親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

『アンジャリ』第34号

飯島孝良 掲載Contents

『アンジャリ』第34号

(2017年12月)

■ Contents

井上 智洋 「人工知能がもたらす労働のない社会」

山内 志朗 「雪と重力」

福嶋  聡 「書店は、劇場である」

木村 草太 「法教育の重要性」

さとうまきこ 「三十五年前の個人面談」

岸上  仁 「いのちの根源的連帯を求めて」

吉永 進一 「大拙研究の新展開――日文研国際シンポジウム「鈴木大拙を顧みる:没後五十年を記念して」に出席して」

■ 連載
■ 巻末コラム

飯島 孝良 「或る夏の「帰郷」」

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第62号

飯島孝良 掲載Contents

巻頭言

青柳 英司 「祖父とマンゴー」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「むなしくすぐるひとぞなき」

報告 越部 良一

■ 第55回現代と親鸞の研究会報告

講師 芦川 進一 「ドストエフスキイ、イエス像探求の足跡―ユダ的人間論とキリスト論―」

報告 飯島 孝良

■ 『教行信証』と善導研究会

講師 柴田 泰山 「善導『観経疏』について」

報告 青柳 英司

■ 『西方指南抄』研究会

講師 末木文美士 「菩薩の倫理とその根拠」

報告 中村 玲太

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「聖徳太子の銘文」

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

戸次 顕彰 「求道会館」

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第171回「無知を「批判」的に自覚する契機―「浪人」ということについて―」

飯島孝良

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 先日、ある予備校が主催するセミナーで短い講演をする機会を頂戴した。百数十人を収容する教室を一杯にしたのは、最高レベルの理系学部や医学部を志望する浪人生の皆さんだった。少子化のあおりで浪人生は減少の一途といわれるが、専門性の高い医学部と芸術学部は例外である。


 じつは、自分自身「予備校」という空間には浅からぬ思い入れがある。入試でつまずき、自らの無知と無力に直面させられ、絶対に合格するという保証がないなかでも歯を食いしばって鍛錬を重ねる日々――そう書き連ねるといかにも辛そうに思われるかもしれないが、自分のなかには独特な解放感もあった。担うべきものもなく、ただただ貪欲に知を吸収しようとしていたのである。毎日ひたすら問題に打ち込めばよいというのは、考えてみれば贅沢なことなのだった。そして、「将来的には日本の思想史を学んでみたい」という思いが湧きたち、一休や白隠や親鸞といった存在に改めて気づかされたのも、まさにこの浪人時代であった。


 予備校という空間で学んだことは多々あるが、何より深く思い知らされたことは、「己に批判的でなければならない」ということであった。「批判」とは罵詈雑言を並べ立てることではなく、主観を排して実体を客観的に冷静に捉えるということである――「発見するうえで最大の障害となるのは無知ではなく、知っていると錯覚することなのである(The greatest obstacle to discovery is not ignorance ―― it is the illusion of knowledge.)」という、米国の歴史家であるダニエル・J・ブーアスティン(Daniel Joseph Boorstin)のことばに深い感銘を受けたのは、入試英語を通してである。その後、今度は自分が高校生や浪人生を相手に入試英語を講じる立場になってからも、繰り返し強調するのは「己に批判的でなければならない」ということであった。そしてそれは、他ならぬ自分自身への戒めであり続けている。


 ものを知り、理解が進むと、あたかも世界と歴史と人間のあらゆることがわかりきったような錯覚がもたらされるかもしれない。卓抜した知性を有していればいるほど、その度合いは強くもなろう。しかし、その錯覚が最終的には度し難いエリート意識につながり、人間を思いあがらせてしまうものとなったら、どうだろうか。更に言えば、生と死という最も根本的な問いを「知り尽くす」などということが、原理的にあり得るだろうか。そう考えれば、「浪人」という、一見すれば社会全体から切り捨てられたかのような気にせられる体験は、決して無駄なものではないはずである。むしろ、「自分が何もかも知っている」などと思いあがるような「恥ずべき無知(アマルティア)」(『ソクラテスの弁明』)を「批判」的に自覚する契機として、「浪人」という時代と予備校という空間があってもいいのではないか。いや、まだ何ものでもない「浪人」という在り方こそ、自己を「批判」的にみつめるきっかけを与えてくれるにちがいない――教室一杯に参集してくださった浪人生を前に、かつての予備校生から伝えたかったのはこういう思いである。


 これから医者になり、行政のトップになり、それこそ世の羨むようなエリートになろうとする方々を前に、「無知こそ重要」などと語りかけるのは、いささか場違いのようにも思われるだろうか。そうではなく、こういう自らの無知や傲慢を批判的に見つめ続けることには、知性や年齢や地位などに関わらないきわめて普遍的な問題と思えてならない。


***


 当日、そうした思いを提示するうえで用いたのは、ふたつの資料である。ひとつは「重力がどのように発見されたか」について、アリストテレス~中世アラブ思想からスコラ哲学~ルネサンスと科学革命に到る変遷を取り上げた英語長文問題である。科学的発見が、人類の無知の自覚に端を発することを見つめてもらおうと考えてのことである。もうひとつ話題に出したのは、一休の頂相(ちんそう。肖像画)である。この奈良国立博物館に所蔵の頂相は五十代半ばの姿とされるが、この時期の一休は既成権力たる禅門から距離を置いて鋭い言句をぶつけ続けていた。ともすれば「とんち小僧」のイメージに限定されがちな一休には、じつは破天荒で複雑な内実もあったのである。そして、そこにある「批判」の精神は、そのまま「自分はその批判に足る禅者なのか」という自省をもたらすものでもあった。そうした在り方こそ、ひとつの「浪人」なのではないのだろうか。「浪人」は、現代ならば大学入試に留まらない普遍的な精神性ともなり得るのでは――そんな思いも腹の底に据えて、浪人生の皆さんへお話をした。


 科学知の形成過程にせよ、一休の「像」にせよ、われわれがそれらに触れるうえで最大の障害は「知っていると錯覚すること」に他ならないのである。与えられた時間の枠内で語ったなかから、「批判」の精神をめぐるメッセージが少しでも伝わっていてくれればよいのだが。


※『ソクラテスの弁明』(納富信留訳)については、名和達宜元研究員によるブックレビューがある。


(2017年8月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA...
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...
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今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。  5lack(スラック)というラッパーには、ことさら影響を受けた。かれの名のりである...

著者別アーカイブ

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『現代と親鸞』第35号

飯島孝良 掲載Contents

研究論文
■ 第52回現代と親鸞の研究会

井手 英策 「尊厳と思いやりが交響する財政―次の世代がその次の世代とつながるために―」

■ 『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会

加来 雄之 「「対偽対仮」という営み――「顕浄土方便化身土文類」の課題――」

■ 第2回「清沢満之研究交流会」報告

全体テーマ:「清沢満之から問われるもの――異領域間の「対話」は可能か?――」

【問題提起】

繁田 真爾 「方法としての〈清沢満之〉の可能性――「悪」と近代への問い」

名畑直日児 「清沢満之再誕――その歴史的意味」

杉本 耕一 「今村仁司の清沢満之論と「宗教哲学」の課題」

【全体討議】

岩田 文昭(コメンテーター)・名和 達宣(司会)

【追想】

岩田 文昭「杉本耕一君の逝去を受けて」

■ 第13回親鸞仏教センターのつどい

下田 正弘 「称名念仏と浄土―現代の思想的課題からの照射―」

本多 弘之 「深層意識の自覚化」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(21)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
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研究会・Interview
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「親鸞仏教センター通信」第59号

飯島孝良 掲載Contents

巻頭言

長谷川琢哉 「語りえぬものを前にした沈黙」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「信心の能動性」

報告 越部 良一

■ 英訳『教行信証』研究会報告

田村 晃徳 「今、ここに在ること」

■ 第15回親鸞仏教センター研究交流サロン報告

提題 川井 博義 「現代と古典―「役立つ」学びとは?」

討議 田中さをり(コメンテーター)

報告 中村 玲太

■ 『西方指南抄』研究会報告

中村 玲太 「「私釈」か「善導の釈意」か―「廃立」から見る法然の逡巡―」

■ BOOK OF THE YEAR 2016

●『斎藤茂吉 悩める精神病医の眼差し』(小泉博明著)

紹介者 本多 弘之

●『〈個〉からはじめる生命論』(加藤秀一著)

紹介者 中村 玲太

●『ギリシア人の物語』(塩野七生著)

紹介者 青柳 英司

●『井上円了――日本近代の先駆者の生涯と思想』(三浦節夫著)

紹介者 長谷川琢哉

●『白隠――禅画の世界』(芳澤勝弘著)

紹介者 飯島 孝良

●『命売ります』(三島由紀夫著)

紹介者 橘  秀憲

●『恋文の技術』(森見登美彦著)

紹介者 佐々木 啓

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「善導大師の銘文」(4)

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

青柳 英司 「真宗大学跡」

コラム・エッセイ
講座・イベント
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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第162回「遊ぶ子どもの声きけば」

飯島孝良

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 生来が子ども好きであって、赤ん坊や幼な児を前にすると途端に顔がほころんでしまう。ひとさまの子にもかかわらず、むさぼるようにあやしてすぐさま仲良くなってしまうものだから、口さがない友人からはかしこくも「子どもころがし」の異名を拝している。

 一言反論をおゆるしいただけるならば、実際には子どもをあやしているのではなく、こちらがころがされているに過ぎない。あくまで子どもになりきって、肩を並べて夢中に戯れ遊ぶ――そのとき、何ものにも縛られていない生命の根源に触れる思いがしてくる。何ものも書き込まれていないタブラ・ラサ(白紙)として生れ来た子どもは、「無垢」であることの無限の可能性を思い出させてくれるからである。


遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ、遊ぶ子どもの声きけば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ


『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』のこの一句は、われわれひとりひとりの実存そのものに思えてならない。すべてが「遊び」「戯れ」だとして、それを純粋無垢に楽しみきる。そうして遊ぶ子どもの「声」に「わが身」も交響して動かされていく、というのである。

 日本臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいん えかく)〔1685~1786〕の禅画に「布袋携童図」(永青文庫蔵)がある。布袋(ほてい)が傘をさして子どもの手を引いている図柄であり、図の左には賛が付されている。


七ツに成る子がいたひけな事云ふた 人も傘をさすならばわれらもかさをさそうよ


これは狂言『末広がり』にみえる「傘をさすなる春日山、これも神の誓いとて、人が傘をさすなら、我も傘をさそうよ」の句とも重なり、神仏の庇護の下に在ることを暗示するものだと考えられている。そして、神仏から授かる福の象徴である「餅花(御福餅)」を手にした子ども=衆生の呼びかけに応えて、共に仏をたずねていく布袋=白隠の姿が描かれたものであるという(芳澤勝弘『白隠―禅画の世界―』角川ソフィア文庫)。『浄土論』に、「大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化身(おうけしん)を示して、生死(しょうじ)の園・煩悩の林の中に回入(えにゅう)して、神通(じんずう)に遊戯(ゆげ)し教化地(きょうけじ)に至る」という。菩薩は衆生の迷いと煩悩の現場に入っていき、そこで神通に遊戯して教化する、というのである。子どもと布袋とが遊び戯れるところ、それを白隠は「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」――悟りを求めるなかで衆生を救いとっていく――と表しているのだろう。

 子どもの自由で無邪気な声に触れるとき、我も彼もなく、ただ慈しみが満たしきる、そういう感応道交の有様が「遊戯三昧」ではないだろうか。

(2016年11月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...
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今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。  5lack(スラック)というラッパーには、ことさら影響を受けた。かれの名のりである...

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