親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

宮部 峻

研究員の紹介

MIYABE Takashi
(研究員)

プロフィール

専門領域
歴史社会学・宗教社会学、同朋会運動の展開と近代化の関係性について
略歴
1991年大阪府生まれ。
東京大学文学部卒業。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。
元親鸞仏教センター 嘱託研究員。
現在、親鸞仏教センター研究員、社会理論・動態研究所 所員、井上円了哲学センター 客員研究員。
所属学会
日本宗教学会、「宗教と社会」学会、戦争社会学研究会、関東社会学会、社会学理論学会
研究業績

researchmapを参照。

当センター刊行物への執筆

「親鸞仏教センター通信」第81号
「親鸞仏教センター通信」第76号
「親鸞仏教センター通信」第74号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い 第224回「「こちら側」と「あちら側」――浅い理解と深い共感」
今との出会い 第213回「クソどうでもいい時代に対抗するために」
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

「親鸞仏教センター通信」第81号

宮部峻 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「新型コロナウィルスに想う」

■ 第67回現代と親鸞の研究会報告

講師 江原由美子 「現代社会とフェミニズム」

報告 宮部  峻

■ 研究員と学ぶ公開講座2021報告

藤村  潔 「『大乗涅槃経』を読む」

東  真行 「「正信念仏偈」を読む」

谷釜 智洋 「『精神界』を読む」

■ 第3回現代と親鸞公開シンポジウム報告

長谷川琢哉 「人間的行為の葛藤と〈いのち〉の言説」

中  真生 「いのちとその産み育ての結びつきと分離―「母性」、出生前診断、「赤ちゃんポスト」などを手がかりに―」

森川 輝一 「〈いのち〉と政治のパラドックス」

加藤 秀一 (コメンテーター) 中村 玲太 (開催趣旨)

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

宮部 峻 「森岡清美(1923〜2022)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神

宮部峻

親鸞仏教センター研究員

宮部 峻

(MIYABE Takashi)

 気づけば、新型コロナウイルス感染拡大から2年が過ぎてしまった。「自粛」が始まった当初には「非常」として感じられた現象は、すっかり日常生活を侵食してしまった。自粛生活がルーティン化したからといって、事態がよくなったわけではない。街を少し歩いてみても、閉店してしまった馴染みの店が目につく。新型コロナウイルスの感染は、人類にほぼ等しく降りかかるリスクでありながら、その痛みは偏在する。

 研究者見習いである私のような人間は、この危機に対して、多少の不満を内に抱えながらも、ただ言われるがまま、行動を自粛し、ワクチンを接種する。それが果たして、本当に最も適切な政策であるのかはわからないままである。サボりながらもそれなりの時間を研究に費やしてきたつもりであるが、コロナ禍でわかったのは、人間の知識の限界である。私のような人間は、知識の限界の只中で、事態が好転するのを待つしかない。偏在する痛みへの関心・想像力が要求されるのが、今のコロナ禍であると信じながら。
 しかし、マス・メディアやSNSから入ってくる情報を眺めてみると、声高に現在の政策に対する批判がなされている。素人が見ても、到底、専門家とは言えない人間が、果たして本当に妥当なのかも疑わしい数値を提示しながら、盛んに現在の自粛生活を批判している。もちろん、民主主義の原理に照らしてみて、専門家ではないからといって、批判の声を上げるべきではないという論は成り立たない。しかし、「論破」という言葉が好まれるように、批判者の多くは、相手の言い分を聞かず、徹底的に攻めていく。もはや、対話の余地はない。そこに生まれるのは、断裂だけである。同じ現象が昨今のウクライナ情勢をめぐる議論にも見られる。戦後日本のタブーの一つともされていた核武装や再軍備の議論は、もはやタブーではなく、雄弁に語って当たり前のものとされつつある。時代の流れは、急速に変わりつつあるようだ。このように時代の流れが転換するときを「危機」というのであろう。

 そんなことを私が考えるきっかけになった一つは、若松英輔氏と山本芳久氏の対談が収められている『危機の神学——「無関心というパンデミック」を超えて』(文藝春秋、2021年)であった。

無関心というのは、他の人への配慮が足りないだけではなく、自分自身がいわば世界を喪失している状態です。実に多様な喜びにも苦しみにも満ちたこの世界の豊かなあり方に対して心が閉ざされてしまっていること。それは、無関心なあり方をしている人自身にとっての危機でもあるわけで、それを克服するための、揺り動かされているという決定的な画期に私たちは直面しているのだと、教皇はコロナに直面して繰り返し説いているんですね。

(同書、228-229頁)

 教皇フランシスコの神学を手がかりに、現在の危機を無関心という言葉で表している。自粛生活に対する批判でも、ウクライナ情勢をめぐる議論でも、相手の主張が間違っていることを徹底的に攻撃するばかりで、相手への配慮に欠けているように思える。現代社会に蔓延るのが、無関心であり、現在の危機は、無関心をいかに克服するかなのである。

 相手を攻撃する行動規準について、上記の対談でも言及されている以下の河合隼雄氏の言葉が示唆的である。明恵の史的意義を評価するなかで、河合氏は次のようにイデオロギーの魅力と人間の浅はかさを端的に述べている。

「これが正しい」ということは、「これ以外は誤り」ということになりがちであり、そこに極めて明白な主張が可能となり、多くの人をひきつけることになる。イデオロギーは善悪、正邪を判断する明確な規準を与える。……しかし考えてみると、人間存在、あるいは世界という存在は、もともと矛盾に満ちたものではなかろうか。もっとも、矛盾などと言っているのは人間の浅はかな判断によるものであり、存在そのものは善悪とか正邪とかを超えているのではなかろうか。

(河合隼雄、『河合隼雄著作集9 仏教と夢』岩波書店、1994年、71頁)

イデオロギーは、行動規準を示してくれているかのようであり、不安に苛まれる人々にとって、清涼剤となるであろう。しかし、イデオロギーが行き交う世界に広がるのは、ホッブズの『リヴァイアサン』で描かれたような利己的な人間同士の闘争である。善悪を明確にし、相手を攻撃する世界に、協調というものは存在しない。イデオロギーという悪魔的な魅力を乗り越えつつ、他者への関心、配慮はいかに形成されるのであろうか。少なくとも時代の流れに抗することが必要であろう。

 その手がかりを教えてくれるのは、森岡清美氏の『真宗大谷派の革新運動——白川党・井上豊忠のライフヒストリー』(吉川弘文館、2016年)である。時代が揺れる明治に、大谷派の宗門革新運動を展開させようと試みた白川党は、決して清沢満之の指導力によってのみ動いていたのではないと森岡氏はいう。そこにあったのは、熟議の精神であった。

白川党の面々、とくに清沢・稲葉・今川・井上は、そのうち二人で、あるいは三人でということもあったが、四人全部で、明治二九年の蹶起以前から、絶えず往き来して談合していた。それも頻繁かつ長時間にわたった。……異論があれば、会を重ねてでも徹底的に話合い、全員合意し賛成したうえで決するのが彼らの流儀であった。それは異論を潰すのではなく、異論を包んで乗りこえる作業であった。(同書、464頁)

 相手を配慮する熟議の場では、人を攻撃しかねない言葉を使わないように配慮する。熟議の場は、相手への配慮が要求される協調的な共同体なのである。清沢の精神が今日にも語り継がれているのは、ただ彼の功績のみではなく、異論を包み込んだ熟議の精神によるのである。

 人は、危機にあるとき、弱いがゆえに、雄弁に行動規準を語る強い思想にすがろうとする。おそらく、熟議とは、一人の人間では行動が性急にならざるを得ない状態を回避する営みなのであろう。私は弱い。だからこそ、時代の流れを決定づけるかのように見える強き思想にすがろうとする。しかし、そんなときこそ、弱き者のために、ますます加速化する時代の流れに抗して、熟議という営みによって、流れを緩めていくことが必要なのであろう。流れを緩めたとき、他者や世界への配慮が生まれ、あるべき自己へとたどりつくことができるはずだ。

(みやべ たかし・親鸞仏教センター研究員)

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「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること
「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること 浄土宗総合研究所研究員 石田 一裕 (ISHIDA Kazuhiro)  経典は読誦の対象であり、読解の対象でもある点で、読み物である。  読誦のときの経典は譜面だ。手に取った経本に記される経文を目で追いながら、声を出して一文字一文字を読み上げていく。その声は仏への祈りであり、儀礼を成り立たせる大切な要素となる。読誦は仏への真心によって成立する一つの行である。...
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「読み書きのできない者たちの中国古代史」
「読み書きのできない者たちの中国古代史」 早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平 (KAKINUMA Youhei)  親鸞は、読み書きのできない大衆(以下、無文字階層)をまえにして、仏法を説いたといわれている。たとえば『歎異抄』をみると、いたずらに学問に拘泥するよりも、むしろ「一文不通のともがら」が無心に念仏をとなえる姿をほめたたえている。また親鸞は晩年に「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき、愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、とりかえしとりかえしかきつけたり」とのべ、『一念多念文意』を著わしている。こうした親鸞の教えが13世紀頃から徐々に日本に広まってゆく背景には、無文字階層の民の存在があった。おりしも鎌倉幕府が成立し、関西方面では寺社仏閣・貴族が、関東方面では武士が中心となってしのぎを削るなか、親鸞のまなざしは無文字階層の民に注がれていたのである。...
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親鸞さんのわすれもの
親鸞さんのわすれもの 脚本家 今井 雅子 (IMAI Masako)  「脚本家の仕事を動詞ひとつで言い表すと?」  講演のつかみに、この質問を投げかけている。真っ先に挙がる答えは「書く」だが、書くことと同じくらい「話す」ことに時間と労力を割く商売である。三時間の打ち合わせで話し合ったことを踏まえ、三時間かけて原稿を書くといった具合だ。話すことと対になる「聞く」も欠かせない。物語のモデルになる人物や職業について取材したり、世の中の声を拾ったり。執筆には「調べる」が欠かせない。膨大な資料を「集める」のも「読む」のも取材であり、読んで字のごとく「取って来た材料」を使い勝手のいいように整理したり並べ替えたり「まとめる」までが、料理で言うところの下準備。それを「組み立てる」のが調理で、「ひらめく」のは味つけといったところか。作業には終始「考える」が伴い、何度も「直す」「磨く」を経て脱稿、納品となる。...
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You know me〜月並みに口説くな〜
You know me〜月並みに口説くな〜 アーティスト なみちえ (Namichie)  深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。だが永遠はすぐに終わった。ヒュッと何か巻き戻したかのような感覚で時空間は歪み、その勢いで自分が自分を起こした。「ッゴホホッ」と喉の奥から大きな音を立て、むせ返り床と一体になっていた体が分離した。はっとなり起き上がり、その新鮮な体は周りを見渡す。目の前の丸いテーブルには奇妙な形をした、歪な湯呑みが置いてある。...
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いびつさの居場所
いびつさの居場所 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。...
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釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇
釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■対話なき今  オリンピックと同じく「平和の祭典」であるパラリンピックがまさに開催されていた2月末、ロシアがウクライナへ軍を進めた。開会式では国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が「私は平和のメッセージから始めたい……始めねばならない」と切り出した演説が話題になった。オリンピック・パラリンピック開催期間中の休戦を求める国連決議(ロシアと中国も共同提案国に含まれている)にも言及しながら、「21世紀は戦争と憎悪ではなく、対話と外交の時代」だとし、包摂的で、差別と憎悪と無知と紛争から自由な、そんな世界を希求すると述べた。異例とも言える直截的な平和の訴えだが、演説のこの部分などが(おそらくは政治的配慮から)中国国営テレビの生放送では中国語に翻訳されなかったことが報じられた。...
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根源的な虚無とどう向き合うか
根源的な虚無とどう向き合うか 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu)  新型コロナウイルスの問題に直面して、二年という年月を経てきた。私自身、コロナ以前のことを振り返るのがつらくなっている。もはや、以前のようには戻れないと感じるようになったからである。失われてきたものの大きさに、ようやく気づかされることになってきたからである。...
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流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神
流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  気づけば、新型コロナウイルス感染拡大から2年が過ぎてしまった。「自粛」が始まった当初には「非常」として感じられた現象は、すっかり日常生活を侵食してしまった。自粛生活がルーティン化したからといって、事態がよくなったわけではない。街を少し歩いてみても、閉店してしまった馴染みの店が目につく。新型コロナウイルスの感染は、人類にほぼ等しく降りかかるリスクでありながら、その痛みは偏在する。...
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どうしようもなさを共に
どうしようもなさを共に 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro) お元気ですかいかがお過ごしでしょうか?こっちはさして問題もなくみんな元気でやってマウス暑いと言えば暑いのかさむいと言えばさむいような一言じゃとても言えないけどとても快適なんだよ (「彼方からの手紙」『WILD...

今との出会い 第224回「「こちら側」と「あちら側」――浅い理解と深い共感」

宮部峻

親鸞仏教センター嘱託研究員

宮部  峻

(MIYABE Takashi)

 今でこそ出会うことは少なくなったが、私の言うことにすぐに「わかる」と相槌を打ってくれる人が周りに何人かいた。皮肉屋の私は、「自分が苦労して考えてきたことや悩みに対して、そんなすぐに『わかる』という浅い言葉で済ませるとは何事か」と心の中で絶えず思い、未熟なので、ときに口に出した。もちろん、相手に悪気があったわけではないだろうが。とはいえ、こちらの考えていることは、あちらにそうたやすく理解できるわけはないだろうと思わざるを得ないのもまた事実なのである。そうであるからこそ、ときに「こちら」と「あちら」で分断が生じる。これは何も一対一の関係に限ったものではない。政治やジェンダー、人種をめぐっても「こちら」と「あちら」の分断は見られるし、SNSでも分断は生じている。どうやら「こちら」と「あちら」はわかり得ないようだ。にもかかわらず、さもわかったかのように、双方が互いを語ってしまい、双方はその語りを事実ではないと反発して、ますます分断がエスカレートしてしまうのだろう。


 アーリー・ホックシールドという社会学者が『壁の向こうの住人たち』(布施由紀子訳、2018年、岩波書店)という本で、ティーパーティーやトランプ前大統領の支持者にインタビューをして、アメリカ右派の人々が支持する政策の根底にある感情に迫ろうとしている。ホックシールドは、バークレーというアメリカでもリベラルの多い地域に住んでいることもあって、果たして、「壁の向こう」にいる右派の人々は何を心で感じているのか想像しようとした。ホックシールドは、右派の人々が心で感じている物語を「ディープストーリー」と名づけ、それに迫ろうとしている。ホックシールドが立派なのは、ティーパーティー支持者やトランプ支持者の感情を描き出したことに留まらない。決してバークレーという地域に留まることはなく、「壁の向こう」の「あちら」の街へ踏み出そうとしたことである。ホックシールドは、理性に留まらず、理性を揺るがしかねない感情の領域に迫り、深い物語へと迫ろうとしたのである。そして、それを言葉にしようとした。


 私たちは「あちら」を理解しているようで、その理解は浅いものであることが多いのかもしれない。「あちら」には、それぞれの感情に支えられた深い物語がある。その深い物語を理性で理解するのは、至極困難であろう。

 しかし、それでもなお、私たち——少なくとも私——は、「あちら」のことを頭で理解して言葉で語ろうとすることをやめられないし、やめるつもりもないだろう。身近な生活の領域で分断が生じやすい今だからこそ、「あちら側」に深い共感——ただし、安易な同調ではない——をし、その感情により揺らいだものを頭で理解し、言葉にしていく試みに救いの一手を見出したいのだ。

(2021年12月1日)

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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi)  日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。  この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。...
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今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)...
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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177...
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著者別アーカイブ

「親鸞仏教センター通信」第76号

宮部峻 掲載Contents

巻頭言

東  真行 「なりたくもない」

■ 第2回現代と親鸞公開シンポジウム報告

青山 拓央 「生まれることの悪と、生み出すことの悪」

竹内 綱史 「生のトータルな肯定は可能か―ショーペンハウアーとニーチェから―」

難波 教行 「「生命讃仰」言説の落とし穴―親鸞思想を通して―」

加藤 秀一 (コメンテーター) 中村 玲太 (開催趣旨)

■親鸞と中世被差別民に関する研究会報告

講師 上杉  聰 「部落史研究からみた親鸞聖人の思想と時代」(後編)

報告 菊池 弘宣

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「「源空聖人の真影の銘文(隆寛による銘文) 」後半

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

宮部  峻 「高木宏夫(1921〜2005)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第213回「クソどうでもいい時代に対抗するために」

宮部峻

親鸞仏教センター嘱託研究員

宮部  峻

(MIYABE Takashi)

 去年の8月に、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店)という本が翻訳・出版された。世界的にも著名な学者が現代の労働環境を真面目に分析した本のタイトルに「クソどうでもいい」という言葉が入るのだから、世も末だな、と笑いながらも、この本の分析には、自分の周辺の状況と照らしてみても「なるほど」と納得させられるものがあった。


 テクノロジーの進展とともに、人が生産に携わる労力は大幅に減少した。その代わり、コンサルタントやマーケティング、金融サービス、人材管理、広報といったサービス業が増大し、膨大な書類・手続き業務の割合も増加した。これらの仕事は直接には生産に携わっていないから、何のために仕事をしているのかと多くの人が苦悶する。にもかかわらず、いやだからこそ、書類作成や会議・ミーティングに熱心になり、自己啓発のためにセミナーにも出席する。しかし、これらの仕事がやはり世の中にとって本当に必要な仕事なのかはよくわからない。おかしな状況である。これまであまり問題化されてこなかったが、多くの人が無意味に感じてきた仕事を「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」とグレーバーは名付けている。ウィットに富んだ書き振りでありながらも、グレーバーが明らかにした現実は、あまりにも過酷なものである。

 なるほど、膨大な書類仕事のように、人の役に立っているのかもわからない仕事に対して「ブルシット(クソどうでもいい、騙されている)」とついつい言ってしまいたくなる気持ちもわかる。というより、何を隠そう、私の口癖に近いものが少なからずある。私自身は、書類仕事が比較的少ない環境にいるはずだが、それでも関わらざるを得ない局面が少なからずある。


 常日頃、私の言葉の汚さは「育ちの悪さによるのだろう」と思っており、周りにもそのように説明することが多い(だからと言って私の言葉に不快な思いをした人にとって許されるべきことではないのだが)。だが、この本によれば、どうもそうではないらしい。いわく、資本主義が生み出した現代社会の病理によるものだそうだ。私は育ちによるものとは限らないらしいと安心(?)するとともに、だとすると、これは根深い問題だと思った。個人の品性の問題ではなく、資本主義社会が原因で、不可避的に「クソどうでもいい」という言葉を発したくなる、あるいは発せずとも心理的にフラストレーションを抱えてしまう状況が作り出されているからだ。

 仕事での怒りに似た感情や気持ちを沈めるのに、アンガー・マネージメントやマインドフルネスと言った手法も注目されている。しかし、「クソどうでもいい」という怒りにも似た感情を押し殺すだけであるなら、社会的な問題を個人の問題にすり替えたに過ぎない。なら、素直に「クソどうでもいい」と言うべきか。それとも、何か代わりの言葉を与えてやるべきなのだろうか。


 言えそうなのは、怒りを宥めるのでもなければ、怒りを一人で抱え込むこともさせずに、その感情を自己へ、他者へ、社会へと表現する言葉を与えてやることが必要だということだ。それが今のところ「クソどうでもいい」という言葉なのかもしれない。ただ、代わりの言葉が見つかったとき、社会は良い方向へと向かっていくのではないか。こうした可能性に賭けてみたく思う。

(2021年1月1日)

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今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi)  日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。  この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。...
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今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)...
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今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177...
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今との出会い 第229回「哲学者とは何者か」 親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一 (KOSHIBE Ryoichi)  今、ヤスパースの『理性と実存』を訳しているので、なぜ自分がこうしたことをしているのかを書いて見よう。...

著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第74号

宮部峻 掲載Contents

巻頭言

谷釜 智洋 「自分の足跡を消さない」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

講師 本多 弘之 「「無慚無愧」ということ

報告 越部 良一

■ 第64回現代と親鸞の研究会報告

講師 伊藤  聡 「「神国日本」という語りの重層性」

報告 飯島 孝良

■ 「正信念仏偈」研究会報告

東  真行 「親鸞にとって七高僧とは」

■ 源信『一乗要決』研究会報告

藤村  潔 「『一乗要決』成立にいたるまでの源信の思想史的検証」

■ 清沢満之研究会報告

長谷川琢哉 「『他力門哲学骸骨試稿』――自筆ノートの調査から見えてくる研究課題――」

■ BOOK OF THE YEAR 2020 

●『こまゆばち』(文・澤口たまみ、絵・舘野鴻)

紹介者:東  真行

●『僕という容れ物』(壇廬影 )

紹介者:谷釜 智洋

●『死の影の谷間』(ロバート・C・オブライエン著、越智道雄訳)

紹介者:伊藤  真

●『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(パトリック・J・デニーン著、角敦子訳)

紹介者:宮部  峻

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

伊藤  真 「加能作次郎(1885〜1941)」

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: