親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

【特集趣旨】仏教と現代文化―新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで―

【特集趣旨】

仏教と現代文化

―新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで―

――新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで

嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 現代の多くの日本人にとって、仏教は縁遠いものに感じられるかもしれません。ですが、博物館で開催される仏像の展覧会はとても人気が高く、マンガやゲーム、音楽やYouTubeといったものの中に、仏教的な要素が見られることも決して珍しいことではありません。現代の日本人が、仏教的な「何か」に魅かれることがあるのは確かなようです。また、様々な現代文化のコンテンツを通して、仏教を少しでも身近に感じてもらおうとする実践も、積極的に行われています。

 そこで今回の特集では、現代の文化的事象の中に見られる仏教的な要素と、現代文化を通した仏教の発信について、様々な立場の方々からご論考・エッセイをお寄せいただきました。

 長い歴史と伝統があり、ともすると古いものと思われがちな仏教と、最先端の現代文化との接点について、改めて考えてみたいと思います。

(あおやぎ えいし・嘱託研究員)

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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」

青柳英司

親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる)

(「正信偈」『聖典』206頁)


 「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。


 その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。

 では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。


 梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。


 そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。


 これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。


 さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。

 すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。


 彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。


 その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。


 しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。


 侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。


 ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。


 また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。


 この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。


 では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。


 梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。


 武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。


 ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。


 その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。


 悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。

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『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』第6号

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研究会・Interview

『親鸞仏教センター通信』第85号

青柳英司 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「時間的な存在から超時間の課題へ」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「「難中の難」ということ

報告 越部 良一

■ 研究員と学ぶ公開講座2022開催報告

報告 加来 雄之

報告 中村 玲太

報告 青柳 英司

報告 谷釜 智洋

報告 宮部  峻

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「聖覚和尚の銘文」②

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ボードゲーム『即身仏になろう!』に寄せて 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI...

ボードゲーム『即身仏になろう!』に寄せて

青柳英司

親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 ある日、SNSで1つの投稿が目に留まった。

【本日発売】『即身仏になろう!』 新感覚即身仏体験ゲーム!

 うほっ!? 思わず、変な声が出てしまった。

 

 『即身仏になろう!』は、神戸を拠点にするクリエイター集団「グループSNE」が製作したボードゲームである。ゲームというと、「ゲーム機やスマートフォンを使ってするもの」というイメージが強いかもしれないが、駒やカードを使う非電子型のゲーム(これを本稿ではボードゲームと呼ぶ)の人気も根強い。たとえば、囲碁や将棋、トランプや花札、双六や麻雀などは、遊んだことのある人も多いだろう。

 

 さらに近年、従来とはまったく違った新たなボードゲームが次々と世に出ており、その中には仏教を題材としたものもあるのである。その1つが、本稿で取り上げる『即身仏になろう!』だ。

 

 では、そもそも即身仏とは何なのか? これは簡単に言えば、ミイラ化した僧侶のことである。即身仏を目指す者は、山に籠って身体を酷使すると共に、穀物の摂取を断つ。受戒した僧侶は、そもそも肉や魚を食べることができない。そのため、穀物を断つと口にできるのは、木の実や樹皮などに限られてしまう。また、臓器の腐敗を防ぐために、人体に有害である漆を飲むこともあったという。

 

 こうして体中の脂肪を落とし、骨と皮だけになった後は、「土中入定」と呼ばれる段階へと進む。木棺に入ったまま、地下約3メートルの深さに造られた石室に降ろされ、弟子たちが入口を塞ぐのである。

 

 真っ暗な土の中で、即身仏を目指す僧侶は水すら飲まずに、ひたすら読経を続ける。地上との繫がりは、換気用の竹筒1本だけである。その外で、弟子たちが決まった時刻に鐘を鳴らし、土中の僧侶も鳴らし返すことで生存確認を行う。音が返って来なくなると、それは修行の完成である。僧侶は即身仏と成り、永遠の禅定に入ったと見做される。

 

 すると、弟子たちは竹筒を引き抜いて穴を完全に埋め、遺言で定められた日数が経った後に掘り起こす。そこで遺体が朽ちていなければ、法衣を着せられ、厨子の中に安置されることになる。

 

 この即身仏の思想的淵源は、真言宗の開祖・空海(774-835)の即身成仏説にあるとされる。しかし、上述のような即身仏を目指す修行は、真言宗の中でも一般的なものではなく、基本的には近世の東北地方に見られる現象であった。その理由は様々に考察されているが、一説には、飢饉に苦しむ民衆の救済を願うものであったとされている。

 

 さて、話をゲームの方に戻そう。

 『即身仏になろう!』を初めて見た時、正直、「これは売れるのか?」と思った。

 筆者は、通っていた小学校の図書室になぜか即身仏の漫画があり、なぜか筆者はそれを読んでいたので、即身仏の存在については幼いころから知っていた。しかし、一般の人は即身仏に関心など無いのではなかろうか。そう思ったのである。

 

 だが、それは杞憂だったらしい。初版はすぐに完売したようで、現在はルールを少し修正した第二版が発売されている。そこでここでは、第二版の内容に沿いながら、『即身仏になろう!』の概要を紹介してみたい。

 このゲームは、100枚ほどのカードを使って行うカードゲームであり、トランプのように2人から5人で遊ぶことができる。ゲームの流れとしては、以下の3つのフェイズを各自で進めていくことになる。

 

(1)五穀集めフェイズ:修行に入る前の、最後の食事をするフェイズ。五穀(米・粟・麦・大豆・黍)のカードを集めることを目指す。

(2)五穀断ちフェイズ:五穀に対する未練を断っていくフェイズ。手札の五穀カードを全て捨てることを目指す。このフェイズでのみ、「漆茶」を飲んで身体を浄めることができる。

(3)土中フェイズ:土中の石室に入る最後のフェイズ。全ての煩悩(手札)を捨てて、即身仏になることを目指す。このフェイズでのみ、「入定」を実践することができる。

 

 この3つのフェイズを通して、プレイヤーは菩薩点(勝利点)を集めていく。菩薩点を獲得する方法は様々で、「最も早く次のフェイズに進む」「最も多くの漆茶を飲む」「最も多く入定する」などがある。最終的に、最も多くの菩薩点を獲得したプレイヤーが勝者だ。

 このゲーム、各フェイズによって目的が変わるため、様々なジレンマを抱えることになる。「五穀集めフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードをまったく引かないこともあるし、「五穀断ちフェイズ」であるにもかかわらず、五穀カードばかりを引いて、断ちがたい食への執着を痛感させられることもある。また、「手札の上限枚数は7枚」というルールがあるため、序盤に「漆茶」や「入定」をたくさん引いてしまうと、五穀を揃えるために捨てざるを得ないという局面にも遭遇する。

 

 さらに、他のプレイヤーに自分の手札を1枚押し付けることもできるため、もう少しで成仏というタイミングで、思わぬ妨害が入るということもある。ただ、この点は第二版になって、「「土中フェイズ」でのみ手札の同名のカードは同時に何枚でも捨てられる」、という仕様に変更となったため、初版の時の面倒臭さはかなり軽減された。

 

 このように『即身仏になろう!』というゲームは、実際の即身仏修行の雰囲気を存分に残しつつ、競技としても十分に楽しめるものとなっている。

 

 もちろん、仏教をゲームにしてしまうことに、抵抗を覚える方もいるだろう。しかし、仏教が一般の人々にとって、敷居の高いものになって久しいのも事実である。特にこのゲームは、我々は煩悩によって苦しむという事実を、ゲームシステムとして再現している。即身仏は、近世のムーブメントのようなものであるとも言えるし、現代において即身仏を目指すという人はいないだろう。けれど、現代の日本人にも、仏教的な「何か」に魅かれるところがあり、『即身仏になろう!』というゲームは、その端的な表象であると見ることもできるように思う。筆者は、その「何か」を丁寧に掘り起こしていきたい。そして、もっと変な声を出したい。このゲームから、そんなことを考えさせられた。

(あおやぎ えいし・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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ボードゲーム『即身仏になろう!』に寄せて
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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」

青柳英司

親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。

 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。

 では、現代の日本において、南無阿弥陀仏はどのような場面で使われ、どのように理解されているのだろうか。ここでは、日本のポップ・カルチャーの代表である「漫画」を取り上げ、一般的な日本人にとって、南無阿弥陀仏とは何であるのかを考えてみたい(ただし、仏教的なものが直接のテーマとなっている漫画は、すでに論じているものがあるため、ここでは敢えて取り上げなかった)。

 筆者の管見に入った南無阿弥陀仏の用例は、以下の6種に大別される。 なお、漫画は煩を避けるために、関連するものを1つずつ挙げるに留めた。

A、キャラ付け

金城宗幸/ノ村優介『ブルーロック』(講談社)

  主人公のチームメイト・五十嵐栗夢(いがらし ぐりむ)は、寺の息子という設定。このように、登場人物の特徴を際立たせるために、(何の脈絡もなく)南無阿弥陀仏が使われることがある。

B、弔いの言葉として

鳥山明『ドラゴンボール』(集英社)

 敵のロボットの首を吹き飛ばしてしまい、手を合わせる主人公の孫悟空(そん ごくう)。

C、呪文として

うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』(集英社)

 クリスマスの夜に現れた幽霊に対して、「ナムアミダブツ」を連呼するピヨ彦。それによって、幽霊が消滅しかけている。このようなシーンにおける南無阿弥陀仏は、何の効果も発揮しないことが多い。そのため、この描写は、極めて例外的なものであると言える。

D、危機的な状況における祈りの言葉として

アジチカ/梅村真也/フクイタクミ『終末のワルキューレ』(コアミックス)

 神々と人類との最終闘争(ラグナロク)が始まるシーンで、必死に念仏を唱える僧侶。

 このようなシーンの念仏は、何の効果も発揮しない「虚しい祈り」である場合が多い。

E、他者を攻撃する(殺す)際の言葉として

手塚治虫『シュマリ』(小学館)

 登場人物の1人である十兵衛(じゅうべえ)は、敵の腕を切り落とす際に「ナムアミダブツ」と呟く。

 このような念仏には、相手への弔い、または贖罪の意味が籠められていると思われる。

F、その他

オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』(小学館)

 主人公の弟・古見笑介が、米粒に南無阿弥陀仏を書き入れるシーン。なぜ、南無阿弥陀仏なのかは、よくわからない。

 以上のように、南無阿弥陀仏は様々な文脈の中に登場する。

 ただ、法然や親鸞の思想に沿った用例は皆無であり、それどころか、往生や成仏を願うという例も、ほぼ見られない。むしろ、現代日本において南無阿弥陀仏という言葉には、特定の宗派性を越えた仏教的(宗教的)表象という役割が、与えられているように思われる。
 一方、近年の漫画ほど、南無阿弥陀仏を漢字で表記する傾向が強いように感じられる。最早、仮名の表記では、南無阿弥陀仏は宗教的表現として十分に機能しないと、見られるようになっているのかもしれない。現代の日本において南無阿弥陀仏は、仏教性や宗教性を表わすフレーズとして、確固たる地位を占めているように見えるが、それが今後も続くという保証は、どこにも無いのである。そのことを我々は、確かめておくべきであろう。

 最後になったが、南無阿弥陀仏が出てくる漫画は、明治大学の学生諸君から教えてもらったものが多い。この場を借りて御礼申し上げる。

(2022年9月9日)

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繁田
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」 親鸞仏教センター嘱託研究員 繁田 真爾 (SHIGETA Shinji)  2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。    実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。    展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。    現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。    「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。    だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。    それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。   (2024年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」
今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi)  西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。   真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。 (『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)    現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。    キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。   軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。 (八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)    八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。   ①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。    曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。    強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。   ②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。    S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。   ③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。    衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。   ④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。    私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。    「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。   ⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。    長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。    私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。    私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。    「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。 (2024年元日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第242回「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」
今との出会い第242回 「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」 「ネットオークションで出会う、 アジアの古切手」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO...
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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」
今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる) (「正信偈」『聖典』206頁)  「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。  その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。  では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。  梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。  そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。  これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。  さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。  すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。  彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。  その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。  しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。  侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。  ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。  また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。  この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。  では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。  梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。  武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。  ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。  その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。  悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。 最近の投稿を読む...

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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

Interview 第27回 池田行信氏(後編)

青柳英司

ikeda

浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー後編を掲載、前編中編はコチラから】

──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。

 

■親鸞の「プロセス」を課題とする

池田  村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。

 信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」 を参照のこと)

 また、小林一茶は『おらが春』において、さらに木越康先生は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』において、「他力」を解釈する難しさについて言及していますが、これらのテーマは、今日「慈悲」をどう理解するかという課題に通じているように思います。(前掲blog「補遺(213)文献解釈の落とし穴――ボランティアは自力?」を参照のこと)

 『歎異抄』第4条の「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」の理解について、田中教照先生はその著『現代文「歎異抄」に学ぶ親鸞の教え』(235頁)にて、「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」は、「区別」して、どちらを取るかという問題ではなく、「聖道の慈悲」から「浄土の慈悲」への「転換」の必要性を述べているのだと指摘しています。一茶が『おらが春』に記した「他力縄に縛られる」(『註解』214頁)という話や、ボランティアは「聖道の慈悲」だというような見解は、「区別」のレベル、言い換えれば、「解釈」のレベルで、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」(『註釈版』834頁、『聖典』628頁)ことを「自力」と否定してしまうあり方ではないでしょうか。

 そうではなく、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題として、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」ことが難しいと知ったならば、「浄土の慈悲」「大慈大悲心」が要請されて来るのではないでしょうか。はじめから「浄土の慈悲」という「結論」、言い換えれば「浄土の慈悲」のみが正しいという「区別」、建前に依拠して解釈するから、人間の自然な感情でもある「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」、道徳的な感情としても否定しきれない感情を、「自力作善」として否定してしまうことになりやすいのではないでしょうか。村上先生はこの「結論」、建前からの議論の陥穽を指摘しているように思います。

 このように、いわば後世の宗学の型にはめた、「結論」の押しつけに縛られているありようを、一茶は「他力縄に縛られる」と語ったと理解することもできるのではないでしょうか。

 

■私的な祈り

池田  この点に関連して、ひとつの例をご紹介します。たとえば、新型コロナウイルス対策として、各種の行事が中止や延期を余儀なくされています。そして、それは必要なことと思います。

 では新型コロナウイルスの終息を「祈る」ことはどうでしょう。日本の仏教教団は、「戦勝祈願」した戦時下の動向を戦後に深く反省し、そのことを表明してきました。このことについては、たとえ、それが当時の善意にもとづく「祈り」であったとしても、公的責任が問われるべきです。では、私的な「祈り」は、どうでしょう。もちろん公的責任が問われることはないと思います。しかし、もし教団が私的な「祈り」を抑圧するとしたら、どうでしょう。

 ある坊守様から聞いたのですが、その方が学生時代にある先生からお聞きしたお話だそうです。その先生が学校に通学される時、お母様がお寺の山門の下で、「大難を小難に、小難を無難に」ととなえて、毎日見送ってくださったというのです。息子に災難が起こることは避けようがないけれども、それを少しでも小さなものに、というのが、そのお母様の心だったということです。

 このお話を聞いて、その坊守様は自分も子どもを授かることがあったら実行しようと思ったそうです。その後、結婚をし、子どもが生まれ、その子が山門から見えなくなるまで、合掌してその言葉を繰り返しているそうです。そのことを、また別の坊守さんにお話しした時、「真宗でそんなことをするのはおかしい」と、あっさりと言われたそうです。そう言われても、今も子どもを見送る時に、相変わらず続けているとのことでした。

 本願寺派では三業惑乱以降、「祈り」を非常に警戒し、「心経験」つまり、心での経験、意識作用までを「意業」とし、「他力信心」は「非意業」というのが教学上の建前になっているようです。真宗者の日常生活の現場にあっては、「『祈ります』とは言いません、『念じます』と言います」ということになり、「祈る」が否定され、代わりに「念じる」が使用されているようです。多くの僧侶や門信徒のあいだでは、浄土真宗の教えにおいては「念じる」は認められても、「祈り」は否定されていると理解されているのが現状ではないでしょうか。

 しかし、参考までに述べますと、恵信尼様は「後世をいのらせたまひける」(『註釈版』811頁、『聖典』616頁)と、「祈り」という言葉を使われています。親鸞聖人と恵信尼様の、夫婦の会話の中での言葉です。親鸞聖人が実際に「祈り」という言葉を使ったかどうかは判然としませんが、恵信尼様が「祈り」という言葉で教えの一端を理解していたことは間違いないでしょう。夫婦の会話の中では「祈り」と理解されていたのだと思います。

 この「祈り」という言葉については、誤解を生じる恐れがあるから用いることのないように、という暗黙の了解が教団内にはあるのだと説明されることもあります。しかし、教団の中でのこういった暗黙の了解が、多くの僧侶や門信徒に共有されてきたとも思えません。結果として、「真宗でそんなことをするのはおかしい」という一言であっさり片づけられ、「大難を小難に、小難を無難に」という、ひとりの人間の心にさえ寄り添うこともできないのではないでしょうか。そもそも、そのような暗黙の前提をもつ教学理解は、教団内の多くの僧侶や門信徒はもとより、教団外の不特定多数の人々にも開かれたものとは言えないでしょう。

 先に「逆縁」ということを申しましたが、「逆縁」は新たな創造的解釈が生まれてくる契機ともなり得るものです。あるいは、これまで「寄り添う」とも申してきましたが、私が寄り添うのみではなく、そもそも私たち自身も苦悩の中にいるのです。親鸞聖人であっても、流罪の苦悩を経られたわけです。宗祖がなぜ『教行信証』といった大部の著作を書かれたのか。あるいは宗祖なき後になぜ『歎異抄』が書かれなければならなかったのか。そこから、これまで言葉にならなかった教学が生まれてきたのです。そこには痛みや悔しさがあったのではないかとも思います。「ありがたい・もったいない・おはずかしい」と言って済ませられない苦悩を経て、言葉が紡がれてきたのです。そのような言葉を生み出してきた教団であればこそ、信頼に値すると私は思います。

 もちろん「大難を小難に、小難を無難に」という言葉は、仏教の信仰そのものに関わる表現ではないのかもしれません。しかし、この場合でいえば少なくともそう願い祈る、ひとりの人間の心に寄り添うことができるような視点からの、「祈り」の考察が必要ではないでしょうか。教団内の暗黙の了解が理解できる者にしか通用しない教学では、高尚なる宗学の奥義ではあり得ても、次世代に対する責任を担う教学とはならないように思います。

 かつて安田理深先生の講義をお聞きしていた時に、あるご年配の女性の方が聞きに来られていました。その方が休憩時間に「すみません。先生が「しゅうじ」(「種子」)と仰っているのですけれど、あれは何ですか。お習字のことですか」って、私に聞いたのです。安田先生は本当にすごい先生だと、その時に思いました。そういうおばあちゃんたちにも懇々と仏教としての浄土真宗を説いて、そういった方々の生活のレベルにまで何かが響いているわけです。

 宗教は最終的には「面々の御はからひ」(『註釈版』833頁、『聖典』627頁)であると思います。しかし、「結論」に至る「プロセス」で、今悩んでいる人間がいるならば、建前からの議論、建前からの説教ではなく、今悩んでいる人間の、「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことのできる、そういう教学的営為が要請されているのではないでしょうか。

 親鸞聖人が「結論」に至る「プロセス」に寄り添うことを、自己の課題とした教学的営為は、たとえば『教行信証』の「三願転入」を読み解くことで理解できるかも知れません。または、道綽禅師や善導大師による「本願取意の文」や「本願加減の文」として知られる、第十八願文の書き換え(『註解』394頁)や、親鸞聖人における、教行証の三法組織から教行信証の四法組織への展開は、まさにこの「結論」に至る「プロセス」に寄り添うがゆえの教学的営為であったようにも思うのです。

(文責:親鸞仏教センター)

前編はコチラ)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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Interview 第27回 池田行信氏(後編)
Interview 第27回 池田行信氏(後編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー後編を掲載、前編・中編はコチラから】 ──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。   ■親鸞の「プロセス」を課題とする 池田  村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。  信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」...
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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
Interview 第26回 池田行信氏(中編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー中編を掲載、前編・後編はコチラから】 ──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。   池田  印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。  また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。  「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。     ■『正信偈』の核心 池田  『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。  また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。     ──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。     ■方法論の展開とそれに伴う現代の批判 池田  まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。  清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。  そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。  また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。  曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。  しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。  その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。     ──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。     ■教団として現実に向き合うとき 池田  先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。  とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。  さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (後編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA...

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Interview 第26回 池田行信氏(中編)

青柳英司

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浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー中編を掲載、前編後編はコチラから】

──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。

 

池田  印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。

 また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。

 「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。

 

 

■『正信偈』の核心

池田  『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。

 また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。

 

 

──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。

 

 

■方法論の展開とそれに伴う現代の批判

池田  まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。

 清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。

 そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。

 また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。

 曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。

 しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。

 その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。

 

 

──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。

 

 

■教団として現実に向き合うとき

池田  先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。

 とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。

 さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

後編へ続く)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)

青柳英司

ikeda

浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職

池田 行信

(IKEDA Gyoshin)

Introduction

 2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。

(東  真行・青柳 英司)

 

【今回はインタビュー前編を掲載、中編後編はコチラから】

──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。
 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。

 

 

■なぜ『正信偈』なのか

池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。

 さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。

 曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。

 

■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し

池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。

 1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。

 浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。

 そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。

 いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。

 大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。

 だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。

 教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。

 

■「与奪」と「祖述」

池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。

 しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。

 ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。

 異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。

 「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。

 

■「逆縁」による「興宗」

池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。

 曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。

 逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。 

 星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

中編へ続く)

池田 行信(いけだ ぎょうしん)

 1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。

 著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。

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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
Interview 第26回 池田行信氏(中編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー中編を掲載、前編・後編はコチラから】 ──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。   池田  印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。  また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。  「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。     ■『正信偈』の核心 池田  『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。  また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。     ──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。     ■方法論の展開とそれに伴う現代の批判 池田  まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。  清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。  そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。  また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。  曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。  しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。  その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。     ──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。     ■教団として現実に向き合うとき 池田  先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。  とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。  さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (後編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA...

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: