親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Interview 第15回 池見澄隆氏「中世の世界観と死生観──冥・顕と死後再会──」前編

元佛教大学仏教学部教授

池見 澄隆

(IKEMI Choryu)

Introduction

 中世人の世界像を考えるうえで、「冥(みょう)」と「顕」の世界、すなわち見えない/見える存在の重要性が指摘されている。今日のわれわれは、見える世界にばかりとらわれがちであるが、見えない存在──中世においてはこれを「冥衆(みょうしゅ)」と呼ぶ──の存在感が肥大化していくのが中世の世界観の特徴だと言える。こうした冥/顕の世界観を知ることは、中世の思想を知るうえで基礎的な視座となるが、同時に見えない存在と対話する人間の精神世界を知るうえでも現代に訴えるものがある。

 今回は、特に冥/顕の世界観が中世における死生観、特に死の問題に与えた影響について、『中世の精神世界─死と救済』(人文書院)や編著『冥顕論─日本人の精神史─』(法蔵館)などで中世の精神世界を長年論じてきた池見澄隆氏にお話をうかがった。

(中村 玲太)

 

【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】

──池見先生は、中世の精神世界の切り口として「冥顕論」について論じられています。

 

池見  「冥顕論」について少し説明しますと、こちらから向こうは見えないけれど、向こうからこちらは見られている、という眼差しの齟齬(そご)性、世界認識の非対称性が中世の世界観を考えるうえで重要です。慈円の『愚管抄(ぐかんしょう)』は冥/顕を重視した歴史書ですが、人間の眼に見えない「冥衆」の存在が種々に論じられ、その力(冥利・冥罰)が重視されています。人間の眼には見えないけれども、見られており、しかも見られていることを実感している、一方的な被透視感覚が、私の強調したいところです。明るい世界(顕)から暗い世界(冥)は見えませんが、暗い世界から明るい世界はお見透しです。この状況は不安の極致、心細い境地におかれるわけです。

 この世界観を如実に表すものとして、例えば『餓鬼草子』が挙げられます。そのなかの「伺嬰児便餓鬼(しえいじべんがき)」には、背後から赤子の糞便を食らおうと現れる餓鬼が描かています。その餓鬼の姿に誰も気づきません。しかし、餓鬼からは顕界が「見える」、丸見えという構図になっています。このような構図はほかにもあります。

 中世で最も肥大化した世界観というのが、われわれの世界というものは向こう側のもっと大きな世界に圧倒されている、のしかかられている、というような世界観で、しかもこちら側からは見えないのに、向こう側からは見られている。神々であれ、仏菩薩であれ、さらには死者、怨霊(おんりょう)、魑魅魍魎(ちみもうりょう)など、こういったものから見られている。これが冥/顕という世界観です。

 

──「冥顕論」とは、ご説明いただいたとおり、いわば一つの世界観とも言うべきものです。一方で、中世の精神世界についてアプローチするなか、死と救済の問題も一つの切り口として論じられているかと思います。冥/顕の世界が中世の人に大きな影響を与えているということですが、死生観にはどのような影響を与えているのでしょうか。

 

池見  他界観と死生観の関係は、死後の世界を他界とよぶことに端的にみられます。

 では、冥顕の話と死生観がどう関係するのか、ということですが、その前に死生観の特質性を考える必要もあろうかと思います。死の歴史というのは、千年の長きにわたってようやく変化が見えてくるものです。これが政治史などとは違うところです。政治は明確な画期、エポックが小刻みに刻まれます。だけど心性史は五百年、千年くらいないと特色がわからないくらい緩やかに流れます。幕府が滅びたから死生観が変わる、ということも基本的にはないでしょう。第二次世界大戦前後を見ても死生観自体はあまり変わっていない、という見方もできるのです。私はこのような立場で考えたいと思います。

 また、死生感覚を見ていくときに、学識ある聖職者と、仮に一般民衆と言いますか、それらとの共通基盤を見いだす必要がある(フィリップ・アリエス)。法然、親鸞、日蓮などの祖師と言ったような人たちと大衆とのどこに共通な要素があるのか。彼らの著作のなかでも、書簡、あるいはそれに準ずるような法語の類は、教学的理念とは異なる私的情念があふれています。私的情念の部分に何か死生観のうえで人々が共有する基盤があるのではないか、そう思うのです。

 さて、死生観ないし死の問題は今まで個人の死、個体の消滅という点でのみ、語られました。しかし、個人の死は、実は人間関係の断絶を意味します。したがって、古来、死という悲苦を私的情念のレベルで根本的に解決する道は、人間関係の再生に求められました。

 そこで、死生観を考えるうえで注目したいのが「死後再会」ということです。死後において再会を願う思想です。死後再会というのは、古くは往生伝や源氏物語、平家物語。やがて説教浄瑠璃(せっきょうじょうるり)などに言われます。それに先だって言うべきことは、法然や親鸞、日蓮などの祖師たちにも死後再会の願望が明確に見られるということです。

 有縁の死者(夫婦・愛人・親子・友人)との再会願望です。それは、一人きりの死ではない、死後の共生を言うものですが、これは近代的な「個」の救済でもなく、「共同体」の救済でもなく、人間関係の救済──私はこれを「人倫の救済」と言います──への欲求が死後再会願望です。

 

──法然等は具体的にはどのように「死後再会」について述べているのでしょうか。

 

池見  法然は、「浄土再会」というような仏教用語を用いて死後再会を親しい者に解き勧めます。「正如房(しょうにょぼう)へつかはす御返事」で、病床の正如房に対して、

 

ツイニ一仏浄土ニマイリアヒマイラセ候ハムコトハ、ウタガヒナクオボエ候。  カシコニテマタムトオボシメスベク候。

 

正如房という特定具体の女性に、向こうで会いましょう、それができるのだからそれを信じなさい、ということを強調しています。法然の私的情念がさく裂しているのです。浄土観で法然を批判した日蓮も、私的情念のレベルでは法然同様、信徒への書簡で死後再会を述べています。

 また、親鸞は、これ自体が近代的解釈の一側面なのかもしれませんが、「現生正定聚(しょうじょうじゅ)」、現生での救済に言及し、臨終待つことなしとおっしゃったことが強調されますが、一方、親鸞が手紙のなかで、先立った人に対して、

 

かならずかならずさきだちてまたせ給候覧。かならずかならずまいりあふべく候へば、申におよばず候。

(『御消息拾遺』)

 

と浄土での再会を強調しています。法然、親鸞、日蓮、一遍など教学理念上での浄土観で相違するところも少なからずありますが、こうした「死後再会」というものが共通して言われています。教学的な浄土観で違いはありますが、私的情念では共通の情念としてとらえる必要があるのではないでしょうか。私的情念を吐露した文言のなかに、死後再会という共通のワードが明らかにみられます。

(文責:親鸞仏教センター)

後編へ続く

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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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