親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第186回「人生、なるようにしか……」

法隆誠幸

親鸞仏教センター嘱託研究員

法隆 誠幸

(HORYU Tomoyuki)

 近々開催される「同窓会」の準備をきっかけに、高校のときの同級生たちと、最近、ちょくちょく会うようになった。卒業以来一度も会っていなかった友人とは、およそ30年ぶりの再会になる。ふくよかになった者!?薄くなった者!?あるいは一見変わっていないけれども、しかし確実に年を重ねてきた同級生たちの外形、その風貌(ふうぼう)の変化に、月並みだけれども、いつの間にか過ぎ去ってしまった時間の長さを想う。

 そういう歳に私もなったということだろうか。このたびの再会は何より、「顧みれば、あっという間の人生だった」といつか、でも、必ずや訪れるであろう未来の心境をかすかに、しかしリアルに感じさせてくれる機縁でもあった。


 「今、何しているの?」。次々に思い起こされてくる、高校時代の懐かしい話をはさみながら、お互いの近況を聞いていると、その人が現に醸し出している雰囲気がじつにそれらしくて興味深かった。「職業オーラ」とでも言おうか、例えば公務員には公務員の、経営者には経営者の、そして業界人にはその業界の人ならではのオーラが感じられる。ひとつの仕事に打ち込み、続けていくということは、その仕事に宿る精神性のようなものが知らず知らずのうちに、その人に流れ込み、染み込んでいく。人とは生来、絶えず環境の影響を受けながら創られ続けていく、そんな不確かな存在なのかもしれない。


 それはさておき、今年で50周年を迎えるという同窓会だが、これまでに参加したことがある同級生は私も含めて誰もいなかったのである。ただ一人、Kを除いては……。

彼は高校時代、体育会系の部のキャプテンをしていたのだが、その部のひとつ上の先輩を通じて昨年の同窓会に、どうやら半ば強制的に呼び出された!?否、すこぶる丁重にお声がけいただき、初めて参加することになったらしい。しかし、いざ会場に足を運んでみると、目の前には名前も顔も知らない方々ばかり。自分よりひと回りもふた回りも年上と思(おぼ)しき大先輩もいる。その数260名ほどというから、随分盛大な会だったようだ。その何とも言いがたい雰囲気の中でKが、変に緊張しながら、はずまない会話に苦慮し、なかなか過ぎていかない時間を過ごしたであろうことは容易に想像できる。

 そうしてようやく会も終盤に差しかかったころ、Kの嫌な予感が的中することになる。というのも、これまで同窓会の企画・運営は輪番制で行われてきた。つまり、次年度の同窓会一切を取り仕切る当番幹事の任はひとつ下の、すなわち次の学年へと例外なく引き継がれてきたのである。それゆえ、今年度私たちの代に当番幹事が回ってくることは、高校を卒業した時点で必然であった。

 「じゃあ、K、来年の幹事長頼むね!」という、悪意なき先輩の言葉を聞いたその瞬間、「はめられた!」と彼が思ったかどうかは定かではないが、いずれにせよ一緒に汗を流した部活動における先輩後輩の青春の絆は、かくも強固で揺るぎないものらしい。卒業しても社会人になっても続く、不滅の“縦”関係である。ふと気がついてみたら、会場に集まった同窓生皆さん方の熱い視線を浴びながら、“次年度の当番幹事長”という、突如降って湧いた「肩書」でKは引き継ぎの挨拶(あいさつ)、決意表明をしていたのである。


 このあまりに不条理な?話を酒の肴(さかな)に、私たち同級生は酔いが進むにつれて、高校時代に戻ったかのように「同情するっ(笑)」とか、「人生そんなもん(笑)」とか、まったく気持ちのこもっていない言葉をかけつつ無責任にも盛り上がっていたのだが、かつてキャプテンを勤め上げたKは、今でも変わらずキャプテンのままだった。Kは謙虚に、そして気づかれないように、あたかも当時の部員のごとく空騒ぎしている私たち同級生一人ひとりの首に「幹事」という名の“鈴”をつけていたのである。

 けっして愚痴ることのない、ひとつの信念に満ちたようなこのKの姿を見て、私は頭が下がるとともに「なるようにしかならぬだろうが、なるようには必ずなる。その成ったところに全生命を打ち込む。それを正定聚というのである」(至徳院法語)という、とある先達が遺(のこ)したとされる法語を思い出していた。


 でも、みんながみずから進んで“鈴”をつけてもらっていたように見えたのは気のせいではないだろう。「同窓会」を縁として久しぶりに再会した私たちは、茶化し合いながらも、今も変わらずお互いに信頼しあえる関係だったことをしみじみと感じて、みんな、喜んでいたのだから。

(2018年11月1日)

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「親鸞仏教センター通信」第64号

法隆誠幸 掲載Contents

巻頭言

戸次 顕彰 「宗教を具体的に生きていくということ」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「大悲を行じて生きる」

報告 越部 良一

■ 第57回現代と親鸞の研究会報告

講師 山根 道公 「遠藤周作と井上洋治の思索―現代日本人に南無の心に生きる喜びと平安を届けるために―」

報告 青柳 英司

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト

講師 三木 彰円 「『教行信証』研究をめぐる諸課題」

報告 藤原  智

■ BOOK OF THE YEAR 2017

●『海遊記—義浄西征伝—』(仁木英之著)

紹介者 戸次 顕彰

●『信仰についての対話Ⅰ・Ⅱ』(安田理深著)

紹介者 越部 良一

●『『責任と判断』(ハンナ・アレント著、ジェローム・コーン=編、中山 元=訳)

紹介者 田村 晃徳

●『人間の居場所』(田原 牧著)

紹介者 法隆 誠幸

●『『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著)

紹介者 大谷 一郎

●『親鸞で考える—相模原殺傷事件』(芹沢俊介講述)

紹介者 中津  功

●『沈黙』(遠藤周作著)

紹介者 菊池 弘宣

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

長谷川琢哉 「南江堂」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第176回「自分との対話」

法隆誠幸

親鸞仏教センター嘱託研究員

法隆 誠幸

(HOHRYU Tomoyuki)

 先日、よく知る税理士の方から、ある図書館が閉館したという話を聞いた。その図書館とは、子どもたちが本をいつでも自由に手に取って読めるようにと、お寺が施設内の一部を開放していた、いわゆる「子ども図書館」である。様々な事情が複層的に関係しているようで詳細は不明だが、何年かぶりに入った税務調査も関係しているという。


「それにしてもお寺というものをわかっていないよね」


 一体、税理士の方が誰に対し、何を想いながらそのようなことを言ったのかはわからないが、その場の私は「そうですね」とだけ応じて、頭の中ではしばらく前に妻から聞いた、一人の少女の話を思い出していた。


 小学生だったとき――彼女は、私が預かっているお寺の子ども会によく参加してくれていた。確か、管理職としてフルタイムで働く母親と二人暮らしだったと思う。おだやかな性格で、口数は決して多くはなかったが、「よく来たね」と声を掛けると、はにかみながらほんの少し頭を下げてくれる、そういう少女だった。しかし、中学に進学して勉強や部活動が忙しくなったからなのか、夏を迎えるころにはすっかりお寺に顔を見せなくなっていた。その彼女が秋の、ある日の子ども会にふらっと顔を出したのだ。朝から弱い雨が降りつづく、薄暗くなり始めた夕方のことだった。


「今日は子ども会じゃなくて……。本、読んでいっていいですか?」


「久しぶりだね、どうした?」と聞いた妻にそれだけ言って、彼女は、乳幼児向けの絵本から中学生向けの物語、歴史関係の本などが並べてある本棚からおもむろに一冊を取り出し、カーペットに座り読み始めたそうだ。案の定、遊んでもらえそうな相手を見つけたとばかりに、低学年組は「ねえ、ねえ!」と話しかけていたようだ。

 実は彼女の家も、通っている学校も駅の向こう側、お寺とは逆方向にある。近くには広くて新しい図書館だってある。カフェや公園が併設された、ファッション誌やマンガ本なんかも置いている、充実した設備の図書館だ。そこに行けば、はしゃぐ子どもたちの声はもちろん、誰かに話しかけられるということもないはずなのに。


「きっと、居場所がなかったんだよね」


 その場にいなかった私だが、妻のその言葉には同感だった。「家か学校で何かあったみたい。いつもの感じじゃなくて……。読んでいるようで、読んでいなかったんだよ、本」「それで、何か声を掛けたの?」「ううん、何も言わなかった。でも、最後に『ありがとうございました』って言って、帰っていったよ」


 何をするということもなく、ただ傍らにいる子どもたちを見ながらお寺で過ごした時間は、彼女にとってどのようなものだったのだろう。やり場のない気持ちの自分と、彼女は何を話したのだろうか。


「『また来ます』って言っていたから……お寺、頑張らないとね」


 無邪気な子どもたちに声を掛けられた、ためらいながら、無理に微笑みを浮かべている、そんな少し大人になった彼女の姿が思い浮かんだ。

(2018年1月1日)

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今との出会い 第166回「独り立つ「人」」

法隆誠幸

親鸞仏教センター嘱託研究員

法隆 誠幸

(HOHRYU Tomoyuki)

 いつからなのだろう、何ごとも効率よく合理的にという価値観が社会を席巻(けん)するようになったのは。いまは人の生き死に及ぶまでも、その流れに飲み込まれようとしている。確かに現代は、以前よりもずっと短時間により多くのことをこなせるようになった。その反面、とかくすべてのことが慌ただしく、ことに、都市的な生活との距離が近くなるほど、人はいつも何かに追い立てられているように、せかせかし、イライラして生きている。そればかりか、他人に対しては冷淡で、人は自分の関心事だけを追求するようになった、とも言われる。注意深く眺めると、人と人とが分断されていく仕組みが社会のあらゆるところに配され、それを巧みに利用しながら経済が回っていることに気づく。しかし人は、その「人」という字の成り立ちの意味においても、不安定な状態にあると不機嫌になるようだ。


 誰のものでもない、私の人生なのだから、それをより充実させ満足させるためには、他のことなど構ってはいられない。面倒なものは切り捨てて、一度きりの人生を、動けるうちに、最大限に楽しまなければいけない。それが私の、人生の目的である。最近は、そういう価値観が世代を問わず強くなっているようにも見受けられる。


 思うに、「生きる」ことは働くということである。古来より人びとは、生きるために、日常の時間の大部分を労働につぎ込んできた。それは、けして外に出て働くことを意味するものではない。だから、定年退職などという概念はそこには存在しないし、逆から言えば、何気ない日常のなかで行われているすべてのことが、じつは労働であり、そのことに支払われる対価など本来なかったはずなのである。その最たるものが家事ではなかろうか。家事は、「家の事」と書く。それゆえその内容は多岐にわたり、それらの行為自体は基本的には老若男女の差もないものである。すなわち、自分が住む空間を掃除し、自分の使ったトイレをきれいにすること。あるいは庭の草をむしり、アイロンをかけること。そして人生において培った何かを、人間としての営み、人類の歴史を次の世代に伝えるということ。そういうことをも含む日常のすべてが「生きる」こと、つまり人間としての本来の労働なのである。しかしこのような、いわゆる「家の事」を労働とみなさず、金になることだけを労働とみなしてきた、もっと端的に言えば、いかにお金を儲(もう)けるかということばかりに腐心してきたことに、現代の、心さえも慌ただしくなった大きな要因があると私は思う。


 人は独りで生まれ、独り死んでいく。しかし、そこには家族や仲間と集い、何より生活していくということがある。ときおり「独立した人」という言葉を耳にするが、その真意は自分が住む空間を掃除し、自分の使ったトイレをきれいにすることを含め、「独り立つ『人』」になるということではなかったか。何ごとも効率よく合理的にという、単純な価値観にのみ動かされて生きがちな私たち一人ひとりが、もう少し丁寧に自分自身の人生を「生きる」ことを考える。それができて初めて、人びとの価値観は多様化し、労働の本当の意味もわかるのではないだろうか。労働とは、人間としての精神性を育み、また回復させる行為でもある。そして、そのことに思いが至るならば、そのことがもつ意味はあまりに大きい。なぜなら、ホワイトカラーの人びとで占拠される富が、いかに虚構のものであるのかを知ることでもあるからだ。


 人は独りでは生きてはいけない。しかし、一人ひとりが真の意味で独立者として生きること。そこに人生の深さと豊かさが与えられる。そのように私は感じている。

(2017年3月1日)

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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
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今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。...
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今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto)  8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。...

著者別アーカイブ

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「親鸞仏教センター通信」第56号

法隆誠幸 掲載Contents

巻頭言

中村 玲太 「われに帰る」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「苦悩の場所で光に遇う」

報告 越部 良一

■ BOOK OF THE YEAR 2016

●『原爆供養塔――忘れられた遺骨の70年』(堀川惠子著)

紹介者 藤原  智

●『親鸞と学的精神』(今村仁司著)

紹介者 名和 達宣

●『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命――』(入不二基義著)

紹介者 中村 玲太

●『知性の構造』(西部邁著)

紹介者 越部 良一

●『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(小澤征爾、村上春樹著 )

紹介者 田村 晃徳

●『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(小熊英二著)

紹介者 法隆 誠幸

●『経済の時代の終焉』(井手英策著)

紹介者 大谷 一郎

●『沙門空海』(渡辺照宏・宮坂宥勝著)

紹介者 大澤 絢子

●『曽我量深先生の言葉』(津曲淳三編)

紹介者 中津  功

●『昭和史のかたち』(保阪正康著)

紹介者 金石 励成

●『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介著)

紹介者 松扉  達

●『ちいさなちいさな王様』(アクセル ハッケ著)

紹介者 大谷  綾

●『希望のつくりかた』(玄田有史著)

紹介者 田鶴浦 裕

■ 清沢満之研究会報告

名和 達宣 「清沢満之における「儒家的なもの」―『臘扇記』を読む Vol. 3 ―」

■ 『西方指南抄』研究会報告

講師 花野 充道 「天台本覚思想と親鸞」

報告 中村 玲太

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「善導大師の銘文(1)」

■ 第14回親鸞仏教センター研究交流サロン報告

提題 納富 信留 「「対話」とは何か――哲学から現代社会への問いかけ――」

討議 暉峻 淑子(コメンテーター)

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

藤原  智 「山王台」

コラム・エッセイ
講座・イベント
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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『アンジャリ』第24号

法隆誠幸 掲載Contents

『アンジャリ』第24

(2012年12月)

■ Contents

佐野 章二 「問題の当事者が問題解決の担い手になる――ホームレス問題へのビッグイシュー日本の試み」

稲場 圭信 「東日本大震災を経ての宗教的利他主義」

渥美 由喜 「イクメンから始まる市民の三面性」

河北 秀也 「いよいよ始まる本来のデザイン」

山浦 玄嗣 「聖書における「祈り」の意味」

岩田 文昭 「近角常観の哲学とその活動」

小坂井敏晶 「近代社会の原罪」

■ 連載
■ 巻末コラム

法隆 誠幸 「木に育てられる」

※一部のコンテンツは無料でPDF版をご覧いただけます(タイトルをCLICK)

コラム・エッセイ
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研究会・Interview
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「親鸞仏教センター通信」第42回

法隆誠幸 掲載Contents

巻頭言

春近  敬 「批判される「感情的」言説」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「宿業因縁の命の自覚」

報告 越部 良一

■ 第41回現代と親鸞の研究会報告

講師 亀山 郁夫 「黙過する「神」―ドストエフスキー『悪霊』の世界―」

報告 田村 晃徳

■ 『唯信鈔文意』試訳

法隆 誠幸

■ 清沢満之研究会報告

講師 吉永 進一 「明治の仏教青年―新しい仏教運動への道―」

報告 春近  敬

コラム・エッセイ
講座・イベント
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研究会・Interview
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『アンジャリ』第14号

法隆誠幸 掲載Contents

『アンジャリ』第14号

(2007年12月)

■ Contents

小森 陽一 「現代社会と差別」

藤井 美和 「生と死を受け止めなおす―死生学の立場から―」

齋藤  誠 「望ましい円相場とは?」

矢津田義則 「轆轤の回転は気流を生むか―陶芸家的省察―」

羽矢 辰夫 「ゴータマ・ブッダの思想の現代性」

松田 忠義 「真宗人として歩んだ医師の道」

秦  恒平 「死なれて・死なせて、死ぬとき」

■ 連載
■ 巻末コラム

法隆 誠幸 「「一人」の独立―親鸞の声―」

※一部のコンテンツは無料でPDF版をご覧いただけます(タイトルをCLICK)

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