親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

大仏さまと読経と鐘声――その「音」の力

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

●東大寺大仏殿のニコ動中継

 4月上旬、『中外日報』紙で「新型コロナ問題に対する韓国仏教界の対応」と題する佐藤厚博士(東洋大学井上円了研究センター客員研究員)の寄稿を拝読した。キリスト教系団体の礼拝で大規模なクラスター感染が発生した韓国では、仏教系最大の曹渓宗はいち早く各寺院に法要の自制を促すと同時に、宗派を超えた1万5000の寺院と共同で祈祷精進を行ったという。さらに韓国仏教界は、自宅で祈祷ができるように真言や発願文も完備した『薬師経』のテキストを作成したり、仏教系テレビ・ラジオチャンネルでも毎日各宗派が交代で「安心説法」を放送しているという。佐藤氏は日本では「仏教界を挙げてコロナ問題に対処しているという迫力が伝わってこないのが残念」だと述べていた。

  そんな中、「仏教界を挙げて」とは言えないかもしれないが、日本各地の寺院にも、困難の渦中にある人々に寄り添おうとする動きがある。例えば高野山の金剛峯寺では5月3日、コロナウイルス感染による物故者の追悼法会と早期終息祈願法会を営んだことが報じられた。また、全日本仏教青年会は亡くなった方たちの追悼、闘病者への励まし、医療従事者や生活維持に欠かせない業務に従事する人たち等への敬意を込めて、ゴールデンウィークに毎夕5時から梵鐘を一斉に鳴らす「祈りの鐘」を全国の寺院に呼びかけた。一方、若手の神職らの神道青年全国協議会の試みもおもしろい。自宅の神棚にお参りするときに唱えるための「新型コロナウイルス感染症早期終息祈願祝詞」をホームページから解説付きでダウンロードできるようにした。こうした種々の動きの中で、筆者が注目したのは華厳宗大本山・東大寺の試みだ。

  東大寺では諸堂の拝観停止期間中、「少しでも人々の心の支えになればとの思いから」大仏殿の盧舎那仏(大仏さま)の姿を「リモート参拝」と銘打って24時間ニコニコ動画で配信した(6月1日まで)。動画といっても大仏さまが動くわけではないから画面はほとんど変化がない。しかし深夜などには暗い大仏殿内に浮かび上がるその威容には荘厳なものを感じた。同時に4月1日からは毎日正午に僧侶らが大仏殿で読経を行なっている。「新型コロナウイルスの早期終息と罹患された方々の早期快復」および感染で「亡くなられた方々の追福菩提を祈る」ためという。そして多くの人に「様々な場でこの祈りに加わって」もらえるようにと、これも大仏殿を映すニコ動でそのまま配信したのだ。昼どきの約20分間、画面上部に表示される全国の人々からの大仏さまを眺めながらのメッセージには、昼食の献立や各地の天気といったたわいもない話題に混じって、感謝のことばや、合掌を表す「人」の文字も数多く流れていく。だが読経の様子は一部しか見えないから、静止画のような大仏さまの姿を拝みながら、音声に耳を澄ましつつ、私は音の力ということをふと考えてみた。

  大仏殿では『華厳経』の偈文の一部が読誦され、続いて「如心偈」が三度唱えられる。如心偈は『華厳経』の夜摩天宮菩薩説偈品という章に出る「唯心偈」と呼ばれる詩句の一部。「心仏及衆生 是三無差別、諸仏悉了知 一切従心転」(心と仏と衆生の三つに差別はない、この世界の一切は心が生み出すのだと諸仏はみな了知されている)」との一節で有名だ。そして如心偈が終わると最後にひとつ壇上で鐘が鳴る(梵鐘ではなく、一般に「鏧子」と呼ばれる大きなお椀状のもの)。ここでは読経の声と鐘の音について順に触れてみたい。

 

●読経の声が持つ力

 読経のはじめに唱えられる偈文は長大な『華厳経』中のどこを読んでいるのか、しっかり聞き取って確認すればわかるのだろうが、恥ずかしながらスピードの早いその読誦は私には聞き取れない。漫然と聞いている限りは多少の節がついた美しい男声の低音だという以外、漢文の音読だから特に一般の人には意味はまるでわからないだろう。如心偈になると多少馴染みのある人もいるだろうが、やはり多くの人には同じことだ。最近は葬儀などで意味もわからない漢文のお経を唱えてもらってもありがたくないという声も多い一方で、意味がわからずとも唱えてもらうこと自体がありがたいとの見方もある。そんなことを思いつつ、華厳宗第三祖とされる中国唐代の僧・法蔵(643−712年)が著した『華厳経伝記』の逸話が頭に浮かんだ。

  これは『華厳経』信仰の興隆に努めた僧らの伝記や、『華厳経』にまつわる僧俗の霊験譚などを集めたものだ。その中で王何某という生前ろくに善業も積まなかったために地獄に落ちた男性の話がある。王氏が獄卒に引かれて地獄の門前にやって来ると、そこには地蔵菩薩がいて、王氏に短い経文を教え込む。そして何か功徳は積んでないのかと閻羅王(閻魔大王)に問われた王氏がそれを唱えると、途端に無罪放免となって蘇生。本人だけでなく、周囲で王氏の声を聞いた大勢の地獄の衆生らが救われたという。実は地蔵菩薩が教えた経文は「若人欲求知 三世一切仏、応当如是観 心造諸如来(もし過去・現在・未来の一切の仏[の悟り]を知りたければ、まさにこのように観察しなさい、心が諸々の如来を造るのだと)」というもので、先に挙げた『華厳経』の「如心偈」の最後の部分だ。華厳宗第五祖とされる澄観(738−839年)が「一偈の功能、地獄を破る」と言って以来「破地獄偈」として知られている。先述の「心仏及衆生」という部分とともに、唯心説を教える『華厳経』のひとつのエッセンスが凝縮されたすばらしい一節だが、初めて暗唱した王氏もさることながら、それを聞いた周囲の地獄の衆生たちがその意味をたちどころに理解したとはとても思えない。しかしこうした話はほかにもあって、『華厳経伝記』よりも早いが同じく唐代の霊験集『冥報記』では、『法華経』にまつわる地獄からの蘇生譚がある。王氏のように閻魔大王に詰問された李山龍という人が『法華経』の序品を唱えると、本人ばかりか周囲の数千人もの罪人たちもたちどころに救われ、地獄の前庭がすっかり空っぽになってしまったという。

  これらの霊験譚からわかるのは、経典を読誦する者や聞く者がその意味内容を理解しているかどうかは問題ではないということだ(上の例で意味を理解していたことが明白なのは、生前から『法華経』を読誦していたという李山龍だけだ)。つまり経典の文言とその意味内容ではなく、読誦および聴くこと自体に力がある、より正確に言えば発せられる「読誦の声」(その音)そのものに大いなる力があるということではないだろうか(もっとも、唱えた本人の王何某と李山龍の場合は読経という「善行」の功徳によって救われた面もある。しかし王氏のように慌てて暗記したお経を唱えても功徳は絶大だという点でも、意味内容よりも声に出して唱えること、およびその音声こそが功徳のもとだとも言えるだろう)。もちろんそれは経典の優れた教説を音声化したものだから、根源的には教説の力ではある。その点では単なる盲信の対象ではないし、東大寺僧の方々も(視覚的には大仏さまに表現されている)その教説とそれを唱える意義をしっかりと意識されているに違いない。しかし少なくとも、地獄の衆生らがその声に触れただけで救済されるという、言語的な理解を遥かに凌駕する力を「読誦の声」は発揮するのだ。

  マジカルな想像としてはおもしろいが、そんなことがあるだろうか……とも思える。しかしパソコンの画面を見ながら東大寺の読経の声を聴いていた私は、その「声」が大仏さまを中核として東大寺の僧侶らと、ニコ動にアクセスしている全国の人たちと、そして私を、いわば一つの「音空間」あるいは「音世界」の中に包み込んでいることを感じた。それはさらに、コロナウイルス蔓延の苦境から脱する願いや、苦しみの中にいる(あるいは亡くなった)人たちを慰安したいという思いを抱いて大仏殿に実際におよびバーチャルに集う人々に共通する、同じひとつの「祈り」(ここでは言語的な意ではなく、心身の行為として)の世界を現出させる。「祈り」に何らかの力があるとすれば、この「読経の声」自体が音という「祈りの媒体」となって(もちろん大仏さまという大いなるものの力を前提としつつ)、一人ひとりの心の上に力を伝え得るのではないだろうか。

 

●鐘の音という無尽縁起

 言語内容を超えた力を持つ「読経の声」が鎮まると、東大寺の大仏殿にゴーンとひとつ、深く低い鐘の音が響く。パソコンの音声をイヤホンで聴いていると、その音はかなり長い間、画面からは見えない大仏殿の広々とした空間に漂っていることがわかる。やがて退出する僧侶らのかすかな足音や、思い出したように聞こえてくる鳥たちの声に混じって、大仏殿外の空間へと鐘の音が広がっていくさますら感じられる気がする。その音色に耳を澄ましていると、鐘の音もまた、言語化できない「祈り」の力を内包しているように感じる。

  「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」——人々は鐘の音には単なる物理的な音以上の何かを感じ取ってきた。鐘の音と言えば、京都の東西南北に立地する各寺院の古い梵鐘の音を調査した民族音楽学者の中川真氏の研究がある。平安京の設計に四神相応の風水が関わっていることは種々の指摘があるが、中川氏は平安京の東西南北および中央にある各寺院の梵鐘の音が、「双調」(東・春・青)「黄鐘調」(南・夏・赤)「平調」(西・秋・白)「盤渉調」(北・冬・黒)「壱越調」(中央・土用・黄)という陰陽五行説が説く音に対応し、音のコスモロジーを具現化していたと指摘している。京の町は「玄武・青龍・白虎・朱雀・麒麟という幻の神獣」に中央と四辺を守護され、「同時に鐘の五種の調に覆われるという、まさに地上に建設されたコスモスあるいは曼荼羅都市として出現した」というのだ(『平安京 音の宇宙』平凡社ライブラリー)。つまり本稿の文脈に引きつけて言えば、四方から平安京の隅々へと響きわたった梵鐘の音は、方位や色や季節や神獣の力(すなわち宇宙の力)を内包し、発揮していたと言えるだろう。

  その鐘の音はどこまで届くのか? これも中川真氏が検証している。確たることはわからないが、少なくとも当時の平安京では今日ではあり得ないほど遠くまで音が聞こえたという(奈良時代には桜島の噴火の音が平城京まで聞こえたそうだ。この点、ITという現代の利器は音をして国境を超えさせるが)。これは物理的な話だが、もう少し理念的な面では、『華厳経』が説く「一即一切、一切即一」の重々無尽の縁起が想起される。この世界のあらゆるものは無限・無尽の時空に連なる因と縁の関係性の中で成立しており、「一塵中有十方三世法(一粒の塵の中に[空間的には]十方の、[時間的には]過去・現在・未来の、万象がある)」。物理的な音自体はやがて聞こえなくなるかもしれないが、それは鼓膜を刺激するだけでなく、木々の葉を震わせ、虫を驚かせ、鴨川の水にも目に見えない微細な波動を生むなどして、無限の縁起の中で形を変えながらどこまでも伝わっていくとも言えないだろうか。梵鐘が鳴り響いた平安京のあらゆるものの中にその音が入り込んで力を発揮し、その音を時空に広がる媒体と考えれば、そのあらゆるものもまた逆に音の中に入り込んでいる——法蔵らが「相即相入」と呼んだものだ。

  私は以前、テレビ番組のためにタイタニック号沈没事件を取材していた際に、奇妙な記事を目にした。掲載紙や著者は忘れてしまったが、その記事は沈没間際まで楽器の演奏をやめなかった同船の楽団員たちに触れていた。船上で恐慌に陥り、あるいは運命を受け入れて船に残る人たちを慰安しようと、楽団員たちはまさに海中に没するまで甲板上で演奏を続けた。その記事では、海に没した演奏の音は、音なき音の波動として北大西洋の海中に伝わったはずであり、どれほど微細でも今もなお存続し、少なくとも理論的には観測可能で、世界の海に拡散し続けているだろうと述べていた……つまり目に見えず、耳にも聞こえない微小な波動として、今も海中にタイタニック号の楽団員たちの音楽が鳴り続けているというのだ。そこには気候や海流、水温、生物、地形など無数の原因と諸条件によって形を変え、流転しながら伝わっていく音の無限の縁起がある。

  平安京や北大西洋から再び大仏殿の音の宇宙に戻ろう。読経の終わりを告げる鐘の音は、言うなれば儀式の段取り的な合図に過ぎないのに、私たちはそこに何かを感じる。その感覚は文化論や心理学で合理的・科学的に説明をつけることもできるのかもしれないが、それは「読経の声」と同じく、大仏さまの存在を中心として僧らと全国のニコ動の視聴者と私を一つの「祈り」の「音世界」につなぎ、包む音である。しかもそれは虚空のごとく希薄になりながらも、大仏殿を出てまさに虚空のごとく無限にどこまでも響いていく。東大寺大仏殿に毎日正午に響く読経の声と鐘の音——それは唐代の王何某や李山龍と無数の堕地獄の衆生を救った経典暗誦の音声のように、言語的な意味内容を遥かに超えた、何か根源的な「祈り」の音として、不思議な力を響かせているように思えるのである。


(いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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