親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Interview 第6回 與那覇潤氏「『中国化』と『江戸時代化』から日本社会を読み解く」後編

春近敬

愛知県立大学文学部准教授

與那覇 潤

(YONAHA Jun)

Introduction

 近代日本の歩みは、しばしば西洋の文明をどのように受け入れたかという「西洋化」の文脈で語られる。これに対して、『中国化する日本』(文藝春秋)の著者である愛知県立大学准教授(日本近現代史)の與那覇潤氏は、むしろ「中国化」という概念から近代を読み解こうとする。

 明治以降の日本社会は「中国化」する動きと、再び「江戸時代化」しようとする動きの間で揺れ続けているのであり、現代の社会もなお、この構図の中にあるのだという。そのような日本の近代化は、今日の私たちにどのような影響を与え続けているのだろうか。お話をうかがった。

(春近 敬)


【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

――明治の精神性を語るうえで、いわゆる「煩悶青年」と呼ばれるような、大学で高い教育を受けながらも現状に苦悩する若者たちの存在が重要な役割を果たします。近代仏教は、煩悶青年たちの一つの受け皿でもありました。

 

與那覇 煩悶青年とは、いまふうにいうと「こじらせ系」ないし「意識高い系」で、「空気の読めない人」ですね (笑)。世の中はこんなものなのだから、と割り切れない人たちです。こう言うと個人の性格の問題みたいになってしまいますが、どの程度の割合の人がそうなるのかは、経済のパフォーマンスや政治の安定性にも、左右されるところがあると思います。

 特に日本の場合、もともとが教典(明文化されたルール)のない社会でしたから、個人がことばで理屈を言う時点で、周囲から浮いてしまうところがある。少々不満があっても、何だかんだで日本社会はうまく回っているんだと思える状況なら、理屈を言わない人の方が多い。逆にどうみてもこの社会はおかしい、納得できないという風潮が広まれば、理屈に走る人が増える。煩悶青年は後者の代表例ですね。

 中国も西洋も、理屈をコアに置く社会という点では重なるところがあります。儒教国家では儒教の論理や経典が国の裏づけとしてあったし、アメリカ人は今日でも聖書や建国神話のテキストを活かして、ことばで秩序をつくっていますから。ところが日本においては江戸時代以来、理屈で秩序をつくろうという人はつねに少数派でした。

 そこに帝国大学という形で、いわば「科挙エリートの日本版」のような理屈ばかり達者な若者に、有為の人材というプライドを与えて一定人数をプールする装置を導入した。そんなところに通えば煩悶するのはあたりまえのことで、問題は彼らのエネルギーを、いかに社会のためになる方向へ振り向けるかでしょうね。

 

――理屈で秩序を立てるべきか否かということについて、ご著書で石山合戦に言及されていたかと思います。そのあたりについてもお聞かせください。

 

與那覇 理屈、ないしことばで秩序をつくるメリットのひとつは、居住地にとらわれなくなるということです。近年の研究では「野蛮な支配者である戦国大名と、虐げられた民衆の抵抗である一向一揆」といった単純な構図は放棄され、一向一揆というものも一つの権力体として捉えられています。だから石山合戦も、別に「反体制運動の弾圧」などではなく支配権をめぐる闘争ですが、しかしそれでも織田信長と本願寺には違う点がある。信長型の権力とは属地的なもので、大名が支配している領土にしか及ばないわけですが、一向一揆は信仰と教典にもとづく権力だから、離れた土地の信徒からも支援が受けられる。

 明確な教典なしに空気だけで統治するやり方は、普遍性という点で弱みがあるのですね。教典のない慣習だけの宗教では「このムラのしきたりはこうです」とか、「この地域の人はこの山を拝みます」というかたちにとどまって、世界普遍的な創唱宗教にはならないように。つまり教典をもった権力のほうが、その場に一緒にいない人々にも訴えかける力をもつという強みはある。

 織田信長が石山合戦で、本願寺の持っていた「理念で秩序をつくる」可能性を潰したことが、結果的に「それぞれの地元で、理屈を言わずに空気を読みあって暮らす社会」としての江戸時代を準備した側面は大きい。確かにそれは、徳川時代に二世紀間を超えて機能したのですが、19世紀半ばの危機に対応できずに崩壊したわけです。

 

 ――この考え方から、現代の状況をどのように見ることが可能でしょうか。

 

 日本人には「四の五の理屈をこねずに、万事なぁなぁでやりたい」という江戸時代的な選択肢が、常に目の前にちらつきます。前近代に対するノスタルジアは近代社会に共通の現象ですが、徳川日本のように本当に「理屈なし」であそこまでまとまった社会は、世界的にも珍しい。

 そのせいで、「あそこに逃げ込めば大丈夫なはずだ」という発想がいつまでも抜けません。いまでも理屈をこねる人を「KY」として忌避する風潮があるのは、その表れですよ。お前なんかがごちゃごちゃ言うから、ぼくたちの平穏な日常が損なわれるんじゃないかと思っている人は、どんな組織にも多い。

 

――かつての成功体験が忘れられない、ということでしょうか。

 

 そう思います。しかし江戸時代の社会は誰かが設計図を描いてデザインしたというより、いわばなし崩し的に帰着した形なので、後から意図的に「取り戻す」のには無理がある。ところが、それがあまりにも居心地がよかったので、そういう選択が可能だと思い込んでしまうのです。諦め切れていません。

 理屈のないことで安定していた社会を、「理屈をこねて取り戻す」という矛盾した試みは、ファナティシズムに陥る危険性が高いと思います。戦前の農本主義がまさにそうでした。日本には理屈をいわなくてもおのずとまとまる社会があったのに、近代化でそれを壊したのが許せない。今からでも取り戻さなければならない――という「理屈」で政治を進めるのは、かなり危険なんですね。いわば、「空気を読みあう社会に理屈で合意せよ」と国民に迫ることになるから、空気と理屈の二重の論理で、それに従わない人を排除することになってしまう。これが、戦前の日本ファシズムと呼ばれているものの深層です。

 これに対して戦後の自民党一党支配=55年体制は、期せずしてそれなりに江戸時代を再現したところがありました。自民党は本来、イデオロギーなき政党の最たるもので、冷戦体制のもとで社会主義政権の誕生を阻止するためだけに、参加者の個々の思想の違いは棚上げにして大同団結したら、そのまま長期政権となったわけです。そうして実際に、理念なしでも選挙で地元の代議士さんさえ応援しておけば、全国どこでもそこそこ食べられる社会を作った。

 だから、大学で学生運動なんかをやっている間は理屈を言い続けるのだけど、就職活動を機に理屈は捨てて「転向」して、雑巾がけからやらされる(理屈もへったくれもない)企業社会の空気に適応して生きていくのが、戦後の日本人のライフコースでした。しかしそれがうまく回らなくなってきたというのが、90年代以降ですね。結果として、元々理屈を言わないはずの自民党が、妙に理屈を言うようになったのが現在です。

 

 ――たとえばもともと自民党の党是ではあったものの、長らく表だって掲げることのなかった「改憲」を、近年は強く主張するようになったことでしょうか。

 

 そのとおりです。「とにかく、飯は食えてるんだから細かいことはいいじゃないか」という国民的な合意が失われて、一時は民主党に敗れて政権から追い出されるところまでいきましたよね。そのせいで、空気だけではもう支持層を懐柔できないから、理屈で動員する必要が出てきたわけです。日本はあるがままでも日本じゃないか、ではなくて、意識的に「日本を、取り戻す。」と言わないといけなくなってしまった。

 もちろん、理屈なしでなんとなく自民党が国民をまとめられた55年体制がよかったのかというと、そうともいえません。理屈がないというのは、ことばによる説明責任を果たさないということですから。自民党の大物議員とつながりのある人や業界は「なんとなく」潤うけど、そうではない人の手許には「なんとなく」お金が来ない。万人に開かれた公正さ(フェアネス)という点で、江戸時代型の社会には大きな問題がありました。

 とはいうものの、再軍備やナショナリズムといった戦争の危険もはらむトピックスに関して自民党がイデオロギーを棚上げにしたから、国内の世論も平和裏に収まったし、隣国とも紛争なしでやれたところもあるのです。領土問題などは典型でしょうね。理屈を言い出せば、それは(どちらの国から見ても)「わが国固有の領土」なわけだから、実力行使をしてでも相手を追い出せ、ということになりかねませんから。

 政治には「正論」の矛をいったん収めることで、理屈を出したら調停不能になる争いごとに「落としどころ」を見つけるという側面もあるわけです。教条主義的に理屈で向かってくる革新陣営を、政治ってそんなもんじゃないよといなすのが、かつての保守政党の役割だったのですが、野党暮らしを体験した自民党にはもうその余裕がない。国民の側も、すべてが密室でうやむやになる55年体制の閉ざされた政治はもう勘弁と思う反面、たとえば改憲問題で原理主義的に突き進まれたら怖いな、という気持ちも持っている。その両者のあいだでの舵取りの仕方が、まだうまく見つかっていないように思います。

 

 ――最後になりますが、そのような状況にある現代社会において、宗教的なものの役割があるとすれば、それはどのようなものでしょうか。

 

 私自身は特定の信仰を持っていませんし、宗教に関して深い知見があるわけでもありませんが、地縁では繋がれない縁をつくろうとするときに人類が生み出した「最古にして最強のデバイス」が、教典を持つ宗教だったと思っています。それは空気ではなくことばを信じて生きるのだと決めた人々に対して、周囲からのプレッシャーを断ち切ってその場を離脱する自由を与えてくれると同時に、彼らを原理主義的なファナティシズムの虜にしてしまう危険をも生み出した。この両義性のある力をどう使うか、という問題だと思うんですね。

 その意味では、「宗教的なもの」を狭義の信仰に限って捉える必要はないと思っているんです。ことばの力で、地理的な対面共同体を超えたつながりを作り出すことにその意義があると考えれば、たとえば政治的なマニフェストにしても、社会的な結社にしても、メディアやネットワークにしても同じ問題を共有している。それこそ「天皇制の儒教化」だった戦前の日本も含めて、かつてわれわれが宗教というデバイスを使ってなにを達成し、いかに失敗してきたか。歴史を生業としていることもありますが、そういうモデルケースを示してくれるところに、宗教の役割というものを見てみたいと思っています。

(文責:親鸞仏教センター)


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さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
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Interview 第5回 與那覇潤氏「『中国化』と『江戸時代化』から日本社会を読み解く」前編

春近敬

愛知県立大学文学部准教授

與那覇 潤

(YONAHA Jun)

Introduction

 近代日本の歩みは、しばしば西洋の文明をどのように受け入れたかという「西洋化」の文脈で語られる。これに対して、『中国化する日本』(文藝春秋)の著者である愛知県立大学准教授(日本近現代史)の與那覇潤氏は、むしろ「中国化」という概念から近代を読み解こうとする。

 明治以降の日本社会は「中国化」する動きと、再び「江戸時代化」しようとする動きの間で揺れ続けているのであり、現代の社会もなお、この構図の中にあるのだという。そのような日本の近代化は、今日の私たちにどのような影響を与え続けているのだろうか。お話をうかがった。

(春近 敬)


【今回はインタビューの後編を掲載、後編はコチラから】

――日本において近代とは「西洋化」であるといわれます。その西洋化に対してどう応答したかということが、明治以降の日本史の語り方でした。近代の仏教について考えていく際にも、この枠組みは非常に重要なものです。ところが、『中国化する日本』などの先生のご著書によれば、日本の近代とは単純な西洋化ではなく「中国化」であるとお書きになっておられます。まずは、このあたりのことについてお聞かせください。

 

與那覇 明治維新によって「西洋化」したといわれることのかなりの部分は、実は「中国化」だったのではないか。実は宗教の問題は、このような捉えなおしによってこそ、よりよく見えてくるものの典型です。

 西洋的な近代化であれば、それにともなって世俗化が進みます。つまりヨーロッパにおいては、人々がキリスト教的な世界観から自由になっていった。そのあらわれが政教分離ですね。政教分離と世俗化の進行によって、思想や言論の多様性も拡大します。それまで許されなかった宗教的な教えに逆らう思想も、自由になっていくわけですから。これが西洋的な近代化です。

 ところが日本の近代を考える際に多くの人を悩ませてきたのが、江戸時代と明治以降とを比べたときに、後者の方が明らかに思想的に不自由になっているという問題です。たとえば天皇の存在について、江戸時代の人々は特に気にかけたり、タブーに気を遣ったりする必要がなかった。逆に明治から戦前にかけての方が大変で、しばしば「不敬事件」が糾弾されたり、弾圧されたりしたわけですね。

 この「近代化したにもかかわらず、思想的には不自由になった」という史実をどう解釈するかということで、さまざまな論争がありました。一方の極には、戦前の日本はいわば天皇教の宗教国家で、国家神道という画一的な宗教が全国民に強制された暗黒の時代だった、と書く人がいる。もう一方の極には、別に国家神道なんてなかったのだと。あれはヨーロッパの近代国家にも存在する市民宗教の一種で、国家という公共性を支えるためのルールだったのだから、戦前にも「日本的な政教分離」が達成されていたと見るべきだという意見がある。しかし、どちらも多くの人を説得するのは難しいでしょう。

 人々が身分制から解放され、職業の選択や経済的な取引も自由になったのに、思想的には画一化されて不自由になっていくというのは、近代化を「西洋化」として捉えている限りは、説明できないのです。だったらむしろ、明治以降のプロセスを「中国化」として把握してみませんか、というのが、私の『中国化する日本』の提案なんですね。西洋化であれば、経済が自由になっているのに思想が不自由になるのは矛盾です。しかし、中国化では矛盾しない。

 中国では特に宋朝以降、経済的な自由化が世界に先駆けて進みました。科挙が導入されて身分制がなくなり、貨幣経済が普及して、村落共同体に縛られずに個人がお金で自由にビジネスをする社会になった。しかし思想的には多元化ではなく、むしろ画一化が進行したのですね。科挙とは儒教道徳をどれだけ身につけたかを判定する、一種の思想試験ですから。特に南宋に朱熹(朱子)が出て以降は、儒教の諸派の中でも朱子学のものが公定の正しい解釈とされ、それに沿った答案を書いた人が選抜されるようになりました。社会的に正しいとされるイデオロギーが、一つに定められていったわけです。

 このような「経済だけは自由化、思想的には不自由化」が、よくも良くも悪くもヨーロッパとは異なる、東アジア独自の社会の発展経路なのだと思うのですね。だから現在の中国共産党も「市場取引は自由、体制批判は厳禁」のままで、しかもそれが通ってしまう。このような状態は対岸の火事ではなくて、近代日本も実はヨーロッパではなく、東アジアの発展経路に乗ってきただけなのではないか、というのが私の見立てです。

 

――儒教ということから一つお伺いしたいのが、明治中期の宗教界にあったひとつの議論についてです。当時、倫理道徳に対して仏教は、あるいは宗教はいかにあるべきかという議論がなされていて、ここでいう倫理道徳もやはり仁・義・礼・智・信であり、忠孝です。日本の近代化において、儒教道徳はどのような役割を果たしたのでしょうか。

 

與那覇 実際、私が「中国化」の概念を構想するときにいちばん参照したのも、明治維新を儒学者の役割に着目して描きなおす思想史の研究動向でした。しごく乱暴に要約すれば、たとえば近代天皇制は「天皇制の儒教化」としても位置づけられる。

 そもそも儒教には、ほとんどギリギリのところまで「世俗化した宗教」ともいうべき性格があります。それを国家の骨格として最初に採用したのが、宋朝以降の中国やいわゆる李氏朝鮮に代表される、近世東アジアの諸王権です。これに対して江戸時代の日本は、強いていうならば仏教国家でしょうね。檀家制度があって、すべての国民は寺に帰属させられることになっていたわけですから。

 中国思想史の立場から刺戟的な日本史論を発信している小島毅先生は、徳川時代の途中から「仏教を倒すために儒教・神道が連合した」という理解をされています。もともと神仏習合と呼ばれる混淆状態にあったはずが、「正統と異端」を厳しく切り分ける儒教の発想が神道に入ることで純粋主義化し、仏教を駆逐してゆく。その結果、明治維新の初期には「神道だけを取り出して、仏教は排除しよう」とした廃仏毀釈などの、大混乱が起きたわけですね。いまふうにいえば儒教を触媒として、神道の原理主義化が起きたとみなすことも可能でしょう。

 しかし、これはアカデミズムの外部で評論家の山本七平などが生前強調したことですが、戦前の日本人は後になって「それが儒教であること」を忘れてしまった。むしろ自分たちの信仰の対象は日本の「国体」であり、100パーセント日本原産のオリジナルで中国のものも西洋のものも混ざっていないのだと、誤認されるようになったのです。その行きついた先が、戦時中に猛威をふるった日本主義や皇国史観でした。

 

――もう一つ問題となったのが、学問と宗教の問題についてです。近代仏教の嚆矢である井上円了は、学問的真理と宗教的真理は一致すると考えていました。しかし、清沢満之や村上専精といった仏教青年たちが活動する明治30年代ごろになると、そのような素朴な理解は受け入れられなくなってきます。

 この問題を、日本の近代化を西洋化への応答とみる図式で考えれば、西洋の学問を仏教者がどのように受け止めるかという形で理解できます。先生のおっしゃる中国化という文脈では、学問と宗教との関係をどのように考えることができるでしょうか。

 

與那覇 国家神道(と呼ばれるもの)がそれまでの神道と比べて異質なのは、教育勅語のような「教典」らしきものができてしまったところです。それをもたらしたのが、先に述べた天皇制の儒教化、すなわち中国化ですね。それこそ大陸では科挙とワンセットになっていたように、儒教文化には文字化されたテキストに典拠を求めて、理屈で押していくという「学問」的な側面がある。そこが、同じ神道といっても村の氏神様にお参りするような、いわゆる民俗宗教とは違うところです。

 もっともそれでは儒教的な経典の重視を、キリスト教における聖書やイスラームにおけるコーランと同じといってよいかというと、そこは難しいのですね。経典の文言を逐語的に解釈しているのは儒学者くらいのもので、中国ですら多くの人は儒教といっても、葬式のときはマニュアルに従ってこう振る舞う、といった儀礼的な部分でしかつきあっていないといわれますから。つまり、学問的な営為の対象となるようなテキストはあるものの、セム系一神教ほど教典主義が徹底していたともいいにくい。そもそも教典のない日本の民間信仰と、プロテスタンティズム的な聖書至上主義とのちょうど中間くらいに、儒教が入るのかもしれません。

 このように見た場合、教育勅語のような「明文化された教え、徳目」の制定に至った近代日本の中国化は、教典を設けるという意味ではあるところまで西洋化と合致していた。それが、もっぱら慣習に立脚する民俗宗教では統合できない「国民」という範囲での統一を可能にすると同時に、イデオロギー的な思想統制という負の側面も招いた、とみるべきかなと思います。

 

後編へ続く

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Interview 第27回 池田行信氏(後編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー後編を掲載、前編・中編はコチラから】 ──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。   ■親鸞の「プロセス」を課題とする 池田  村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。  信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」...
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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
Interview 第26回 池田行信氏(中編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー中編を掲載、前編・後編はコチラから】 ──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。   池田  印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。  また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。  「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。     ■『正信偈』の核心 池田  『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。  また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。     ──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。     ■方法論の展開とそれに伴う現代の批判 池田  まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。  清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。  そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。  また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。  曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。  しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。  その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。     ──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。     ■教団として現実に向き合うとき 池田  先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。  とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。  さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (後編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA...

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Interview 第4回 白田秀彰氏「著作権法改正にみる法と善悪の問題」後編

春近敬

法政大学社会学部准教授

白田 秀彰

(SHIRATA Hideaki)

Introduction

 2012年10月に著作権法が改正されたことにより、インターネット上に違法にアップロードされた映像や音楽などをダウンロードする行為に対して、2年以下の懲役または200万円以下の罰金、もしくはその併科という刑事罰が科せられるようになった。

 しかし、この改正には違法コピー排除の実効性に乏しいこと、警察の捜査権の濫用につながることなどから日本弁護士連合会(日弁連)やインターネットユーザー協会(MIAU)などが反対を表明していた。

 この問題には、実は私たちが法というものに向き合うことについて、現代社会が抱える問題があらわれている。それが何であるのか、知的財産を専門とする法学者の白田秀彰氏にお話をうかがった。

(春近 敬)


【今回はインタビューの後編を掲載、前編はコチラから】

■法律と善悪の観念

 

――しかし、この著作権法改正の問題性に関して、インターネット上の議論では話題となったものの、社会全体としては大きな声とならなかったように思います。むしろ、「罪を犯した者に厳しくあたって何が悪いのだ」というような意見が多く聞かれます。このような風潮はどういうことによるのでしょうか。

 

白田  物事の善し悪しを考えるというのは、かなり大変な作業なのです。ある行為が正しいかそうでないかというのは、複雑に絡み合った物事のなかでなかなか一義には決まりません。仏教では縁起ということを言って、善いも悪いもないという立場だと思いますが、私もそういうものだと考えます。ところが、法律学というものは、それを何らかの努力によって一定の枠として基準を定めていく営みです。

 日本も江戸時代までは、善し悪しを自分たちで決めたうえに秩序がありました。しかし、明治維新を経てヨーロッパから法律を輸入しました。これは当時の記録を見ると明らかなのですが、それまでの日本の善悪の観念を西洋的な善悪の観念で上書きしていくときに、「なぜ悪いのか」に対して「法律がだめだと言っているからだ」という説明を受け入れてしまったのです。自分たちで善し悪しを判断するのでなく、法律にそう書いてあるから悪いのだと。

 

――自分たちの判断よりも、輸入してきた法律によって善悪を定めたのですね。

 

白田  それでわれわれは思考停止になっているわけです。われわれが生きているなかで、これは抑止したほうが良い、これはやめたほうが良い、ということを「悪いこと」と定義して、法律によって禁ずるというのが手続きとして正当であるのに、われわれは、誰かが決めた法律で「悪い」とされていることを「悪い」としてしまいがちなのです。ですから、法律に少しでも引っかかることをすると「この人は悪い人なのだ」と決めつけて、日ごろの恨みつらみや鬱憤(うっぷん)をその人にたたきつけて、あしざまに罵(ののし)るようなことが起きるのです。

 例えばアメリカならば、議会が法律をつくっても、国民がその法律の合憲性を問う訴訟を起こし司法過程を経ることで、その法律を停止するようなことが起こりえます。しかし、日本ではいったん国会が通した法律に対して人々が反旗を翻すということは、まず起こりません。法律自体が正当かどうかを問い直しません。むしろ、日本においてはそのような問い直しを一般の人はやってはいけないかのような風潮があります。

 そうなると、法律をつくる人間が「これは悪いことですよ」と決めることができて、みんなが「そうなのか」となびいてしまいます。法をつくる側になれば、悪い人間を名指しすることもできる状況になっているのです。これは、あやうい事態ではないかと思います。われわれは怠っているのだろうと思います。われわれは、人間や社会に関する洞察を踏まえ、全体状況をみながら善悪の判断をしなければならないのに、法律家ですらも、全員がそうであるとは言いませんが、法律の条文にこう書いてあるからこうなのだ、となりがちです。

 

■判断の基準

 

――法律にあるからだめなのだ、という考えが明治からの近代化の過程に組み込まれているとするならば、それは非常に根本的なところからとらえ直されなければならない問題ですね。

 

白田  本当はそうなのです。教育で改善するという手段があるのですが、著作権の話で言えば、現在の流れは、むしろ子供たちに知的財産権の啓発教育をする流れになっています。これは現在の著作権のあり方が自明であることを前提としてそれを教えることです。これでは、著作権のあり方それ自体が、いまの人や社会の状況と調和しているのかという問い直しがされないまま固定化してしまうことになります。

 マイケル・サンデルの正義論が注目を集めたように、おそらく人々のなかに「正義とは何か」ということに対する飢餓感があるのだと思います。学校では「何が正しいことか」ということを自分で判断する訓練がまったくなされません。それは、学校で教えられることはすべて正しいことだと信じなければ、受験に勝てないという考えが一般的なためです。ところが、学校を出て世の中に放り出されてみると、それまでの規範や正しさの基準が崩れてしまい、善悪の区別が立たなくなります。本来ならば、そのときに「私はこのような理由でこれが正しいと思うのだ」という判断力がなければならないのですが、その訓練をしていませんから、法律に善悪を委ねることになるのです。逆に、ある人々は、善悪が複雑に絡み合う世の中で、何物も基準とならない底の抜けたような感覚にとらわれてしまい、引きこもってしまうということも起こるのだと思うのです。世の中の善悪は、簡単に答えの出る問題ではない、ということを若い人は知らないのです。もし、一人ひとりの中に正義とは何かを考える基準があれば、今のように雪崩を打って誰かをバッシングするということにならないと思います。

 

――明治時代の仏教者は、法律と道徳と宗教との関係をどのように考えるかを大きな課題としていました。

 

白田  おそらく明治の仏教者たちにしてみれば、自分たちとまったく違った価値観で組み立てられた西洋法が入ってきて、しかもそれが明治政府の「正統教義」になったことで困ったのだと思います。しかし、お寺の住職が人から何かしら相談を受けたときに、「民法第何条によってこうなっているのだから、我慢しなさい」とは言わないと思うのです。それだと、おそらく相談した人も納得できないでしょう。権力をもって強制されてくるルールが、明らかに自分たちが先祖代々継承してきたルールと合わない、それを受け入れなければならないということで、いろいろと立ち位置を模索したのだと思います。

 

 

■自ら選ぶということ

 

――何かに任せずに善悪を考えていくために、私たちはどのような意識づけが可能でしょうか。

 

白田  一般に当たり前のように言われていることを「本当か」と問うことです。例えば、物の所有権は当然に保証されなければならない、とわれわれは思っています。そこを「本当かな?」と思って、歴史を調べてみるとそうでない時代があったことがわかります。知的財産権についても、調べてみたら所与のものでなく、歴史のなかで人工的に作りあげられてきたことがわかります。ある判断がなぜ起きたのか、ということを考えて、自分で説明できなかったら、それはなぜだろうと問うことがひとつのきっかけになると思います。

 それから、西洋哲学でも東洋哲学でも、長い歴史のなかで考えを導くための手順や方法が積み上げられてきました。それを学ぶことです。そのことによって、「誰かの意見だから」でなく、ひとつひとつ積み上げるかたちで、ある物事は善いのか悪いのか、ということを判断するように心がけるしかないでしょう。われわれには、根拠無く教え込まれたことがたくさんありすぎるために、それが目くらましになっているということがあります。

 

――考えないほうが楽である、ということが経験知とされていると言いますか、そのほうが生きていきやすいと思われているかのような風潮があります。

 

白田  その話で思いつくのが、古代ローマです。 古代ローマ人は、長い期間にわたって経験と判断を積み重ね、正義について検討し法を生み出し、それを体系的に構造化していきました。ところが、その法の構造がしっかりしたものになると、それを導き出した考え方を時代に合わせて検討する手間を、次第に省き始めたのです。これは古代ローマ人に限らず誰でもそうで、社会が安定して規範が確立してくると、「まあ、こうなっているのだから」と、その規範がなぜ始まったかということを顧みなくなります。社会が安定している間は、それで十分に社会は回りますし、手間がかかりませんから、その傾向はどんどん加速していきます。

 ところが、いったんそのような考えの土台となっていたものが崩れたときに、そこで何も考えていなかった人間は、何が当てになって何が当てにならないか、何が正しくて何が正しくないかがわからなくなってしまいます。ヨーロッパの場合は、ローマ帝国が滅びた後にローマ法の基本的な考え方や形式は残るのですが、結局はその後に支配したゲルマン系の民族が、自分たちの慣習からもう一度法を作り直すことになりました。

 今の社会は非常に緻密(ちみつ)に組み立てられていて、それがもともと何だったのかをもう一度問い直す手間や苦労が非常に大きいです。ですから、誰もがそれを怠っているのかもしれません。今の学生を見ていると、誰かに与えられたたくさんの観念に支配されていることを感じます。しかし、人間が生きていく過程というものは、人間の想像力をはるかに越えた多様性があります。人の生き方に決まった道のりなどないのだということを踏まえて、そのうえでなおかつ自分はこのように考え、選んだのだ、ということができるのが望ましいあり方なのではないでしょうか。

(文責:親鸞仏教センター)

 

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Interview 第27回 池田行信氏(後編)
Interview 第27回 池田行信氏(後編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー後編を掲載、前編・中編はコチラから】 ──今回のご著書では、注釈のみならず、「補遺」欄にとても重要な事柄が多く書かれていると感じました。たとえば、多田鼎の龍樹理解について近代における言説の伝播を探られ、あるいは、コロナウイルス感染拡大の状況下における生老病死の受けとめについても言及があります。また、私が特に重要と感じたのは村上速水の見解を取り上げて、「文献解釈の落とし穴」について書かれている点です。そこでは親鸞の思索過程を重んじることなく、整備された教義理解を他の者に強制するという問題が指摘されています。これは親鸞自身の問題というよりも、親鸞が明らかにした教法を大事に思う、あらゆる人々にとっての重要課題であると考えます。私たちはこの問題をいかに捉え、乗り越えていけるとお考えでしょうか。   ■親鸞の「プロセス」を課題とする 池田  村上速水先生は、「聖人の教義といわれるものは、聖人が到達した結論」であると述べています(『註解』459頁)。その「結論」を解釈しようとすれば、「精微をきわめた訓詁解釈学」が要請されましょう。その意味では、「完全無欠な教義として整備された論題」や「精微をきわめた訓詁解釈学」は「主客二元論」とならざるを得ません。しかし、「結論」に至る「プロセス」「厳しい道程」を私の課題として、主体的に問題にしようとすれば、「主客一元論」の視点が要請されるのではないでしょうか。  信楽峻麿先生は「真宗の信心」を「宗教的意識」として、「ひとつの宗教的態度」として捉えると共に、村上先生のいう「プロセス」「厳しい道程」を自己の課題として、主体的に問題にして「主客一元論」に立った信心理解を提起しています。(慈願寺blog「真宗余聞(6) 信楽峻麿はなぜ教団と宗学を批判したのか(その1)」...
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Interview 第26回 池田行信氏(中編)
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Interview 第25回 池田行信氏(前編)
Interview 第25回 池田行信氏(前編) 浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職 池田 行信 (IKEDA Gyoshin) Introduction  2022年2月13日、zoomにて、昨年『正信念仏偈註解』を上梓された池田行信氏(浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職)にお話をお聞きした。そのインタビューの模様をお届けします。 (東  真行・青柳 英司)   【今回はインタビュー前編を掲載、中編・後編はコチラから】 ──池田先生はこれまで長らく、ご自坊である慈願寺のホームページのblog上で連載されてきた『正信念仏偈』(以下『正信偈』)の註解を、2021年に『正信念仏偈註解』(法藏館)としてまとめ、上梓されました。『正信偈』については、ご著書で指摘されているとおり、これまでにも数多くの講義録、講話類が公刊されていますが、今回のご著書のように近代に至るまでの注釈を網羅して提示したものは少なかったと思います。 まず、親鸞聖人の教えを学ぼうとする時に池田先生が『正信偈』を選ばれた理由と、現代に生きる私たちがこの偈文を読むにあたって、先学の注釈に学びつつ、特に留意すべき点などについてお考えがあれば、教えていただけますか。     ■なぜ『正信偈』なのか 池田  まず、『正信偈』を選んだ理由ということですが、具体的には寺院の法話会や組の勉強会で『正信偈』の講義を依頼されたことによります。依頼の多くが『正信偈』であったということの意味を私なりに考えてみますと、それだけ『正信偈』が広く読まれているということでしょう。つまり蓮如上人がいうように『正信偈』に「一宗大綱の要義」(『浄土真宗聖典(註釈版)』〔以下『註釈版』〕1021頁、真宗大谷派『真宗聖典』〔以下『聖典』〕747頁)が述べられていると、多くの住職方は認識しているということであろうと思います。  さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA...

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Interview 第3回 白田秀彰氏「著作権法改正にみる法と善悪の問題」前編

春近敬

法政大学社会学部准教授

白田 秀彰

(SHIRATA Hideaki)

Introduction

 2012年10月に著作権法が改正されたことにより、インターネット上に違法にアップロードされた映像や音楽などをダウンロードする行為に対して、2年以下の懲役または200万円以下の罰金、もしくはその併科という刑事罰が科せられるようになった。

 しかし、この改正には違法コピー排除の実効性に乏しいこと、警察の捜査権の濫用につながることなどから日本弁護士連合会(日弁連)やインターネットユーザー協会(MIAU)などが反対を表明していた。

 この問題には、実は私たちが法というものに向き合うことについて、現代社会が抱える問題があらわれている。それが何であるのか、知的財産を専門とする法学者の白田秀彰氏にお話をうかがった。

(春近 敬)


【今回はインタビューの前編を掲載、後編はコチラから】

■著作権とは

――著作権とはどのようなものであるかというところから、今回の問題について教えてください。

 

白田  そもそもの前提として、知識や情報や表現というものは、本来誰かに伝わっていくことを止めることのできないものです。そして、これらが伝わっていく場合には、何らかの媒体を必要とします。例えば、仏教の教えも、たくさんの人々がそれを暗誦したり文字に記すことで伝えてきたから現在に残っているといえます。

 著作権の発生のきっかけとなったのは、印刷術の誕生です。印刷術によって、文書をたくさん複製して世の中に広め、これを確実に残すことができるようになりました。これによって出版業という産業が生まれました。しかし、出版業は無許諾のコピーがあると商売として成立しません。そのために、初めは業界のルールとして、後に法律で、無許諾コピーをさせない仕組みをつくりました。

 著作権とは、はじめから自然に存在するかのようにわれわれは思ってしまいがちですが、そうではありません。歴史の過程で生まれてきたひとつの制度です。そのような制度がなぜ必要かといえば、出版業という特定の産業を保全するための仕組みなのです。現在言われているような、著作者の人格であるとか利益であるとかは、18世紀から19世紀に現れた後付けの説明なのです。

 

――著作者本人ではなく、出版業を守るためですか?

 

白田  はい。そのおかげで現代のわれわれの文化や文明がありますから、著作権制度はわれわれに十分な恩恵を与えてきた仕組みです。だからこそ、それが正当化されてきたわけです。

 

 

■1970年以降の変化 

白田  1970年までの著作権法では、機械的や科学的な方法でなければコピーをしても問題ありませんでした。これは、一般の人がコピーをするという行為自体が技術や設備の面から非常に難しかったためで、出版社と一般の人との利害がぶつかる状況にはならなかったからです。そして、1970年の改正で、著作権法第30条に「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用する」目的であれば、「その使用する者」がコピーしてもよいという規定が入りました。

 ところが、1980年代に入ると、テープレコーダーやビデオデッキ、コピー機が普及するようになります。それで書籍やレコードや映像作品をコピーできる技術が一般の人の手にも届くようになりました。

 もともと著作権法は業者を保護して情報流通の環境を整備するためにつくられてきたものですから、家庭内でコピーをされると実際に損害のおそれがあります。このころから、著作権法を一般の人も守りなさいといわれるようになりました。ここから現在までの歴史は、技術の進歩とともに著作権法第30条の認める「コピーしても構わない範囲」を狭めてきた歴史であるといえます。

 

 

■「しても良い」ことが一転して犯罪に 

白田  1980年代の半ばには、コンピュータプログラムが著作権法のなかに組み込まれました。1990年代に入ると、コンピュータによって音楽や映像のデジタル化が進められるようになり、さらにインターネットが普及します。デジタル化された音楽や映像はコピーが比較的容易で、それらのデータはインターネットを媒介とすることによって多くの人の手に渡りやすくなります。そこで、著作権をもつ人たちは、何とかこれを取り締まらなければならないと考えます。インターネット上でデータのかたちでやりとりされる音楽や映像も、著作権法の保護範囲として扱われるようになりました。

 冒頭で言ったように、もともと情報や知識は自由に流通するものです。インターネットは、そういう人間の営みを支えることを目指して発展してきたものです。インターネットが稼働し始めてしばらくの間、インターネットを介してデータをアップロードしたりダウンロードしたりすることは、法律で禁止されていないわけですから、自由にやっても良いことだったのです。

 しかし、インターネット経由で流通するコピーが、販売されている商品と競合するようになり、事業者の利益を損なうようになりますと、著作権をもつ業者たちは、それでは困るということで制限を求めるようになりました。当然のことです。まず2007年に、公衆送信可能化権が創設され、著作権のあるデータのアップロードが禁止となりました。このとき、文化庁と経済産業省の公式見解として、ダウンロードは「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用する」目的で「その使用する者」がコピーしているのだから、著作権法第30条の私的使用にあたる、つまり合法だと明確に言われていました。

 しかし、アップロードを禁止しても違法コピーは減りませんでした。そこで、音楽・映像産業がはたらきかけて、2010年にダウンロードが違法化されました。もちろん、このように法律をつくること自体が悪いことではありません。この問題のポイントは、国が公式に「しても良い」と表明していたことが、わずか3年で一転して違法となったことです。

 著作権法には罰則規定がありますので、違反行為には刑罰をつけることができます。しかし、そのようなあまりに急な変化は望ましくないということで、このときは刑事罰をつけないことを条件に違法化がなされました。

 ところが、その2年後の2012年に、著作権法の改正の際に議員立法のかたちで、ダウンロード行為に刑事罰規定が組み込まれてしまいました。実際には罰則のない規定はたくさんあるのですが、一般の人の感覚としては、違法なことには罰がついてしかるべきだと思いがちです。このときも音楽・映像産業のはたらきかけがありましたが、おそらくは、議員立法に関わる国会議員に向けて「違法な行為に対して罰則がないのは問題だ」というような説得が行われたことが想像できます。

 かくして、かつてはしても良かった行為が、利害をもった人のはたらきかけによって違法となり、そして違法であることを足がかりとして懲役刑を含む刑事罰が入りました。このプロセス自体が、問題をはらんでいると私は考えます。

 ダウンロードという行為が民事の問題として扱われるのであれば、その被害の救済は基本的に著作権者自身が行わなければなりません。しかし、刑事罰化されれば、証拠の確保や犯罪性の立証を警察が行うことになります。繰り返しますが、ここで問題となる音楽や映像とは、つくり出した本人ではなく、もっぱら業界の利益に関する話なのです。刑事罰が入ると、その被害の救済のために国家権力が発動することになり、業界にしてみれば、ただで働いてもらえることになるわけです。特定産業の利益のために警察をも動かすという構図には、釈然としない感じがあります。

 

 

■知識の不均衡 

白田  民主主義とは、建前とはいえ、それに参与するすべての人が一定水準の知識や判断力をもっているということを前提とした社会制度です。すべての人に知識が平等に配分されているということを前提として、財産が不平等に配分されていることを容認する仕組みであるといえます。財産の配分の不均衡がかろうじて正当化されるのは、それをコントロールしている秩序が民主的に担保されているからです。みんなが同じ情報を得て、義務教育によってみんながある程度の判断ができるような知的水準を得て、選挙を通じて発言できるからこそ、財産上の不平等を是正できるのだという前提によって成り立っています。

 ところが、知的な領域でも、もてる者が国家権力を用いてコントロールしても構わないという仕組みは、財産上の不平等を是正するはずの機能を損ねてしまいます。現在起きている傾向は、知識が不平等に配分されることを国が推し進めることにならないだろうかと危惧しています。物だけでなく、知識に対しても、もてる者ともたざる者を作る状況を生み出すということは、少なくとも現在の社会体制が正当であるという考え方を壊してしまうのではないでしょうか。

 まとめますと、1980年代までは合法であり、誰もが普通にしていた行為が、短い期間で一転して犯罪行為とされました。そして、犯罪抑止という名のもとに、民主主義の社会で生きているわれわれが譲ってはならない何物かが奪われるような状況が進んできているように見えます。これが、私のこの問題に関する見取り図です。

(文責:親鸞仏教センター)


後編へ続く

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さらにいえば、多くの住職方は「真宗再興」の「要義」が『正信偈』に述べられていると認識し、「真宗再興」を念じているともいえるのではないでしょうか。『考信禄』を書いた玄智師は蓮如上人による『正信偈』と『三帖和讃』の公開は、「末代興隆のため」、「仏法興隆のために、開板流布せしむるものなり」(『真宗全書』第64巻181頁)と認識しています。私は「末代興隆のため」とか「仏法興隆のため」とか、そんな大きなことはいえませんが、「真宗再興」の願いにおいては、人後に落ちないと思っています。  曽我量深先生は「蓮如上人の御再興」とはちがう、「真宗第二の再興」をなし遂げなければならないと述べています(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)。この「真宗第二の再興」の願い、さらに現代でいえば「真宗第三の再興」の願いが、多くの住職方が『正信偈』を学びたいという依頼に込められていたのではないかと思います。   ■「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直し 池田  また、お尋ねの「特に留意すべき点」についてということですが、3点申しあげたいと思います。  1点目は、「私」と「歴史」の欠落した「信心」の見直しが必要ではないかということです。これまでの『正信偈』の解説書を読みますと、その多くが『正信偈』の偈文の注釈か、著者の味わいにとどまっているように思います。私は注釈も味わいもどちらも大切に思います。しかし、注釈だけで「真宗再興」が可能とは思いません。信念の吐露といいますか、信念を語ることがなければならない。注釈だけでは「真宗再興」は無理かと思います。信念の吐露、信念を語るという意味で、私は「私」と「歴史」の視点をもった信念、信心が必要ではないかと思っています。  浄土真宗本願寺派の三木照國先生は、本願寺派の伝統宗学には「私」が欠落し、真宗大谷派の曽我量深・金子大榮両先生等の、いわゆる近代教学には「歴史」が欠落していると指摘しています(三木照國『教行信証講義――教行』「はしがき」)。これは大変、重要な指摘と思います。もちろん近代教学にも、曽我先生の「親鸞の仏教史観」や「伝承と己証」という「歴史」の見方がありますが、三木先生のいう「歴史」とは、おそらく「自覚」や「内観」レベルの歴史ではなく、現実を批判的に見る社会性、または「社会改良」の視点を有する「歴史」というような意味と思います。  そもそも「私」というものと「歴史」は離れていないでしょう。たとえば『歎異抄』には「親鸞一人がため」(『註釈版』853頁、『聖典』640頁)という言葉がありますよね。これを無視するならば、もう真宗とは言えない、というような重要な言葉です。人間が社会の中で育んできた「歴史」と、このような「私」というところにまで到達した信仰の「歴史」があるわけです。この関係についてもどのように見直していくか、という問題があると思います。  いわゆる「戦時教学」の問題や教団による差別問題を見ていくと、「純粋培養された――教義だけの〝独り歩き〟」(大村英昭「ポスト・モダンと習俗・迷信」『ポスト・モダンの親鸞』80頁)という問題があるように感じています。たとえば、宗教と道徳、信仰と生活という、一旦は二面的に捉える必要がある問題について、そのすべてを「法徳」といったところから演繹する発想に陥りがちで、そこには課題があると思います。  大谷光真前門主は「危ない一元論」「悪しき二元論」(「宗教と現代社会との関わりについて」『宗報』2018年7月号)ということを指摘されていますが、この「危ない一元論」にも、「悪しき二元論」にも陥ることなく、真宗の教えに立つと同時に社会の問題をも客観的に見ていく視点、そういうものを信仰の課題としてもたなければならないと私は思います。そうでなければ、持続可能な宗門、教団としての理論にはならないだろうということです。個人の信仰のみならず、組織論の重要性を思います。  だから、出世間の方向性というものを担保しつつ、常に社会に関わっていく。その場合は、社会に関わる原理、原則というものを、必ずしも真宗の教法によってのみ、導き出すべきではないと思います。一個人の信仰としては、そのようなこともあり得るでしょう。けれども、教団という組織は社会の中にあるわけです。社会のルールを完全に否定できるなら別ですが、易々と否定できるものではありません。社会的な合意を取ることは、極めて重要です。そういった点もふまえつつ、同時に戦時教学をも批判しなくてはならないのです。  教団という組織が社会の中にある以上、私たちはあくまでも社会の問題に取り組んでいかざるを得ません。「日本社会が潰れても、真宗教団は残る」などと放言することは到底できない。だから、他領域の論理というものをふまえなくてはならない。社会的視点と言いましょうか、そういうものが私は必要だと思います。中島岳志氏の著書『親鸞と日本主義』における批判などを読みますと、個人の信仰主体の確立のみではなく、同時に信仰共同体の論理が求められているのが現状ではないかと思うのです。   ■「与奪」と「祖述」 池田  2点目は、「与奪」と「祖述」という学問方法の問題に関することです。江戸時代初期の『正信偈』の注釈は存覚上人の方法、すなわち、各宗派の立場を一応肯定し、翻って浄土門に帰依せしめる、いわゆる「与奪」という方法に依拠していました。それには聖道諸宗や浄土異流に対して、浄土真宗の仏教としての正統性を主張する意味がありました。ゆえに、そのような注釈では、引用文献も聖道諸宗や浄土異流を意識した、広範囲な文献が参照・引用されていました。  しかし、本願寺派においては三業惑乱以降、学びの方法が「与奪」から、宗意安心を「祖述」するという方法に代わりました。この「祖述」という方法は、ややもすると後世の宗学の型にはめて親鸞を解するという問題に陥りやすいように思います。同時に江戸時代には、浄土真宗の優越性を強調した、「別途不共」や「真宗別途義」が強調されました。こうした「真宗別途義」の強調について、村上速水先生は真宗教義の鮮明化であると共に、「他力の救済を強調することに没頭して、仏教としての真宗という立場を見失わせる」とも指摘されています(『続・親鸞教義の研究』115頁)。この「真宗別途義」を中心とした学びは、学派の分立をもたらし、緻密な学説を競いましたが、排他的な「廃立」が強調されやすく、真宗教義の優越性の強調が、宗派の閉鎖性やセクト主義的傾向に陥る危険性も有しています。私は他宗他門に対して、浄土真宗の優越性を強調することを否定しているのではありませんが、宗祖の「顕浄土真実」の意味を鮮明にしようとするならば、あくまでも「仏教としての浄土真宗」の意味を明らかにする姿勢を忘れてはいけないと思っています。  ご参考までに、私が20代後半であった、今から40年ほど前の出来事をお話しします。当時、あるところで曽我先生の「信に死し願に生きよ」という言葉を引用して、自分の解釈を語ったことがありました。すると、ある方から「あなたはどんなところで勉強されたのですか、その言葉はレトリックに過ぎないのではないか」という、厳しい指摘を投げかけられました。この指摘を受けて、私が考えるようになったのは、自分とは異なる解釈と対話が叶わない学問方法を採用する限り、公開された解釈とはならないのではないか、ということでした。狭小な安全地帯に身を置いたところで、井の中の蛙にしかならないのではないでしょうか。  異なった解釈が表現される場合に、それによって教団としての組織的まとまりが損なわれるのではないか、という意見を耳にすることもあります。しかし、異なる意見同士の対話の中から、必ず新しい解釈・組織が生まれてくる、ということを信ずる以外にないと思います。これはもうそれしかないと思う。それが信じられるかどうかということだと思います。仏法僧という三宝への信頼こそが教団を支えているのです。その信頼から、真に創造的な解釈が生まれてくると思います。  「祖述」というあり方は、ある意味では伝統に依拠した立場と方法ではありますが、宗派の閉鎖性やセクト主義を超えた、「真宗第二の再興」のための学問方法としては課題があるとも思います。方法論に万能はないのです。曽我先生は「真宗第二の再興」は「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」(『曽我量深講義集第10巻 真宗再興の指標』45頁)と述べています。「祖述」は基本です。しかし、「真宗統一ということより仏教統一の方向に眼目がある」という立場の大切さを思うならば、「与奪」という方法の再評価も必要になるでしょう。浄土真宗は仏教である、という視点を見失うと、教団内で「純粋培養」された教義が独り歩きすることにもなってしまうのではないでしょうか。   ■「逆縁」による「興宗」 池田  3点目は「逆縁興宗」「逆縁興教」ということです。『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)や『歎異抄』、『親鸞聖人血脈文集』には「流罪記録」が付されています。了祥師は『正信偈』を解釈するに際して、『教行信証』執筆の動機はどこにあるのかを見据えて『正信偈』を読むべきだと述べています(『正信念仏偈註解』〔以下『註解』〕、7頁)。言い換えれば、了祥師は『正信偈』を「破邪顕正し仏恩師恩を報ずる」偈と理解すると共に、「流罪記録」と合わせ鏡にして『教行信証』制作の「造意」を論ずる必要性を述べています。つまり、『教行信証』を「流罪者」としての親鸞が書いた書物として仰ぎ、いただくということです。ある意味では、教団の中枢ではなく、在野で学びを深めた了祥師ならではの解釈ということもあるでしょう。「立教開宗」の書というと、浄土真宗の宗祖としての親鸞の書いた書物ということになりましょうが、その親鸞聖人は宗祖とされる以前は、「流罪者」であったという「歴史」に立って、その御文に接する必要があるのではないでしょうか。  曽我先生は「浄土真宗は配所に生まれたり 逆縁に生まれたり」といい、「逆縁興宗」、「逆縁興教」、「逆縁立宗」という言葉を記しています(『両眼人』32頁)。「逆縁」に我が身と我が心を置いて読むことも大切に思います。「逆縁」を介した「興宗」「興教」があるのです。言い換えれば、「逆縁」を介して、『教行信証』の題号における「顕」の意味や「興宗」「興教」の意味を考えてみる必要があると思います。「疑謗を縁として」(『註釈版』473頁、『聖典』400頁)「真宗再興」の意味を明らかにすることが大切に思います。  逆境を縁として書かれた書物を、順境のみを縁として読むと、建前の仏恩報謝、「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまるということも起こり得ます。あるいは、観念的な「私」と、「内観」的な「歴史」にとどまってしまうこともあるでしょう。私は、「逆縁」を介した教学的営為が『正信偈』解釈において、どのように現れているかに興味があります。曽我先生も金子先生も各々が逆境の中で教えを解釈していった方々ですね。それゆえでしょうか、両先生は「ありがたい・もったいない・おはずかしい」にとどまらない思索を残されたと思います。   星野元豊先生は「後世の宗学の型にはめて親鸞を解する」のではなく、「わたくしたちは素直にその文章から直に親鸞の心を汲みとるべき」と提言されたことがありました(『註解』375頁)。しかし、実際には、多くの『正信偈』の解説書は後世の宗学の型にはめて『正信偈』を解釈する「祖述」で終わってしまっていないかと思うこともあります。『正信偈』の御文の中に「逆縁」を見出すことは難しいのですが、その背景に「流罪者」としての親鸞がいることは忘れてはならないと思います。 (文責:親鸞仏教センター) (中編へ続く) 池田 行信(いけだ ぎょうしん)  1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。  著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。 最近の投稿を読む...
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Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④
Interview 第24回 吉永進一氏「「生(life)」と「経験」からみた宗教史」④ 龍谷大学世界仏教センター客員研究員 吉永 進一 (YOSHINAGA...

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『現代と親鸞』第33号(清沢満之研究の軌跡と展望)

春近敬 掲載Contents

■ 刊行にあたって
■ 巻頭論文
■ 第一部 清沢満之研究会の軌跡
■ 第二部 寄稿論文

杉本 耕一 「西田幾多郎の「宗教哲学」と清沢満之の「宗教哲学」」

三浦 節夫 「井上円了と清沢満之──日本近代の仏教者──」

子安 宣邦 「「天」と「公」と──清沢満之における「儒家的なもの」──」

■ 第三部 第1回「清沢満之研究交流会」報告

全体テーマ:「清沢満之研究の〈可能性〉──没後百周年から見えたもの」

【問題提起】

山本 伸裕 「清沢満之「復権」の試み」

近藤俊太郎 「天皇制国家と「精神主義」──清沢満之を中心に──」

名和 達宣 「「精神主義」運動の波紋――曽我量深を中心に」

西本 祐攝 「大谷大学編『清沢満之全集』編纂の背景と課題」

【全体討議】

杉本 耕一(コメンテーター)・田村 晃徳(司会)

第四部 コラム集 清沢満之という多面体(プリズム)

越部 良一 「激切なる実学──近代日本最高の哲学者・清沢満之──」

藤原  智 「感電と摩擦──清沢満之と曽我量深──」

大澤 絢子 「清沢満之を描いた画家──中村不折とその時代──」

中村 玲太 「悟後修行の風光──清沢満之と證空──」

ステファン・グレイス 「大きな「自分」としての存在──鈴木大拙にとっての清沢満之──」

長谷川琢哉 「理性の限界と「不可知的実在」──清沢満之とスペンサー──」

コラム・エッセイ
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研究会・Interview
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「親鸞仏教センター通信」第45号

春近敬 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「如実の修行と相応する」とは?

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「見えざるもののはたらき」

報告 越部 良一

■ 第43回現代と親鸞の研究会報告

講師 平川 克美 「誰も知らない人口減少社会の意味」

報告 花園 一実

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸

■ 清沢満之研究会報告

講師 水島 見一 「清沢満之の真宗的意義」

報告 春近  敬

■ 『教行信証』真仏土・化身土巻研究会報告

講師 三木 彰円 「『教行信証』の諸問題―親鸞自筆・坂東本を通して―」

報告 花園 一実

コラム・エッセイ
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『現代と親鸞』第26号

春近敬 掲載Contents

研究論文
■ 第41回現代と親鸞の研究会

亀山 郁夫 「黙過する「神」――ドストエフスキー『悪霊』の世界――」

■ 清沢満之研究会

吉永 進一 「明治の仏教青年――新しい仏教運動への道――

■ 第7回親鸞仏教センター研究交流サロン

【問題提起】

桜井 哲夫 「<自己責任>を問い直す――他者への温かな関心を取り戻すために――」

【全体討議】

藤枝  真(コメンテーター)

■ 第6回「清沢満之研究交流会」報告

【問題提起】

辺見  庸 「来るべき死と滅亡のために」

本多 弘之 「宗教的な死の意味と平等の救い」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(13)」

コラム・エッセイ
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研究会・Interview
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『現代と親鸞』第25号

春近敬 掲載Contents

研究論文
■ 第39回現代と親鸞の研究会

槌田  劭「人間知の傲慢、科学の欺瞞――大地に足して共に生きる――」

■ 『教行信証』真仏土・化身土巻研究会

大峯  顕 「末法の時代における真理とは」

■第6回親鸞仏教センター研究交流サロン

【問題提起】

土井 隆義 「「関係性」を問い直す――少年犯罪をめぐる視点から――」

【全体討議】

佐賀枝夏文(コメンテーター)

■ 親鸞仏教センター公開講演会2011

テーマ:「「言葉」のリアリティ―秋葉原事件が問いかけるもの―」

中島 岳志(講演)

花園 一実(パネリスト)

春近  敬(パネリスト)

内記  洸(パネリスト)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(12)」

コラム・エッセイ
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研究会・Interview
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「親鸞仏教センター通信」第42回

春近敬 掲載Contents

巻頭言

春近  敬 「批判される「感情的」言説」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「宿業因縁の命の自覚」

報告 越部 良一

■ 第41回現代と親鸞の研究会報告

講師 亀山 郁夫 「黙過する「神」―ドストエフスキー『悪霊』の世界―」

報告 田村 晃徳

■ 『唯信鈔文意』試訳

法隆 誠幸

■ 清沢満之研究会報告

講師 吉永 進一 「明治の仏教青年―新しい仏教運動への道―」

報告 春近  敬

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『アンジャリ』第22号

春近敬 掲載Contents

『アンジャリ』第22号

(2011年12月)

■ Contents

土井 隆義 「かけがえのない関係とは-偶然性と多様性をめぐって」

飯島 裕一 「健康ブームの底にあるもの」

佐伯 啓思 「ニヒリズムと救済と」

森谷  博 「死、メタモルフォーゼ」

藤井 直敬 「ヒトと社会」

中谷  剛 「歴史の伝承-アウシュヴィッツの場合」

深沢 助雄 「『日本的霊性』と親鸞聖人」

■ 連載
■ 巻末コラム

春近  敬 「「正しい」知識」

※一部のコンテンツは無料でPDF版をご覧いただけます(タイトルをCLICK)

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