キルケゴールとニーチェの何が同じなのか
―ヤスパース『理性と実存』を読む一視点―
親鸞仏教センター属託研究員
越部 良一
(KOSHIBE...
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親鸞仏教センター主任研究員
加来 雄之
(KAKU Takeshi)
どのような時代でも、どのような社会でも、私たちの問題は、自分の置かれている状況や遭遇する事件を受けとめる自己をどのように実現できるのかということにある。
人間が、事実そのものではなく、自我関心や価値観にとらわれた「思い」で作り上げた虚構の世界の中に生きている以上、人は不安から逃れることはできない。だからこそ人は、自分や他人の「思い」に左右されない依り処を与えてくれる何かに惹(ひ)かれるのだろう。その「思い」を超えた依り処として何を選ぶのか。それが、その人の生き方を決定する。
人は、そのような依り処を与えてくれる一つとして宗教(儀礼や信仰)を求めるのかもしれない。
例えば、毎朝の神仏への礼拝など日々の生活における儀礼的な様式や、誕生や結婚や死などの人々の人生の重要な出来事に結びつく儀礼や、大災害などとの遭遇や痛ましい事件を受けとめるための追悼や鎮霊のような特別な儀礼も、そのような要求を満たしてくれる。
また占いなどは日々の行動の指標となり、想定外の事件の意味を神仏からの試練として教えてくれる定式化された信条などは、私たちに安定した生き方を与えてくれるだろう。
しかしそれは本当に「思い」を超えた世界を開いてくるのだろうか。どのような儀礼も信条も、事実そのものを離れて、私たちの「思い」をかなえようとする呪術的・功利的なものにとどまるならば、真の意味で「思い」を超えた世界を開いてこないと思われる。
かつて大谷大学の学生と共に、他力浄土教の受容の現状について調査するための研修で台湾に行ったことがある。台北にある善導流の浄土教を広めている中華浄土宗協会を訪れたとき「念仏機」なる装置を眼にした(下画像、クリックすると音声が流れます)。それは24時間、協会の指導者が「南無阿弥陀仏」と念仏する声をひたすら流し続けるという装置である。最初はとても違和感を覚えた。一つは、自分で念仏せずに装置に念仏という行を代替させるということに。もう一つは、指導者の声を繰り返し流すということに(その行為が、或るカルト的な宗教の修行方法を連想させたからであった)。
後で調べると、この種の機械は台湾や中国などではごく一般的で、ネット上でも、それを鳴らしておくことでさまざまな利益が得られるといううたい文句で「ブッダマシーン」などと呼ばれて販売されていた。聞くところによると、交通事故の場所などにはよく置かれており、亡くなった人が成仏できるように、また鬼にならないように、さらに事故が再び起こらないようにと期待されているということであった。いわば除災招福機である。私もそのようなイメージで受けとめたのである。
ところが協会の或る女性信者に念仏機のことを尋ねたとき、その答えに触れて深く考えさせられた。彼女は次のように語った。
「私は商売をしています。朝から晩まで忙しく客に対応しており、念仏をとなえる暇もありません。しかし念仏機を鳴らしておけば、いつも念仏の中に居ることができるし、阿弥陀仏のことを忘れないですむのです」
そのとき私は、親鸞聖人が念仏の本質を、仏たちが阿弥陀如来の名を称えて私たちに聞かせてくれることである、と受けとめておられることを思い出した。また流れる念仏が協会の指導者の声であることについても、もし法然上人や親鸞聖人の念仏の声が今に残っていたら私もそれを聴いていたいと思うだろう、と考え直した。ひょっとすると念仏機に違和感をもった私の中には、念仏を自分の行為とし、また手柄とするような発想が残っていたのかもしれない。
もちろん念仏機を除災招福機として使用している人も多いだろう。しかし思えば、念仏を呪術的・功利的に捉え、現世や来世の幸福を追求するための道具とする傾向は法然上人や親鸞聖人の時代も同じであった。
私にとって、念仏のイメージが大きく変わったのは、『歎異抄』の有名な親鸞聖人の仰せと出会ったときであった。
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。
ただ念仏して、阿弥陀と名づけられる真実の意味に人生が支えられるならば、地獄におちてしまったとしても、まったく後悔するはずはない。この念仏についての仰せに出会って、私の念仏への印象や向き合い方が変わることになった。
私はときおり不安に襲われる。欲や怒りの思いに苦しめられる。死が怖く、死後に幸せな世界があればと思う。他人の不幸と比較して自分はまだましだという傲慢な思いに囚われる。私は念仏をすれば、このような思いが解決されるだろうと漠然と考えていた。もちろんこのような不安や功利的な思いは今も私から消えてなくなることはない。しかしこの仰せを聴いたとき、できるならば除災招福の念仏ではなく、このような念仏、「ただ念仏」の仰せにしたがっていきたいと感じた。
同じ台湾研修旅行の中で、同行した学生の一人が協会の指導者に次のような質問をした。
「あなたは、戒律を護ることができない人々を救う他力の念仏の教えを伝えているのに、どうしてご自身は出家して戒律を護るのですか」と。
その方は次のように答えた。
「それには二つ理由があります。一つには、私自身は出家の生活が楽しく、好きなのです。もう一つには、台湾では人々に教えを伝えるのに出家の形の方が都合がよいのです。」
この返答は、私に法然上人の有名な仰せを思い出させた。
現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。いわく、ひじり(聖)で申されずば、め(妻)をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。〔中略〕衣食住の三は、念仏の助業也。
(『黒谷上人和語灯録』巻五「諸人伝説の詞」)
法然上人は、念仏ができるように聖という出家の形でも妻をもつ俗人の形でも都合のよいものを選べばよいとし、あわせて衣食住は念仏することを助けるための活動だと結論している。それは衣食住を軽んじてもよいという意味ではない。念仏できる人生を、そして人世を実現することを可能にする衣食住がぜひとも必要だという意味である。
念仏は、この世の営みを否定し、この世の苦しみから逃避するための方法だろうか。そうであれば念仏の生活は次の世のための準備であって、この世において何の内実ももたないことになる。しかし念仏が、この世での営みのすべてを、この人生を深く受けとめていく縁とする場を開くのであれば、「ただ念仏」の生活ほど豊かな内実をもつ生活はない。
「ただ念仏」というのは、決して他のことよりも念仏を優先せよ、例えば仕事も辞めろ、社会活動も止めろという意味ではない。自分のことも、他者との関係も、今の世界のあり方も、命終の後のことも、すべて如来の慈悲と智慧をとおして受けとめ直すということを意味している。
科学技術の時代、生理や心理についての科学も発達したこの現代に、法然・親鸞という名に象徴される「ただ念仏」という仰せは必要とされているのだろうか。科学と念仏の生活は矛盾するのだろうか。
「ただ念仏」は、科学を悪魔扱いしたり、科学のない世を夢想させたりはしない。私たちの生活は科学を必要とする。むしろ「ただ念仏」は、科学を使う人間の「思い」の迷いに気づかせ、「思い」を超えた世界に立ちかえらせる。いかなる人間の属性も状況も問わない唯一の行として選ばれた「ただ念仏」は、人の価値を問わない。そのことによって呪術的・功利的な人生観を超えていく生き方を与えてくれる。
念仏は、一応は人生の出来事を「そのまま」受け容れる道であると言ってよい。しかし、それは無批判な現実肯定や受容を意味しない。「ただ念仏」は、如来の智慧の中でこの生を尽くしていくという私たちの宣言であり、それは出来事を「そのまま」ではなく「ありのままに」受けとめていこうとする態度表明だからである。だからこそ「ただ念仏」は、如来の悲しみにもとづいた批判が生まれてくるための唯一の場を開く。
「思い」を離れることのできない私たちは、「思い」ではどうしても受けとめることのできない現実を、どのように受けとめればよいのだろうか。「ただ念仏」という生き方の中には、それを探求してきた仏者たちの歴史が折りたたまれている。
台湾での「念仏機」との遭遇は、私にとって「念仏」という営みが現代にもつ意味を問い直す「契機」となった。
(かく たけし・親鸞仏教センター主任研究員)
『アンジャリ』第42号
(2022年12月)
奥野 克巳 「境界なき世界の往還と他力――浄土思想からアニミズムを読み解く――」
吉水 岳彦 「慈愛の境界」
栗田 哲男 「「チベット」という語に潜む固定観念」
眞野 明美 「ウィシュマさんが生きていけた社会」
竹村 瑞穂 「スポーツの意味と美しさについて」
横山百合子 「「日記」を書く遊女たち」
講師 本多 弘之 「涅槃、本当に生きることができる場所に立つ」
報告 越部 良一
講師 木村 哲也 「忘れられた存在を語り直す/忘れられた存在と出会い直す―ハンセン病問題と駐在保健婦―」
報告 菊池 弘宣
テーマ:近代の宗門教育制度と清沢満之
江島 尚俊 「明治前期・真宗大谷派における教育制度の特徴—他宗派との比較から考える―」
川口 淳 「メディアにみる大谷派教育と改革運動 —明治20年代の一考察」
藤原 智 「清沢満之と真宗大学(東京)の運営」
林 淳(コメンテーター)
東 真行(司会)
長谷川琢哉(開催趣旨・報告)
菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)③」
田村 晃徳 「寺川俊昭(1928〜2021)」
親鸞仏教センター主任研究員
加来 雄之
(KAKU Takeshi)
「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)
ブッダが大いなる医師に、その教えが薬に喩えられることは、よく知られていることである。
私が愛読している仏教通信誌に『崇信』がある。その最近号に次の文が出ていた。
語れないことを語ってしまっていないか、語りすぎていないか、ということがあります。これは児玉〔暁洋〕先生が、どこかでいわれていたことだと思いますが、医者は間違った薬を出したり、間違った処置をしたら、人を殺してしまうことがある。お坊さんは間違った説教をしたら、いのちを殺してしまう、というようなことをいわれていたと思います。(7頁)
この文を記したのが岸上仁氏である。医者であり僧侶でありまた仏教研究者でもある岸上氏の表現だけに説得力がある。そして、このことは、私もつねづね感じていたことであった。もちろん私も、人生に苦悩を抱えた一人と向き合うときは、それなりに緊張し、言葉を選びながら語っている。数学においてはたった一つの数字のミス、法廷においては不用意な一言が、致命的な結果をもたらすことになる。果たして私はそのような厳しさをもって、仏典を読み、仏教を他者に語っているだろうか。はたして私は、医療行為に関わるような覚悟をもって、親鸞の教えに関わっているだろうか。
いや、私には、そのような姿勢はないとはっきりと言える。先ほどの岸上氏の文のもととなった児玉師の言葉の中に「人びとが、それほど真剣に聴いてくれないのであるから幸いであるが」という指摘がある。その状況に救いを見出しているのが私の正直なところである。
お釈迦さまは、多くの場合、ただ一人の人に向かって、その人の問いに対して、語りかけている。そこに人生の医師として応病与薬(病に応じて薬を与える)という厳粛な姿勢がある。一人の人生を左右するような極限の場面においては、語ってはいけない時と言葉があり、語らねばならない時と言葉があるのだ。
仏教を他者に語るとはどういうことか。それは、冷たい説明や解答を提供することでもなく、相手の感情に巻き込まれることでもなく、時流に迎合することでもない。たとえ正解はなくとも、たとえ試行錯誤に終わっても、つねに生きることの深みと悲しみに立って、ともに如来の智慧のもとに所与の問題に向かい合うことなのだ。
私は、『親鸞仏教センター通信』80号のリレーコラム欄(「近現代の真宗をめぐる人々」)において、山形県大石田町浄栄寺の住職であった織江祐法(1913~1989)氏と安田理深先生夫妻との交流について紹介させてもらった。祐法氏の肖像掲載の許可をとるために孫で現住職の織江尚史さんに連絡した。そのとき、祐法氏の生誕100周年記念誌『ふるさと』に掲載されている、手術前のものと手術後のものとの二つのご夫婦の写真を示し、できれば祐法氏が手術によって上顎と口蓋を失った写真を使用したいと申し入れた。スペースの関係で二つを載せることは難しかったからである。
尚史さんは、遺族としては元気なときの祖父母の写真が好ましいが、術後の写真でも問題ないとの返答があった。それでも私は心配で、「前回、掲載写真についてお気持ちを聞かせていただき感銘を致したのですが、やはりご遺族様のお気持ちが気に掛かっております。ご連絡お待ちします」というメッセージを送った。尚史氏より次のようなメッセージが返ってきた。
「写真については、この写真が病気を患った祖父のありのままの姿でありますので、そのまま載せていただいてもよいと考えます。手術後の写真を人目にさらすことを避けるようでは、門徒さんの前でもあえてマスクをつけなかった祖父の思いに反するような気がするからです。」
この返事を受けて、ありのままの姿を正直に生きようとした祐法氏の勇気を改めて教えられ、またそのことを受けとめようとするご遺族の姿勢に感じるものがあった。ここに掲載できなかったご夫婦のもう1枚の写真を載せておく。
織江氏の問いがもつ特異性は、病気の苦痛や不安に加えて、教えが説くような病気を事実のままに受けとめる信仰が実現できず動揺するという不審を正直に告白したことにある。この不審という病に対する薬を祐法氏は求めていた。安田理深夫妻の処方した薬は、すぐ効くということにはならなかったが、決して完治することのない実存の病において命終わるまで服用しつづける質のものとなった。
(2022年7月1日)
【参考文献】『ふるさと——父からのたより——(織江祐法・義 生誕100周年記念誌)』(浄栄寺、2014年)。本多弘之「安田理深『僧伽』を念じつづけて 『織江氏の問いに答えて』(『親鸞に出会った人びと5』同朋舎)。『崇信』(崇信学舎、2022年5月1日発行)。
KAKEN等を参照。
井手 英策 「尊厳と思いやりが交響する財政―次の世代がその次の世代とつながるために―」
加来 雄之 「「対偽対仮」という営み――「顕浄土方便化身土文類」の課題――」
全体テーマ:「清沢満之から問われるもの――異領域間の「対話」は可能か?――」
【問題提起】
繁田 真爾 「方法としての〈清沢満之〉の可能性――「悪」と近代への問い」
名畑直日児 「清沢満之再誕――その歴史的意味」
杉本 耕一 「今村仁司の清沢満之論と「宗教哲学」の課題」
【全体討議】
岩田 文昭(コメンテーター)・名和 達宣(司会)
【追想】
岩田 文昭「杉本耕一君の逝去を受けて」
下田 正弘 「称名念仏と浄土―現代の思想的課題からの照射―」
本多 弘之 「深層意識の自覚化」
本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(21)」
講師 本多 弘之 「名が行となるということ」
報告 越部 良一
講師 内藤 正典 「イスラームとその世界―私たちが知っておくべきこと―」
報告 田村 晃徳
講師 加来 雄之 「「対偽対仮」という営み―「顕浄土方便化身土文類」の課題―」
報告 藤原 智
テーマ 「清沢満之から問われるもの―異領域間の「対話」は可能か?―」
繁田 真爾 「方法としての〈清沢満之〉の可能性―― 「悪」と近代への問い ――」
名畑直日児 「満之再誕―― その歴史的意味 ――」
杉本 耕一 「今村仁司の清沢満之論と「宗教哲学」の課題」
岩田 文昭(コメンテーター) 名和 達宣(司会・企画)
内記 洸 「善導大師の銘文」(2)
名和 達宣 「鎌倉市稲村ヶ崎・寸心荘」
芹沢 俊介 「『観経』の世界・私観」
向谷地生良 「病むこと、生きること――べてるの家の歩みかた――」
加来 雄之 「清沢満之と宗教言説――自足と修養――」
織田 顕祐 「大乗『涅槃経』の思想と『教行信証』」
【問題提起】
香川 知晶 「いま〈いのち〉に向き合うということ――メタバイオエシックスの視点から――」
【全体討議】
池上 哲司(コメンテーター)
テーマ:「「ともに生きる」世界を再生するために」
【講演】
内山 節 「「ともに生きる」世界を取り戻すために」
本多 弘之 「本願の共同体」
本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(10)」