異に応じる文であると、源空も見ている。これは、衆生に与えられた因縁の違いが、仏法の機として区別されるということである。そもそも十方衆生と呼びかける法蔵願心からするなら、あらゆる機類に平等に呼びかけたいと発願したのではなかったか。それが因縁の相違で分かれてくるのはなぜか。それは衆生の流転の歴史を映して、それぞれの機類の事情をまずは受け入れるということなのではなかろうか。

  『観無量寿経』に取り上げられる家庭悲劇を起こした阿闍世(あじゃせ)について、善導はその出生の背景を語っている。それは悲劇の因縁が、『涅槃経』にも説かれていて、そこに阿闍世の宿業が語られている。そこから説き起こした善導は、父母の子どもがほしいという欲の結果、阿闍世が生まれたと言うのだが、しかし、阿闍世は彼自身の「業識(ごっしき)」を因として生まれたのであって、父母はどこまでも外縁(げえん)であるとしているのである。

  人がそれぞれの業識という因から生まれてくるということは、それぞれの存在の背景が皆、別業であって、それに感ずるところに、別業所感の個体が誕生するのだ、ということである。それによるなら、個体に呼びかける如来の願心が、類に随(したが)っておのおの感じられる別行を教えるし、それを聞こうとする衆生のほうも、自分の因縁に相応する行を選び取ることになろう。法蔵願心もそれを承知していて、まずは諸行から説きだすのであると思う。

  しかし、衆生の真実の救済は、各発(かくほつ)の菩提心や別業の所感のところにあるのではない。一切の衆生の存在の平等性を開示するために、法蔵願心はその悲願に応えるための方法を「五劫思惟」したのではなかったか。そして、そのために一切衆生の大地たるべき国土を建立すると誓ったのであろう。如来の「欲生心」は、衆生に「我が国に生まれんと欲(おも)え」と呼びかけるのだが、その如来の願心(親鸞はこれを勅命と言う)に動かされながらも、自力の執心しか湧かない衆生は、諸行を自力の努力で行じて、如来の国土に生まれていこうと欲いたつのである。

   この大悲の如来の願いと衆生の意欲とのすれ違いを、善導は『観無量寿経』の教説に存する義の違い(隠顕という)で示しているのである。(続く)(2017年4月)

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