親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第162回「遊ぶ子どもの声きけば」

遊戯

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 生来が子ども好きであって、赤ん坊や幼な児を前にすると途端に顔がほころんでしまう。ひとさまの子にもかかわらず、むさぼるようにあやしてすぐさま仲良くなってしまうものだから、口さがない友人からはかしこくも「子どもころがし」の異名を拝している。

 一言反論をおゆるしいただけるならば、実際には子どもをあやしているのではなく、こちらがころがされているに過ぎない。あくまで子どもになりきって、肩を並べて夢中に戯れ遊ぶ――そのとき、何ものにも縛られていない生命の根源に触れる思いがしてくる。何ものも書き込まれていないタブラ・ラサ(白紙)として生れ来た子どもは、「無垢」であることの無限の可能性を思い出させてくれるからである。


遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ、遊ぶ子どもの声きけば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ


『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』のこの一句は、われわれひとりひとりの実存そのものに思えてならない。すべてが「遊び」「戯れ」だとして、それを純粋無垢に楽しみきる。そうして遊ぶ子どもの「声」に「わが身」も交響して動かされていく、というのである。

 日本臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいん えかく)〔1685~1786〕の禅画に「布袋携童図」(永青文庫蔵)がある。布袋(ほてい)が傘をさして子どもの手を引いている図柄であり、図の左には賛が付されている。


七ツに成る子がいたひけな事云ふた 人も傘をさすならばわれらもかさをさそうよ


これは狂言『末広がり』にみえる「傘をさすなる春日山、これも神の誓いとて、人が傘をさすなら、我も傘をさそうよ」の句とも重なり、神仏の庇護の下に在ることを暗示するものだと考えられている。そして、神仏から授かる福の象徴である「餅花(御福餅)」を手にした子ども=衆生の呼びかけに応えて、共に仏をたずねていく布袋=白隠の姿が描かれたものであるという(芳澤勝弘『白隠―禅画の世界―』角川ソフィア文庫)。『浄土論』に、「大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化身(おうけしん)を示して、生死(しょうじ)の園・煩悩の林の中に回入(えにゅう)して、神通(じんずう)に遊戯(ゆげ)し教化地(きょうけじ)に至る」という。菩薩は衆生の迷いと煩悩の現場に入っていき、そこで神通に遊戯して教化する、というのである。子どもと布袋とが遊び戯れるところ、それを白隠は「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」――悟りを求めるなかで衆生を救いとっていく――と表しているのだろう。

 子どもの自由で無邪気な声に触れるとき、我も彼もなく、ただ慈しみが満たしきる、そういう感応道交の有様が「遊戯三昧」ではないだろうか。

(2016年11月1日)

最近の投稿を読む

谷釜智洋顔写真
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。...
伊藤真顔写真
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto)  8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。...
青柳英司顔写真
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi)  日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。  この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。...
加来雄之顔写真
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)...

著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時: