親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

上七軒猫町体験

親鸞仏教センター嘱託研究員

長谷川  琢哉

(HASEGAWA Takuya)

黒っぽいTシャツを脱いだ時にはもう朝焼け 照らされるイレズミはハートの模様だったかな?

(「TATTOOあり」MUKAI SHUTOKU)


 私が京都に住んでいた学生の頃の話である。大学院に進学する関係で健康診断書を提出する必要が生じ、病院に出かけた。自宅から遠くない場所にあったその病院はずいぶん古めかしく、大きな木製のドアと大理石調の柱が印象的だった気がする。とはいえ、町中のそれほど大きくない、地元の、特に年配の人たちの利用が目立つごく普通の病院であった。私は階段を登って二階にある受付に向かった。受診のために必要な書類を提出して、待合室のソファーに腰掛けた。これから先の大学院生活への期待や不安を漠然と感じつつ、自分の名が呼ばれるのを待っていた。


 ふとその時、強烈な違和感に襲われた。待合室の老人たちに交じって座っている、ひとりの若い女性である。見たところ10代後半から20代前半くらいの女性が私の目に入ったのだが、その女性は長く黒い髪をしっかりと結い(「日本髪」というのだろうか)、一見して普段着の、しかしそれでいてしっかりと仕立てられた上質の着物を着ていた。私の認識は混乱した。私の経験上、若い女性がいわゆる晴れ着の着物を着た姿を見たとこは、もちろん何度もあった。しかし普段着の着物を若い女性が着用し、しかも髪が本当に結われている。そのような若い女性を私は見たことがなかった。頭のてっぺんから足の先まで、現代的なものを一切身に着けていない時代錯誤なこの女性は、時間と空間を歪ませるに余りあるリアリティを有していた。どう見てもこれはコスプレではない。完璧に自然である。しかしなぜこの若い女性は、まるで明治か大正の世にいるかのようなスタイルで、平然と座っているのだろうか。病院の古めかしさと相まって、私は自分自身が今どこにいるのかも分からなくなるような強いめまいを感じたのだった。


 しかし次の瞬間にすぐに思い至った。この病院は花街である上七軒の近くに位置している。そうか、この女性はおそらく舞妓さんか芸姑さんのプライベートな姿なのだろう。あまりにも時代錯誤でありながら、あまりにも自然なこのスタイルは、彼女の職業的な事情を考慮すれば簡単に説明がつくものだった。真偽のほどは定かではないが、少なくともこの認識によって、私の日常は瞬時に回復された。そこは近所にあるごく普通の病院の一室に戻ったのである。


――その時、私は萩原朔太郎の『猫町』を思い起こした。モルヒネやコカインの薬物中毒患者である「私」が、健康のための散歩の途中にふとしたきっかけで方向感覚を喪失し、見慣れた街並みが全く見知らぬ街であるかのように見える錯覚を主題とした小説である。北陸地方の「K」という温泉地に滞在した「私」は、山道に迷い込んでたまたま小さな街に行き着くが、突然、街の様子が変化する。辺りにいた人たちが消え、猫、猫、猫、猫、猫、に覆いつくされるという奇妙なヴィジョンをわずかな間に見るという話である。


 私の京都の病院での体験は、『猫町』で描かれているそれと同種のものと言えるだろう。それは日常生活を転倒させ、まったくの異世界を垣間見させる体験であった。とはいえ、私の“猫町体験”への関心は、詩人である作者のそれとは異なるところもある。


 『猫町』では最後に荘子の「胡蝶の夢」が引かれ、「夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるか」という疑問が取り上げられる。そして最終的に、「理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない」(萩原朔太郎『猫町 他十七篇』、岩波文庫、1995年)という詩人のヴィジョンの実在性が強調されるのである。たとえ幻のようなものであったとしても異世界を垣間見たことは事実であり、そしてその異世界はどこかに実在するという詩人の確信こそが、この著作の主題となっている。


 これに対して、私が興味を惹かれるのは、むしろ非日常的体験の後に回復される日常性の問題である。私たちは確かに、この世の常識を引き裂き、転倒させるような強烈な体験をすることがあるかもしれない。しかし『猫町』で描かれているように、大抵の場合そうした体験は長くは続かず、一瞬で過ぎ去ってしまうに違いない。私たちは正気を取り戻し、今まで通りの日常に逆戻りするのである。もちろん、その一瞬が一生分のことを変えてしまうこともあるだろうが(「パウロの回心」はその典型例と言える)、その場合には、非日常的体験は意味づけられ、日常生活に組み込まれているはずである。そうでなければ、体験は現実に対して効果を与え続けることが出来ないからだ。


 このように考えると、私が先に記述した病院での体験も、現在の私が再構築した物語に過ぎない。体験は記憶の中で改変され、体験それ自体は幻の中に消え失せているのかもしれない。

(はせがわ たくや・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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