親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

You know me〜月並みに口説くな〜

アーティスト

なみちえ

(Namichie)

 深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。だが永遠はすぐに終わった。ヒュッと何か巻き戻したかのような感覚で時空間は歪み、その勢いで自分が自分を起こした。「ッゴホホッ」と喉の奥から大きな音を立て、むせ返り床と一体になっていた体が分離した。はっとなり起き上がり、その新鮮な体は周りを見渡す。目の前の丸いテーブルには奇妙な形をした、歪な湯呑みが置いてある。

 この場所にも見覚えがない一軒家の一階である。ここには肌馴染みの無いという感覚が近い。そして、今までの「私」がなんなのか忘れている。体が真新しい感じで究極に馴染みが薄いのだ。心と体が離れ離れになったような感覚である。

 冷めた水が湯呑みの中で光っている。それを一口飲んで気を紛らわせようと少し昨日の記憶にあるそれを手に取った。

 「あっ」

 湯呑みに触れた瞬間、頭の中で、シナプスが機敏に揺らぎ言葉が脳天に届く。

 “貴方は「ジシン」を取りすぎました。

 そして「ジシン」と引き換えに時間を取り戻しました”

 どうやら昨日を中心にした過去の自分の記憶と共にジシンとやらを失ったらしい。昨日自分が何をしてたか何を言ってたか全然おぼえていないし昨日口に含んだ様々なものはもうとっくに体液との境目が無い。過去の自分を紐解く為のキーは乏しい。

 はぁあ〜………

 頬に添えられた両手の温もりも一応私らしい。その体は部屋を一通りぐるぐるしながらどうにか一定期間だけでも心に折り合いをつけようと探究している。

——少しぶよぶよな引き締まっていない体

 カサついた肌 まとまらない髪 色んな方向に向いた眉毛。歩くのを止めた時に目の前にあった洗面所の鏡で自分を覗いた。外斜視の目には正気が無い。

はぁあ〜………2度目の無意識のため息。

 「このやろう!このやろう!クソ!クソ!」

 自分にビンタとかしても何も意味ないんだけど、新しい自分と新しい朝への祝福ってくらいの力量で顔をパシパシ叩いて清々しい勢いでアメニティをビリビリ破きメイク落としを使い、洗顔し、パックをしながらガラス一面の扉を開き朝風呂に入り、首やふくらはぎのリンパを流しながら無意識につぶやいた。

 ”ジシンってなんだよ…初めて聞いたよ…”

 今日からジシンを探しに行く旅が始まった。現在、朝10時。豪勢な別荘みたいな家を飛び出し外に出てしばらく歩いているとポケットのiPhoneが振動した。

 「悪いな!ベンツ5人乗りで!」とLINEが来てたので「海沿いの散歩は気持ちいいよ」と返事した。1時間ほどして駅に着き電車に乗り家に帰った。実家に帰りすぐに「うっ」と内臓の奥から出たような声をあげると次第に体調が悪くなりはじめた。胃腸の調子がおかしい。トイレに直行すると二種類のフレーバーが絡み合ったスジャータのソフトクリームみたいな便がでた。「クソ!クソ!」肛門様”KING”がお怒り”RAGE”のようだ。切れ痔である。

*若さのタイムセール始まり 流行の焦燥感は価値なし*

 急いで大腸内視鏡検査を予約し検査のための、精進料理を更に貧しくしたような食事も間もなく始まった。切れ痔が重要な疾患の予兆であるかもしれないと思ったのだ。検査当日は2リットルの下剤を飲み、腸を空にした。栄養バランスの悪い体はすっからかんな内臓と一緒だとより一層貧相なものに見えた。今から文章では大分情景を端折らせていただくので、もう私はケツの穴部分が空いた不織布のカサカサのズボンを履き膝を抱え間もなく青くて無機質なベッドに横になった。いつ注射したか忘れたが点滴からは鎮静剤が流れ始めていた。

 看護婦が慣れた手つきでテキパキと検査の準備をしながら何故か私にこう聞いた。「何処とのハーフなんですか?」

 「アッアフリカの〜〜〜〜!!」

 ……

 「うんぬぅ〜〜〜?!!」

 直腸をスコープが上り直通運転し、下った。

 鎮静剤のせいで朧げだが画面に映し出された私の腸は内視鏡で覗くと綺麗なピンクのジェットコースターみたいだった、と記憶している。検査結果を聞きに後日病院に行くと医者は「ポリープが一つあります。でもこれは誰にでもあるものですし、良性なので今は気にすることはないでしょう」と言った。

 “腸あるある:ポリープ”

 とにかくほっとして、気持ちが安心したせいか数週間ほどしたら私の肛門から出るスジャータも定番に落ち着いたように感じたし、KING RAGEも怒りが鎮まった。国は安静を得たのだ。やった。健康を手に入れた。健康のその次は筋肉を手に入れたい。筋トレだ、と自由意志はぐいぐいとトレーニングを強いられた。肉体の欲求は果てしないが、心は無理矢理追いついていく。とりあえずYouTubeで適当に検索した結果“山本義徳”を信仰する事にした。安くはないEAAも買ったしそれ以外にもなんか英語が色々並ぶサプリメントは大体試した。ジムで全身の筋肉をバランスよく週2で鍛え、朝起き上がるだけで腹筋が痛くて反射的にベッドに倒れるなんて日々が毎日だった。

 「ストレスでコルチゾールが溜まるのかぁふむふむ。」

 「体重を減らすというのは除脂肪を表してるのか。筋肉は保たなきゃだな」

 更にPFCバランスにも気をつけオートミールにも手を出した。プロテインは朝晩2回飲んでいた。因みに私は乳糖不耐性なので、プロテインは水で割り、減量時にはアーモンドミルクでふやかしたオートミールを粥にして食べたりした。“スジャータ、いつものやつをくれ!”

 筋肉がついてることより1日のタンパク質量が体重×2.5gを意識した事により髪や肌や爪に艶めきが生まれている事を実感していたある日、更なるモチベーションアップの為amazonでジムウェアを物色していた。私はそういえばピンクが好きだったな〜と思い出し、明るいピンクでハニカム構造になっていて伸縮性のある一つのレギンスを注文し翌日すぐに届いたのでリビングの鏡の前でジムは閉館日なのに履き、大臀筋(だいでんきん)とご挨拶をしていた。母はわたしが楽しそうにしてると何をやっても「いいわねぇ」と褒めるので筋肉の具合を相対的に測るには相応しくない。だからといってインスタのハッシュタグ#筋トレ女子 に画像をアップするには少し勇気がいると悩んでいた丁度その時、実家に帰って来ていた兄が階段から上がってきて私と鉢合わせし開口一番にこう言った。

 「なんで“直腸パンツ”履いてんの???」

 「えっ?(笑笑笑笑笑)」

 それを聞いてそばにいた母は腹を抱え、座っていた長椅子から崩れ落ち笑っていた。

 私はまだまだ除脂肪できる太ももをみて、もうそれ(綺麗なピンクのジェットコースターの外側)にしか見えなくなってしまったもんだから一緒に大爆笑してしまった。確かに、運動しやすいように構成されている伸縮性の高い表面のハニカム構造の凸凹が私の皮膚の上で伸ばされ、大腸のヒダに見える。しかし同時に私は直腸を曝け出してる女となってしまい、猛烈な羞恥心に覆われた。頭隠して直腸隠さず。

 それ以降、恥ずかしくなってそのレギンスはほとんど履く事がなかった。しかも父の作るアフリカ料理に入っているハチノスともイメージがリンクし、あの変わった食感を口に含む度に自分の直腸を思い出していた。アフリカの料理は基本的に味が濃くスパイシーだ。久しぶりにこのスープを食べる前にパパに粘押し….いや念押しした。「お願いだから辛さ控えめにして!」

 当時、体がワクワクして眠れないほど筋トレ含め運動自体が習慣になっていたがそのアドレナリンを落ち着けるためにウォーキングを取り入れ始めていた。どうしてもジムが終わるのが遅くなったり、時には水泳もしていたり、そのあとゆっくりジムに併設されてるスパにも入ったりしていたのでその後のウォーキングが夜中になる事もあった。この日はより一層遅い時間に歩き始めたが、人気はないが近所だし怖くなんかない。むしろ誰にも見られていない事が快感だったのでその日は久しぶりに箪笥の肥やしになっていた”直腸パンツ”を履いていた。この日は一万歩前後を目標に歩き出していてた。運動の習慣の対価としてポジティブさも手に入れていた。とても自然に無意識に。家も近くなりウォーキングで適度に疲れる事を覚えた私は寝る事が楽しみで楽しみでワクワクしてしまい田原俊彦の“抱きしめて TONIGHT”を聴きダンスをしながら帰っていた。

 「“月の輝いた街♪♪♪踊りに行こうか?♪♪

 君はまつげ伏s”」

 「ちょっとそこのお姉さん!!!!」

 「んふッ!?ええ????」

 UberEatsのリュックを背負い自転車に乗った男性に突然話かけられて私の単独ミュージカルは閉場し、平常心が入場。直後私はすぐさま思ったのだ。

 「(今、私直腸パンツなのに????????)」

 指紋でベタベタの眼鏡、ジム終わりで崩れてボサボサのお団子ヘアー。トップスは知り合いの古着屋が店で開催したイベントに行った時に貰った非売品の蛍光イエローのTシャツ。下は直腸パンツ。ダサいどころの問題ではない。色味がスゴイ。だが深夜にウォーキングをする際に車に轢かれないように目立つ服を着てるのはよい事なので安全性に関しては100点満点なのだ。だが、人に見られるための格好ではないし、そもそも男性はこんな深夜にUberで何を運ぶのか。

 「綺麗だなって思って声掛けました。ハーフなんですか?LINE交換しませんか?これから暇ですか?カラオケ行きませんか?ホテル行きませんか?…」

 質問の怒涛の嵐に圧倒され、UberEatsごとその男性を嫌になりかけたその瞬間!シンガポールのスコールのような雨が天から降り注ぎ一瞬で2人はびしょ濡れになった。当然お互いに雨は予期してないため傘は持ってない。

 「風邪引いちゃうんでさよなら!」

 とその場を解散させそそくさと欽ちゃん走りで家まで急いだ。

 「……でね〜、その後〜あの男の人、Tinderで見かけたんだけど、アップしてた後ろ姿の写真、私より僧帽筋(そうぼうきん)が小さかったよ(笑)あとね私最近ちょっと有名になってきてるでしょう?だからTinderのプロフィールで好きなアーティストを私って言ってる人がいたの(笑)だけど、設定してるアンセムがDos Monosの曲だったから左にスワイプしたwwwwwwそこは私じゃないんかい!ってね(笑)」

 「あっははははははっwwwwwww」

 友達4人の笑い声達と共鳴し合う。

 今、自分に酔っているのか?勿論である。

 若くて美しいだなんて一過性でしかないのだけれど。そして酔いは必ず覚めるものだ。

 ——ひっ!冷たい湯呑みを私の頬に当てた友人の1人が悪戯な顔をして話し出す。

 「お前、ジシンマンマンだなー」

 「ジシン?ああ自信ね!いつからかついてきてたよ」

 5人で円陣になって歪んだ湯呑みに入った水を回し飲みしながら他愛のない話を続けた。

 今の私にとってこんな楽しい時間が儀式みたいなものなのだ。私は身を乗り出し近況を話し続けた。友達がにこやかに聞いてくれたのが嬉しかったのだ。自分は素晴らしく最高である事をより鮮明に伝えたくて仕方なくなった。勢いは止まらない。

 「私の太ももに、もうポリープはないわけ」

 「この前なんてね、TwitterのDMでしつこくデートに誘われちゃったよ」

 歪んだ湯呑みは私の所に回ってくる度に段々と美しい湯呑みに変わっていった。

 超超超有名なミュージシャンに私の事彼女にしたいって冗談で言われたけどときめいちゃったよ」

 「最近メイクが上手くなった!肌質が改善されてるからだ」

 「筋トレと共に姿勢にも気を使うようになった」

 「脂肪が減ってタイトな服が似合うようになった!」

 美しい湯呑みは私の所に回ってくる度に段々とただの円柱になった。

 ただの円柱を口に合わせた時、私は自身を自信を取り戻していた。

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は最高」

 「私は  」

 ………

 深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。

(なみちえ・アーティスト)
東京藝術大学先端芸術表現科を首席卒業。在学時には平山郁夫賞、買い上げ賞を受賞。音楽活動や着ぐるみ制作・執筆などマルチな表現活動を行うアーティスト。音楽活動はソロの他にギャルサー:Zoomgals、兄妹で構成されたクリエイティブクルー:TAMURA KINGで行っている。最新作『毎日来日』が、ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文氏が主催する「APPLE VINEGAR -Music Award-」2020にて特別賞を受賞。30 UNDER 30 JAPAN 2020「アート」部門選出。

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