親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第187回「「彼女」はやって来て、そして去っていく――または、生きている終り」

living end

親鸞仏教センター嘱託研究員

越部 良一

(KOSHIBE Ryoichi)

 デヴィッド・ボウイの1973年のアルバム『アラジン・セイン』の最終曲「Lady grinning soul」は、「She’ll come, she’ll go」と歌い出し、「She will be your living end」で終る。


 「She」は、娼婦とロック歌手の両義をもたされている。夜な夜な現れて客の相手をし、一夜の関係をもち、太陽に追われるかのようにどこかへ去って行くのである。

 曲のタイトルにあるgrinを辞書で引くと、歯を見せて笑うこと、親しみを込めるときだけでなく、嘲笑(ちょうしょう)、軽蔑(けいべつ)、嫌悪、敵意、苦痛を示すものでもあることがわかる。これも両義的なのだ。歌の中では「lady from another grinning soul」と表現される。「彼女」は「私」と別のもう一人のgrinning soulであると。もしくは、この世間とは別の世界から来た女性であると。世間を越えたその笑いは、いつでも噛みつく用意をしている。相手が単なる世間に埋没してゆくときには。


 living endは、これも辞書を引くと、最高のもの、と出ている。livingが強烈な、本当のさまを意味し、endは究極を表わすからである。しかし、こんなふうに訳してもほとんど意味をなさない。言うまでもなく、これもまた両義的、矛盾的な表現であって、「生きている」と「死」をくっつけているのである。endは終りであり目的である。この世の命を賭すものに生きる中で出会うこと、これが人間の真の願いだということである。だがこの願い、「She」は長居できない。「彼女」は人間世界に捕えきれないが、「私」は世間のものでもあるから。「彼女」はやって来ては去って行く、ただその刹那(せつな)にliving endはある。


 ボウイはこのころ、ルー・リードとイギー・ポップのアルバムをプロデュースしている。ボウイが心寄せていたシド・バレットが精神状態をおかしくして音楽界から遠ざかって行ったのもこのころのことである。1970年、71年は、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンが相次いで亡くなっていった。今、名前を挙げた人たちは、ボウイを除いて、60年代半ば過ぎ(66年から69年)のロックという、その後のロック・アーティストの誰も到達し得ない音楽の高みの中に現前し、それを牽引(けんいん)した人たちである。ボウイは遅れてやって来たのだ、この人たちを見やりながら。そのありさまたるや、世間的な命に囚(とら)われることのない、「ロックン・ロールの自殺者」(ボウイの一つ前のアルバムの最終曲)と呼ぶにふさわしい人たち、「She」とはこうした音楽家の魂なのである。


 夜な夜なそうした魂のもとへ、芸術の女神のもとへ馳(は)せ参じながら、これが自らの魂でもあり、この魂を聴衆の面前に現前させることこそ自らの願いでもあるとボウイは確信したにちがいないのだから、「She」はボウイの「I」でもある。だから化粧をして女性の如き衣装を身にまとって舞台に出て行くのだ。そうして歌い出す、「She’ll come, she’ll go. She’ll lay belief on you」。


 その通り、私は信ずる、この曲が、不断に憧憬(しょうけい)と化すliving endを現前させるということを。

(2018年12月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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投稿者:shinran-bc 投稿日時: