親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第176回「自分との対話」

親鸞仏教センター嘱託研究員

法隆 誠幸

(HOHRYU Tomoyuki)

 先日、よく知る税理士の方から、ある図書館が閉館したという話を聞いた。その図書館とは、子どもたちが本をいつでも自由に手に取って読めるようにと、お寺が施設内の一部を開放していた、いわゆる「子ども図書館」である。様々な事情が複層的に関係しているようで詳細は不明だが、何年かぶりに入った税務調査も関係しているという。


「それにしてもお寺というものをわかっていないよね」


 一体、税理士の方が誰に対し、何を想いながらそのようなことを言ったのかはわからないが、その場の私は「そうですね」とだけ応じて、頭の中ではしばらく前に妻から聞いた、一人の少女の話を思い出していた。


 小学生だったとき――彼女は、私が預かっているお寺の子ども会によく参加してくれていた。確か、管理職としてフルタイムで働く母親と二人暮らしだったと思う。おだやかな性格で、口数は決して多くはなかったが、「よく来たね」と声を掛けると、はにかみながらほんの少し頭を下げてくれる、そういう少女だった。しかし、中学に進学して勉強や部活動が忙しくなったからなのか、夏を迎えるころにはすっかりお寺に顔を見せなくなっていた。その彼女が秋の、ある日の子ども会にふらっと顔を出したのだ。朝から弱い雨が降りつづく、薄暗くなり始めた夕方のことだった。


「今日は子ども会じゃなくて……。本、読んでいっていいですか?」


「久しぶりだね、どうした?」と聞いた妻にそれだけ言って、彼女は、乳幼児向けの絵本から中学生向けの物語、歴史関係の本などが並べてある本棚からおもむろに一冊を取り出し、カーペットに座り読み始めたそうだ。案の定、遊んでもらえそうな相手を見つけたとばかりに、低学年組は「ねえ、ねえ!」と話しかけていたようだ。

 実は彼女の家も、通っている学校も駅の向こう側、お寺とは逆方向にある。近くには広くて新しい図書館だってある。カフェや公園が併設された、ファッション誌やマンガ本なんかも置いている、充実した設備の図書館だ。そこに行けば、はしゃぐ子どもたちの声はもちろん、誰かに話しかけられるということもないはずなのに。


「きっと、居場所がなかったんだよね」


 その場にいなかった私だが、妻のその言葉には同感だった。「家か学校で何かあったみたい。いつもの感じじゃなくて……。読んでいるようで、読んでいなかったんだよ、本」「それで、何か声を掛けたの?」「ううん、何も言わなかった。でも、最後に『ありがとうございました』って言って、帰っていったよ」


 何をするということもなく、ただ傍らにいる子どもたちを見ながらお寺で過ごした時間は、彼女にとってどのようなものだったのだろう。やり場のない気持ちの自分と、彼女は何を話したのだろうか。


「『また来ます』って言っていたから……お寺、頑張らないとね」


 無邪気な子どもたちに声を掛けられた、ためらいながら、無理に微笑みを浮かべている、そんな少し大人になった彼女の姿が思い浮かんだ。

(2018年1月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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