親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

掌(たなごころ)につつむのは

現代

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 合掌する姿は美しい。これが住職としての私の実感です。


 仏さまに向かい、お念仏を称え、手を合わせる。お寺ではよく見るありふれた光景ですが、最も静謐(せいひつ)な時間でもあります。正座をして、じっと目を閉じ、そして合掌する。私はその姿を見ながら思うのです。あの方は、今、手を合わせながら、何を思うのだろうかと。


 サンスクリット語で「合掌」の意味を持つ『アンジャリ』が創刊されたのは、2001年でした。親鸞仏教センター(以下「センター」)の機関誌として、20年以上も刊行できていることは、素直にすごいことだと思います。創刊号の執筆者は錚々(そうそう)たるものです。巻頭にはニュースキャスターの筑紫哲也さん。ここにも『アンジャリ』の、そしてセンターの基本にして基幹の姿勢が示されています。それは「現代に生きる人々と対話をする」ということでした。現代の人々との対話。しかも仏教の、そして親鸞の言葉を通じての対話です。対話を通じ、これまでの宗門ではできなかったことを始める。これがセンターの設立の趣旨です。


 センターの創立翌年である2002年に研究員として着任した私は、『アンジャリ』をはじめとするセンターのさまざまな活動に初期から関わらせていただいています。その頃のセンターは研究するテーマが限定的で、はっきりしていました。例えば「家族」「教育」「(カルト)宗教」などです。筑紫さんは「21世紀の家族」を論じています。カルト宗教の専門家である高橋紳吾さんには3「若者と宗教―カルトの現場より―」について述べていただき、5にはブレイク前?の尾木直樹さんが「今日の子どもと教育の危機とは」について述べられています。このお三方はセンターの「現代と親鸞の研究会」に講師としてもおいでいただきました。高橋先生にいたっては、ご自宅までお邪魔して事前打ち合わせを行ったのも楽しい思い出です。そこには学びがあり、私の拙い応答も含め、対話があったのです。


 当時、私は『アンジャリ』の編集が楽しくて仕方ありませんでした。それは私が「今」を、つまり「現代」を感じていたからだろうと思います。そしてその「今」を学ぶことで知ったこと。それは「今」は作られたもの、正確には過去から伝承されながらも、少しずつ変容しつつ形成されてきたものだということでした。例えば「家族」にしても「近代家族」という言葉を知った時は、驚いたものです。そして注意すべきことは、『アンジャリ』刊行後20年たった現在も、当然「今」は変容しつつ継承されていることでしょう。種と果実は異なるものだが、種には果実となる原因がすでに含まれている。このようなことを仏教ではいいます。つまり、「今」には過去の継承のみならず、変容される未来も含まれているのです。


 その点で、「今」を伝える『アンジャリ』が昨年(2021年)にリニューアルされたのは、実に象徴的です。紙面版では特集を組むことにより、私たちの問題意識がより分かりやすくなりました。さらに私が今執筆しているWEB版では、より時宜にかなった論考を配信することができます。20年の経験をふまえ、より一層「今」を伝える最適な方法だと自負しています。センターも変化を重ねながら進んでいるのです。


 しかし、その変化したという表面にとらわれてはいけません。センターの問題意識は、設立以来一貫しています。それは「専門分野が違えども、そこには人間の問題が論じられている」という視点です。この視点があるからこそ、仏教、真宗、親鸞の言葉で対話が可能となるのです。逆に言えば、センターから人間を問う視点がなくなれば、対話はただの戯論(けろん)となるでしょう。私は今後も対話を続けたいと思うのです。


 興味深いのは『アンジャリ』創刊当時の問題が、現在でもトピックとして生きている点です。家族、教育、そして宗教。世の中は窮屈になったように感じます。息苦しさが生き苦しさにつながっているように思います。それは人間に大きく影響する先述のトピック、つまり家族、教育、宗教の形が揺れているからのように感じます。それらの落ち着く場所のなさが、私たちの気持ちも安定させないのではないでしょうか。


 けれど私たちは生きることをやめることはできません。私たちは不安を感じながらも、生きることを止めることはできないのです。忙(せわ)しない毎日を多くの方が送っています。「心が亡くなる」とは言い過ぎですが、その結果、生きる上で何が大切なのか忘れてしまうこともあるでしょう。


 だからこそ、人は合掌が必要なのだと思うのです。


 例えばお寺で合掌をする。するといつもとは違う時が流れます。不思議なもので、ただ座っているよりも、胸の前で手を合わせると、より気持ちが引き締まる感じがするものです。ひょっとしたら手を合わせることにより、普段気づかない自分が大切にしている思いに気づくのかもしれません。それは「生きるとは」という問いです。死を問うてきたお寺であり、仏教だからこそ「生きている自分」が照射されるのでしょう。


 合掌を意味する『アンジャリ』。人は掌に何をつつみつつ、手を合わせているのでしょうか。『アンジャリ』は今後もそのページ毎に、人間の喜び、悲しみ、そして希望がつつまれている雑誌でありたいと思うのです。

(たむら あきのり 親鸞仏教センター嘱託研究員)

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今との出会い第234回「「適当」を選ぶ私」

現代

親鸞仏教センター研究員

谷釜 智洋

(TANIGAMA Chihiro)

 東京はセカセカした街と感じることがある。立ち止まった途端に取り残される気がする。だから、私は余計に張り詰める日々を過ごしているのだと思う。

 5lack(スラック)というラッパーには、ことさら影響を受けた。かれの名のりである “Slack” という語句には「たるんだ、ゆるい」等の意味があり、うたいまわしや紡ぐ言葉にさえも緩さが溢れている。実際にかれのうたには、しばしば緩さをあらわす「適当」という言葉があらわれる。本来は「ある状態・目的・要求などにうまくあうこと。ほどよくあてはまること。ふさわしいこと」(『日本国語大辞典』第二版)を指す言葉だが、おおよそ、いい加減とかザツといった印象をまとってしまっている。不誠実、なげやりといった感さえある言葉だ。しかし 5lack はこの言葉をもちいながら、本来の通俗的な意味だけではなく、新たな意味をも開示しようとしているかのように私は思える。

 

 自身の能力のなさに嘆き立ち止まってしまった時、かれの「適当」というフレーズは、張り詰める生活とは真逆の、緩やかな温かみを感じさせる。かれはうたう。

 

あいつがまたいいこと教えてくれれば

今日は救われたって言えるかな

あんな日もあるさまぁしょうがないけど

もうたくさんだなんてさ思うかな

適当にいけよ適当にいけよ

適当にいけよ適当にいけよ

考え込むな考え込むな

考え込むな考え込むな〔……〕

想像で落ちるな適当にいけよ

i’m serious serious. 過ぎでも 

考え込むな考え込むな

そんな日もあるさっていえば光が隙間からこぼれた

(「NEXT」『WHALABOUT』、2009)

 

 「適当」と言い放ちながらも、かれが誠実な人間であるのが伝わってくる。張り詰める生活のなかでしばしば自分の立ち位置が分からなくなることがあるし、まだ起こっていない先(未来)のことに惑わされ振り回されたりもする。誠実であろうとすればするほど息が詰まる。

 それ故に、かれの紡ぐフレーズの一つひとつが、セカセカとした日常を思い悩みながら生活する今の私には響いてくるのかもしれない。

 

 そもそもアーティスト、つまり表現者は、華やかで好きなことだけやっているようにみられがちだ。しかし、かれらは想像もつかないような努力や身を削りながら制作している。少なくとも5lackに関していえば、精力的に制作に取り組み、多くの作品をリリースしている。だからこそ、かれが発する「適当」という言葉には、それぞれの場所で奮闘している者にとって、寄り添う言葉となって働き、支持されているのではないだろうか。

 かれのいう「適当」には、「自律」といった新たな意味をも開示しているように私には思える。「自律」には「自分で自分の行いを規制すること。外部からの力にしばられないで、自分の立てた規範に従って行動すること」(『日本国語大辞典』第二版)等の意味がある。

 この世界に押しつぶされるな。おれたちの「適当」を決めるのは、おれたちだろ?そんで、「適当」に生きなよ――かれのうたから、そんなメッセージをも感じる。自分の「適当」を決めるのは、自分自身のはずだ。かれのうたに励まされる日々はまだまだ続きそうだ。

(2022年12月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い 第170回「現代へのまなざし」

現代

親鸞仏教センター研究員

戸次 顕彰

(TOTSUGU Kensho)

 仏説やそれを伝承してきた諸師の言葉をすぐに現代的な問題に応用しようとしても、現代という社会のあり方に都合の良い、自分に都合の良い、そのような仏教理解になっていないか、常に点検が必要である。『涅槃経』(師子吼菩薩品)に「願わくは心の師と作(な)りて、心を師とせざれ」(願作心師、不師於心)と説かれる。仏教文献のなかで「心を師とする」(師心)は「独断」と並列で用いられることもある。自戒の意味も込めて、『涅槃経』のこの言葉は、大事にしておきたいと思っている。


 しかし一方では、そうも言っていられないこともある。ある人が心配して言ってくれた。「これからお寺や神社は大変でしょう。若い人の関心がないからね」と。ある門徒さんにも言われた。「教えのことよりも、もっと現実的な話をしてほしい」と。現代という時代社会との接点をめぐる課題は、身近なことから学術的なことまで、自分の目の前に常に存在していたにもかかわらず、避けようとしていたことを痛感する。


 私がこれまで専攻してきた仏教学という学問領域は、その定義をめぐっていろいろな考えがあるにせよ、過去に言語化された言説を掘り起こすことに主眼があると思っている。そしてその際には、それぞれの文脈と語られた言葉の背景にも注意を要する。文脈や背景を検討していくことによって、研究に広がりが生まれ、それが研究の楽しさになっている。そして、このような営みは今日、必ずしも人気のあることではないと承知しつつも、それはそれで大事なことで、世の中に絶対必要だと私は信じている。


 3ヵ月ほど前に京都から東京へ引っ越し、親鸞仏教センターに来た。東京での生活は、毎朝の通勤ラッシュ、久しぶりの単身生活など、多少の困難もあるが、研究生活はそれなりに充実している。大事な視点が自分には欠けていると思いながらも……。


 親鸞仏教センターでは、各方面からいわゆる有識者を招いて親鸞思想との対話を続けている。それも仏教や親鸞の専門家だけではなく、社会問題などさまざまなジャンルとの対話である。また刊行物もあり、研究誌のタイトルは『現代と親鸞』である。また「現代と親鸞の研究会」という名称の研究会もセンター設立以降、活動の柱として継続的に開催されている。


 着任してからは3ヵ月というわずかな期間だが、憲法・社会問題・心理学などの専門家のお話を聞くことができ、いろいろな刺激を受けた。しかし、自らの研究領域との接点を探ろうとしても、見つからないことが多い。


 いま、新しく向き合うべき現代との対話という課題が生まれた。これから始まる親鸞仏教センターでの研究生活のなかで、現代へのまなざしをもちつつ、仏教言説や親鸞の教えとの接点を模索していきたい。


(2017年7月1日)

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