親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④

飯島孝良

龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

吉永  これまでの仏教史や宗教史では、身体やお金のようなマテリアルは軽視されてきたけれども、そういうマテリアルをもう一回見直したほうがよいという一般論は立てられると思うんですね。ではその一般論を越えてどういう見通しが立つかと言えば、僕にはよくわからない。ただ、今までつくられてきた「近代仏教」や「新宗教」というようなカテゴリーは、そろそろ一回外してみたほうがよいだろうなとは思います。今の「新宗教」だって、あと100年もすれば、立派な「宗派」になり得るわけです。そういう「宗門史」で留めてしまうと、100年後には後悔が残るんじゃないでしょうか。

 

長谷川  岡田先生も、その解釈をおっしゃっていましたね。

 

飯島  改めて大拙研究についてお聞きしたいのですが、大拙は旧来ずっと関心をもたれてきていながら、どちらかと言えば伝説化されてしまっていましたよね。それが昨今は、だんだんと客観的な研究対象として見られ出してきています。それこそジュディス・スノドグラス先生やリチャード・ジャフィ先生(デューク大学教授)のような欧米の研究者の関心は、米国の時代状況や人間関係のなかで一書生のような大拙がどう活動したのかという点ですね。D・T・スズキというブランドが米国にどう影響したのか、あるいはビアトリス夫人がどうして大拙の仏教観に影響を受けたのか、あるいは影響を与えたのか、ビアトリスの人となりも含めて史料的に研究されてきている。

 一方で、大拙の和文著作がちゃんとあるわけです。それら――『禅思想史研究』や『浄土系思想論』や『日本的霊性』といったもの――にも大拙の思想的なところが、当然あるんですよね。ある意味で一番厄介な、大拙の読みにくい部分をどう考えていくのか。これについては、小川隆先生(駒澤大学教授)や石井修道先生(駒澤大学名誉教授)、最近では安藤礼二先生が、ようやく着手されている印象です。

 そうした中で、吉永先生はこれからの大拙研究をどのように捉えていらっしゃるか、今後何が必要と感じていらっしゃるか、うかがえますか。

 

吉永  大拙研究は時間がかかるでしょうね。そもそも、大拙の研究がきちんとスタートしたと言えるのは、そんな古い話ではないのに、まだ信頼し得る伝記がないわけですから、歴史的に大拙の生涯がどういうものだったのか、はっきり言えないわけです。幸いなことに桐田清秀先生が残した詳細な年譜があります。あれは事実の羅列ですが、項目と項目に連関をつけて、外部の資料をつきあわせていけば、かなり充実した伝記ができるはずです。まず何よりも、今後の叩き台となる伝記をつくらなければいけないでしょうね(※参照;桐田清秀『鈴木大拙研究基礎資料』〔松ヶ岡文庫、2005〕。なお、同書の電子版は、松ヶ岡文庫のホームページから無料ダウンロードできる)。

 そういう事実を踏まえたうえで、その思想がどうかを検討し得る。だから、西洋思想からの研究と禅の伝統からの研究の二つをどこで折り合いをつけるのかというような問題は、まだ先だろうと思うんです。

 例えば19世紀のヨーロッパ社会での仏教のイメージと言えば、怪しげな邪教というような印象が強いわけですよね。「どこか遠くの国から入ってきた新宗教が、どういうわけか若い者の間で広まっている」ということになったら、みんなそこで偏見をもちます。そういう偏見をもたれていたところが、欧米圏での仏教のスタートラインだと思ってよいのではないでしょうか。そこに入ってみようとする当時の欧米人は、よほど物好きか変人なわけですよ。というのも、キリスト教にだいたい満足しているというなら、仏教へわざわざ入るわけがないじゃないですか。旧来のキリスト教では満足し得ない人たちが、どうしても仏教に問題解決を求めて入ってくる。しかも、その解決すべき問題が意外に普遍的だった。

 

長谷川  普遍的?

 

吉永  そうです。21世紀になると、マインドフルネス的な瞑想を実践しようとする人々がそこら中にいるという状況になってくる。もしかしたら、近代社会の変化の中で「仏教」(欧米圏で広まった形での)は非常に有効に働いたのであって、だからこそ広まったんじゃないか。しかも、その中で大拙の果たした働きは大きい――そこまではみなわかっているわけですね。

 ですから、大拙の思想について考えると、問題が二つあります。ひとつ目の問題は、例えば伝統的な仏教――臨済禅や真宗――を、大拙がどこまで保持していたのかということ。これは大体、これまでみなが批判する点ですね。二つ目の問題としては、そうした大拙の思想が現代に対してどれだけ大きいものをもたらしたのかということ。これはどういうような観点で評価するのかという、評価軸の問題もありますからいろいろな解答は出ると思います。大きな影響を与えたのは確かであるし、しかもそれは決して悪いものではなかっただろうと思いますし、海外への影響ばかり喧伝されますが、僕のような一般人の仏教観、禅観へかなり大きな影響を与えたのではないかと思うんです。

 大拙の思想的な研究と伝記的な研究とはどこかで融合するはずです。だとしても、もう少し時間はかかるのだと思います。というのは、大拙の批判的な研究を経て、改めて大拙への評価が始まったのは、末木文美士先生(国際日本文化研究センター名誉教授)以降、ほんの4~5年ですよね。

 いずれにせよ、まだ10年はかかると思いますよ。特に歴史資料はかなり整理されているのにもかかわらず、歴史学的に信頼できる資料が基本的に整理されきっていないというのがすごく残念ですね。結局、少数のすごく熱心な大拙研究者が伝記的な研究を熱心にやっていただけで、その問題が共有されていない。そういう伝記的な研究を多くの人が共有して、どんどん疑問点を出し、それをもう一回、思想へとフィードバックしていかなければ、なかなか次の世代にバトンタッチできないのではないかと思いますね。年寄りの世代は仏教好きなので、今はまだ大拙に人気はありますけれども、次の世代にバトンタッチするとなると、今のままでは研究としても大拙の理解としてもまだ不充分じゃないでしょうかね。

 大拙は達観した人生の達人のように語られます。確かに成功した人生だとは思いますが、まったくノンシャランで仏教研究に打ち込んだわけでもない。几帳面で事細かく人生に処した面もあり、誰の人生とも同じように、苦労と喜びが綾なしていたような――苦労と喜びは同じ事柄の両面ですから――そういう気がして仕方がないです。なにしろ、ものすごく遅咲きですよね。大谷大に就職して、仏教研究に専念できるようになったのが51歳です。しかも最終学歴は中等学校(現在の高校)卒業です。父親と母親を20歳までに亡くしているわけです。これだけで考えても、大学教員に至る前半生が平坦なものとは言えないでしょう。誰であれ、思想は、自分の人生の苦闘からしか得られないのですから、そこはよく考える必要があるかと思います。

 あと、われわれは大拙の著述のどういうところを面白いと思うのか。仏教の解説書として優れているかと言うと、あれだけ仏教研究者からの批判もあるので、解説としては最良のものではないのかもしれません。紙ゴミで捨ててしまう人もいるかもしれません。しかし、僕のように、紙ゴミで捨てるということもなく、やはり何度も取り出して読んでしまいたくなる人も少なからずいると思います。その魅力は何なのか。大拙は他人事として仏教を読んでいない、という点は大事なことだと思うんですが、では大拙が自分事として語ったものが、なぜ自分に共感できるのかとか、いろいろ疑念が湧いてくると思うんです。そうした疑念を突き詰めて考えてみる。自分の中から出て来る、大拙の面白味の由来を考えてみる。これもまた面白くも大事なことではないでしょうか。

 

長谷川・飯島  今回はどうもありがとうございました。(了)

 

 

インタビューを終えて

 

 吉永先生のインタビューで語られているのは、「宗教」、「哲学」、「文化」といった既存のカテゴリーを疑い、それらすべてを包摂する流動的な混沌――たとえばそれは「生(life)」という言葉でも名指される――を柔軟にとらえることの必要性であった。そして「近代仏教」という研究領域が注目を集めているのも、それが多様なアプローチを許容する(あるいはむしろ要求する)混沌とした対象だからでもあるだろう。「近代仏教」という領域そのものが、いわば「宗教」や「哲学」といった既存のカテゴリーの問い直しを突きつけてくるのである。

 インタビューの後半で、飯島氏と私は、それぞれが研究している鈴木大拙や井上円了についてうかがった。大拙にしろ円了にしろ、「仏教者」や「哲学者」といった既存のカテゴリーでは捉えきれない(それゆえ特定のディシプリンだけでは捉えきれない)ある種の混沌でもあるからだ。われわれはそうした混沌を捉えるための柔軟な知性を吉永先生に認め、そのなにがしかを学ぼうとしたのである。また混沌とした対象を捉えるには個人の視点だけでは不十分であり、だからこそ国内外の研究者のネットワークが必要になる。吉永先生を中心に形成された国際的・学際的ネットワークは、それ自体が一種の方法論でもあるのかもしれない。しかしいずれにせよ、今回われわれが垣間見ることができたのは、吉永進一という混沌のごく一部にすぎない。近い将来、より本格的な吉永進一研究のネットワークが形成されることを願うばかりである。

(長谷川琢哉・飯島孝良)

 

(文責:親鸞仏教センター)

 

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吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第23回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」③

飯島孝良

龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

飯島  今、吉永先生や岡田正彦先生(天理大学教授)、あるいは大谷栄一先生がされている近代仏教研究というものと、大正から昭和にかけて京大の宗教学でされている哲学的な仏教研究は、どちらもある種の近代性を帯びながら発展してきたわけですよね。両者は重なるようで違う方が強いようにも感じるんですが、如何でしょうか。


吉永  仏教史の中で京都学派を考えてみるって面白いと思うんです。

 例えば、西田幾多郎(1870~1945)と仏教との関係を考えるとき、単純に禅で得た経験を言語化したとか、理論化したというのは単純すぎるとは思います。西田は哲学として確立しようとしてたのですから、まずは切り離して考えるべきだと思うんです。ただ、日本における「哲学」は、井上円了(1858~1919)によって仏教擁護論に用いられるなどしますし、思想的にも井上哲次郎らが提唱していた「現象即実在論」は『大乗起信論』の影響もあるといいますよね。ですから、西田が哲学を考える際の前提には仏教の影響があったのではないかというのが一点、そして大正時代以降、西田哲学は求道的な若者に受容されます。一種の代替宗教的な、今でいえばスピリチュアルな場なのでしょうが、そういう前後の文脈を考えてみたらどうかということです。

 そう考えることは、決して西田の思想にある普遍性が損なわれることではないんですが、ただ、西田が言いたかったことを考えるとき、そうした近代仏教の思想史や社会史的なところにもう一回落としてみると、実は見え方が違うんじゃないか――そういうことです。

 少し話が飛躍してしまいますが、突き詰めて考えてみると、厳密な意味で、哲学、道徳、宗教、あるいは政治というカテゴリー分けができるのかという疑問があります。ジェイムズは『宗教的経験の諸相』の冒頭で、「宗教」をかなり苦心して定義しているのです。その苦闘を読むと、そもそも定義は無理ではないかと思います。なにしろ、われわれの生(life)は切り分けられない連続だと彼は主張しているのですから。カテゴリーは後知恵にすぎない。さまざまな融合や結合が出てくるのは当たり前であると考えて、西田幾多郞や鈴木大拙を考えてみることもできると思うんですね。

 簡単に言えば、「宗教」というカテゴリーを一回疑ってみたうえで、もっと流動的なものとして考えてみようという気持ちはあります。「宗教」ということばにもちろんこだわるんだけれども、ただそれを原理主義的に狭く使うのではなくて、もうちょっと弾力的に用いて、カテゴリー間の往来や思想の往還のようなものを見ていこうという気はするんですね。


飯島  そういう弾力性を前提にして、さまざまな側面から近代の仏教を捉えていくというのは、共通認識になりそうでまだなりきってないようにも感じますね。


吉永  共通認識になるのは難しいと思う。具体的にいえば、近代仏教だとしても、やはり宗門の近代史が中心になりますし、またそこから学ぶことは多いのですが、宗門だけで語っていると、近代史のダイナミックさが見えにくくなるのだとも思います。ただ、近代仏教史研究は、研究者の側も、僕のような外道も含めて、色々なディシプリンの人間が入り込んでいます。単に共通点は近代というだけですから。ですので、さまざまな議論ができるという強みがありますね。


飯島  逆に、近代仏教研究に足りないなとか、もっとやったらいいじゃないかと感じる部分はありますか。

吉永 ひとつは、近代仏教をやる人は、英語、フランス語、ドイツ語、何でもいいですけれども、よその国の近代仏教研究ともう少し対話していってほしいなというのはありますよね。これからは、やはり中国だろうなと思いますね。中国の近代仏教研究は、ようやく吉田久一前夜ぐらいまできていると思います。坂井田夕起子さん(愛知大学国際問題研究所客員研究員)が、このごろ太虚(1890~1947)の研究会が立ち上がったと書いておられて、ああいう東アジアのネットワークがもうちょっと広がったらいいと思います。

 もうひとつは、新宗教と近代仏教の垣根をどうやって突破するか。真如苑や創価学会が、研究分野では宗教社会学になるわけですけれども、近代仏教史の方から見たらどうかと思うんですよね。


長谷川  なるほど。確かにそこにはちょっと線があるんですかね。


吉永  仏教思想の近代における展開といった視点で、伝統との連続性に留意しながら新宗教史を見直してみたらどうかという気もするんです。


飯島  宗派という観点でいうと、近代仏教史研究会の研究発表などで多いのは、やはり浄土真宗です。浄土宗や日蓮宗も多いですね。僕にとっては意外なんですけれども、禅は近代仏教研究で携わる方がいらっしゃらないんですよね。


吉永  日蓮宗については、日蓮主義の研究は盛んなのですが、近代日蓮宗はどうだったのか、となるとどうでしょうね。教学の近代化はどうなっていたのかとか、あるいは修法師のように祈祷の近代化はどうなっていたのかとか。ただ、禅宗となると、ほんとよく分からない。例えば、曹洞宗の近代化とは何だったのか、明らかになってほしい。忽滑谷快天(1867~1934)と原田祖岳(1871~1961)の「正信論争」のようなものは、すごく大きな運動だったはずなのに、すべて教団の中の話だということで結論づけられてしまっている。清沢満之(1863~1903)の場合ならば、宗門改革の運動が最終的にはかなりの広がりをもつ思想運動にまで展開するわけですね。そうした思想運動にまで広がらなかったのはどうしてなのかというのは、確かにありますね。

 さらに言えば、臨済宗全体の展開に関しても、色々なところが判然としない。特に臨済宗は釈宗演(1860~1919)のようなスターが出て、そのスターの話だけで終わっちゃうんですよね。ただ、禅宗の近代は、曹洞、臨済を問わず、老師とその帰依者による宗門内の半ば独立的な組織が、宗門全体の生命力を支えていたとは言えるので、そうしたスター研究の裾野を広げるという必要もあると思います。


飯島  臨済宗の場合は、例えば、今北洪川(1816~1892)や釈宗演が居士林という形で、居士にどんどん開いていく動きが特徴的ですよね。それに関連しては、レベッカ・メンデルソンさん(デューク大学大学院)が研究されているような興禅護国会の流れが、現在の白山道場へつながっていく。そういう居士にどんどん開いていくというムーブメントが、円覚寺派という一宗派に限定したものだったのか、あるいは臨済宗全体が教団としてどう考えていたのか、そこを明らかにしていかねばならないですよね。


吉永  曹洞宗の方でもうひとつ気がついたことは、学林の伝統が強いのかなという印象です。もともと学問の自立性というのは、曹洞宗は高かったのかもしれない。逆にいうと、それが宗門の教学にどこまでフィードバックできたのかという問題もありますよね。だから、曹洞宗は宗教学や仏教学に非常に大きな足跡を残しているけれども、それが在家教化にとってどうだったのか。大内青巒(1845~1918)の編集した修証義は見事なものだと思うのですが、それ以外に何があったのかよく分からない。あれだけの組織が現代まで維持されてきたわけなので、今後研究されていくべきだろうと思います(このインタビュー後、武井謙吾くんという若手の研究者から近代曹洞宗における授戒会の研究発表を聞きましたが、やはり儀礼を含めて身体から見る近代仏教史の研究は進められるべきかなと思いました)。


飯島  先ほど吉永先生がご指摘くださった海外進出や海外交流という点で言えば、禅では、鈴木大拙などをキックボードにして、まったく個の体験に還元していく。それが多くの混交を重ねて、欧米圏でまったく独特のものになるわけですよね。その中で面白いのは、弟子丸泰仙(1914~1982)がどんどんヨーロッパへ進出して、澤木興道(1880~1965)から弟子丸泰仙という法系がヨーロッパを席巻して道場も多くできていく。今、そうしたヨーロッパで独特に展開した道場を曹洞宗の本流に紐づけていく動きも出てきて、曹洞宗はフランスに設けたヨーロッパ国際布教総監部が盛んに活動しているようです。

 しかし、龍沢寺(静岡県三島市)の中川球童(死活庵/1927~2007)が米国やイスラエルで布教したことは、臨済宗ではむしろ例外的なような印象さえあります。だから、欧米の方々がイメージするZENは、長らく「D・T・スズキの教えに近いことを実践すること」というものだった印象が強い。ビートニク世代が受容したような仕方が、そのままどんどん拡散していって、宗派でもないような独特なZENが発展しているというのは、面白い現象だと思うんですよね。


吉永  そうですね、やはり臨済宗は釈宗演の系譜に接する人びとがみな面白いですよね。特に佐々木指月(1882~1945)が面白い。誰か本気で研究してほしい。あれはすごいです。

長谷川 2018年3月に開催した清沢満之研究交流会では、思想を歴史的にもう一回問い直すことが趣旨だったのですが、あまりかみ合わなかったんですよね。私がその企画をしたのは、「吉田久一に代表される戦後の近代仏教研究というものをもう一度相対化して、思想史的な研究をしたい」と言いました。それを吉永先生の表現をお借りして言えば、「大きな物語」や「イデオロギー」といったすごく明確な価値基準がかつてはあったわけですよね。例えば、国家と宗教とはそれぞれ個別の問題として分けるべきで、そのうえで「清沢の精神主義は○○という部分があったからいい」「▽▽以外は駄目だ」というような形で位置づけていた。けれども、その価値観だけではもう見られなくなってきている。井上円了も、それだともうまったく見られなくなりますよね。

 その上でどうするのかを考えると、吉永先生がおっしゃるように、「もう一回史料に戻ってさまざまな関係性を見たりしていくことをやらざるを得ない」ということまでは言いました。その後に、星野靖二さん(國學院大學准教授)が「その上で改めて、歴史をもう一回描くとすると、どういうように書けるのか。例えば、近代仏教史というものを書くときにどう書けるのか」というご指摘をされたんですよね。こうした点を、吉永先生はどのようにお考えになりますか。


吉永  ひとつは、僕は学問に対する信頼があるので、はじめはすべてが少し混沌としていても、次の時代にはまた何かしら「物語」が必ず出てくるはずなので、気にはしてないんです。では自分が何を考えているのか。大きな物語を提案することはできないのですが、自分にとっての近代を見ていく上での、現在のこだわりというと、やはり、「身体からみる宗教史」というものですね。先ほど「術」のことを言いましたが、もう少し個別に言えば、その「術」というのは霊術や精神療法、あるいは修養ですよ。

 近現代だと「身体」と「頭」というのは、完璧に分離されたものと捉えられていて、「身体」はブラックボックスだと言われてきた。そうではなくて、身体を使う作法とか、作法から出てくる何かしらの知恵とか、そういう視点から見ることはできないのかという気はしています。そのときの「身体」というのは、もちろん「心」も含んで考えているし、その前提となる仏教のイデオロギーやアイデアも踏まえているものです。そういう「身体」というものは、「頭」と常に相補的にあったと思いますね。そういうものの歴史を描くことで、例えば国家と宗教的なイデオロギーの混交というような、今まででは整理がつかなかったさまざまなことの整理がつくように思ってはいるんですけれどもね。


長谷川  ミシェル・フーコー(Michel Foucault/1926~1984)ではないですけれども、「身体」から国民道徳のようなものに展開していったのではないかというイメージは、これまでも結構見られますよね。


吉永  そうですね。だから、ある意味では「身体」というものだけに寄りかかってしまうと、非常に抑圧的な歴史の読み方になってしまう可能性もある。それは正しくないだろうと思います。だからといって、いつまでもイデオロギーだけではいかんだろうとも思います。例えば、「通俗道徳」というものも、最終的には「身体」をどう支配するかということに読み替えることもできると思うんですね。


長谷川  例えば井上円了だったら、後半生に哲学和讃や哲学堂公園を残していますね。それが思想の内容というよりも「身体」というものとして捉えられるのか、わかりませんけれども。

(文責:親鸞仏教センター)


④へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第22回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」②

飯島孝良

龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー②を掲載、の各回コチラから】

吉永  オカルト研究をしていてかなり昔から興味をもったのは、日本には西洋からのスピリチュアリズムとか神智学とかが入ってないのかということなんですよね。海外にはすでにいくつか研究があったので、では日本の研究をするのはどうだろうか、と。そこで、スピリチュアリズム、それから病気治しの精神療法というか霊術の研究をやりました。ジェイムズがそういう病気治しも好きだったこともあるし、井村宏次さん(鍼灸師・超心理研究家)が1980年頃に霊術の研究をはじめたこともあって、そのときに協力したこともありました。

 そのうちわかってきたことは、霊術・精神療法が大正時代に非常に流行したことです。ただ、当時は国会図書館のデジタルコレクションも使えなかったので、明治から大正ぐらいの霊に関する変な本を古本即売会で買い込んだりしました。現在では近デジでかなりのことがわかるのですが、古本屋で本を買っていると、同じ霊という言葉を使うにしても、仏教系、キリスト教系、スピリチュアリズム系や霊術・精神療法系、これらはそれぞれ「霊」という言葉の意味する範囲が微妙に異なっていたこともわかりました。

 もうひとつは、1970年代後半、編集者の武田崇元(洋一)さんが『地球ロマン』とか『迷宮』という雑誌を出していたことです。去年あたりになってようやく偽史の研究などが話題になっていましたけれども、武田さんはもう30年、40年前にそうした雑誌でやっていたんですね。日本の古いものであっても、ちゃんとこちらが書誌的にしっかり詰めていけば、何ら怪しげな話ではなく学問たり得ると考えていました。

 それで、精神療法家の松本道別という人物がいるのですが、彼の本をざっと読んでいたら、オーラのことが書いてあったんです。その出典が『瑞派仏教学』というとても面白い題名の本からだった。そこでどこかに置いてないかと調べたら、龍谷大学の大宮図書館になったのです。現物を見てみたら、「瑞派」の瑞というのはエマヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg/1688~1772)のことだとわかりました。なんでスウェーデンボルグが仏教なんだ、そんなバカな話があるか、と思ったんです。その時のことか、あるいはその前のことか忘れてしまったんですが、当時目録はまだカードの頃で、やはり龍大図書館のカードを繰っていたら『海外仏教事情』というカードもでてきたんです。明治時代に海外に仏教なんかあるわけがないと思って、内容を読んでみたら神智学の翻訳記事多数だったので、ひっくり返ってしまいました。どうして神智学が仏教に入ってきたのかというのを調べていったのがそもそもの始まりで、そこから近代仏教史に入っていった。

 要するに、霊術もそうですけれども、研究者が手をつけていない「空白地帯」があって、それに呼ばれるというか。ただ、2、3歩入ってみて、抜けられなくなった頃に「みながやらないのはこういう理由だったんだ」と気づく、でもすでに時遅し、その頃にはもう抜けられなくなっている――そういうパターンだったんですね。だから、神智学から仏教へ入っていくという、まったく外道も外道、大外道の入り方なんです。

 そのうちに、神智学と日本仏教をつないだ平井金三(1859〜1916)という人物がいたことがわかってきました。それまで日本に最初に心霊研究を紹介したということはわかっていたんですが、日本での仏教運動やシカゴ宗教会議での演説、さらに神智学との関係など、いろいろ面白い人物ということもわかってきました。たまたま、学校の海外研修制度でアメリカに2カ月だけ行ってよいことになったので、そこで日本人と神智学のことを平井金三から研究しようかと考えて、ジェイムズ・サントゥッチ教授(James Santucci/カリフォルニア州立大教授)にお願いして南カリフォルニアで一月ほど調査をしたら、図書館や神智学協会などから資料がいろいろ出てきたんです。一八九三年頃に彼が寄稿した英語の記事もいくつか出てきて、こりゃ凄いと驚きました。

 さらに、サントゥッチ教授のお薦めで、アメリカに行く前にAmerican Encounter with Buddhismという本を読んでいたら、神智学と日本仏教の関係がいろいろ出てくる。それで失礼とは思ったんですが、著者のトマス・ツイード(Thomas Tweed/ノートルダム大学教授)さんに直接問い合わせのメールを送ったところ、「フィラデルフィアの歴史協会には鈴木大拙の友人だったアルバート・J・エドマンズ(Albert Joseph Edmunds/1857~1941)の著作や資料がいっぱいあるんで、ぜひ見に行け」と言われたんです。そこでフィラデルフィアではエドマンズの古い資料が結構集まっていて、スウェーデンボルグと心霊研究と仏教という、確かに変な面白いやつだということがわかってきて、じゃあ大拙はどういう影響受けたのかなと、そこから興味を持ったんです。エドマンズから大拙という、普通とは逆のコースでした。

 とはいえ、ここまでの成果は、せいぜい論文1本書いて終わりだと思っていました。ところがアメリカから帰る直前、平井金三とか野口復堂などで情報交換していた佐藤哲朗君(『アジア大思想活劇』著者。テーラワーダ仏教協会編集局長)から「平井金三の子孫が見つかった」と聞いて、すぐに子孫の方に会いに水戸へ行きました。そこにはトランク一杯に、アメリカで見た資料や未見の資料などが、全部残っているわけです。そこで、これは何とかしなければと思い、平井の研究を始めたんです。幸い科研もとれたので、この時はじめて一次資料の悉皆調査を行いました。この頃、近代仏教研究が少なくて、吉田久一を何度か読み直したのを覚えています。この時、共同研究がたいへんうまくいって、デジタル資料つきの報告書を出すことができました。デジタル資料は、当時としてはかなり先駆的な試みだったと思います。

 平井金三を研究していると、そのひとつ下の世代の新仏教の運動が気になってきました。平井は、明治三〇年代にユニテリアンに入っていましたが、そのユニテリアンと協調関係にあった仏教改革運動である新仏教徒同志会、いわゆる新仏教運動です。平井の資料を読んでいると、この新仏教関係の人名がよく出て来る。同人の一人、加藤咄堂は平井の教え子でしたし、その他の人間も個人的交流があったようで、これが何なのか興味が出てきた。また、新仏教は合理的な宗教観を唱え、迷信を排除して、修養的な仏教を提唱したんですが、いわばあたりさわりのない普通の仏教という感じがしたんですね。もしかすると、自分のように、特に仏教と縁が深いわけでもない人間が考える仏教は、ここらへんが出発点かなと思ったんです。でもまあ、それ以上に、実際に原物を手にとってみたら、愉快なんですね、ギャグが隠してある、こんな笑える仏教雑誌があったのか、という驚きもありました。

 そのとき「新仏教は面白いよね」という話をしたのが安藤礼二さん(多摩美術大学教授)と大谷栄一さん(佛教大学教授)だったんですが、二人もやっぱり、同じことを考えていたんです。


長谷川  それが、たまたま重なったのですか。


吉永  そうです。それで研究会を作って、科研を申請しようという話になって、スタートさせたところ、2008年に運良く科研に採択され2011年まで共同研究を行いました。大谷くんと安藤さん以外にも、岡田正彦さん(天理大)、守屋友江さん(阪南大)、星野靖二君(國學院)、大澤広嗣君(文化庁)、高橋原君(東北大)、江島尚俊さん(田園調布学園大)など、当時はまだ若手だった有能な研究者が参加してくれました。岩田真美さん(龍谷大)や碧海寿広くん(武蔵野大)もいました。二人は大学院終わるころだったかな。たまたま、旧友の岩田文昭君が同時に近角常観調査を開始したので、碧海くんはそちらに力を注ぐことになって、それが彼の現在につながっているわけですから、偶然とはいえ、面白いものですね。今は皆さん、偉くなってしまいましたが、その頃はみんな若くて暇もあり、近代仏教の「史跡」を見学したり、研究会でも議論が盛り上がり、とても楽しい科研でした。

 この科研と並行して、大谷くんと末木文美士先生と林淳先生が日文研で進めていた「近代と仏教」という共同研究プロジェクトに呼ばれました。数年、研究会を定期的に行い、最終的には2011年に国際研究集会が開催されました。これがなかなか楽しかったのですが、この後、急に国際カンファレンスに呼ばれたり、呼んだりするようになったのですが、それも些細な縁がきっかけでした。

 この時研究会を通じて知り合ったジョン・ブリーンさん(国際日本文化研究センター教授)から、「ブライアン・ボッキング(Brian Bocking/元コーク大教授)という友人が、アイルランド人僧侶の研究しているんだけれど、知っているか」と質問されたのです。ダンマローカ(Dhammaloka/1856~1914)という人物ですが、岩田真美さんから聞いたことがあったので、彼女に教えてもらった話をブライアンに伝えたところ大変感謝されました。そこから縁ができて、2012年の春頃、ブライアンから突然、コーク大で開催される近代仏教の国際学会に呼ばれました。実は海外へ一人で旅行したのはこれが始めてだったんですが、これもまた充実した研究会で、同席していたリチャード・ジャフィさん(Richrd Jaffe/デューク大学)が、こういう研究会をデュークでもやろうと言い出したのです。それで翌年はデュークの研究会に呼ばれました。その時、来年は日本で出来ないかと言われて、つい調子にのって、僕が引き受けたと言ってしまったんですね。全然あてがなかったんですが、龍大におられた桂紹隆先生から仏教伝道協会につないでいただき、さらにアメリカ宗教学会から助成金をいただいて、2014年には京大と龍大でAsian Buddhism Kyotoという国際カンファレンスを開催できました。参加人数からしても大成功と言えると思います。

 振り返ってみると、2010年前後から風向きが変わって、近代仏教研究が求められはじめたんでしょう。たまたま僕はその風向きが変わる場所に居合わせてしまったんでしょうね。

(文責:親鸞仏教センター)


③へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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Interview 第21回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」①

飯島孝良

龍谷大学世界仏教センター客員研究員

吉永 進一

(YOSHINAGA Shin’ichi)

Introduction

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。

(飯島 孝良・長谷川琢哉)

 

【今回はインタビュー①を掲載、の各回コチラから】

長谷川  吉永先生は、われわれが勉強しているような宗教哲学とかとはまた違うやり方で、いろいろなことを研究しておられます。これまでの歩みは一体どういうものだったのかを、改めてお聞きしたいのですが。

 

吉永  そもそもぼくは理系だったんですが、高校時代は幻想文学が好きだったんです。京大に幻想文学研究会があると知って、京大を選んだのですが、理学部だったし、自分も文学は一生の仕事になると思ってなかったんです。学部時代は、幻想文学研究会の傍ら、UFO超心理研究会なるクラブに入っていました。ただ、怪しげなこと自体よりも、怪しげなことを信じる人に興味があったんですね。それで次第にオカルティズムの歴史研究が好きになったんです。

 結局、理学部は生物学科を出て、文学部に学士入学したんですが、その時、どの学科にするかということで、これもいいかげんなもんで、ラテン語をやらなくていいというのと、知り合いがすでに法学部から学士入学していたという理由でした。まあせめてシャーマニズムの研究とか出来るのかな、と思って宗教学を選んだところ、入ってみると周囲は、全部イマヌエル・カント(Immanuel Kant/1724~1804)やゲオルグ・W・F・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770~1831)といった宗教哲学を専攻しているし、先生は鈴木大拙(1870~1966)の禅について語りながら、机をガタガタさせる……。しまったあと思いました。理学部に入ったときも失敗して、宗教学に入ったのも失敗。これでどうしようかなと思ったんですよね。

 さらに紆余曲折あったんですが、なんとか大学院に入って、修士のときにはミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade/1907~1986)を取りあげました。ほんとは西洋のオカルティズムの歴史を研究したいという思いだけは、頭の中にしつこくありました。カール・G・ユング(Carl Gustav Jung/1875~1961)とかエリアーデが1970年代ぐらいに読まれるような時代になったとき、そうしたオカルト的なものへの関心がみられたんです。対象としては、大体ルネサンス期までの錬金術や占星術といったものですね。だからその頃は、表ではウィリアム・ジェイムズ(William James/1842~1910)を研究していることにしていて、裏ではちょっとオカルトの研究をこっそりやっているという、そんな感じでした。

 だから、僕がどうしてもジェイムズが大好きなのは、われわれの「生(life)」というのは訳のわからないものに取り囲まれていて、その訳のわからないものこそ意味をつくり出す源泉であるということが、ジェイムズを始めたときにすぐわかったんですよね。ジェイムズの場合、大切なのは「宗教」ではなくて「生(life)」なんだ、ということなんです。その訳のわからないものというのは、絶望とかもつくり出すかもしれないけれどもね。

 だから、自分自身がもっている問いは、そのメタフィジカルな部分や実存的な部分では、「生」ということなんだろうなと思います。ただ、考えているものはどれも重層的になります。その上で、例えば「宗教」や「文化」という言葉を相対化して比較してみると、ときどき「宗教」という言葉を用いること自体を嫌がっているようにもみられるんですけれどもね。

 そういう作業をすると、「宗教」という言葉自体のもっている文化的なものがひとつわかってきます。だから、「宗教」という言葉だけでは全部を覆いきれない何かに、僕は興味があるということですね。要するに、近代になって宗教という言葉で、オカルト的なものは私事化する。そうして、公共の場は基本的には科学が支配する。近代以降、その公共の場をめぐってさまざまな戦略でせめぎ合って、単純に宗教対科学の単なる激突以上のいくつものグラデーションになっているのではないかと思っています。少なくとも日本の近代を考えると、そんな印象があります。

 

飯島  吉永先生には、宗教と科学の接着点に対する関心がすごく強くおありなのだろうと感じるんです。21世紀に入って、「宗教と科学のどちらが必要なのか」といった議論は、表になったり裏になったり常に出てくるように思われます。典型的なのは、原発の安全神話や、あるいは生殖に関して子宮をすごく神聖なものと捉える言説や、ありとあらゆる言説が出てきていますね。そういう、一種「宗教」的に振舞っているものやある種オカルト的なものに対して、吉永先生は非常に目を向けられておられると思います。この点はどのように感じておられますか。

 

吉永  そうですね。科学と宗教という二分法ではなくなり、科学自体も批判にさらされている時代にあって、昔のようにナイーブに真理をめぐっての激突は、まずあり得ないですね。近代化の果てに、今の僕たちもまったくその真理にこだわらないのかといえば、そうでもないんです。そうすると、そもそも公共の場を下支えしている真理や価値観というのはどういうものなのかが問い直されたわけですから、1980年代は転換点だったように思います。

 

飯島  先生たちの世代は、80年代から90年代においては、おそらく進歩していくということを誰しも共通の前提として認識できていたと思うんです。ところが、今の我々の世代はそうではない。我々が生まれた80年代頃まで信じられてきた公共の場を下支えするもの――真理とか価値観といったもの――を、21世紀に生きている自分たちが己の力で見いだし得るんだろうかという虚無感も、若い世代にはちょっとあると思うんですよ。

 

吉永  なるほど、そうかもしれませんね。

 

飯島  バブル崩壊以後、「失われてしまっている」という実感はある。つまり、「真理」なんてことを軽々しく言えない時代だし、科学もそんなに純粋に信じられない時代だし、かといって、90年代のカルトによるテロ行為などを見たら宗教的な言説も公ではあり得ないよね、といった感覚が漂っている。何を自分たちの根っこにするのかということが、そう簡単に想定し得ないようになったんだと思うんです。

 バブル経済のバカ騒ぎのようにして、「世の中、そんな下支えなんか考えなくて、とにかくイケイケドンドンで経済的に発展すればそれでいいんだ」ということなどもっての外ですから、結局「どこにも居場所がないじゃないか」という実感のほうが強いかもしれない。むしろ以前に増して絶望的に、ごく少数のみが稼げて、大多数はそういう自分たちを下支えするものを何も見いだし得ない、どこにも居場所を見いだせないという実感が強いかもしれないですね。

 

吉永  そうか、僕らの頃はちょうどバブルでしたからね。浮かれたバブルをしり目にして、どんどん好きなことに没頭はできたという時代です。

 僕は理学部でしたから、一方でオウム真理教に行くというのもすごくわかった。京大で「UFO・超心理研究会」というサークルをつくったのは理学部の人間で、メンバーの3分の2は理系でした。

 

長谷川  当時は共有した問題意識があったのですか。

 

吉永  SF好きでオカルトを馬鹿にしたがる人たちがいる一方、もう一方ではインドで3カ月放浪して帰ってこないとか、でも対立はしてなくて、まだみんな仲良くしていた。少数であったし、世界観は違うけれども仲良くしようという雰囲気でした。

 

長谷川  なるほど。何となく趣味としては合致するけれど、モチベーションが違う。

吉永 僕は中学までSF読んで、高校になって幻想文学や怪奇小説が好きでしたね。大学では「幻想文学研究会」に入りました。そこで、C・S・ルイス(C. S. Lewis/1898~1963)やその友人のチャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams/1886~1945)を読みだしました。滅茶苦茶難しい英語でちゃんと読めなかったんですが、異常な世界が展開していて、やっぱり小説はすごかったですね。そういう文学のことは全部、2年先輩の横山茂雄君(奈良女子大学教授)に教えてもらいました。

 

長谷川  吉永先生の場合、最初の頃はそうした読書を重ねるなかで、御自身の宗教研究をだんだん形づくっていかれたのですか。

 

吉永  そうですね。しかし、京大の宗教学はみな哲学を修めているわけですよ。僕からみれば、哲学を修めているのにみなどうして宗教に結実していったんだということを、逆に聞きたいんですよ。

 

長谷川  それは面白い。よく、吉永先生のことを謎めいた辺境知識人のように言う人がいて、「吉永さんは、売れるようになったらおしまいだ」と言われていたんですよ。ところが最近は事情がちがっていて、「これはもう世も末だな」と岩田文昭先生(大阪教育大学教授)が仰っていて(笑)。

 

吉永  俺もそう思う。

 

長谷川  むしろ、今は吉永先生のようなアプローチにだんだん時代が追い付いてきたというか、われわれがものを考えるときにどうしても吉永先生に吸い寄せられていくところがある。これは何かがあると思うんですよね。

 

飯島  吉永先生が重視されているような近代以降の宗教的な体験――例えば、参禅したり、「神を見た」と語ったり、オカルティックな体験をするといったもの――は、つい最近まで「主観的なものにすぎない」と断じられて研究対象にならないと言われていたと思うんです。つまり、データで論証しようもなく客観的に共有できないものだから、それは研究ではないとも言われていたのではないでしょうか。しかし、今はそういう認識がだんだん変わってきたからなのか、そういうことこそ研究しようということが出てきているように思うのですが、どういうことが転機になったのでしょうか。

 

吉永  いや、僕はむしろ逆に、ないはずのものが見えたから宗教が起こってきたわけですし、そうしたものを追及する宗教学が排除されていたようには思わないんですね。ただ、同時代もしくは近い過去におけるそういう経験については、みんなためらいます。ためらうのだけれども、なぜためらっているのかがよくわからない。つまり、ある経験があったという言説が生まれたんだということを、もう一回語りたいだけなんです。そうした営み自体はまったく問題がないはずなのに、なぜかずっとタブー視されていたことが、おかしいんじゃないだろうか。人間が生きていれば経験は何かしらするわけで、その上で言説をつくる。それは、常に直接経験と距離があるからだ――ここまではジェイムズが言ったことですね。

 ですから、近代化というのは脱神秘化であるというようなテーゼがありますけれども、逆に脱神秘化そのものがやはり知識人の神話かもしれない。現代人は諸々が脱神秘化したと安心していますけれども、それは近代化した都市部に限った話かもしれない。それこそ、明治30年代から40年代の都市部なら医師にかかるのは簡単だけれども、同時期の農村部や山間部ならば医師そのものが近くにいないわけで、ならばやはり修験や祈祷を頼んだのではないでしょうか? 近代においても、同じ時代空間の中にあっても、ひとつの公共空間を共有してというよりもむしろ層を成していたのではないかと。

 

長谷川  なるほど。

(文責:親鸞仏教センター)


②へ続く

吉永 進一(よしなが しんいち)

 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。

 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。

 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

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飯島 孝良

研究員の紹介

IIJIMA Takayoshi
(嘱託研究員)

プロフィール

専門領域
中世から近現代に到る一休「像」形成の変遷
近現代日本思想史における「浄土と禅」の問題
略歴
1984年東京都生まれ。
上智大学外国語学部フランス語学科卒業。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
同大学院「2013年度卓越した大学院拠点形成支援補助金」
研修員(在パリ)、同大学院リサーチアシスタント(2014年度)。
現在、親鸞仏教センター嘱託員、花園大学国際禅学研究所専任研究所専任講師
所属学会
日本宗教学会、日仏東洋学会、日本近代仏教史研究会
研究業績

researchmapを参照。

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第35号
『アンジャリ』第34号
「親鸞仏教センター通信」第77号
「親鸞仏教センター通信」第74号
「親鸞仏教センター通信」第67号
「親鸞仏教センター通信」第66号
「親鸞仏教センター通信」第65号
「親鸞仏教センター通信」第62号
「親鸞仏教センター通信」第59号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第225回「「一休フェス〜keep on 風狂〜」顛末記」
今との出会い 第214回「二十年前、即今に在り」
今との出会い第201回「演じる―山崎努と一休に寄せて―」
今との出会い第191回「「寝業師」根本陸夫―「道」を求めし者たちが交わらせるもの―」
『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第23回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」③
Interview 第22回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」②
Interview 第21回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」①
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

今との出会い 第225回「「一休フェス〜keep on 風狂〜」顛末記」

飯島孝良

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 京都市中を南に数十キロほど下った地域は、古くから南山城と呼ばれてきた。京都・大阪・奈良をまたぐことから、昨今は「けいはんな」とも称され、学園都市も形成されている。ベッドタウンとなっているが、やはり緑豊かな山郷という様相もみせている。

 この地域に位置する京都府京田辺市には、酬恩庵一休寺がある。一休寺は、その前身を妙勝寺という。鎌倉時代末期に元弘の乱で荒廃していたところを、室町時代に一休宗純(1394 – 1481)に寄進されて修復されたものと伝わるのが、いまの開山堂である。そしてここに祀られているのが、大応国師(南浦紹明、1235 – 1309)の木像である。この大応国師あってこそ、日本臨済宗は鎌倉時代から近現代にまで受け継がれてきたといえる。しかも、この酬恩庵のように、鎌倉時代から遺されている寺院自体、京都では貴重なものとなる。というのも、京都市中は応仁の乱を期に灰燼に帰したわけであり、京都においては「先の戦争」――即ち応仁の乱――を乗り越えられた遺構が数少ないからである。

 

 開山堂は、檜皮葺きの屋根という伝統工法が取られている。だが、これは貴重でありながらも痛みがはやく、維持が非常に難しいものであった。開山堂が老朽化するなか、大応国師が未来に継承され、開山堂を令和に息づくような文化財とする試みが求められていた。そうして、棟梁の木下幹久氏の下、その屋根をチタンにより葺き替える修復プロジェクトが立ち上がった。このチタン葺きは、今では金閣寺(京都府京都市)や浅草寺(東京都台東区)でも採用されて定評がある。

 このプロジェクトを盛り立てるため、テレビアニメ『オトナの一休さん』(Eテレ)や『となりの一休さん』(春陽堂書店)で一休に取り組んでこられたイラストレーターの伊野孝行氏が腕をまくった。そうして、2021年11月に「一休フェス~keep on 風狂~」と銘打ち、一大イベントを立ち上げることとなった。「フェス」とは突拍子もない呼称ではあるが、こうしたタイトルを付してなぜか収まりがつく仏者も、一休以外にはそういないのではないか――そうした感想を、幾度か耳にしたものである。デザイナーの上浦智宏氏によるポスターも、まさに逸品というべきものとなった。画面の中で躍動している小僧は、もちろん伊野氏の描いた一休さんである。

 

***

 

 伊野氏は、一休を評して「こういうめんどくさい人がぼくは好きです」(『となりの一休さん』)とおっしゃる。確かに、この禅僧は矛盾的な行動を辞さず、相当に面倒くさい人格である。自らの境地を高らかに誇りながら、その一方で酒肆婬坊へ出入りするような破戒も表現する。山中(宗門)と市中(俗世)のあいだを行き来し、奇矯な言動や開けっぴろげなエロスも辞さない「風顛太妖怪」(酬恩庵一休寺蔵「一休像」賛文)と自称した。宗門を強烈に批判しながらも、その伝燈を担うことを自負し続けもする。その実相は、なかなかに掴み難い。伊野氏は、そうした一休の顔をガムテープで創ってみせた。「型破り」とはこのことであろう。

 さらに伊野氏は、「三乗十二分教、皆な是れ不浄を拭う故紙なり」(『臨済録』)にちなんだトイレットペーパーも創作された。

 あるいはまた、一休にちなんだとんち菓子「通無道」が誕生した。これは奈良の老舗菓子補御三家のひとつ・萬々堂通則とのコラボレーションであり、一休寺との連動は一層活発になっている。

***

 そうしたなか、11月14日にはトークイベント「語られ続ける一休」が催された。伊野氏に加えて、芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所顧問)と矢内一磨氏(さかい利晶の杜学芸員)、そして不肖飯島が登壇し、一休との出逢いや印象を語り合うものとなった。このなかで焦点が当たったのは、一休が伝統を残すということをいかに考えていたのかである。

 一休は、自らの頂相(禅僧の肖像画)に付した賛文で、己の無能を恥じつつも、エロスと酒に酔うような振舞いが大燈国師(宗峰妙超、1282 – 1337)以来続く日本臨済宗の伝燈を「滅却」すると述べている。ただ型を大事に護持するのではなく、「藞苴(らそ)」(泥臭いが規矩に縛られず破天荒であること)でこそ教えを徹底できると表すのである。それは、臨済義玄(? – 866)以来重視されていた「滅してこそ興す」という姿勢そのものであった。

 一休が繰り返すのは、「伝燈」(禅宗の法燈を伝えていくこと)への強烈な意識と「破戒」による形骸化の批判であったともいえる。つまり、伝統を担おうとする意識が強いあまり、現状におもねるようなものを認めず、むしろ自らが拠って立つ傍若無人なまでの活力を前面に押し出すのである。こうしたことで、一休はいわば伝統の再活性化を図ったともいえる。そういう再活性化は、同時代には煙たがられることもあろうが、「リフォーム」を企図するときにはそのように疎んじられることも少なくない。そうして、このような振る舞いに、「風狂」とみなされる所以があろう。

 

***

 

 令和の時代に、本当に遺していくべきものは何かを問い直し、各分野の職人が集うこのプロジェクトは、我々の心に大きな揺さぶりをかけるものであった。痛んだ遺構をただ漫然と維持するというのではなく、それをきっかけにしてまた新しい何かを生み出そうとすること――それこそ伝統の再活性化といえないだろうか。

 この12月、一休寺開山堂の修復プロジェクトの一環として計画されたクラウドファンディングも、1,000万円という目標額をものともせず、見事に達成された。未来へつながる伝統の再活性化は、まだ始まったばかりである。

(2022年1月1日)

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「親鸞仏教センター通信」第77号

飯島孝良 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「パンデミックの中で法蔵願心を憶う」

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト報告

講師 本明 義樹 「『教行信証』の「現代的解釈」に向けての課題—聖教編纂を通して—

報告 藤原  智

■ 第65回現代と親鸞の研究会報告

テーマ 「裁判員制度10年を見つめて」

講師 坂上 暢幸

講師 大城  聡

報告 飯島 孝良

■ 「正信念仏偈」研究会報告

講師 四方田犬彦 「アーカイヴとしての『教行信証』」

報告 東  真行

■ 清沢満之研究会報告

谷釜 智洋 「「語られる清沢満之」という課題――雑誌『精神界』を読む――」

■ 研究員と学ぶ公開講座2020報告

藤村  潔 「救われがたき者とは— 『大乗涅槃経』を読む —」

東  真行 「親鸞を再読するという課題 — 金子大榮による戦後の思索 —」

谷釜 智洋 「大正期における「現代」と真宗 — 真宗大谷派仏教学会の取り組み —」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

東  真行 「西本文英(1920〜2006)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
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『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)

飯島孝良 目次

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亀裂のなかで生きること
亀裂のなかで生きること 神戸大学人文学研究科講師 齋藤 公太 (SAITO Kota)  新型コロナウイルスの存在が国際ニュースの一角を占めるようになったのは、2019年の末頃だったろうか。それは当初遠い場所の出来事のように聞こえていたが、日本でも感染が広がり、人々の生活が一変するまで、さして長い時間はかからなかった。今や外出時にマスクをつけ、念入りに手指を消毒する生活にはすっかり慣れた。しかし、何か世界の位相がズレてしまったような居心地の悪さは、底流のように続いている。...
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呼びかけられる
呼びかけられる 哲学研究者 永井 玲衣 (NAGAI Rei)  遠くから、おーいと呼びかけられることが好きだった。  おーい、おーい、と声がする。風が顔を吹き付けていて、少し肌寒いと感じるあの日のことだ。西日の傾きがゆっくりと一日が終わることを示していて、放課後の気だるい空気が漂っている。おーい、おーい、とまだ声がする。周りにひとはいなくて、わたしは平坦なゴム製のグラウンドをゆっくり踏みしめて西校舎に向かっている。おーい、おーい。だんだんとその声が、わたしの聞き慣れた声であることが分かってくる。おーい、永井、おーい。わたしの名前が呼ばれる。わたしは振り返って、声のする方を見上げる。友だちが、校舎の3階からわたしに手を振っている。おーい、おーい。...
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「うったう」――共感するという希望
「うったう」――共感するという希望 シンガーソングライター 寺尾 紗穂 (TERAO Saho)  アーティストとは何だろうとよく考える。私の身の回りの音楽のアーティストを見回すと、よく聞き、よく作り、よく演奏する人々という印象だ。ことに男性アーティストの多くが、熱心なリスナーであり、そこから自らの音楽にエッセンスを取り込んで作っていくことに長けているように感じる。私はと言えば、日常的に音楽を聴くことが出来ない。音楽を聴くときは誰かから「これがいいよ」と音源を渡されたり、知り合いのミュージシャンから新作を手渡された時などだ。歌もののアルバムであれば、歌詞カードを見ながら集中して過ごす一時間弱であって、それ以外に音楽を聴くということから遠ざかっている。加えて音楽を作る時間というのは日常的にない。私にとっての作曲は自転車に乗っているとき、あるいはお風呂に入っている時、あるいは駅で電車を待っている時ふいに思いつくものであって、その場でコードや歌詞を書きとめて、後でまとめることだ。例外的に人の詩に曲をつけたり、珍しく詩だけが先にできあがっている時は、30分くらいピアノの前に座って作るけれど、それは稀にだ。そんな具合だから、意識的に聞いたり作ったりがほとんどない自分はアーティストと名のっていいのかどうか、今でも自信がない。ピアノ弾き語りという形で活動はしているけれど、似非アーティストと言われても、「はい、そうかもしれません」と答えるしかない。...
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「隔離」の残響
「隔離」の残響 現代美術家・ホーメイ歌手 山川 冬樹 (YAMAKAWA Fuyuki)  昨年から「隔離」という言葉を頻繁に耳にするようになった。  この言葉を聞いて、わたしがどうしても想起せざるを得ないのは、ハンセン病をめぐる「絶対隔離」のことである。ここ数年、ハンセン病療養所に通い、回復者たちと密に関わりながらアートプロジェクトに従事してきた身からすると、この「隔離」という言葉を聞くたびに、どこか刃物で胸を突き刺されるような痛みを感じずにはいられない。さすがに最近は少し聞き慣れてはきたものの、この「隔離」という言葉が急にマスメディアで取り沙汰されはじめた頃は、思わず熱を出して寝込んでしまうほどだった。...
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日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について
日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「もっと乱暴に、世の中の宙ぶらりんな物語を終わらせるべく襤褸の少女を派遣するというのはどうだろう。襤褸を着た少女がよたよたと歩いてきて空を見上げ「あ、流れ星」と呟くぐらいでもいいとも思う。世のありとあらゆる物語の中を渡り歩いてラストシーンを飾るというのは、大変に幸せな職業かもしれない」(高山羽根子「「了」という名の襤褸の少女」、『うどん キツネつきの』〔創元SF文庫〕所収)...
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テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  いささか面映ゆいことではあるが、ごく私的な経験談から始めたい。10代の終わり、学問的な気風に接することなく過ごしてきた私にとって、恩師が示して下さった“聖書学”という分野は、ひとつのカルチャーショックであった。聖書学は、聖書にちりばめられた「奇蹟(物語)」や「超自然」を合理主義の下に排し、人間イエスの精神とその時代を出来る限り客観的に描出することに努める営為である。すなわち、イエス自身の言行と思われたものも、福音書の記述と編集の段階で弟子や原始教団の意図や認識によって創出されたものであって、史実そのもののイエスを語るというよりも、記者や編集者それぞれの問題意識を反映した〈像〉と看做すのである。このように「史的イエス」探究を軸とした聖書学は20世紀に隆盛を極め、古代史学や社会心理学や言語学(言語行為論など)を総合的に踏まえてイエスとその時代を分析する「文学社会学」的聖書学へと結実していった。...
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忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて
忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて 親鸞仏教センター研究員 東  真行 (AZUMA Shingyo)  言葉はあくまで伝えたいことの「入れ物」なのだと、ある音楽家はいう。寺尾紗穂氏が述べるように「歌」と「訴え」が相通じているとして、こんな言い換えは可能だろうか。訴えの込められた入れ物が歌だと。  切実な思いだからこそ、音に乗せるのか。親鸞もたくさんの和讃を遺している。それらは黙読される文字である以上に、読誦される言葉として今なお息づいている。読む者のみならず、勤行の会座を共にする聴聞者の心身をも文字通り震わせてきた。...
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景色がかわるとき
景色がかわるとき 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。...
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テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する

飯島孝良

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 いささか面映ゆいことではあるが、ごく私的な経験談から始めたい。10代の終わり、学問的な気風に接することなく過ごしてきた私にとって、恩師が示して下さった“聖書学”という分野は、ひとつのカルチャーショックであった。聖書学は、聖書にちりばめられた「奇蹟(物語)」や「超自然」を合理主義の下に排し、人間イエスの精神とその時代を出来る限り客観的に描出することに努める営為である。すなわち、イエス自身の言行と思われたものも、福音書の記述と編集の段階で弟子や原始教団の意図や認識によって創出されたものであって、史実そのもののイエスを語るというよりも、記者や編集者それぞれの問題意識を反映した〈像〉と看做すのである。このように「史的イエス」探究を軸とした聖書学は20世紀に隆盛を極め、古代史学や社会心理学や言語学(言語行為論など)を総合的に踏まえてイエスとその時代を分析する「文学社会学」的聖書学へと結実していった。

 視点を仏教に移すと、イエスのみならず仏教者もまた、史的存在であるとともに「語られる」存在たり得る。その具体例として理解しやすいのは、所謂「宗祖」と称される存在である。法然にせよ日蓮にせよ、「救済者」「超越者」として伝承されることもあれば、とくに近現代では苦悩する「求道者」「人間」として語ることが増加する面もみられる。ただ、こうした多層的な「語り」が「宗祖」に関するものと看做される限りにおいて、その「語り」は宗門内部に留まるものになる。その一方、仏教者の中には、その魅力やインパクトが大きい故に、内部だけではなく外部にも波及し得る存在もある。例えば親鸞は、宗門の内部にも外部にも大きな影響を示したのは論をまたない。あるいは一休などは、臨済宗大徳寺派の「宗祖」というわけではなかったが――いや、それ故に――宗門内部よりもむしろ外部で先んじて多く語られ、一般において逸話が広く伝承して「一休ばなし」が形成されたとも考え得る。 このように、キリスト教にせよ仏教にせよ、「語られた」存在がひとつの文学的営為を惹起してきた。

 

 この「語られた」像は、宗門における伝承ばかりか広範にわたる文化的意匠として、ときに時代への危機意識を代弁するものともなれば、ときに人生の指標とされもしたのである。「現代にイエス(的な存在)が現れてきたら」と仮定するような芸術作品(例えば遠藤周作の諸作品など)や、一休を取り上げた芸術作品(例えば水上勉の小説など)は、その試みと位置付けられる。

 

 宗教者に関する「語り」が集積体となって形成した一連の文章とその創出を「テクスト」とし、その特質を分析しようとするならば、この「テクスト」をできる限り主観的な価値判断を排して整理する作業が求められる。それは方法論的に「テクスト批判」と称される学術的な作業と考えられるが、より詳しくは、「タテ」と「ヨコ」に着目してその特質を明らかにする作業と考え得る。この場合の「タテ」とはいわば“時系列的影響関係”への着眼であり、ひとつのテクストが生まれてから直近までにどのように読み継がれてきたのかを分析するものといえる。一方、「ヨコ」とはいわば“同時代的影響関係”への着眼であり、ひとつのテクストが同時期にどれほど多様な読まれ方を引き出して時代認識に影響を与えたのかを検討するものといえる。

 

 このように、テクストの影響関係を「タテ」と「ヨコ」に着眼して明らかにすることは、いわば「思想史」的作業といえないだろうか。すなわち、テクストから導き出された考えや着想=「思想」が、時系列的ないし同時代的にどう読まれ(続け)てきたのか、そうした点からそのテクストの存在意義を明らかにし得るのではないか。これは聖書学ないし文学社会学にも共通した問題意識であって、「語られた」仏教者の像を分析するうえでも不可欠な視座の筈である。テクストを読む我々は、いわばテクストを通して「語られた」像と対話を求められる。その像がフィクショナルなものであろうとそうでなかろうと、我々はその像がテクストにおいて何を語っているか、虚心坦懐に耳を傾けることがゆるされている。

 

 こうした「テクスト批判」には主観的な価値判断を差しはさまぬことが大前提の条件であるし、そこにこそ学術性が担保されもしよう。ただし、目の前のテクストが展開する物語や思想の何がしかに触れることで、解釈者自身の「信仰」や「体験」に影響しないとまで言いきれるものだろうか。あるテクストと向きあう際にあらわれる最も素朴な反応は、それが「心震わせる」とか「魅了してくる」といったものである。そうした反応は、「信仰」や「体験」とどれくらいの“距離”があるとみなせるのだろうか――これは、聖書学などのテクスト批判論に接してきた10代の終わりから、私の心に往いては来たり、来たりては去る、非常に複雑な問題である。言い換えれば、テクストというものを本当に客観的に分析することなどあり得るのか――そうしたところまで問いは及ぶものであろう。しかしむしろ、そこにこそ、宗教的テクストの特異性があるのではないか。

 

 「語られた」ものの集積体としてのテクストを追いかけることには、もうひとつの問いがその根底にある。それは、死に別れた存在が語られることと、そのテクストがどう読まれていくのかという問いである。こうした営みは学術空間に留まらぬものであり、むしろそのテクストとの対話を重ねれば重ねるほど、読む者と「語られた」者との“距離”は近づいてもくるのである。最も親しかった肉親や仲間を喪ったとき、その存在をひとつの像として想起せしめるテクストは、単なる感傷ではない「体験」をもたらす。「語られた」者がテクストを通してこちらに向けてくる「呼び声」に応えるのが「読む」という行為なのだとすれば、それは死した存在と生ける存在とのつながりがまた新たに見出されていく営みとなり得るものでもあるだろう。

(いいじま たかよし・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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今との出会い 第214回「二十年前、即今に在り」

飯島孝良

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

僕の行っていた高校は九段の靖国神社の隣にある。
鉄筋コンクリート五階建ての校舎は、そのころモダンで明るく健康的といわれていたが、僕にとってはそれは、いつも暗く、重苦しく、陰気な感じのする建物であった。
僕は、全くとりえのない生徒であった。……


 僕は九段高校という、今はない都立高校に通っていた。ここにいるとき、僕はいわゆる「浮いた」生徒だった。来る日も来る日も打ちひしがれるのは劣等感と違和感、そして孤立感だった。更に始末の悪いことに、大したとりえもないのに、「自分だけは、いずれ世間に打って出ていく何ものかなのではないか」という根拠不明の田舎根性を抱えた、度し難い瘋癲漢だった。そんなくだらない自己矛盾に陥った僕は、学校が終わるといつも足早に九段坂を東へ下り、一目散に神田神保町の古本街へ通った。貧乏学生の数少ない拠り所は、100~200円程度で手に入る岩波文庫や新潮文庫、或いはバラ売りで軒先に並ぶ中央公論社の『世界の名著』だった。

 ただ、冒頭の数行には、既視感を覚えた方もおられるかもしれない。というのも、これは小説家の安岡章太郎が自身の中学校時代を回想した「サアカスの馬」(1955年)の冒頭箇所から引用して、その一部表現を改めさせてもらったものだからだ。じつは安岡は、僕の大先輩にあたる。この短編で安岡が示してくれた感傷は、当時の自分と合致する所が多い。

 「僕は、教室の中にいるよりは、かえってだれもいない廊下に一人で出ているほうが好きだった。たまたまドアの内側で、先生がおもしろい冗談でも言っているのか、級友たちの「わっ」という笑い声の上がったりするのが気になることはあったけれど……。そんなとき、僕は窓の外に目をやって、やっぱり、(まあいいや、どうだって。)と、つぶやいていた」――そのように回顧される安岡の姿は、やはり孤立と無聊を決め込む同じ年頃の自分と二重写しになっていた。


***


 そんな高校2年生の9月のことだ。ぼんやりとテレビをつけた夜10時ごろ、ニュース番組は、米国時間午前9時ころのニューヨークを中継していた。どういうわけか、ワールドトレードセンタービルが真ん中あたりからもうもうと煙を上げている。何かの火事だろうか、と推察する間もなく、突如として画面の真横から大型ジェット機が飛び込み、巨大な爆音をあげた。茫然とした自分を前に、双子の摩天楼はあっけなく崩壊していくのだった。それはまさに、歴史上でも類を見ぬ凄惨な「滅び」の光景のはずだった。

 だが、当時の自分には、それは全く現実とはかけ離れた、ハリウッド映画のような場面に思われてならなかった。そして、ただひたすらに虚無感に呑み込まれ、濁流のような世界情勢をこれっぽっちも把握していない無力感に打ちひしがれるばかりだった。いや、そんな印象を明確に自覚しさえできないほど、「新世紀」の幕開けは僕に己の無知と混乱と矛盾を突き付けてきたのだった。


 西田幾多郎の『善の研究』(1911)を手に取ったのは、「9.11」と前後した頃だったと記憶している。あのテロがきっかけというわけではなかったが、何かが僕をこの本へと導いた。どういうわけか、一晩で一気に読みきってしまったのだった。とはいえ、内容が理解できたわけがない。とにかく、興奮するままにページを繰って、「ここには、何かがある!」という電撃が身体を貫いた。多くの方がたが語る『善の研究』との出逢いを見聞きすると、どうやらこの本はそうしたドラマに我々を巻き込む類の一冊のようだった。御多分に漏れず、何ものも知らず何ものも成し得ていない僕もまた、そのときはじめて「知」の階の前に立つこととなったのかもしれなかった。

 その後、西田哲学は自分にとって大きなヒントを与える導き手だった。特に「場所的論理と宗教的世界観」(1945)は、その哲学においてキリスト教と仏教が如何に重要であるかを僕に教えてくれる論文となった。その間、大学と大学院を通じ、キリスト教と仏教を学ぶため、ドストエフスキイや一休を学ぶに至ったのだった(これまで僕が学び舎としてきた河合文化教育研究所については、芦川進一先生の連載エッセイ「ドストエフスキイ研究会」を御参照頂ければと思う)。そうして、気づけば20年が経とうとしている。


***


 27歳の一休宗純が鴉の鳴き声を聞いて悟ったとき、「二十年前、即今に在り」と自覚したものは、豪機(血気)、嗔恚(怒り)、識情心(分別心)だったという(『狂雲集』545)。それは、一休が20年にわたる修行の日々を「愚」として捉えたようにみえる。そう考えるのも、一休にはまた次のような句もみえるからだ。


我れ、本来、迷道の衆生、
愚迷深き故に、迷いを知らず。
縦(たと)い悟り無きと雖(いえど)も、若(も)し道有らば、
仏果、天然に、立地に成る。

(『狂雲集』395「偶作」)


 「迷道の衆生」であるという自覚こそ、己が原点としてきたものであり、そうあり続けるだろうものだ――こうしたことを、一休は我々に端的に示す。そして、2016年夏に親鸞仏教センターに寄せて頂いてから、僕が強く思いを致してきたのは、まさに「愚」ということだった。親鸞以来、真宗のなかで「愚」が如何に問われていたのかに大きな課題をおぼえたのは、ちっぽけでどうしようもない自分に苛まれていた20年前との弛まぬ対話ともいえるように思う。その意味で、西田幾多郎による次のような述懐は、この20年のあいだ、自分が懊悩してきた「道」に関する重要な示しとなっている。


【キリスト教に於いて:引用者注】人間の根柢に堕罪を考へると云ふことは、極めて深い宗教的人生観と云はざるを得ない。既に云つた如く、それは実に我々人間の生命の根本的事実を云ひ表したものでなければならない。人間は神の絶対的自己否定から成立するのである。その根源に於て、永遠に地獄の火に投ぜらるべき運命を有つたものであるのである。浄土真宗に於ても、人間の根本を罪悪に置く。罪悪深重煩悩熾盛の衆生と云ふ。而して唯仏の御名を信ずることによってのみ救はれると云ふのである。仏教に於ては、すべて人間の根本は迷にあると考へられて居ると思ふ。迷は罪悪の根源である。【中略】元来、自力的宗教と云ふものがあるべきでない。それこそ矛盾概念である。仏教者自身も此に誤つて居る。自力他力と云ふも、禅宗と云ひ、浄土真宗と云ひ、大乗仏教として、固、同じ立場に立つて居るものである。その達する所に於て、手を握るもののあることを思はねばならない。

(西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」)


 世界が未曽有の苦難に呑み込まれている2021年、20年前には想像もし得なかった我々の宿命は、容易に解答や解決策が出せるものではない。しかし、そこに混乱して己の無力を歎くだけではなく、自らが本来「迷道の衆生」に外ならないという認識を徹底するところから、これからの「道」を憶うことが出来ないだろうか。そして、何が我々を生かしめているのかを、真に考え抜く契機と出来ないだろうか。我々の生死が、どこまでも摑み難く、矛盾したものであり続ける以上は――。

(2021年2月1日)

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