親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

念仏機

アンジャリWeb版

親鸞仏教センター主任研究員

加来 雄之

(KAKU Takeshi)

 どのような時代でも、どのような社会でも、私たちの問題は、自分の置かれている状況や遭遇する事件を受けとめる自己をどのように実現できるのかということにある。


 人間が、事実そのものではなく、自我関心や価値観にとらわれた「思い」で作り上げた虚構の世界の中に生きている以上、人は不安から逃れることはできない。だからこそ人は、自分や他人の「思い」に左右されない依り処を与えてくれる何かに惹(ひ)かれるのだろう。その「思い」を超えた依り処として何を選ぶのか。それが、その人の生き方を決定する。


 人は、そのような依り処を与えてくれる一つとして宗教(儀礼や信仰)を求めるのかもしれない。


 例えば、毎朝の神仏への礼拝など日々の生活における儀礼的な様式や、誕生や結婚や死などの人々の人生の重要な出来事に結びつく儀礼や、大災害などとの遭遇や痛ましい事件を受けとめるための追悼や鎮霊のような特別な儀礼も、そのような要求を満たしてくれる。


 また占いなどは日々の行動の指標となり、想定外の事件の意味を神仏からの試練として教えてくれる定式化された信条などは、私たちに安定した生き方を与えてくれるだろう。


 しかしそれは本当に「思い」を超えた世界を開いてくるのだろうか。どのような儀礼も信条も、事実そのものを離れて、私たちの「思い」をかなえようとする呪術的・功利的なものにとどまるならば、真の意味で「思い」を超えた世界を開いてこないと思われる。


 かつて大谷大学の学生と共に、他力浄土教の受容の現状について調査するための研修で台湾に行ったことがある。台北にある善導流の浄土教を広めている中華浄土宗協会を訪れたとき「念仏機」なる装置を眼にした(下画像、クリックすると音声が流れます)。それは24時間、協会の指導者が「南無阿弥陀仏」と念仏する声をひたすら流し続けるという装置である。最初はとても違和感を覚えた。一つは、自分で念仏せずに装置に念仏という行を代替させるということに。もう一つは、指導者の声を繰り返し流すということに(その行為が、或るカルト的な宗教の修行方法を連想させたからであった)。


 後で調べると、この種の機械は台湾や中国などではごく一般的で、ネット上でも、それを鳴らしておくことでさまざまな利益が得られるといううたい文句で「ブッダマシーン」などと呼ばれて販売されていた。聞くところによると、交通事故の場所などにはよく置かれており、亡くなった人が成仏できるように、また鬼にならないように、さらに事故が再び起こらないようにと期待されているということであった。いわば除災招福機である。私もそのようなイメージで受けとめたのである。


 ところが協会の或る女性信者に念仏機のことを尋ねたとき、その答えに触れて深く考えさせられた。彼女は次のように語った。

「私は商売をしています。朝から晩まで忙しく客に対応しており、念仏をとなえる暇もありません。しかし念仏機を鳴らしておけば、いつも念仏の中に居ることができるし、阿弥陀仏のことを忘れないですむのです」


 そのとき私は、親鸞聖人が念仏の本質を、仏たちが阿弥陀如来の名を称えて私たちに聞かせてくれることである、と受けとめておられることを思い出した。また流れる念仏が協会の指導者の声であることについても、もし法然上人や親鸞聖人の念仏の声が今に残っていたら私もそれを聴いていたいと思うだろう、と考え直した。ひょっとすると念仏機に違和感をもった私の中には、念仏を自分の行為とし、また手柄とするような発想が残っていたのかもしれない。


 もちろん念仏機を除災招福機として使用している人も多いだろう。しかし思えば、念仏を呪術的・功利的に捉え、現世や来世の幸福を追求するための道具とする傾向は法然上人や親鸞聖人の時代も同じであった。

 私にとって、念仏のイメージが大きく変わったのは、『歎異抄』の有名な親鸞聖人の仰せと出会ったときであった。


親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。

(『歎異抄』第二章『真宗聖典』627頁)


ただ念仏して、阿弥陀と名づけられる真実の意味に人生が支えられるならば、地獄におちてしまったとしても、まったく後悔するはずはない。この念仏についての仰せに出会って、私の念仏への印象や向き合い方が変わることになった。


 私はときおり不安に襲われる。欲や怒りの思いに苦しめられる。死が怖く、死後に幸せな世界があればと思う。他人の不幸と比較して自分はまだましだという傲慢な思いに囚われる。私は念仏をすれば、このような思いが解決されるだろうと漠然と考えていた。もちろんこのような不安や功利的な思いは今も私から消えてなくなることはない。しかしこの仰せを聴いたとき、できるならば除災招福の念仏ではなく、このような念仏、「ただ念仏」の仰せにしたがっていきたいと感じた。


 同じ台湾研修旅行の中で、同行した学生の一人が協会の指導者に次のような質問をした。

「あなたは、戒律を護ることができない人々を救う他力の念仏の教えを伝えているのに、どうしてご自身は出家して戒律を護るのですか」と。


 その方は次のように答えた。

「それには二つ理由があります。一つには、私自身は出家の生活が楽しく、好きなのです。もう一つには、台湾では人々に教えを伝えるのに出家の形の方が都合がよいのです。」


 この返答は、私に法然上人の有名な仰せを思い出させた。


現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。いわく、ひじり(聖)で申されずば、め(妻)をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。〔中略〕衣食住の三は、念仏の助業也。

(『黒谷上人和語灯録』巻五「諸人伝説の詞」)


法然上人は、念仏ができるように聖という出家の形でも妻をもつ俗人の形でも都合のよいものを選べばよいとし、あわせて衣食住は念仏することを助けるための活動だと結論している。それは衣食住を軽んじてもよいという意味ではない。念仏できる人生を、そして人世を実現することを可能にする衣食住がぜひとも必要だという意味である。


 念仏は、この世の営みを否定し、この世の苦しみから逃避するための方法だろうか。そうであれば念仏の生活は次の世のための準備であって、この世において何の内実ももたないことになる。しかし念仏が、この世での営みのすべてを、この人生を深く受けとめていく縁とする場を開くのであれば、「ただ念仏」の生活ほど豊かな内実をもつ生活はない。


 「ただ念仏」というのは、決して他のことよりも念仏を優先せよ、例えば仕事も辞めろ、社会活動も止めろという意味ではない。自分のことも、他者との関係も、今の世界のあり方も、命終の後のことも、すべて如来の慈悲と智慧をとおして受けとめ直すということを意味している。


 科学技術の時代、生理や心理についての科学も発達したこの現代に、法然・親鸞という名に象徴される「ただ念仏」という仰せは必要とされているのだろうか。科学と念仏の生活は矛盾するのだろうか。


 「ただ念仏」は、科学を悪魔扱いしたり、科学のない世を夢想させたりはしない。私たちの生活は科学を必要とする。むしろ「ただ念仏」は、科学を使う人間の「思い」の迷いに気づかせ、「思い」を超えた世界に立ちかえらせる。いかなる人間の属性も状況も問わない唯一の行として選ばれた「ただ念仏」は、人の価値を問わない。そのことによって呪術的・功利的な人生観を超えていく生き方を与えてくれる。


 念仏は、一応は人生の出来事を「そのまま」受け容れる道であると言ってよい。しかし、それは無批判な現実肯定や受容を意味しない。「ただ念仏」は、如来の智慧の中でこの生を尽くしていくという私たちの宣言であり、それは出来事を「そのまま」ではなく「ありのままに」受けとめていこうとする態度表明だからである。だからこそ「ただ念仏」は、如来の悲しみにもとづいた批判が生まれてくるための唯一の場を開く。


 「思い」を離れることのできない私たちは、「思い」ではどうしても受けとめることのできない現実を、どのように受けとめればよいのだろうか。「ただ念仏」という生き方の中には、それを探求してきた仏者たちの歴史が折りたたまれている。


 台湾での「念仏機」との遭遇は、私にとって「念仏」という営みが現代にもつ意味を問い直す「契機」となった。

(かく たけし・親鸞仏教センター主任研究員)

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浅原才市に学んだ小説

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小説家

乗代 雄介

(NORISHIRO Yusuke)

 専業の小説家として暮らしている。中学1年の時から書くことを始めて、29の年にデビューして、今は36。だんだん書き方も変わってきて、小説のほとんどを外で考え、外で書くようになった。

 

 10代の頃、小説家の生活とはどんなものかと考えることがあったけれど、当時の自分が今の自分を見たら、多少なりとも混乱するだろうと思う。彼の考える小説家とは、彼が毎日せっせと誰に見せるでもなく実践しているように、机に座ってじっと考えながら手を動かすものだからだ。

 

 どんな小説も文字が増えていった結果として完成するもので、例外はない。どこから書くにせよ、後から減るにせよ、とにかく書き進めるわけだ。迷った時は、読んだ本とか見た映画とか友人の話とかにヒントを得て、新たな道が拓けることがある。つまり、書いている小説世界というのがあって、そこに現実から引っ張ってきた何かを投入することで活路を見出すのだ。しかし、その何かをそのまま使えることはほとんどない。既にできかけている小説世界に合わせて、形が変えられることになる。

 

 例えば、現実の友人と喫茶店で話している時、友人がコーヒーをこぼしたとする。そのあわてぶりに興をそそられた作家は、小説の登場人物2人が喫茶店で話す場面で同じことを起こそうと思い立つ。コーラが好きな人物設定だったから、コーヒーではなくコーラをこぼすことにしよう。登場人物は黒っぽい服を着ていたけど、目立たないから変えて、白だとやりすぎだから水色ぐらいにして。それで、そのあわてぶりを見て、相手に幻滅することにしよう。

 

 全ての小説は、意識するかしないかは問わず、大なり小なりそういうことのくり返しで書かれていると言ってもよい。ただ、それに気付いた時、つまりは自分が現実世界から得たものを色々な事情で都合よく変えて小説世界に配置していると自覚した時、私は自分の小賢しさがいやになってしまったのだった。

 

 私の場合、もともと1人で外を歩き回るのが好きだから、風景がきっかけになって小説が書き進められることが多いが、そこでどう書くかというのは問題だった。というのも、風景の素晴らしさを再現するために、何があって何がいてと言葉を尽くすほどに、言葉の上での美しさは目減りしていくのである。間を取り持つ比喩を駆使してそれらしく書けば人は美しい風景と認識しないこともないだろうが、書いている私には生気を抜いて飾るようでくだらない。そう思っているくせに、クイナの仲間のオオバンがいる池の風景を思い出しながら書く際、ほとんどの人は知らないしいちいち説明すると興をそぐから「鴨」と書くことで趣ありげに流してしまったりするから、いやになった。

 

 私は何のために小説を書いているのだろう? 人にそれらしく読んでもらって褒めてもらうためか? だとしたら、ひたすら自分のために書いていた10代の私に合わせる顔がないではないか。

 

 そんな自問自答の中でいつも、妙好人と呼ばれる人々を思い浮かべた。ここで書くのも釈迦に説法だが、浄土教とくに真宗の他力思想に感化されて出た、多くは無学で社会的地位も高くないが、蓮華のように美しく篤い信仰をもった在家信者のことである。私はサリンジャーの影響で割に早く禅に興味があったところから仏教について気まぐれな独学を続け、もう10年も辞書を引き引き『五灯会元』をじりじり読んでほぼ忘れながらそれでいいと思っているぐらいの人間だが、それはともかく鈴木大拙は、島根県石見国の漁村で下駄職人をしていた浅原才市という妙好人に関心を寄せ、くり返し書いている。『妙好人』(法藏館)から、才市が乏しい文字で書き残した〈口あい〉と称するものを孫引きする。

 

このさいちわ、まことに、あくにんで、ありまして、

くちのはばが、二寸のはばで、をそをゆて、

ひとをだますと、をもをてをりましたが、

それでわのをおて、

わたしは、まことに、あくにんでありまして、

せかいのよをな、をけな、くちをもつてせかいのひとを、だましてをります。

わたしや、せかいに、あまうたあくにんであります。

あさまし、あさまし、あさまし、あさまし、

あさまし、あさまし、あさまし、あさまし。

 

 現実世界を都合よく小説世界の鋳型に押し込んでいた私は、「二寸のはば」で「噓を言って」小賢しいと自分を嫌悪していたが、実際はもっと大きな悪なのかも知れない。「世界のような大きな口で世界の人をだましている」という才市の告白と反省に憧れたのかも知れない。かも知れない、かも知れないと書くのは、10年ほど前に『妙好人』を熱心に読んでいた時は、この箇所を敢えて意識した覚えがないからだ。今、この文章を書くために読み直して気付いたようなことである。

 

 一方で、その時からはっきり意識していた箇所もある。私が小説に絡んで妙好人を思い浮かべる時はいつも、次の才市の言葉と、それに続く大拙の記述がついてきた。

 

ありがたいな、ごをん、をもゑば、みなごをん。

「これ、さいち、なにがごをんか。」

「へゑ、ごをんがありますよ。

このさいちも、ごをんで、できました。

きものも、ごをんで、できました。

たべものも、ごをんで、できました。

あしにはく、はきものも、ごをんで、できました。

そのほか、せかいにあるもの、みなごをんで、できました。

ちやわん、はしまでも、ごをんで、できました。

ひきばまでも、ごをんで、できました。

ことごとくみな、なむあみだぶつで、ござります。

ごをん、うれしや、なむあみだぶつ。」

 

「あさましや、あさましや」が、これほどまでに「ごおん」につつまれてしまうということは、人間の一生において容易ならぬ転換を意味するものである。

 これが自分らのように、いくらかの学問もしたり思索をしたものなら、前掲のごときは、何としてでも、作り出されないこともない。自分らは、理性とか、知性とかいうもので、外から自分を見ることを学んだ、それで、自分を欺き、他を欺くの術を知っている。心の内に何もないことを、まことしやかに、さも実際に感じたかのように、饒舌(しゃべ)りもし、また書きもする。それが才市の場合になると、何事も体験そのものの中から涌いて出るのである。

 

 小説を書き進めるためでなく、何のために小説を書くのか考えるために、今も励ましや戒めになっていることだ。また読んで、私も「世界のような大きな口で世界の人をだま」すのをやめて、「世界にあるもの、みな」を「噓」でなく、自分や他を欺く術を使わずに書きたいと改めて思う。無論、書き言葉と話し言葉のあわいに居られた才市とはちがうから、いくらかの学問や思索を根こそぎ振り払うことなど不可能なのは10年前から承知していた。でもいつからか、せめて「何事も体験そのものの中から湧いて出る」ように書く努力をしようと考えるようになっていた。

 

 見当違いの努力なのかも知れないが、最近の私は、小説を外で考え、外で書いている。各地を歩き、風景や今昔の人間の営みに触れ、興味深い場所を見初めると、なるべく近くの宿に何泊かして、日夜そこに通う。危険がなければ未明にも行ってみる。手持ちのノートに文章で描写をして回り、動植物を把握し、図書館で土地の歴史を、縁のある人物を調べる。時を置いて、季節が変わるごとにまた同じことをする。季節が一回りし合わせて20泊ぐらいした頃には、小説が形をとっている。

 

 場所、景色、天気、落ちている空き瓶まで、私がしかと見聞きしたものだけを小説世界に持ち込むと決めている。意識の届く範囲では、時や色や形さえ都合よく変えることもしない。唯一の例外は人間で、これは人間の出ない小説を書く術のない今の私にはどうすることもできないが、登場人物にも私のルールに従ってもらうことで事なきを得たつもりでいる。

 

 そうと決めたら、小説が行き詰まるような時も間を埋めるようなことは書けないから、書き進めるきっかけに当たるまでひたすら待つしかない。ちょっと変えれば使えそうなことがあっても我慢しなければならない。1本のクヌギの枝にさえずるヤマガラを見たとして、それを登場人物がいるところのコナラの枝に移して視線を上にやりたくなるのだが、そのヤマガラは「ごおん」でできたものではない気がする。そんなことでは「へゑ、ごをんがありますよ」と答えられない気がする。私は、巷で言われる「自分で書くというよりも、小説に書かされている感覚」みたいな謙遜風のおためごかしでなく、才市のように平然と嘘偽りなく「この小説も、ごおんで、できました」の他力を口にしたいのだ。そのために、自分でなく世界に小説を書いてもらう方法を探している。しつこく待って、たまさか小説が書き進められるようなものに当たると、本当に「ごおん」に包まれる思いがする。

 

 それでもふと、こんな手間をかけて何の意味があるのかと自問しないでもないし、苦労を望んでして何か得ようとするのはむしろ自力の考え方なのではないかと思うこともある。悩みは尽きないけれど、八万四千の煩悩をそのままに進む浅原才市の信仰のあり方が、いつも私を駆り立ててくれた。一生辿り着かないのではないかと思わされるこんな一首を、遠いどこかをさす道しるべとして。

 

 さいちよい、へ、たりきをきかせんかい。へ、たりき、じりきはありません。ただいただくばかり。

(のりしろ ゆうすけ・小説家)

著書に、『旅する練習』(講談社、2021)など。

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忘却に抗って

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シンガーソングライター

見田村 千晴

(MITAMURA Chiharu)

 「忘れる」ことに対して、漠然とした恐怖感がある。抵抗感、の方が正しいかもしれない。私は日々湧き上がっては消えていく己の感情を、できる限りその鮮やかさのまま、全て記憶していたいと強く思っている。

 

 しかし人間は、忘れていく生き物である。未来を生きていくために忘れた方が良いこともある。痛みや苦しみ、悲しみといった負の経験から身を守るために、脳が記憶を消してしまうこともあるらしい。それでも私は、痛みも苦しみも、鮮烈に覚えていたいと思うのだ。お前の経験してきた痛みや苦しみなど生ぬるいからそんなふうに思えるのだ、と言われてしまえばそれまでなのだが。

 

 では、なぜ私はこんなに「忘れたくない」のだろう。

 私は幼少期から、「誰も私の気持ちを分かってくれない」と思っていた。なぜ分かってくれないんだ、分かってくれる誰かに出会えないのはこの場所のせいだ、と完全に周囲のせいにしていた。孤独感を抱えた10代だった。

 

 そして大人になり、25歳を過ぎた頃からだろうか、過去の自分を少しずつ客観的に見られるようになった。子どもの頃の私は、言葉や態度での自己表現がとても苦手だった上に、 “優等生ぶる” ことが上手だった。どちらも自信の無さの裏返しである。端的に言えば、私は重度の「察してちゃん」だったのだ。そうやって自己分析ができてくると、昔の自分がとてつもなく愛おしい存在に思えた。時を超えて隣に寄り添って「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい気持ちになった。そんな愛おしい“あの子”の孤独や苦しみを無かったことにしたくない。「何も分からない子どもだったから」という言葉で片付けてしまっては可哀想だ。そうだ、「子どもは黙ってなさい」と主張を封じられ続けていたから私は苦しかったのだ。

 

 以上のような自己分析をして以来、今度は意識的に「思い出の美化禁止ルール」を自らに課している。過去の恋愛も、うまくいった仕事も、妊娠・出産の経験も、今は亡き人についても、綺麗な思い出だけではなく、苦しかったことや辛かったこと、後ろめたいことまでちゃんと覚えていたい。しかも、できる限り色褪(いろあ)せないままで。これは私なりの、過去の自分への供養なのかもしれない。

 

 さて、私はシンガーソングライターである。歌詞を書き、曲をつけ、ギターを抱えて歌っている。おそらく作詞作曲をする音楽家の7〜8割は、先にメロディを作り、後から言葉を乗せていると思う。私は残りの2〜3割、歌詞を先に書き、そこにメロディをつけていくという順序で曲を作っている。誰かから教えられたわけでも、選び取ったわけでもなく、独学で曲を作り始めたらたまたまそうなっていた。日々色々なものを見たり聞いたり考えたりする中で、曲にして残したいと思う感情や風景を頭の中で “スクリーンショット” し、丁寧に言葉に変換していくイメージだ。

 

 「思い出の美化禁止ルール」を遵守して生きていくために、音楽はとても効果的である。覚えておくのが難しい複雑な感情や、夕焼けのように時間とともに移り変わっていく感情も、楽曲に託せば半永久的に忘れないでいられるのだ。ライブで自分の曲を歌っているとき、私の目の前にはかつて見た風景が広がり、身体の内側にはかつて味わった苦しみや温かさが戻ってきている。

 

 曲を作る動機がこうなのだから、主流であるメロディからではなく、歌詞から先に作っていくスタイルになったことは私にとってとても自然な流れだ。ともすると、「忘れてしまう」「忘れたくない」という言葉が頻出(ひんしゅつ)してしまうのが悩ましいところなのだが。

 

 昔、たまたま観ていたテレビ番組で、取材されていた僧侶の方が口にした言葉がとても印象的だった。

 

「死は、準備のできた人に訪れるものなんです。死ぬのがどうしようもなく怖いうちは、まだ準備はできていないのです。」

 

 もちろん、不慮の事故など突然起こる場合もあるだろうが、死について想像するだけで眠れなくなるほどの恐怖感を持っていた私は、胸のつかえがすっと取れていくような安心感を覚えた。それ以来、この言葉をお守りのように大事にしている。

 

 「忘れる」ことを大らかな気持ちで受け入れられる日はいつか来るのだろうか。それは、必ず訪れる「死」への緩やかな準備をしているということなのだろうか。

 

「若い頃は全てがキラキラして楽しかったわ」

「大変なこともあったような気がするけれど、忘れちゃった」

 

と微笑むおばあちゃんになる未来はまだ想像できない。それまでは、このせわしない感情ひとつひとつに目を凝らし、言葉に託して歌っていこうと思う。

(みたむら ちはる・シンガーソングライター)

 自身が立ち上げた音楽レーベル「KICHIJITSU RECORDS」を主宰。アルバムに『歪だって抱きしめて』(2019)、最近のミニアルバムに、『Marking』(2021)など。

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インドで年越し蕎麦を啜る

アンジャリWeb版

映像作家・文筆家

佐々木 美佳

(SASAKI Mika)

 インド・コルカタ在住、たったの数ヶ月だが、この間どれだけの宗教的なお祭りに遭遇したのかよくわからない。コルカタという土地を生きているだけで、12月のクリスマス、1月のサラスヴァティ・プジャ、2月のバレンタインデー、3月のホーリーという風に、毎月何かしらの祝祭に遭遇する。クリスマスは若者のイベントの側面もありパーティー化している様子もあるが、クリスチャンもともに暮らしているのがコルカタ。市内の中心にある教会では、クリスマスの朝、ミサが厳かに唱えられていた。サラスヴァティは、日本では弁財天として親しまれている。芸術の神様でもあるので、映画を学ぶわたしもあやかりたい神様だ。この日はコルカタの至るところでサラスヴァティの像が祀られ、道を歩けばデカデカとしたスピーカーから音楽が鳴り響く。土でできた像は、祭りの夜、フーグリー川に流される。像を運ぶのもお祭り騒ぎで、スロウなスピードのトラックが像とスピーカーを積んで、地元の男たちがその後ろを踊り狂ってついていく。


 地元だけでなく、映画学校で祝われるお祭りも負けたもんじゃない。インド各地の多様なバックグラウンドを持つ学生たちが学ぶ映画学校では、世俗主義が原則となっている。そのため、1月にインド各地域で祝われる収穫祭が「文化的な祝祭」として祝われることになった。収穫祭前日、寮のど真ん中にどでかいスピーカーが出現した。嫌な予感がする。部屋にいては1日中大音量に悩まされると判断した私は、学校を脱出し、夜の10時に戻ってきた。にもかかわらずだ。10人弱の学生が、爆音に身を浸しながらまだ踊り狂っているのだ。米軍式と書かれている耳栓をしても、音楽が耳に入ってくる。12時過ぎになってようやく音楽が鳴り終わり、ホッと胸を撫で下ろして眠りにつくことができた。社会人を経験して再び学生になった自分としては、歌と踊りで神様を祀るお祭りで若さが炸裂するキャンパスライフに少々ついていけない節がある。なんせ、若さのエネルギーでもって朝から晩まで祝いまくるのだから。生まれて育ってきた環境の違いを思い知らされる羽目になった。


 自分自身が身につけてきた信仰をもっとも意識したのが、大晦日のことだった。クリスマスを過ぎてから、街がだんだん静かになり、仕事から離れ、家族と過ごすあの時間。家をきれいに掃除して、年越し蕎麦を茹でながら紅白を見るあの平穏で特別な1日。新年を迎えた瞬間に家族に向かって「今年もよろしくお願いします」と挨拶をする。除夜の鐘を、焚き火に手を当てながら聞く。厳かな気持ちとともに新年の抱負を胸の中で唱える。自分が当たり前のように毎年繰り返してきた習慣が、クリスマスから「ハッピー・ニュー・イヤー」にかけてお祭りムードがなかなか消えないコルカタには存在しないと気がついた。しかし何もしないで新年を迎えるというのはあまりにも残念な感じがして、なんとかならないものか…と思っていた矢先、同じ気持ちを抱えた友人の日本人旅行者たちと結託して、彼らが滞在しているゲストハウスで「プチ大晦日」を決行した。時差3時間半のインドと日本、インド現地時間の8時半に、日本の大晦日を迎える。蕎麦は手元になかったが、出汁ベースのカップうどんがあったので、それを蕎麦に見立てて三人で食べた。除夜の鐘のライブ配信を待ちながら、日本時間の年明けの瞬間を待つ。PCのスピーカーから「ゴーン」という音が響き渡った。「今年もどうぞよろしくお願いします」と、厳粛な気持ちで旅の仲間に挨拶をし、日本の大晦日という儀式を完了させた。霊験あらたかな気持ち。日本でディーワーリーや、ドゥルガー・プージャーを大規模に行うインドの人々はきっとこんな気持ちなんだろうか。その祝い事を執り行わなければ、なんだか歯磨きをしていないみたいに気持ち悪く、居心地が悪くなってしまう感じ。自国から引き離されて、自身の宗教的慣習を確認することとなった。


 日本式の新年のお祝いが済んで気持ちが満たされたので、今度はインド時間の新年の出番。2023年のお祝いを2回もできるなんてラッキーなことだ。12時を迎えると、花火やら爆竹やらの音が怒号のように鳴り響く。ベランダから恐る恐る外をのぞくと、子供たちがはしゃぎまわり、近所の犬たちがギャンギャンと鳴き喚く。ああ、わたしは今インドで生きているのだな。在日邦人が100人程度しかいないコルカタという街で、自分たちの小さな儀式を取り行えた満足感は、何にも代え難い喜びがあった。


 お互いがお互いの宗教的祝祭を施せる場を設けること。信仰の権利を認め合うのが平和の秘訣であるということ。人類の歴史が証明してきたこれらの事実を身をもって体験するのが、多様な宗教が混ざり合いながら14億人の人がひしめくインドに身を寄せさせてもらって生きることの醍醐味なのかもしれない。「インドのお祭りには歌と踊りがないとダメ」と豪語する同級生のことがまだよくわからないけれど、きっと彼女だって私が大晦日に何がなんでも蕎麦を啜りたくなる気持ちもわからないだろう。お互いがお互いを傷つけあわなければ、それでいいのだ。何より、インドで食べる大晦日のカップうどんの味は忘れられない。

(ささき みか・映像作家、文筆家)

 監督作として、ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』(2020)。著書に、『タゴール・ソングス』(三輪舎、2022)『うたいおどる言葉、黄金のベンガルで』(左右社、2023)など。現在、Satyajit Ray Film & Television Instituteの映画脚本コース在学中。

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上七軒猫町体験

アンジャリWeb版

親鸞仏教センター嘱託研究員

長谷川  琢哉

(HASEGAWA Takuya)

黒っぽいTシャツを脱いだ時にはもう朝焼け 照らされるイレズミはハートの模様だったかな?

(「TATTOOあり」MUKAI SHUTOKU)


 私が京都に住んでいた学生の頃の話である。大学院に進学する関係で健康診断書を提出する必要が生じ、病院に出かけた。自宅から遠くない場所にあったその病院はずいぶん古めかしく、大きな木製のドアと大理石調の柱が印象的だった気がする。とはいえ、町中のそれほど大きくない、地元の、特に年配の人たちの利用が目立つごく普通の病院であった。私は階段を登って二階にある受付に向かった。受診のために必要な書類を提出して、待合室のソファーに腰掛けた。これから先の大学院生活への期待や不安を漠然と感じつつ、自分の名が呼ばれるのを待っていた。


 ふとその時、強烈な違和感に襲われた。待合室の老人たちに交じって座っている、ひとりの若い女性である。見たところ10代後半から20代前半くらいの女性が私の目に入ったのだが、その女性は長く黒い髪をしっかりと結い(「日本髪」というのだろうか)、一見して普段着の、しかしそれでいてしっかりと仕立てられた上質の着物を着ていた。私の認識は混乱した。私の経験上、若い女性がいわゆる晴れ着の着物を着た姿を見たとこは、もちろん何度もあった。しかし普段着の着物を若い女性が着用し、しかも髪が本当に結われている。そのような若い女性を私は見たことがなかった。頭のてっぺんから足の先まで、現代的なものを一切身に着けていない時代錯誤なこの女性は、時間と空間を歪ませるに余りあるリアリティを有していた。どう見てもこれはコスプレではない。完璧に自然である。しかしなぜこの若い女性は、まるで明治か大正の世にいるかのようなスタイルで、平然と座っているのだろうか。病院の古めかしさと相まって、私は自分自身が今どこにいるのかも分からなくなるような強いめまいを感じたのだった。


 しかし次の瞬間にすぐに思い至った。この病院は花街である上七軒の近くに位置している。そうか、この女性はおそらく舞妓さんか芸姑さんのプライベートな姿なのだろう。あまりにも時代錯誤でありながら、あまりにも自然なこのスタイルは、彼女の職業的な事情を考慮すれば簡単に説明がつくものだった。真偽のほどは定かではないが、少なくともこの認識によって、私の日常は瞬時に回復された。そこは近所にあるごく普通の病院の一室に戻ったのである。


――その時、私は萩原朔太郎の『猫町』を思い起こした。モルヒネやコカインの薬物中毒患者である「私」が、健康のための散歩の途中にふとしたきっかけで方向感覚を喪失し、見慣れた街並みが全く見知らぬ街であるかのように見える錯覚を主題とした小説である。北陸地方の「K」という温泉地に滞在した「私」は、山道に迷い込んでたまたま小さな街に行き着くが、突然、街の様子が変化する。辺りにいた人たちが消え、猫、猫、猫、猫、猫、に覆いつくされるという奇妙なヴィジョンをわずかな間に見るという話である。


 私の京都の病院での体験は、『猫町』で描かれているそれと同種のものと言えるだろう。それは日常生活を転倒させ、まったくの異世界を垣間見させる体験であった。とはいえ、私の“猫町体験”への関心は、詩人である作者のそれとは異なるところもある。


 『猫町』では最後に荘子の「胡蝶の夢」が引かれ、「夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるか」という疑問が取り上げられる。そして最終的に、「理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない」(萩原朔太郎『猫町 他十七篇』、岩波文庫、1995年)という詩人のヴィジョンの実在性が強調されるのである。たとえ幻のようなものであったとしても異世界を垣間見たことは事実であり、そしてその異世界はどこかに実在するという詩人の確信こそが、この著作の主題となっている。


 これに対して、私が興味を惹かれるのは、むしろ非日常的体験の後に回復される日常性の問題である。私たちは確かに、この世の常識を引き裂き、転倒させるような強烈な体験をすることがあるかもしれない。しかし『猫町』で描かれているように、大抵の場合そうした体験は長くは続かず、一瞬で過ぎ去ってしまうに違いない。私たちは正気を取り戻し、今まで通りの日常に逆戻りするのである。もちろん、その一瞬が一生分のことを変えてしまうこともあるだろうが(「パウロの回心」はその典型例と言える)、その場合には、非日常的体験は意味づけられ、日常生活に組み込まれているはずである。そうでなければ、体験は現実に対して効果を与え続けることが出来ないからだ。


 このように考えると、私が先に記述した病院での体験も、現在の私が再構築した物語に過ぎない。体験は記憶の中で改変され、体験それ自体は幻の中に消え失せているのかもしれない。

(はせがわ たくや・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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キルケゴールとニーチェの何が同じなのか――ヤスパース『理性と実存』を読む一視点

キルケゴールとニーチェの何が同じなのか

―ヤスパース『理性と実存』を読む一視点―

親鸞仏教センター属託研究員

越部 良一

(KOSHIBE Ryoichi)

 ヤスパースの『理性と実存』は、5つの講義から成り、その最初の講義でキルケゴールとニーチェをいわば同じ仲間として論ずる。しかし、この2人の何を同じだとしているのか、捉えるのは易しくない。ヤスパースの見る、2人を結び付けるものは、言葉を越えてゆくものなのだから。

 

 ニーチェの思想を見る場合、永遠回帰とか超人とか力への意志とかに、キルケゴールでは、実存の三段階や絶望や不安などに眼をつけて、彼らの思想を捉えようとする、そうした仕方は普通にある。ヤスパースはここで、そうしたことへ深入りするそぶりが全くない。驚くべきことである。だがこの姿勢は、この2人の根本思考に厳密に忠実なのである。

 

 「どこにも、有限性にも、意識的に把捉される根源にも、規定的に捉えられる超越者にも、歴史的な由来にも、最終的な支えは、彼らにとってはない」(ヤスパース『理性と実存』、越部良一訳、リベルタス出版、2023年。以下、引用はすべてこの拙訳から)。

 

 ヤスパースが心底、眼を奪われているのは、彼らの規定されうるような諸思想ではなく、それらを越え包む何ものかである。

 

 だから彼らの思考のいわば形、形式に、彼らの生き方、生きた形に眼をつける。例えばこうである。

 「彼らにとって、ここでまた驚くべきことは、まさに彼らのできそこないの在り様それ自身が、彼ら特有の偉大さの条件であるということである。というのも、この偉大さは、彼らにとって、偉大さそのものではなく、時代状況に、その状況に固有なものとして属する、一回きりの偉大さなのであるから。注目すべきことは、いかに両者が、彼らの本質のこの側面に対しても、似たような比喩に思い至っているかである。ニーチェは自らをこう譬える、「でたらめな文字、見知らぬ力が、新しいペンを試すために紙の上に書く」。彼の病気の積極的な価値は、彼の絶えざる問題である。キルケゴールはしばしば思う、「神の暴力的な手によって抹消され、失敗した試みのように消し去られる」。彼は自らをまるで缶のふちに当って押し潰されるいわしのように感じる。彼に次のような思いが浮かぶ。「いつの代にも、他の人々の犠牲になり、ひどい苦悩のうちで他の人々に役立つものを……発見せねばならない2、3の人間がいるものだ」」。

 

 この2人は現代ヨーロッパという時代と場所の「いわば代表的運命であり、犠牲者」なのである。しかも自ら進んで。「そのような犠牲なしでは決して気づくことはなかったであろう何ものか」、その前面には「何か途方もないこと」がある。ヤスパースは言う、「今の人は、過去の教説の全てを、書冊の意味では、以前の大哲学者たちの或る者が識っていたであろう以上に、ひょっとすると識っているかもしれない。しかし、教説に関する、そして歴史に関する、単なる知に変貌しているという意識、生それ自身から、そして事実信じられていた真理から解き放たれているという意識は、この伝統がいかに偉大であり、そして大きな満足を作り出してきたし、今も作り出していようとも、この伝統を、その究極的な意味において疑わしいものにしてきたのである。[中略]というのも、西洋の人間の現実のうちに、ひそかに、何か途方もないことが起っているからである。すなわち、あらゆる権威の崩壊、理性に対する溌剌たる信頼の徹底的な消滅、すべてを、全くもってすべてを可能にするように見える、結び付きの解消」。

 

 実際上の無信仰のうちで、見かけ上何かを信じている風にすごしているという現代の状況、この状況の内にあって、「一方はキリスト教の信仰性をもち、他方は無神性を強調するという、まさに見かけ上は完全な本質相違性をもつから、それだけに彼らの思考の類似性は、ますます際立つものとなる。あたかもすべての過去のものがなおも存立しているかのような見かけのもと、実際は無信仰に生きているこの反省の時代において、信仰の拒否と自己を信仰へ強制することとは互いに属し合うものとなる。神なき者が信仰的に見え、信仰者が無信仰的に見えうる。両者は同じ弁証法のうちに立っている」。

 

 現代の状況に沿いながら、その実、彼らが目指すものは、その状況がもつ、見かけ上の信仰と実際上の無信仰を、突破することなのである。この突破は、時代を超え、世界を超える。彼らは共に命がけの人間である。「彼らは一つの道を行くが、この道は、彼らにとっては、超越的な支えなくしては歩み通され得ない。というのも、彼らが反省するのは、平均的な現代性がするように、生命欲と生命関心という自明の限界をもってしてではないから。すべてか、しからずんば無か、それが問題である彼らは、限界のないことを敢えて行う。しかし、このことを彼らが行うことができるのは、ひとえに、彼らがはじめからあのものに根ざしているがゆえであり、それは、彼らにとっては同時に隠れているのである。すなわち、両名とも彼らの青年時代に、知られぬ神について言及している」。

 「彼らの現存在の孤立無援、できそこなってあるものにして偶然的なもの、そうしたものと、彼らのもとで大きな対照をなしているのは、彼らを見舞うあらゆる出来事の意味、意義、必然性についての、人生が進むにつれ深まりゆく彼らの意識である。キルケゴールはそれを摂理と呼ぶ。彼は次のような神的なものをそこに認識する。「ここで起き、言われ、進行する等々すべてのことは、前兆であるということ、事実的なものは、それが何かはるかに高いものを意味するように、いつでも変貌するということ」」。

 

 だからヤスパースは、彼ら自身では意識することが不可能な事実的なもの、彼らが40代でもう彼らの人生の突然の終りを迎えたこと等の、彼らの人生行路の共通性を指摘する。「まったく理解の無い反響に面するという運命も、彼らに共通であった」。彼らは、「この時代にとって、単に一つのセンセーションにすぎなかった」。「こうして彼らの影響力は、彼らの本質の、そして思考の意味に反して、限界なく崩壊させるものとなった」。彼らの交わりの追求は、だから、生前においてのみならず、死後もその趨勢において挫折した。

 

 ヤスパースが見ようとするのは、彼らを包んでいる、知られぬあるものである。普通の、つまり、ただの人間的な見方では、例えば病気が「偉大さの条件」とされたりはしない。ここでは人間的視点を越えるものこそが、大なるものなのである。それが彼らを真に結び付ける。彼らが同じであることに驚くということは、そうしたものに、その者がふれているということであり、その知られぬものから問いかけられ、返答を迫られるということなのである。『理性と実存』という書物は、その返答の試みの書である。

 

 この試みは、彼らの、掴みうるようにされた思想に従うことではあり得ない。彼ら自身がそのことをはねつける。「彼らは我々を立ち去らせる。我々にいかなる目標も与えず、いかなる規定された課題も立てはしない。個々の誰もが、彼らによって、自分自身であるものに成れるだけである」。

 

 彼らを読むとは、そして彼らに対峙するこの書を読むこともまた、根本的に、その知られぬものに、自分自身が向かうということである。

(こしべ りょういち・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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ボードゲーム『即身仏になろう!』に寄せて

アンジャリWeb版

親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 ある日、SNSで1つの投稿が目に留まった。

【本日発売】『即身仏になろう!』 新感覚即身仏体験ゲーム!

 うほっ!? 思わず、変な声が出てしまった。

 

 『即身仏になろう!』は、神戸を拠点にするクリエイター集団「グループSNE」が製作したボードゲームである。ゲームというと、「ゲーム機やスマートフォンを使ってするもの」というイメージが強いかもしれないが、駒やカードを使う非電子型のゲーム(これを本稿ではボードゲームと呼ぶ)の人気も根強い。たとえば、囲碁や将棋、トランプや花札、双六や麻雀などは、遊んだことのある人も多いだろう。

 

 さらに近年、従来とはまったく違った新たなボードゲームが次々と世に出ており、その中には仏教を題材としたものもあるのである。その1つが、本稿で取り上げる『即身仏になろう!』だ。

 

 では、そもそも即身仏とは何なのか? これは簡単に言えば、ミイラ化した僧侶のことである。即身仏を目指す者は、山に籠って身体を酷使すると共に、穀物の摂取を断つ。受戒した僧侶は、そもそも肉や魚を食べることができない。そのため、穀物を断つと口にできるのは、木の実や樹皮などに限られてしまう。また、臓器の腐敗を防ぐために、人体に有害である漆を飲むこともあったという。

 

 こうして体中の脂肪を落とし、骨と皮だけになった後は、「土中入定」と呼ばれる段階へと進む。木棺に入ったまま、地下約3メートルの深さに造られた石室に降ろされ、弟子たちが入口を塞ぐのである。

 

 真っ暗な土の中で、即身仏を目指す僧侶は水すら飲まずに、ひたすら読経を続ける。地上との繫がりは、換気用の竹筒1本だけである。その外で、弟子たちが決まった時刻に鐘を鳴らし、土中の僧侶も鳴らし返すことで生存確認を行う。音が返って来なくなると、それは修行の完成である。僧侶は即身仏と成り、永遠の禅定に入ったと見做される。

 

 すると、弟子たちは竹筒を引き抜いて穴を完全に埋め、遺言で定められた日数が経った後に掘り起こす。そこで遺体が朽ちていなければ、法衣を着せられ、厨子の中に安置されることになる。

 

 この即身仏の思想的淵源は、真言宗の開祖・空海(774-835)の即身成仏説にあるとされる。しかし、上述のような即身仏を目指す修行は、真言宗の中でも一般的なものではなく、基本的には近世の東北地方に見られる現象であった。その理由は様々に考察されているが、一説には、飢饉に苦しむ民衆の救済を願うものであったとされている。

 

 さて、話をゲームの方に戻そう。

 『即身仏になろう!』を初めて見た時、正直、「これは売れるのか?」と思った。

 筆者は、通っていた小学校の図書室になぜか即身仏の漫画があり、なぜか筆者はそれを読んでいたので、即身仏の存在については幼いころから知っていた。しかし、一般の人は即身仏に関心など無いのではなかろうか。そう思ったのである。

 

 だが、それは杞憂だったらしい。初版はすぐに完売したようで、現在はルールを少し修正した第二版が発売されている。そこでここでは、第二版の内容に沿いながら、『即身仏になろう!』の概要を紹介してみたい。

 このゲームは、100枚ほどのカードを使って行うカードゲームであり、トランプのように2人から5人で遊ぶことができる。ゲームの流れとしては、以下の3つのフェイズを各自で進めていくことになる。

 

(1)五穀集めフェイズ:修行に入る前の、最後の食事をするフェイズ。五穀(米・粟・麦・大豆・黍)のカードを集めることを目指す。

(2)五穀断ちフェイズ:五穀に対する未練を断っていくフェイズ。手札の五穀カードを全て捨てることを目指す。このフェイズでのみ、「漆茶」を飲んで身体を浄めることができる。

(3)土中フェイズ:土中の石室に入る最後のフェイズ。全ての煩悩(手札)を捨てて、即身仏になることを目指す。このフェイズでのみ、「入定」を実践することができる。

 

 この3つのフェイズを通して、プレイヤーは菩薩点(勝利点)を集めていく。菩薩点を獲得する方法は様々で、「最も早く次のフェイズに進む」「最も多くの漆茶を飲む」「最も多く入定する」などがある。最終的に、最も多くの菩薩点を獲得したプレイヤーが勝者だ。

 このゲーム、各フェイズによって目的が変わるため、様々なジレンマを抱えることになる。「五穀集めフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードをまったく引かないこともあるし、「五穀断ちフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードばかりを引いて、断ちがたい食への執着を痛感させられることもある。また、「手札の上限枚数は7枚」というルールがあるため、序盤に「漆茶」や「入定」をたくさん引いてしまうと、五穀を揃えるために捨てざるを得ないという局面にも遭遇する。

 

 さらに、他のプレイヤーに自分の手札を1枚押し付けることもできるため、もう少しで成仏というタイミングで、思わぬ妨害が入るということもある。ただ、この点は第二版になって、「「土中フェイズ」でのみ手札の同名のカードは同時に何枚でも捨てられる」、という仕様に変更となったため、初版の時の面倒臭さはかなり軽減された。

 

 このように『即身仏になろう!』というゲームは、実際の即身仏修行の雰囲気を存分に残しつつ、競技としても十分に楽しめるものとなっている。

 

 もちろん、仏教をゲームにしてしまうことに、抵抗を覚える方もいるだろう。しかし、仏教が一般の人々にとって、敷居の高いものになって久しいのも事実である。特にこのゲームは、我々は煩悩によって苦しむという事実を、ゲームシステムとして再現している。即身仏は、近世のムーブメントのようなものであるとも言えるし、現代において即身仏を目指すという人はいないだろう。けれど、現代の日本人にも、仏教的な「何か」に魅かれるところがあり、『即身仏になろう!』というゲームは、その端的な表象であると見ることもできるように思う。筆者は、その「何か」を丁寧に掘り起こしていきたい。そして、もっと変な声を出したい。このゲームから、そんなことを考えさせられた。

(あおやぎ えいし・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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失敗のプロフェッショナル

アンジャリWeb版

校正者

牟田 都子

(MUTA Satoko)

 しょっちゅうものを忘れたり落としたりしている。ハンカチ、マフラー、読みさしの本。性格だからもはや直らないとあきらめているけれど、あきらめきれないのは「落としましたよ」と声をかけてくれた人に対する自分のふるまいだ。仏頂面のまま口の中でもごもごと謝意らしきものをつぶやければましなほうで、ときには逃げるように立ち去ってしまう。恥ずかしさが先に立ち、満足に礼も言えない自分のちっぽけさがほとほといやになる。


 本の校正は、編集者や著者に「落ちてましたよ」と声をかける仕事だといえる。ゲラ(校正のための試し刷り)を読んで誤字脱字、文法の誤りや事実関係の混乱などを指摘することを「拾う」という。完璧な人間などいないから、どれほど注意深い著者であってもゲラの上には何かしら「落とし物」が残っている。


 気を遣うのは「うっかり」に見えて「あえて」の場合もあるからだ。小説の中で友人を訪ねた主人公が、三鷹市井の頭六丁目にあるアパートの呼び鈴を鳴らす。調べると「三鷹市井の頭」は五丁目までしかない。そこで「六丁目」を「誤り」と考えるのは早計で、実在の風景に巧みに虚構を紛れ込ませる著者もいる。そうした著者に「落としましたよ」と大声で呼びかけたら、叱られてもしかたがない。かと思えば、「井【之】頭一丁目」が単純な書き間違いということもあって気が抜けない。


 「落ちてましたよ」と声をかけて、まれに反発を受けることがある。自分が書く側に回ってみると、ゲラに鉛筆で書き込まれた校正者の疑問や提案を見るのは、己の粗忽さを思い知らされることであると得心がいった。ハンカチを差し出されるときと違うのは、こちらに心の準備があることだ。校正者は著者のさまざまなミスを指摘し、解決策を提案する。著者はそれが校正という仕事だと理解しているから耳を傾ける。指摘する側とされる側、双方に構えができている。十分な構えができていない相手の場合、恥をかかされたとか、けちをつけられたと感じてしまうのかもしれない。顔が見えず、声も聞こえない紙の上での意思疎通の難しさには、15年経っても慣れることはない。


 仕事を離れて本を読むときは落とし物係の名札をはずすよう努めているが、思い入れのある本ほど、わずかな瑕疵も気になってしまう。目をつぶっていても拾えるような誤植がなぜ残ってしまったのかと口にしてしまったとき、裏にどのような事情があったのかを想像したいと諭してくれたのは、同業の大先輩だった。穏やかな口調ながら胸に突き刺さったのは、「自分なら拾えていた」という思い上がりを見透かされたからだろう。若いうちにそう言ってくれる先輩を持ったことは幸運だった。


 人間はかならずミスをする生き物で、ミスを防ぐための専門職である校正者といえども、その宿命からは逃れられない。何週間もかけてゲラを読み込み、手に入るかぎりの辞書や資料にあたって誤りを残すまいと努めても、できあがった見本を開いたそこに誤植を見つけてしまうということを、この仕事をしていれば一度ならず経験するのではないだろうか。誤植を見逃すことを「落とす」といって、落とし物係が落とし物をしていては洒落にならないのだが、絶対に落とさない校正者は絶対にいないと言っていい。どんなに有能な校正者であっても、いつかはかならずミスをするもの……と同業の夫に言ったところ、「いつか」ではなく「いま」ではないか、と返された。私たちが誤植を「拾って」いるとき、裏では常に「落として」いる。そう思ってゲラに臨まなければならないというのだ。その意味で私たちは失敗の経験だけは豊富な、失敗のプロフェッショナルといえるかもしれない。


 先日、学校で使われている教科書に大量の誤植が見つかったという報道があった。大きな声では言えないが、どれほど有能な校正者が目を光らせていても、誤植のひとつやふたつは残ってしまうものではないかと思う。とはいえ1200ヵ所というのはけたが違いすぎる。誤りのある教科書を使い続けることによって「学習上の支障を生ずるおそれがある」と判断した出版社は、修正・刷り直しの上で再配布すると発表した。なぜそのような事態が起こったのか、犯人を追う探偵のような推測や憶測が飛び交っていたけれど、ほんとうの事情は当事者にしかわからない。当事者でさえ十全にはわからないということもあるだろう。問うというより責める響きを帯びた「なぜ」にさらされている関係者の胸中を、思わずにはいられなかった。


 誰もが「いつか」ではなく「いま」この瞬間にもミスをしているかもしれないと考えれば、人の失敗を必要以上に責めることは難しくなるのではないだろうか。ミスが起きてしまったとき、原因を突き止めること、再発を防ぐ仕組みを工夫することは大切だ。だが、そのためにはまず指摘しやすく、打ち明けやすい、誰もに「構え」のできている環境であってほしい。明日はわが身、お互い様だと笑って言い合えるくらいが丁度いいと思うのは、甘いだろうか。

(むた さとこ・校正者)

著書に、『文にあたる』(亜紀書房、2022)、共著に『本を贈る』(三輪舎、2018)、『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房、2020)など。

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『アンジャリ』WEB版(2023年1月30日更新号)

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今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/30)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO Makoto) 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  親鸞仏教センターでは、2001年の設立以来、雑誌『añjali』を毎年2回(6月と12月)発行してきました。  しかし2020年、コロナ・ウイルスの感染拡大による印刷、発送作業、配送などの困難のために、予定通り発行できない苦境に陥りました。そこで私たちは新たに『añjali...
表紙 2
大根・仏教・メディア
大根・仏教・メディア 『フリースタイルな僧侶たち』編集長 稲田 ズイキ (INADA Zuiki) 「稲田さんは僧侶として情報発信をされてますが」    ごくたまに取材などで初めて会った方に、このように言われることがある。いつも私はこの言葉にモヤモヤする。情報発信、うん、情報発信と言えるのだろうか。わからない。    もちろん、判然としない言葉で語られるのは、自分が実態の見えない活動をしているせいなのだけど、なんだか渋い気持ちがする。この渋味はなんなのだろう。   先日のインタビュアーの方は、単刀直入にこう言ってくれた。   「稲田さんって、ぶっちゃけ何をしているのですか?」   潔い質問である。私はぽつぽつとこのように語った。   「『フリースタイルな僧侶たち』という雑誌の編集をしていたり、仏教にまつわるコラムを書いたり、エッセイ、小説、漫画の原作を書いたり、今はそんな感じですかね……」   「なるほど。それってつまり、なんなんですかね?」   言葉に詰まった。あちら側もすごく言いにくそうに質問をしてくれている。    自分がやっていることってなんなのだろうか。たしかに、あまりにも漠然としている。ついうっかり「情報発信」と言いそうになる気持ちを抑えながら、頭の中を必死で駆け回り、うっすらと浮かび上がったある一つのイメージを言葉にした。   「なんか、大根を作って渡してる感じなんですよね」   明らかにインタビュアーは困惑していた。見事なまでになんの伏線もない、斜め上の角度から繰り出された大根に、言葉を失っていたのだ。    案の定というか当たり前だけど、この発言は原稿ではカットされていた。でも、この支離滅裂な一言が、私の一番深いところからやってきた、濁りのない言葉であったのは確かなのである。    ありがたいことに、この度は「メディアと仏教」について何か書いてほしいと、お題をいただいた。そこで、今自分が僧侶として、または一人の人間として、メディアというものとどのように向き合っているのか、決して無関係ではない「大根」の真意に触れながら、書いてみたいと思う。    「情報発信」の言葉がここまで当たり前のものとして受け入れられるようになったのは、言わずもがな、SNSの登場が契機となっているだろう。    現実の会話と異なり、Twitter、Instagram、TikTokなどのSNSを中心としたデジタル空間でのコミュニケーションの特徴は、特定の聞き手を不在にしたままに情報が送信されることにある。ゆえに、「発信」の側面だけが、今社会で躍り出ているといったところだろうか。    私が「情報発信」というスタンスに違和感をおぼえるのは、その言葉が一方的な行いを指して使われるものだからである。コミュニケーションは、発信と受信の往復、そしてその主客の交代の連続によって成立している。    だとするならば、「情報発信」というあり方を自分のスタンスとして置く行為は、絶えず流れるコミュニケーションの循環に石を置くような行為と思えて仕方がない。むしろ受信こそ私がやるべき仕事のような気がするのだ。    このような自分のありたい姿と、僧侶という切っても切り離せない肖像とが、ぶつかってしまった出来事として象徴的だったものがある。それは私がまだ学生時代の話で、僧侶となって一年も経たない頃のことだった。    映画監督の友達と、実家のお寺を舞台にした映画制作の企画を立ちあげた。登場人物に自分を含めた称名寺の家族全員、さらには近所に住む檀家さんのほぼ一家に一人に出演してもらうなどして、『DOPE寺』というミュージカル映画を作ったのだが、とある新聞社さんがその過程を丁寧に取材してくださっていたのだ。    「なぜ映画を作ったのか?」と訊かれて、私は正直に「面白い作品が作りたかった」「来年から就職で東京へ行き、お寺を離れるから、生まれ育ったお寺や檀家さんたちと思い出を作りたかった」と語っていたわけなのだが、楽しみに待っていた新聞の見出しにはこのように書かれていたのだ。   「進む宗教離れ 檀信徒獲得のために奮闘する若き僧侶」    これには、私も家族もがっくしである。本文を合わせて読めば、そう誤読もされないような内容になっていたのだが、わざわざ“そういうことではない”と取材中にも念を押していた文脈で語られてしまうことに驚いたのだ。    担当の記者の方に尋ねると、「デスクにそのように修正されてしまった」と悔しそうにおっしゃっていた。そうか、そういうこともあるのだなと納得したのだが、これは裏を返せば、このように言えるのではないだろうか。    デスク担当が自己判断できるレベルで、今僧侶が何か企画を立てるということが、檀信徒獲得(寺院維持)のためのアピールと当然のように直結していて、そうした寺院を維持するための行為は社会的に見ても正しいということの証である、と。    私はこの新聞の見出しと情報発信という語り口は、根源的に同じものなのではないかと思っている。すべての活動が、社会的マイノリティの立場から自らのプレゼンスを上げるためのアピールとして、評価されてしまうということである。    やや考えすぎかもしれないが、世間的に僧侶という存在を語る上では、こうした一つの文脈しか存在しえない、と印を押されてしまったような虚しさがあった。    私が何か作品やコンテンツを作ったりするのは、「会話がしたいから」に尽きる。今回の原稿の内容に沿っていえば、発信と受信の循環を生み出したいのである。さらに大きなことを言うならば、聞き手を不在にしたまま、それでもたくさんのものたちと「会話」をする手段として、人類は「創作」という営みを発明したのではないかとすら思うのだ。そりゃいいすぎか。    先述したように、情報発信者(つまるところの“インフルエンサー”と言えるだろうか)として己のスタンスを置く行為は、自分を発信者として権威づけ、受信者を受信者のままに固定する行為につながる。    一方で、「創作」という営みの末に生まれた「作品」には、そうした主客の固定を促すような性質は少ないように思う。    たとえば、私の大好きなバンド、BUMP...
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「お寺の掲示板大賞」によるメディアミックスについて 浄土真宗本願寺派僧侶 仏教伝道協会出版事業部課長 江田 智昭 (EDA Tomoaki) 「お寺の掲示板大賞」とは何か?  お寺の門前に設置されている掲示板を使った布教を仏教界では「掲示伝道」と呼んできた。掲示伝道がいつ始まったかは明らかではないが、佛教大学の大谷栄一教授によると、それは明治時代には既に行われており、大正時代には掲示伝道に関する『名句集』が出版されていたとのことである。  この掲示伝道に着目して立ち上げられた企画が「お寺の掲示板大賞」である。掲示板に掲げられている言葉の写真を撮影して、SNSのTwitterやInstagramに投稿してもらい、「いいね」・「リツイート」の反響などを考慮しつつ、大賞を決めようというシンプルな企画である。これは現在私が所属している(公財)仏教伝道協会の主催で2018年に初めて開催された。この企画は寺院関係者でも、それ以外の人々でも「お寺の掲示板」の写真を撮影した人は誰でも応募することが可能であり、その写真の投稿者が表彰されるというルールになっている。  広告宣伝費がゼロの低予算企画であるため、企画を立ち上げた自分自身でさえも成功を疑問視していたが、様々なメディアに取り上げられ、2018年の第1回目は700作品の投稿があった。その後、投稿数は年々増加し、2022年の第5回目の投稿作品数は4093。第1回目に比べると、応募期間が20日間短縮されているが、投稿数は5倍以上となったのである。 「お寺の掲示板大賞」におけるメディアミックス  「お寺の掲示板大賞」は毎年大きな反響を呼んでいるが、その要因を分析すると、一つのポイントは「メディアミックス」にあると言える。  「お寺の掲示板」とは、本来アナログなメディア(媒体)である。掲示板に筆文字の言葉を貼り付け、その前を通りかかる人へメッセージを伝える。時代遅れと言われてもおかしくないメディアだが、そのメディアにSNSと呼ばれる最新のデジタルメディアをミックスさせた企画が「お寺の掲示板大賞」である。  このようなメディアミックスが起こることによって、SNSを利用する世界中の人々がお寺の掲示板の言葉を目にすることが可能となった。本来、掲示板の前を通りかかる人しか見ることができないものが、SNSを通して非常に多くの人々の目に留まり、リツイート(拡散)の機能などによって、さらに拡散されるのである。  この影響力は非常に大きく、掲示板大賞に投稿されている作品は現在、中国国内のネットメディアでも取り上げられている。おそらくSNSを見た日本在住の中国人が掲示板の言葉を翻訳し、中国のサイトにアップしたのだろう。それらのサイトでは、日本の僧侶の伝道姿勢を讃えつつ、中国国内の僧侶を批判するコメントが散見された。このように中国でも話題になった影響により、2019年に福建省仏教協会のシンポジウムに招かれ、「お寺の掲示板大賞」に関する発表を行う機会があった。その際、中国や東南アジアの僧侶から「素晴らしいアイディアだ」というコメントが複数寄せられた。  古来より格言が好きな中国人に日本のお寺の掲示板の言葉がうまくフィットしたらしく、お寺の掲示板に関する記事の中には900以上のコメントを集めたものもあった。これを見て、日本人よりも中国人の方が「お寺の掲示板大賞」を広く受け入れているのではないかと感じたほどである。本来ならば海外で見られない日本のお寺の掲示板の言葉が、中国国内の人々の心に刺さるということはありえないが、「掲示板」というアナログなメディアと、「SNS」というデジタルなメディアのミックスによってこのようなことが実現したのである。 「お寺の掲示板」の可能性  「お寺の掲示板大賞」をきっかけとして、ここ数年「お寺の掲示板」というメディアが多くの日本のテレビ・ラジオ・新聞・雑誌・書籍・ネットメディアなどでも取り上げられている。これも一種のメディアミックスと言えるだろう。このことが掲示板大賞の投稿数の増加とも深く繋がっているのであるが、仏教界の企画でここまで多くのメディアに取り上げられ続けた企画は他におそらくほとんど存在しないと思われる。  なぜこのようなことが起こったかというと、掲示板はお寺以外がほとんど持っていないオープンメディアだからだと思われる。現在は誰でもネットメディア(SNSなど)を通して自由に情報を発信できる時代であるが、掲示板というメディアを持っている存在はかなり限定される。「家の前に掲示板を設置して、いつもそこで情報を発信しています」という一般の人はおそらくいないだろう。  デジタルメディアが隆盛を誇る中、筆文字で情報を発信する「お寺の掲示板」というアナログなメディアが逆にそのアナログさゆえに目立つようになってきた。日常生活の中でパソコンのフォントの文字に慣れすぎている私たちにとって、素朴な筆文字に思わず目が惹きつけられる。そして、お寺がそれまでに培ってきた伝統が掲示板の言葉に重みやギャップを与え、お寺の掲示板の言葉に注目が集まるようになったのではないかと私は分析している。多くの寺院関係者にとって、門前の掲示板の存在はこれまで当たり前のものであったかもしれないが、実は大変貴重な財産だったのである。  「日本のお寺は、単なる風景に過ぎなかった」という新興宗教の信者による発言が以前話題になった。これは日本の伝統仏教への批判でもあったのだが、門前の掲示板を有効に活用することによって、風景で終わらせないことができるのではないかと私は考えている。「お寺の掲示板」は小さな存在であるが、仏教の教えを広める上で大きな可能性を秘めている。このことを多くの人々に知ってもらうため、今後も「お寺の掲示板大賞」を毎年継続していく予定である。 (えだ ともあき 浄土真宗本願寺派僧侶、仏教伝道協会出版事業部課長)  著書に、『お寺の掲示板』(新潮社、2019)、『お寺の掲示板 諸法無我』(新潮社、2021)など。 ※「お寺の掲示板大賞」の詳細は公益財団法人...
表紙 2
メディアとは何か―自己語り・雑誌メディア・日蓮―
メディアとは何か―自己語り・雑誌メディア・日蓮― 大阪大学特任講師 ブレニナ・ユリア (BURENINA Yulia) 「メディアとは自己を仮託する文化装置である」。  この命題を提起したのは、社会学者の加藤晴明だ。  加藤は個人のメディア経験から議論を立ち上げる必要があると問題提起をし、「一人称メディア」「自分メディア」「メディア版自己」といった概念を用いて、自己語りの文化装置(物語装置)としてのメディアの側面に注目する。そして、メディアを単なる情報の媒介物としてではなく、自己と深く関わる表現装置として捉える(加藤晴明『メディアと自己語りの社会学 「自己メディアの社会学」改題・改訂版』〔22世紀アート、2022年、初出2012年〕を参照)。  ブログや、YouTubeなどの動画サイト、さらにはFacebook、Instagram、Twitterなどのソーシャルメディアを駆使して各々のメディア的リアリティを作り出し、日々、「メディア版自己」を発信し続けている現代人を思い浮かべれば、まさに「メディアとは自己を仮託する文化装置」である。  では、ブログやTwitterなどがなかった時代、例えば100年前、人びとはどのようなメディアに自己を仮託し、どのように自己表現をしていたのだろうか。多種多様なメディアが挙げられるが、ここではこれまで私が主に研究してきた日蓮主義と、明治・大正期の学生たちについて、雑誌メディアを例にして考えてみたい。  まず、明治期の学生の投稿を見てみよう。 学校は出ても、外からは生活難が迫って来る、内からは精神的に何の力も得ていない、何だか心淋しい、つまらない、面白くない、ついには腰弁(こしべん)でも何でも甘んじて職につく、そして単調な其日其日を送る。 (「雨新抄」欄、『妙宗』13編5号、1910年5月、97頁より)  「腰弁」(腰に弁当をぶら下げて通勤すること)という用語以外、就活に行き詰まり、生きることに苦しさを感じている学生が、その気持ちをTwitterやFacebookに投稿したとしても、おかしくない文章だ。しかし、まだ続きがある。 今の青年の一部にはこんな人間も居る、精神のない統一のない平凡教育を与える学校の産物としてはまた是非もないのであろうが、国民は災難である、国家は実に危険である、国民に正義操持向上勇猛の気節がなくなったら、どんな物知りをつくったからとて用にはたたない、僕は今の平凡教育を咀うのである。 (同上) これは東京の藤田猛という青年が雑誌『妙宗』に投稿したものである。明治期の青年たちにとっては、雑誌メディアが苦しみを吐露する場であったことがわかる投稿だ。  『妙宗』は、日蓮主義の提唱者として知られる田中智学(1861〜1939年)が1897年から1910年まで刊行していた雑誌である。これまで注目されてこなかったが、実は同誌には多くの読者投稿が掲載されており、藤田のような青年たち、学生たちによるものもみられる。藤田は自分が受けてきた教育に対する不満や自己語りを「国民」や「国家」の問題にまで拡大して述べている。明言されてはいないが、「正義操持向上勇猛の気節」の理想は、彼が日蓮に仮託したのだろう、と私は思う。  では、大正期はどうだろうか。  さきに紹介した藤田の投稿をTwitterに譬えるなら、次に取り上げたいのは大正期のブログに譬えられるものだ。  1921年1月から5月にかけて、雑誌『法華』に「一転機」という51頁におよぶ投稿が4回にわたって連載された。投稿者は、吉村孝一郎という、東京生まれ、東京育ちの、当時26歳の青年。連載第1回目の投稿文は、「日蓮上人によって導かれる一青年の告白です」という言葉で始まっている。『法華』は、1914年に創設された法華会という日蓮・法華系知識人の信仰グループの機関誌であり、日蓮に魅了された大正期の青年たちによる投稿が多く掲載されている雑誌だ。吉村はそのひとりである。  もともと1920年の夏に、自分が自分に語る日記として書き始めたとのことである。しかし、書いているうちに、人に見せるために書く気持ちが起こり、「私の今迄の生涯の生活経験を出来るだけ蒐集活用したものです」、「同じく日蓮の信に生きんとする若い人々の間に幾分なりとも此の文が御参考になれば有り難い事です」と、吉村は投稿の理由を説明している。藤田と同様に吉村も、自分が受けてきた教育に対して強い不満を持っており、「過去一五年間現代教育の悪弊を散々受けぬいた」と、語りだしている。  吉村は、とにかく読書量の多い青年で、中学時代に偉人伝を読み漁り始めたのは、小難しい道徳や人生観の書物を読むことが偉いような気がしたからだという。日記も中学1年からつけ始めた。一時期は吉田松陰と日蓮が心中に並立して不思議な葛藤が生じていたが、やがて松蔭が消え、日蓮が心を支配するようになった。ちょうど雑誌『法華』が発刊され、味方を得たような思いで読み耽ったという。  その後も、吉村は「夢中に宗教の書物を読み、夢中に講習会の話を聞き」歩く学生生活を送った。近角常観(1870〜1941年)や内村鑑三(1861〜1930年)の講話を聞き、『日本及日本人』(三宅雪嶺主筆)、『聖書の研究』(内村鑑三主筆)、『国柱新聞』(田中智学主筆)などを愛読した。すなわち、新聞・雑誌や書籍等の印刷メディアを通して、キリスト教や仏教諸宗派、さらには宗教に限らない、様々な思想運動を横断する大正期の典型的な青年である。  吉村家は代々法華信仰を受け継いでいた。だが、彼にとって重要な転機となったのは、日蓮が遺した文書(遺文)の読書体験である。中学時代に日蓮遺文録を読みだしたという。そして、読み進めるうちに、自然に題目が口から漏れるようになり、一時期は「混沌時代」を過ごしたが、やはり日蓮からは離れることができなかった、と振り返っている。  吉村はのちに「一転機」を投稿した当時の気持ちを、「胸に留まっているものを全部吐き出してしまえば、さっぱりするだろうと思って、4回に亘る長文を書きました」、と述べている。このように雑誌メディアは、大正期の青年たちにとっても、なくてはならない、自己語りの重要な場であった。  とりわけ興味深いのは、自分の投稿の文体について、吉村は次のように説明している点だ。 こんな文体になった一つの原因は御書を読んでいるとご自分を指して日蓮という言葉が実にひんぱんに出てきます。文章とはこういうものだと思い込んだ影響もあるだろうと思います。 (吉村孝一郎「記憶と索引」『法華』51巻4号、1965年4月、20頁より) 御書とは日蓮遺文のことだ。つまり、吉村の自己語りは日蓮自身の自己語りのスタイルの影響を強く受けているということである。  確かに、日蓮遺文を読むと、「日蓮は〜」「日蓮が〜」と自分のことを指す箇所の多さに驚く。私も初めて読んだ時は、かなり戸惑った。しかし、この自己語りしている日蓮こそ、自己語りの場を求めていた明治・大正期の悩める青年たちにとって、大きな魅力を持ったのではないだろうか。彼らは日蓮(とその自己語り)を媒介としてそれぞれの宗教的・精神的な苦悶を共有しながら、雑誌メディアにおいて思い思いの自己語りを披露し合った。もし、彼らが100年後の今を生きていたら、Twitterでつぶやいたり、ブログを綴ったりしたかもしれない。そして、私はそれらをぜひ、読んでみたい。 (ブレニナ・ユリア 大阪大学特任講師)  近年の論文に、「『日蓮主義』という用語について――初期の用例にみる造語背景と用法の変遷」(『近代仏教』第29号、2022)など。 他の著者の論考を読む...
飯島孝良顔写真
隙間だらけの一休年譜――入水未遂事件をめぐって
隙間だらけの一休年譜――入水未遂事件をめぐって 親鸞仏教センター嘱託研究員 花園大学国際禅学研究所専任講師 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  これまで、世界中でどれくらいの人びとが接したかわからないが、少なくとも自分には福音書は読むごとに不可解な衝撃を与える書である。そもそもは大工の息子で律法学者でないイエスが、数多くのたとえ話でユダヤの常識やルールを根柢から見つめ直すよう促していく。更にイエスは病を癒し、悪鬼に憑かれたとされる者を解放し、差別される者たちに寄り添おうとした。そうした行動が多くの支持者を集めつつあることはユダヤ当局から危険視され、最終的には無惨に十字架上で殺されるに到る。そうして、付き従っていた者どもは悉くイエスを見棄て、果ては最も身近で信頼していた筈の弟子たちが、自らの師の下から逃亡していったのである。イエスはというと、刑死に際して「我が神よ、我が神よ、どうして私をお見棄てになるのですか」(マルコ伝十五:34、マタイ伝二十七:46)と絶叫するほかなかったのだという。  だが、現代にまで伝えられる福音書によれば、その弟子たちはイエスとの死別の後、イエスの生涯を読み直し、やがて躓(つまづ)きから立ち上がってイエスからの教えを受け継ぐ道へ進むことになったという(使徒行伝二:14-36ほか)。師を見棄てた弟子たちが、むしろ師の言行のなかに「神の全能」を見出して集団を形成し、最終的には殉教するまでに及ぶのである。この経緯からは、イエスの弟子たちが自分たちの師を真に理解するまでに深刻な「隙間」があり、その「隙間」を埋めようとし続けたことが見受けられる。そして、福音書には現代的な視座からみて「隙間」と思えるものも残されている――例えばペテロなどの弟子が、イエスを裏切ってからどのようなプロセスをたどって再び起ち上がったのか、新約聖書からは充分見出しにくい。むしろ、マルコ伝十六章の補遺部分(9-19)を読むと、イエスを死に追いやった直後のペテロら11人の弟子たちはイエスが「復活」したという報告を聞いてもすぐには信じられなかった、という報告さえ記録されている。そうした点を踏まえると、イエスを裏切ったことと再起したことの間には、よほどの苦悶や懊悩(おうのう)があったのではないかと推察される。だが、その詳細な経緯は語られず、いつの間にか再起しているようにみえるのである。  その意味では、弟子たちが師の言行を崇高なものとして書き記していく行為そのもの、そしてその結実たる言行録や年譜といったメディアそのものが、描ききろうとしても及ばない「隙間」を多く含有せざるを得ない。聖書学者の大貫隆がいわゆる「隙間だらけ」という表現は、言い得て妙である(大貫隆『隙間だらけの聖書――愛と想像力のことば』教文館、1993)。 ***  一休宗純(1394~1481)の行実を伝える『一休和尚年譜』も、じつはそうした「隙間」だらけの代物といえる。多くの日本人にはすっかりお馴染みの「とんち」の小坊主・一休さんを求めてこれを手に取ると、読者はたちまち肩透かしを食らうことだろう。というのも、『一休和尚年譜』には20代はじめまで記録が非常に稀薄であり、幼少期から青年期にかけての足跡があまりみえてこないからである。  とくに印象的なのは、21歳の一休が大津の石山寺にほど近い瀬田川の唐橋で入水未遂に到る応永21年[1414]条である。この年末、慕っていた恩師の謙翁宗為(けんのうそうい、?~1414)と死別した一休は、前年には師から「わしの持てるものはもうおぬしに傾けつくした」と認められてはいた。だが、謙翁は貧しい暮らしを徹底し、師の無因宗因(むいんそういん、1326~1410)からの印可証明(法を嗣いだことを示す証書)もなかった――なお、『一休和尚年譜』では謙翁が敢えて証明を辞退したと付記している。葬儀をする費用も無いほどだったという一休は、そのまま修行を続けることに懊悩していたようである。師と死別したために清水寺で参拝者が断食誦経する「参籠」を試みるが、清水寺のしきたりで大晦日から正月15日までは出来ないこととなっており、思い屈して母の下に話をしに向かう。再び清水寺を参詣したあとの一休について、『一休和尚年譜』応永21年[1414]条の記述を現代語に直して引用すると――   大津の宿に出ると、周建(一休の当時の名)が、よれよれの僧衣でしおれた青菜のような顔色だった(「黲納勃窣(さんのうぼっそつ)にして面(おもて)は菜色(さいしき)を挟む」)ので、地元民のひとりから「小僧さんどうなすった、お師匠に叱りとばされたか、それとも継母にいじめられたんかね」と言われるほどで、歳末にどこでもこしらえる餅がたまたま出来ていたのでいくつか食わせてもらった。そして石山寺で参籠し、ひたすらに自分の修行が堅牢な信念に基づいたもの(「道念堅勁(どうねんけんけい)」)になるよう観音像に黙祷し、7日間参籠した。或る日、そこを出発してさまよい歩き、瀬田川の橋に到り、「ここで水中に身を投げ、死なずにおれば観音菩薩の御加護の疑いないのがわかるが、惜しくも魚の餌にでもなっても来世に志は貫徹できるだろう。観音菩薩がお見棄てになるわけはない」(「吾、身を水中に投ぜん。若(も)し命の全(まった)からんことを得ば、則ち大士の加被(かひ)、疑い無からん。否なれば則ち魚腹に委(ゆだ)ぬと雖(いえど)も、他日必ず所志を遂げん。大士、豈に我を捨てんや」)と入水しようとした。その時、母の使いの者が抱きかかえてとどめ、「これで身をお棄てになっては親不孝ではありますまいか、いずれお悟りになられる日もございましょう、もう遅いとはお思いなすってはなりません」と説得した。一休は止むを得ず、京都におられる母の下へ戻ったのである――。    こうした入水未遂の経緯を国際的に知らしめたのは、ひとつは川端康成(1899~1968)のノーベル賞受賞演説「美しい日本の私」(1968)であろう。川端は、芥川龍之介(1892~1927)や太宰治(1909~1948)の自殺を取り上げたあと、一休の自殺未遂にも詳細に触れている。「もの思ふ人、誰か自殺を思はざる」と述べて、一休が親しみやすい僧のようで「実はまことに峻厳深念な禅の僧」であったとする。 天皇の御子であるとも言はれる一休は、六歳で寺に入り、天才少年詩人のひらめきも見せながら、宗教と人生の根本の疑惑に悩み「神あらば我を救へ。神なくんば我を湖底に沈めて、魚の腹を肥せ。」と、湖に身を投げようとして引きとめられたことがあります。【中略】そして『狂雲集』とその続集には、日本の中世の漢詩、殊に禅僧の詩としては、類ひを絶し、おどろきに肝をつぶすほどの恋愛詩、閨房の秘事までをあらはにした艶詩が見えます。一休は魚を食ひ、酒を飲み、女色を近づけ、禅の戒律、禁制を超越し、それらから自分を解放することによって、そのころの宗教の形骸に反逆し、そのころ戦乱で崩壊の世道人心のなかに、人間の実存、生命の本然の復活、確立を志したのでせう。 (『美しい日本の私』講談社、1969、19~20頁) これは日本文学史において卓抜した死の表象を川端独自の視点から語ったものであって、更にはエドワード・サイデンステッカー(1921~2007)という類まれな翻訳家によって英訳されたため、数多くのメディアで知られるものとなった。こうした一節は演説を終えてまもなくおとずれる川端の自殺をも想起させるが、何よりも一休の禅と文学をきわめて高く評価しているところが印象的である。  ただ、先に紹介した『一休和尚年譜』応永21年条の一節を、ここで改めて想い起して頂きたい。入水未遂に至る21歳当時の一休は、「黲納勃窣にして面は菜色を挟」んで餅の施しをもらうほどに憔悴しきっており、自分の「道念の堅勁なること」を石山寺の観音像に黙祷していた。たとえ恩師と死別したとはいえ、21歳の禅僧としてはいかにもひ弱で情けない姿ではないか。ただ、こうした姿が昨今のニュース報道のように広く目撃されたような傍証はない。当時これほど「情けない」姿であったと伝えるのは、まずは『一休和尚年譜』なのである。本来、年譜というものは師の優れた行実を記録する性格があるから、これを記述した直弟子の祖心紹越(そしんじょうえつ、?~1519)や没倫紹等(もつりんじょうとう、?~1489)が殊更情けない師匠の〈像〉を記録するというのも、俄には考えにくい。  そう考えると、このときの一休が「情けない」姿だったと知っているのは、外ならぬ一休自身だけではないのだろうか。ともすれば、一休は師を喪った絶望を、このような「情けない」自己として弟子たちに敢えて語って聞かせたのではないか。そうした師・一休の語りが、直弟子の受け取ったそのままの〈像〉として『一休和尚年譜』に記述されている、ともいえよう。それは、大死一番の問いに到るまでの青臭く「情けない」姿と、自分たちが深く関わってきた恩師の姿とを隔てる「隙間」があったことを意味するのではないか。その「隙間」を、直弟子たちは敢えて粉飾することなく示した――そのような推察も思い浮かぶ。とはいえ、こうした『年譜』の成立過程や記述意図はあくまで推察である。一休と弟子たちのあいだのみならず、『年譜』とその読者の我々とのあいだにもまた、「隙間」が残されているというほかない。  ここで、『一休和尚年譜』にある「隙間」は埋めるべきだ、と強弁したいのではない。その埋め方には、さまざまな方法があろう。「これほど弱弱しくなったとしても、最終的にはあれほど破天荒で卓抜した禅僧になったのだ」「助平な坊主として知られている一休にも、若い頃の挫折があったのか」などなど……。ただし、一休を極度に規格外で破天荒な禅僧と描くことを急いてはならないのではないか。後代の創作で「情けない」「人間くさい」姿が「立派な」姿として読み替えられることもあり得るが、その〈像〉の造型が過度に進めば、一休の実像からは否応なく乖離していくこととなる。そうしたアプローチの繊細さこそ、〈像〉の難しさであり面白さでもある。こうした「隙間」の埋め方そのものが、ひとつの文学として後代のメディアを賑わせもする。その点で、水上勉(1919~2004)の次の一節は、その代表例として今なお読ませるところがある。 誰しも21歳の一休の自殺未遂ときいて、あの和尚がと、不思議がらぬものはないだろう。だが考え直してみるとよくある話ではないかとも思う。よく人は青年期に急に死にたくなるような一日をもつものだ。一休和尚もぼくらと同じようにやわらかな心をもっておられたのだと思えばいいか。 母の使者なる人は誰であったかしらぬが、ずぶぬれの一休がたどりついた嵯峨野の庵では、母が待っていてくれていただろう。一休と母はどういう会話をしたろうか。簡略すぎる『年譜』の行間に、現代人のわれわれは勝手な想像を羽ばたかせるしかないが、いつの世も親にしてみれば自殺未遂の子の心理は不可解であったろう。いまの世の親たちもめぐりあう風景だ。 親に先立とうとした子をあわれまぬ母がどこにいよう。一休の母は烈婦でもあったから、やさしく説ききかせたか、それとも叱りつけたか。 (『一休を歩く』集英社、1991、60頁/初版はNHK出版、1988)  ここで「簡略すぎる『年譜』の行間に、現代人のわれわれは勝手な想像を羽ばたかせるしかない」と述べる水上は、正直である。水上の指摘通り、当時としては――いや、現代でも――立派な「大人」というべき年齢の一休を前に、実母は何か語り得るものがあったのだろうか。惨めに挫折した息子にかけるべきことばを探しあぐねる親の心境は、そうしたメディアを目にする我々に共感や自省をもたらしもするだろう。  少なくとも、『年譜』の記録に従えば、それからほどなく、一休は華叟宗曇(かそうそうどん、1352~1428)の祥瑞庵(いまの滋賀県大津市)に入門した。挫折を経て改めて求道に立ったのは確かである――それが母のことばで奮起した故かは、わからないことではあるが。 ***  或る卓抜した存在を語る文献を前に、その行動と末路が劇的であればあるほど、ひとつひとつの因果関係を「隙間」なく埋めなければならないと思わされてしまう。しかし、そうした「隙間」はムリヤリ埋めないことにこそ、ひとつの解釈可能性が見出されていくかもしれない。これは何も文献に限らず、ひととひととが互いを理解する際にも生じ得る「隙間」なのではなかろうか。  現代のようにメディアが接しやすいものになればなるほど、そのスピード感が速まれば速まるほど、そこに解釈の余地が見出されにくくなっていく。単純な理解を無理やりにでもつなげて、時間をかけて実態を捉えるよりも即断即決で対象のことを決めつけることもみられがちになろう。しかし、そこに拙速に埋めるべきでない「隙間」があり得ると意識しておくことは、はかならぬ我々自身が何者であるかを判断するうえでひとつの猶予をもたらし、定まりきらぬ将来の自己の〈像〉をより肯定的に探し求めていく契機にもなるような気がしてくる。 (いいじま たかよし 親鸞仏教センター嘱託研究員・花園大学国際禅学研究所専任講師) 他の著者の論考を読む...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

大根・仏教・メディア

アンジャリWeb版

『フリースタイルな僧侶たち』編集長

稲田 ズイキ

(INADA Zuiki)

「稲田さんは僧侶として情報発信をされてますが」

 

 ごくたまに取材などで初めて会った方に、このように言われることがある。いつも私はこの言葉にモヤモヤする。情報発信、うん、情報発信と言えるのだろうか。わからない。

 

 もちろん、判然としない言葉で語られるのは、自分が実態の見えない活動をしているせいなのだけど、なんだか渋い気持ちがする。この渋味はなんなのだろう。

 

先日のインタビュアーの方は、単刀直入にこう言ってくれた。

 

「稲田さんって、ぶっちゃけ何をしているのですか?」

 

潔い質問である。私はぽつぽつとこのように語った。

 

「『フリースタイルな僧侶たち』という雑誌の編集をしていたり、仏教にまつわるコラムを書いたり、エッセイ、小説、漫画の原作を書いたり、今はそんな感じですかね……」

 

「なるほど。それってつまり、なんなんですかね?」

 

言葉に詰まった。あちら側もすごく言いにくそうに質問をしてくれている。

 

 自分がやっていることってなんなのだろうか。たしかに、あまりにも漠然としている。ついうっかり「情報発信」と言いそうになる気持ちを抑えながら、頭の中を必死で駆け回り、うっすらと浮かび上がったある一つのイメージを言葉にした。

 

「なんか、大根を作って渡してる感じなんですよね」

 

明らかにインタビュアーは困惑していた。見事なまでになんの伏線もない、斜め上の角度から繰り出された大根に、言葉を失っていたのだ。

 

 案の定というか当たり前だけど、この発言は原稿ではカットされていた。でも、この支離滅裂な一言が、私の一番深いところからやってきた、濁りのない言葉であったのは確かなのである。

 

 ありがたいことに、この度は「メディアと仏教」について何か書いてほしいと、お題をいただいた。そこで、今自分が僧侶として、または一人の人間として、メディアというものとどのように向き合っているのか、決して無関係ではない「大根」の真意に触れながら、書いてみたいと思う。

 
 「情報発信」の言葉がここまで当たり前のものとして受け入れられるようになったのは、言わずもがな、SNSの登場が契機となっているだろう。
 

 現実の会話と異なり、Twitter、Instagram、TikTokなどのSNSを中心としたデジタル空間でのコミュニケーションの特徴は、特定の聞き手を不在にしたままに情報が送信されることにある。ゆえに、「発信」の側面だけが、今社会で躍り出ているといったところだろうか。

 

 私が「情報発信」というスタンスに違和感をおぼえるのは、その言葉が一方的な行いを指して使われるものだからである。コミュニケーションは、発信と受信の往復、そしてその主客の交代の連続によって成立している。

 

 だとするならば、「情報発信」というあり方を自分のスタンスとして置く行為は、絶えず流れるコミュニケーションの循環に石を置くような行為と思えて仕方がない。むしろ受信こそ私がやるべき仕事のような気がするのだ。

 

 このような自分のありたい姿と、僧侶という切っても切り離せない肖像とが、ぶつかってしまった出来事として象徴的だったものがある。それは私がまだ学生時代の話で、僧侶となって一年も経たない頃のことだった。

 

 映画監督の友達と、実家のお寺を舞台にした映画制作の企画を立ちあげた。登場人物に自分を含めた称名寺の家族全員、さらには近所に住む檀家さんのほぼ一家に一人に出演してもらうなどして、『DOPE寺』というミュージカル映画を作ったのだが、とある新聞社さんがその過程を丁寧に取材してくださっていたのだ。

 

 「なぜ映画を作ったのか?」と訊かれて、私は正直に「面白い作品が作りたかった」「来年から就職で東京へ行き、お寺を離れるから、生まれ育ったお寺や檀家さんたちと思い出を作りたかった」と語っていたわけなのだが、楽しみに待っていた新聞の見出しにはこのように書かれていたのだ。

 

「進む宗教離れ 檀信徒獲得のために奮闘する若き僧侶」

 

 これには、私も家族もがっくしである。本文を合わせて読めば、そう誤読もされないような内容になっていたのだが、わざわざ“そういうことではない”と取材中にも念を押していた文脈で語られてしまうことに驚いたのだ。

 

 担当の記者の方に尋ねると、「デスクにそのように修正されてしまった」と悔しそうにおっしゃっていた。そうか、そういうこともあるのだなと納得したのだが、これは裏を返せば、このように言えるのではないだろうか。

 

 デスク担当が自己判断できるレベルで、今僧侶が何か企画を立てるということが、檀信徒獲得(寺院維持)のためのアピールと当然のように直結していて、そうした寺院を維持するための行為は社会的に見ても正しいということの証である、と。

 

 私はこの新聞の見出しと情報発信という語り口は、根源的に同じものなのではないかと思っている。すべての活動が、社会的マイノリティの立場から自らのプレゼンスを上げるためのアピールとして、評価されてしまうということである。

 

 やや考えすぎかもしれないが、世間的に僧侶という存在を語る上では、こうした一つの文脈しか存在しえない、と印を押されてしまったような虚しさがあった。

 
 私が何か作品やコンテンツを作ったりするのは、「会話がしたいから」に尽きる。今回の原稿の内容に沿っていえば、発信と受信の循環を生み出したいのである。さらに大きなことを言うならば、聞き手を不在にしたまま、それでもたくさんのものたちと「会話」をする手段として、人類は「創作」という営みを発明したのではないかとすら思うのだ。そりゃいいすぎか。
 

 先述したように、情報発信者(つまるところの“インフルエンサー”と言えるだろうか)として己のスタンスを置く行為は、自分を発信者として権威づけ、受信者を受信者のままに固定する行為につながる。

 

 一方で、「創作」という営みの末に生まれた「作品」には、そうした主客の固定を促すような性質は少ないように思う。

 

 たとえば、私の大好きなバンド、BUMP OF CHICKENのボーカル・藤原基央さんは、自らの音楽をこのように語っている。

 

「たとえばその曲と聴く人の間に10歩距離があったとすると、そのうちの5歩分しか近づいてこないような音楽。残りの5歩分は、聴く人のほうが近づいていかなきゃいけない。そして、そうやって5歩分近づいていくということに意味がある音楽だと思うんです」

(『MUSICA』2011年1月号、p. 35)

 

 聴く者が歩み寄る5歩を、「解釈」と呼ぶのか「会話」と呼ぶのかは、人それぞれだとは思うが、私はこうした開け放された公園のような、受信者の能動性を促す営みを「創作」と呼びたいのである。

 

 はじめは作り手から発信されたものだが、生まれ落ちた瞬間には手放され、受信者の心の中でうごめき、たくさんの「会話」を生み出す。そこに、発信と受信の主客を分かつ線はほとんど存在しない。創作は、まだ見ぬ誰かと私をフラットな地平に置き、主客入り混じった会話をもたらすのだ。

 
 なぜそこまでして、私が「会話」にこだわるのか。それは自分が普段から何かを力強くプレゼンするよりも、人の話を聞いてうんうんうなずいたり突然ピコーンとひらめいたりしたいタイプだからということでもあるが、何よりも、私が大切にしている仏教という存在自体が、そうした「会話」が生まれ出る願いにあふれているからに他ならない。
 

 たとえば、悟りを言葉で表してはならない「不立文字」という真髄、さらには規範であるはずのお経が「如是我聞」の文言からはじまっていること、「私の教えは、川を渡るための筏(いかだ)のようなものです。向こう岸に渡ったら、筏を捨てて行けばよい」と語ったお釈迦様の言葉など、仏教は常に「私」へ向かって投げかけられ、「私」の返答を待ってくれている。そうした解釈の余地がそれぞれに委ねられているところこそ、仏教という道のメインストリートなのだと私は思っている。

 

 言い換えるならば、仏教を伝える際も、聞き手に解釈の余地が残されていなければならないと私は思うのだ。

 

 だからこそ、『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーの編集長を引き受けたときに、まずはじめに思ったのが「情報誌にはしたくない」という決意であった。次に、漠然とカルチャー誌のように仏教を語りたい意欲に沸き立ったとき、宗教と文化とは根本的に何が異なっているのかと問いを立てた。

 

 思えば、なぜ宗教と文化の間には分厚い壁があるように感じるのだろう。

 

 違いの一つとして注目したのが、言語領域と感覚領域の割合である。編集部では、宗教と文化を構成する要素のうち、言語化され万人に等しく共有できる智慧をナレッジ、言語化されず各々の感性に委ねられている智慧をセンスと、便宜上呼ぶことにしている。

 

 別に細かに検証したわけではないが、概観すると、宗教は文化に比べ、ナレッジが占める割合が大きく、文化はセンスの割合が大きいように思う。

 

 一方、先述したように、仏教は解釈の余白が個々人に開かれていたり、思想の核を言葉では表せないがために、他の宗教と比べてセンスが占める割合が大きいとも言える。

 

 このように見ると、文化と仏教を隔てている大きな壁は、実はかなり曖昧な設計であることがわかる。センスとナレッジといった画角で両者を眺めたとき、そうした分厚い壁は飛び越えて、全く新しい地平を拝むことができる可能性が垣間見えてくる。

 

 こうした経緯があって、私が編集長としてリニューアルした『フリースタイルな僧侶たち』のコンセプトは「古今東西のセンスをサンプリングし、新しいカルチャーを作る雑誌」としている。とは言っても、あまりにも独自言語すぎるので、「宗教と文化を横断する雑誌」と、今は説明することにしているのだけど。

 

 それもすべて、なるべく支配的なコミュニケーションを避け、できるだけ会話が生まれるような雑誌にしたいという私なりの仏教観を通した編集のつもりだ。

 

 「メディア」というと、拡声器のような、声を社会に大きく届けることをイメージする人も多いと思う。私もかつてはそのようにイメージしていた。

 

 しかし、新卒で入社した企業の代表(元『WIRED日本版』の創刊編集長)が、入社したばかりの私たちに「メディアはあくまで媒体(medium)であり、場なんだよ」と教えてくださったことをいまだに覚えている。

 

「メディアとは場である」

 

 私はあまりにもポンコツすぎてその会社を一年で辞めてしまったのだが、一年目というただでさえ正気を保てず限りある期間で出会った言葉のなかで、いまだ記憶から消えていない数少ない教訓の一つである。

 
 というわけで、
 

「稲田さんって、ぶっちゃけ何をしているのですか?」

 

という質問に呼応して、脳内を駆け巡ったのは、このような雑念なのであった。

 

 「創作である!」と胸を張って言えればよかったのだけど、どうしてもその言葉を背負える自信もなく、口からこぼれ出たのは、

 

「なんか、大根を作って渡してる感じなんですよね」

 

なのである。

 

 うちのお寺の檀家さんは農家の方が多く、大根だけではなく、お野菜、お花などのおすそわけを日常的にいただいている。

 

 自分が育てた大根を他人に渡す。物心ついたときから、すぐそばにある当たり前の景色ではあるけど、決して当たり前とは思いたくない美しい景色だと常々思うのだ。人の手と大根の間にある、あのなめらかな関係性を忘れないようにしたい。そのようにいつも思っていた。

 

 そんな記憶が言葉を濾過(ろか)したのだろうか。質問をされたとき、自分が世の中に出しているコンテンツや作品も、かつて檀家さんからおすそわけしてもらっていた大根のようであってほしいと思ったのだ。

 

 自分という一人の人間の身体や、仏教という2500年続く悠久なる思想を通して、一つのまとまった“何か”が自然と実る。まずはそれを形にすることで自分自身の空っぽを満たしている。

 

 その後におすそわけとして他者の手に渡すのだが、それは私の手から他者の手へ移動しただけのことであり、大それた目的だったり、ましてや市場なんて意識しちゃいない。発信なんかではなく、それは単なるおすそわけなのである。

 

 先述したように、僧侶を主体にした情報発信は、どうしても自己のプレゼンスを高めるためのマイノリティの叫びとして消費されがちだ。

 

 もちろん、必ずしもそれが悪いというわけではないが、少なくとも社会に自らの行為の意義を奪われたり、勝手に意味づけられたりしないように、私は身の回りの大切なものを一つひとつ確かめていきたいと願っている。

 

 その点、大根はすごい。私にとっては遥か大きな存在なのだ。

 

 思い出したことがある。小学校の美術の授業で、「大きな○○」という絵のお題が出て、クラスメイトの誰もが当たり障りなく「大きな太陽」だったり「大きな笑顔」の絵を描いているなか、私は「大きな大根」を描いたのだ。

 

 なぜあのとき私は大根を描いたのか。そして先日、なぜ大根と言ったのか。それはあんまり問うても意味のないことなのかもしれないし、もしかするとそうでもないのかもしれない。

 

 最後にみなさんに、この大きな大根の不思議をおすそわけしておくことにしよう。

(いなだ ずいき 『フリースタイルな僧侶たち』編集長

 著書に、『世界が仏教であふれ出す』(集英社)など。

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: