親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

「隔離」の残響

現代美術家・ホーメイ歌手

山川 冬樹

(YAMAKAWA Fuyuki)

 昨年から「隔離」という言葉を頻繁に耳にするようになった。

 この言葉を聞いて、わたしがどうしても想起せざるを得ないのは、ハンセン病をめぐる「絶対隔離」のことである。ここ数年、ハンセン病療養所に通い、回復者たちと密に関わりながらアートプロジェクトに従事してきた身からすると、この「隔離」という言葉を聞くたびに、どこか刃物で胸を突き刺されるような痛みを感じずにはいられない。さすがに最近は少し聞き慣れてはきたものの、この「隔離」という言葉が急にマスメディアで取り沙汰されはじめた頃は、思わず熱を出して寝込んでしまうほどだった。


 それはちょっと過敏な反応なのでは、と思う人もいるだろう。しかし果たしてそうだろうか? 確かにCOVID-19とハンセン病とは、同じ感染症とはいえ感染力も症状もまったく異なる病だし、現在のCOVID-19患者に対する医療政策と、かつてのハンセン病患者に対する隔離政策とは異なる。「隔離」という単語を辞書で引いても語義的には「絶対隔離」を意味しないし、第一わたしは隔離された当事者でもない。

 しかし言葉とは単に辞書に記された意味を機械的に伝達するだけのものではない。それはわたしたちが何を経験してきたかによって、さまざまな記憶やイメージ、身体感覚と結びつき、隠喩を含みながら流通する。むしろ人の心には直接的な意味よりもそこに含まれる隠喩の方が強く作用するもので、時に隠喩の方が一般化し、もともとの言葉の意味を変えてしまうこともある。


 例えば「癩(らい)」という言葉を辞書で引いてみると、それは病名の一つであり、すなわち「ハンセン病」のことだと記されている。しかしこの「癩」という言葉は現在、ハンセン病を引き起こす菌を意味する学名を除いて、一般的には使われていない。なぜなら古くから患者たちが差別されてきたなかで、もともと単なる病名だったこの言葉に、業病や天刑病、仏罰、不浄や穢れといったおどろおどろしいイメージがこびりつき、事実上の差別用語として流通してきたからである。

 「癩病」から 「ハンセン病」への改称の歴史を紐解いてみると、そこには言葉のイメージを解毒するための患者たちによる長年の闘いがある。 1952年、患者たちから成る「全国国立癩療養所患者協議会(全癩患協)」が政府に「癩病」を「ハンゼン氏病」と改めるように要望。翌年「全癩患協」は「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会(全患協)」へと改称するも、厚生省は「癩」をひらがなの「らい」に変更するのみに留まった。当初、全患協はドイツ語訳の影響で「ハンゼン氏病」と濁音表記を使っていたが、1959年、英語読みに近い「ハンセン氏病」に改称。さらに1983年には「ハンセン病」と改称し現在に至る。以後も厚生省や日本らい学会は「らい」という名称を使い続けたが、1996年のらい予防法廃止を受けて、晴れて 「ハンセン病」が正式な用語となった。


 「隔離」という言葉に話を戻そう。明治期、西洋由来の外来語を表す数多くの和製漢語がつくられたが、「隔離」という語もまたその一つである。同時期にハンセン病の撲滅が日本の文明化の条件とされ、患者の排除が野蛮の克服に重ね合わされながら、隔離政策が進められたことを思い出すならば、「隔離」という言葉は、生まれた当初から明治政府の絶対隔離政策と一体だったし、少なくともらい予防法が廃止される平成8年までは、「隔離」といえば長らく「絶対隔離」の意味をもって社会に流通する状況にあったと考えるべきだろう。そしてその残響は未だに消えていない。少なくともわたしの感覚ではそうである。

 感染症の拡大を抑えるためにはもちろん隔離医療をタブー視すべきではない。しかしそこで必要とされるのは、あくまで人権を最大限に尊重した上で感染者と非感染者を相対的に分離する「相対隔離」であって、患者を村八分にし、社会そのものから排除し隔絶する「絶対隔離」ではない。

 現在、 無らい県運動が繰り返されるかのようにして、ハンセン病患者や回復者たちに向けられてきた差別の矛先が、COVID-19患者に向けられている。ここで忘れてはならないのは、とりわけ戦後においてハンセン病患者をこの「絶対隔離」へと率先して追いやったのは、他ならぬわたしたち市民だったということである。ハンセン病差別の責任を負っているのは国だけでない。市民の責任も同等に重い。


 もしわたしたちが、 この「隔離」という言葉に響く村八分や、社会からの排除や隔絶といった、負の残響を聴きとることができないとすれば、それはハンセン病患者もろとも、己の記憶をも隔離へと追いやり、無責任に放置しながら忘れ去っていることの何よりの証しであるまいか。「隔離」 という言葉に対して感覚的に拒否反応を覚えているのは、わたしだけではない。回復者自身やその家族も同様である。その生に直接触れてしまったわたしが熱を出して寝込んだとしても、それは一個の身体が示す反応として過敏では決してない。むしろ社会の方が鈍麻なのである。


 真宗大谷派の僧侶でもあり、 絶対隔離が国策として推し進められるなかで隔離に反対し続けた医師、小笠原登はこんな言葉を残している。


学生来訪 我ガ癩 ニ対スル信念ヲ問フ 「平凡」ト云フ語ニテ尽キタリ

(1942年6月16日の日記より)


 ハンナ・アーレントは1963年に『イエルサレムのアイヒマン』のなかで「悪の凡庸さ」について語ったが、小笠原は近代社会において悪が平凡であるならば、善もまた平凡であると、アーレントに20年以上も先立って語っていた。小笠原の診療を受けた患者たちが、小笠原先生はいつまでも根気よく自分の言葉に耳を傾けてくれた、と口々に証言しているが、そこには軍国主義化の熱に連動して叫ばれる絶対隔離推進の声の只中で、ごく平凡な、等身大の身体感覚をもった一人の人間として患者の声に耳を澄まそうとする小笠原の態度がうかがえる。メディアがわたしたちの感覚を過剰に増幅しながら逆に麻痺させ、かつ感情を煽るポピュリズム政治が横行するこの時代において必要なのは、理性的であることとともに、この平凡な、等身大の身体感覚に立ち返ることなのではないか。

 かつて鶴見俊輔も言ったように、重要なのは年表に記されている「国家の記憶」ではなく、一人一人の身体に刻まれている「人民の記憶」の方である。わたしがハンセン病療養所に通い続けながら、アートプロジェクトを通じて回復者たちと関わり、また療養所入所者らによって営まれてきた文化芸術活動に触れてきたのは、まず何より「人民の記憶」を、自らの身体に刻みつけ、芸術によって闇の歴史を生の光で照らし出すためである。


 ここで稿を閉じたいところだが、最後にもう一つだけ付け加えておきたい。ハンセン病の歌人、明石海人をベストセラーに導き、ハンセン病文学の功労者とされる、医師で歌人の内田守人は、「文芸による癩患者の精神開放運動」という論文のなかで、以下のように書いている。


 抑も 救癩事業の二大根幹は『如何にして療養所内に多くの病者を入所せしむるや』と云ふ事と『如何にして一旦収容されたる患者を療養所内に安住せしむるや』と云ふ事であらう。此の後者の問題に就ては「治療」と「慰安」とがあり、「慰安」にも「肉体的慰安」と「精神的慰安」とがある。

 精神的慰安の中にも作業による慰安や大衆娯楽は暫く之を措き、宗教的慰安と芸術的慰安とは、病者の精神文化問題として対社会的に広大なる意義を持つものであると思ふ。

(『社会事業研究』第25巻第9号〔1937年〕、122頁)


 内田がここで隔離を首尾よく行うために、宗教と芸術の重要性を説いているのは興味深い。真宗大谷派には小笠原登のような僧侶がいた一方で、教団としての真宗大谷派は「救癩」を掲げながら絶対隔離に大きく加担した歴史がある。そして芸術もまた絶対隔離に利用されてきたことを忘れてはならない。ハンセン病療養所では患者・回復者らによって豊かな文化芸術活動が営まれてきた。最終的にそれは、患者・回復者たちの自由の発露となり、差別と闘うための剣となり、とりわけ文学は日本文学史において極めて重要な足跡を残すに至るが、そもそも療養所内の文化芸術活動は患者たちの反動を抑え込み、療養所内の秩序を維持するための鎮撫(ちんぶ)工作として、国が奨励し、施設側からのお仕着で始められたものだった。芸術と宗教は両者とも人の心の深くに作用するものであるからこそ、処方の仕方によっては薬になることもあれば、毒になることもあるのだ。

(やまかわ ふゆき・現代美術家、ホーメイ歌手)
視覚、聴覚、皮膚感覚に訴えかける表現で、音楽/現代美術/舞台芸術の境界を超えて活動。己の身体をテクノロジーによって音や光に拡張するパフォーマンスや、トゥバ共和国の伝統歌唱「ホーメイ」を得意とし、これまでに16カ国で公演を行う。現代美術の分野では、マスメディアと個人をめぐる声の記憶を扱ったインスタレーション『The Voice-over』、自らが発する「パ」という音節の所有権を、一人のアートコレクターに100万円で販売することで成立するパフォーマンス『「パ」日誌メント』(2011~現在)などを発表。ハンセン病療養所(大島青松園)での長期的な取り組みもある。 共著に『コロナ禍をどう読むか――16の知性による8つの対話』(亜紀書房)など。

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