親鸞仏教センター

今との出会い第251回

「懲らしめ」と「立ち直り」

SHIGETA SHINJI

 1907年といえば、年初に日露戦争後の恐慌が始まり、自然主義文学の傑作として名高い田山花袋『蒲団』が発表された年である。それ以来、実に118年ぶりのことだという。

 このたび6月1日に施行された、新しい「刑法」のことである。1907年に現行の刑法が制定されて以来、初めて刑罰の種類が変わり、「拘禁刑」と呼ばれる刑罰が新設された。これまで、刑事施設への拘束をともなう刑罰のほとんどは、労働(刑務作業)を義務とする「懲役刑」であった。この懲役刑と、(ほとんど形骸化していた)禁固刑を一本化して、新しく「拘禁刑」が創設されたのである。

 この小文を書いているのは、5月下旬。改正を間近に控えて、世論もそれなりに賑やかになるかと思っていたが、そのような声はあまり聞こえてこない。118年ぶりに私たちの刑罰が変わるという、まさに歴史的な節目にもかかわらず、である。

 刑法・刑罰・懲役・拘禁などというと、どれもお堅い制度の用語として、私たちにはどこか縁遠いものに感じられるのかもしれない(そもそも刑法が「表記の平易化」をめざして口語体・ひらがな表記になったのも、ようやく1995年のことだから、それも無理はない)。

 しかし、今回の刑法改正の眼目は、実は「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の目的を明確化することにある。たとえば刑事施設では、懲役を義務としないことで、薬物や性犯罪等の矯正プログラム、あるいは医学的な治療などを受けられる機会を大幅に増やすことも可能になる。これまでの懲役が、まさに文字どおり「懲らしめ」のための労働を科していたのに対して、これは大きな変化だろう。

 もちろん「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の目的がねらいどおりに転換するかどうか分からない。古くは“勧善懲悪”、21世紀に入っては“自己責任”と、犯した過ちに対する責任を問い、応分の処罰を求めてきた私たちの社会が、「懲らしめ」からどれだけ離れられるのか、今のところ未知数だろう。

 また「懲らしめ」と「立ち直り」は、法や刑罰の世界に限られるものではない。家庭や教育、あるいは職場をはじめとする社会組織など、人と人とが寄り集まり、何かしらの規範やルールが成立する集団では、さまざまな「懲らしめ」と「立ち直り」、そして両者の間での揺らぎや葛藤が存在するだろう。子どもの成長を長い目で見守る親でありたいと願いつつ、家庭のルールを破った我が子に対して、つい声を荒げたり、ペナルティを科したりするのも、私たちの日常にありふれた光景であろう。

 去る5月17日、東京都内のとある場所で、モンゴルの元大統領・エルベグドルジ氏の講演を聴く機会があった。モンゴルで、2017年に死刑制度の廃止を実現したことで知られる人物である。当時モンゴルでは国民の8割以上が死刑制度を支持していたが、それを政治判断で廃止した経緯などが語られ、興味深く聴いた。

 氏は、どうして日本では今でも死刑が存続しているのか、その理由を聴衆の私たちにききたがっていた。「懲らしめ」から「立ち直り」へと、刑罰の理念を変えていこうとしている日本の現在。「懲らしめ」の最たるものであり、「立ち直り」を一切認めない死刑制度について、私たちはこれからどのようにその必要性を説明することになるのだろうか。「立ち直り」を支え、それが可能な社会を本気で目指そうとしているのか、私たちの覚悟が問われているのだと思う。

親鸞仏教センター嘱託研究員、東北大学大学院国際文化研究科, GSICSフェロー。
明治学院大学、中央大学、日本大学、東京医療保健大学、各非常勤講師。
早稲田大学台湾研究所招聘研究員。

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