声優、日本SF作家クラブ会長
池澤 春菜
(IKEZAWA Haruna)
わたしたちの誰もが持っていて、でも誰もそれがなんなのか本当には知らない。大事にしなければいけない、何よりも価値がある、と言われていても、何故なのかはわからない。一番身近で、でも一番謎めいているもの―命。
命が何なのか、考えるきっかけとしてSFという文学を役立てることはできないだろうか。
SFの定義はいろいろある。ScienceFiction、すこしふしぎ、そしてSpeculativeFiction。スペキュレイティヴとは思弁、「理性的、空想的、形而上学的思索」つまりは「思考実験」。
わたしはSFは、IFの文学だと思っている。どこかにIFをいれる。それによって変化する物語を描く。現実をベースにした小説が箱庭だとしたら、その壁をぱたんと倒し、どこまでも想像力を働かせて飛躍する。物理的にも心理的にも、あらゆる法則に縛られない最も自由な文学、それがSF小説だと思っている。
あらゆる小説の究極の目的は、人を描くこと。だからどんなSFも、基本となるテーマは人間だ。そこから、命とは何かを考えることができるかもしれない。
「テセウスの船」という命題がある。船の部品を一つずつ入れ替えていく。全て新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か。同一性の問題。命についても同じことが考えられるかもしれない。
何を持って、命と、人とするのか。
脳と体を入れ替えたら?
脳を複写・転写する技術が生まれたら?
人工知能が人間を越えるとされるシンギュラリティ(技術的特異点)は早ければ2045年にやってくるとされる。ではその時、AIは命を持ったと言えるのか。
こういった問題に、物語の形で取り組み、自由な想像力で答えを模索していけるのが、SFのSFたる醍醐味だ。
例えば、アン・マキャフリーの「歌う船」。先天性の身体異常があったヘルヴァは、脳だけの存在となり、船と接続することで頭脳船として生きることになる。多くの人が当たり前のように受け止めている身体的感覚。それを先天的に持たないヘルヴァは、世界をどう感じ、どう受け止めるのか。命と体の関係、さらに脳と心の関係を通じて、心を揺さぶる一冊。
個人的に、瑞々しい感性で宇宙に飛び出し、人と接し、恋をするヘルヴァが最高にキュートなので、ぜひ読んでいただきたい。
エイミー・トムスンの「緑の少女」「ヴァーチャル・ガール」も人の境界を探る物語だ。前者は、異星探索中に事故に遭い、死にかけていたジュナが目を覚ますところから始まる。その体は異星人とまったく同じに作り替えられていた。再び迎えが来るまで、ジュナは全くの異文化であり、異質な生態系のもと、生き延びなければならない。ジャングルに生きる先住民テンドゥには独特の文化や死生観があり、ジュナは圧倒的に優れていると思っていた人類の愚かさに気づかされていく。
「ヴァーチャル・ガール」の主人公は、可憐で無垢なアンドロイドのマギー。一人のオタク青年が理想のパートナーを作りあげるピグマリオン物語であり、マギーが世界を知り、人間とは何かを学んでいく物語でもある。
ジェイムズ・P・ホーガンの「造物主の掟」「造物主の選択」はもっと大胆だ。遠い昔、地球外生命体によって土星の惑星タイタンに設置された自動操業工場。だがそのプログラムは超新星爆発によって損傷し、ロボットたちはひたすら変異と淘汰を繰り返す。やがて進化した機械たちは、機械人タロイドとなり中世様の文明を発達させた。
人の進化の過程をまるごと機械で再現し、さらに宗教まで踏み込んだ大変愉快な大風呂敷SF。人類側の主役が稀代のペテン師というのも面白い。機械の体、機械の心、だけど明確にタロイドたちは生きている。命はかように自由なものなのかもしれない。
命を扱った作品はまだまだある。いくらでも語り続けたいが、わたしが頂いた紙面、これを読んで下さる読者の忍耐力には限りがあるので、最後に新しい作品を一つ。
先日、日本映画として公開もされたケン・リュウの短編「アーク」は、人類最初の不死を手に入れた女性の話。彼女の仕事は、遺体にポージングを施し、永遠に保つプラスティネーション施術。これもまた、不死だ。二つの不死が絡み合い、生きるとは何かを問いかけてくる。
わたしたちの人生には終わりがある。だからこそ生きることに意味が、価値があるとされる、だとしたら、不死を得たとき、命の意味は変わるのか。体と脳の関係は。機械生命とは。
生きることは考えることだ。思考し、試行することをもって、我々は命に向き合うことができる。SF小説がその一助になれれば、SFを愛するものとしてこれほど嬉しいことはない。
(いけざわはるな・声優、日本SF作家クラブ会長)
著書に、『SFのSは、ステキのS』(早川書房、2016)、共著『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版、2020)など。