親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第172回 「劉暁波氏の訃報にふれて思うこと」

民主主義

親鸞仏教センター嘱託研究員

大谷 一郎

(OTANI Ichiro)

 先日、中国のノーベル平和賞受賞者の劉暁波(りゅう ぎょうは〔1955-2017〕)氏が亡くなったというニュースを聞いた。劉氏は1989年の天安門事件を主導したリーダーの一人だ。その後、民主化をとなえる多くのリーダーは海外に逃れたが、劉氏は中国国内に留まり、当局からの拘束や監視を受けながらも活動し続けた。その後、2008年に中国共産党一党支配を批判し、直接選挙や三権分立を訴える「08憲章」を発表した。しかし、このことを理由に国家と政権の転覆をあおった罪で懲役11年の判決を受け収監されてしまう。その後、2010年にノーベル平和賞を受賞するが、授賞式に出席することを中国政府が認めず、そして、今年の6月に末期がんであることが公表され、7月13日に61歳で亡くなった。


 ノーベル賞の式典では、劉氏が2009年の判決を前に記した文章が読み上げられた。そのタイトルは「私には敵はいない」である。


「私には敵はいないし、うらみもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、みな、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。うらみは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ。私は、最大の善意をもって政権の敵意と向き合い、愛をもって憎しみをやわらげたいと願っている」(筆者抜粋)


 中国政府が一番恐れたのは、この静かな非暴力の姿勢だろう。暴力をもって体制に楯突(たてつ)けば相手に大義名分を与えることになる。誰も責めることなく自らの信念を静かに主張することは、当局にとって非常に恐ろしいことなのだ。


 中国政府は、劉氏のノーベル賞受賞もその死も一切国民に知らせないように情報統制している。中国政府が最も恐れているのは天安門事件のような民主化運動が再燃し、現体制が揺らぐことだろう。天安門事件は、中国共産党が最も消し去りたい過去なのである。


 このニュースに触れて思い出した物語がある。1949年に発表されたジョージ・オーウェルの『一九八四年』である。〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する全体主義近未来。真理省記録局に勤務する党員ウィンストン・スミスは歴史の改竄(かいざん)が仕事である。


「この間断ない改変作業の対象は新聞だけに留まらない。それは、書籍、定期刊行物、パンフレット、ポスター、ちらし、映画、サウンドトラック、漫画、写真類から、政治的な或いはイデオロギー上の意味を含んでいるかもしれないと危惧されるあらゆる種類の文献、文書にまで及んでいた。日ごとに、そして分刻みといった具合で、過去は現在の状況に合致するように変えられる・・・。」(本文から)


 この物語は、当時のソビエトの政治状況をモチーフにしているともとれるが、なにか中国の現状を言い当てているようにも思える。


 翻(ひるがえ)って今の日本はどうか。自衛隊の日報問題や森友、加計学園の問題などを見ていると、政府にとって都合の悪い資料は処分し、現実にあったことをなかったことにしようとする動きがないとは言えないだろう。事実の改竄が実際に行われているのかもしれない。


 敗戦後、アメリカの民主主義、自由主義の思想が日本に導入されてから72年が経ち、戦後生まれが国民の80%を超えた現在、その価値観は私たちにとって、空気のように当たり前になっている。民主主義の基本は、個人が自分の意見を自由に発信でき、そして、皆がそれを尊重することにあると思う。そのときに大切なのは、客観的事実を事実として受け入れて、自分の頭で丁寧に思考し続けようとするひとりひとりの態度なのではないだろうか。考えることを放棄するとどうなるかは歴史を見れば明らかである。

(2017年9月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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投稿者:shinran-bc 投稿日時: