親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

SFのSは、セイメイのS?

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

■特集を捉える[池澤春菜「ヒトのイノチのその先に」へのコメント]

 池澤春菜氏の「ヒトのイノチのその先に」では、冒頭で「テセウスの船」という命題が紹介されている。「船の部品を一つずつ入れ替えていく。すべて新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か」。ローマ時代のギリシャ人哲学者プルタルコスが提示し、近代の哲学者たちまでが取り組んだ問題だ。SFでは脳と体を別のものと入れ替えたり、脳をコンピュータなどに複写・転写する技術などのストーリーを通じ、「何をもって、命と、人とするのか」、さらにAIや機械が生命を持ち得るかというテーマを考えさせてくれると池澤氏は言う。私も一人のSFファンとしてルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』(ハヤカワ文庫SF、1989年)などが思い浮かぶが、仏教的な面でも刺激を受けた。

 今回のウェブ企画にも寄稿いただいている師茂樹氏の論考「人工知能を有情とみなすことは可能か」(『人間とは何か(Ⅱ)』、日本佛教学会編、法藏館、2019年所収)では、古い仏典に出る「テセウスの船」によく似たSFチックなストーリーが考察されている。ある旅人が鬼たちに遭遇し、腕や足、胴体から頭まで、順にすべてを引きちぎられ、鬼が持っていた人間の死骸のものと順に入れ替えられてしまう。そして鬼たちは旅人からとりはずした手足など新鮮な(?)身体をぺろりと平らげてしまう。そこで旅人はこれでもなお自分の体だと言えるのか、と悩む。やがて旅人は仏教僧に出会い、あなたは(世界の構成要素である)「四つの元素が集まったものを、自分の体だ、と思い込んでいるだけです」と説かれ、仏教の無我説に目覚めるのだ(詳細は師氏の上記論考を参照。なお、師氏が指摘するとおり、仏教的な枠組みで考える場合は輪廻への問いが欠かせないが、本稿では触れない)。

 仏教の「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」という考え方では、私たち人間の存在を物質と精神(感覚・表象・意志的形成力・認識)の5つの要素がさまざまな因と縁によって仮に集まって構成されたものと理解する。そこに実体的な「我」は存在しない。仏典『ミリンダ王の問い』でも人間を「車」に喩え、車輪や車軸など部品に分解しても組み立てても、どこにも「我」は見当たらないと語られる。イギリスの哲学者エドワード・クレイグ氏によれば、これに対して古代ギリシャのプラトンは2頭の馬(理性と感性)に引かれた戦車(身体)を操る御者を自己に見立て、古代インドの『カタ・ウパニシャッド』では馬(感性)を操る御者(知性)に導かれた戦車(身体)に自己(アートマン)が乗っていると考えたというが、その自己は実際のところどこにいるのだろう。

 この点、池澤氏が挙げるジェイムズ・P・ホーガンの『造物主の掟』(名作『星を継ぐもの』の作者の作品。創元SF文庫、1985年)では、みずからロボットや機械類を製造して異星で資源を採掘する自律型ロボットの機械人「タロイド」たちが登場する。それらはプログラムの暴走で独自の進化を遂げ、長大な時間を経て、自我意識もあれば独裁者や宗教までもある中世的な社会を築いている。作中、自分たちの「生命」の源はどこかと疑問を抱いたあるタロイドが、「死んだ」機械を分解する。すると彼は「管や繊維や金属構造材やベアリングなどのおそろしく複雑な配列……以外には、何も見つけだすことができなかった」。そして問う——「では、魂はどこにあるのか?」。

 一方、池澤氏が紹介する別の作品、アン・マキャフリーの『歌う船』(創元SF文庫、1984年)では、主人公のヘルヴァは人間の脳がいわば「御者」的に宇宙船の船体に組み込まれて一体化した存在だが、どちらか一方だけでは本当のヘルヴァとは言えない。彼女は宇宙船であり、宇宙船であって初めて彼女なのだ。この作品から思い出すのはベトナムにもルーツを持つフランス人作家アリエット・ド・ボダールのアジアン・テイスト満載のSFミステリ作品『茶匠と探偵』(竹書房、2019年)。主人公のシャドウズ・チャイルドと呼ばれる宇宙船「マインド・シップ」も頭脳は人工知能的なものだが、船全体がひとつの有機的・人格的存在だ。彼女は過去の事故の深いトラウマを抱え、航行していないときは心を落ち着けるドラッグを調合する「茶匠」として日銭を稼ぐ。『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALも意思や多少の感情を示したが、「マインド・シップ」は深層心理を含む感情面が大きなウェイトを占めているのが印象深い。

 脳やソフトウェアとハードウェアとの組み合わせであるどの宇宙船も機械人も、構造的にはまさに「五蘊仮和合」。しかしここに挙げたSF作品を読んでいると、(フィクションだとはいえ)そこに否定し難い「自己」的なるものが立ち現れ得る不思議に惹かれてしまう。我が身もまた、「自己」は脳の生理学的プロセスの産物に過ぎず、「無我」であると合理的に考え得たとしても、全身を捉える不安や焦燥や愛慕などを感じるとき、それはひと筋縄ではいかないのではないか……。生命はあくまでも機械に宿ると信じている機械人タロイドから見ると、人間は生命とはおよそ無縁なはずの有機的物質の奇妙な化学的構築物にすぎない。それなのに人間たちが欲望や敵意や善意を示すことに衝撃を受ける。それを「無我」だと言って、タロイドたちはすんなり納得してくれるだろうか。池澤春菜氏が紹介してくださった他のSF作品とも合わせて、考えてみるとおもしろいかもしれない。

(いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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