親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

掌(たなごころ)につつむのは

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 合掌する姿は美しい。これが住職としての私の実感です。


 仏さまに向かい、お念仏を称え、手を合わせる。お寺ではよく見るありふれた光景ですが、最も静謐(せいひつ)な時間でもあります。正座をして、じっと目を閉じ、そして合掌する。私はその姿を見ながら思うのです。あの方は、今、手を合わせながら、何を思うのだろうかと。


 サンスクリット語で「合掌」の意味を持つ『アンジャリ』が創刊されたのは、2001年でした。親鸞仏教センター(以下「センター」)の機関誌として、20年以上も刊行できていることは、素直にすごいことだと思います。創刊号の執筆者は錚々(そうそう)たるものです。巻頭にはニュースキャスターの筑紫哲也さん。ここにも『アンジャリ』の、そしてセンターの基本にして基幹の姿勢が示されています。それは「現代に生きる人々と対話をする」ということでした。現代の人々との対話。しかも仏教の、そして親鸞の言葉を通じての対話です。対話を通じ、これまでの宗門ではできなかったことを始める。これがセンターの設立の趣旨です。


 センターの創立翌年である2002年に研究員として着任した私は、『アンジャリ』をはじめとするセンターのさまざまな活動に初期から関わらせていただいています。その頃のセンターは研究するテーマが限定的で、はっきりしていました。例えば「家族」「教育」「(カルト)宗教」などです。筑紫さんは「21世紀の家族」を論じています。カルト宗教の専門家である高橋紳吾さんには3「若者と宗教―カルトの現場より―」について述べていただき、5にはブレイク前?の尾木直樹さんが「今日の子どもと教育の危機とは」について述べられています。このお三方はセンターの「現代と親鸞の研究会」に講師としてもおいでいただきました。高橋先生にいたっては、ご自宅までお邪魔して事前打ち合わせを行ったのも楽しい思い出です。そこには学びがあり、私の拙い応答も含め、対話があったのです。


 当時、私は『アンジャリ』の編集が楽しくて仕方ありませんでした。それは私が「今」を、つまり「現代」を感じていたからだろうと思います。そしてその「今」を学ぶことで知ったこと。それは「今」は作られたもの、正確には過去から伝承されながらも、少しずつ変容しつつ形成されてきたものだということでした。例えば「家族」にしても「近代家族」という言葉を知った時は、驚いたものです。そして注意すべきことは、『アンジャリ』刊行後20年たった現在も、当然「今」は変容しつつ継承されていることでしょう。種と果実は異なるものだが、種には果実となる原因がすでに含まれている。このようなことを仏教ではいいます。つまり、「今」には過去の継承のみならず、変容される未来も含まれているのです。


 その点で、「今」を伝える『アンジャリ』が昨年(2021年)にリニューアルされたのは、実に象徴的です。紙面版では特集を組むことにより、私たちの問題意識がより分かりやすくなりました。さらに私が今執筆しているWEB版では、より時宜にかなった論考を配信することができます。20年の経験をふまえ、より一層「今」を伝える最適な方法だと自負しています。センターも変化を重ねながら進んでいるのです。


 しかし、その変化したという表面にとらわれてはいけません。センターの問題意識は、設立以来一貫しています。それは「専門分野が違えども、そこには人間の問題が論じられている」という視点です。この視点があるからこそ、仏教、真宗、親鸞の言葉で対話が可能となるのです。逆に言えば、センターから人間を問う視点がなくなれば、対話はただの戯論(けろん)となるでしょう。私は今後も対話を続けたいと思うのです。


 興味深いのは『アンジャリ』創刊当時の問題が、現在でもトピックとして生きている点です。家族、教育、そして宗教。世の中は窮屈になったように感じます。息苦しさが生き苦しさにつながっているように思います。それは人間に大きく影響する先述のトピック、つまり家族、教育、宗教の形が揺れているからのように感じます。それらの落ち着く場所のなさが、私たちの気持ちも安定させないのではないでしょうか。


 けれど私たちは生きることをやめることはできません。私たちは不安を感じながらも、生きることを止めることはできないのです。忙(せわ)しない毎日を多くの方が送っています。「心が亡くなる」とは言い過ぎですが、その結果、生きる上で何が大切なのか忘れてしまうこともあるでしょう。


 だからこそ、人は合掌が必要なのだと思うのです。


 例えばお寺で合掌をする。するといつもとは違う時が流れます。不思議なもので、ただ座っているよりも、胸の前で手を合わせると、より気持ちが引き締まる感じがするものです。ひょっとしたら手を合わせることにより、普段気づかない自分が大切にしている思いに気づくのかもしれません。それは「生きるとは」という問いです。死を問うてきたお寺であり、仏教だからこそ「生きている自分」が照射されるのでしょう。


 合掌を意味する『アンジャリ』。人は掌に何をつつみつつ、手を合わせているのでしょうか。『アンジャリ』は今後もそのページ毎に、人間の喜び、悲しみ、そして希望がつつまれている雑誌でありたいと思うのです。

(たむら あきのり 親鸞仏教センター嘱託研究員)

他の著者の論考を読む

表紙
今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員...
表紙
哲学の言葉を編み、書くということ
哲学の言葉を編み、書くということ 編集者・文筆家 田中 さをり (TANAKA Sawori)...
表紙
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース 早稲田大学政治経済学術院教授 土屋 礼子 (TSUCHIYA...
田村晃徳顔写真
掌(たなごころ)につつむのは
掌(たなごころ)につつむのは 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA...
飯島孝良顔写真
隙間だらけの一休年譜――入水未遂事件をめぐって
隙間だらけの一休年譜――入水未遂事件をめぐって 親鸞仏教センター嘱託研究員 花園大学国際禅学研究所専任講師...
表紙 2
メディアとは何か―自己語り・雑誌メディア・日蓮―
メディアとは何か―自己語り・雑誌メディア・日蓮― 大阪大学特任講師 ブレニナ・ユリア (BURENINA...
表紙 2
「お寺の掲示板大賞」によるメディアミックスについて
「お寺の掲示板大賞」によるメディアミックスについて 浄土真宗本願寺派僧侶 仏教伝道協会出版事業部課長...
表紙 2
大根・仏教・メディア
大根・仏教・メディア 『フリースタイルな僧侶たち』編集長 稲田 ズイキ (INADA Zuiki) 「稲田さんは僧侶として情報発信をされてますが」...
表紙 2
今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/30)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真...
表紙 2
『アンジャリ』WEB版(2023年1月30日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2023年1月30日更新号) 目次 No posts found
表紙
『アンジャリ』WEB版(2023年1月23日更新号)
(2023年1月23日更新号) 今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)...
アンジャリWeb20220515
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号) 目次 「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること...
anjyari41
『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号) 目次 〈いのち〉という語りを問い直す 特集趣旨 〈いのち〉という語りを問い直す...
anjyari_w_02
『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号) 目次 亀裂のなかで生きること 亀裂のなかで生きること...

『アンジャリ』WEB版(2023年1月23日更新号)

(2023年1月23日更新号)

表紙
今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO Makoto) 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  親鸞仏教センターでは、2001年の設立以来、雑誌『añjali』を毎年2回(6月と12月)発行してきました。...
表紙
哲学の言葉を編み、書くということ
哲学の言葉を編み、書くということ 編集者・文筆家 田中 さをり (TANAKA Sawori)  私は大学で広報の仕事に従事している。その合間に哲学に関わる編集と執筆の仕事も続けている。メディアで何か発信する仕事を始めたばかりの方に向けて、何か益になることをお伝えできればと常々思うのだが、なにぶん、仕事Aから仕事Bの経費を捻出しながら自転車操業でここまで来た。ノウハウというものがない。ひとまず、メディアのあり方について模索する契機となった、あの日の話から始めたい。...
表紙
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース 早稲田大学政治経済学術院教授 土屋 礼子 (TSUCHIYA Reiko)  近頃よく耳にする「フェイクニュース」は、ネット社会の新たな問題として取り沙汰されているが、メディアの歴史を振り返れば、それらは虚偽報道とか虚報とか呼ばれてきた類いのもので、ことさらに新しい現象ではない。たとえば、私が研究してきた明治初期の錦絵新聞というメディアには、虚報の興味深い例がいくつもある。...
田村晃徳顔写真
掌(たなごころ)につつむのは
掌(たなごころ)につつむのは 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  合掌する姿は美しい。これが住職としての私の実感です。  仏さまに向かい、お念仏を称え、手を合わせる。お寺ではよく見るありふれた光景ですが、最も静謐(せいひつ)な時間でもあります。正座をして、じっと目を閉じ、そして合掌する。私はその姿を見ながら思うのです。あの方は、今、手を合わせながら、何を思うのだろうかと。...

『アンジャリ』WEB版1月更新分は、「今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教」のテーマのもと、23日と30日の2週連続で更新いたします。23日更新分は「メディア論」や「メディア史」を視点として、30日更新分は「仏教とメディア」を視点として、様々な角度から「メディア」を問いなおしていきます。どうぞ、30日更新分もご期待ください。

「親鸞仏教センター通信」第82号

田村晃徳 掲載Contents

巻頭言

加来 雄之 「思想の「場」」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「涅槃、本当に生きることができる場所に立つ」

報告 越部 良一

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 木村 哲也 「忘れられた存在を語り直す/忘れられた存在と出会い直す―ハンセン病問題と駐在保健婦―」

報告 菊池 弘宣

■ 第7回清沢満之研究交流会報告

テーマ:近代の宗門教育制度と清沢満之

江島 尚俊 「明治前期・真宗大谷派における教育制度の特徴—他宗派との比較から考える―」

川口  淳 「メディアにみる大谷派教育と改革運動 —明治20年代の一考察」

藤原  智 「清沢満之と真宗大学(東京)の運営」

林   淳(コメンテーター)

東  真行(司会)

長谷川琢哉(開催趣旨・報告)

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)③」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

田村 晃徳 「寺川俊昭(1928〜2021)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

田村 晃徳

研究員の紹介

TAMURA Akinori
(嘱託研究員)

プロフィール

専門領域
親鸞聖人をはじめとした仏教思想の研究
清沢満之をはじめとした日本近代思想の研究
宗教と学問の関係についての研究
仏教をどのように子どもたちと学ぶかについての試行錯誤
略歴
1971年 茨城県生まれ
立命館大学文学部哲学科哲学専攻卒業
大谷大学大学院文学研究科修士課程修了
同研究科博士後期課程修了(真宗学)。博士(文学)。
真宗大谷派擬講。
元親鸞仏教センター常勤研究員、元大谷大学任期制講師、元武蔵野大学大学院非常勤講師
現在、親鸞仏教センター嘱託研究員
所属学会
日本印度学仏教学会、真宗連合学会

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第36号
『現代と親鸞』第33号(清沢満之研究の軌跡と展望)
『現代と親鸞』第24号
『現代と親鸞』第16号
『現代と親鸞』第6号(清沢満之特集)
『アンジャリ』第25号
『アンジャリ』第15号
「親鸞仏教センター通信」第82号
「親鸞仏教センター通信」第79号
「親鸞仏教センター通信」第72号
『親鸞仏教センター通信』第71号
「親鸞仏教センター通信」第68号
「親鸞仏教センター通信」第64号
「親鸞仏教センター通信」第60号
「親鸞仏教センター通信」第59号
「親鸞仏教センター通信」第57号
「親鸞仏教センター通信」第56号
『親鸞仏教センター通信』第53号
「親鸞仏教センター通信」第51号
「親鸞仏教センター通信」第50号
「親鸞仏教センター通信」第42回

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第227回「大きくなったら」
今との出会い 第217回「いい話」
今との出会い 第205回「次の日常」
今との出会い 第195回「おそだて」
今との出会い 第185回「深さの次元」
今との出会い 第175回「紙芝居」
今との出会い 第165回「別れと気づき」
『アンジャリ』WEB版(2023年1月23日更新号)
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

今との出会い 第227回「大きくなったら」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 保育園の園長をしていると、心配事も絶えませんが、楽しいことも常に起きます。その中でも子どもたちと会話ができるのは本当に楽しいです。ゼロ歳児から入園した子どもなどは、発語さえおぼつかなかったのに、段々と言葉を発し会話となっていく過程を見ることができます。成長とはこのことかと、我が子のように嬉しくなりますね。
 そんな子どもたちは、私に対しても時に甘え、時にぶつかって、時に思いがけない言葉で驚かせてくれます。

 例えば、こんなことがありました。内科検診の順番待ちで、子どもたちが廊下に座っていました。そんな時、3歳児クラスの子どもが私に聞いてきたのです。

「園長先生は、大きくなったら何になりたいの?」

 えっ?と少し戸惑った後、私は自信ありげに言いました。「園長先生は、立派な人になります!」と。すかさず尋ね返します。「じゃ、◯◯ちゃんは何になりたいの?」。その子は私をまっすぐ見て言いました。

「私はね、地震からね、みんなをね、助けたいの」

 園長先生(=私)は、大きくなるどころか、自分のことを小さく感じました……。

 小さく感じた理由は、子どもは立派なことを言ってくれるのに、それに対し、自分の発言の陳腐さもあったでしょう。でも、もう一つは自分の中で「大きくなったら」のビジョンがなかったこともあると思います。実際、人はいつ頃まで「大きくなったら」の自分を想像しているのでしょう。子どもの時は「将来の夢」として大きくなった自分を考えます。その夢が叶う人も、そうでない人もいるでしょう。しかし、「大きくなる=何かに就く」という発想がそこにはあります。もし、そうだとするならば人は就職したら「大きくなる」ことは終わるのでしょうか。それ以降は余生?

 大人=大きい人が、さらに大きくなるとはどのようなことでしょう。出世、安泰、裕福、……このように書いているだけで、いかに自分がこれからの自分を考えていなかったのか、発想の貧困さを思い知らされます。子どもの発言は、「日々、一生懸命生きているようにしているけれど、結局どこに向かっているの?」という問いとして、私には残ってしまったのです。皆さんなら、どのように子どもたちに答えますか。

 私には、残念ながらまだ答えが見つかりません。というよりも、今ここで早急に答えを出すことは、先の「立派な大人になります!」と同じような浅い答えになってしまうでしょう。

 仏教では人の生き方、人生を「道」で例えてきました。古から続く道、無碍の一道、白い道などです。どのような道を、どのように歩んでいくのかについての考察となりそうです。さらには、「大きくなったら」を身体的変化ではなく、内面的変化に寄せることもできそうです。そのときは、『大無量寿経』で言えば、「深く」「広い」「智慧」をいただく、とも考えられるでしょうか。いずれにせよ、子どもとの会話は、時に私を思索の世界へと誘う、大切なご縁なのです。

 このように書きながらも、文章をきれいにまとめようとする、小さな自分が見えてくるのです。

(2022年3月1日)

最近の投稿を読む

飯島孝良顔写真
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  ラジオ界やテレビ界を支えた稀代の放送作家・タレントの永六輔(1933~2016)は、繰り返しこう述べていた――...
宮部峻顔写真
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。...
谷釜智洋顔写真
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。...
伊藤真顔写真
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto)  8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。...

著者別アーカイブ

「親鸞仏教センター通信」第79号

田村晃徳 掲載Content

巻頭言

藤村  潔 「「モノ」と幸せ」

■ 第66回現代と親鸞の研究会報告

講師 安藤 礼二 「鈴木大拙の浄土論

報告 田村 晃徳

■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会報告

講師 三枝 暁子 「身分制からみた中世社会」

報告 中村 玲太

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト報告

講師 栁澤 正志 「日本天台浄土教と『教行信証』」

報告 藤村  潔

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

東  真行 「北橋 茂男(1900〜1966)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第217回「いい話」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 人前で話をした経験のある者は、「いい話だった」という感想を言われたいという思いから抜け出ることは難しいだろう。私は法話をする上で、いつも思い出すセリフがある。それは、とある研修会での座談会でのこと。数班に分かれて座談を行うのだが、ある担当者が次のような参加者の発言を紹介していた。

「仏教の話というのは、聞いていると明るくなるものだと思う。なのに、あんたはさっきから難しい、暗い顔ばかりして話している」

 この言葉が今でも苦笑とともに、私の胸から消えない。消えないのは、自分に思い当たる節があるのと同時に、そのような意見が間違っていないからである。

 経典を読むと釈尊の説法が終わり、集う者達が喜ぶ描写は多く見られる。


仏、経を説きたまうこと已(おわ)りたまいしに、弥勒菩薩および十方来のもろもろの菩薩衆、長老阿難、諸大声聞、一切大衆、仏の所説を聞きたまえて歓喜せざるはなし

(『大無量寿経』、東本願寺出版『真宗聖典』88頁)


 文字通りに読めば、仏教界の錚々たる方々が喜んでいるわけだから、さぞかし壮観であろう。同じく『大無量寿経』には「歓喜踊躍(ゆやく)」という言葉もある。微笑みではない。踊り出すほど全身で喜びを表現しているのである。親鸞聖人は感情の表現を緻密に行うので、「踊躍」についても「よろこぶこころのきわまりなきかたちなり」(『一念多念文意』、『真宗聖典』539頁)と述べている。親鸞聖人自身も喜びを体感していたに相違ない。


 しかし「喜び」ばかりが突出することはいけない。仏法に出会うことが「喜び」とのみリンクすると、それが仏法をきちんと聞いていることの基準となってしまう。この悩みに直面したのが唯円であった。「お念仏をしても、どうも歓喜踊躍の心とまではいかないのですが…」と師である親鸞聖人に尋ねている。唯円は師から叱責を受けることになると思っていたかもしれない。しかし師の答えは弟子が予想さえ出来なかったものであった。師は「それでいいのだ!」(趣意)と答えたのだから。詳細は省くが、『歎異抄』のこの返答は思想史上に残ると思う。唯円はこの答えで救われたに違いないが、「いい話だった」と思っただろうか?


 先の座談会の感想に戻ると、確かに僧侶は暗い顔をしがちである。それは真剣さと深刻さが混乱しているからである。深刻な顔をしながら、「人間とは愚かであり…」などと話されては、確かに受け入れがたいこともあるだろう。僧侶は伝わり方を十分に考えねばならないことは事実だ。


 ただ、私が先の感想に共感しながらも、全面的に肯定できないのは、そこに聞き手の問題が看過されているからである。聞き手があらかじめ期待している仏教のいい話とはどのような類かは問われるべきであろう。そこにお涙ちょうだいや、人生を肯定するばかりの話を期待しているのであれば、そもそも求めることが間違っている。仏法を聞いて明るさが生まれるには、闇をくぐらなければならない。経典を読んでも、『歎異抄』を読んでもそこには人々が悩み、迷う姿が丹念に描かれている。それは誇張ではなく、仏から見た、人間の姿に過ぎない。それは人間の期待する自分の姿ではない。納得することは難しい。だからこそ聞く意味があるのだ。


 仏教の「いい話」とはどのような話だろう。それは分かりやすさばかりが求められている現代において、実は大切なテーマだと私は思っている。

(2021年5月1日)

最近の投稿を読む

飯島孝良顔写真
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  ラジオ界やテレビ界を支えた稀代の放送作家・タレントの永六輔(1933~2016)は、繰り返しこう述べていた――...
宮部峻顔写真
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。...
谷釜智洋顔写真
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。...
伊藤真顔写真
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto)  8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。...

著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第205回「次の日常」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 私の住む日立市には「いきいきひたち100年塾」という組織がある。生涯学習を市民で盛り上げていこうという取り組みであるが、その市民教授に今年登録を済ませた。「仏教」と「絵本」の二つを登録し、市民の方々と学びを通じての交流をはかったのである。また、お寺では新しい取り組みとして「法話とコーヒーの会」を立ち上げた。もともとコーヒーが好きだったのだが、地元の若手コーヒー焙煎士とご縁ができたことが、この会の始まりだった。法話の後に焙煎士の淹れるコーヒーと、私の作るスイーツをいただきながら、御門徒や一般の方々と語り合う会だった。また、保育園の方では全国に何カ所か研修に呼ばれており、それらを楽しみにしていた。地元の街に目を向けると、商業施設が完成し、久しぶりに映画館ができるとあって賑わいが期待されていた。このようにたくさんの予定があった2020年であった。


 しかし、そのどれもが無くなった。

 正確に言えば予定通りには進んでいない。 新型コロナウィルス感染症の流行により、私も世の中もそれどころではないのだ。


 中止となった会もある。賑わいを取り戻すはずだった商業施設は閑散としている。「こんなはずじゃ…」と何度も心で思う。そして今私は予定外の行動――こまめな手洗い、毎日着けるマスク、人混みをさけるなど――を新たな習慣としている。習慣が日常を作るのであれば、私は新たな日常を生きていることになる。

 多くの方が今回の感染症拡大を通じ「どうなるんだろう」という不安にかられている。それは学校に行けない不安でもあろう。仕事がなくなる不安でもあろう。自分が感染したらどうしようという不安ももちろんある。具体的に言えば、生活が成り立たない不安である。抽象的に言えば、日常が変わってしまう不安である。その不安はどこに由来するのかと言えば、「生きていけない」という思いにその源泉があると言えよう。


 しかし神学者であるパウル・ティリッヒが『生きる勇気』で「恐怖」と「不安」を分けて論じていたことは参考になる。ティリッヒによれば恐怖とは「一定の対象」をもつものであり、「人間はそれに対してはたらきかけること」ができるものである。それに対して「不安」とは対象をもたない。それは「あらゆる対象の否定」である。よって何ら働きかけることはできない点で両者は異なる。


 恐怖は、ある物ごと、たとえば苦痛とか他人や社会からの排斥とか、ある人や物を失うとか死の瞬間とか、を恐れている。しかし、これらによる脅かしの予想においてわれわれを恐れさせるものは、それら具体的な物ごとによって主体にもたらされる否定性それ自体ではなく、むしろこの否定性のなかに潜在的に含まれている何かに関する不安なのである。

(パウル・ティリッヒ著/大木英夫訳『生きる勇気』平凡社ライブラリー〔1995〕、64頁)


 この言葉に倣えば私が、あるいは私たちが感じている上のような思いは「不安」ではなく「恐怖」だろう。確かに上記の出来事は深刻な精神の不安定さをもたらすが、経済的支援や学校再開などである程度は対処可能な領域である。それに対して不安の原因は「無」という私たちへの「脅かし」なのである。つまり、私たちが日常的に大切にしているものは虚無の上に成り立っていることを潜在的に感じることが不安の原因なのではないか。それは無意味さの痛感であり、そこへの抗いが私たちをより不安にさせるのだ。


 それは「死」さえもそうである。ティリッヒによればそれが「恐怖」である場合には「病気とか事故とかによって生命を奪われること」への恐れである。しかしそれが不安である時には「死のあと」にまちうける「無」が原因なのである。

(前掲書参照)


 私たちは今回の新型コロナウィルス感染症の拡大を通じ、様々な苦悩や心配を経験している。いつ「しゅうそく」(この場合は感染症が消滅する「終息」ではなく沈静化する「収束」が適当であることは歴史が教えるところである)するかわからない日常を過ごしている。「新型コロナ流行前の日常には戻れない」と識者は言うが、ならば次に訪れるのはどのような日常なのか。それは虚無をより強く覆い隠そうとする日常なのか。それともこれまでの生き方を反省する日常なのか。おそらく前者だろう。しかし、虚無を潜在的にでも経験したことを私たちの体は忘れることはない。そもそも虚無が潜んでいるとはいえ、生きることをやめることはできない。ならば、いつか訪れる「次の日常」を過ごす鍵は何か。それはティリッヒの言葉を再度借りれば「それにもかかわらず in spite of」生きていくという、「生きる勇気」なのだと思う。

(2020年6月1日)

最近の投稿を読む

飯島孝良顔写真
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  ラジオ界やテレビ界を支えた稀代の放送作家・タレントの永六輔(1933~2016)は、繰り返しこう述べていた――...
宮部峻顔写真
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。...
谷釜智洋顔写真
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」
今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。...
伊藤真顔写真
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto)  8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。...

著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第72号

田村晃徳 掲載Contents

巻頭言

戸次 顕彰 「三宝としてのサンガ考」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「本当の依り処

報告 越部 良一

■ 第62回現代と親鸞の研究会報告

講師 佐藤 卓己 「「ポスト真実」時代の輿論主義と世論主義」

報告 田村 晃徳

■ 「三宝としてのサンガ論」研究会報告

講師 細川 涼一 「西大寺叡尊と非人―叡尊の自伝『感身学正記』を中心に―」

報告 戸次 顕彰

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト

青柳 英司 「第2期への展望」

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源信和尚の銘文」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

速水  馨 「近角常観(1870〜1941)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『親鸞仏教センター通信』第71号

田村晃徳 掲載Contents

巻頭言

東  真行 「「信」をかえりみる——難波大助の問い—— 」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「冥衆——見えざる存在の支え

報告 越部 良一

■ 英訳『教行信証』研究会報告

田村 晃徳 「生きた宗教としての大乗仏教」

■ 第1回現代と親鸞公開シンポジウム報告

加藤 秀一 「亡き人を〈悼む〉こと、「死者」を忘れること」

師  茂樹 「「死者」はどこにいるのか——仏教の死者観と人間中心主義批判——」

吉水 岳彦 「極楽浄土に往き生まれて」

佐藤 啓介 (コメンテーター) 中村 玲太 (問題提起・司会)

■ 「正信念仏偈」研究会報告

東  真行 「伝統に学びつつ「正信念仏偈」を読む」

■ 源信『一乗要決』研究会報告

藤村  潔 「東アジア仏性論争史における『一乗要決』の位置―源信研究の新たな射程―」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

藤村  潔 「住田智見(1868〜1938)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時: