親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い第238回「寺を預かる」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。

 

 歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。

 

 その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。

 

 そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。

 

 寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。

(2023年4月1日)

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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

掌(たなごころ)につつむのは

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 合掌する姿は美しい。これが住職としての私の実感です。


 仏さまに向かい、お念仏を称え、手を合わせる。お寺ではよく見るありふれた光景ですが、最も静謐(せいひつ)な時間でもあります。正座をして、じっと目を閉じ、そして合掌する。私はその姿を見ながら思うのです。あの方は、今、手を合わせながら、何を思うのだろうかと。


 サンスクリット語で「合掌」の意味を持つ『アンジャリ』が創刊されたのは、2001年でした。親鸞仏教センター(以下「センター」)の機関誌として、20年以上も刊行できていることは、素直にすごいことだと思います。創刊号の執筆者は錚々(そうそう)たるものです。巻頭にはニュースキャスターの筑紫哲也さん。ここにも『アンジャリ』の、そしてセンターの基本にして基幹の姿勢が示されています。それは「現代に生きる人々と対話をする」ということでした。現代の人々との対話。しかも仏教の、そして親鸞の言葉を通じての対話です。対話を通じ、これまでの宗門ではできなかったことを始める。これがセンターの設立の趣旨です。


 センターの創立翌年である2002年に研究員として着任した私は、『アンジャリ』をはじめとするセンターのさまざまな活動に初期から関わらせていただいています。その頃のセンターは研究するテーマが限定的で、はっきりしていました。例えば「家族」「教育」「(カルト)宗教」などです。筑紫さんは「21世紀の家族」を論じています。カルト宗教の専門家である高橋紳吾さんには3「若者と宗教―カルトの現場より―」について述べていただき、5にはブレイク前?の尾木直樹さんが「今日の子どもと教育の危機とは」について述べられています。このお三方はセンターの「現代と親鸞の研究会」に講師としてもおいでいただきました。高橋先生にいたっては、ご自宅までお邪魔して事前打ち合わせを行ったのも楽しい思い出です。そこには学びがあり、私の拙い応答も含め、対話があったのです。


 当時、私は『アンジャリ』の編集が楽しくて仕方ありませんでした。それは私が「今」を、つまり「現代」を感じていたからだろうと思います。そしてその「今」を学ぶことで知ったこと。それは「今」は作られたもの、正確には過去から伝承されながらも、少しずつ変容しつつ形成されてきたものだということでした。例えば「家族」にしても「近代家族」という言葉を知った時は、驚いたものです。そして注意すべきことは、『アンジャリ』刊行後20年たった現在も、当然「今」は変容しつつ継承されていることでしょう。種と果実は異なるものだが、種には果実となる原因がすでに含まれている。このようなことを仏教ではいいます。つまり、「今」には過去の継承のみならず、変容される未来も含まれているのです。


 その点で、「今」を伝える『アンジャリ』が昨年(2021年)にリニューアルされたのは、実に象徴的です。紙面版では特集を組むことにより、私たちの問題意識がより分かりやすくなりました。さらに私が今執筆しているWEB版では、より時宜にかなった論考を配信することができます。20年の経験をふまえ、より一層「今」を伝える最適な方法だと自負しています。センターも変化を重ねながら進んでいるのです。


 しかし、その変化したという表面にとらわれてはいけません。センターの問題意識は、設立以来一貫しています。それは「専門分野が違えども、そこには人間の問題が論じられている」という視点です。この視点があるからこそ、仏教、真宗、親鸞の言葉で対話が可能となるのです。逆に言えば、センターから人間を問う視点がなくなれば、対話はただの戯論(けろん)となるでしょう。私は今後も対話を続けたいと思うのです。


 興味深いのは『アンジャリ』創刊当時の問題が、現在でもトピックとして生きている点です。家族、教育、そして宗教。世の中は窮屈になったように感じます。息苦しさが生き苦しさにつながっているように思います。それは人間に大きく影響する先述のトピック、つまり家族、教育、宗教の形が揺れているからのように感じます。それらの落ち着く場所のなさが、私たちの気持ちも安定させないのではないでしょうか。


 けれど私たちは生きることをやめることはできません。私たちは不安を感じながらも、生きることを止めることはできないのです。忙(せわ)しない毎日を多くの方が送っています。「心が亡くなる」とは言い過ぎですが、その結果、生きる上で何が大切なのか忘れてしまうこともあるでしょう。


 だからこそ、人は合掌が必要なのだと思うのです。


 例えばお寺で合掌をする。するといつもとは違う時が流れます。不思議なもので、ただ座っているよりも、胸の前で手を合わせると、より気持ちが引き締まる感じがするものです。ひょっとしたら手を合わせることにより、普段気づかない自分が大切にしている思いに気づくのかもしれません。それは「生きるとは」という問いです。死を問うてきたお寺であり、仏教だからこそ「生きている自分」が照射されるのでしょう。


 合掌を意味する『アンジャリ』。人は掌に何をつつみつつ、手を合わせているのでしょうか。『アンジャリ』は今後もそのページ毎に、人間の喜び、悲しみ、そして希望がつつまれている雑誌でありたいと思うのです。

(たむら あきのり 親鸞仏教センター嘱託研究員)

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(2023年1月23日更新号)

表紙
今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO Makoto) 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  親鸞仏教センターでは、2001年の設立以来、雑誌『añjali』を毎年2回(6月と12月)発行してきました。  しかし2020年、コロナ・ウイルスの感染拡大による印刷、発送作業、配送などの困難のために、予定通り発行できない苦境に陥りました。そこで私たちは新たに『añjali...
表紙
哲学の言葉を編み、書くということ
哲学の言葉を編み、書くということ 編集者・文筆家 田中 さをり (TANAKA Sawori)  私は大学で広報の仕事に従事している。その合間に哲学に関わる編集と執筆の仕事も続けている。メディアで何か発信する仕事を始めたばかりの方に向けて、何か益になることをお伝えできればと常々思うのだが、なにぶん、仕事Aから仕事Bの経費を捻出しながら自転車操業でここまで来た。ノウハウというものがない。ひとまず、メディアのあり方について模索する契機となった、あの日の話から始めたい。    2011年3月11日。「東日本大震災」としてその後長く人々の記憶に刻まれることになるこの日が、まだ代わり映えのしない午後だったとき。ある駅ビルの中に私はいた。カフェの一席でノートパソコンを広げて、私は今と同じように何かの〆切に追われて書き物をしていた。前年の夏に哲学専攻の元学生たちの暮らしぶりを訪ねるインタビューを始めたばかりの頃だった。    テーブル上のコーヒーカップがカタカタと音を立てて揺れているのに気付いてすぐ、目の前の席に座っていた50代の女性と目があった。「これは危険な揺れになりそうですね」。私たちは視線で確かめ合った。遠くでグラスが床に落ちて割れる音がして、私は荷物をまとめて急いでフードコートを出た。自動ドアを出ると左手に改札口が見えた。駅舎の屋根を支える直径1メートルほどの柱が地鳴りと共に揺れていた。    背広を着たサラリーマンが駆け出そうとするも、足の置き場が定まらず、ふらふらと床に膝をつく。その様子を左手に見ながら、右手の建物脇の階段に座り込む。頭上には青空が広がっていた。そこには既に何人かの女性たちが避難していて、パン屋の白い制服を着た20代の女性が「怖い、怖い」と嗚咽していた。    その場にいた数人の女性たちと、「大丈夫よ」と彼女の背中を摩って落ち着かせ、私は携帯電話を確認した。「震源地は東北で、ここからはかなり遠いです」と皆に伝えた。しばらくその場に留まってから駅前の広場に移動するまでに、二人組の70代の女性が「こんなことは人生で初めてよ」と言った。私は頷いた。広場から駅ビルの店舗の方へ行くとスプリンクラーが作動して水浸しになっていた。曇る視界の奥にPのマークを見つけて立体駐車場へ走る。私は車を出して、息子がいる保育所に向かった。    保育所では、先生たちが部屋の真ん中で丸くなった子どもたちに頭から布団をかぶせて「大丈夫、大丈夫」と声をかけていた。子どもたちは柔らかい白煎餅を両手に持たされ、落ち着いていた。私は先生にお礼を告げて、息子を抱いて外に出た。すぐに向かいの家から、90代の女性の肩を支えた60代の女性が出てきて目があった。「大変ね、でもきっと大丈夫よ」。私たちは目を細めて頷き合った。    駅ビルから家に辿り着くまでにこうして会話したのは、7、8人の女性たちだった。多くは言葉もなく視線だけで、安全かどうかを確認し合い、誰かの世話をしている人を労った。昼下がりの住宅街、女性がいる割合が高い時間帯。「大丈夫かしら」、「怖いわ」、「こんなこと初めて」、「きっと大丈夫よ」。私たちの多くは、自分の身近な人の体に触れていて、自分より弱い人をしっかり抱き寄せていた。  高校生からの哲学雑誌『哲楽』は、この年の夏に刊行された。哲学者の生き方を取材して広めるため、編集協力委員の皆さんと制作した第1号は、家庭用のプリンターで印刷して製本した。東京のジュンク堂書店池袋本店に腕に抱えられる分だけ納品した日が正式な刊行日になった。    私たちの未来は安全なのか、この手が触れている人々と共に生き延びることができるのか、名も無い小さな雑誌を作りながら確かめたかったのだと思う。    哲学の言葉を編み、書くということは、こうして始まって、そして10年が過ぎた。「多角的に物事を捉えて伝えることは大事なことだ」と人は言う。これには完全に同意する。けれど気になることがある。多角的に物事を捉えて残されたはずの文章に、私が視線を交わしたような人々の観点は含まれているのかどうか。    さらにもっと気になるのは、私が残す文章によって、私が視線を交わさなかった人々の観点は見過ごされないのか。    人は自分と近い種類の人々を遠くからでも認識して、緊急時には視線だけでも会話ができる。「自分と自分の身近な人の安全を守って下さい」と、最近では災害が起きるたびにニュースキャスターが口にする。その一方で、自分と属性が異なる人々とは、どんなに近距離でも、どんなに危険な状況の渦中であっても、視線が交わらないことがある。ここで「自分と遠く隔たった人のことを思って下さい」と同時に言えるかどうかが、本当は問題なのだ。    かつて哲学者のジョン・ロールズは、自分と遠く隔たった人のことを考えれば道徳的知覚が混乱するから、身体的な障害をもつ人々のことを自分の理論では扱わないことを正当化した。その後、哲学者のアマルティア・センは、このロールズの言説を批判した。しかし、そのセン自身も、赤ちゃんと知的な障害をもつ人々について、自由の能動的な行使には直接関係がないと述べた。私が哲学専攻の学生だったとき、この二人への反論を考えるだけで、連ねた言葉は5万字を越えた。    「道徳的知覚の混乱」とは言い得て妙だ。何かを見たり想像したりすることで、通常の道徳的判断が不能に陥ることを指す。例えば、健康な子どもが生まれることを願っている親にとっては、それが叶わない可能性は脅威だし、自分が哀れみの念を抱いてしまうような人々とは距離を置く傾向がある。そのことがわかるからこそ、ロールズのこの言葉は抜けない刺のように胸に刺さった。    厄介なことに、どんなに著名な哲学者であっても、この「道徳的知覚の混乱」を避けるために、人間の本質を規定し、その本質を体現しない人々を自らの理論の限界に押しやる傾向がある。これが認識を歪める。そこにある間違いを見落とし、そこにいる人を除外する。自己保存の原則が、近しい者たちと集団を形成し、他者危害をもたらすように。    「道徳的知覚の混乱」を乗り越えることは、多くの分別ある大人にとって最大の課題の一つだろうと私は見ている。自分と異なる人々が危険に晒されないように、どんなメディアの形があり得るか、そのことをきちんと考えなさい。そう私はあの日の女性たちに教えられた。私たちの視線の交点からどこまで遠くに言葉を届けられるかが問題だと知ったからだ。    最近の『哲楽』は、オンラインが中心で、更新頻度もあまり高いとはいえない。読者には申し訳ない限りだ。それでも新しい試みとして、音声だけでなく、手話での哲学対話も始めた。それぞれの対話空間から、その外側を想像する力をもらっている。    哲学の言葉を編み、書くことで、その言葉を受け取った人の足元から、ずっと先まで照らせたら。こうして今日も自転車を漕いでいる。 (たなか さをり 編集者・文筆家)  高校生からの哲学雑誌『哲楽』編集人。「現代哲学ラボ」世話人。著書に『時間の解体新書――手話と産みの空間ではじめる』(明石書店、2021)、インタビュー本に『哲学者に会いにゆこう』(ナカニシヤ出版、2016)、『哲学者に会いにゆこう2』(ナカニシヤ出版、2017)など。 他の著者の論考を読む...
表紙
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース
明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース 早稲田大学政治経済学術院教授 土屋 礼子 (TSUCHIYA Reiko)  近頃よく耳にする「フェイクニュース」は、ネット社会の新たな問題として取り沙汰されているが、メディアの歴史を振り返れば、それらは虚偽報道とか虚報とか呼ばれてきた類いのもので、ことさらに新しい現象ではない。たとえば、私が研究してきた明治初期の錦絵新聞というメディアには、虚報の興味深い例がいくつもある。  錦絵新聞とは、浮世絵と一般に呼ばれている多色刷り版画の一種である。新しい明治の時代を迎え、場所や時、人名を明示して時事的報道が認められるようになって新聞雑誌が発行され始めた明治7年に、江戸時代に培われた高度な木版画技術と職人組織を生かして制作された視覚的媒体である。基本的に一つの事件を一枚の絵にして、その余白に説明の文章が添えられている刷り物で、明治5年創刊の日刊紙『東京日日新聞』の発行メンバーでもあった絵師・落合芳幾が描いた錦絵版の『東京日々新聞』シリーズがその最初である。このシリーズでは、活版印刷の新聞に掲載された記事を元にリライトして錦絵新聞が作成された。ただし、本紙の記事と違い、文章には振り仮名が施され、あるいは読んで調子のよいように文章が練られ、非知識人でも読めるように、あるいは読んで聞かせて貰って楽しめるように工夫されていた。つまり錦絵新聞のねらいは、新聞の難しい文章が読めない人々にも新聞という新しいメディアの面白さを知らせることにあった。  その人気は飛び火し、明治8年には大阪でも盛んにさまざまな錦絵新聞が出版された。その中でも最も多く号を重ねたのが『錦画百事新聞』と題するシリーズで、その44号には次のような事件が語られている。子供3,4人が集まって八百屋お七の芝居をまねて、一人を木にくくりつけて焚き火をしたところ、火が燃え広がり、その子供は死んでしまった。残りの子供達はその罪を償うべく、ふるさとを後にして巡礼に出たという。紙面に描かれた水色を基調とした美しい絵では、髪を剃った坊主頭の子供3人がお遍路の姿で、袖で涙を拭っている。ところが、これを描いた当時大阪を代表する絵師・二代目長谷川貞信の回想記によれば、この錦絵新聞はよく売れたが、全くの虚報であったという。  また、同じ『錦画百事新聞』11号には、近年米国で体に帆を掛け海上を走ることを発明したホイトンという人が、フランスまで数百里の波濤を渡ったという話がまことしやかな絵で描かれている。どう考えても眉唾ものであるが、この話は東京で発行されていた『平仮名絵入新聞』27号(明治8年6月10日付)に、やはり絵入で掲載されている記事を下敷きにしており、おそらく米国の新聞雑誌の記事が元だと思われる。つまり、この頃の新聞には、伝聞や噂による記事が結構載っており、必ずしも真偽がはっきりしない内容が多くあった。現在の新聞のような、記者の取材方法や事実を確かめ裏を取るといった作業の重要性を担保する組織がまだ確立されていない、草創期のメディア事情がその背景にある。新聞も錦絵新聞も、顔は女で体は魚という人面魚を噂に基づいて描いたかわら版の類いとそれほど大きな隔たりはなかったと言えるかもしれない。  しかし一方で、錦絵新聞に内容の誤りを正した謝罪記事を出した例が見られるのは驚きである。大阪で発行された『新聞図会』21号は、大坂新町の娼妓・初花と府下師範学校の石井某が深くなじんで和歌を数多く取り交わしたという艶聞を取り上げて描いた。ところが、これについて「正誤。当図会第二十一号初花云々ハ全ク伝聞ノ誤(あやまり)也。今爰(ここ)ニ図画ヲ以テ謝罪ス」という文とともに、版元と文章の筆者が頭を下げて謝っている絵が描かれた号外が制作されているのである。師範学校あたりから苦情が寄せられたのかもしれないが、ニュース内容の真偽にも気を遣っていた証拠である。  このように、西欧から輸入し移植され始めた新聞という新メディアと、幕末から続く旧メディアが重なり合う過渡期に誕生した錦絵新聞には、当時の人々が新しいニュースの時代に移行しつつあったことが見て取れる。これらの錦絵新聞を目にした人々は、当時の人口の約9割を占めていた農民層とは異なり、都市に住む商人や準知識人層であった。村落共同体の中に主に関心が閉じられていた農民とは異なり、彼らは噂話やかわら版、芝居や絵双紙などに接して最新のニュースを得ていたが、政府の公式情報が掲げられている新聞は漢字が多くて難しく、値段も高く手が出せなかった。彼らの間には、真偽の定かでない噂を面白がったり頼りにしたりする反面、事実を知り真実を確かめることは社会にとって重要であり、またそれは誰にでも可能であるべきだという認識が徐々に広まりつつあった。それが新聞を中心とするジャーナリズムを受容し育む素地を開いていくのだが、逆にフェイクニュースが問題になる現在は、いったんマス・メディアによって作られたニュースへの信頼性が揺らぎ、噂に満ちあふれたインターネットを組み込んだ新たな民主主義的なメディアのあり方が問われているのである。 (つちや れいこ 早稲田大学政治経済学術院教授) 近年の論文に、「戦前期の国際的新聞大会にみるメディアと帝国主義」(『Intelligence』第22号、2022)など。 他の著者の論考を読む...
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掌(たなごころ)につつむのは
掌(たなごころ)につつむのは 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  合掌する姿は美しい。これが住職としての私の実感です。  仏さまに向かい、お念仏を称え、手を合わせる。お寺ではよく見るありふれた光景ですが、最も静謐(せいひつ)な時間でもあります。正座をして、じっと目を閉じ、そして合掌する。私はその姿を見ながら思うのです。あの方は、今、手を合わせながら、何を思うのだろうかと。  サンスクリット語で「合掌」の意味を持つ『アンジャリ』が創刊されたのは、2001年でした。親鸞仏教センター(以下「センター」)の機関誌として、20年以上も刊行できていることは、素直にすごいことだと思います。創刊号の執筆者は錚々(そうそう)たるものです。巻頭にはニュースキャスターの筑紫哲也さん。ここにも『アンジャリ』の、そしてセンターの基本にして基幹の姿勢が示されています。それは「現代に生きる人々と対話をする」ということでした。現代の人々との対話。しかも仏教の、そして親鸞の言葉を通じての対話です。対話を通じ、これまでの宗門ではできなかったことを始める。これがセンターの設立の趣旨です。  センターの創立翌年である2002年に研究員として着任した私は、『アンジャリ』をはじめとするセンターのさまざまな活動に初期から関わらせていただいています。その頃のセンターは研究するテーマが限定的で、はっきりしていました。例えば「家族」「教育」「(カルト)宗教」などです。筑紫さんは「21世紀の家族」を論じています。カルト宗教の専門家である高橋紳吾さんには第3号で「若者と宗教―カルトの現場より―」について述べていただき、第5号にはブレイク前?の尾木直樹さんが「今日の子どもと教育の危機とは」について述べられています。このお三方はセンターの「現代と親鸞の研究会」に講師としてもおいでいただきました。高橋先生にいたっては、ご自宅までお邪魔して事前打ち合わせを行ったのも楽しい思い出です。そこには学びがあり、私の拙い応答も含め、対話があったのです。  当時、私は『アンジャリ』の編集が楽しくて仕方ありませんでした。それは私が「今」を、つまり「現代」を感じていたからだろうと思います。そしてその「今」を学ぶことで知ったこと。それは「今」は作られたもの、正確には過去から伝承されながらも、少しずつ変容しつつ形成されてきたものだということでした。例えば「家族」にしても「近代家族」という言葉を知った時は、驚いたものです。そして注意すべきことは、『アンジャリ』刊行後20年たった現在も、当然「今」は変容しつつ継承されていることでしょう。種と果実は異なるものだが、種には果実となる原因がすでに含まれている。このようなことを仏教ではいいます。つまり、「今」には過去の継承のみならず、変容される未来も含まれているのです。  その点で、「今」を伝える『アンジャリ』が昨年(2021年)にリニューアルされたのは、実に象徴的です。紙面版では特集を組むことにより、私たちの問題意識がより分かりやすくなりました。さらに私が今執筆しているWEB版では、より時宜にかなった論考を配信することができます。20年の経験をふまえ、より一層「今」を伝える最適な方法だと自負しています。センターも変化を重ねながら進んでいるのです。  しかし、その変化したという表面にとらわれてはいけません。センターの問題意識は、設立以来一貫しています。それは「専門分野が違えども、そこには人間の問題が論じられている」という視点です。この視点があるからこそ、仏教、真宗、親鸞の言葉で対話が可能となるのです。逆に言えば、センターから人間を問う視点がなくなれば、対話はただの戯論(けろん)となるでしょう。私は今後も対話を続けたいと思うのです。  興味深いのは『アンジャリ』創刊当時の問題が、現在でもトピックとして生きている点です。家族、教育、そして宗教。世の中は窮屈になったように感じます。息苦しさが生き苦しさにつながっているように思います。それは人間に大きく影響する先述のトピック、つまり家族、教育、宗教の形が揺れているからのように感じます。それらの落ち着く場所のなさが、私たちの気持ちも安定させないのではないでしょうか。  けれど私たちは生きることをやめることはできません。私たちは不安を感じながらも、生きることを止めることはできないのです。忙(せわ)しない毎日を多くの方が送っています。「心が亡くなる」とは言い過ぎですが、その結果、生きる上で何が大切なのか忘れてしまうこともあるでしょう。  だからこそ、人は合掌が必要なのだと思うのです。  例えばお寺で合掌をする。するといつもとは違う時が流れます。不思議なもので、ただ座っているよりも、胸の前で手を合わせると、より気持ちが引き締まる感じがするものです。ひょっとしたら手を合わせることにより、普段気づかない自分が大切にしている思いに気づくのかもしれません。それは「生きるとは」という問いです。死を問うてきたお寺であり、仏教だからこそ「生きている自分」が照射されるのでしょう。  合掌を意味する『アンジャリ』。人は掌に何をつつみつつ、手を合わせているのでしょうか。『アンジャリ』は今後もそのページ毎に、人間の喜び、悲しみ、そして希望がつつまれている雑誌でありたいと思うのです。 (たむら あきのり 親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...

『アンジャリ』WEB版1月更新分は、「今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教」のテーマのもと、23日と30日の2週連続で更新いたします。23日更新分は「メディア論」や「メディア史」を視点として、30日更新分は「仏教とメディア」を視点として、様々な角度から「メディア」を問いなおしていきます。どうぞ、30日更新分もご期待ください。

「親鸞仏教センター通信」第82号

田村晃徳 掲載Contents

巻頭言

加来 雄之 「思想の「場」」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「涅槃、本当に生きることができる場所に立つ」

報告 越部 良一

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 木村 哲也 「忘れられた存在を語り直す/忘れられた存在と出会い直す―ハンセン病問題と駐在保健婦―」

報告 菊池 弘宣

■ 第7回清沢満之研究交流会報告

テーマ:近代の宗門教育制度と清沢満之

江島 尚俊 「明治前期・真宗大谷派における教育制度の特徴—他宗派との比較から考える―」

川口  淳 「メディアにみる大谷派教育と改革運動 —明治20年代の一考察」

藤原  智 「清沢満之と真宗大学(東京)の運営」

林   淳(コメンテーター)

東  真行(司会)

長谷川琢哉(開催趣旨・報告)

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源空聖人の真像の銘文( 『選択集』 に関する銘文)③」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

田村 晃徳 「寺川俊昭(1928〜2021)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

田村 晃徳

研究員の紹介

TAMURA Akinori
(嘱託研究員)

プロフィール

専門領域
親鸞聖人をはじめとした仏教思想の研究
清沢満之をはじめとした日本近代思想の研究
宗教と学問の関係についての研究
仏教をどのように子どもたちと学ぶかについての試行錯誤
略歴
1971年 茨城県生まれ
立命館大学文学部哲学科哲学専攻卒業
大谷大学大学院文学研究科修士課程修了
同研究科博士後期課程修了(真宗学)。博士(文学)。
真宗大谷派擬講。
元親鸞仏教センター常勤研究員、元大谷大学任期制講師、元武蔵野大学大学院非常勤講師
現在、親鸞仏教センター嘱託研究員
所属学会
日本印度学仏教学会、真宗連合学会

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第36号
『現代と親鸞』第33号(清沢満之研究の軌跡と展望)
『現代と親鸞』第24号
『現代と親鸞』第16号
『現代と親鸞』第6号(清沢満之特集)
『アンジャリ』第25号
『アンジャリ』第15号
「親鸞仏教センター通信」第82号
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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い 第227回「大きくなったら」
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今との出会い 第227回「大きくなったら」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 保育園の園長をしていると、心配事も絶えませんが、楽しいことも常に起きます。その中でも子どもたちと会話ができるのは本当に楽しいです。ゼロ歳児から入園した子どもなどは、発語さえおぼつかなかったのに、段々と言葉を発し会話となっていく過程を見ることができます。成長とはこのことかと、我が子のように嬉しくなりますね。
 そんな子どもたちは、私に対しても時に甘え、時にぶつかって、時に思いがけない言葉で驚かせてくれます。

 例えば、こんなことがありました。内科検診の順番待ちで、子どもたちが廊下に座っていました。そんな時、3歳児クラスの子どもが私に聞いてきたのです。

「園長先生は、大きくなったら何になりたいの?」

 えっ?と少し戸惑った後、私は自信ありげに言いました。「園長先生は、立派な人になります!」と。すかさず尋ね返します。「じゃ、◯◯ちゃんは何になりたいの?」。その子は私をまっすぐ見て言いました。

「私はね、地震からね、みんなをね、助けたいの」

 園長先生(=私)は、大きくなるどころか、自分のことを小さく感じました……。

 小さく感じた理由は、子どもは立派なことを言ってくれるのに、それに対し、自分の発言の陳腐さもあったでしょう。でも、もう一つは自分の中で「大きくなったら」のビジョンがなかったこともあると思います。実際、人はいつ頃まで「大きくなったら」の自分を想像しているのでしょう。子どもの時は「将来の夢」として大きくなった自分を考えます。その夢が叶う人も、そうでない人もいるでしょう。しかし、「大きくなる=何かに就く」という発想がそこにはあります。もし、そうだとするならば人は就職したら「大きくなる」ことは終わるのでしょうか。それ以降は余生?

 大人=大きい人が、さらに大きくなるとはどのようなことでしょう。出世、安泰、裕福、……このように書いているだけで、いかに自分がこれからの自分を考えていなかったのか、発想の貧困さを思い知らされます。子どもの発言は、「日々、一生懸命生きているようにしているけれど、結局どこに向かっているの?」という問いとして、私には残ってしまったのです。皆さんなら、どのように子どもたちに答えますか。

 私には、残念ながらまだ答えが見つかりません。というよりも、今ここで早急に答えを出すことは、先の「立派な大人になります!」と同じような浅い答えになってしまうでしょう。

 仏教では人の生き方、人生を「道」で例えてきました。古から続く道、無碍の一道、白い道などです。どのような道を、どのように歩んでいくのかについての考察となりそうです。さらには、「大きくなったら」を身体的変化ではなく、内面的変化に寄せることもできそうです。そのときは、『大無量寿経』で言えば、「深く」「広い」「智慧」をいただく、とも考えられるでしょうか。いずれにせよ、子どもとの会話は、時に私を思索の世界へと誘う、大切なご縁なのです。

 このように書きながらも、文章をきれいにまとめようとする、小さな自分が見えてくるのです。

(2022年3月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA...
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...

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「親鸞仏教センター通信」第79号

田村晃徳 掲載Content

巻頭言

藤村  潔 「「モノ」と幸せ」

■ 第66回現代と親鸞の研究会報告

講師 安藤 礼二 「鈴木大拙の浄土論

報告 田村 晃徳

■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会報告

講師 三枝 暁子 「身分制からみた中世社会」

報告 中村 玲太

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト報告

講師 栁澤 正志 「日本天台浄土教と『教行信証』」

報告 藤村  潔

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

東  真行 「北橋 茂男(1900〜1966)」

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今との出会い 第217回「いい話」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 人前で話をした経験のある者は、「いい話だった」という感想を言われたいという思いから抜け出ることは難しいだろう。私は法話をする上で、いつも思い出すセリフがある。それは、とある研修会での座談会でのこと。数班に分かれて座談を行うのだが、ある担当者が次のような参加者の発言を紹介していた。

「仏教の話というのは、聞いていると明るくなるものだと思う。なのに、あんたはさっきから難しい、暗い顔ばかりして話している」

 この言葉が今でも苦笑とともに、私の胸から消えない。消えないのは、自分に思い当たる節があるのと同時に、そのような意見が間違っていないからである。

 経典を読むと釈尊の説法が終わり、集う者達が喜ぶ描写は多く見られる。


仏、経を説きたまうこと已(おわ)りたまいしに、弥勒菩薩および十方来のもろもろの菩薩衆、長老阿難、諸大声聞、一切大衆、仏の所説を聞きたまえて歓喜せざるはなし

(『大無量寿経』、東本願寺出版『真宗聖典』88頁)


 文字通りに読めば、仏教界の錚々たる方々が喜んでいるわけだから、さぞかし壮観であろう。同じく『大無量寿経』には「歓喜踊躍(ゆやく)」という言葉もある。微笑みではない。踊り出すほど全身で喜びを表現しているのである。親鸞聖人は感情の表現を緻密に行うので、「踊躍」についても「よろこぶこころのきわまりなきかたちなり」(『一念多念文意』、『真宗聖典』539頁)と述べている。親鸞聖人自身も喜びを体感していたに相違ない。


 しかし「喜び」ばかりが突出することはいけない。仏法に出会うことが「喜び」とのみリンクすると、それが仏法をきちんと聞いていることの基準となってしまう。この悩みに直面したのが唯円であった。「お念仏をしても、どうも歓喜踊躍の心とまではいかないのですが…」と師である親鸞聖人に尋ねている。唯円は師から叱責を受けることになると思っていたかもしれない。しかし師の答えは弟子が予想さえ出来なかったものであった。師は「それでいいのだ!」(趣意)と答えたのだから。詳細は省くが、『歎異抄』のこの返答は思想史上に残ると思う。唯円はこの答えで救われたに違いないが、「いい話だった」と思っただろうか?


 先の座談会の感想に戻ると、確かに僧侶は暗い顔をしがちである。それは真剣さと深刻さが混乱しているからである。深刻な顔をしながら、「人間とは愚かであり…」などと話されては、確かに受け入れがたいこともあるだろう。僧侶は伝わり方を十分に考えねばならないことは事実だ。


 ただ、私が先の感想に共感しながらも、全面的に肯定できないのは、そこに聞き手の問題が看過されているからである。聞き手があらかじめ期待している仏教のいい話とはどのような類かは問われるべきであろう。そこにお涙ちょうだいや、人生を肯定するばかりの話を期待しているのであれば、そもそも求めることが間違っている。仏法を聞いて明るさが生まれるには、闇をくぐらなければならない。経典を読んでも、『歎異抄』を読んでもそこには人々が悩み、迷う姿が丹念に描かれている。それは誇張ではなく、仏から見た、人間の姿に過ぎない。それは人間の期待する自分の姿ではない。納得することは難しい。だからこそ聞く意味があるのだ。


 仏教の「いい話」とはどのような話だろう。それは分かりやすさばかりが求められている現代において、実は大切なテーマだと私は思っている。

(2021年5月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...

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今との出会い 第205回「次の日常」

田村晃徳

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 私の住む日立市には「いきいきひたち100年塾」という組織がある。生涯学習を市民で盛り上げていこうという取り組みであるが、その市民教授に今年登録を済ませた。「仏教」と「絵本」の二つを登録し、市民の方々と学びを通じての交流をはかったのである。また、お寺では新しい取り組みとして「法話とコーヒーの会」を立ち上げた。もともとコーヒーが好きだったのだが、地元の若手コーヒー焙煎士とご縁ができたことが、この会の始まりだった。法話の後に焙煎士の淹れるコーヒーと、私の作るスイーツをいただきながら、御門徒や一般の方々と語り合う会だった。また、保育園の方では全国に何カ所か研修に呼ばれており、それらを楽しみにしていた。地元の街に目を向けると、商業施設が完成し、久しぶりに映画館ができるとあって賑わいが期待されていた。このようにたくさんの予定があった2020年であった。


 しかし、そのどれもが無くなった。

 正確に言えば予定通りには進んでいない。 新型コロナウィルス感染症の流行により、私も世の中もそれどころではないのだ。


 中止となった会もある。賑わいを取り戻すはずだった商業施設は閑散としている。「こんなはずじゃ…」と何度も心で思う。そして今私は予定外の行動――こまめな手洗い、毎日着けるマスク、人混みをさけるなど――を新たな習慣としている。習慣が日常を作るのであれば、私は新たな日常を生きていることになる。

 多くの方が今回の感染症拡大を通じ「どうなるんだろう」という不安にかられている。それは学校に行けない不安でもあろう。仕事がなくなる不安でもあろう。自分が感染したらどうしようという不安ももちろんある。具体的に言えば、生活が成り立たない不安である。抽象的に言えば、日常が変わってしまう不安である。その不安はどこに由来するのかと言えば、「生きていけない」という思いにその源泉があると言えよう。


 しかし神学者であるパウル・ティリッヒが『生きる勇気』で「恐怖」と「不安」を分けて論じていたことは参考になる。ティリッヒによれば恐怖とは「一定の対象」をもつものであり、「人間はそれに対してはたらきかけること」ができるものである。それに対して「不安」とは対象をもたない。それは「あらゆる対象の否定」である。よって何ら働きかけることはできない点で両者は異なる。


 恐怖は、ある物ごと、たとえば苦痛とか他人や社会からの排斥とか、ある人や物を失うとか死の瞬間とか、を恐れている。しかし、これらによる脅かしの予想においてわれわれを恐れさせるものは、それら具体的な物ごとによって主体にもたらされる否定性それ自体ではなく、むしろこの否定性のなかに潜在的に含まれている何かに関する不安なのである。

(パウル・ティリッヒ著/大木英夫訳『生きる勇気』平凡社ライブラリー〔1995〕、64頁)


 この言葉に倣えば私が、あるいは私たちが感じている上のような思いは「不安」ではなく「恐怖」だろう。確かに上記の出来事は深刻な精神の不安定さをもたらすが、経済的支援や学校再開などである程度は対処可能な領域である。それに対して不安の原因は「無」という私たちへの「脅かし」なのである。つまり、私たちが日常的に大切にしているものは虚無の上に成り立っていることを潜在的に感じることが不安の原因なのではないか。それは無意味さの痛感であり、そこへの抗いが私たちをより不安にさせるのだ。


 それは「死」さえもそうである。ティリッヒによればそれが「恐怖」である場合には「病気とか事故とかによって生命を奪われること」への恐れである。しかしそれが不安である時には「死のあと」にまちうける「無」が原因なのである。

(前掲書参照)


 私たちは今回の新型コロナウィルス感染症の拡大を通じ、様々な苦悩や心配を経験している。いつ「しゅうそく」(この場合は感染症が消滅する「終息」ではなく沈静化する「収束」が適当であることは歴史が教えるところである)するかわからない日常を過ごしている。「新型コロナ流行前の日常には戻れない」と識者は言うが、ならば次に訪れるのはどのような日常なのか。それは虚無をより強く覆い隠そうとする日常なのか。それともこれまでの生き方を反省する日常なのか。おそらく前者だろう。しかし、虚無を潜在的にでも経験したことを私たちの体は忘れることはない。そもそも虚無が潜んでいるとはいえ、生きることをやめることはできない。ならば、いつか訪れる「次の日常」を過ごす鍵は何か。それはティリッヒの言葉を再度借りれば「それにもかかわらず in spite of」生きていくという、「生きる勇気」なのだと思う。

(2020年6月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...

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「親鸞仏教センター通信」第72号

田村晃徳 掲載Contents

巻頭言

戸次 顕彰 「三宝としてのサンガ考」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「本当の依り処

報告 越部 良一

■ 第62回現代と親鸞の研究会報告

講師 佐藤 卓己 「「ポスト真実」時代の輿論主義と世論主義」

報告 田村 晃徳

■ 「三宝としてのサンガ論」研究会報告

講師 細川 涼一 「西大寺叡尊と非人―叡尊の自伝『感身学正記』を中心に―」

報告 戸次 顕彰

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト

青柳 英司 「第2期への展望」

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「源信和尚の銘文」

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

速水  馨 「近角常観(1870〜1941)」

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