親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第205回「次の日常」

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 私の住む日立市には「いきいきひたち100年塾」という組織がある。生涯学習を市民で盛り上げていこうという取り組みであるが、その市民教授に今年登録を済ませた。「仏教」と「絵本」の二つを登録し、市民の方々と学びを通じての交流をはかったのである。また、お寺では新しい取り組みとして「法話とコーヒーの会」を立ち上げた。もともとコーヒーが好きだったのだが、地元の若手コーヒー焙煎士とご縁ができたことが、この会の始まりだった。法話の後に焙煎士の淹れるコーヒーと、私の作るスイーツをいただきながら、御門徒や一般の方々と語り合う会だった。また、保育園の方では全国に何カ所か研修に呼ばれており、それらを楽しみにしていた。地元の街に目を向けると、商業施設が完成し、久しぶりに映画館ができるとあって賑わいが期待されていた。このようにたくさんの予定があった2020年であった。


 しかし、そのどれもが無くなった。

 正確に言えば予定通りには進んでいない。 新型コロナウィルス感染症の流行により、私も世の中もそれどころではないのだ。


 中止となった会もある。賑わいを取り戻すはずだった商業施設は閑散としている。「こんなはずじゃ…」と何度も心で思う。そして今私は予定外の行動――こまめな手洗い、毎日着けるマスク、人混みをさけるなど――を新たな習慣としている。習慣が日常を作るのであれば、私は新たな日常を生きていることになる。

 多くの方が今回の感染症拡大を通じ「どうなるんだろう」という不安にかられている。それは学校に行けない不安でもあろう。仕事がなくなる不安でもあろう。自分が感染したらどうしようという不安ももちろんある。具体的に言えば、生活が成り立たない不安である。抽象的に言えば、日常が変わってしまう不安である。その不安はどこに由来するのかと言えば、「生きていけない」という思いにその源泉があると言えよう。


 しかし神学者であるパウル・ティリッヒが『生きる勇気』で「恐怖」と「不安」を分けて論じていたことは参考になる。ティリッヒによれば恐怖とは「一定の対象」をもつものであり、「人間はそれに対してはたらきかけること」ができるものである。それに対して「不安」とは対象をもたない。それは「あらゆる対象の否定」である。よって何ら働きかけることはできない点で両者は異なる。


 恐怖は、ある物ごと、たとえば苦痛とか他人や社会からの排斥とか、ある人や物を失うとか死の瞬間とか、を恐れている。しかし、これらによる脅かしの予想においてわれわれを恐れさせるものは、それら具体的な物ごとによって主体にもたらされる否定性それ自体ではなく、むしろこの否定性のなかに潜在的に含まれている何かに関する不安なのである。

(パウル・ティリッヒ著/大木英夫訳『生きる勇気』平凡社ライブラリー〔1995〕、64頁)


 この言葉に倣えば私が、あるいは私たちが感じている上のような思いは「不安」ではなく「恐怖」だろう。確かに上記の出来事は深刻な精神の不安定さをもたらすが、経済的支援や学校再開などである程度は対処可能な領域である。それに対して不安の原因は「無」という私たちへの「脅かし」なのである。つまり、私たちが日常的に大切にしているものは虚無の上に成り立っていることを潜在的に感じることが不安の原因なのではないか。それは無意味さの痛感であり、そこへの抗いが私たちをより不安にさせるのだ。


 それは「死」さえもそうである。ティリッヒによればそれが「恐怖」である場合には「病気とか事故とかによって生命を奪われること」への恐れである。しかしそれが不安である時には「死のあと」にまちうける「無」が原因なのである。

(前掲書参照)


 私たちは今回の新型コロナウィルス感染症の拡大を通じ、様々な苦悩や心配を経験している。いつ「しゅうそく」(この場合は感染症が消滅する「終息」ではなく沈静化する「収束」が適当であることは歴史が教えるところである)するかわからない日常を過ごしている。「新型コロナ流行前の日常には戻れない」と識者は言うが、ならば次に訪れるのはどのような日常なのか。それは虚無をより強く覆い隠そうとする日常なのか。それともこれまでの生き方を反省する日常なのか。おそらく前者だろう。しかし、虚無を潜在的にでも経験したことを私たちの体は忘れることはない。そもそも虚無が潜んでいるとはいえ、生きることをやめることはできない。ならば、いつか訪れる「次の日常」を過ごす鍵は何か。それはティリッヒの言葉を再度借りれば「それにもかかわらず in spite of」生きていくという、「生きる勇気」なのだと思う。

(2020年6月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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