親鸞仏教センター

今との出会い第248回

うかつな編者と乗代雄介さんとの出会い

 親鸞仏教センターに関わっていると、しばしば不思議な縁にめぐまれることがある。
 たとえば以前「今との出会い」のエッセイに書いた話だが、劇作家の嶽本あゆ美さんとの出会いはなんとも不思議なものだった。偶然私が入居したマンションの大家さんが嶽本さんの舞台を手伝っておられる方で、私の職場が親鸞仏教センターであることを知り、その時ちょうど公演が行われていた『彼の僧の娘』(大逆事件で処刑された高木顕明の娘を扱った演劇)を教えてくださったのだ。私はすぐにその舞台を見に行き、それを機に嶽本さんには『アンジャリ』にエッセイをご寄稿いただくことにもなった。


 私が『アンジャリ』web版に執筆のご依頼をした乗代雄介さんの原稿を受け取った時も、不思議な気持ちになった。
 気鋭の小説家として知られる乗代さんのお名前を私が初にお聞きしたのはいつだっただろうか。たぶん数年前に聞いていたラジオ番組でおすすめの小説の作者として紹介されていたのがきっかけだったように思う。何となく気になって乗代さんのデビュー作『十七八より』に遡って 読んだのだった。その時の感想として は、ずいぶんと描写力のある作者だな、という印象をもった。登場人物たちの状況を(時に過剰とも感じられるほどに)丁寧に描き、鮮烈なイメージを浮かび上がらせる手法が際立っていた。


 その頃乗代さんは芥川賞候補にもなっていて注目されていたが、あらためて私が乗代さんに強い関心を向けるきっかけとなったのが、2020年に出版された『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』だった。
 この本は乗代さんがデビュー前の高校生の頃から15年以上にわたって書き続けていたブログの文章をまとめたものである。私が書店で見かけた時、この本の帯にはceroというバンドのボーカルである高城晶平氏が推薦のコメントを寄せていた。ceroが好きだった私は、両者の意外な繋がりを知ったのもあってすぐに購入した。
 「創作」と題された前半パートには短編小説が数多く掲載されていたのだが、これが全く予想外のものだった。その作品はほとんどがシュールなギャグだったのだ。異常なシチュエーションにいる登場人物たちが異常なことを(当事者たちは極めて真剣に)行っていくといった雰囲気の作品が並んでいる。これらの作品を読みながら、私は何度も声に出して笑った。最初に読み始めたのが電車の中でなくてよかったと本当に思った。暴走する作家の妄想力に感化されて、それを真似た短編のシチュエーションを思わず考えてみたりもした(ずいぶん貧弱なものしか思いつくことはできなかった)。
 乗代雄介ってギャクも書けるのかと思いながら読み進めていくと、後半は「ワインディングノート」と題された全くトーンの異なる一連の論考がまとめられていた。大きなテーマは「読む」ことと「書く」ことのようだ。乗代さんが内外の小説家や思想家の作品を独自の視点で縦横に読みつつ、ご自身にとっての「書く」 ということを真摯に追求している。


 ここで正直に告白しよう。私はこの「ワインディングノート」での乗代さんの思索の真剣さと密度について、その時は十分に気がついていなかった。ただ自分にとってのいくつかのキーワードや固有名詞(デカルト、サリンジャー、宮沢賢治、cero、キルケゴール等々)、それ らを通して、著者の「書く」ことへの真摯さを読み取っていたにすぎなかった。おそらくは前半の「創作」の面白さに引っ張られ、「ワインディングノート」への注意を欠いていたのだろう。今から振り返ると、著者に対して大変に申し訳なく、恥ずかしい限りである。ところが散漫な注意力をもってしながら、私は何かを感じ取り、乗代さんに『アンジャリ』にご執筆いただきたいと思った。その時私に強く印象づけられたのは、一連の思索の最後の方に示されている「死ぬまで考え続け、書き続けること」というフレーズである。その真剣さがどこか祈りのようなものに通じているような気がして、乗代さんと『アンジャリ』はマッチするのではないかと考えたのだった。


 後日開催された編集会議で私は乗代さんを執筆候補として推薦し、承認された。親鸞仏教センターの紹介と『アンジャリ』のバックナンバーをいくつか見ていただいた上で、ご自由にお書きいただいて構いません、と乗代さんに執筆のご依頼をした。完全にダメもとでのご依頼だったが、思いのほかあっさりと引き受けていただいた。お返事には仏教や真宗に関心があるという言葉も添えられていた。
 それから数ヶ月後。乗代さんから送られてきた原稿のタイトルは「浅原才一に学んだ小説」というものだった。原稿には、真宗の妙好人である浅原才一のように小説を書きたいとずっと願ってきた、と書かれていた。


 私も「世界のような大きな口で世界の人をだま」すのをやめて、「世界にあるもの、みな」を「噓」でなく、自分や他を欺く術を使わずに書きたいと改めて思う。無論、書き言葉と話し言葉のあわいに居られた才市とはちがうから、いくらかの学問や思索を根こそぎ振り払うことなど不可能なのは10年前から承知していた。でもいつからか、せめて「何事も体験そのものの中から湧いて出る」ように書く努力をしようと考えるようになっていた。

乗代雄介「浅原才一に学んだ小説」(『アンジャリ』web版)


 おそらく読者のほとんどは、このエッセイが『アンジャリ』に掲載されたのは、編者があらかじめ乗代さんの浅原才一(もしくは仏教や真宗)への関心を知っていたからだと考えたのではないだろうか。しかし断じて違うのだ。私は乗代さんの意外なギャグ作家ぶりと、書くことへの真摯さ(およびその二つのギャップ)に惹かれただけなのだ。ご依頼の際には、乗代さんの仏教への関心には気づいていなかった。いやむしろ、仏教や真宗に直接関わりがなさそうに見えたからこそ、『アンジャリ』に書いてもらいたかったのだ。にもかかわらず乗代さんは、浅原才一のように小説を書きたいとずっと考えていたという。原稿を見た時、私はむしろ混乱した。真宗に関わるエッセイを書いてもらうつもりなど毛頭なかった。なのになぜ、まるであらかじめ予定されていたかのような原稿が上がってきたのか?乗代さんに原稿のお礼を伝えるメールにも、素晴らしい原稿をいただき大変ありがたいのと同時に、「率直に言って混乱しています」と書いてしまったほどだ。


 冒頭で述べたように、私はこの時本当に不思議な気持ちになった。自分が意識していなかったところで何がどう繋がったのか。私は、なぜ乗代さんにご依頼しようと思ったのか。この問いは原稿を読んだ後に私に重くのしかかってきた(編者としてこれほど無責任な問いはないだろう…)。そうしてあらためて「ワインディングノート」を読み直したのだった(これも本当にひどい話である…)。
 精読しはじめてすぐに、これは大変な思索だと気づいた。まだ小説家になる前の乗代さんが十代の頃から書き溜めていた六冊のノートには様々な本からの引用があり、ブログにおいてその膨大な引用の一部を使いながら一連のテーマが展開されていた。「ワインディングノート」とあるように、曲がりくねった道を行きつ戻りつしながらも、一つのテーマが粘り強く追求されているのである。そのテーマは「読む」 ことと「書く」 ことについてであった。あるいはむしろこういった方がいいかもしれない。まだ何者でもなかった乗代青年が、たくさんの読書を通じて〈小説家として書く〉ことに真摯に向き合いながら、やがて『十七八より』で群像新人賞を受賞して小説家としてデビューし、「死ぬまで考え続け、書き続けること」といった境地へと至る、数年間の思索の過程が記されている、と。


 ブログで展開されていた高密度な思索が、一冊の本として出版されたのは非常に価値あることだと思う。とはいえ、私には乗代さんを対象とした作家論などあまりに恐れ多いので、本稿のささやかな、いや、編者として無責任な問いに戻ることにしよう。私はなぜ乗代さんにご依頼したのか?無意識のうちに、乗代さんの真宗への共感を読み取っていたのだろうか?
 「ワインディングノート」を再読すると、関連する主題は確かに示されていた。一連の思索は、柄谷行人の『言葉と悲劇』から引かれた「故郷を甘美に思うもの」と「全世界を異郷と思うもの」との対比を出発点としている。後者は「あらゆる共同体の自明性を認めない」態度とされ、乗代さんはさまざまな作家や思想家にその態度を見出している。しかし同時に、特定の言語を用いて書くという行為そのものが、「共同体に属することを証明して」もいるという。つまり、共同体の価値観や習慣を相対化しながらものを書く小説家であっても、共同体の価値観や習慣から離れて生きていくことは決してできないということだ。そうである以上、「故郷を甘美に思うもの」と「全世界を異郷と思うもの」の二極に引き裂かれた状態を徹底的に意識することが、小説家として唯一の誠実な姿勢であると乗代さんは考えている。言いかえれば、共同体への帰属性に対するアイロニカルな態度こそが、小説家にとって不可欠なものだということだろう。

 こうして乗代さんは上記の主題を、自身に浸透している文化的影響をどこまでも意識しながら新しいものを書くという課題として追求していくことになる。ここから先の思索は非常に興味深く、ぜひ一読していただきたいところである(とりわけ、いがらしみきお『IMONを創る』を論じた箇所は秀逸である)。
 ところで、私が読んだ限り「ワインディングノート」の思索は、『十七八より』によって乗代さんが小説家としてデビューしたあたりで、強調点に若干の変化が見られるように感じた。たとえば次のような一節がある。


 僕は、読書が歓びをもたらした場合、それは自分が揺さぶられるのではなく、例えば「文学」が揺さぶられているのだと思うようになり、それを歓びとして読むようになりました。自分の感動なんかより、何千年の歴史を持ち、数え切れない先人達が積み上げてきた「文学」の変動を感じる方が、ずっと大事なことだと思うようになったのでした。

乗代雄介『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』、528頁。


 これまで強調されていたのが〈共同体の価値観に浸透された自己意識を徹底的に反省しつつ書く〉ことだったとすれば、ここではむしろ、〈そうした自己意識を飛び越えて書く〉ことへの志向が表れている。そしてここまで読んでくれば、乗代さんが『アンジャリ』で書かれている「何事も体験そのものの中から湧いて出る」ように書くという浅原才一への共感も明白であるだろう。以上をふまえた上で乗代さんの「浅原才一に学んだ小説」を読んでいただけたら、その思索の一貫性と展開の筋道が理解できるに違いない。


 さて
問題があるとすれば、私がそれらにはっきりと気づくことなく乗代さんに執筆のご依頼をしたことである。私はうかつな人間である。しかし乗代さんのエッセイをあらためて読むにつれ、うかつさが価値を生み出すこともあるのだな、とも思うのである。そしてそのことが、寺院出身でもない私が、研究員として親鸞仏教センターにご縁をいただいていることの本質であるような気もしてくるのである(とはいえどんなに素晴らしい結果を生み出したとしても、編者としての私の罪が免除されるわけではない)。

2025年4月1日

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