映像作家・文筆家
佐々木 美佳
(SASAKI Mika)
インド・コルカタ在住、たったの数ヶ月だが、この間どれだけの宗教的なお祭りに遭遇したのかよくわからない。コルカタという土地を生きているだけで、12月のクリスマス、1月のサラスヴァティ・プジャ、2月のバレンタインデー、3月のホーリーという風に、毎月何かしらの祝祭に遭遇する。クリスマスは若者のイベントの側面もありパーティー化している様子もあるが、クリスチャンもともに暮らしているのがコルカタ。市内の中心にある教会では、クリスマスの朝、ミサが厳かに唱えられていた。サラスヴァティは、日本では弁財天として親しまれている。芸術の神様でもあるので、映画を学ぶわたしもあやかりたい神様だ。この日はコルカタの至るところでサラスヴァティの像が祀られ、道を歩けばデカデカとしたスピーカーから音楽が鳴り響く。土でできた像は、祭りの夜、フーグリー川に流される。像を運ぶのもお祭り騒ぎで、スロウなスピードのトラックが像とスピーカーを積んで、地元の男たちがその後ろを踊り狂ってついていく。
地元だけでなく、映画学校で祝われるお祭りも負けたもんじゃない。インド各地の多様なバックグラウンドを持つ学生たちが学ぶ映画学校では、世俗主義が原則となっている。そのため、1月にインド各地域で祝われる収穫祭が「文化的な祝祭」として祝われることになった。収穫祭前日、寮のど真ん中にどでかいスピーカーが出現した。嫌な予感がする。部屋にいては1日中大音量に悩まされると判断した私は、学校を脱出し、夜の10時に戻ってきた。にもかかわらずだ。10人弱の学生が、爆音に身を浸しながらまだ踊り狂っているのだ。米軍式と書かれている耳栓をしても、音楽が耳に入ってくる。12時過ぎになってようやく音楽が鳴り終わり、ホッと胸を撫で下ろして眠りにつくことができた。社会人を経験して再び学生になった自分としては、歌と踊りで神様を祀るお祭りで若さが炸裂するキャンパスライフに少々ついていけない節がある。なんせ、若さのエネルギーでもって朝から晩まで祝いまくるのだから。生まれて育ってきた環境の違いを思い知らされる羽目になった。
自分自身が身につけてきた信仰をもっとも意識したのが、大晦日のことだった。クリスマスを過ぎてから、街がだんだん静かになり、仕事から離れ、家族と過ごすあの時間。家をきれいに掃除して、年越し蕎麦を茹でながら紅白を見るあの平穏で特別な1日。新年を迎えた瞬間に家族に向かって「今年もよろしくお願いします」と挨拶をする。除夜の鐘を、焚き火に手を当てながら聞く。厳かな気持ちとともに新年の抱負を胸の中で唱える。自分が当たり前のように毎年繰り返してきた習慣が、クリスマスから「ハッピー・ニュー・イヤー」にかけてお祭りムードがなかなか消えないコルカタには存在しないと気がついた。しかし何もしないで新年を迎えるというのはあまりにも残念な感じがして、なんとかならないものか…と思っていた矢先、同じ気持ちを抱えた友人の日本人旅行者たちと結託して、彼らが滞在しているゲストハウスで「プチ大晦日」を決行した。時差3時間半のインドと日本、インド現地時間の8時半に、日本の大晦日を迎える。蕎麦は手元になかったが、出汁ベースのカップうどんがあったので、それを蕎麦に見立てて三人で食べた。除夜の鐘のライブ配信を待ちながら、日本時間の年明けの瞬間を待つ。PCのスピーカーから「ゴーン」という音が響き渡った。「今年もどうぞよろしくお願いします」と、厳粛な気持ちで旅の仲間に挨拶をし、日本の大晦日という儀式を完了させた。霊験あらたかな気持ち。日本でディーワーリーや、ドゥルガー・プージャーを大規模に行うインドの人々はきっとこんな気持ちなんだろうか。その祝い事を執り行わなければ、なんだか歯磨きをしていないみたいに気持ち悪く、居心地が悪くなってしまう感じ。自国から引き離されて、自身の宗教的慣習を確認することとなった。
日本式の新年のお祝いが済んで気持ちが満たされたので、今度はインド時間の新年の出番。2023年のお祝いを2回もできるなんてラッキーなことだ。12時を迎えると、花火やら爆竹やらの音が怒号のように鳴り響く。ベランダから恐る恐る外をのぞくと、子供たちがはしゃぎまわり、近所の犬たちがギャンギャンと鳴き喚く。ああ、わたしは今インドで生きているのだな。在日邦人が100人程度しかいないコルカタという街で、自分たちの小さな儀式を取り行えた満足感は、何にも代え難い喜びがあった。
お互いがお互いの宗教的祝祭を施せる場を設けること。信仰の権利を認め合うのが平和の秘訣であるということ。人類の歴史が証明してきたこれらの事実を身をもって体験するのが、多様な宗教が混ざり合いながら14億人の人がひしめくインドに身を寄せさせてもらって生きることの醍醐味なのかもしれない。「インドのお祭りには歌と踊りがないとダメ」と豪語する同級生のことがまだよくわからないけれど、きっと彼女だって私が大晦日に何がなんでも蕎麦を啜りたくなる気持ちもわからないだろう。お互いがお互いを傷つけあわなければ、それでいいのだ。何より、インドで食べる大晦日のカップうどんの味は忘れられない。
(ささき みか・映像作家、文筆家)
監督作として、ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』(2020)。著書に、『タゴール・ソングス』(三輪舎、2022)『うたいおどる言葉、黄金のベンガルで』(左右社、2023)など。現在、Satyajit Ray Film & Television Instituteの映画脚本コース在学中。