親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第163回「市場経済とペットの命」

大谷一郎

親鸞仏教センター嘱託研究員

大谷 一郎

(OTANI Ichiro)

 先日、妻が野良猫の赤ちゃんを連れて帰ってきた。勤め先の事務所の横に捨てられていた三匹の子猫を、職員三人で一匹ずつ引き取ってきたという。家にはすでに犬、猫各一匹いるので、まさかと思ったが、いたし方ない。すでにいる猫は新参者に興味津々だ。ゴロニャーゴと低い声で鳴きながらそばから離れない。犬も尾を振りながら鼻先で小突いている。すでにいる二匹も里子だ。縁あって、犬はペットショップで成犬になってしまったのを引き取り、猫も野良の子どもを引き受けた。


 飼いはじめるのは簡単だが、実際に毎日面倒を見るのは大変である。散歩や食事、排泄(せつ)物の片づけなど結構手間がかかる。調子が悪そうなら心配になり動物病院へ連れて行くのだが、人間と違い健康保険はないので高額だ。また、長生きすると20年くらい生きるので、そのころ私も生きていれば70歳を越える。犬も猫も人間と同じく年を取って認知症になることもあるという。かわいいだけではとても飼えない。


 近年のペットブームで、現在のペット市場の規模は1兆4000億円にのぼるとも言われている。1兆4000億円といってもピンとこないが、例えば、紙ベースの出版物の市場規模とほぼ同等である。近所のショッピングモールに行けば必ずといっていいほどペットショップが入っていて、10万円から25万円くらいの値の付いた多くの子犬、子猫たちがショーケースに展示されている。休日にもなれば大勢の客が集まっているのを見ると、それだけの規模があるのもうなずくことができる。

 その一方で、あまり表には出てこないが、売れ残った動物の多くは処分業者に引き取られ処分されているのだ。全国で殺処分される数は、実に年間10万匹だという。一日にしてみると300匹近くが殺されているわけだ。


 人間の欲望を基本にした市場経済のなかでは、残ったものは処分される。ものではなく、犬や猫という命を市場経済にのせ、大量消費し、いらないものはゴミのように処分してしまう感覚に違和感を覚えざるをえない。


 今の社会は、夢とか希望とか耳触りのいい言葉や自分に快さを与えてくれるものであふれているが、不快なものや苦しいこと、都合の悪いものはなるべく見えないように覆い隠しているように思う。だからこそ、本当の姿を自分から求めていく姿勢が大切になる。


 ペットの問題にしても、命を大切にというのはたやすいが、実際に目の前にある命とどう関わっていくのか、一人ひとりの態度の問題である。それにはこれだけ多くの動物たちが毎日殺されているという現状を知るということなくてはできないことだろう。


(2016年12月1日)

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繁田
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」 親鸞仏教センター嘱託研究員 繁田 真爾 (SHIGETA Shinji)  2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。    実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。    展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。    現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。    「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。    だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。    それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。   (2024年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」
今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi)  西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。   真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。 (『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)    現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。    キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。   軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。 (八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)    八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。   ①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。    曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。    強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。   ②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。    S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。   ③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。    衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。   ④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。    私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。    「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。   ⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。    長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。    私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。    私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。    「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。 (2024年元日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第242回「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」
今との出会い第242回 「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」 「ネットオークションで出会う、 アジアの古切手」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO...
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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」
今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる) (「正信偈」『聖典』206頁)  「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。  その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。  では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。  梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。  そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。  これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。  さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。  すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。  彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。  その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。  しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。  侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。  ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。  また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。  この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。  では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。  梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。  武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。  ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。  その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。  悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。 最近の投稿を読む...

著者別アーカイブ

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「親鸞仏教センター通信」第58号

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

青柳 英司 「子どもを海に投げ入れる」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「欲生心は如来の回向心」

報告 越部 良一

■ 第52回現代と親鸞の研究会報告

講師 井手 英策 「尊厳と思いやりが交響する財政―次の世代がその次の世代とつながるために―」

報告 大谷 一郎

■ 第53回現代と親鸞の研究会報告

講師 森岡 正博 「宗教性を哲学者はどう考えるか」

報告 中村 玲太

■ 『教行信証』と善導研究会報告

青柳 英司 「善導引文に注目して『教行信証』を読む意義」

■ 清沢満之研究会報告

長谷川琢哉 「「他力門哲学骸骨試稿」再読―新たな清沢満之の宗教哲学研究に向けて―」

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「善導大師の銘文」(3)

■ 第13回親鸞仏教センターのつどい

講師 下田 正弘 「称名念仏と浄土―現代の思想的課題からの照射―」

講師 本多 弘之 「深層意識の自覚化」

報告 大谷 一郎

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

長谷川琢哉 「麟祥院」

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研究会・Interview
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『アンジャリ』第31号

大谷一郎 掲載Contents

『アンジャリ』第31号

(2016年6月)

■ Contents

クリス・バージェス 「国際化、多文化共生、または日本の「開国」ジレンマ」

入不二基義 「哲学的なレスリング、レスリング的な哲学」

大熊  玄 「「哲学の博物館」という矛盾」

石川 九楊 「親鸞の書――その逆接と逆説」

櫻井 義秀 「カルトからの回復――レジリアンスを手がかりに」

下園 壮太 「「必ず乗り越えられる」という言葉の力」

今村 純子 「「見ること」から「創ること」へ―映画『Peace』をめぐって」

■ 連載
■ 巻末コラム

大谷 一郎 「反知性主義の悲しみ」

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研究会・Interview
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「親鸞仏教センター通信」第56号

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

中村 玲太 「われに帰る」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「苦悩の場所で光に遇う」

報告 越部 良一

■ BOOK OF THE YEAR 2016

●『原爆供養塔――忘れられた遺骨の70年』(堀川惠子著)

紹介者 藤原  智

●『親鸞と学的精神』(今村仁司著)

紹介者 名和 達宣

●『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命――』(入不二基義著)

紹介者 中村 玲太

●『知性の構造』(西部邁著)

紹介者 越部 良一

●『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(小澤征爾、村上春樹著 )

紹介者 田村 晃徳

●『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(小熊英二著)

紹介者 法隆 誠幸

●『経済の時代の終焉』(井手英策著)

紹介者 大谷 一郎

●『沙門空海』(渡辺照宏・宮坂宥勝著)

紹介者 大澤 絢子

●『曽我量深先生の言葉』(津曲淳三編)

紹介者 中津  功

●『昭和史のかたち』(保阪正康著)

紹介者 金石 励成

●『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介著)

紹介者 松扉  達

●『ちいさなちいさな王様』(アクセル ハッケ著)

紹介者 大谷  綾

●『希望のつくりかた』(玄田有史著)

紹介者 田鶴浦 裕

■ 清沢満之研究会報告

名和 達宣 「清沢満之における「儒家的なもの」―『臘扇記』を読む Vol. 3 ―」

■ 『西方指南抄』研究会報告

講師 花野 充道 「天台本覚思想と親鸞」

報告 中村 玲太

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「善導大師の銘文(1)」

■ 第14回親鸞仏教センター研究交流サロン報告

提題 納富 信留 「「対話」とは何か――哲学から現代社会への問いかけ――」

討議 暉峻 淑子(コメンテーター)

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

藤原  智 「山王台」

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第54号

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

本多 弘之 「新天地へ……願に生きよ、と。」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「闇と明るみがいったいとなる」

報告 越部 良一

■ 第49回現代と親鸞の研究会報告

講師 上野千鶴子 「終末期ケアにおける宗教の役割―死にゆく人はさびしいか―」

報告 大澤 絢子

■ 第50回現代と親鸞の研究会報告

講師 平良  修 「沖縄を知る、日本を知る」

報告 大谷 一郎

■ 第13回親鸞仏教センター研究交流サロン

提題 西田 公昭 「カルト問題を再考する―宗教の〈魅力〉と人間の危うさ―」

討議 藤田 庄市(コメンテーター)

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「天親菩薩の銘文」(3)・(4)・(5)

■ 第12回親鸞仏教センターのつどい

講師 清水  博 「自己組織する地球の〈いのち〉―人間の死生観を超えて―」

講師 本多 弘之 「共に大悲の「場」を生きる」

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

藤原  智 「巣鴨監獄」

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第52回

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

中村 玲太 「夢うつつ」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「業因縁の存在の翻り」

報告 越部 良一

■ 第48回現代と親鸞の研究会報告

講師 若松 英輔 「非愛の詩学」

報告 大谷 一郎

■ 清沢満之研究会報告

名和 達宣 「清沢満之における「宗教」と「哲学」―『臘扇記を読むVol.2―」

■ 『西方指南抄』研究会報告

中村 玲太 「院政期から鎌倉期にかけての遁世―法然の遁世は他の遁世と異なるのか―」

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸 「勢至菩薩の銘文」(3)

■ 第12回親鸞仏教センター研究交流サロン

提題 諸富 祥彦 「〈孤独〉の可能性―カウンセラーの視点から―」

■ リレーコラム「近代教学の足跡を尋ねて」

名和 達宣 「伝通院」

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『現代と親鸞』第28号

大谷一郎 掲載Contents

研究論文
■ 第44回現代と親鸞の研究会

立岩 真也 「人命の特別を言わず/言う」

■ 清沢満之研究会

長谷 正當 「自己を“証しする(attester)”ものとしての弥陀の本願――本願はどこにおいて働くのか――」

■ 第9回親鸞仏教センター研究交流サロン

【問題提起】

桜井智恵子 「〈現代日本の教育観〉を問いなおす――「子どもたちの声」を手掛かりに――」

【全体討議】

菅原 伸郎(コメンテーター)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(15)」

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第46号

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

藤原  智 「東京の夜に思うこと」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「人生態度の転換」

報告 越部 良一

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸

■ 第44回現代と親鸞の研究会報告

講師 立岩 真也 「人名の特別を言わず/言う」

報告 大谷 一郎

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第44号

大谷一郎 掲載Contents

巻頭言

内記  洸 「処世術と、おばあちゃんの知恵袋」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

講師 本多 弘之 「言葉が光の意味をもつ」

報告 越部 良一

■ 『尊号真像銘文』試訳

内記  洸

■ 第42回現代と親鸞の研究会報告

講師 中谷  巌 「資本主義の歴史と文明の転換」

報告 大谷 一郎

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『現代と親鸞』第19号

大谷一郎 掲載Contents

研究論文
■ 第32回現代と親鸞の研究会

西岡 秀三 「持続可能な社会への転換―「低炭素社会」実現に向けて―」

■ 清沢満之研究会

加藤 智見 「日本宗教思想史における清沢満之の位置」

■ 第2回現代の諸課題と対話する研究会

斎藤  環 「「引きこもり」の若者に「宗教」の言葉は届くか」

■ 公開講演会2008

テーマ:「現代社会における“救い”」

内田  樹 「現代日本における呪いと祝福」

本多 弘之 「現在状況の自己認識と未来への可能性」

■ 第1回親鸞仏教センター研究交流サロン

テーマ:「20世紀アメリカ文化と現代」

國府田隆夫 「日本とアメリカ―文化と文明という視点から―」

有賀 夏紀 「オバマ大統領就任の意味」

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(6)」

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: