今との出会い第193回「「和」の願いを相続する」

親鸞仏教センター嘱託研究員
菊池 弘宣
(KIKUCHI Hironobu)
新元号、「令和」が5月1日より施行された。新時代の日本の出発という思いが込められているのだろう。出典は、日本最古の歌集『万葉集』で、「初春令月、気淑風和…」の文に拠るという。『万葉集』は、当時の日本の文化の豊かさをあらわすものと伝えられている。典拠となる歌は、花見の酒宴で詠まれたものと思われるが、実は一連の文脈に、「俗世批判・腐敗しきった政治批判」という作り手のメッセージが込められているとも言われている。
その事を知ってか知らでか、新元号を選んだ政権においては、フワッとした情緒的感覚的なものを強調するばかりで、ほとんど思想性には言及しない。いわゆる、現実を直視せず、主観的感覚を重視するという意味での「反知性主義」という言葉が想起されてくる。
首相は談話で、「日本の文化を引き継ぎ育む。日本人がそれぞれの花を大きく咲かせる」という旨を述べていた。が、果たして主観的感覚的なもので、歴史文化はまもれるのだろうか。むしろ、SNS等ネット社会に象徴されるアメリカ主導の文化に、科学的合理主義的文明の力の前に、なすすべもなく、精神的にも呑み込まれていってしまうのではないかと思うばかりである。
そもそも元号とは何であるのか?古代中国を起源とする、為政者・権力者が、時間空間を超えて国を支配していることを世に知らしめるものである。そういうことからも、新元号の文字には、「平和を命令する」というニュアンスを帯びているように、感じられてしまう。そうであるならば、誰が、どこに立って命令するのか?日本の現政権なのか、日本が従属しているアメリカの権力者の意向によるのか、などと考えてしまわざるを得ないのである。
親鸞聖人は、南無阿弥陀仏とは釈迦諸仏を通して、阿弥陀の本願が呼びかける勅命(ちょくめい)を聞き、順(したが)うことであると了解し、自らその名のりをあらわしている。「誰の、どういう命令を聞き、順うべきなのか」ということが、いつの時代であっても、根本的問題なのであろうと思う。
親鸞聖人は晩年、自らを「和朝愚禿釈の親鸞」と名のってもいる。「和朝(和国の朝家)」とは、仏法を依り処にして、朝廷・天皇家が国を統治するということで、親鸞聖人の願う国家をあらわしてもいる、と。それは、親鸞聖人が「和国の教主聖徳皇」と慕う聖徳太子の、「和らかなるを以て貴しと為し」、「篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」という『十七条憲法』の精神に基づくものである、と教えていただいた。
そうして、浄土真宗の歴史を紐解くと、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」という願いのもと、時の為政者・権力者に、命懸けで本願念仏の仏法相続を念じ関わってきた、先人方の尊い歩みがあるということを知ることができる。
現に今、たとえ政教分離の原則があるにせよ、こちらが、「和国」(仏法を依り処にして創造する国)の実現を、為政者に念じて生きることは自由である。また、一主権者として、日本国の象徴である天皇に、その願いを汲(く)んでいただけるよう念じて生きるということも、あって然るべきであろう。先ずは、私自身が阿弥陀の本願の光を仰ぎ、足元の暗闇が照らされ、転じられていくことを根本とする出発であると、そのように受けとめている。
(2019年6月1日)
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