親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

仏教をテーマにマンガを描く中で知らされた可能性と危うさ

漫画

浄土真宗本願寺派僧侶・漫画家 

近藤丸

(Kondoumaru)

(註)本作は作者の経験に基づいた創作(フィクション)です。マンガに登場する、人物、固有名詞は実在しません。

広大な世界への通路になってくれたマンガ

 筆者は、浄土真宗系の中学校・高等学校で、教員として「宗教」(仏教)という科目を担当している。

 以前、先輩の宗教科教員からこう言われたことがある。


私たちのやっていることは種まきなんだと思う。


 多くの子どもたちにとって、仏教は普段の生活の中で必要ないものかもしれない。しかし、生きていく中で、行き詰ったとき、仏教の言葉が彼女・彼らにあらためて響いてくることがあるかもしれない。もちろん、今を生きる生徒たちに言葉を投げかけている。しかし、同時に、仏教という教えがあること、仏教という広い世界に常に通路が開いていると伝えることが大事なのだと思う。生徒の中に、仏教の言葉を尋ねてくれる人が一人でもいてくれたら。そういう想いで、仏教の授業をしてきた。

 教職のかたわら、マンガを描いてきた。寺院での活動に携わる中で感じたことを描いたエッセイマンガや、仏教用語を紹介するマンガを創作してきた。

 普段、なかなか仏教の話に興味を持ってくれない子どもたちも、マンガにすると読んでくれることがある。マンガには文字情報にプラスして、絵があることによって、読者にイメージを喚起しやすい。情報などが「ある意味で」わかりやすく伝わるという利点がある。マンガにも「行間」ならぬ、「コマ間」があり、読者はマンガを通して、何事かを感じ、考えることができる※1

 私は高校生のときに、手塚治虫の『ブッダ』を読んで、仏教という教えが「何か人間にとって大切なことを説いている」と感じた。手塚のマンガが、自分を、どこか違う世界、仏教という想像もつかないような広大な世界にワープさせてくれる窓口になっていた。

 本や、映画、ラジオ、法話まで様々なメディアが自分を他の世界とつなぐ通路になる。私にとっては、手塚作品が、他世界へ連れていってくれる窓口であり、そのことによって、様々な問題に悩んでいた高校生の自分はどこかで助けられていた。全く違う異世界への通路が開いていることを知り、その通路から吹き込む風によって、呼吸ができていたということがあると思う。マンガという、ある意味で近づきやすい仏教への窓口が、あってよかったと感じている。

 そして、その経験があったから、マンガという手法で描いてみたいと思った。現代の自分の言葉で、今を生きる人や、若い人たちに、出遇った教えによって受け取ったものの一端を伝えようと試みた。

 拙作を通して、仏教に興味を持ったという人の声も頂くことがある。畏れと責任を感じるとともに、あのように描いて良かったのだろうかと反省する点も多々ある。

 自分が描けるのは、あくまで自分が出遇った仏教の一端でしかない。願わくば、一人一人があらためて教えに出遇い直していって欲しい。作家の表現はどこまでも作家自身の偏見や、恣意が混ざったものとなるからである。


一瞬を切り取るという特性

 マンガは一瞬を切り取るメディアだ。瞬間を切り取るところにマンガの面白さと魅力がある。例えば上記の作品は、夏のお盆参りをモチーフに描いた作品だ。実際は、何年もお盆参りに通って気づかされたことを描いているが、具体的に取り上げているのはその経験の中のほんの数十分程度の出来事である。厳密に言えば、そのうちの何分かの景色にフォーカスし、その中の数秒を自分の視点で切り取って描いている。つまり、作中に描かれているのは、集中して考えれば数秒のシーンである。しかし、マンガの中には過ぎ去った時間や、自分の経験を、いわば封じ込めることができる。だが、そこでは多くのものは捨象されてしまっている。マンガで多くは決して語れない。しかし、作者の感じた一瞬と、読者が読む時間とが呼応し合い、作品に封じ込められた時間が読者の上にある意味で蘇生する。マンガを読むことで、お参りの時間があることの豊かさや、そこに流れていた時間や空間の中にあった何事かを感じとることもできるのかもしれない。この作品を通して、お盆参りの意義をあらためて感じたという声が寄せられた。


「分かりやすさ」と「危うさ」

 2人の若者が、生活の中で仏教の教えに触れていく『ヤンキーと住職』という作品を描いた。作品に対して、様々な反応があった。「分かりやすい」とか、「仏教が分かりました」という感想も頂いた。

 中学生・高校生が、仏教に出会う教材を作りたいという狙いもあって描き始めた自分にとっては、有難いと思う反面、危惧も抱いた。仏教の教えとは、分かったとか分からなかったとか、そういうものだっただろうか。法(教え)の言葉を手掛かりに、答えのでない問を自己の人生の中に生き、考え続けていくことが大切な営みなのではないだろうか。仏教の教えによって、私たちの生き方を問うことが大切な営みではなかったか。それがどこか、逆になってはいなかっただろうか。表面的な分かりやすさは、問いを眠らせてしまうような危険性もはらんでいるのではないか。なにより、自分自身がこれまで仏教に出遇い、様々なことを教えられてきたが、終わりなき学びの途上にいる。共に聞き続け、教えられ続けていく身である。

 マンガという表現には、分かりやすく伝えられるという利点がある一方で、そこから欠落してしまうものもある。

 結論として言えば、仏教をテーマに漫画を描く際には、その意義と危うさの両方を見つめ、その中を行き来することがどうしても必要なのだと思う。


2つの言葉を通して

 2つの言葉を紹介したい。筆者が、仏教に関するマンガを描き始めてから出会い、印象に残った言葉だ。

 1つは、ライターの武田砂鉄の言葉である。


いいねを狙って書く。そういうことをするとライターはあっという間にダメになっていく。


 武田の仕事の姿勢を尊敬している。誰かに媚びるような文章を書かない人だ。上記の言葉は、ある対談での発言※2だが、その対談の少し前に、著名な俳優の方が自死されていた。武田は、例えば、その俳優の方のことに触れて記事を書いたら、ページビューは稼げるかもしれない、だけど、そういうことは絶対にしないようにしているという。武田の言葉は、アテンションや、「いいね」を狙って何事かを書くことのどこに問題があるのか、端的に示している。そこには書く人が決して見失ってはならない敬意の原点のようなものがあるように思う。「書く」ということは人間存在の深みや、意味の深みに触れることとつながっている。

 長く、水俣病被害者に寄り添い、水俣病被害に係る相談を受けて解決を目指し、事件に関する調査研究と啓発を行ってきた団体がある。その団体の主催する水俣病の勉強会に出席したとき、次の言葉を聞いた。その団体で活動してきた、筆者と同世代の職員の方の言葉である。


私たちは、水俣病事件のことを伝えていかなければならない。だけど、ただ伝えるのではなくて、地続きに伝えていかないといけない。私たちが伝えられたように、伝えていくことが大事だと思う。


 彼女の真意を聞いたわけではない。しかし、その言葉を聞くだけで分かることがあると思った。水俣病事件の悲惨・悲しみ、同じことを決して繰り返してはならないということを、われわれは伝えていかなければならない。だからといって、ただ伝えればいいのではなく、伝え方・残し方が大事なのだ。ふざけて扱うことなどできない。例えば、公害の問題を「ポップ」に「楽しく」扱い、伝えていくということは成り立たないのではないか。そんなことはしてはいけない。きっと仏教を伝えるときにも、同じ質の問題が通底していると思う。仏教もまた、人間の苦悩や悲嘆の中から生まれてきた教えである。

 2人の言葉から、自分の執筆姿勢が問われてきた。

 仏教の歴史においては常に、経典や論・釈、その他の著作をテキストとして新しい解釈が生まれてきた。また、教えに出遇った者が、その時代に応じた表現を試みてきた。現代においても、仏教という営みの生命に触れて、現代に生きる人に応じた言葉(あるいは表現)を紡いでいくことは必要不可欠なことである。しかし、何かを伝えようとするとき、それをどのように残すのかということも大切な問題だ。


「ひっくり返し」や「まぜっ返し」というマンガの特性

 鼎談「宗教、宗教団体によるマンガの特徴は何か?」(『宗教と現代がわかる本2015』)の中で、宗教学者の井上順孝が次のように述べている。


まじめな世界で、信仰なら信仰という世界を築くときに、何をよりどころにその世界観をつくるかというところでは、近代にいたるまで一つの体系性というか、仏教やキリスト教各派が持ってきたものがあって、それを侵食してくるものとは闘ってきたわけです。そういう伝統的に伝えられてきた体系性すら失われている※3


 この発言の前後の文脈を補いたい。ここで議論されているのは、マンガというメディアは、常識をくつがえすとか、常識とは逆さのことをやるとか、とんでもないものを持ってきて楽しむという特性を持っているということである。マンガに限らず、人間は芸能や文学・芸術という営みにおいて、ある要素と別の要素を混ぜたり、ひっくり返したりして面白くしてきた。その中でも、マンガは特に「ひっくり返し」、「まぜっ返し」の要素が多いメディアだ。

 仏教は「まじめ」な世界であると井上は述べている。しかし、「絵解き」や「節談説教」など芸術・芸能の中においても仏教が伝えられてきたことから分かるように、歴史的に仏教が常に「まじめ」な部分だけで語られてきたということはできない。

 しかし、井上がいうように、その宗教のよりどころとなるような肝心要の部分、あるいは、信徒・宗教者たちが大切にしてきたものがある。それを侵食してくるものとは闘ってきたという歴史があることは、厳然たる事実である。それはいうまでもなく、これまでも、これからも大切なことだ。一方で、すべての「ひっくり返し」や「まぜっ返し」を否定すれば、新しいメディアを使った布教などは一切できなくなるし、新しい表現も生まれなくなってしまう。だからといって、何でもありになってしまえば、その宗教の持つ本質を見えなくしてしまったり、教えそのものを傷つけてしまったりする恐れもある。宗教は誰かにとって「生きること」そのものだからである。

 マンガというメディアが多分に持っている、「ひっくり返し」たり「まぜっ返し」たりして楽しむ側面は、教えを棄損するあり方と常に触れ合っており、まじめに描いているつもりでも、そのまじめさがふとした弾みに悪ふざけに転化してしまうという恐れをはらんでいるように思う。ある意味での危なっかしさを内包しているのが、マンガというメディアだと考える。

 伝統というものは古めかしいものではない。伝統によって私たちは教えを聞くことができている。その伝統の中で大切にされてきた教えの内部の生命、あるいは核心はいったい何なのかということを、私たちは常に確認していく必要がある。

 マンガを使って、仏教のことを伝え・語ることには様々な可能性がある。だがマンガというメディアにはある種の暴力性や弱点もあることも見つめていくこと※4を忘れてはならない。それと同時に、真宗であれば、真宗の体系の中で、先人たちが大切にしてきたものは何か、われわれが今何を聞くべきなのか、何を伝えていかなければならないのかを知ろうとする営みの中で、描かれる必要があるのではないだろうか。


現代においてマンガを描くことの難しさ


 哲学者の千葉雅也のツイートを引用したい。

ただ無為にバイクで暴走する、アホな遊びで盛り上がる。それは何にもならないエネルギーの消費だった。思い出だけが残った。だが今はアホな遊びを動画にすればマネタイズできるかもしれない。何をやってもどこかにマネタイズの可能性がチラつく。筋トレでも何でも※5


 現代の社会は、すべてマネタイズに結び付く社会になってしまっている。あらゆる物事が「ネタ化」してしまいかねない。そういう社会で何を聞き、何を語り、何を書くべきなのだろうか。仏教ですらネタになってしまう。そういう問題がある。仏教の要素をマンガにすることは、仏教の「ネタ化」と紙一重の表現であると感じる。教えが「いいね」に「換算されてしまうことの耐えがたさ※6」というものがある。

 教えを聞き、伝えようとする者は、現代に呼びかける必要がある。しかしそれが、結局現代の価値に媚びるようなものであれば、単に現代に飲み込まれていくだけである。そうではなくて、人間が本当に何を求めているのか、如来の悲願に通じるような、深い要求を尋ねていくような思索をしなければならないのではないだろうか※7

 おそらく、仏教の教えを聞いている者が、マンガを描こうとするとき、そこには逡巡というものが必要なのであろう。戸惑いやためらいの中で描かれる必要があると思うし、私が聞いてきた教えや、私に教えを伝えてくれた存在が、私に逡巡することを引き起こさせるように思う。そして、唯一、何か私のマンガから伝わることがあるとすれば、その逡巡させるものそのものなのではないかという気すらしている。


「誠を尽す」ということと「対話」

 最後に、筆者なりに大切にしたいと思うことを述べたい。

 親鸞は主著である『教行信証』の中で、善導の『往生礼讃』を引用し、


[原文]自信教人信難中転更難 大悲弘普化真成報仏恩※8

[現代語訳]自ら信じ、人に教えて信じさせることは、難しい中にもなお難しい。しかし、仏の大悲はどこまでも弘がっていき、すべてのものを教化してくださる。真に私たちはその仏恩を報じていくほかないのである※9


と述べている。「自信教人信」ということが、念仏者のあるべき姿勢として受けとめられている。自ら念仏の教えを信ずると同時に、他者にもこれを教えていくことが、仏への報恩になると語られる。

 僧侶・哲学者の清沢満之が「真宗大学開校の辞」の中で、「自信教人信」について次のように述べていることを知った※10


本願他力の宗義に基きまして…中略…自信教人信の誠を尽すべき人物を養成するのが本学の特質であります※11


 清沢は「自信教人信」に「誠を尽す」という言葉をそえている。ここに私たちが受け取るべき大切なメッセージがある。本願他力の宗義に触れて、書こうとする自分の言葉や表現が誠であるかどうか、問い尋ねるということが大切なのではないだろうか。誠を尽くそうとすること。もちろん、その誠の内実を尋ねていくことも同時に必要であろう。

 しかし、誠を尽くすといっても、私たちが一人でそれを成し遂げることは難しい。大切なのは、作者が批判を嫌わないということである。批判を厭わずに、対話・議論をすることだと思う。もちろんそこにおいては、謙虚に「法(教え)」を問い尋ねるという姿勢を大切にしなければならない。

 ある鼎談の中で、『キリスト新聞』編集長の松谷信司が、キリスト教に関するマンガが描かれることについて、


それが全部正しいか正しくないかは別として、でもサブカルからそういう見られ方をしているということを知り、キリスト教の本家本元としてはこういう解釈だし、ここはこうだよねみたいな対話をすればいいんであって、全否定をする必要もない※12


と指摘していることには頷かされる。宗教に関わる表現への批判を恐れるあまりに萎縮することの中にも、また別の問題があるのだろう。マンガをきっかけとしてコミュニケーションをすることが大事なのではないか。批評・批判を許す空間を持つこと。マンガをきっかけに、対話し合える場、批判や異論があったとしても、そこから共に議論し、聞思し、聴聞する場を開いていくことが大切なのではないか。仏教に関するマンガを批評し合ったり、受けとめを確かめ合ったりする場所を持つことである。

 浄土真宗の法座には、伝統的に座談という時間がある。説法を聞いて終わるのではなくて、聴者も、お互いに説法に対する理解を語り合い、自らの信仰を披瀝し、質疑する機会を持つのだ。聞いた教えの受けとめを確かめ合うという時間が大切にされてきた。一人合点していたということが、他人に話すことで初めて知らされるのである。そうして一人合点して、我がものとして教えを握りしめようとする自分だからこそ、誰かと教えを共有したり、あるいは間違って解釈しているところをときに正してもらったり、疑問を他者と共有したりすることが大事なのである。仏教を題材としたマンガを通して、そうした場を開くことこそが大切なのではないだろうか。

《注釈》

※1釈徹宗、ナセル永野「『スラムダンク』を読むとイスラームがわかる!?」、渡邊直樹編『宗教と現代がわかる本 2014』平凡社、2014年、p.182。
※2withnews、“武田砂鉄さんと考える『わかりやすい記事の罪』コロナショック後『PV狙いの記事』は生き残れるのか”、2020年08月19日。
※3井上順孝、塚田穂高、藤井修平 「宗教、宗教団体によるマンガの特徴は何か?」、渡邊直樹編『宗教と現代がわかる本2015』、平凡社、2015年、p.152。
※4マンガの良い面でもあり、同時に注意しなければいけない面とは、例えば「ものごとを単純化し、デフォルメして伝えることができるところ」である。作者の恣意によって単純化もできてしまうことが、マンガを描く際に警戒しなくてはならない点の一つだと考える。
※5千葉雅也、Twitter(現X)、2021年6月15日。
※6綿野恵太『「逆張り」の研究』、筑摩書房、2023年、p.112。
※7この点に関して、本多弘之氏の論考に示唆を受けた。本多弘之『浄土 その解体と再構築「濁世を超えて、濁世に立つ」Ⅰ』、樹心社、2007年、pp.167-168。
※8親鸞『教行信証』、教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典全書』Ⅱ、本願寺出版社、2011年、p.101。
※9真宗大谷派教学研究所『解読教行信証』上巻、東本願寺出版、2012年、p.252。
※10寺川俊昭「教化のめざすもの―信心の共同体の現前を求めて―」、『真宗教学研究』第25号、pp.21-22。
※11大谷大学編『清沢満之全集』第7巻、岩波書店、2003年、p.364。
※12吉村昇洋、松谷信司、ナセル永野「マンガも宗教も、めちゃめちゃおもしろい」、渡邊直樹編『宗教と現代がわかる本 2015』、平凡社、2015年、p.64。

(こんどうまる・浄土真宗本願寺派僧侶、漫画家)

本名 近藤 義行。著書に、『ヤンキーと住職』(KADOKAWA、2023)など。

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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」

漫画

親鸞仏教センター嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。

 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。

 では、現代の日本において、南無阿弥陀仏はどのような場面で使われ、どのように理解されているのだろうか。ここでは、日本のポップ・カルチャーの代表である「漫画」を取り上げ、一般的な日本人にとって、南無阿弥陀仏とは何であるのかを考えてみたい(ただし、仏教的なものが直接のテーマとなっている漫画は、すでに論じているものがあるため、ここでは敢えて取り上げなかった)。

 筆者の管見に入った南無阿弥陀仏の用例は、以下の6種に大別される。 なお、漫画は煩を避けるために、関連するものを1つずつ挙げるに留めた。

A、キャラ付け

金城宗幸/ノ村優介『ブルーロック』(講談社)

  主人公のチームメイト・五十嵐栗夢(いがらし ぐりむ)は、寺の息子という設定。このように、登場人物の特徴を際立たせるために、(何の脈絡もなく)南無阿弥陀仏が使われることがある。

B、弔いの言葉として

鳥山明『ドラゴンボール』(集英社)

 敵のロボットの首を吹き飛ばしてしまい、手を合わせる主人公の孫悟空(そん ごくう)。

C、呪文として

うすた京介『ピューと吹く!ジャガー』(集英社)

 クリスマスの夜に現れた幽霊に対して、「ナムアミダブツ」を連呼するピヨ彦。それによって、幽霊が消滅しかけている。このようなシーンにおける南無阿弥陀仏は、何の効果も発揮しないことが多い。そのため、この描写は、極めて例外的なものであると言える。

D、危機的な状況における祈りの言葉として

アジチカ/梅村真也/フクイタクミ『終末のワルキューレ』(コアミックス)

 神々と人類との最終闘争(ラグナロク)が始まるシーンで、必死に念仏を唱える僧侶。

 このようなシーンの念仏は、何の効果も発揮しない「虚しい祈り」である場合が多い。

E、他者を攻撃する(殺す)際の言葉として

手塚治虫『シュマリ』(小学館)

 登場人物の1人である十兵衛(じゅうべえ)は、敵の腕を切り落とす際に「ナムアミダブツ」と呟く。

 このような念仏には、相手への弔い、または贖罪の意味が籠められていると思われる。

F、その他

オダトモヒト『古見さんは、コミュ症です。』(小学館)

 主人公の弟・古見笑介が、米粒に南無阿弥陀仏を書き入れるシーン。なぜ、南無阿弥陀仏なのかは、よくわからない。

 以上のように、南無阿弥陀仏は様々な文脈の中に登場する。

 ただ、法然や親鸞の思想に沿った用例は皆無であり、それどころか、往生や成仏を願うという例も、ほぼ見られない。むしろ、現代日本において南無阿弥陀仏という言葉には、特定の宗派性を越えた仏教的(宗教的)表象という役割が、与えられているように思われる。
 一方、近年の漫画ほど、南無阿弥陀仏を漢字で表記する傾向が強いように感じられる。最早、仮名の表記では、南無阿弥陀仏は宗教的表現として十分に機能しないと、見られるようになっているのかもしれない。現代の日本において南無阿弥陀仏は、仏教性や宗教性を表わすフレーズとして、確固たる地位を占めているように見えるが、それが今後も続くという保証は、どこにも無いのである。そのことを我々は、確かめておくべきであろう。

 最後になったが、南無阿弥陀仏が出てくる漫画は、明治大学の学生諸君から教えてもらったものが多い。この場を借りて御礼申し上げる。

(2022年9月9日)

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繁田
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」 親鸞仏教センター嘱託研究員 繁田 真爾 (SHIGETA Shinji)  2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。    実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。    展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。    現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。    「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。    だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。    それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。   (2024年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」
今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi)  西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。   真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。 (『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)    現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。    キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。   軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。 (八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)    八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。   ①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。    曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。    強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。   ②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。    S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。   ③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。    衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。   ④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。    私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。    「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。   ⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。    長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。    私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。    私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。    「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。 (2024年元日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる) (「正信偈」『聖典』206頁)  「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。  その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。  では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。  梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。  そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。  これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。  さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。  すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。  彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。  その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。  しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。  侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。  ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。  また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。  この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。  では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。  梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。  武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。  ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。  その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。  悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。 最近の投稿を読む...

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: