親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

谷釜 智洋

研究員の紹介

TANIGAMA Chihiro
(研究員)

プロフィール

専門領域
日本近代仏教史、近代を中心にした大谷派の教団史
略歴

1985年東京都生まれ。

国士舘大学21世紀アジア学部卒業。
大谷専修学院本科修了。
東洋大学大学院文学研究科インド哲学仏教学専攻博士前期課程修了。
東洋大学大学院文学研究科インド哲学仏教学専攻博士後期課程在学中。

現在、親鸞仏教センター研究員。
所属学会
日本印度学仏教学会、日本近代仏教史研究会、佛教史学会
研究業績

researchmapを参照。

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第44号
「親鸞仏教センター通信」第81号
「親鸞仏教センター通信」第78号
「親鸞仏教センター通信」第77号
「親鸞仏教センター通信」第75号
「親鸞仏教センター通信」第74号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第222回「仏教伝道の多様化にいかに向き合うか」
今との出会い 第211回「#Black Lives Matter ――差別から思うこと」
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

「親鸞仏教センター通信」第81号

谷釜智洋 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「新型コロナウィルスに想う」

■ 第67回現代と親鸞の研究会報告

講師 江原由美子 「現代社会とフェミニズム」

報告 宮部  峻

■ 研究員と学ぶ公開講座2021報告

藤村  潔 「『大乗涅槃経』を読む」

東  真行 「「正信念仏偈」を読む」

谷釜 智洋 「『精神界』を読む」

■ 第3回現代と親鸞公開シンポジウム報告

長谷川琢哉 「人間的行為の葛藤と〈いのち〉の言説」

中  真生 「いのちとその産み育ての結びつきと分離―「母性」、出生前診断、「赤ちゃんポスト」などを手がかりに―」

森川 輝一 「〈いのち〉と政治のパラドックス」

加藤 秀一 (コメンテーター) 中村 玲太 (開催趣旨)

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

宮部 峻 「森岡清美(1923〜2022)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

どうしようもなさを共に

谷釜智洋

親鸞仏教センター研究員

谷釜 智洋

(TANIGAMA Chihiro)

お元気ですか
いかがお過ごしでしょうか?
こっちはさして問題もなく
みんな元気でやってマウス
暑いと言えば暑いのか
さむいと言えばさむいような
一言じゃとても言えないけど
とても快適なんだよ

(「彼方からの手紙」『WILD FANCY ALLIANCE』)


 スチャダラパーによる1993年のアルバム『WILD FANCY ALLIANCE』。その最後を飾る「彼方からの手紙」は一番好きな曲のひとつだ。特に最近、この曲を頻繁に聴いている。はじめに引用したのは、その出だしの歌詞である。

 この曲は、友人たちから届いた、一通の手紙というかたちをとっている。その友人たちは、なんだか快適そうな「彼方」を訪れているようだ。誰がどこから書いた手紙なのか、はっきりとは示されていない。不思議なメロディと相まって、発表されてから約30年経つが、現在も多くのファンに支持され、様々に考察されたりもしている。

 たとえば、この曲での「彼方」とは彼岸、つまり、あの世であるとか、精神が解放された境地が「彼方」である、などと解釈される。聞き手の経験や価値観によって多様な感じ方のできる曲なのである。

 この曲では、「彼方」にいる者たちが「『あぁ あいつも来てればなぁ』 って 本当にぼくも同感だよ それだけが残念でしょうがないよ」と、ところどころで繰り返す。


そうそうおもしろい事があったんだよ
確か2、3日前の事
ちかくにきれいな小川があって
みんなでそこへ遊びに行って
子供みたくキャッキャッ言ってたら
誰かが急に言い出したんだ
「川って海につながってんでしょ・・・」
おーしっ たしかめに行くぞーっ
行ったんだ ほんと確かめに
そんで3時間ぐらい歩いた時に
「川のはじまりって・・・」
イエ―ッ 気になる知りてーっ
来た道をくるり 逆にもどり
また3時間ほどたったころに
「ねぇ なんかお腹すかない」
ペッコペコ―ッ 何か食べたいーっ
あっさり 帰って たらふく食って
川の事はすっかり忘れて
そんなんで1日終わっちゃうんだよ
そっちじゃ 考えられないでしょ
やっぱり みんなで口にするのは
「あぁ あいつも来てればなあ」
って、本当にぼくも同感だよ
それだけが残念でしょうがないよ


 歌詞全体のなかでも、特に際立つ箇所だ。ここでは「彼方」にいる者たちが、近所の小川に行き、行ったり来たりしている様子が描写される。誰かが急にこんなことを言う。「川って海につながってんでしょ・・・」。そういうわけで彼ら(彼女ら?)は海に向かうのだが、数時間歩いたところで、また別の疑問を抱く。「川のはじまりって・・・」。彼らは来た道を数時間もどる。

 言い換えれば、彼らは川の果を求め、次いで川の因を求めて、ついにもともといたであろう出発点あたりに回帰したようだ。「ねぇ なんかお腹すかない」。空腹に気づいたとき、彼らにはそれにもまして大切なことは、さしあたり見当たらない。しかし、それもいいじゃないか、とも思う。どうしようもない右往左往に見えるかもしれない。しかし、私はこのどうしようもなさに共感する。

 何時間もかけて川沿いを放浪した彼らだが、決してそれ自体を無駄とは捉えていない。むしろ、そこにいない仲間と同じ時間や体験を共有したかったというところに価値を置いていることが伝わってくる。

 考えてみれば、コロナウイルス感染拡大の状況下で、無駄な会話は控え、不要不急の用事は自粛する、そういう雰囲気が社会全体にあった。この約2年、人と体験を共有することはかなり難しい状況にあった。そして、それはある意味では致し方ないことでもあった。

 当然、私たちは「彼方」にいる者たちのように自由気ままな生活をすごすことはできない。だけれども、私たちは今ここにいながら、目の前の仲間たちと同じ時間や体験を共有したいと思っている。そのことを、この曲は思い起こさせる。たとえ、どうしようもない時間や体験であったとしても――。

 だから最近、「彼方からの手紙」を繰り返し聴いているのかもしれない。

(たにがま ちひろ・親鸞仏教センター研究員)

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「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること
「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること 浄土宗総合研究所研究員 石田 一裕 (ISHIDA Kazuhiro)  経典は読誦の対象であり、読解の対象でもある点で、読み物である。  読誦のときの経典は譜面だ。手に取った経本に記される経文を目で追いながら、声を出して一文字一文字を読み上げていく。その声は仏への祈りであり、儀礼を成り立たせる大切な要素となる。読誦は仏への真心によって成立する一つの行である。...
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「読み書きのできない者たちの中国古代史」 早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平 (KAKINUMA Youhei)  親鸞は、読み書きのできない大衆(以下、無文字階層)をまえにして、仏法を説いたといわれている。たとえば『歎異抄』をみると、いたずらに学問に拘泥するよりも、むしろ「一文不通のともがら」が無心に念仏をとなえる姿をほめたたえている。また親鸞は晩年に「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき、愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、とりかえしとりかえしかきつけたり」とのべ、『一念多念文意』を著わしている。こうした親鸞の教えが13世紀頃から徐々に日本に広まってゆく背景には、無文字階層の民の存在があった。おりしも鎌倉幕府が成立し、関西方面では寺社仏閣・貴族が、関東方面では武士が中心となってしのぎを削るなか、親鸞のまなざしは無文字階層の民に注がれていたのである。...
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親鸞さんのわすれもの
親鸞さんのわすれもの 脚本家 今井 雅子 (IMAI Masako)  「脚本家の仕事を動詞ひとつで言い表すと?」  講演のつかみに、この質問を投げかけている。真っ先に挙がる答えは「書く」だが、書くことと同じくらい「話す」ことに時間と労力を割く商売である。三時間の打ち合わせで話し合ったことを踏まえ、三時間かけて原稿を書くといった具合だ。話すことと対になる「聞く」も欠かせない。物語のモデルになる人物や職業について取材したり、世の中の声を拾ったり。執筆には「調べる」が欠かせない。膨大な資料を「集める」のも「読む」のも取材であり、読んで字のごとく「取って来た材料」を使い勝手のいいように整理したり並べ替えたり「まとめる」までが、料理で言うところの下準備。それを「組み立てる」のが調理で、「ひらめく」のは味つけといったところか。作業には終始「考える」が伴い、何度も「直す」「磨く」を経て脱稿、納品となる。...
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You know me〜月並みに口説くな〜
You know me〜月並みに口説くな〜 アーティスト なみちえ (Namichie)  深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。だが永遠はすぐに終わった。ヒュッと何か巻き戻したかのような感覚で時空間は歪み、その勢いで自分が自分を起こした。「ッゴホホッ」と喉の奥から大きな音を立て、むせ返り床と一体になっていた体が分離した。はっとなり起き上がり、その新鮮な体は周りを見渡す。目の前の丸いテーブルには奇妙な形をした、歪な湯呑みが置いてある。...
中村玲太顔写真
いびつさの居場所
いびつさの居場所 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。...
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釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇
釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■対話なき今  オリンピックと同じく「平和の祭典」であるパラリンピックがまさに開催されていた2月末、ロシアがウクライナへ軍を進めた。開会式では国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が「私は平和のメッセージから始めたい……始めねばならない」と切り出した演説が話題になった。オリンピック・パラリンピック開催期間中の休戦を求める国連決議(ロシアと中国も共同提案国に含まれている)にも言及しながら、「21世紀は戦争と憎悪ではなく、対話と外交の時代」だとし、包摂的で、差別と憎悪と無知と紛争から自由な、そんな世界を希求すると述べた。異例とも言える直截的な平和の訴えだが、演説のこの部分などが(おそらくは政治的配慮から)中国国営テレビの生放送では中国語に翻訳されなかったことが報じられた。...
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根源的な虚無とどう向き合うか
根源的な虚無とどう向き合うか 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu)  新型コロナウイルスの問題に直面して、二年という年月を経てきた。私自身、コロナ以前のことを振り返るのがつらくなっている。もはや、以前のようには戻れないと感じるようになったからである。失われてきたものの大きさに、ようやく気づかされることになってきたからである。...
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流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神
流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  気づけば、新型コロナウイルス感染拡大から2年が過ぎてしまった。「自粛」が始まった当初には「非常」として感じられた現象は、すっかり日常生活を侵食してしまった。自粛生活がルーティン化したからといって、事態がよくなったわけではない。街を少し歩いてみても、閉店してしまった馴染みの店が目につく。新型コロナウイルスの感染は、人類にほぼ等しく降りかかるリスクでありながら、その痛みは偏在する。...
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どうしようもなさを共に
どうしようもなさを共に 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro) お元気ですかいかがお過ごしでしょうか?こっちはさして問題もなくみんな元気でやってマウス暑いと言えば暑いのかさむいと言えばさむいような一言じゃとても言えないけどとても快適なんだよ (「彼方からの手紙」『WILD...

今との出会い 第222回「仏教伝道の多様化にいかに向き合うか」

谷釜智洋

親鸞仏教センター研究員

谷釜 智洋

(TANIGAMA Chihiro)

 近年インターネット並びに電子機器の発展に伴い仏教伝道の方法に多様化がみられる。例えばYou Tubeでは僧侶や寺院が自らのチャンネルを開設し、法話が配信されている。仏教に関連する「法話」・「聞法」等といった言葉をYou Tube上で検索すれば宗派を問わず多くの僧侶が動画を投稿している。なかには数十万回以上再生された動画も存在する。

 新たな仏教伝道の方法は法話に限らない。現代的な音楽に合わせて『般若心経』を読誦する動画も人気を博している。多種多様な入り口を介して仏教に触れてもらう狙いがあるのだろう。

 これらについて賛否はあるようであるが、新たな仏教伝道の試みとして注目されるものである。


 さて、いくつか現在の仏教伝道の方法についてみてきたが、時代に応じた伝道は、常に仏教者たちによって模索されてきた。近代には、叢書を用いた伝道が始まり、時間や場所を問わず、人々が仏教に触れる機会を広げたとも言われている。

 戦後日本、真宗大谷派からも「同朋叢書」が刊行され、同朋会運動の一端を担ってきた。同叢書において人気を博した著者の一人に米沢英雄がいる。彼の代表作である『魂の軌跡』は、当時多くの同朋の心を掴みベストセラーとなり広く親しまれてきた。著作集のあとがきで、『魂の軌跡』について次のように回想している。


文中に『法華経』のことが出ます。真宗に法華経は不穏当だと言われそうですが、要はわかればいいと思っています。日本人だからといって日本料理だけ食べるわけじゃないでしょう[……] 栄養になれば何を食べていいと思います。主体さえ確立出来れば、それでいいのではないか。

(『米沢英雄著作集』第1巻、217頁)


 このように、教理を料理に例え、「栄養になれば何を食べてもいい」と、信仰の「主体」さえ確立することが出来れば、どのような教理に触れてもよいのではないのかという。


 また、米沢は『別冊同朋』の報恩講特集号に次のような文章も寄せている。


人間は何か新しい療法を求めたり、コンピューターによる何々とかにとびついたりします。しかし今新しいものは、やがて古いものになるのです。仏法は永遠に古くならないものです。[……] 真実というのはいつも新しい、この真実をつきつめたところに真宗があるのです。これは流行に左右されません。どんな平凡な、毎日同じような仕事をやっていても、宗教心さえ芽生えておれば、いつも新しく生きておられるのだと思います。

(「真なる故に新しい」『米沢英雄著作集』第1巻、209頁)


 ここで米沢は、新しいものはやがて古いものになるが仏法は永遠に古くならないという。また、仏法を真実という言葉に置き換え、それは流行に左右されないという。


 いつの時代も仏教伝道の方法は様々なものが試されてきた。しかし、方法は問題ではないのだろう。発信側、受信側に限らず、確かな信仰とは何かということが問題ではないだろうか。なるほど、米沢の言葉は流行に左右されるものではない。だからこそ、今も新鮮だ。

(2021年10月1日)

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著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第78号

谷釜智洋 掲載Contents

巻頭言

谷釜 智洋 「自己を問うてくるもの」

■ 源信『一乗要決』・『尊号真像銘文』合同研究会報告

講師 梯  信暁 「源信『往生要集』の菩提心論

報告 藤村  潔

■ 研究員と学ぶ公開講座2021報告

藤村  潔 「『大乗涅槃経』を読む」

東  真行 「「正信念仏偈」を読む」

谷釜 智洋 「『精神界』を読む」

■ 第6回清沢満之研究交流会報告

テーマ:世紀転換期の宗教思想運動—内村鑑三・綱島梁川・清沢満之—

赤江 達也 「「無教会主義」の波紋―内村鑑三から塚本虎二へ―」

古荘 匡義 「実験と言説―綱島梁川からの宗教思想運動―」

名和 達宣 「「精神主義」運動の波紋―曽我量深を中心に―」

鶴岡 賀雄 (コメンテーター) 長谷川琢哉 (開催趣旨)

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)①」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

藤村  潔 「小栗栖香頂(1831〜1905)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第77号

谷釜智洋 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「パンデミックの中で法蔵願心を憶う」

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト報告

講師 本明 義樹 「『教行信証』の「現代的解釈」に向けての課題—聖教編纂を通して—

報告 藤原  智

■ 第65回現代と親鸞の研究会報告

テーマ 「裁判員制度10年を見つめて」

講師 坂上 暢幸

講師 大城  聡

報告 飯島 孝良

■ 「正信念仏偈」研究会報告

講師 四方田犬彦 「アーカイヴとしての『教行信証』」

報告 東  真行

■ 清沢満之研究会報告

谷釜 智洋 「「語られる清沢満之」という課題――雑誌『精神界』を読む――」

■ 研究員と学ぶ公開講座2020報告

藤村  潔 「救われがたき者とは— 『大乗涅槃経』を読む —」

東  真行 「親鸞を再読するという課題 — 金子大榮による戦後の思索 —」

谷釜 智洋 「大正期における「現代」と真宗 — 真宗大谷派仏教学会の取り組み —」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

東  真行 「西本文英(1920〜2006)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『現代と親鸞』第44号

谷釜智洋 掲載Contents

研究論文
研究レポート
■ 第62回現代と親鸞の研究会

佐藤 卓己 「「ポスト真実」時代の輿論主義と世論主義」

■ 第63回現代と親鸞の研究会

橋本 健二 「現代日本の階級社会とアンダークラス」

■ 第64回現代と親鸞の研究会

伊藤  聡 「「神国日本」という語りの重層性」

■ 第1回「現代と親鸞公開シンポジウム」報告

テーマ:「〈かたられる〉死者」

【問題提起】

中村 玲太 「〈かたられる〉死者」」

【提言】

加藤 秀一 「亡き人を〈悼む〉こと、「死者」を忘れること」

師  茂樹 「「死者」はどこにいるのか―仏教の死者観と人間中心主義―」

吉水 岳彦 「極楽に住き生まれて」

【全体討議】

佐藤 啓介(コメンテーター)・中村 玲太(司会)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(30)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

景色がかわるとき

谷釜智洋

親鸞仏教センター研究員

谷釜 智洋

(TANIGAMA Chihiro)

 「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。

 香川県にあるハンセン病療養所、大島青松園からかつて自由を求めて対岸にある庵治町へ泳いで渡ろうとし、その過程で命を落とした人々がいた。このインスタレーションでは、その事実に基づく映像作品も展示されている。([参照] ART SETOUCHI

 異なる療養所であるが、2014年に私は岡山県の長島愛生園へフィールドワークとして訪れたことがある。その際に園内にある真宗寺院や歴史館においてハンセン病の回復者の方々と交流する機会を得た。そこで眺めた海の景色は、自分には広々と穏やかに見えていた。歴史館の資料や回復者の方々の話から、愛生園から脱走を図った当時の患者達の中にも青松園と同様のことを試みて、亡くなられた方が何人もいたことを知った。この事実を知った途端、言葉では説明できないような感情がこみ上げ、穏やかに見えていた海の景色が一変するという体験をした。

 近代の大谷派と「ハンセン病問題」については、昭和6(1931)年に国が発した「らい予防法」の制定がまず注目される。この法令でいう「予防」とは名目で、ハンセン病患者を強制隔離するための法律であったといわれている。教団としてその政策に加担してきた大谷派は、法令の制定に合わせて、大谷派光明会を結成し、慰問布教として僧侶を療養所に派遣するが、その実質的目標は強制隔離を患者自身の運命としてあきらめさせることにあった。大谷派出身の僧侶であり医学者の小笠原登(1888-1970)は、この隔離政策に異をとなえたが、当時の教団を動かす力とはならなかった(『増補 小笠原登――ハンセン病強制隔離政策に抗した生涯』、東本願寺出版、2019年を参照)。

 2011年12月頃であったか、東日本大震災の被災地のひとつでもある岩手県の大槌町を訪れた際にも、愛生園のときと似たような感覚に襲われた。震災から1年も経たない時期であったが、余震がだいぶ落ち着き始めていたこともあり、同県に住む友人を尋ねた。友人からその景色を見るように促され、一人で大槌町に向かった。私自身にも被災地の現状をこの目で見なければという思いに駆られるところがあった。

 町には更地の中に山積みにされた瓦礫がいくつもあった。その港から海を見た途端、ここで多くの人の命が尽きたことを考えると、身がすくみ、かつてそこにいた人々の声すら聞こえてきたような気がした。なんらかの事実に触れることで普段通りの景色は、まったく違うものに映ってしまう。

 冒頭で言及した映像作品で山川氏は、過去の出来事とは逆に庵治町から大島までみずから泳いで渡るということを試みている。過去の事実に無関心であれば、ただ人が泳いでいる映像にしか見えないかもしれない。氏のやり方で「人格ある誰か」に接近していく試みであったのだと想像する。

 私の景色を一変させたのは、氏の言葉をかりれば「人格ある誰か」の存在だったのだろうか。

(たにがま ちひろ・親鸞仏教センター研究員)

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景色がかわるとき
景色がかわるとき 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)...
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『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号) 目次 「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること...
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『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号) 目次 〈いのち〉という語りを問い直す 特集趣旨 〈いのち〉という語りを問い直す...
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『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号) 目次 亀裂のなかで生きること 亀裂のなかで生きること...
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『アンジャリ』WEB版(2020年6月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2020年6月15日更新号) 目次 〈個〉から数へ、数から〈個〉へ――パンデミックの只中で...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)

谷釜智洋 目次

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亀裂のなかで生きること
亀裂のなかで生きること 神戸大学人文学研究科講師 齋藤 公太 (SAITO Kota)  新型コロナウイルスの存在が国際ニュースの一角を占めるようになったのは、2019年の末頃だったろうか。それは当初遠い場所の出来事のように聞こえていたが、日本でも感染が広がり、人々の生活が一変するまで、さして長い時間はかからなかった。今や外出時にマスクをつけ、念入りに手指を消毒する生活にはすっかり慣れた。しかし、何か世界の位相がズレてしまったような居心地の悪さは、底流のように続いている。...
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呼びかけられる
呼びかけられる 哲学研究者 永井 玲衣 (NAGAI Rei)  遠くから、おーいと呼びかけられることが好きだった。  おーい、おーい、と声がする。風が顔を吹き付けていて、少し肌寒いと感じるあの日のことだ。西日の傾きがゆっくりと一日が終わることを示していて、放課後の気だるい空気が漂っている。おーい、おーい、とまだ声がする。周りにひとはいなくて、わたしは平坦なゴム製のグラウンドをゆっくり踏みしめて西校舎に向かっている。おーい、おーい。だんだんとその声が、わたしの聞き慣れた声であることが分かってくる。おーい、永井、おーい。わたしの名前が呼ばれる。わたしは振り返って、声のする方を見上げる。友だちが、校舎の3階からわたしに手を振っている。おーい、おーい。...
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「うったう」――共感するという希望
「うったう」――共感するという希望 シンガーソングライター 寺尾 紗穂 (TERAO Saho)  アーティストとは何だろうとよく考える。私の身の回りの音楽のアーティストを見回すと、よく聞き、よく作り、よく演奏する人々という印象だ。ことに男性アーティストの多くが、熱心なリスナーであり、そこから自らの音楽にエッセンスを取り込んで作っていくことに長けているように感じる。私はと言えば、日常的に音楽を聴くことが出来ない。音楽を聴くときは誰かから「これがいいよ」と音源を渡されたり、知り合いのミュージシャンから新作を手渡された時などだ。歌もののアルバムであれば、歌詞カードを見ながら集中して過ごす一時間弱であって、それ以外に音楽を聴くということから遠ざかっている。加えて音楽を作る時間というのは日常的にない。私にとっての作曲は自転車に乗っているとき、あるいはお風呂に入っている時、あるいは駅で電車を待っている時ふいに思いつくものであって、その場でコードや歌詞を書きとめて、後でまとめることだ。例外的に人の詩に曲をつけたり、珍しく詩だけが先にできあがっている時は、30分くらいピアノの前に座って作るけれど、それは稀にだ。そんな具合だから、意識的に聞いたり作ったりがほとんどない自分はアーティストと名のっていいのかどうか、今でも自信がない。ピアノ弾き語りという形で活動はしているけれど、似非アーティストと言われても、「はい、そうかもしれません」と答えるしかない。...
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「隔離」の残響
「隔離」の残響 現代美術家・ホーメイ歌手 山川 冬樹 (YAMAKAWA Fuyuki)  昨年から「隔離」という言葉を頻繁に耳にするようになった。  この言葉を聞いて、わたしがどうしても想起せざるを得ないのは、ハンセン病をめぐる「絶対隔離」のことである。ここ数年、ハンセン病療養所に通い、回復者たちと密に関わりながらアートプロジェクトに従事してきた身からすると、この「隔離」という言葉を聞くたびに、どこか刃物で胸を突き刺されるような痛みを感じずにはいられない。さすがに最近は少し聞き慣れてはきたものの、この「隔離」という言葉が急にマスメディアで取り沙汰されはじめた頃は、思わず熱を出して寝込んでしまうほどだった。...
中村玲太顔写真
日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について
日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「もっと乱暴に、世の中の宙ぶらりんな物語を終わらせるべく襤褸の少女を派遣するというのはどうだろう。襤褸を着た少女がよたよたと歩いてきて空を見上げ「あ、流れ星」と呟くぐらいでもいいとも思う。世のありとあらゆる物語の中を渡り歩いてラストシーンを飾るというのは、大変に幸せな職業かもしれない」(高山羽根子「「了」という名の襤褸の少女」、『うどん キツネつきの』〔創元SF文庫〕所収)...
飯島孝良顔写真
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  いささか面映ゆいことではあるが、ごく私的な経験談から始めたい。10代の終わり、学問的な気風に接することなく過ごしてきた私にとって、恩師が示して下さった“聖書学”という分野は、ひとつのカルチャーショックであった。聖書学は、聖書にちりばめられた「奇蹟(物語)」や「超自然」を合理主義の下に排し、人間イエスの精神とその時代を出来る限り客観的に描出することに努める営為である。すなわち、イエス自身の言行と思われたものも、福音書の記述と編集の段階で弟子や原始教団の意図や認識によって創出されたものであって、史実そのもののイエスを語るというよりも、記者や編集者それぞれの問題意識を反映した〈像〉と看做すのである。このように「史的イエス」探究を軸とした聖書学は20世紀に隆盛を極め、古代史学や社会心理学や言語学(言語行為論など)を総合的に踏まえてイエスとその時代を分析する「文学社会学」的聖書学へと結実していった。...
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忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて
忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて 親鸞仏教センター研究員 東  真行 (AZUMA Shingyo)  言葉はあくまで伝えたいことの「入れ物」なのだと、ある音楽家はいう。寺尾紗穂氏が述べるように「歌」と「訴え」が相通じているとして、こんな言い換えは可能だろうか。訴えの込められた入れ物が歌だと。  切実な思いだからこそ、音に乗せるのか。親鸞もたくさんの和讃を遺している。それらは黙読される文字である以上に、読誦される言葉として今なお息づいている。読む者のみならず、勤行の会座を共にする聴聞者の心身をも文字通り震わせてきた。...
谷釜智洋顔写真
景色がかわるとき
景色がかわるとき 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。...
投稿者:shinran-bc 投稿日時: