親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

法蔵菩薩

 そもそも仏法の課題は、流転の苦悩を超脱するところにある。言い換えれば、生死の迷いを超克するのである。この目的を達成すべく求道するところに、仏道が存立してきたのである。

 これは衆生の普遍的苦悩である四苦八苦の生存を出離することである。その出離生死の課題を独り超え出るのみでなく、衆生と共に歩み続けようという方向に、如来の願心を聞き当ててきたのが大乗仏道の歩みであった。その思想の依り処となったものが、如来の入滅を前になされた涅槃説法であり、そこから『涅槃経』が編み出されてきたとされる。

 その涅槃説法に「法を灯火として歩め」という語があり、その「法」(ダルマ)を尋ね当てようとする求道の思索が深められ、多くの大乗経典が生まれてきたのであろう。その「法」という根源から、あたかも泉からこんこんと水が湧き出るがごとく、無量の教言が生み出されてきたわけである。それによって、「法」の根底に大悲の願心が存する、とされるのであると思う。

 法蔵大悲の願心は、一切衆生に呼びかけんがために、「五劫思惟」という思案を通して本願の箇条を案出された。そして、その願心成就としての国土へと一切衆生を招喚するわけである。その国土の中心課題が、一切衆生に「大涅槃を証させる」というところにある、と親鸞はみられた。もちろん、そのことは曇鸞の第十一願への着眼があったからである。

 「涅槃」とは、大乗の『涅槃経』において解明されてくるように、単に生が尽きるという意味ではない。もともとは、釈尊の個人的入滅が、生死の苦悩を完全に滅した状態として、「ニルヴァーナ」(滅度・涅槃)に入った、とされた。それが言葉の語源的意味ではあろうが、大乗の『涅槃経』においては、その涅槃が、仏性(衆生の普遍的な仏への可能性)としても論じられ、さらに法性とか真如とも同義とされ、「法」として無為法を表すことともされた。それが同時に、「如来」でもあるとされてもいる。

 生死を超えるという課題は、その解決が生命の終焉にあるという理解では、生きて仏道を求める衆生に対して説得力をもたない。しかし、いかに求めて歩んでみても、生死流転を超え出る自覚は得がたいものである。それゆえに、大悲の願心は、法蔵願心の第十一願において、仏法の至極たる「証大涅槃」を、願心の国土に生まれるものの平等の利益であるとするのである。だがその平等には、利益を受け取るべき条件は付かないのであろうか。

(2022年12月1日)

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第232回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」③

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

法蔵菩薩

 諸仏国土の共通の善根には、阿弥陀の一切衆生を救済せずにはおかない誓願が響いている。一切衆生の無上仏道への道筋が、阿弥陀の誓願によって、平等の大道として開示されているからである。大道であるからには、衆生の条件や状況を問わず、苦悩の有情(諸有として現実に存在している生存者)がある限り、平等に歩むことができる道でなければならない。その一切衆生に平等に呼びかける方法が、「諸有の衆生が名を聞く」(聞名)という方向性において開示されているのである。

 名とは一般的には言葉であり、いわゆる名詞である。本願において呼びかける名は、単なる名詞でなく、「聞かれるべき名」として、救われるべき衆生に対し、救い得るはたらきを内に蓄えている願心の言葉である。その言葉としての名の意味が衆生に聞き届けられるとき、名の具足する意味がはたらいて、衆生に本願の功徳が施与されるのである。本願の名は単に固有のものを指す名詞ではなく、本願によって「名が行である」とされる所以なのである。

 こういうことであるから、「名」が本願の選択摂取した「行」であるということには、名の意味が衆生によって聞き届けられる必要がある。そこに、親鸞が「行・信」という課題を展開された意味があるのである。すなわち、本願の誓う行とは、有縁の衆生が自分の意欲で行う行為という意味ではなく、諸仏によって平等に讃嘆される名となった行であるとされているのである。そのことをしっかりと聞いて信じ受け止めることが、衆生の救われる条件として待たれているのである。

 天親菩薩は『浄土論』に、この本願の聞名の道理を菩薩道の道理として展開している。『無量寿経』にある法蔵願心の因果の道理を、『浄土論』における菩提心の因果に照らし合わせると、どうなるのであろうか。『浄土論』では、菩薩道の五念門(自利・利他)は、利他の「回向門」において極点に達する。このことを、論主は「回向を首として大悲心を成就するを得るがゆえに」(「回向為首得成就大悲心故」)と述べている。

 この回向の因果の展開に、浄土を建立するという『無量寿経』の展開を差し挟むわけだが、それはどういう意味なのであろうか。ここに実は、曇鸞の『論註』の解釈において、回向には、「往相・還相」の二回向という菩提心の方向性を表すが如き言葉が出される必然性がある。この回向を往還の「二回向」に展開するという曇鸞の了解をくぐって、本願の仏道を「行・信・証」として解明することができると気づかれたのが、親鸞であった。こういう次第で、親鸞の『教行信証』の著述が誕生したのである。この天親の語る菩薩道は、『無量寿経』に照らせば、法蔵願心の菩提心の展開であり、その回向成就は、阿弥陀の大悲の回向成就であるというのである。

(2022年11月1日)

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