親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

「親鸞仏教センター通信」第82号

菊池弘宣 掲載Contents

巻頭言

加来 雄之 「思想の「場」」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「涅槃、本当に生きることができる場所に立つ」

報告 越部 良一

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 木村 哲也 「忘れられた存在を語り直す/忘れられた存在と出会い直す―ハンセン病問題と駐在保健婦―」

報告 菊池 弘宣

■ 第7回清沢満之研究交流会報告

テーマ:近代の宗門教育制度と清沢満之

江島 尚俊 「明治前期・真宗大谷派における教育制度の特徴—他宗派との比較から考える―」

川口  淳 「メディアにみる大谷派教育と改革運動 —明治20年代の一考察」

藤原  智 「清沢満之と真宗大学(東京)の運営」

林   淳(コメンテーター)

東  真行(司会)

長谷川琢哉(開催趣旨・報告)

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)③」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

田村 晃徳 「寺川俊昭(1928〜2021)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

菊池 弘宣

研究員の紹介

KIKUCHI Hironobu
(嘱託研究員)

プロフィール

専門領域
親鸞聖人の本願論
略歴
1975年東京都生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。
大谷専修学院卒業。
元大谷専修学院指導補。
現在、親鸞仏教センター嘱託研究員

当センター刊行物への執筆

『アンジャリ』第36号
「親鸞仏教センター通信」第82号
「親鸞仏教センター通信」第80号
「親鸞仏教センター通信」第78号
「親鸞仏教センター通信」第76号
「親鸞仏教センター通信」第75号
「親鸞仏教センター通信」第73号
「親鸞仏教センター通信」第72号
「親鸞仏教センター通信」第68号
「親鸞仏教センター通信」第67号
「親鸞仏教センター通信」第64号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第226回「阿弥陀三尊が語りかけてくるもの」
今との出会い 第215回「今はさてあらん」
今との出会い 第203回「親鸞と中世当時の被差別者との関わりに問われていること」
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

根源的な虚無とどう向き合うか

菊池弘宣

親鸞仏教センター嘱託研究員

菊池 弘宣

(KIKUCHI Hironobu)

 新型コロナウイルスの問題に直面して、二年という年月を経てきた。私自身、コロナ以前のことを振り返るのがつらくなっている。もはや、以前のようには戻れないと感じるようになったからである。失われてきたものの大きさに、ようやく気づかされることになってきたからである。

 自粛下、様々なものがストップし、いわゆる「欲望の体系」、および自身の欲求が遮断されていく状況の中、日夜あてどなく歩き回ることを繰り返した。その折にふと、「この問題は結局、自分自身が本当にどのように生きていきたいのか、本当にどう成りたいのかがわからない、何も浮かばない、そういう根源的な虚無感・ニヒリズムを突き付けてくる問題なのではないか。それが、政治・経済・医療等、対策の問題にすり替わったまま、顕在化することがない。そのことが、現代における根深い問題なのではないか。宗教に関わるものにとって危機的な問題なのではないか」と、そのような思いが心をよぎった。

 大学生の頃、1990年代の半ば、梶井基次郎の小説『蒼穹』にある一節、「なんという虚無!」という言葉に惹かれていたことを思い出す。今の世の中は、それを口に出せないほど閉塞感で覆われている。むなしさを感覚し、それをキャッチするスペースすらないように思われる。それほどに、合理性で埋め尽くし、抑圧しきって生活しているのではないかと、心苦しく思っている。

 昨今は、人の抱える苦悩が見えにくくなっている。苦悩それ自体がわからなくなっている時代であるような気がしている。極端な事例になるが、無差別殺傷事件が起こり、その動機に自殺願望がある場合、当人は、自暴自棄になって苦しんでいるという根本的な問題を抱えているのだと思う。今の時代、自分が苦しんでいても、一体何に苦しんでいるのかわからないまま、それを放置するよりすべがないように感じる。あるいは、自分が苦しんでいるということすらわからずに、抱えているものを誰にも打ち明けることもないまま、取り返しのつかないことを起こしてしまうという出来事が、起こり続けているように思う。

 しかし、そうかといって、それぞれの存在が抱えているやっかいな重さを、吐き出せばそれでよいものなのだろうか。直接的であれ間接的であれ、相手にぶつけるというだけでは、解けずに残ってしまう問題もあるように思われる。

 清沢満之に象徴される、明治期の煩悶する青年の問題を捉えた言葉に、「近代的自我」というものがある。それは、西洋の合理主義と日本における伝統的なもの、前時代的な封建的なものとの間に挟まれ、自己について考え、苦悩する姿を指すという。この問題は決して、明治期に限った一時的な問題ではないように思う。令和の時代にあっても、それを単に「古くさい」、「時代錯誤」という言葉で切り捨て、片付けられるものではない。それぐらい今でも、種姓観念、家系・血統という問題は、やっかいな重さ、深さを宿しているものだと感じている。寺の後を継ぐという問題などは典型的である。現代社会における課題とのギャップが、より深い苦悩になるということもあると言えるのである。

 「反出生主義」という問題がある。それについて、「生まれてくること、及び産むことを否定する思想」という定義理解があり、私自身、「生まれる苦痛と生み出す害悪」というように簡易的に了解している。私は、「こんなことならば生まれてこなければよかった」と呻いたことのある人間だが、「反出生主義」という思想には、違和感を抱いている。というのも、理屈ではない。かつて聞いた、「私は生まれようと願って生まれてきたのだ」という言葉に深く共鳴しているからである。

 後から思いを致せば、それは、中国の浄土教の祖師、善導大師の「両重因縁」の教え、すなわち仏教の生命理解に淵源がある。

すでに身を受けんと欲するに、自の業識を以って内因と為し、父母の精血を以って外縁と為す。因縁和合するがゆえにこの身あり。

(『観経四帖疏』:『真宗聖教全書』巻一、490頁)

 その「業識」とは、「結生識」と言われ、「生まれようとする時のこころ」であると、昔、教えていただいた。つまり、現にこの身があるという事実を押さえて、生まれてくる縁は父母であるが、生まれてくる根本的な原因は自らの内にあるのだ、と。私はその一点を疎外せずに、尊重したいのである。

 注目すべきは、「業」という思想である。「業」とは、「意思に基づく行為」であると理解している。またそれは、私自身の背景にある歴史性、社会性、すべてを担って現れてくるものだと受けとめている。実感しているのは、人が業を積み重ねれば積み重ねるほど、私が生きれば生きるほどに、縁あるものたちと隔たっていくということである。どうしてもすれ違っていってしまう。いつしか、自分自身とも不調和になっている。そういう本質的に孤独とむなしさを抱えざるを得ない悲しい生きもの、それを仏教は「凡夫」、すなわち「異生」という言葉で言い当ててきているのだろう。と同時に、「業」とは、意思をもって自己形成する。私が私自身に成っていく。そういう厳粛な確固たる事実を教え示してきているものだと、受け取っている。

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

(『歎異抄』後序:東本願寺出版『真宗聖典』、640頁)

 自己中心的に善と悪とを分別思量する心をたのみ、孤独とむなしさを免れることのできないものに、阿弥陀如来は、真実の居場所と因・「願い」を与えてたすけ遂げると、親鸞聖人は、ご自分の身に引き当てながら語りかけてきてくださる。そういう慈悲ある言葉に、抱える苦悩を射抜かれて、私は浄土真宗という仏道の教えを求めずにはいられないのである。

さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはそうらえ。

(『歎異抄』十三章:東本願寺出版『真宗聖典』、634頁)

 私にとってよいことも悪いことも、丸ごとすべてひっくるめて、私の存在全体を、「摂め取って捨てない」と誓う如来の心にまっすぐ順う。自身の内には、如来の心に背くもの、事実を引き受けられない心があることを深く自覚して、本願の核心をたずね、私自身と現実の世界とに本当に責任を取っていくものに成ることが、私自身に与えていただいた「願い」であると思うのである。

(きくち ひろのぶ・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること 浄土宗総合研究所研究員 石田 一裕 (ISHIDA Kazuhiro)  経典は読誦の対象であり、読解の対象でもある点で、読み物である。  読誦のときの経典は譜面だ。手に取った経本に記される経文を目で追いながら、声を出して一文字一文字を読み上げていく。その声は仏への祈りであり、儀礼を成り立たせる大切な要素となる。読誦は仏への真心によって成立する一つの行である。...
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「読み書きのできない者たちの中国古代史」
「読み書きのできない者たちの中国古代史」 早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平 (KAKINUMA Youhei)  親鸞は、読み書きのできない大衆(以下、無文字階層)をまえにして、仏法を説いたといわれている。たとえば『歎異抄』をみると、いたずらに学問に拘泥するよりも、むしろ「一文不通のともがら」が無心に念仏をとなえる姿をほめたたえている。また親鸞は晩年に「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき、愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、とりかえしとりかえしかきつけたり」とのべ、『一念多念文意』を著わしている。こうした親鸞の教えが13世紀頃から徐々に日本に広まってゆく背景には、無文字階層の民の存在があった。おりしも鎌倉幕府が成立し、関西方面では寺社仏閣・貴族が、関東方面では武士が中心となってしのぎを削るなか、親鸞のまなざしは無文字階層の民に注がれていたのである。...
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親鸞さんのわすれもの
親鸞さんのわすれもの 脚本家 今井 雅子 (IMAI Masako)  「脚本家の仕事を動詞ひとつで言い表すと?」  講演のつかみに、この質問を投げかけている。真っ先に挙がる答えは「書く」だが、書くことと同じくらい「話す」ことに時間と労力を割く商売である。三時間の打ち合わせで話し合ったことを踏まえ、三時間かけて原稿を書くといった具合だ。話すことと対になる「聞く」も欠かせない。物語のモデルになる人物や職業について取材したり、世の中の声を拾ったり。執筆には「調べる」が欠かせない。膨大な資料を「集める」のも「読む」のも取材であり、読んで字のごとく「取って来た材料」を使い勝手のいいように整理したり並べ替えたり「まとめる」までが、料理で言うところの下準備。それを「組み立てる」のが調理で、「ひらめく」のは味つけといったところか。作業には終始「考える」が伴い、何度も「直す」「磨く」を経て脱稿、納品となる。...
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You know me〜月並みに口説くな〜 アーティスト なみちえ (Namichie)  深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。だが永遠はすぐに終わった。ヒュッと何か巻き戻したかのような感覚で時空間は歪み、その勢いで自分が自分を起こした。「ッゴホホッ」と喉の奥から大きな音を立て、むせ返り床と一体になっていた体が分離した。はっとなり起き上がり、その新鮮な体は周りを見渡す。目の前の丸いテーブルには奇妙な形をした、歪な湯呑みが置いてある。...
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いびつさの居場所
いびつさの居場所 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。...
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釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇
釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■対話なき今  オリンピックと同じく「平和の祭典」であるパラリンピックがまさに開催されていた2月末、ロシアがウクライナへ軍を進めた。開会式では国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が「私は平和のメッセージから始めたい……始めねばならない」と切り出した演説が話題になった。オリンピック・パラリンピック開催期間中の休戦を求める国連決議(ロシアと中国も共同提案国に含まれている)にも言及しながら、「21世紀は戦争と憎悪ではなく、対話と外交の時代」だとし、包摂的で、差別と憎悪と無知と紛争から自由な、そんな世界を希求すると述べた。異例とも言える直截的な平和の訴えだが、演説のこの部分などが(おそらくは政治的配慮から)中国国営テレビの生放送では中国語に翻訳されなかったことが報じられた。...
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根源的な虚無とどう向き合うか
根源的な虚無とどう向き合うか 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu)  新型コロナウイルスの問題に直面して、二年という年月を経てきた。私自身、コロナ以前のことを振り返るのがつらくなっている。もはや、以前のようには戻れないと感じるようになったからである。失われてきたものの大きさに、ようやく気づかされることになってきたからである。...
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流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神
流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  気づけば、新型コロナウイルス感染拡大から2年が過ぎてしまった。「自粛」が始まった当初には「非常」として感じられた現象は、すっかり日常生活を侵食してしまった。自粛生活がルーティン化したからといって、事態がよくなったわけではない。街を少し歩いてみても、閉店してしまった馴染みの店が目につく。新型コロナウイルスの感染は、人類にほぼ等しく降りかかるリスクでありながら、その痛みは偏在する。...
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どうしようもなさを共に
どうしようもなさを共に 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro) お元気ですかいかがお過ごしでしょうか?こっちはさして問題もなくみんな元気でやってマウス暑いと言えば暑いのかさむいと言えばさむいような一言じゃとても言えないけどとても快適なんだよ (「彼方からの手紙」『WILD...

「親鸞仏教センター通信」第80号

菊池弘宣 掲載Contents

巻頭言

東  真行 「現代と親鸞」

■ 「正信念仏偈」研究会・源信『一乗要決』研究会報告

講師 立川 武蔵 「生命への意味付けと阿弥陀仏

報告 東  真行

■ 「正信念仏偈」研究会報告

東  真行 「「正信念仏偈」の構成について」

■ 源信「一乗要決」研究会報告

藤村  潔 「『一乗要決』における五性各別説批判」

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)②」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

加来 雄之 「堀江 祐法(1913〜1989)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第226回「阿弥陀三尊が語りかけてくるもの」

菊池弘宣

親鸞仏教センター嘱託研究員

菊池 弘宣

(KIKUCHI Hironobu)

弥陀観音大勢至

 大願のふねに乗じてぞ

 生死のうみにうかみつつ

 有情をよぼうてのせたまう

(「正像末和讃」『真宗聖典』、505頁)


 浄土真宗の寺院の本堂には、阿弥陀如来がそびえ立つ。たのむべきは阿弥陀一仏という言葉のイメージと相まって、浄土真宗を一尊教、一神教のように見る向きもある。それに疑義を呈し、浄土真宗は、釈迦如来(教主)と阿弥陀如来(救主)の二尊教であるという了解がある。それこそが、親鸞の取る立ち位置にふさわしいと思われる。親鸞はまた、その釈迦如来の「如来」を「諸仏」として押さえ直し、選択本願の真意に立ち返る。そのことの大切さを思う。

 「一切の苦悩するものを救おう」という阿弥陀如来の本願に出遇って救われていった、三国七高僧をはじめとする無数の諸仏がたが世に現れ、阿弥陀仏の名を称讃し、そのいわれを語り伝え、本願に出遇うことを一人一人に勧めてくださるからこそ、私自身、南無阿弥陀仏と念仏申す中で、本願の救いにあずかることが成り立つと思えるからである。


 阿弥陀三尊という言葉がある。阿弥陀仏と観音・勢至の二菩薩のことである。親鸞は晩年の著作、『尊号真像銘文』に「「能念皆見 化仏菩薩」ともうすは、(略)弥陀の化仏、観音勢至等の聖衆なり」(『真宗聖典』、526頁)と記している。ここは、阿弥陀如来の様々な姿かたちの現れである化仏、そして阿弥陀如来のはたらきの両側面、慈悲の象徴である観音菩薩・智慧の象徴である勢至菩薩に出遇うのである、と了解してみたい。

 関連して、ずっと気になっているのは、親鸞八十八歳の時の作とされる「善光寺如来和讃」(『真宗聖典』、510頁)の「善光寺の如来」についてである。伝承によれば、それはインド、朝鮮半島百済、日本という三国伝来の阿弥陀三尊像・一光三尊仏であると言われている。しかし、そのことについて、親鸞がどう受けとめているのかは不明であり、そもそもそれが親鸞の作成した和讃であるのかどうかも定かではない。と、そのように前置きした上で、取り上げてみたい一つの伝承・語りがある。


 以下は、「善光寺如来和讃」五首(『真宗聖典』、510頁)の趣意である。
 「善光寺の如来」が、日本のわれら衆生を憐れんで、百済から難波の浦へと入って来た。しかし、その尊い名のいわれを知らない物部守屋は、当時、「ほとおりけ」という命を奪う熱病、「疫癘(えきれい)」が蔓延しているのは、その仏像=蕃神(ばんしん、異国の神)を祀ったことが原因であるとした。それで守屋は、「善光寺の如来」を「ほとおりけ」と呼んで貶めた。さらに守屋は、邪見至極であるゆえに、その如来の悪しき名がどんどん広まっていくように、呼びやすく「ほとけ」という蔑称で呼んで、貶めていった。だから語源的に言って、仏教を依りどころにする者が、如来を「ほとけ」と呼ぶのは、如来をいやしめることである、と。そういう意の和讃であると思われる。

 ここで気づかされることは、それが史実であるかどうかはさておき、日本における仏教の伝来、受容、流通の起源を「善光寺の如来」に託し、その語りを共有しているということである。そして、「善光寺の如来」は、疫病をもたらす疫病神として蔑まれ、忌避・排除されてきた位置をもつということである。


 その「善光寺如来和讃」の背景にあたるものとして、民俗学者の五来重は、著書『善光寺まいり』の中で、『善光寺縁起』の物語を紐解いていく。廃仏派の物部氏(尾輿、守屋)は、「善光寺の如来」に対して、人を使って執拗に破壊行為を繰り返し、二度にわたって難波の堀江に投げ捨てる。崇仏派の蘇我氏、聖徳太子は如来の救出を念じ、兵を挙げ物部守屋を討ち、仏法を興隆していくという流れはなじみのものである。

 その時、「善光寺の如来」は、火で燃やされても損傷せず、鉄で打たれても損壊せず、「光明いよいよ明らかなり」と記されているということである。迫害にさらされても、光り輝いていたという語りが心に残る。


 現在の大状況的な問題に目を転ずれば、新型コロナウイルスが世界を席巻し、変異株の問題に、私たちの生活の一挙手一投足が左右されているように感じる。まるで新型コロナウイルスという疫病をもたらす神に世界が支配されているかのようである。生活形態が変わっていった2020年の3月以来、2年にわたる私自身の在り方を省みると、知らぬ間に不安や恐れを抱え、自分自身および周りの身を守ることに躍起になり、なにかと他者のふるまい対して不寛容になっている。とりわけ、他国の人々に差別的なまなざしを向けてしまっている。結果として、身動きが取れなくなり、根幹にある意欲を著しく喪失してしまっているように思われる。


 そのように自己を省みた時、私は少なくとも仏法を興隆する側ではなく、迫害する側・守屋の側の人間であると思わざるを得ないのである。もう一つ、「善光寺の如来」の物語から私自身、問われていることは、迫害、忌避・排除に耐え忍び、なお光り輝いている存在があるという事実である。そして私は、それをきちんと知ることなく、知ろうともせず、知らぬ間に忘却の彼方に葬ってきたのではないかということである。

 心当たりを数え上げればきりがないけれど、私が踏みつけ、忘却してきた存在を改めて見出し、出会い直していくような生き方が、今、私自身に求められているように思うのである。

(2022年2月1日)

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著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第78号

菊池弘宣 掲載Contents

巻頭言

谷釜 智洋 「自己を問うてくるもの」

■ 源信『一乗要決』・『尊号真像銘文』合同研究会報告

講師 梯  信暁 「源信『往生要集』の菩提心論

報告 藤村  潔

■ 研究員と学ぶ公開講座2021報告

藤村  潔 「『大乗涅槃経』を読む」

東  真行 「「正信念仏偈」を読む」

谷釜 智洋 「『精神界』を読む」

■ 第6回清沢満之研究交流会報告

テーマ:世紀転換期の宗教思想運動—内村鑑三・綱島梁川・清沢満之—

赤江 達也 「「無教会主義」の波紋―内村鑑三から塚本虎二へ―」

古荘 匡義 「実験と言説―綱島梁川からの宗教思想運動―」

名和 達宣 「「精神主義」運動の波紋―曽我量深を中心に―」

鶴岡 賀雄 (コメンテーター) 長谷川琢哉 (開催趣旨)

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)①」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

藤村  潔 「小栗栖香頂(1831〜1905)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第215回「今はさてあらん」

菊池弘宣

親鸞仏教センター嘱託研究員

菊池 弘宣

(KIKUCHI Hironobu)

 親鸞の行実に「寛喜の内省」と呼ばれるものがある。それは、親鸞の妻・恵信尼が末娘・覚信尼に宛てたお手紙(『恵信尼消息』五~六通、『真宗聖典』619~620頁)の中に見られるエピソードである。まず、そのあらましを以下に記す。


 寛喜3(1231)年4月4日より、親鸞は風邪を引き大事に至る。看病しようとするものを寄せ付けず、じっと一人病の床に臥している。触れると高い熱があり、頭痛もひどいようである。そうした後の4月11日の明け方に、親鸞は突然、苦しそうにしながら、「今(ま)はさてあらん」(『真宗聖典』619頁)と口にする。「今はさてあらん」とは、「今はそうしておこう」あるいは、「これからはそうしよう」というほどの意味で、親鸞の決意をあらわす言葉であると思われる。そして親鸞は恵信尼に、発言に至るまでの経緯を語り出す。

 病の床に臥して2日目より『大無量寿経』を絶え間なく読誦していた。目を閉じれば、経典の文字が一字も残らず、輝くようにはっきりと見えるのである。しかし、これは解せないことである。私親鸞は、ただ念仏の信心一つに定まったはずであるのに、その他に何か気にかかることがあるのだろうか、と思いをめぐらしてみると、かつての体験が想い起されてきた。

 これより17~18年前(1214年頃)のこと、上野の国(現在の群馬県)、佐貫(さぬき)というところで、苦しんでいる人々の救済(「衆生利益」)のために、『浄土三部経』を千部読誦すると決めて読み始めたことがあった。しかし4、5日経って、「名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするや」(『真宗聖典』619頁)と、「本願の名号・南無阿弥陀仏一つをいただくだけで何ら不足はない。他に特別にする必要もない。念仏の信心を自らいただく。その大悲回向の信があまねく弘まっていく。こちらはただ、仏より受けた恩を報ずるのみなのである」と、そのように考え直して読誦を中止した。そして、佐貫の地を離れて常陸の国へと移って行った。

 その時の「『三部経』千部読誦」への思いが、今なお少し残っていたのだろうか。人間の自力の執着心は根深いものであり、よくよく思慮する必要があると思い定めた後は、『大経』を読誦することはとどまった。そういうわけで、「今はさてあらん」と申したのである、と。

 その後間もなく、親鸞の病は回復する。以上が「寛喜の内省」というエピソードである。


 その「内省」の背景にあるものは何であるのか?そして、その後親鸞はどうなっていくのか?

 まず、佐貫での「『三部経』千部読誦」については、親鸞が流罪地の越後から関東へ入る時、1214(建保2)年頃のことである。歴史的には建保2年は、天候不順のため、旱魃(日照り)の被害が起きていると言われている。それで親鸞が思い立った「衆生利益」とは、「雨乞いの祈祷」ではないかとも言われている。親鸞は、祈ることで苦しむ人々の心に寄り添おうとしたのではないかと推察する。しかし、前記の通り「名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするや」と思い直して、読誦を中止する。

 親鸞42歳の時のことである。その後、佐貫の地を離れて、常陸の国へと移っていく。つまり、東国(関東)へ布教に赴くのである。


 そして、「寛喜の内省」については、1231(寛喜3)年4月のことである。時は、中世で最大規模の飢饉、「寛喜の大飢饉」と重なっている。真夏に雪が降るという異常気象の中、冷害と台風とで飢饉となり、京都でも鎌倉でも餓死者があふれ、疫病が蔓延したと言われている。当然、対面でのコミュニケーションが取れなくなっていったことも想像される。そのようにして、日本中が苦しみに沈む中、親鸞もまた心身ともに悩み苦しんでいたのではないだろうか。苦しむものをたすけたいという一心で、一度は捨てた「経の読誦」に没頭したのではないかと推察する。しかし、前記の通り思い定めて、経の読誦を止めにする。そういう葛藤の末に「今はさてあらん」と言い切っている。

 親鸞59歳の時のことである。その後ほどなくして、東国(関東)を後にし、京都へと帰っていく。そして、『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の製作を成し遂げていくことになる(生涯を通じて加筆修正もし続けていく)。


 このように概観してみて、いくつか気づかされたことがある。まず、親鸞が大きく土地から土地へと移って行く時、それは親鸞自身の信仰および教化の歩みの節目・転換点となる時なのではないか、ということである。またその時、状況的には、自然災害問題や疫病(感染症)問題に直面していて、経済的に困窮して命を落とすか、病で命を落とすかという巨大な不安の中で、存在意義が揺らいでいる時とも言えるのではなかろうか。そういう中にあって、親鸞は苦悩と向き合った末に、


「名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするや」

「今はさてあらん」


という言葉で、「自力の心を転じて本願他力の信に入る」、決意をあらわにしている。そのように、教えと関わる自身の立ち位置を確かめ直した上で、新たに教化の根本指針とアプローチに思いを致し、それを打ち出していこうとしているように思えるのである。親鸞においては教化のフェーズが変わるということがあるのではないだろうか。

 親鸞は60歳頃に生まれ故郷の京都へ帰って行ったと伝えられている。しかし、なぜ親鸞は60歳頃に京都に帰ったのかという疑問が残る。ひょっとすると59歳の時の体験が岐路になっているのかもしれないが、それはわからないことである。ただ、『教行信証』に象徴されるように、文字言語として記した仏の教えを相続する、その願いと深く関連しているように思えるのである。


 2020年3月より、新型コロナウイルス問題に直面してきて、私自身、人間関係が分断されていくのを、その根幹にあるものが蝕まれていくのを、否応なしに実感させられてきた。その中で、ついに対面での再会を果たせなくなった、悲しいお別れを身につまされもしてきた。浄土真宗で伝統的に大切にしてきた、お互いの顔と顔を合わせて話を聞き、言葉を交わすというリアルな対話がほとんどできなくなってしまってもいる。

 しかしそういう中にあって、書き残されたものを読み、思索し、そのこころを文字言語として綴り、縁ある人に伝えようとすることはできる。言葉に志願を託すということに変わりはない。「今はさてあらん」、と。

(2021年3月1日)

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