親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Interview 第18回 森岡清美氏「軍師・井上豊忠——白川党の研究をめぐって——」後編

東京教育大学名誉教授・社会学者

森岡 清美

(MORIOKA Kiyomi)

Introduction

 宗教と家族との関わりから社会学の新しい地平を切り開いた森岡清美氏。これまで日本の家族社会学の土台をいくつも築いてきた森岡氏の研究は、真宗教団を「家」としてとらえたことから出発している。

 その後、キリスト教や新宗教など、さまざまな宗教集団を研究してきた森岡氏は、いま再び真宗を対象に据え、2016年9月、吉川弘文館より『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー』を刊行された。本インタビューでは、森岡氏が井上豊忠研究に至った経緯と成果、及び人間と社会をめぐる森岡氏の研究史とさらなる展望を語ってもらった。

(大澤 絢子)

 

【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

森岡  昭和26年のはじめ、奥能登の真宗の寺の社会構造を調べました。そこに本坊と子寺という真宗の社会構造の原型のようなものが残存しているのです。

 末寺は本寺に、政治的に従属していますが、経済的には独立しています。檀家をもっているため独立できる。経済的にはほぼ独立しているけれども政治的には本寺に従属というのが末寺なのです。ところが子寺というのは、経済的にも従属しています。檀家をもたず、本坊の境内のなかに住んでいるのです。本坊の境内のなかに住んでいるから寺中(じちゅう)、あるいは塔頭(たっちゅう)と言います。

 本坊が親、子寺が子どもだと仮定すると真宗の構造がわかる気がしました。真宗教団は大きな寺の構造を、大きくしたものだからです。したがって、私の発想の元は同族研究です。しかし、同族研究は他宗だとやややりにくいのです。他の宗派では、子孫相続になる前から師匠と弟子の関係、これは親と養い子の関係です。これも家とみて良いのですが、同族団になぞらえて研究する場合、一番見やすいのは妻帯して子孫相続をしていく真宗のほうです。そのような視点から真宗教団の研究をしたのです。小さいころから真宗のお寺の雰囲気はよく知っていて、自分がなじんだ空気でしたから、親近感をもって、何の違和感ももたずにどこへでも出かけていったのです。

 

 

井上豊忠を研究するに至った経緯

 

森岡  そうした同族団の構造論で研究をやってきたのですが、個人の信仰に光が当たっていないという批判もありました。しかし、私は個人の信仰を明らかにしようとしたのではないから仕方がないことだと思っておりました。社会学だからそれでいいとは言えるけれども、やはり問題が残ります。

 しかし、個人に光を当てるには、どのように資料を扱えば良いのかわかりませんでした。個人的資料というものには、昭和20年代中ごろから注目しておりましたが、それが真宗教団の研究にどのように使えるかについてはよくわかりませんでした。

 井上遺文を入手してから、組織や構造よりは、「人間の関わり」を研究する「コンボイ」という概念に注目しました。それが橋渡しですね。コンボイとは、一緒に旅をする道連れであり、一緒に旅をする船団のようなものです。「集団」という場合には、とらえる時間が短いですが、それに対して「コンボイ」は長いのです。ライフコースの研究との関わりで「コンボイ」の概念に出会い、それを活用しました。

 私はもう実地調査などは行けませんから、文献研究でやるしかないと思いました。、明治維新を作った松下村塾の仲間が「コンボイ」なのです。それで次に同志社を軌道に載せた熊本バンドを扱って、札幌バンドなどもみな文献で扱いました。

 しかし、それをやっているうちにつまらなくなったのです。というのも、私のところには原資料がない。たくさんの文献を引用しても、どれが一番の典拠かわからず、原資料を見ていないということが致命的な欠陥となりました。原資料を見ますと、今までの人の理論を批判できます。見方が違えば、私ならこう読むということができるのですが、原資料がないままやってるのでは限界があります。

 そこで、井上豊忠が住職を務めていたお寺に電話したのです。事情を話して、探してみましょうとおっしゃっていただきましたが、老体だから行けるようになったときに行きますと電話を切ったら、後日、大きな箱に日誌と関係文書、向こうが重要だと思ったものをたくさん送ってきてくれたのです。それで火がついて、40冊の日誌だけでも大変でしたが、日誌はあらかたコピーし、日誌に関連する文書もコピーしました。

 重要なものだから早く返さなければと思い、一月の間、一週間に一回くらいコピーを5、600枚くらいづつ取りました。井上遺文は普通の紙ではなく、透き通るくらい薄い紙なので、間に紙を一枚一枚はさんでコピーをとりました。へたすると元の紙を切ってしまいそうになるので、切らないように注意して、コピーを全部で4~5000枚は取りました。

 コピーした後に井上さんのお寺にお邪魔したのです。そうすると、清沢から来た手紙も残っていて、それを『清沢満之全集』と照らし合わせました。『全集』を編んだ人は非常によく原文を読める人ですが、読めずに残してあるところが読めたり、読み誤りもはっきりしたりしました。また、非常に重要なところで文章が抜けていたりしましたので、引用する際、全部直しました。『全集』として残す以上はもう一度確認して誤りはなくしたほうがいいでしょうね。

 私も昭和20年代には、そういう資料を目の前に置かれても分析方法がわかりません。しかし今は、日記をどうやって分析すれば良いかは学んできていますから気をつけて読むことができました。また、日記には忘れて書かなかったことや、あるいは思いつかなかったことなどはあります。他の資料とつきあわせて十分注意して読まなくてはなりません。

 

 

井上の個人の思考と真宗の教えとの関連性

 

森岡  井上は清沢から随分と薫陶を受けております。白川党の連中は、教義が問題ではなく、宗門の寺務所のやり方がおかしいからそれをやめろと言っていたのです。宗門政治を良きものに変えたいのだと。真宗本来の教えからの逸脱はまったくないと思います。

 ただ、井上は普通のお坊さんとは非常に異なっています。普通のお坊さんは自分の寺を守れば終わりです。しかし、彼は地域の活動をたくさんするのです。そして、よく勉強する人です。朝早く起きて、また寺に帰ってからも勉強するのです。新しい書物を取り寄せて、よく読んでいます。この人は自分の寺の住職には納まらないで、近所のお坊さんに声をかけて、他の宗派の僧と仏教会を作って講話会、研究会というか勉強会のようなことをしています。彼は真宗だけではなく、他の宗もたくさん勉強しているから他の宗のお坊さんとも話ができたのです。普通の真宗のお坊さんだったら、自分の寺で住職として、法事と寺役をすればいいのですが、彼の場合はいろいろな人と話をする素養がありました。本当にいろいろな本を読む、白川党が解散した後も清沢が良いといった本を買って読む人でした。

 

 

他に研究したいこと

 

 私はいろいろな誘いがあってキリスト教や地域の神社、新宗教などの研究もやりましたけれど、今考えてみれば、そのようなことをやらないで真宗一本でやれば良かったかもしれぬと思います。

 例えば、北海道開教の問題、いろいろな人が集まってきてできた真宗寺院の問題。北陸や山陰地方の寺は、移民について北海道へ行ったのです。真宗の地盤から出て行ったのです。どういう寺が出て行ったかというと、子寺です。子寺は独立できない。独立しようと思ったら、本坊の許可を取らないといけません。これが大問題です。それで移民について北海道へ行きました。北陸や山陰地方の子寺が北海道へ行って独立の寺になったのです。本坊と同じくらいの寺格になり、時に本坊を超えます。北陸の辺りから寺が随分と北海道に出て行った、そうしたことについてはもっと研究したかったと思っています。

(文責:親鸞仏教センター)

 

前編はコチラ

森岡 清美(もりおか きよみ)

 1923年三重県生まれ。社会学者。1948年東京文理大学哲学科卒業。東京文理大学助手、専任講師、東京教育大学文学部助教授、教授を経て成城大学文芸学部教授、東京教育大学名誉教授、文学博士。

 主な著書に、『真宗教団と家制度』(創文社)、『家族周期論』(培風館)、『真宗教団における家の構造』(お茶の水書房)、『近代の集落神社と国家統制』(吉川弘文館)、『新宗教運動の展開過程』(創文社)、『決死の世代と遺書』(新地書房)、『現代家族変動論』(ミネルヴァ書房)、『若き特攻隊員と太平洋戦争―その手記と群像』(吉川弘文館)、『華族社会の「家」戦略』(吉川弘文館)、『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会)、『ある社会学者の自己形成―幾たびか嵐を越えて』(ミネルヴァ書房)、『無縁社会に高齢期を生きる』(佼成出版社)『真宗大谷派の革新運動―白川党・井上豊忠のライフヒストリー―』(吉川弘文館)等。

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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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