タマネギに種はあるのか?
「本当の自分探し」ということが流行ったことがあります。
今の自分ではない、私の中にある本当の自分とはなにかを探そうというのです。しかしどれだけ私の心の中を内を見つめても本当の自分はどこにもないのです。
それをタマネギを剥くことに譬えて話してみましょう。
タマネギの中に種をさがそうとしてタマネギの皮を剥いていく……。
でも、皮も剥いても剥いても種はありません。
すべて剥き終わると、私たちは何もなかったことに気づきます。
タマネギを剥くときには涙がでます。
同じように、自分探しのために、これも自分じゃない、これも自分じゃないと、否定していかなくてはならないことは、つらい作業です。
今の自分に納得ができても、いつまでもそれを保ち続けることができるわけではありませんし、他の人と比べて、自分の容姿や気持ちが変わることだってあります。
結局、私の中に他の人と交換できないような、変わることのない「本当の自分」はいっこうに見つけることができないのです。
つまり、あたかもタマネギの皮を剥いていけば最後には何も残らないのと同じことです。
でも、考えてみましょう。
タマネギの皮こそタマネギそのものであったように、今日の私にまでなってきた経験が私を形づくるのであって、そのほかに本当の私などはないのではないでしょうか。
今、ここに、さまざまな関わりを生きている私を離れて本当の私などどこにもないのです。
さらにもう少し考えてみましょう。
タマネギがタマネギになるためには、土に植えられることが必要でした。雨が降り、日が照ることが必要でした。人が肥料を与えるなどの世話が必要でした。
そのすべてが、タマネギがタマネギになるために必要な条件でした。すると、私が私になるためのすべての条件が、今の私を成り立たせていたことに気づかされるのです。
私を私にしてくれている様々な条件を忘れて、私の中の本当の私を探すことは、実は大きな勘違いなのかもしれません。