親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)

今、改めてメディアを問う
―その過去・現在・未来、そして仏教―

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤 真

(ITO Makoto)

親鸞仏教センター研究員

宮部 峻

(MIYABE Takashi)

 親鸞仏教センターでは、2001年の設立以来、雑誌『añjali』を毎年2回(6月と12月)発行してきました。

 しかし2020年、コロナ・ウイルスの感染拡大による印刷、発送作業、配送などの困難のために、予定通り発行できない苦境に陥りました。そこで私たちは新たに『añjali WEB版』を発足させ、従来の「紙版」はデザインや構成をリニューアルして年1回発行としました。

 こうして紙版(12月発行)は41号(2021年)、42号(2022年)を、WEB版(毎年5月定期更新および随時更新)は特別企画を含めて4号をお届けしてきましたが、私たちの前に改めて問いが浮かんできました――特性の異なる「メディア」を使った紙版とWEB版は何がどう違うのか、違うべきなのか? この点いまだ試行錯誤している私たちは、今回の『añjali WEB版』「今、改めてメディアを問う」を企画し、さまざまな形で「メディア」に関わりながら活躍されている方々に寄稿していただきました。当センター職員も執筆陣に加わった本企画は2週連続更新です。

 

第1週:メディアの過去・現在・未来--メディアとは何か? どのようなメディアがこれまで何を伝えてきて、これから私たちはどのメディアをどう活用していくのか? メディア論、メディア史の視点から考える。

(いとう まこと 親鸞仏教センター嘱託研究員)

(みやべ たかし 親鸞仏教センター研究員)

他の著者の論考を読む

表紙
今、改めてメディアを問う――その過去・現在・未来、そして仏教(特集趣旨1/23)
今、改めてメディアを問う ―その過去・現在・未来、そして仏教― 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO...
表紙
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明治初期の錦絵新聞とフェイクニュース
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掌(たなごころ)につつむのは
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『アンジャリ』WEB版(2023年5月1日更新号)
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『アンジャリ』WEB版(2023年1月30日更新号)
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(2023年1月23日更新号)...
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『アンジャリ』WEB版(2020年6月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2020年6月15日更新号) 目次...

今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」

伊藤真

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

 8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。

 私が参加したのは国際仏教学会(IABS)が3年に一度開催する学術大会で、当初2020年の開催予定だったがコロナ禍で延期され、5年ぶりに開催にこぎつけたものである。最終的には「リモート」と「対面」を併用する「ハイブリッド」型の大会となったが、世界中から集まる数百名の研究者や学生たちが直に会って仏教について論じ合い、親交を深めることにこだわった開催校・ソウル大学の皆さんに賛辞と謝意を贈りたい。私は「現代社会における仏教」という部会で「印陀羅網のメタファー再考―井上円了の思想を手がかりに」という華厳思想と近代仏教に関連する論題で発表した。休憩時間や部会終了後にも、各国の参加者の方たちと発表内容やお互いの研究について貴重な情報交換をすることができた。人と人が直接触れ合うありがたさ、コロナ禍で失われていたものの大きさを実感した5日間だった。

 今回は職場からの出張ではなく自主的な自費渡航だったため、日程は比較的自由で、寺院や博物館見学の時間も作れた。韓国最大の宗派である曹渓宗の本山・曹渓寺では、大音量のマイクで僧侶が詠唱をリードする中、本堂を埋めた信者さんたちが五体投地をする法要に出会うことができた。ソウル中心部の繁華街の一角の、生きた信仰の場であった。一方、軍事博物館である「戦争記念館」では、遥か先史時代と三国時代に始まり、同館の中心とも言える現代の朝鮮戦争の一部始終、そしてベトナム戦争への韓国軍の派兵まで、3階建ての巨大な博物館に展示室がずらりと並ぶそのスケールに圧倒された。ユーラシア大陸と地続きの地政学的な事情からも、朝鮮半島の人々がいかに歴史を通じて戦争と向き合ってきたか、改めて突きつけられる展示には重みがある。日本による植民地支配や秀吉の朝鮮出兵(壬申倭乱)には当然多くのスペースが割かれていたが、倭寇に関するかなり詳しい展示や、朝鮮戦争に国連軍として参加した16カ国の派遣部隊すべてについて、それぞれ丁寧な展示があったことも、ハッとする出会いであった。

 そして今回の旅で学会以外で一番印象深かったのは、北朝鮮との国境地帯の「非武装地帯」(Demilitarized Zone、通称DMZ)へのバスツアーに参加したことである。私はかつて北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの夫で元米兵の故チャールズ・ジェンキンスさんの自叙伝『告白』(角川文庫)を訳出させていただいたから、ぜひ国境の「38度線」は訪れてみたかった。首都ソウルからわずか45キロ北方のDMZへは、通訳ガイドが同行する半日の大型バスツアーを数社の旅行社が毎日運行している。南北のバッファーゾーンであるDMZは「38度線」から南北それぞれ2キロの幅で朝鮮半島を東西に貫くが、板門店(パンムンジョン)付近の韓国側の一部は観光客の立ち入りが可能だ。もちろんバスに兵士が乗り込んできてパスポートをチェックしたり、大型観光バスの立ち入りは1日5台の制限があったりはするのだが(そのため各社の先陣争いでツアーは早朝6時半に出発して猛スピードで高速道路を飛ばす)。なお、板門店は残念ながらコロナ禍以来、観光客は入れない。

 ツアーではまず、北朝鮮側が囚人を動員して国境を越えて韓国側まで掘削した極秘襲撃作戦用の「南侵トンネル」を見学(高さ・幅約2メートル、全長約1.6キロ。韓国側約450メートルの半分ほどが公開)。地下75メートル、へっぴり腰の私たち見学者がコツン、コツンと次々と天井に安全用ヘルメットをぶつけるようなトンネルで、3万人の襲撃部隊を韓国側へ瞬時に送り込む目論見だったというから驚きだ。ダイナマイトで岩盤を爆破しつつ手掘りで仕上げたというそのゴツゴツした壁面を見て、囚人たちの作業の過酷さと、それを強いた者の恐ろしい執念が感じ取れるように思えた。

  続いて、北朝鮮側が遠望できる「DMZ展望台」を訪れた。デッキへ出ると、運良く快晴となった青空の下に緑の大地が北方へと続いていた(曇天だと国境の向こうは見えないという)。手すりに沿って何台も並ぶ見学用の双眼鏡で覗くと、北朝鮮側のDMZの内外に作られた国策村の家々や、DMZの向こう側の高層住宅、さらには南北融和の象徴だったが今や機能停止している開城(ケソン)工業団地の一部が遠望できた。銃声もプロパガンダ放送の音もしない、静かな美しい緑豊かな大地のわずか数キロ先に、政治的・経済的統制下で暮らすことを強いられている人々の日常がある……それを想像するのは何とも非現実的な感覚だった。57年前の厳冬の夜、「38度線」から転戦してベトナム戦争の前線へ派遣されるのではとの恐怖に、やむにやまれず徒歩で密かに国境線を越えて逃亡したジェンキンス軍曹の姿も、思い浮かべることは難しかった。見学を終え、「今晩は繁華街の明洞(ミョンドン)でどんな韓国料理を食べようかな」などと考えながら、韓国の自由のすばらしさを思ったが、その自由の裏には時が止まったように70年間も続く南北の分断と対立・緊張の現実があること、そして自由な韓国に暮らす人々の「同胞」が(さらに拉致被害者の方たちも)北朝鮮の圧政下に日々を送っていること、そんな影の部分とのコントラストを真夏の強烈な太陽が却って鮮明に感じさせる気がした。

 最後に付け加えるならば、IABSの大会初日は8月15日、日本の「終戦記念日」は韓国では日本の支配を脱して国権を回復した「光復節」だった。DMZに隣接する見学施設には日韓で論争の絶えない「慰安婦問題を象徴する少女像」もあって、初めて実際に目にして強い印象を受けた。日韓の歴史と現実に「出会う」旅でもあったが、日本をはじめ各国の研究者や観光客を温かく迎えてくれた韓国の多くの人たちに直接出会うことができたことに、心より感謝したいと思う。

(2022年10月1日)

 8月のお盆休み中、学会発表のために韓国・ソウルを訪れた。海外へ渡航するのも、「リモート」でなく「対面」で学術大会に参加するのも、コロナ禍以来初めてだから実に3年ぶり。ビザの申請に韓国領事館前で炎天下に3時間並び、渡航前・ソウル到着時・帰国前と1週間で3度の規定のPCR検査に緊張し、日韓双方のアプリの登録や電子証明取得など、渡航は苦労の連続だったが、それだけの甲斐はあったと思う。今回は韓国で体験したさまざまな「出会い」について書いてみたい。

 私が参加したのは国際仏教学会(IABS)が3年に一度開催する学術大会で、当初2020年の開催予定だったがコロナ禍で延期され、5年ぶりに開催にこぎつけたものである。最終的には「リモート」と「対面」を併用する「ハイブリッド」型の大会となったが、世界中から集まる数百名の研究者や学生たちが直に会って仏教について論じ合い、親交を深めることにこだわった開催校・ソウル大学の皆さんに賛辞と謝意を贈りたい。私は「現代社会における仏教」という部会で「印陀羅網のメタファー再考―井上円了の思想を手がかりに」という華厳思想と近代仏教に関連する論題で発表した。休憩時間や部会終了後にも、各国の参加者の方たちと発表内容やお互いの研究について貴重な情報交換をすることができた。人と人が直接触れ合うありがたさ、コロナ禍で失われていたものの大きさを実感した5日間だった。

 今回は職場からの出張ではなく自主的な自費渡航だったため、日程は比較的自由で、寺院や博物館見学の時間も作れた。韓国最大の宗派である曹渓宗の本山・曹渓寺では、大音量のマイクで僧侶が詠唱をリードする中、本堂を埋めた信者さんたちが五体投地をする法要に出会うことができた。ソウル中心部の繁華街の一角の、生きた信仰の場であった。一方、軍事博物館である「戦争記念館」では、遥か先史時代と三国時代に始まり、同館の中心とも言える現代の朝鮮戦争の一部始終、そしてベトナム戦争への韓国軍の派兵まで、3階建ての巨大な博物館に展示室がずらりと並ぶそのスケールに圧倒された。ユーラシア大陸と地続きの地政学的な事情からも、朝鮮半島の人々がいかに歴史を通じて戦争と向き合ってきたか、改めて突きつけられる展示には重みがある。日本による植民地支配や秀吉の朝鮮出兵(壬申倭乱)には当然多くのスペースが割かれていたが、倭寇に関するかなり詳しい展示や、朝鮮戦争に国連軍として参加した16カ国の派遣部隊すべてについて、それぞれ丁寧な展示があったことも、ハッとする出会いであった。

 そして今回の旅で学会以外で一番印象深かったのは、北朝鮮との国境地帯の「非武装地帯」(Demilitarized Zone、通称DMZ)へのバスツアーに参加したことである。私はかつて北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの夫で元米兵の故チャールズ・ジェンキンスさんの自叙伝『告白』(角川文庫)を訳出させていただいたから、ぜひ国境の「38度線」は訪れてみたかった。首都ソウルからわずか45キロ北方のDMZへは、通訳ガイドが同行する半日の大型バスツアーを数社の旅行社が毎日運行している。南北のバッファーゾーンであるDMZは「38度線」から南北それぞれ2キロの幅で朝鮮半島を東西に貫くが、板門店(パンムンジョン)付近の韓国側の一部は観光客の立ち入りが可能だ。もちろんバスに兵士が乗り込んできてパスポートをチェックしたり、大型観光バスの立ち入りは1日5台の制限があったりはするのだが(そのため各社の先陣争いでツアーは早朝6時半に出発して猛スピードで高速道路を飛ばす)。なお、板門店は残念ながらコロナ禍以来、観光客は入れない。

 ツアーではまず、北朝鮮側が囚人を動員して国境を越えて韓国側まで掘削した極秘襲撃作戦用の「南侵トンネル」を見学(高さ・幅約2メートル、全長約1.6キロ。韓国側約450メートルの半分ほどが公開)。地下75メートル、へっぴり腰の私たち見学者がコツン、コツンと次々と天井に安全用ヘルメットをぶつけるようなトンネルで、3万人の襲撃部隊を韓国側へ瞬時に送り込む目論見だったというから驚きだ。ダイナマイトで岩盤を爆破しつつ手掘りで仕上げたというそのゴツゴツした壁面を見て、囚人たちの作業の過酷さと、それを強いた者の恐ろしい執念が感じ取れるように思えた。

   続いて、北朝鮮側が遠望できる「DMZ展望台」を訪れた。デッキへ出ると、運良く快晴となった青空の下に緑の大地が北方へと続いていた(曇天だと国境の向こうは見えないという)。手すりに沿って何台も並ぶ見学用の双眼鏡で覗くと、北朝鮮側のDMZの内外に作られた国策村の家々や、DMZの向こう側の高層住宅、さらには南北融和の象徴だったが今や機能停止している開城(ケソン)工業団地の一部が遠望できた。銃声もプロパガンダ放送の音もしない、静かな美しい緑豊かな大地のわずか数キロ先に、政治的・経済的統制下で暮らすことを強いられている人々の日常がある……それを想像するのは何とも非現実的な感覚だった。57年前の厳冬の夜、「38度線」から転戦してベトナム戦争の前線へ派遣されるのではとの恐怖に、やむにやまれず徒歩で密かに国境線を越えて逃亡したジェンキンス軍曹の姿も、思い浮かべることは難しかった。見学を終え、「今晩は繁華街の明洞(ミョンドン)でどんな韓国料理を食べようかな」などと考えながら、韓国の自由のすばらしさを思ったが、その自由の裏には時が止まったように70年間も続く南北の分断と対立・緊張の現実があること、そして自由な韓国に暮らす人々の「同胞」が(さらに拉致被害者の方たちも)北朝鮮の圧政下に日々を送っていること、そんな影の部分とのコントラストを真夏の強烈な太陽が却って鮮明に感じさせる気がした。

 最後に付け加えるならば、IABSの大会初日は8月15日、日本の「終戦記念日」は韓国では日本の支配を脱して国権を回復した「光復節」だった。DMZに隣接する見学施設には日韓で論争の絶えない「慰安婦問題を象徴する少女像」もあって、初めて実際に目にして強い印象を受けた。日韓の歴史と現実に「出会う」旅でもあったが、日本をはじめ各国の研究者や観光客を温かく迎えてくれた韓国の多くの人たちに直接出会うことができたことに、心より感謝したいと思う。

(2022年10月1日)

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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
飯島孝良顔写真
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
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著者別アーカイブ

伊藤 真

研究員の紹介

ITO Makoto
(嘱託研究員)

プロフィール

専門領域
中国(唐代)華厳思想、地蔵経典、日本近代仏教
略歴
1965年東京都生まれ。
京都大学文学部哲学科卒業。
佛教大学大学院文学研究科修士課程・博士課程(通信教育課程・仏教学専攻)修了。博士(文学)。
翻訳家(国際問題・現代史などの英文ノンフィクションを訳出)。
訳書に『驚くべきCIAの世論操作』(集英社インターナショナル新書)等。
現在、親鸞仏教センター嘱託研究員、佛教大学・東洋大学・大正大学・東京農業大学、各非常勤講師、東洋大学井上円了哲学センター客員研究員。
所属学会
日本印度学仏教学会、国際仏教学会(IABS)、国際井上円了学会、東アジア仏教研究会 ほか
研究業績

researchmapを参照。

当センター刊行物への執筆

『現代と親鸞』第45号
『アンジャリ』第39号
「親鸞仏教センター通信」第74号

WEBコンテンツの執筆

今との出会い第233回「8月半ば、韓国・ソウルを訪れて」
今との出会い 第223回「ブッダの中にアイはない!?」
今との出会い 第212回「疫禍の師走に想う「思い出の国」の人たち」
今との出会い 第206回「明日、生きて再び夕日をみることができるだろうか?」
『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号)
『アンジャリ』WEB版(2020年6月15日更新号)
コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview

釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇

伊藤真

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

■対話なき今

 オリンピックと同じく「平和の祭典」であるパラリンピックがまさに開催されていた2月末、ロシアがウクライナへ軍を進めた。開会式では国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が「私は平和のメッセージから始めたい……始めねばならない」と切り出した演説が話題になった。オリンピック・パラリンピック開催期間中の休戦を求める国連決議(ロシアと中国も共同提案国に含まれている)にも言及しながら、「21世紀は戦争と憎悪ではなく、対話と外交の時代」だとし、包摂的で、差別と憎悪と無知と紛争から自由な、そんな世界を希求すると述べた。異例とも言える直截的な平和の訴えだが、演説のこの部分などが(おそらくは政治的配慮から)中国国営テレビの生放送では中国語に翻訳されなかったことが報じられた。

 一方、当のロシアは停戦協議に臨んでも一方的に無理な要求を突きつけ、一向に「対話」の姿勢がみられない。そもそもウクライナとロシアは民族的にも国家としても本来一つだと言い出して対話相手の存在すら消し去ろうとしている。20世紀の両度の悲惨な大戦や冷戦などの体験を通じ、国際社会が(曲がりなりにも)構築しようとして来た対話による平和への努力の歩みを踏みにじるものだ(そしてブチャの惨事が明らかになってからは、ウクライナ側も態度を硬化させてしまった)。こうした危機を前に私たちは何らかの行動を起こすべきだろうが、ここではそれを直接論じることはしない。「対話」という問題意識の延長線上で、私の心に浮かんだ仏典の一場面について書いてみたい。

 

■対話劇としての仏典

 お経は多くの場合「如是我聞(にょぜがもん)」すなわち「このように私は聞いた」という文言で始まる。周知のように、釈尊のかたわらで長年仕えたアーナンダ(阿難)が聞き覚えていた釈尊の言葉を暗唱したことに由来し、後代に作られた大乗仏典の多くもこれを踏襲する。つまり、お経は形式上は阿難の「聞き語り」だ。しかしその内容はたいてい釈尊と誰かの「対話」という形になっている。弟子や修行者たちだけでなく、特に初期の仏典ではバラモンや学生、在俗の一般の信者との対話もある。大乗仏典の多くでは無数の比丘や菩薩や神々までもが集う釈尊の説法の「会座(えざ)」が舞台となり、釈尊の一方的なお説法といったイメージもあるかもしれない。それでも、しばしばそれは集まった「大衆(だいしゅ)」の中の誰かとの対話形式で、釈尊の対話の相手も単に教えを乞うというよりも、常に主体的な問題意識で問いかける。仏と衆生という立場の違いはあれ、やはり「対話」なのだと思う。

 特に文芸(あるいは宗教文学)的な作品として見た場合、「対話」的な結構が優れた仏典も多い。『華厳経』では無数の菩薩らに加え、竜や神々や人ならざるものも含めた衆生が曼荼羅のごとく何重にも毘盧遮那仏(釈尊)を取り囲むが、その中から仏の威神力を受けた菩薩が一人また一人と立ち上がってはみずからの理解を述べ、仏と「対話」をする。『観無量寿経』も、ドラマチックなその内容は、ビンビサーラ王妃ヴァイデーヒー(韋提希夫人)と釈尊との切実な「対話」という形を取っている。一方、有名な『維摩経』の「入不二法門品」では、ヴィマラキールティ(維摩詰)長者と釈尊の弟子たちとの哲学的ディベートが展開され、最後の文殊菩薩とのやりとりは「維摩の一黙、雷のごとし」というヴィマラキールティの緊迫感あふれる沈黙で終わる。タイプこそ違え、いずれも優れた「対話劇」と言えるだろう(ただし、これは戯曲的な作品として読めばということであって、教学的にはそれぞれまた種々異なる解釈がなされ得る)。ここでは対話劇の醍醐味を味わうことができ、今日においても多くのことを問いかけてくる『地蔵菩薩本願経』を取り上げたい。

 

■ファンタジックな対話劇・『地蔵菩薩本願経』

 この経典は9世紀以降に中国で広く信奉され、台湾などでは今でも人気の経典だが、唐末か宋代に中国で製作されたとの見方が一般的だ。やはり「如是我聞」と始まるが、「私」が聞いたという釈尊の説法の場所は忉利天宮、つまり世界の中心にそびえ立つ須弥山の頂上、帝釈天(インドラ)が住む天上の宮殿である。しかも説法の相手はここへ生まれ変わっていた釈尊の母(摩耶夫人)と十方の世界から来集したあまたの菩薩や鬼神の類。その衆生らは過去・現在・未来における地蔵菩薩による救済の対象である衆生だという、実にファンタジックな設定だ。「忉利天宮神通品」から「嘱累人天品」まで全13章の中、釈尊と文殊菩薩、摩耶夫人と地蔵菩薩などさまざまな組み合わせの対話が章ごとに展開するが、第2章の「分身集会品」では釈尊と地蔵菩薩の対話が描かれる(その一部は別の視点で『アンジャリ』第39号でも触れた)。

 「分身集会品」の冒頭もファンタジックだ。地蔵菩薩は分身の術を使い、宇宙に無数ある世界の無数の地獄に赴いて衆生を救済していたが、各地で救ったその無数の衆生と一緒に自身の無数の分身がそのまま忉利天宮にやって来る。そして釈尊が金色の腕を伸ばしてその無数の地蔵菩薩の頭を撫で、いよいよ対話ということになる。ところが開口一番、釈尊は意外なことを言い出すのだ(以下、訳は取意)。

「私はこの五濁悪世で強情っぱりの衆生を教化してきたが、10人中の1、2人はそれでもなお悪習が残ってしまう。衆生には聞いてすぐに信心を起こす者もいれば、暗鈍で長々と教えてやっと仏法に帰依する者もいるし、ついに帰依しない者もいる。そういう種々様々な衆生に合わせて私は仏の姿だけでなく、男女、天龍鬼神、比丘や比丘尼、菩薩から王・宰相に至るまで、様々に姿を変えてその前に現れて教化してきた。おまえも私が長年の間、教え導き難い強情っぱりの罪苦の重い衆生をいかに苦労して救い続けてきたことか、よく見てくれたまえ。」

 苦労を察してくれとは、いきなり何をおっしゃいますか、とは言わないものの、お地蔵さんも戸惑うに違いない釈尊の言葉である。だが釈尊は続ける……。

「私が教化しきれなかった衆生たちは、やがて地獄・餓鬼・畜生の悪しき道に堕ちてひどい苦しみを受けるだろう。そんな時におまえに思い出してほしいのだ。私がかつて忉利天で、私に代わってそんな衆生を救うようにと心を込めておまえに委嘱したことを。娑婆世界において、(私の入滅から)弥勒が仏として世に現れるまで、すべての衆生を残りなく解脱させ、永久に種々の苦しみを離れ、仏に出会えるようにしてやってほしい。」

 実は釈尊は間もなく入滅しようとしていて、最期の言葉を地蔵菩薩にかけていたのだ。


■釈尊と地蔵菩薩、最期の対話

 釈尊亡きあとに仏が現れるのは遥かなる未来の弥勒仏の世。入滅が迫る釈尊は、それまで延々と無仏の世に生きる衆生が哀れでならない。そこでどうやっても「悪趣」に堕ちてしまう衆生をみずからに代わって救ってくれるよう、地蔵菩薩に託してこの世を去って行こうとするのだ。大乗仏典における釈尊は常に高潔で超人的だ。しかしここに私は(語弊を恐れずに言えば)極めて人間的な釈尊を見る思いがする。そして地蔵菩薩もまた、地獄の衆生を助ける万能の救済者のイメージが強いが、ここでは分身を集めて元の一介の僧の姿に戻り、ぼろぼろと涙を流してこう応じるのだ。

「私は長く仏に導いていただいたおかげで不可思議な神通力や大智慧を身につけることができました。そして身を分けて無数の世界で無数の人々を仏法僧の三宝に帰依させ、生死の苦を離れて涅槃の安楽に至らせてきました。衆生の善事がたとえ髪の毛一本、涙一滴、砂一粒、塵一つのようにごくわずかだとしても、 私は徐々に解脱させ、 大いなる悟りの利益を獲得させてやりましょう。ただ願わくは世尊よ、後世の悪業の衆生のことをどうかご心配なさらずに。」

 地蔵菩薩は三度重ねて「ただ願わくは世尊よ、後世の悪業の衆生のことをどうかご心配なさらずに。」と釈尊に申し上げる。すると釈尊が次のように述べてこの章は終わる。

「よいぞ、よいぞ。私もおまえの喜びを助けよう。おまえは遙かなる昔におこした広大な誓願を成就して、広く衆生を救済し、まさに救い尽くしたならば、自分も悟りを開くがよい。」

 これはいったいどういう「対話」なのだろうか。未来の世に悪趣に落ちる衆生に思いを残して去っていく釈尊と、その思いを引き継ぐことを誓って釈尊を安心させようと泣く地蔵菩薩。そしてそんな地蔵菩薩の本願がいつの日か成就するよう、みずからはこの世を去っても支え続けようと応じる釈尊……。二人の深い信頼と励ましが往還するなんとも人情味のある別れの場面だ。それでありながら、忉利天宮というファンタジックな舞台で邂逅していることで、フィクショナルな歴史的対話に留まらない永遠性・普遍性もある。

 時空を越えるこの「対話劇」は、私たちに2つのことを問いかけてくるように思う。まず、時代は「五濁悪世」でそこに暮らす衆生の性質もさまざまだ。そんな衆生の前に釈尊も地蔵菩薩も種々の分身で現れる。それ自体は仏典では珍しくはない「方便」だが、今は教化者(仏菩薩)と被救済者(衆生)という枠を取っ払い、互いに同じレベルで理解し合う努力に基づく「対話」の象徴的な表現と捉えてみたい。一人ひとりがさまざまな価値観や世界観、種々の罪悪や善良さをも併せもつ中、人は互いにどのように信頼し合い、「対話」を進めるべきか(塵一粒ほどの「善根」をも信じるというのも見逃せない)。第二に、釈尊と地蔵菩薩とのやり取りからは、私たち自身は(地蔵菩薩が去り行く釈尊から後を託されたように)、先人たちや歴史から、何を託されていて、どのような展望のもとで未来に何を残していくのか、そんなことも問われている気がする。長引くコロナ禍でそもそも「対話」が希薄になっている中、私たちはさらに、「対話」がないがしろにされ、暴力で相手を屈服させようとする現実に直面している。ウクライナ情勢は私たちにもっと具体的な行動を要請するものかもしれないが、同時に、人や時代との「対話」ということを改めて考えてみることも大切ではないか。漢文で『般若心経』の2.5倍ほど、わずか680字の、一幕ものの優れた戯曲の小品のような釈尊と地蔵菩薩との忉利天宮での「対話」から、そんなことを思った。

(いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること
「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること 浄土宗総合研究所研究員 石田 一裕 (ISHIDA Kazuhiro)  経典は読誦の対象であり、読解の対象でもある点で、読み物である。  読誦のときの経典は譜面だ。手に取った経本に記される経文を目で追いながら、声を出して一文字一文字を読み上げていく。その声は仏への祈りであり、儀礼を成り立たせる大切な要素となる。読誦は仏への真心によって成立する一つの行である。  一方、読解はそうではない。それは疑念や迷いをともなう答え探しだ。一人の仏教徒として仏の説いた教えの海に飛び込むと、底の見えない深さに不安を覚え、果ての見えない広さに自分がどこにいるのかさえ分からなくなる。しかし、そこに真実があると確信して飛び込んだ以上、自身の疑いをはらすべく、もがきながら、迷いながら教えの海を進んでいくしかない。  私が最もよく読む『無量寿経』には、小さな升であっても極めて長い年月をかければ、大海を汲み尽くし、底にある財宝を手に入れることができると説かれている。仏の真の智慧を求めて、日々この水を汲み上げるのが仏道実践であり、経典の読解もその一つである。  たいそうなことをいっておきながら、インド仏教、その中でもアビダルマという分野を専門とする私が、このような経典読解を仏道実践として認識したのは、近年のことである。日々の研究はインド仏教史の一端を明らかにすることを目的とした営みであり、その視座においては大乗経典もまた一つの資料にすぎない。現在の仏教研究の最前線である大乗仏教の起源の解明は、個々の経典の成立を課題として研究が進められている。経典の成立が課題になるのは、当然、それが歴史的ブッダの金口の直説ではないことが前提になっているからである。  仏教研究者は聖典を一つの文献として扱い、その成立過程を議論し、経典そのものをそこに説かれるブッダと切り離して、大乗経典が仏説であるという信仰を排した態度で自身の研究に臨む。このような研究によって、インドにおける仏教の歴史が明らかにされ、個々の経典が成立した思想背景が浮かび上がりつつある。しかし、仏教研究において研究者が完全に信仰を排しているかといえば、それは否である。研究の手法においては主観的要素が入らないよう注意深くなるが、そもそもの研究対象の選定には自身の信仰が大きく影響を与えている。  インド仏教研究を概観すると『無量寿経』や『阿弥陀経』といった浄土経典や『法華経』の研究が盛んであり、近年ではインド後期密教の研究が進んでいることがわかる。これは偶然ではない。というのは、日本の仏教では浄土宗や浄土真宗の浄土教系の寺院が多数あり、天台宗をはじめとした『法華経』への信仰は今でも力強く続いている。密教は真言宗という形で継承され、様々な儀礼や真言は文献上の記述としてだけではなく、生きた宗教として実践されている。研究者はこのような自身の信仰から逃れることはできない。それが自身の研究テーマの選択に影響を与え、客観的研究を推し進める原動力になっていくのであろう。その意味で、仏教研究に信仰が果たす役割は大きい。  それでは、純粋に信仰の対象として経典を読誦する現場では、仏教研究の成果がどのような影響を与えているだろうか。  私は、昨年、大乗非仏説をテーマとした講習会の講師を依頼された。その打ち合わせの席で、大乗仏教が仏説でないにも関わらず、私たちがそれを信じることの意味について話して欲しいという要望を聞いた。このような、大乗非仏説に対する困惑は、僧侶の養成に携わる中でも見ることができる。小さい頃から読んできたお経が、学問的には仏様が説いていないと知って、ショックを受ける者がいるのである。  ここには「ブッダが説いたからこそ経典には信じる価値がある」という理解がある。テーラワーダの出家者であれば、この主張を全面的に受け入れ、パーリ語で伝承された経典こそが、あるいはそれのみが、ブッダの直説であると断言するであろう。  ところが、日本の僧侶の中にはそのような断言をできない者がいる。これは、大乗非仏説という一つの研究成果が信仰に与えた影響といえよう。それゆえ大乗非仏説に対する僧侶としての見解が求められるのだ。この状況は『アンジャリ』本誌第41号(「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」)で大谷由香が指摘した事実、すなわち仏典を当事者として受け止め、覚悟をもって仏典の世界を生きることが、現代の僧侶にとって困難な可能性があることを示している。  仏典の世界を生きるために必要なこと、言い換えれば大乗非仏説という学説を乗り越えるためには、大乗を仏説として受け止め、その世界を生きる覚悟が必要である。その覚悟はあらゆる経典をブッダの直説として受け止めることであり、またそのようにして仏道を歩んだ先達の学説を指針にするとき、二千年以上の間、仏教徒が生きてきた広大な地平が開けてくる。私はこの「として」を選び取ったときにこそ、現代の仏教者が信仰の世界に生きることが可能になると思っている。そこを生きると決めるのは自分自身だ。そして、その選択をしながら生きている中で、その決定そのものが仏の導きであったとわかるのであろう。  仏説だから経典を信じるのではなく、私が信じたとき、そこに仏説としての価値が生まれるという私の解釈を、逆説的に感じる人もいるだろう。しかし、それこそが、大乗仏教が間違いなく仏説であるという確信を生むと私は考えている。  いつでも、誰にでも、ブッダが説いた経典の世界は開かれている。信仰の世界を生きるかどうかを決めるボールは私たちに預けられている。 (いしだ かずひろ浄土宗総合研究所研究員)  著者に『お坊さんはなぜお経を読む?』(浄土宗出版)。他論文多数。 他の著者の論考を読む...
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「読み書きのできない者たちの中国古代史」
「読み書きのできない者たちの中国古代史」 早稲田大学文学学術院教授 柿沼 陽平 (KAKINUMA Youhei)  親鸞は、読み書きのできない大衆(以下、無文字階層)をまえにして、仏法を説いたといわれている。たとえば『歎異抄』をみると、いたずらに学問に拘泥するよりも、むしろ「一文不通のともがら」が無心に念仏をとなえる姿をほめたたえている。また親鸞は晩年に「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき、愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、とりかえしとりかえしかきつけたり」とのべ、『一念多念文意』を著わしている。こうした親鸞の教えが13世紀頃から徐々に日本に広まってゆく背景には、無文字階層の民の存在があった。おりしも鎌倉幕府が成立し、関西方面では寺社仏閣・貴族が、関東方面では武士が中心となってしのぎを削るなか、親鸞のまなざしは無文字階層の民に注がれていたのである。  このような無文字階層の者と仏法との関係は、じつは古代中国にさかのぼる。そもそも仏教は漢代に伝来し、後漢時代には都の洛陽において仏像が作成されていた(※注1)。やがて後漢末の群雄のなかにも仏教を信奉する者があらわれ、とくに現在の徐州や南京にあたる地域で信者を増やしていった(※注2)。その後、『三国志』に描かれるような動乱の時代となり、それを統一した西晋もすぐに帝室関係者同士の争いによって動揺し、万里の長城以北に源流をもつ「五胡」が華北を席巻するようになる。なかでも石勒(せきろく)は、一介の奴隷から立身出世を果たした異種族出身者であり、後趙の皇帝にまでのぼりつめる。彼は文字を読み書きすることができず、部下に命じて『漢書』を音読させ、中国の歴史を学んだらしい(※注3)。このように無文字階層に属していた石勒は、しかし、仏教に深く帰依する。その発端は、西域からやってきた仏図澄(ぶっとちょう)が戦場で予言を的中させ、石勒の信任を得たことにあった(※注4)。仏図澄は無文字階層の石勒にたいして仏法を説き、かくしてそれが中国仏教の隆盛につながったわけである。  ところで、このように、中国古代に石勒のごとき無文字階層がいた点について、いささか意外に思われた読者もいるかもしれない。というのも、中国は一般に、「漢字文化圏」の中核に位置づけられ、近代まで世界の文化の最先端を走り続けた国として知られているからである。なるほど、漢字の祖先とされる甲骨文字は、紀元前13世紀頃にすでに出現しており、甲骨文の源流らしき記号の登場はそれ以前にさかのぼる(※注5)。その約千年後には漢帝国が成立し、現在とほぼ変わらぬ漢字の体系が構築されている。後漢時代には許慎『説文解字』という字書まで著わされている。よって、石勒は異種族出身の奴隷であったために無文字階層であったにすぎず、むしろその他大勢は漢字に習熟していたとしても一見不思議はない。この点をもう少し掘りさげて説明してみよう。  秦漢時代の法律には次のような規定があった。すなわち、「史(書記官)や卜(占い担当官)の子は17歳になったら学びはじめる。史・卜・祝(卜とは別種の占い担当)の学童は3年間学ぶ。チューターは彼らを大史・大卜・大祝のもとにつれてゆき、郡の史の学童は郡守のもとへゆき、みな8月1日までに試験をする」、「史の学童の試験は『十五篇』によって行なわれ、5000字以上をそらんじ書くことができて、はじめて史となれる。さらに「八体」によって試験を行ない、郡はその試験結果を大史に送り、大史が試験結果を読みあげる。成績最優秀者1人を県の令史とし、ビリは史としてはならない。3年間に1度、成績をひとつにまとめ、最優秀者を尚書の卒史とする」と。  これは前漢初期(前2世紀初頭)の律文であり、最近墓から出土した竹簡にしるされていたものである。いまや、これと似たような律文はその前後の時代にも存在したことが知られており、「5000字」を「9000字」とするなど、時代によって細部に相異があったことも確認されている。少なくとも上記の律文によれば、地方政府の書記官や占い担当官はおもに世襲であったようで、その子は17歳で専門に学習を始め、20歳になったら試験を受けた。なかでも成績優秀者は、地方政府の書記官、さらには中央政府の書記官に任命されることもあった(※注6)。  試験の内容は、「5000字」(もしくは「9000字」)をそらんじることと、「八体」(8つのフォント)に習熟していることであった。教科書は『十五篇』なるもので、『史籀(しちゅう)』をさすと推測されている。『史籀』とは周代以来の漢字学習書であるが、現存しない。それはともかく、このとき学童らが本当に3年間で5000~9000字を覚えたかは疑問も残る。なぜなら、現代日本の常用漢字は2136字で、それでも大学入試で満点の受験生は多くなく、そこから推しても中国古代の若者も漢字の暗記には手こずったとみられるからである(ひょっとしてこれは、5000~9000字の文章を暗唱するという意味であって、その文章を形づくる1文字1文字がすべて違う漢字であったわけではないのかもしれない)。そのうえ学童は、大篆や、小篆、もしくは印鑑上の文字のごとく、あわせて8つのフォントにも習熟していなければならなかったのだから、決してやさしい試験ではない。しかしもし成績優秀ならば、県の長官(令、長)や副官(県丞)をささえる書記官(令史)となることができ、そうでなくとも県の各部署の書記官になれた。「県」は地方政府のことで、数千から数万人の民を統治していた。なかでも飛び抜けて優秀な者は、中央政府の書記官に昇進することができたらしい。  このように、文字の読み書きにかかわる官吏はもともと世襲制であり、せいぜい数百人に1人くらいがその仕事に当たっていた。さすがは「漢字の国」。いまから2000年以上もまえに、かくも漢字に習熟していた役人がすでに各地方政府に存在していたのである。  では、そのほかの人びとはどれくらい文字を読み書きできたのかといえば、やはり疑問が残る。1982年の中国でさえ、12歳以上の「文盲・半文盲」は全人口の約30%、60歳以上なら約80%にのぼった(※注7)。だとすれば、古代の識字率もそれほど高かったとはおもえないのである。むしろ上記のごとく何千もの漢字を駆使できるのはごく一部の役人や学生に限られたのではないか。じっさいに、史書をひもとくと、文字の読み書きのできない者がしばしば登場する。たとえば赤眉の乱(紀元18~27年)に加わった諸将の多くは、文字がろくに書けなかったという(※注8)。また『三国志』に登場する王平は、蜀漢の名将として知られるが、じつは10文字未満しか書けなかったという(※注9)。しかし王平自身には学習意欲がなかったわけではなく、いつも部下に命じて『史記』や『漢書』を音読させて歴史を学んでいた。このふるまいは奇しくも石勒とそっくりである。  どうやら中国古代にも、親鸞の時代と同じように、無文字階層の人びとが少なからずいたようである。現在の歴史家は、残された考古資料や文字史料をつうじて、彼らの存在に迫るしかない。私は最近、『古代中国の24時間』(中公新書)を著わし、中国古代の人びとの日常生活に迫ろうと試みたのであるが、やはり無文字階層にどこまで迫ることができたかには疑問も残る。親鸞のごとく透徹したまなざしを無文字階層にそそぎ、そのことを書き残した史料でもあれば、中国古代の民衆の日常風景にもさらに具体的に迫ることができるのだが。現在陸続と出土している木簡や竹簡にそうした記載が含まれていることを期待するほかはない。 (注1)「後漢時代の墓地から中国最古の仏像発見...
アンジャリWeb20220515
親鸞さんのわすれもの
親鸞さんのわすれもの 脚本家 今井 雅子 (IMAI Masako)  「脚本家の仕事を動詞ひとつで言い表すと?」  講演のつかみに、この質問を投げかけている。真っ先に挙がる答えは「書く」だが、書くことと同じくらい「話す」ことに時間と労力を割く商売である。三時間の打ち合わせで話し合ったことを踏まえ、三時間かけて原稿を書くといった具合だ。話すことと対になる「聞く」も欠かせない。物語のモデルになる人物や職業について取材したり、世の中の声を拾ったり。執筆には「調べる」が欠かせない。膨大な資料を「集める」のも「読む」のも取材であり、読んで字のごとく「取って来た材料」を使い勝手のいいように整理したり並べ替えたり「まとめる」までが、料理で言うところの下準備。それを「組み立てる」のが調理で、「ひらめく」のは味つけといったところか。作業には終始「考える」が伴い、何度も「直す」「磨く」を経て脱稿、納品となる。  次々と動詞を挙げたが、これらを「動詞ひとつ」でくくるとしたら何だろう。そんな都合のいい動詞などあったっけと首をかしげる方もおられるかもしれない。  「脚本家の仕事を動詞ひとつで言い表すと?」へのわたしの答えは「つなげる」だ。これはとても懐の深い動詞で、世の中のほぼすべての動詞をくるんでしまう。なぜなら、どんな行為にも原因や結果があり、その行為だけが切り取ったように存在することはないからだ。「食べる」ことも「寝る」ことも命をつなげ、明日につながる。書き続けられる体さえあれば定年のない脚本家は、体が資本。よく食べ、よく寝ることも脚本家の大事な仕事だ。企画や自分自身を制作会社やテレビ局に「売り込む」。完成した映画やドラマを「広める」。企画が売れ、作品という商品が売れると、次の作品につながり、首がつながる。脚本の書き方を「教える」のは、次の世代へ技術をつなげることだと言える。  「つなげる」ためには、「接点を見つける(ときには作る)」必要がある。アイデア、知識、情報、人脈、自分の中にあるもの、外から取り寄せたもの。無数にある選択肢から何と何を選び、どう組み合わせるか。そこに作り手の個性が表れる。わたしの場合は「なんで?」「そんで?」と母国語の大阪弁で問いかけながら接点探しをする。「なんでこの組み合わせが面白いのか?」「そんで何が起こるのか?」と。その作業は連想ゲームによく似ている。  生まれ育った大阪府堺市を舞台にした映画『嘘八百』(2018年公開)は、古美術商と陶芸家の落ちぶれコンビ(演じるのは中井貴一さんと佐々木蔵之介さん)が千利休の幻の茶碗をでっち上げて一攫千金を企むコメディだが、骨董にも歴史にも明るくないわたしは「何も知りません。何でも教えてください」と白旗をバサバサ振って、その道の達人に教えを乞うた。その一人が、堺市博物館の名物学芸員・矢内一磨さん。一を聞いたら十返ってくる十倍返しのほとばしる熱量と話芸の持ち主で、専門は一休さんだが、千利休のことを聞くと万利休になって返ってくる。  「何を言ってるかわからないが面白い」と武正晴監督が目をつけ、当初の脚本にはなかった「学芸員」という新キャラが誕生した。矢内さんの口調そのままに学芸員のセリフをわたしが書き、矢内さんの生き写しのような暑苦しい学芸員を塚地武雅さんが熱演された。神出鬼没の学芸員は続編の『嘘八百 京町ロワイヤル』(2020年公開)でも存在感を放っている。  矢内さんとは『嘘八百』が生まれる数年前に小中学生を対象にした脚本講座をご一緒したご縁がある。しゃべり倒す矢内さんのそばにいると酸欠症状を訴える人もいるらしいが、わたしは一日一緒にいても平気で、矢内さんには「同じくらいしゃべる」好敵手として認められている。「YANAIとIMAIには『I(愛)』があります」という謎の一体感も抱いていただいている。  このエッセイを寄せることになったのも、矢内さんの紹介だ。矢内さんが親鸞仏教センターの飯島さんと登壇された一休寺でのトークイベントを配信で楽しませてもらった数日後、「あのときの飯島さんから、なんか書いてほしいと依頼が行きます」と連絡があった。  顔合わせの打ち合わせで「脚本家という仕事について」または「ショートショート」のお好きなほうでと依頼された。出席者の中に、わたしがnoteというプラットフォームで公開している「さすらい駅わすれもの室」を読んでくださっている方がいらっしゃった。小さな駅の片隅にひっそりと佇むわすれもの室を舞台にした掌編シリーズだが、「もしも親鸞さんがわすれもの室を訪ねるとしたら、探しものは何でしょうね」という話になった。今回は「脚本家という仕事について」をテーマに書いてみたが、読者の中に「親鸞さんのわすれもの」をひらめいた方が現れたら、そこから新たな物語を書き起こしてみよう。それもまた「つながる」だ。 (いまい まさこ・脚本家) 脚本家。主な脚本作品に映画「パコダテ人」「子ぎつねヘレン」「嘘八百」シリーズ、ドラマ「失恋めし」「ミヤコが京都にやって来た!」「てっぱん」、アニメ「おじゃる丸」、教育番組「昔話法廷」など。著書に小説『嘘八百』シリーズ、絵本『わにのだんす』など。 他の著者の論考を読む...
アンジャリWeb20220515
You know me〜月並みに口説くな〜
You know me〜月並みに口説くな〜 アーティスト なみちえ (Namichie)  深く沈み込んでゆく。何重にも天幕が覆い被さる。この眠りは本当に永遠に続くのだろうかとゆっくり考えている…。考え続けている……。だが永遠はすぐに終わった。ヒュッと何か巻き戻したかのような感覚で時空間は歪み、その勢いで自分が自分を起こした。「ッゴホホッ」と喉の奥から大きな音を立て、むせ返り床と一体になっていた体が分離した。はっとなり起き上がり、その新鮮な体は周りを見渡す。目の前の丸いテーブルには奇妙な形をした、歪な湯呑みが置いてある。  この場所にも見覚えがない一軒家の一階である。ここには肌馴染みの無いという感覚が近い。そして、今までの「私」がなんなのか忘れている。体が真新しい感じで究極に馴染みが薄いのだ。心と体が離れ離れになったような感覚である。  冷めた水が湯呑みの中で光っている。それを一口飲んで気を紛らわせようと少し昨日の記憶にあるそれを手に取った。  「あっ」  湯呑みに触れた瞬間、頭の中で、シナプスが機敏に揺らぎ言葉が脳天に届く。  “貴方は「ジシン」を取りすぎました。  そして「ジシン」と引き換えに時間を取り戻しました”  どうやら昨日を中心にした過去の自分の記憶と共にジシンとやらを失ったらしい。昨日自分が何をしてたか何を言ってたか全然おぼえていないし昨日口に含んだ様々なものはもうとっくに体液との境目が無い。過去の自分を紐解く為のキーは乏しい。  はぁあ〜………  頬に添えられた両手の温もりも一応私らしい。その体は部屋を一通りぐるぐるしながらどうにか一定期間だけでも心に折り合いをつけようと探究している。 ——少しぶよぶよな引き締まっていない体  カサついた肌 まとまらない髪 色んな方向に向いた眉毛。歩くのを止めた時に目の前にあった洗面所の鏡で自分を覗いた。外斜視の目には正気が無い。 はぁあ〜………2度目の無意識のため息。  「このやろう!このやろう!クソ!クソ!」  自分にビンタとかしても何も意味ないんだけど、新しい自分と新しい朝への祝福ってくらいの力量で顔をパシパシ叩いて清々しい勢いでアメニティをビリビリ破きメイク落としを使い、洗顔し、パックをしながらガラス一面の扉を開き朝風呂に入り、首やふくらはぎのリンパを流しながら無意識につぶやいた。  ”ジシンってなんだよ…初めて聞いたよ…”  今日からジシンを探しに行く旅が始まった。現在、朝10時。豪勢な別荘みたいな家を飛び出し外に出てしばらく歩いているとポケットのiPhoneが振動した。  「悪いな!ベンツ5人乗りで!」とLINEが来てたので「海沿いの散歩は気持ちいいよ」と返事した。1時間ほどして駅に着き電車に乗り家に帰った。実家に帰りすぐに「うっ」と内臓の奥から出たような声をあげると次第に体調が悪くなりはじめた。胃腸の調子がおかしい。トイレに直行すると二種類のフレーバーが絡み合ったスジャータのソフトクリームみたいな便がでた。「クソ!クソ!」肛門様”KING”がお怒り”RAGE”のようだ。切れ痔である。 *若さのタイムセール始まり 流行の焦燥感は価値なし*  急いで大腸内視鏡検査を予約し検査のための、精進料理を更に貧しくしたような食事も間もなく始まった。切れ痔が重要な疾患の予兆であるかもしれないと思ったのだ。検査当日は2リットルの下剤を飲み、腸を空にした。栄養バランスの悪い体はすっからかんな内臓と一緒だとより一層貧相なものに見えた。今から文章では大分情景を端折らせていただくので、もう私はケツの穴部分が空いた不織布のカサカサのズボンを履き膝を抱え間もなく青くて無機質なベッドに横になった。いつ注射したか忘れたが点滴からは鎮静剤が流れ始めていた。  看護婦が慣れた手つきでテキパキと検査の準備をしながら何故か私にこう聞いた。「何処とのハーフなんですか?」  「アッアフリカの〜〜〜〜!!」  ……  「うんぬぅ〜〜〜?!!」  直腸をスコープが上り直通運転し、下った。  鎮静剤のせいで朧げだが画面に映し出された私の腸は内視鏡で覗くと綺麗なピンクのジェットコースターみたいだった、と記憶している。検査結果を聞きに後日病院に行くと医者は「ポリープが一つあります。でもこれは誰にでもあるものですし、良性なので今は気にすることはないでしょう」と言った。  “腸あるある:ポリープ”  とにかくほっとして、気持ちが安心したせいか数週間ほどしたら私の肛門から出るスジャータも定番に落ち着いたように感じたし、KING...
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いびつさの居場所
いびつさの居場所 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota)  そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。  この1年は過去の自分と向き合う日々であった。特に自分が書いた文章を見直すというのがこれほど酷な作業だとは思わなかった。研究分野としては浄土教、特に法然の直弟・證空(西山派祖)の思想を専門としてきた。その證空思想を解明するにあたり、今なお折に触れ解釈し続けているのが、我々の往生と弥陀の成仏の問題である。いわゆる「往生正覚倶時」説と呼ばれる證空の教えについてである。 衆生を往生させなければ正覚を取らない、仏陀にならないと法蔵菩薩は誓っている。その法蔵菩薩がすでに仏陀になっているのだから、我々の往生はすでに完成しているのだ、とするのが「往生正覚倶時」説である。しかし、これは逆向きからも言えて、我々の往生が成り立たなければ――すなわち他力の信心が我々の上に確立しなければ、弥陀の正覚も成就されないのである。證空は、弥陀が正覚を成就した時を必ずしも十劫の昔に限定していない。我々の信心のところに弥陀が正覚を成就するとしている。これを受けて、書いた拙文が以下の通り。 衆生を度せんとする法蔵菩薩の兆載永劫の修行を受けて、今ここに弥陀が弥陀となる歴史の実現を自己の上に見た信仰告白こそが證空の「往生正覚倶時」説であろう。(「「機法一体」説成立の再検討――證空における「往生正覚倶時」説を中心として」『真宗教学研究』第37号〔2016〕、79頁)  今なお苦悶する一文である。「往生正覚倶時」の説明だけであれば、上記の説明だけでもよいのであるが、そこから力んで一歩踏み越えた一文である。もしかすると余分な説明かもしれない。そして、「弥陀が弥陀となる歴史の実現」とは……? 何度読んでもこのままでよいのか難しいところなのだが、修正するのも苦しくなる一文なのだ。永井玲衣『水中の哲学者たち』の一節を思い出す。 もたもたと言葉を重ねて、話は遠回りし、関係ないようなことを口走り、いややっぱり違いますごめんなさい、と顔をしかめて、他者は、他者だから、他者だから尊重すべきなんです、と繰り返す。みんなは、え? どういう意味? もっかい言って、どういうこと、どういう意味? と身を乗り出して、彼女と共に考えようとしている。/それを見たわたしはふと思う。昔読んだわけのわからない哲学書。彼は、世界のわけのわからなさを、わからないまま伝えるしかなかったんじゃないか。(「あともう少しで」より)  今ならわかるのであるが、先の拙文は論文を書き始めた頃、信仰の核心部分――だと思うところ――についてはじめて言葉になったものである。證空理解についてもたもたと言葉を重ね、修辞を重ね、いびつながらも少しだけ形として現れた言葉なのだろう。こうした證空理解が正しいか否かは再検討が必要である。実際、再検討もしている。ただ、わからないながら何とか證空の言葉を掴もうとした上記拙文は、法蔵菩薩の歴史を成り立たせる他力の世界に触れた当時の自分にしか書けなかったものであることに変わりはない。  なかなか言葉を掴めないものだなと思う。実家の話に戻ると、祖母の話を振ってくれるのに、具体的な昔話は一切しなかった。自分の感情も語れなかった。地元を離れ、語る言葉もどこかに置いてきてしまっていて、最近の様子などまるで知らなかったのだから、親族や地元の知り合いが織りなす輪、そことの温度差があるのは当然だ。だから思ったのだ。変に語るのはよそう。  一つ気づいたことがあった。みんなが語る祖母は、さっきまで生きていた祖母だった。「寒いのが嫌いなのに、今日はうんと寒くて可哀想だね」。葬儀の日にふと語られた一言にたじろいだ。地元に帰らず、地元と断絶のあった自分が圧倒されてしまったリアリティ、恐ろしく具体的なリアリティがそこにあった。圧倒されてしまう理由もそこにあったのだろう。まったく抽象的な存在ではなく、「死者」などと抽象的に括る語りが存在する余地はなかった。  しかし、ずっと場所も時も隔てていた自分にとっては、そのようなリアリティは遥か遠い。ただ、そういう具体性とは別の次元で、自分の人生に圧倒的な影響を及ぼしている何かがある。場所も時も隔てることによってようやく気づいた、影響のようなものがある。こうして書く文章からもわかるように酷く抽象的だが、自分にとっては具体的に人生を形成している存在なのだ。  ただ、語る言葉が出てこない。それでよいのだと思うが、きっと自分の中で言葉になった時には、もたもたした言葉になっていることだろう。上述の拙論のように書かなければならない時はある。その時に足掻いてひねり出した表現には、論文の価値とはまったく別の次元で、自分にとっての意味がある。しかし、語るより書くより、言葉が訪れるのを待つことの方が大切な経験もあるだろう。あの時、悲しみや懐かしさを適度に織り交ぜて、繕った思い出で語らなくてよかったと思う。それが受け入れられていたら、繕った物語にすがって再び語り、自分の気持ちがはじめからそうであったかのように納得していたと思う。そうやって物語が付加されると、透明な気持ちにも色が付いて鮮明になるのだろうが、今は少し待っていたい。むしろなぜこんなにも語れないのか、この違和感、不鮮明な思いと向き合うべきなのだろうと思っている。  足掻きながら、待ちながら。これからも言葉と対峙していくのだろう。どちらにせよ、そこに在るいびつなものにも居場所を与えたい。世界がそもそもいびつなのだから、それは世界の何かを正確に切り取っているのだと信じて。 (なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
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釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇
釈尊×地蔵菩薩——忉利天宮の対話劇 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■対話なき今  オリンピックと同じく「平和の祭典」であるパラリンピックがまさに開催されていた2月末、ロシアがウクライナへ軍を進めた。開会式では国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が「私は平和のメッセージから始めたい……始めねばならない」と切り出した演説が話題になった。オリンピック・パラリンピック開催期間中の休戦を求める国連決議(ロシアと中国も共同提案国に含まれている)にも言及しながら、「21世紀は戦争と憎悪ではなく、対話と外交の時代」だとし、包摂的で、差別と憎悪と無知と紛争から自由な、そんな世界を希求すると述べた。異例とも言える直截的な平和の訴えだが、演説のこの部分などが(おそらくは政治的配慮から)中国国営テレビの生放送では中国語に翻訳されなかったことが報じられた。  一方、当のロシアは停戦協議に臨んでも一方的に無理な要求を突きつけ、一向に「対話」の姿勢がみられない。そもそもウクライナとロシアは民族的にも国家としても本来一つだと言い出して対話相手の存在すら消し去ろうとしている。20世紀の両度の悲惨な大戦や冷戦などの体験を通じ、国際社会が(曲がりなりにも)構築しようとして来た対話による平和への努力の歩みを踏みにじるものだ(そしてブチャの惨事が明らかになってからは、ウクライナ側も態度を硬化させてしまった)。こうした危機を前に私たちは何らかの行動を起こすべきだろうが、ここではそれを直接論じることはしない。「対話」という問題意識の延長線上で、私の心に浮かんだ仏典の一場面について書いてみたい。   ■対話劇としての仏典  お経は多くの場合「如是我聞(にょぜがもん)」すなわち「このように私は聞いた」という文言で始まる。周知のように、釈尊のかたわらで長年仕えたアーナンダ(阿難)が聞き覚えていた釈尊の言葉を暗唱したことに由来し、後代に作られた大乗仏典の多くもこれを踏襲する。つまり、お経は形式上は阿難の「聞き語り」だ。しかしその内容はたいてい釈尊と誰かの「対話」という形になっている。弟子や修行者たちだけでなく、特に初期の仏典ではバラモンや学生、在俗の一般の信者との対話もある。大乗仏典の多くでは無数の比丘や菩薩や神々までもが集う釈尊の説法の「会座(えざ)」が舞台となり、釈尊の一方的なお説法といったイメージもあるかもしれない。それでも、しばしばそれは集まった「大衆(だいしゅ)」の中の誰かとの対話形式で、釈尊の対話の相手も単に教えを乞うというよりも、常に主体的な問題意識で問いかける。仏と衆生という立場の違いはあれ、やはり「対話」なのだと思う。  特に文芸(あるいは宗教文学)的な作品として見た場合、「対話」的な結構が優れた仏典も多い。『華厳経』では無数の菩薩らに加え、竜や神々や人ならざるものも含めた衆生が曼荼羅のごとく何重にも毘盧遮那仏(釈尊)を取り囲むが、その中から仏の威神力を受けた菩薩が一人また一人と立ち上がってはみずからの理解を述べ、仏と「対話」をする。『観無量寿経』も、ドラマチックなその内容は、ビンビサーラ王妃ヴァイデーヒー(韋提希夫人)と釈尊との切実な「対話」という形を取っている。一方、有名な『維摩経』の「入不二法門品」では、ヴィマラキールティ(維摩詰)長者と釈尊の弟子たちとの哲学的ディベートが展開され、最後の文殊菩薩とのやりとりは「維摩の一黙、雷のごとし」というヴィマラキールティの緊迫感あふれる沈黙で終わる。タイプこそ違え、いずれも優れた「対話劇」と言えるだろう(ただし、これは戯曲的な作品として読めばということであって、教学的にはそれぞれまた種々異なる解釈がなされ得る)。ここでは対話劇の醍醐味を味わうことができ、今日においても多くのことを問いかけてくる『地蔵菩薩本願経』を取り上げたい。   ■ファンタジックな対話劇・『地蔵菩薩本願経』  この経典は9世紀以降に中国で広く信奉され、台湾などでは今でも人気の経典だが、唐末か宋代に中国で製作されたとの見方が一般的だ。やはり「如是我聞」と始まるが、「私」が聞いたという釈尊の説法の場所は忉利天宮、つまり世界の中心にそびえ立つ須弥山の頂上、帝釈天(インドラ)が住む天上の宮殿である。しかも説法の相手はここへ生まれ変わっていた釈尊の母(摩耶夫人)と十方の世界から来集したあまたの菩薩や鬼神の類。その衆生らは過去・現在・未来における地蔵菩薩による救済の対象である衆生だという、実にファンタジックな設定だ。「忉利天宮神通品」から「嘱累人天品」まで全13章の中、釈尊と文殊菩薩、摩耶夫人と地蔵菩薩などさまざまな組み合わせの対話が章ごとに展開するが、第2章の「分身集会品」では釈尊と地蔵菩薩の対話が描かれる(その一部は別の視点で『アンジャリ』第39号でも触れた)。  「分身集会品」の冒頭もファンタジックだ。地蔵菩薩は分身の術を使い、宇宙に無数ある世界の無数の地獄に赴いて衆生を救済していたが、各地で救ったその無数の衆生と一緒に自身の無数の分身がそのまま忉利天宮にやって来る。そして釈尊が金色の腕を伸ばしてその無数の地蔵菩薩の頭を撫で、いよいよ対話ということになる。ところが開口一番、釈尊は意外なことを言い出すのだ(以下、訳は取意)。 「私はこの五濁悪世で強情っぱりの衆生を教化してきたが、10人中の1、2人はそれでもなお悪習が残ってしまう。衆生には聞いてすぐに信心を起こす者もいれば、暗鈍で長々と教えてやっと仏法に帰依する者もいるし、ついに帰依しない者もいる。そういう種々様々な衆生に合わせて私は仏の姿だけでなく、男女、天龍鬼神、比丘や比丘尼、菩薩から王・宰相に至るまで、様々に姿を変えてその前に現れて教化してきた。おまえも私が長年の間、教え導き難い強情っぱりの罪苦の重い衆生をいかに苦労して救い続けてきたことか、よく見てくれたまえ。」  苦労を察してくれとは、いきなり何をおっしゃいますか、とは言わないものの、お地蔵さんも戸惑うに違いない釈尊の言葉である。だが釈尊は続ける……。 「私が教化しきれなかった衆生たちは、やがて地獄・餓鬼・畜生の悪しき道に堕ちてひどい苦しみを受けるだろう。そんな時におまえに思い出してほしいのだ。私がかつて忉利天で、私に代わってそんな衆生を救うようにと心を込めておまえに委嘱したことを。娑婆世界において、(私の入滅から)弥勒が仏として世に現れるまで、すべての衆生を残りなく解脱させ、永久に種々の苦しみを離れ、仏に出会えるようにしてやってほしい。」  実は釈尊は間もなく入滅しようとしていて、最期の言葉を地蔵菩薩にかけていたのだ。 ■釈尊と地蔵菩薩、最期の対話  釈尊亡きあとに仏が現れるのは遥かなる未来の弥勒仏の世。入滅が迫る釈尊は、それまで延々と無仏の世に生きる衆生が哀れでならない。そこでどうやっても「悪趣」に堕ちてしまう衆生をみずからに代わって救ってくれるよう、地蔵菩薩に託してこの世を去って行こうとするのだ。大乗仏典における釈尊は常に高潔で超人的だ。しかしここに私は(語弊を恐れずに言えば)極めて人間的な釈尊を見る思いがする。そして地蔵菩薩もまた、地獄の衆生を助ける万能の救済者のイメージが強いが、ここでは分身を集めて元の一介の僧の姿に戻り、ぼろぼろと涙を流してこう応じるのだ。 「私は長く仏に導いていただいたおかげで不可思議な神通力や大智慧を身につけることができました。そして身を分けて無数の世界で無数の人々を仏法僧の三宝に帰依させ、生死の苦を離れて涅槃の安楽に至らせてきました。衆生の善事がたとえ髪の毛一本、涙一滴、砂一粒、塵一つのようにごくわずかだとしても、...
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根源的な虚無とどう向き合うか
根源的な虚無とどう向き合うか 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu)  新型コロナウイルスの問題に直面して、二年という年月を経てきた。私自身、コロナ以前のことを振り返るのがつらくなっている。もはや、以前のようには戻れないと感じるようになったからである。失われてきたものの大きさに、ようやく気づかされることになってきたからである。  自粛下、様々なものがストップし、いわゆる「欲望の体系」、および自身の欲求が遮断されていく状況の中、日夜あてどなく歩き回ることを繰り返した。その折にふと、「この問題は結局、自分自身が本当にどのように生きていきたいのか、本当にどう成りたいのかがわからない、何も浮かばない、そういう根源的な虚無感・ニヒリズムを突き付けてくる問題なのではないか。それが、政治・経済・医療等、対策の問題にすり替わったまま、顕在化することがない。そのことが、現代における根深い問題なのではないか。宗教に関わるものにとって危機的な問題なのではないか」と、そのような思いが心をよぎった。  大学生の頃、1990年代の半ば、梶井基次郎の小説『蒼穹』にある一節、「なんという虚無!」という言葉に惹かれていたことを思い出す。今の世の中は、それを口に出せないほど閉塞感で覆われている。むなしさを感覚し、それをキャッチするスペースすらないように思われる。それほどに、合理性で埋め尽くし、抑圧しきって生活しているのではないかと、心苦しく思っている。  昨今は、人の抱える苦悩が見えにくくなっている。苦悩それ自体がわからなくなっている時代であるような気がしている。極端な事例になるが、無差別殺傷事件が起こり、その動機に自殺願望がある場合、当人は、自暴自棄になって苦しんでいるという根本的な問題を抱えているのだと思う。今の時代、自分が苦しんでいても、一体何に苦しんでいるのかわからないまま、それを放置するよりすべがないように感じる。あるいは、自分が苦しんでいるということすらわからずに、抱えているものを誰にも打ち明けることもないまま、取り返しのつかないことを起こしてしまうという出来事が、起こり続けているように思う。  しかし、そうかといって、それぞれの存在が抱えているやっかいな重さを、吐き出せばそれでよいものなのだろうか。直接的であれ間接的であれ、相手にぶつけるというだけでは、解けずに残ってしまう問題もあるように思われる。  清沢満之に象徴される、明治期の煩悶する青年の問題を捉えた言葉に、「近代的自我」というものがある。それは、西洋の合理主義と日本における伝統的なもの、前時代的な封建的なものとの間に挟まれ、自己について考え、苦悩する姿を指すという。この問題は決して、明治期に限った一時的な問題ではないように思う。令和の時代にあっても、それを単に「古くさい」、「時代錯誤」という言葉で切り捨て、片付けられるものではない。それぐらい今でも、種姓観念、家系・血統という問題は、やっかいな重さ、深さを宿しているものだと感じている。寺の後を継ぐという問題などは典型的である。現代社会における課題とのギャップが、より深い苦悩になるということもあると言えるのである。  「反出生主義」という問題がある。それについて、「生まれてくること、及び産むことを否定する思想」という定義理解があり、私自身、「生まれる苦痛と生み出す害悪」というように簡易的に了解している。私は、「こんなことならば生まれてこなければよかった」と呻いたことのある人間だが、「反出生主義」という思想には、違和感を抱いている。というのも、理屈ではない。かつて聞いた、「私は生まれようと願って生まれてきたのだ」という言葉に深く共鳴しているからである。  後から思いを致せば、それは、中国の浄土教の祖師、善導大師の「両重因縁」の教え、すなわち仏教の生命理解に淵源がある。 すでに身を受けんと欲するに、自の業識を以って内因と為し、父母の精血を以って外縁と為す。因縁和合するがゆえにこの身あり。 (『観経四帖疏』:『真宗聖教全書』巻一、490頁)  その「業識」とは、「結生識」と言われ、「生まれようとする時のこころ」であると、昔、教えていただいた。つまり、現にこの身があるという事実を押さえて、生まれてくる縁は父母であるが、生まれてくる根本的な原因は自らの内にあるのだ、と。私はその一点を疎外せずに、尊重したいのである。  注目すべきは、「業」という思想である。「業」とは、「意思に基づく行為」であると理解している。またそれは、私自身の背景にある歴史性、社会性、すべてを担って現れてくるものだと受けとめている。実感しているのは、人が業を積み重ねれば積み重ねるほど、私が生きれば生きるほどに、縁あるものたちと隔たっていくということである。どうしてもすれ違っていってしまう。いつしか、自分自身とも不調和になっている。そういう本質的に孤独とむなしさを抱えざるを得ない悲しい生きもの、それを仏教は「凡夫」、すなわち「異生」という言葉で言い当ててきているのだろう。と同時に、「業」とは、意思をもって自己形成する。私が私自身に成っていく。そういう厳粛な確固たる事実を教え示してきているものだと、受け取っている。 聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 (『歎異抄』後序:東本願寺出版『真宗聖典』、640頁)  自己中心的に善と悪とを分別思量する心をたのみ、孤独とむなしさを免れることのできないものに、阿弥陀如来は、真実の居場所と因・「願い」を与えてたすけ遂げると、親鸞聖人は、ご自分の身に引き当てながら語りかけてきてくださる。そういう慈悲ある言葉に、抱える苦悩を射抜かれて、私は浄土真宗という仏道の教えを求めずにはいられないのである。 さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはそうらえ。 (『歎異抄』十三章:東本願寺出版『真宗聖典』、634頁)  私にとってよいことも悪いことも、丸ごとすべてひっくるめて、私の存在全体を、「摂め取って捨てない」と誓う如来の心にまっすぐ順う。自身の内には、如来の心に背くもの、事実を引き受けられない心があることを深く自覚して、本願の核心をたずね、私自身と現実の世界とに本当に責任を取っていくものに成ることが、私自身に与えていただいた「願い」であると思うのである。 (きくち ひろのぶ・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
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流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神
流れに抗うこと——危機の時代における熟議の精神 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  気づけば、新型コロナウイルス感染拡大から2年が過ぎてしまった。「自粛」が始まった当初には「非常」として感じられた現象は、すっかり日常生活を侵食してしまった。自粛生活がルーティン化したからといって、事態がよくなったわけではない。街を少し歩いてみても、閉店してしまった馴染みの店が目につく。新型コロナウイルスの感染は、人類にほぼ等しく降りかかるリスクでありながら、その痛みは偏在する。  研究者見習いである私のような人間は、この危機に対して、多少の不満を内に抱えながらも、ただ言われるがまま、行動を自粛し、ワクチンを接種する。それが果たして、本当に最も適切な政策であるのかはわからないままである。サボりながらもそれなりの時間を研究に費やしてきたつもりであるが、コロナ禍でわかったのは、人間の知識の限界である。私のような人間は、知識の限界の只中で、事態が好転するのを待つしかない。偏在する痛みへの関心・想像力が要求されるのが、今のコロナ禍であると信じながら。 しかし、マス・メディアやSNSから入ってくる情報を眺めてみると、声高に現在の政策に対する批判がなされている。素人が見ても、到底、専門家とは言えない人間が、果たして本当に妥当なのかも疑わしい数値を提示しながら、盛んに現在の自粛生活を批判している。もちろん、民主主義の原理に照らしてみて、専門家ではないからといって、批判の声を上げるべきではないという論は成り立たない。しかし、「論破」という言葉が好まれるように、批判者の多くは、相手の言い分を聞かず、徹底的に攻めていく。もはや、対話の余地はない。そこに生まれるのは、断裂だけである。同じ現象が昨今のウクライナ情勢をめぐる議論にも見られる。戦後日本のタブーの一つともされていた核武装や再軍備の議論は、もはやタブーではなく、雄弁に語って当たり前のものとされつつある。時代の流れは、急速に変わりつつあるようだ。このように時代の流れが転換するときを「危機」というのであろう。  そんなことを私が考えるきっかけになった一つは、若松英輔氏と山本芳久氏の対談が収められている『危機の神学——「無関心というパンデミック」を超えて』(文藝春秋、2021年)であった。 無関心というのは、他の人への配慮が足りないだけではなく、自分自身がいわば世界を喪失している状態です。実に多様な喜びにも苦しみにも満ちたこの世界の豊かなあり方に対して心が閉ざされてしまっていること。それは、無関心なあり方をしている人自身にとっての危機でもあるわけで、それを克服するための、揺り動かされているという決定的な画期に私たちは直面しているのだと、教皇はコロナに直面して繰り返し説いているんですね。 (同書、228-229頁)  教皇フランシスコの神学を手がかりに、現在の危機を無関心という言葉で表している。自粛生活に対する批判でも、ウクライナ情勢をめぐる議論でも、相手の主張が間違っていることを徹底的に攻撃するばかりで、相手への配慮に欠けているように思える。現代社会に蔓延るのが、無関心であり、現在の危機は、無関心をいかに克服するかなのである。  相手を攻撃する行動規準について、上記の対談でも言及されている以下の河合隼雄氏の言葉が示唆的である。明恵の史的意義を評価するなかで、河合氏は次のようにイデオロギーの魅力と人間の浅はかさを端的に述べている。 「これが正しい」ということは、「これ以外は誤り」ということになりがちであり、そこに極めて明白な主張が可能となり、多くの人をひきつけることになる。イデオロギーは善悪、正邪を判断する明確な規準を与える。……しかし考えてみると、人間存在、あるいは世界という存在は、もともと矛盾に満ちたものではなかろうか。もっとも、矛盾などと言っているのは人間の浅はかな判断によるものであり、存在そのものは善悪とか正邪とかを超えているのではなかろうか。 (河合隼雄、『河合隼雄著作集9 仏教と夢』岩波書店、1994年、71頁) イデオロギーは、行動規準を示してくれているかのようであり、不安に苛まれる人々にとって、清涼剤となるであろう。しかし、イデオロギーが行き交う世界に広がるのは、ホッブズの『リヴァイアサン』で描かれたような利己的な人間同士の闘争である。善悪を明確にし、相手を攻撃する世界に、協調というものは存在しない。イデオロギーという悪魔的な魅力を乗り越えつつ、他者への関心、配慮はいかに形成されるのであろうか。少なくとも時代の流れに抗することが必要であろう。  その手がかりを教えてくれるのは、森岡清美氏の『真宗大谷派の革新運動——白川党・井上豊忠のライフヒストリー』(吉川弘文館、2016年)である。時代が揺れる明治に、大谷派の宗門革新運動を展開させようと試みた白川党は、決して清沢満之の指導力によってのみ動いていたのではないと森岡氏はいう。そこにあったのは、熟議の精神であった。 白川党の面々、とくに清沢・稲葉・今川・井上は、そのうち二人で、あるいは三人でということもあったが、四人全部で、明治二九年の蹶起以前から、絶えず往き来して談合していた。それも頻繁かつ長時間にわたった。……異論があれば、会を重ねてでも徹底的に話合い、全員合意し賛成したうえで決するのが彼らの流儀であった。それは異論を潰すのではなく、異論を包んで乗りこえる作業であった。(同書、464頁)  相手を配慮する熟議の場では、人を攻撃しかねない言葉を使わないように配慮する。熟議の場は、相手への配慮が要求される協調的な共同体なのである。清沢の精神が今日にも語り継がれているのは、ただ彼の功績のみではなく、異論を包み込んだ熟議の精神によるのである。  人は、危機にあるとき、弱いがゆえに、雄弁に行動規準を語る強い思想にすがろうとする。おそらく、熟議とは、一人の人間では行動が性急にならざるを得ない状態を回避する営みなのであろう。私は弱い。だからこそ、時代の流れを決定づけるかのように見える強き思想にすがろうとする。しかし、そんなときこそ、弱き者のために、ますます加速化する時代の流れに抗して、熟議という営みによって、流れを緩めていくことが必要なのであろう。流れを緩めたとき、他者や世界への配慮が生まれ、あるべき自己へとたどりつくことができるはずだ。 (みやべ たかし・親鸞仏教センター研究員) 他の著者の論考を読む...
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どうしようもなさを共に
どうしようもなさを共に 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro) お元気ですかいかがお過ごしでしょうか?こっちはさして問題もなくみんな元気でやってマウス暑いと言えば暑いのかさむいと言えばさむいような一言じゃとても言えないけどとても快適なんだよ (「彼方からの手紙」『WILD...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『アンジャリ』WEB版(2022年2月1日更新号)

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〈いのち〉という語りを問い直す
特集趣旨 〈いのち〉という語りを問い直す PDF版をDL 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) ■特集の趣旨  いのち(命・生命・イノチ・寿))―の次に続ける言葉は何ですか。「大切」?それとも「矛盾」?  私たちは「いのちという矛盾」を生きているように思います。大いなる、しかし個性も名前もないいのちれたいのはに対して、いまここを生きる「私」の誕生。大切にされたいのはいのちなのか、私なのか。私という個としてのいのちと、大いなるいのちを生きつつ、ここには調和されない緊張関係があるのではないでしょうか。そして、私を生きる以上、避けることのできない罪悪、いのちがいのちを害さずにはいられない、という問題。この罪悪の私は大切なのだろうか。  このいのちという語りは時代によって変化し、宗教、文学、科学などによっても様々に語られてきました。いのちを語り始めるとき、まずその複雑さに一度驚くべきなのかもしれません。特集では、...
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いのちの境界線で
いのちの境界線で SF作家 飛  浩隆 (TOBI Hirotaka) ■特集を捉える[総説]   「死にたいなんて言うなよ」   「諦めないで生きろよ」   そんな歌が正しいなんて   馬鹿げてるよな  2021年の「紅白歌合戦」で流れた「命に嫌われている。」(作詞・作曲カンザキイオリ)は、この特集の冒頭の設問を繰り返すかのように、「命という言葉」と「僕らの生」とのへだたりを歌う。  この歌は、もとはボーカロイド——命なき歌い手のために書かれた。  私SF小説を書く者としてここへお招きいただいたわけだが、池澤春菜氏の論考にあるとおり、SFはとっぴな題材や設定、自然科学の冷徹さを用いて、くりかえし「命」の既成概念にゆさぶりを掛けてきた。  SFの中で人類が滅亡したのは一度や二度ではない。サイボーグ化や遺伝子操作で知力体力を増強し「人類でないもの」に変化することもたびたびある。「人間によく似ているが人間ではないもの」(たとえば鉄腕アトムや、映画「ブレードランナー」に登場するレプリカント)も枚挙にいとまがない。スタニスワフ・レムの『ソラリス』は生命の概念そのものを大きく拡大し深い衝撃をもたらした。  SFはそうやって、ふだんは見えない「いのちの素顔」を見ようとしているのだ。  しかしいま、われわれはSF作品の外で、そんな「揺さぶり」を見ているように思える。  2020年と2021年は、気候変動がもたらす数々の災害と新型コロナウイルス感染症が、我々の脳裡に「滅亡」の二文字をちらつかせた。SNSとフェイクは人々の認知を振り回し、傷心と分断を広げて已まない。ロボット工学は軍事転用され、無辜の死者を大量に生むだろう。受精卵のゲノム編集はもう可能だ。生命は情報的に編集可能となり、まもなく非生命との境界があいまいになるだろう。いま「いのちの素顔」は水面の波紋のように危うくゆらめいている。  いのちは祝福だと思いたいけれど、それはやはりフィクションだから、貧困と孤立が深まり反出生主義がつぶやかれる時代では、たやすく剝がれ落ちる。カンザキイオリはそれを「嫌われている」と表現し、しかし歌の最後で「嫌われながらも生きる」可能性を見出した。  その望みを私たちに歌いかけてくれるのはボーカロイド——命なき歌い手だ。  たぶんこの先しばらく、人間は、そのような「命なき者」の力を借りながら、世界との関係修復を試み試み生き延びていくだろう。たとえば——  未知の感染症を鎮圧する。気象の未来を予測し、経済活動と折り合いをつける道をさがす。経済の果実を分配し、かつて友人だった敵と停戦する。もしかしたら和解する。  そのうち、人類は自分たち以外の生命を宇宙のどこかに見出すかもしれない。  そんな瞬間を書き留めた、チャーミングな短編小説をご紹介したい。  柞刈湯葉(いすかりゆば)の「人間たちの話」だ(同題の短編集がハヤカワ文庫から刊行されている)。  火星のとある岩石の隙間で生じている化学反応と、それを観測し分析する科学者の群像、そのひとりの私生活を描くこの作品のタイトルが、なぜ「人間たちの話」なのか、読みすすめることで、少しずつ少しずつ、しみとおるように理解されていく。  いのちが祝福だというのはフィクションだが、じぶんや他人を祝福するためには、やはり生きていなければならない。この年末、本作を読み返してそんな当たり前のことを思った。池澤春菜さんが紹介した名作といっしょに、この作品の名も記憶してくださるとうれしい。 (とび ひろたか・SF作家) 近著に『SFにさよならをいう方法』(河出書房新社)等。 他の著者の論考を読む...
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誕生を祝うために
誕生を祝うために PDF版をDL 京都大学大学院法学研究科教授 森川 輝一 (MORIKAWA Terukazu)  誕生日おめでとう、とわたしたちは言う。家族や友人に、ときにはその日初めて会った人にさえ、わりと気楽にこの言葉を差し向ける。しかしわたしたちは、この言葉でいったい何を祝っているのだろうか。そもそも誕生とは、どういうことなのか。  誕生とはまず、①生殖、すなわち、生物としてのヒトがおこなう繁殖行為の帰結としてあらたな個体が産みだされること、である。生殖はヒトにかぎらずどの生き物でもおこなうことであるが、ヒトのいのちは、唯一のわたしという個のかたちをとってあらわれる。同じヒトではあるが、わたしはあなたではなく、わたし以外のどんな人とも同じではなく、唯一のこのわたしとして生きるのであり、誕生とはその起点に位置する出来事、つまり、②唯一無二の個のはじまりでもある。とはいえ、子どもは無人の荒野に生まれるのではなく、先に生まれていた人々のあいだに生まれ落ち、かれらが構成する社会の一員となる。わたしはわたしであってあなたたちとはちがう、とあなたたちに伝えることができるのも、あなたたちと同じ言葉を共にしているからである。このように人間の誕生には、③既存の社会への参入・所属、という要素がふくまれているのであるが、②と③の関係は緊張をはらみ、かならずしも調和的ではない。  子どもはユニークな個として生まれて来るが、親をはじめとする大人たちのほうは、自分たちがよいと思うやり方で育てようとする。たとえば、男の子だからとズボンをはかせ、怪獣やパトカーのおもちゃを買い与え、今は腕白でよいけれど、大きくなったらしっかり勉強させて将来は立派な家の跡取りに、と期待を寄せるかもしれないが、当の子どものほうは、心のなかではピンクのスカートをはいて人形遊びがしたいと思っていて、やがて時がたち、わたしはほんとうは女性として生きたいのだ、と言い始めるかもしれない。そうしたときに、そうか、ならそうするのがいい、あなたの人生はあなたのものなのだから、と応答できる人間でありたいとわたしは思うし、それが社会全体としても理にかなった態度であると考えるが、いやそれは間違っている、そんなことを許したら社会は立ちゆかなくなってしまう、と考える人が少なくないことも承知している。誕生のうちにはらまれる、上記②と③という二つの要素のあいだの軋轢や衝突のうちに、個人の自由と共同体の秩序をめぐる相克、一般に政治とよばれるいとなみが生起する、と言ってよい。  そうした問題を回避する方法として、②の要素を消し去り、③に①をひきよせる、というやり方がある。精妙な組織を構成して種族の存続をはかるアリやシロアリのばあい、はたらきアリとして生まれた個体ははたらきアリとして生き、奴隷みたいに働くために生まれたんじゃない、だの、ミュージシャンになってキリギリスと共演したい、だのと自己主張することはない(ように見える)。みながそのように個を滅却して全体に奉仕すれば、秩序の安寧と種族の繁栄はゆるぎない―という発想は、人間族の歴史においてめずらしいものではないが、その極端な事例として、前世紀前半のドイツにあらわれたナチズムがある。その迫害の対象となったユダヤ人の一人で、いのちからがら逃れたアメリカの地で政治思想家となったH・アーレントは、ナチスの全体主義国家を巨大なアリ塚にたとえてもいる。  全体に奉仕する忠良な国民を殖やすべく、ナチス体制下では多産がおおいに奨励されたが、殖えるべきは純血種の健康な個体でなければならないとされた。ちょうど家畜の繁殖と同じように、品種をそこなうとみなされた個体は除去の対象となり、やがて劣等とみなされた人々の大規模な殺害へと発展していくが、ヒトラーやヒムラーがしばしば用いたたとえによると、それは害虫の駆除や病原菌の根絶と同じことなのだという。家畜、あるいは害虫や病原菌、いずれにせよ人間は人間未満の生き物に引き下げられてしまうのであるが、同族をガス室につめこむような所業におよぶのはわが人間族を措いてなく、このような言いぐさは、他の生き物たちへの礼を欠くことになるかもしれない。  ナチスの猛威を生きのびたアーレントは、その暴虐を告発するいっぽう、新しい政治のはじまりを、個のはじまりとしての人間の誕生にもとめる。その導き手となったのは、古代ローマの哲学者アウグスティヌスの書にあらわれる、「はじまりが存在せんがために人間は創られた」という言葉である。創られた、とあるとおり、アウグスティヌスにとってこの言葉は、神による人間の創造というキリスト教の教えと結びあっている。一人ひとりのいのちは神に与えられたものであり、たんなる生殖の所産ではなく、既存の社会への隷属を宿命づけられてもいない。言いかえれば、だれもが自由な個としてこの世に到来し、自分だけの生の時間をきざんでいくのであるが、アウグスティヌスにおいてこの自由は信仰のため、すなわち、欲得まみれの世俗社会に埋没した偽りの生から魂をひきはがし、神の愛へと向け変えるための自由としてある。しかしアーレントがもとめたのは、この世に背をむけて信仰の道にひきこもる自由ではなく、世をともにする隣人たちを苦しめる社会の不正をただし、新しい世界をつくるための自由である。ゆえに彼女は、アウグスティヌスの言葉をいささか大胆に読み替えて、誕生というはじまりは、この世で人間が何かを始める自由のはじまりなのだ、と説く。だれもがユニークな個として、この世界で新しいことを「始めるために生まれて来る」のだ、というのである。国家にいのちを捧げ、敵を皆殺しにせよ、とせまる汚れて腐った大人たちに対して、いやだわたしはそんなことをするために生まれて来たんじゃない、とあらがう自由を守り抜くために。そんなことを許さない新しい世界をわたしたちはつくってゆくのだ、という希望の灯をともし続けるために。  自由と平和を言祝ぐ今日の社会は、戦争と虐殺に狂奔した前世紀の愚行と悲惨から、さしあたりとおく離れているように見える。ならばわたしたちは、子どもの誕生を、個のはじまりというその尊厳にふさわしいしかたで、祝うことができているだろうか。  2016年秋に政府が策定した「一億総活躍社会プラン」は、「2025年までに希望出生率1.8」を達成することをうたう。出生率の向上を、なぜ国策に掲げる必要があるのか。2020年5月策定の「少子化社会対策大綱」によれば、少子化の進行が「、労働供給の減少、将来の経済や市場規模の縮小、経済成長率の低下、地域・社会の担い手の減少、現役世代の負担の増加、行政サービスの水準の低下」などの弊害をもたらすから、である(内閣府HPより)。国全体の生産力(production)が低下しないように、労働力の再生産(生殖reproduction)につとめねばならない、というわけであるが、なぜ生産力の低下に不安を感じるのか、といえば、今の社会のしくみが維持できなくなる恐れがあるから、である。税収が減り、ますます国の借金がかさみ、年金や社会保険が立ちゆかなくなり、わたしたちの老後があやうくなるかもしれないから、である。そんな、疲れて濁った大人たちの自己保存のために、その民主的代表である政府が、もっと子を生め、はたらきアリを殖やせ、と旗振りを始めるにいたったわけであり、これのどこが美しい国だというのか、嘆息するほかない(少子化対策にふくまれる具体的な施策、たとえば保育所不足の解消といった子育て環境の改善が不要だ、というのではない。それらは、出生数の多寡にかかわらず、すぐにでも実現をはかるべきことがらである)。  国の都合や政府の思惑はどうあれ、国難を救うことを意図して子をもうける人は(おそらく)いないし、子どもたちが生まれて来るのは、社会の延命や大人の利益のためでは(けっして)ない。とはいえ、国の都合や政府の思惑がかくのごとしである以上、子どもたちの誕生は、その一つひとつがユニークなはじまりであるがゆえに祝福されるのではなく、くずれかかったアリ塚をささえる労働力の供給としてカウントされてしまうことになる。今やわたしたちは、誕生日おめでとう、などと気軽に口にすべきではないのかもしれない。むしろ、出生はよいことだという前提そのものを、根本から見直すべきなのかもしれない。  「反出生主義」をとなえて近年注目を集めている哲学者のD・ベネターは、人間の生の価値を快楽(幸福)と苦痛(不幸)ではかってみると、総じて苦痛のほうが大きく、そもそも苦痛の存在は快楽の不在より悪いことなのだから(快苦の存在の非対称性)、人間は生まれて来ないほうがよいのであり、ゆえに新たに子どもを産むべきではないのだ、と説く。本稿冒頭の整理に照らすと、②個のはじまりとは不幸のはじまりでしかないのだから、①生殖そのものをやめるべきだ、と主張していることになる。  たほう、クィア理論家のL・エーデルマンは、生殖をもたらす性愛のみを正常とみなす異性愛中心主義(生殖未来主義)を批判して、「反生殖未来主義」を主張する。子どもが生まれなければ社会は滅んでしまう、だから子どもを生まねばならない、という論理がまかりとおるかぎり、生殖につながらない(日本のある国会議員の下劣な言い草を借りれば、「生産性のない」)セクシュアリティをもつ者は変態ども(クィア)として永遠に排除され続けるほかないのだから、生殖それじたいを否定しなければならない。③ゆがんだ社会の延命を阻止するために、①生殖そのものをやめよ、というわけである。  もう子どもを生むな、社会など滅びてしまうがよい。二人ともそう言っているわけであるが、その論拠はまったく異なっており、さしあたりベネターのほうは切り捨ててよい。生まれることの善し悪しを快楽と苦痛の量ではかる、という人間観が貧困きわまりないうえに、人のいのちの価値なるものを一方的に値踏みするというナチまがいの態度には、うすら寒い思いがするばかりだ(とはいえ、ベネターの主張に、危険な要素はほとんどふくまれていない。出生は害悪なのに出生させられてしまったわたしたちはなんて不幸なんでしょう、こんな不幸が続かないよう、はやく人類が絶滅しますように、とさも楽しそうに触れまわっているにすぎない。いい気なもんである)。  個々人の幸福を勝手に忖度して出生を悪と決めつけるベネターとはちがい、エーデルマンの「反生殖未来主義」のほうは、個々人の出生という極私的な出来事を、社会の存続の条件に回収してしまう政治の論理をきびしく撃つ。大人の社会はつねに子どもという未来を必要としており、子どものためと称して自分たちの生存をはかる、という自己保存の論理をするどくえぐり出すのである。国家による生殖の奨励という少子化談義はそのもっともわかりやすい例だが、出生を自由のはじまりととらえるアーレントの考え方にしても、子どもという未来をたのみにする点では、同じことなのかもしれない。あなたたちは自由だ、世界を新たに変えてゆくことができるんだ、というが、その変えるべき世界とは、大人たちが勝手につくったしくみやしきたりだらけなうえに、かれらの愚行によってどうしようもなく損なわれた場所ではないか。暴力、差別、格差、破壊、汚染、等々、負の遺産の一切合切を子どもらに押しつけ、きみらは自由だ、後始末よろしくね、と丸投げするなんてことがほんとうに許されるのか。こんな場所で何を始めろというのか、責任者出てこい!と若い世代に突き上げられたら、いったいどう答えればよいのか。  とはいうものの、エーデルマンが(あるいはベネターが)いかに出生の害悪や生殖の回避を説いたところで、人類みなが生殖をやめるとはとうてい考えられず、したがってこれからも、子どもたちは生まれて来るにちがいない(生殖をうながす「生の欲動」に「死の欲動」を対置し、後者を反生殖未来主義に結びつけるエーデルマンも、おそらく同じように考えている。けだし、死の欲動と生の欲動は相補的な関係にあり、せめぎあいながら共存するものなのだから)。ゆえに、わたしたち大人がなすべきことは、実に明快である。すなわち、世にはびこる暴力、差別、格差、破壊、汚染、等々の横行をおしとどめ、この世界をもう少しマシな場所に変えること、を措いてない。  ただし、子どもをダシにするのはやめよう。未来の子どもたちのために、などとはけっして口にせず、今を生きるわたしたちのために、と言うことにしよう。自分を救えないような者に、まだ生まれてもいない人々のしあわせを気遣う資格などあろうはずもなく、まだ見ぬ未来の人々に対して現在を生きる人間が果たすべき責任とは、眼前にひろがる不正と恥辱に立ち向かい、世界を少しでもよき場所に変えること以外にはあり得ないからである。始めるために生まれて来た、という言葉は、わたしたちに差し向けられている。わたしたちこそ、世界のために何かを始める位置にある。いつの日か心から、誕生を祝うために。 (もりかわてるかず・京都大学大学院法学研究科教授)著書に、『〈始まり〉のアーレント―「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010)、編著『講義政治思想と文学』(ナカニシヤ出版、2017)など。 他の著者の論考を読む...
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子どもたちの幸せのために
子どもたちの幸せのために 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI Tsunafumi) ■特集を捉える [森川輝一「誕生を祝うために」へのコメント]  森川氏の論考は短いながらも内容がとても豊富で、少子化問題やジェンダー論といったアクチュアルなテーマを視野に入れつつ、〈いのち〉の誕生をどう考えるべきかについて、複層的な思索が展開されている。大変啓発的で私としても論旨には基本的に賛成であるが、二点、気になったことを書き留めておきたい。  ひとつは、「唯一無二の個のはじまり」という点に関してである。森川氏は「誕生」の捉え方を、①生物としての誕生、②唯一無二の個のはじまり、③社会への参入、の三つに区分している。氏はアーレントを参照しつつ②を重視しているのだが、そもそも「誕生とは唯一無二の個のはじまりである」と言い得る根拠は何なのか。言い換えると、そう考えるべきであるということに私も異論はないのだが、その「べし」はいったい何なのだろうか。  事実として個々人はユニークなのだ、と言いたいところだが、それは無理である。例えば人間以外のあらゆる存在者も物質的に唯一無二であるとは言えるだろうが、その唯一無二性は私たちが人間に帰しているような「かけがえのなさ」とは違うものである。要するに、かけがえのない存在者として誰かから受けいれられて初めて氏の言う「唯一無二の個」であり得るのであって、例えば代えのきく「人材」――これは実に愚劣な言葉だ――などとして扱われている限り、「唯一無二の個」ではあり得ない。だからこそ私たちは生まれてくる子どもたちを「唯一無二の個」として受けいれるべきなのだ、という主張が意味をもつし、先にも述べたようにその主張には私も賛成である。だが問題はそもそもこの「べし」の根拠は何なのかということである。  私が思うに、その根拠は、生まれてくる子どもたちの幸せのために、ということにならざるを得ないのではないか。だが、森川氏はこの根拠づけを拒否している。というかむしろ、本論考の大半は、「子どもたちの幸せのために」という根拠づけを私たちは使うべきではないという主張に捧げられているのだ。けれどもこれは無理筋な主張であるように私には見える。もちろん、子どもたちの幸せを目的にしているように見える語りが、その実、子どもたちを大人たちの自己保存の手段として道具扱いしていることになりがちだという指摘はもっともだ。それに、「~のために」という思考が、個々人の唯一無二性や予測不可能性――つまり自由――を消去して、型にはめ込んでコントロール可能なものにしてしまう恐れ――つまり全体主義に至る恐れ――があることもその通りだろう。だが、だからといって「子どもたちの幸せために」という想いを全否定してしまうのなら、そもそも「唯一無二の個のはじまり」として誕生を祝うべきだとすら言えなくなってしまうのではないか。  もっとも、「誕生を祝うために」という本論考のタイトルからして、氏は全体主義の陥穽にはまらないような目的論的思考の可能性を示唆しているように思われる。私はそれを「祈り」のようなものと理解したが、それが氏の意図したものなのかどうかは分からない。  もうひとつの論点に移ろう。こちらは本論考の趣旨についてというより、私の関心に引きつけた論点で、D・ベネターなどの「反出生主義」に対する評価に関してである。ベネターの人間観は浅薄だといった氏の評言は、全部とは言わなくとも、ある程度妥当であるとは思うが(ベネターの名誉のために書いておくと、ベネターは快と幸福を同一視してはいないし、そもそも問題を切り分けて明確な対立軸を取り出すという議論構成をしているに過ぎないのだが)、反出生主義が提起している問題そのものの軽視は間違っているのではないだろうか。「この世は生きるに値しない」「この世は悪しき場所である」という主張が、古今東西の非常に多くの思想家や宗教者たちの共通認識であったことは忘れてはならないだろう。ベネターらの反出生主義はその現代的な表れであるわけだ。  私自身はニーチェ哲学研究者で、分野としては宗教哲学を専門としており、ニーチェがショーペンハウアーという言わば史上最強の「反出生主義者」に対していかに反論しようとしていたのかについて、少しばかり研究している(※注1)...
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ヒトのイノチのその先に
ヒトのイノチのその先に PDF版をDL 声優、日本SF作家クラブ会長 池澤 春菜 (IKEZAWA Haruna)  わたしたちの誰もが持っていて、でも誰もそれがなんなのか本当には知らない。大事にしなければいけない、何よりも価値がある、と言われていても、何故なのかはわからない。一番身近で、でも一番謎めいているもの―命。  命が何なのか、考えるきっかけとしてSFという文学を役立てることはできないだろうか。  SFの定義はいろいろある。ScienceFiction、すこしふしぎ、そしてSpeculativeFiction。スペキュレイティヴとは思弁、「理性的、空想的、形而上学的思索」つまりは「思考実験」。  わたしはSFは、IFの文学だと思っている。どこかにIFをいれる。それによって変化する物語を描く。現実をベースにした小説が箱庭だとしたら、その壁をぱたんと倒し、どこまでも想像力を働かせて飛躍する。物理的にも心理的にも、あらゆる法則に縛られない最も自由な文学、それがSF小説だと思っている。  あらゆる小説の究極の目的は、人を描くこと。だからどんなSFも、基本となるテーマは人間だ。そこから、命とは何かを考えることができるかもしれない。  「テセウスの船」という命題がある。船の部品を一つずつ入れ替えていく。全て新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か。同一性の問題。命についても同じことが考えられるかもしれない。 何を持って、命と、人とするのか。脳と体を入れ替えたら?脳を複写・転写する技術が生まれたら?  人工知能が人間を越えるとされるシンギュラリティ(技術的特異点)は早ければ2045年にやってくるとされる。ではその時、AIは命を持ったと言えるのか。  こういった問題に、物語の形で取り組み、自由な想像力で答えを模索していけるのが、SFのSFたる醍醐味だ。  例えば、アン・マキャフリーの「歌う船」。先天性の身体異常があったヘルヴァは、脳だけの存在となり、船と接続することで頭脳船として生きることになる。多くの人が当たり前のように受け止めている身体的感覚。それを先天的に持たないヘルヴァは、世界をどう感じ、どう受け止めるのか。命と体の関係、さらに脳と心の関係を通じて、心を揺さぶる一冊。  個人的に、瑞々しい感性で宇宙に飛び出し、人と接し、恋をするヘルヴァが最高にキュートなので、ぜひ読んでいただきたい。  エイミー・トムスンの「緑の少女」「ヴァーチャル・ガール」も人の境界を探る物語だ。前者は、異星探索中に事故に遭い、死にかけていたジュナが目を覚ますところから始まる。その体は異星人とまったく同じに作り替えられていた。再び迎えが来るまで、ジュナは全くの異文化であり、異質な生態系のもと、生き延びなければならない。ジャングルに生きる先住民テンドゥには独特の文化や死生観があり、ジュナは圧倒的に優れていると思っていた人類の愚かさに気づかされていく。  「ヴァーチャル・ガール」の主人公は、可憐で無垢なアンドロイドのマギー。一人のオタク青年が理想のパートナーを作りあげるピグマリオン物語であり、マギーが世界を知り、人間とは何かを学んでいく物語でもある。  ジェイムズ・P・ホーガンの「造物主の掟」「造物主の選択」はもっと大胆だ。遠い昔、地球外生命体によって土星の惑星タイタンに設置された自動操業工場。だがそのプログラムは超新星爆発によって損傷し、ロボットたちはひたすら変異と淘汰を繰り返す。やがて進化した機械たちは、機械人タロイドとなり中世様の文明を発達させた。  人の進化の過程をまるごと機械で再現し、さらに宗教まで踏み込んだ大変愉快な大風呂敷SF。人類側の主役が稀代のペテン師というのも面白い。機械の体、機械の心、だけど明確にタロイドたちは生きている。命はかように自由なものなのかもしれない。  命を扱った作品はまだまだある。いくらでも語り続けたいが、わたしが頂いた紙面、これを読んで下さる読者の忍耐力には限りがあるので、最後に新しい作品を一つ。  先日、日本映画として公開もされたケン・リュウの短編「アーク」は、人類最初の不死を手に入れた女性の話。彼女の仕事は、遺体にポージングを施し、永遠に保つプラスティネーション施術。これもまた、不死だ。二つの不死が絡み合い、生きるとは何かを問いかけてくる。  わたしたちの人生には終わりがある。だからこそ生きることに意味が、価値があるとされる、だとしたら、不死を得たとき、命の意味は変わるのか。体と脳の関係は。機械生命とは。  生きることは考えることだ。思考し、試行することをもって、我々は命に向き合うことができる。SF小説がその一助になれれば、SFを愛するものとしてこれほど嬉しいことはない。 (いけざわはるな・声優、日本SF作家クラブ会長)著書に、『SFのSは、ステキのS』(早川書房、2016)、共著『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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SFのSは、セイメイのS?
SFのSは、セイメイのS? 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■特集を捉える[池澤春菜「ヒトのイノチのその先に」へのコメント]  池澤春菜氏の「ヒトのイノチのその先に」では、冒頭で「テセウスの船」という命題が紹介されている。「船の部品を一つずつ入れ替えていく。すべて新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か」。ローマ時代のギリシャ人哲学者プルタルコスが提示し、近代の哲学者たちまでが取り組んだ問題だ。SFでは脳と体を別のものと入れ替えたり、脳をコンピュータなどに複写・転写する技術などのストーリーを通じ、「何をもって、命と、人とするのか」、さらにAIや機械が生命を持ち得るかというテーマを考えさせてくれると池澤氏は言う。私も一人のSFファンとしてルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』(ハヤカワ文庫SF、1989年)などが思い浮かぶが、仏教的な面でも刺激を受けた。  今回のウェブ企画にも寄稿いただいている師茂樹氏の論考「人工知能を有情とみなすことは可能か」(『人間とは何か(Ⅱ)』、日本佛教学会編、法藏館、2019年所収)では、古い仏典に出る「テセウスの船」によく似たSFチックなストーリーが考察されている。ある旅人が鬼たちに遭遇し、腕や足、胴体から頭まで、順にすべてを引きちぎられ、鬼が持っていた人間の死骸のものと順に入れ替えられてしまう。そして鬼たちは旅人からとりはずした手足など新鮮な(?)身体をぺろりと平らげてしまう。そこで旅人はこれでもなお自分の体だと言えるのか、と悩む。やがて旅人は仏教僧に出会い、あなたは(世界の構成要素である)「四つの元素が集まったものを、自分の体だ、と思い込んでいるだけです」と説かれ、仏教の無我説に目覚めるのだ(詳細は師氏の上記論考を参照。なお、師氏が指摘するとおり、仏教的な枠組みで考える場合は輪廻への問いが欠かせないが、本稿では触れない)。  仏教の「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」という考え方では、私たち人間の存在を物質と精神(感覚・表象・意志的形成力・認識)の5つの要素がさまざまな因と縁によって仮に集まって構成されたものと理解する。そこに実体的な「我」は存在しない。仏典『ミリンダ王の問い』でも人間を「車」に喩え、車輪や車軸など部品に分解しても組み立てても、どこにも「我」は見当たらないと語られる。イギリスの哲学者エドワード・クレイグ氏によれば、これに対して古代ギリシャのプラトンは2頭の馬(理性と感性)に引かれた戦車(身体)を操る御者を自己に見立て、古代インドの『カタ・ウパニシャッド』では馬(感性)を操る御者(知性)に導かれた戦車(身体)に自己(アートマン)が乗っていると考えたというが、その自己は実際のところどこにいるのだろう。  この点、池澤氏が挙げるジェイムズ・P・ホーガンの『造物主の掟』(名作『星を継ぐもの』の作者の作品。創元SF文庫、1985年)では、みずからロボットや機械類を製造して異星で資源を採掘する自律型ロボットの機械人「タロイド」たちが登場する。それらはプログラムの暴走で独自の進化を遂げ、長大な時間を経て、自我意識もあれば独裁者や宗教までもある中世的な社会を築いている。作中、自分たちの「生命」の源はどこかと疑問を抱いたあるタロイドが、「死んだ」機械を分解する。すると彼は「管や繊維や金属構造材やベアリングなどのおそろしく複雑な配列……以外には、何も見つけだすことができなかった」。そして問う——「では、魂はどこにあるのか?」。  一方、池澤氏が紹介する別の作品、アン・マキャフリーの『歌う船』(創元SF文庫、1984年)では、主人公のヘルヴァは人間の脳がいわば「御者」的に宇宙船の船体に組み込まれて一体化した存在だが、どちらか一方だけでは本当のヘルヴァとは言えない。彼女は宇宙船であり、宇宙船であって初めて彼女なのだ。この作品から思い出すのはベトナムにもルーツを持つフランス人作家アリエット・ド・ボダールのアジアン・テイスト満載のSFミステリ作品『茶匠と探偵』(竹書房、2019年)。主人公のシャドウズ・チャイルドと呼ばれる宇宙船「マインド・シップ」も頭脳は人工知能的なものだが、船全体がひとつの有機的・人格的存在だ。彼女は過去の事故の深いトラウマを抱え、航行していないときは心を落ち着けるドラッグを調合する「茶匠」として日銭を稼ぐ。『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALも意思や多少の感情を示したが、「マインド・シップ」は深層心理を含む感情面が大きなウェイトを占めているのが印象深い。  脳やソフトウェアとハードウェアとの組み合わせであるどの宇宙船も機械人も、構造的にはまさに「五蘊仮和合」。しかしここに挙げたSF作品を読んでいると、(フィクションだとはいえ)そこに否定し難い「自己」的なるものが立ち現れ得る不思議に惹かれてしまう。我が身もまた、「自己」は脳の生理学的プロセスの産物に過ぎず、「無我」であると合理的に考え得たとしても、全身を捉える不安や焦燥や愛慕などを感じるとき、それはひと筋縄ではいかないのではないか……。生命はあくまでも機械に宿ると信じている機械人タロイドから見ると、人間は生命とはおよそ無縁なはずの有機的物質の奇妙な化学的構築物にすぎない。それなのに人間たちが欲望や敵意や善意を示すことに衝撃を受ける。それを「無我」だと言って、タロイドたちはすんなり納得してくれるだろうか。池澤春菜氏が紹介してくださった他のSF作品とも合わせて、考えてみるとおもしろいかもしれない。 (いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
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いのちの否定と肯定
いのちの否定と肯定 PDF版をDL 大阪教育大学教育学部教授 岩田 文昭 (IWATA Fumiaki)  浄土教にはいのちを否定する面と肯定する面がある。自己を罪悪深重の凡夫として捉え、この世を穢土として否定する面とともに、浄土に往生する救いの法を教え、凡夫の身をそのまま肯定する面である。このような浄土教の救いの法は、時代を越えるものである。  とはいえ、その説き方は時代により人によって変わってきた。たしかにかつては、一器の水を他の一器に移すように、師の教えがそのまま伝えられたとされた。しかし、現代ではその教説の歴史的変遷の経緯が明確に知られている。この歴史性の自覚により、過去の浄土教の教説を金科玉条のように受け取るのではなく、時機相応のものとして改めて受け取り直すことが要求されているといえよう。現代における受け取り方を探求するために、この問題をより広い文脈において考えてゆきたい。 ◆ウィリアム・ジェイムズの二類型  自己のあり方を肯定する方法は、さまざまな仕方で探求されてきた。ごくおおざっぱにそれらの方法は、二通りにわけることができる。一つはできるだけ善きことに関心をむけるという方法である。悪いものを見ないようにし、自己においても世界においても、善きことを積極的に捉え直し、その中で善きことを実践していこうとする。もう一つは、否定的なものの存在を厳粛に受けとめながら、その上でそれを乗り越える世界に触れようという方法である。悪や苦が自己やこの世界に不可避なものであるという認識をもちつつ、それらを含みながらも、自己が肯定される高い次元を模索しようとする。  この二つの方法について、ウィリアム・ジェイムズはその著『宗教的経験の諸相』の中で分析している。ジェイムズは、宗教的回心をする人には、「健全な心」と「病める魂」の二つの性格類型があると論じている。健全な心は、善きものに意図的に目を向けるあり方をしている。それに対して、病める魂は、悪や苦を見据えながら、より高い自己の在り方を模索するという。  健全な心の持ち主は、人生を善きものと感じ、世界の暗い面や自己自身の不完全さに思い悩むことは少ない。この心の持ち主は、さしあたり無意識のうちに世界の善性を信頼し、自然に幸福を感じる人といえる。しかし、むしろこの類型の本領は、意志的・組織的に悪を自身の視野の外に締め出す方法を用いることにある。ものごとを全体として善と考え、意識的に楽観的な人生観にもとづき、人間の生を肯定するのである。ジェイムズは当時のアメリカで起こっていた「マインド・キュア(精神治療)」運動を具体的な例としてとりあげ、積極的に人生を肯定する方法の特色を紹介している。  マインド・キュアは、ニューソートとも呼ばれるが、このような方法論にもとづいて、自己を肯定しようとする動きは、当時の合衆国にだけ存在したのではない。現代の日本の新宗教や精神運動においてもこのような形態はひろく認められる。新宗教のひとつである生長の家の創始者、谷口雅春は実際にニューソート(生長の家ではこれを「光明思想」と呼ぶ)に大きな影響を受けて、活動を展開していった。光明思想のような生命観は、戦後、教勢を著しく拡大した新宗教の大きな特徴である。その生命観は、ひとりひとりの心の状態や思いは、宇宙の本源的実在やエネルギーと密接につながっていると想定する。そして、宇宙の諸存在はすべて一つの生命体であり、悪は根源的な実在性をもたないとされる。新宗教におけるこのような理論構成は、宗教学者によって「生命主義」として研究されてきた(対馬路人他「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、1979年)。来世ではなく現世に重きを置くのも、生命主義の特徴のひとつである。  しかし、生命主義的な思想は新宗教だけにみられるものではない。新宗教の教理ほど体系的ではなく、また徹底したものではないにしろ、現代の学校教育やマスコミなどでも、生命主義に親近した考え方が暗黙のうちに浸透している。しばしば、「すべてのものはつながっている」「すべてのいのちは輝いている」「あなたには無限の可能性がある」などという表現がなされる。ひとりひとりの生をかけがえのないものとして見据え、できるだけ善いことや長所を見いだすことで、生が肯定されるという発想である。このような思考形態は現代における「いのち教」と呼ぶことができよう。  それでは、ジェイムズがいう「病める魂」はどのような性格類型であろうか。病める魂の持ち主は、悪の存在に悩まされる人である。世界や自己の悪い面が切実に感じられ、悪と向き合うことが本当のあり方だと考える。そのように悪や苦しみに向きあうことで、古い自己が死に、新たな自己が蘇ることがある。再生された自己においては、悪や苦は必然的なものと認められ、それらは内に含まれた仕方で統合される。このような死と再生の経験は、伝統的な宗教、とくにキリスト教や仏教において顕著にみられてきたことだとジェイムズは指摘する。事実、キリスト教では人間を原罪があるものとし、仏教では生老病死などの四苦や八苦を説く。ジェイムズはキリスト教と仏教は本質的に「救済(deliverance)」の宗教であり、その教えの核心をこう述べる。「真実なるいのち(life)に生まれうるには、人はまず真実でないいのちを忘れさらねばならない」。 ◆上田閑照の宗教哲学生命/生/いのち  キリスト教や仏教など救済宗教の「いのち」理解を考察するためのよい手がかりを上田閑照は提示している(上田閑照『宗教』岩波現代文庫、2007年)。近年の宗教哲学者の代表的存在である、上田の論をもとに肯定と否定との問題をさらに考えてみよう。  本来的に「人間として生きる」という観点から、上田は宗教の問題を考察する。上田によれば、「生きる」ことには「生命」と「生」と「いのち」の三つの次元があり、それらがダイナミックに連関してこそ「生きる」ことになる。「生命」は、生物学や生命科学の対象となるものである。「生」には「生活」という面や「人生」という面もある。そのため、さまざまな人文科学の対象となる。「生」はさまざまな意味連関の中におかれるが、それを包括する場所が「世界」である。宗教との関係で重要なのは「いのち」である。「いのち」は学問の対象とはならずに、対象化することでは触れることができないところで生きられる。生命や生とは質を異にし、詩・文学や芸術や宗教などで直接に「いのち」の言葉に触れて、「いのち」の目覚めが生起する。「いのち」の目覚めは宗教にかぎらず、詩や芸術でも自覚されることがある。ただし、「生命」から人間的な「生」へは量的な飛躍であるのに対し、「生」から「いのち」への飛躍はそうした飛躍の線を断ち切ったところから出てくる質的な飛躍である。「死」や「貧」といった否定的な契機を通して自覚されてくるのが「いのち」なのである。そして、こうしたすべての連関を含めて、その全体が生きられることが「人間として生きること」になるのだという。  上田は、悪や苦などの否定的なものを真正面から見すえることが本当の意味で「生きる」ことだとするのであり、この点、ジェイムズのいう「病める魂」と論が重なる。  ここで大切なのは、上田が捉える救済宗教の本質である。意味の総枠である「世界」と、それを越えるものは異質で断絶している。伝統的に「宗教」とされるのは、「世界」を越え包む限りない「開け」が、「世界」の内から主題化されたものだと上田は捉える。具体的にいえば、神域・神殿・教会などは地図の上に位置づけ可能な、目に見える局所であるが、本来的には「世界」とは断絶した場所なのである。しかし、それを目に見える世界内のものとして捉えると問題が起こる。  人間にはそもそも「歪み」と「転倒」の危険性がある。「歪み」とは、人間的生に関わる世界がすべてだとし、それを越えるものを見ないことである。これは宗教的なものを意図的に見ない歪みである。「転倒」とは、本来、人間的生においては見えないものを見てわかったものとして、人間的生の次元に引きずりおろすという転倒である。歪みや転倒は宗教の歴史の中でしばしば生じており、宗教思想家はそれぞれの仕方でその危険性を乗り越えようとしてきた。 ◆浄土教における否定と肯定法然・證空・親鸞  さて、上田やジェイムズの提示した宗教モデルをもとに、浄土教について考えてみよう。浄土教の祖師たちは、いずれも病める魂の持ち主であり、自己の罪悪をみすえている。なるほど、法然は通仏教の側からも「智恵第一の法然房」と讃えられ、また持戒堅固の清僧と知られていた。しかしながら自身を「戒定慧の三学の器にあらず」と認識し、また「十悪の法然」「愚痴の法然」と自覚していたと伝えられている。その法然が称名念仏の教えを説いた。ただし、念仏一行を「選択」したのは法然ではなく、阿弥陀仏であることを見失ってはならない。阿弥陀仏が余行ではなく、念仏を選択し、それを往生の本願としたということが『選択本願念仏集』の主旨であり、そのことが決定的な意味を有している。この著作には、人間的生に関わる意味世界ではない、絶対の側からの働きが表現されている。上田の言葉に従えば、「いのち」の言葉が念仏なのである。その念仏の働きには自力無功という否定の契機が内包されている。  しかし、このような法然の立場は、念仏以外の行を修する仏教者から非難されることになる。また人間の意味世界を越えた絶対の働きと、人間の生の意味世界との関係が問われることになった。法然自身は、当時の社会の仏教や道徳の規範に則った清僧として一生を過ごした。すなわち、このようにして法然は「人間として生きた」のだ。とはいえ、教団が大きくなり、信者が増えていく中で、この課題に理論的に答える必要もでてきた。  法然の高弟、證空は法然が残した課題に取り組んだ一人である。のちに浄土宗西山派の派祖とされた證空の教義は独特な名目や高尚な哲理を含んでおり理解は容易ではない。天台本覚思想に基づいた現実肯定の思想として誤解されることもある。しかし、證空も病める魂の持ち主であった。證空は人間を総じて「濁世の凡夫」「垢障の凡夫」「垢障覆の衆生」と理解し、悪や罪を正面から捉えている。そして、仏性が遍満するとしているが、遍満する仏性は「弥陀の理性」であり、そのことの「領解」がなければ、衆生は三界流転するという。さらに、念仏においても「自力の念仏」と「本願に相応した他力の念仏」とを区別している(『女院御書』下巻第七章)。阿弥陀仏の絶対性が見据えられているといえる。しかし、領解の信心において、あらゆることの意味が復活する。通仏教の修行や世俗の道徳が生き返り、人間的生の意味が肯定されるのである。古来より法然は「諸行の頸を切り」、證空は「諸行を生け捕りに」したと評される所以である。  證空は現生往生である「即便往生」を表だって説いている。「生きて身を蓮の上に宿さずば念仏申す甲斐やなからん」。この和歌は、臨終時の往生(證空はこれを当得往生という)のみでなく、生きながら往生することの重要性を端的に表現したとされている。證空はこのような独自の教学をもとに、人間として生きた。證空の場合、肯定の契機を強調することが多い。そのため、「生」から「いのち」への否定の契機がともすれば見落とされがちになる。後世において證空は、健全な心の持ち主のようにみなされ、生命主義的に解釈されることもでてきた。  親鸞の自己の罪悪性への自覚は痛切である。病める魂の典型的人物といってよい。親鸞の教えの核心は、阿弥陀仏の本願への疑いが滅して、正定聚に入って生きることにある。このことは、まさに虚仮のいのちを捨て真実なるいのちに生まれかわることを表現していることにほかならない。法然への論難に対して答えることは親鸞にとっても課題であり、『教行信証』執筆の大きな動機であった。残された課題の一つに菩提心の問題がある。親鸞はこれに対して、信心も自己がおこすものではなく、弥陀よりたまわるものだと示した。後世、絶対他力と称されるほど、弥陀の絶対性を強調したのである。他力信心に関する論理を徹底させながら、親鸞も人間として生きた。しかし、親鸞も理論的課題をすべて解決したわけではない。人間的生の意味連関の中で道徳・倫理をどう捉えるのかという課題は、そのひとつであろう。信心を獲て、現生正定聚の中に入ることは、むしろ人間的生の意味連関の再構築の始まりとなる。  ジェイムズや上田の理論が必ずしも全面的に妥当するとは限らず、また浄土教をかれらの理論で考察する必要もない。しかし、浄土教の思想をその文字の表面的な意味理解に限らず、より普遍的な次元で捉え返すことは大切なことであろう。浄土教は、現代に流布している「いのち教」と違うのか否か。あるいは、俗世から断絶した浄土を人間的生の次元に引きずりおろす転倒は生じていないか。いのちの肯定と否定の問題は、そのような問いを投げかけているように思われる。 (いわたふみあき・大阪教育大学教育学部教授)著書に、『近代仏教と青年――近角常観とその時代』(岩波書店、2014)、編著『知っておきたい日本の宗教』(ミネルヴァ書房、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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「ヤー」と「イーアー」
「ヤー」と「イーアー」 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI Tsunafumi) ■特集を捉える [岩田文昭「いのちの否定と肯定」へのコメント]  いつ頃からか、私は「いのち」という言葉が大嫌いである。「生命」とか「生」といった言葉は問題ない。平仮名で「いのち」と書いてあると、どうしても警戒してしまうのだ。なぜか。それは、「いのち」という表記を見ると、まず間違いなく「イイ話」が語られることが予想され、しかも、その「イイ話」の背後には無数の苦しみが隠れているにもかかわらず、万事オッケーであるかのような語り、万事オッケーでなければならないかのような語りになることがほとんどだからだ。そういう語りは不誠実なのではないか(注1)...
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日本仏教における「慈悲殺生」の許容
日本仏教における「慈悲殺生」の許容 PDF版をDL 龍谷大学文学部特任准教授 大谷 由香 (OTANI Yuka) ―目の前にまさにこれから大量殺人を犯そうとする者がいる。彼を殺せば多くの命が助かるだろう。しかし多くの命のために彼を殺すことは許されるのか―  釈尊が涅槃に入られてから500年ほど経った頃、釈尊が前世になさっていたような慈悲にもとづく実践を通じて、釈尊が到達したのと同じさとりを得ようというムーブメントが起こったと伝わる。いわゆる大乗仏教の興起である。前世の釈尊は「菩薩」と呼ばれていたから、大乗仏教の担い手にとって、菩薩こそ理想的な修行者像であった。菩薩として生きるためにはどうあるべきなのか、当時作られた仏典のいくつかには、その指針となる「菩薩戒」が示される。  玄奘(602―664)訳『瑜伽師地論』(以下『瑜伽論』と略)菩薩地には、いわゆる三聚浄戒が説かれる。菩薩たるもの、出家した比丘が教団内規則として護持する律蔵に加えて、あらゆる善をなし、衆生を救済しなくてはならない。さらに菩薩地には、菩薩ならではの学処として、四他勝処法とその他四十三条が別途掲載されている。これらは大乗仏教独特の観点から説かれる戒で、菩薩はこれらの戒も重ねて護持する必要があるとして提示されたものである。  四十三条のうち第九にあたる性罪一向不共戒は、いわゆる「慈悲殺生」を説く点で注目を集める。  「もしも菩薩たちが清浄な戒律に安住し、善巧方便をもって、利他のために、それ自体が罪悪である行為(性罪:具体的には殺人など)をいくつかなしたとしても、このことによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、かえって多くの功徳を生む。具体的には、菩薩は、強盗が財を貪らんがために多くの者を殺そうとしていたり、あるいは社会的に有益な人物(大徳)である声聞や独覚や菩薩に危害を加えようとしていたり、あるいは無間地獄に堕ちるような罪を多く造ろうとしているのを見たならば、このように思うのである。「私は、彼の悪衆生の命を断って地獄に堕ちよう。そのように[彼を]殺さなくては、[彼の]無間地獄に堕ちる業が成立し、[彼は]大苦を受けるだろう。私は彼を殺して地獄に堕ち、[彼が]無間の苦しみを受けないようにしよう」と。(中略)憐愍の心でもって、彼の命を断じたならば、これによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、多くの功徳を生むのである」(大正30・517中)  このように菩薩は罪を犯す悪人の命を断って、悪人が悪をなすのを防ぎ、多くの人の命が救われるのを救わねばならぬ。冒頭に示した、いわゆる一殺多生の理論は、『瑜伽論』において規定された事例であった。  しかしこの『瑜伽論』に説かれる慈悲殺生の主張が、東アジアにおける菩薩戒における主流であったかと言えば、そうではない。貞観22年(648)に『瑜伽論』が訳出される以前から、中国において菩薩戒を説く経典として広く知られていた『梵網経』は、十重四十八軽戒の筆頭に殺戒を出し、以下のように定めている。「仏は仰った、「仏子よ、自ら殺し、人に教えて殺させ、方便して殺すことを讃歎し、[殺を]なすのを見て随喜し、乃至、呪い殺したならば、殺の因・殺の縁・殺の法・殺の業が存在する。乃至、一切の命ある者は、ことさらに殺してはならない。菩薩はまさに常住の慈悲心・孝順心を起こし、方便して衆生を救護しなさい。そうある[べきな]のに、自ら心をほしいままにし、意を快くして殺生したならば、これは菩薩の波羅夷罪である」と」(大正24・1004中)  『梵網経』には『瑜伽論』菩薩地に説くような、慈悲殺生を許諾する明確な文言はない。一般的には仏教徒は「不殺生」を貫くべきであり、菩薩であるならば、その対象は人のみに限らず「一切の命ある者」でなければならない。『梵網経』にはそう説かれているのである。 ●『瑜伽論』訳出と『梵網経』注疏の制作  『梵網経』は鳩摩羅什訳出とされるものの、当初は偽撰の疑いをかけられており、積極的に注疏が作られることはなかった。『梵網経』が注目されるようになったのは、まさに『瑜伽論』の訳出があり、上記の慈悲殺生のような過激な条項が知られるようになってからであると推測されている。  玄奘による新訳菩薩地に紹介される、いわゆる「瑜伽戒」を、『梵網経』に紹介される、いわゆる「梵網戒」と、関連させて菩薩戒を解釈しようとした画期は、元暁(617―686)である。彼の著作である『菩薩戒本持犯要記』には「多羅戒本」「達摩戒本」という彼独自の用語によって、梵網戒(=多羅戒本)と瑜伽戒(=達摩戒本)との融和が試みられている(木村宣彰[1981])。  梵網戒と瑜伽戒とを融和することによって菩薩戒を理解しようとする元暁の態度は、その後さかんに作成される『梵網経』注疏の注釈態度に影響を与えた。『梵網経』を注釈するにあたって、必ず『瑜伽論』が参照されるようになったのである。この傾向は、義寂(?―684―704―?)や勝荘(?―700―713―?)に受け継がれて、法蔵(644―712)を経て、太賢(?―742―765―?)『梵網経古迹記』(以下『古迹記』と略)に引き継がれた。『瑜伽論』には上記の慈悲殺生の他にも、一般的には破戒となる行為であっても、菩薩が利他のために行ったのであれば違犯にならないということが様々に説かれる。『古迹記』は、そうした菩薩による犯戒の容認を『梵網経』の条文上には認めていく姿勢をみせる。 ●『古迹記』の日本仏教への影響  『古迹記』が日本仏教の戒解釈に与えた影響は少なくない。最澄(767―822)は南都に継承された『四分律』にもとづく受持戒を小乗戒と位置づけ、『梵網経』にもとづく大乗戒を提唱した。最澄は大乗戒の正当性を論じる『顕戒論』において、しばしば『古迹記』を引用することによって、自らの見解を補強している(大谷由香[2018][2019])。  最澄が提唱した大乗戒思想の大成者として位置づけられる安然(841―915?)は、『普通広釈』に戒の奉持についての十門を説くにあたり、『古迹記』に説かれる「護持」の十門をそのまま下敷きにしながら、太賢説を発展させ、利他のためであれば十悪五逆さえも許容されることを説明している。  また当初は比叡山の大乗戒提唱を批判していた南都においても、鎌倉期に至って律宗復興を牽引した貞慶(1155―1213)が『古迹記』研究を推し進めた。彼は著書『心要鈔』に菩薩戒の「受得」「護持」「犯失」について説くにあたり、安然が下敷きにした同様の箇所を含む『古迹記』の抜き書きを行って、まったく『古迹記』にしたがって菩薩戒を説明している。  利他のための破戒が許されるという『瑜伽論』菩薩地の言説は、『古迹記』を通じて、日本仏教における『梵網経』解釈の前提となったのである。 ●菩薩の不殺生はどうあるべきか  では『梵網経』に説かれる不殺生はどのように解釈されてきたのか。  太賢は『梵網経』の十重四十八軽戒を注釈するにあたって、多くの場合には、梵網戒の禁止事項が実際には「無違犯」であることを示す根拠として『瑜伽論』を使用する。しかし殺戒(太賢によれば「第一快意殺生戒」と呼称される)の戒条部分の注釈では、瑜伽戒の第九性罪一向不共戒を紹介しながらも「今[私の]解釈はそうではない」と述べて、慈悲殺生をまったく容認しない態度をみせている。彼は、人々にとって死が究極の苦しみであるからこそ、菩薩は絶対に殺生をしないよう戒めるために、この戒が梵網戒の第一に掲げられていると解釈する。そのゆえにたとえ殺生が未遂に終わったとしても犯戒となって波羅夷という最重罪を得る。律蔵では免罪となる意識混濁状態における殺生であったとしても、菩薩がこれを行えば、重罪を犯したことになるのは当然であろうと説明するのである(大正40・703中~下、李忠煥[2017])。  菩薩戒の理念として利他のために殺生を犯すことを容認する一方で、戒条部分ではこれを禁止する解釈を施すという『古迹記』の『梵網経』注釈態度は、日本においても菩薩戒理解の基本となったものと考えられる。  たとえば証真(?―1165―1207―?)・俊芿(1166―1227、入宋:1199―1211)に師事し、日本におけるはじめての智ち顗ぎによる『梵網経』注釈書である『菩薩戒義疏』の注疏を編んだ建仁寺八代円琳(1172―1237―?)は、『菩薩戒義疏』に「大士は機を見て殺を得る」とあるのを注釈するにあたって、聖位菩薩に限って慈悲殺生が違犯となるかどうかを議論している(『菩薩戒義疏鈔』、仏全71・85下)。東大寺戒壇院の長老をつとめた凝然(1240―1321)もまた、法蔵による注釈書である『梵網経菩薩戒本疏』に瑜伽戒の第九性罪一向不共戒が引用されるのを複注するにあたって、慈悲殺生が許される菩薩は、階位上のどの段階であるか検討を加えている(『梵網戒本疏日珠鈔』、大正62・77中~下)。  つまり仏典にみられる慈悲殺生の記述は、観音菩薩などの高位の菩薩の立場を示したものに過ぎず、自らは、慈悲殺生など到底行える立場になどないし、もし自らが殺生を犯した場合には、その意楽の如何を問わず重犯である、というのが一般的な理解である。この理解は、南都・北嶺を問わず、『梵網経』第一重戒を解釈する上での基本的姿勢であったと考えられる。 ●凡夫の慈悲殺生の容認  しかし14世紀に入ると、黒谷円戒の戒脈上にある人師の間で、凡夫による慈悲殺生の是非が論じられるようになる。その嚆矢となるのは、おそらく了慧(1251―1330)『天台菩薩戒義疏見聞』であろう。これは前に紹介した建仁寺円琳に師事した覚空による講義をもとに、了慧がまとめた智顗説『菩薩戒義疏』の複注書である。  了慧は『古迹記』を引用して、太賢が慈悲殺生を違犯と説くのを提示した上で、「今家」(智顗)は慈悲殺生を違犯としない(不入犯重)と説く。さらに覚空の師である円琳が、「聖位菩薩」の立場に限って慈悲殺生の不犯を論じたのに対し、了慧は「凡夫菩薩」の立場における慈悲殺生をも議論し、大乗仏教においては身口業ではなく意業を本とし正とするのだから、あらゆる菩薩において慈悲殺生は重犯には該当しないと説く。凡夫菩薩であっても慈悲心から殺生した場合には何らの罪にも問われることはないと判断したのである(仏全71・246上~247下)。  凡夫菩薩にも慈悲殺生を許す姿勢は、黒谷円戒の戒脈に受け継がれたようである。惟賢(1284―1378)『菩薩戒義記補接鈔』は慈悲殺生を行う菩薩を「瑜伽論」(典拠不明)にしたがって「薄地凡夫菩薩」と位置づけており(仏全71・472下)、瑜伽戒の性罪一向不共戒は高位の菩薩を対象にするというこれまでの議論をまったく無視している。仁空(1309―1388)『菩薩戒義記聞書』において、『梵網経』は癡闇の凡夫のために説かれた教えであるから、慈悲殺生もまた凡夫に通じると説く(西全別三・23上~下)。  同時期に南都で活躍した人師による『古迹記』注疏(照遠〔1302―1361?〕『述迹鈔』)では、慈悲殺生を高位菩薩に限る行為とする解釈が維持され続けるのに対して、これら黒谷円戒の戒脈上に位置する人師たちの意見には目を見張るものがある。  冒頭に示した大量殺人者を殺すことで多数の命を救うことの是非は、トロッコ問題と呼ばれる倫理学上の論題に類似するように感じられる。しかし上記に示した先徳たちは、自ら菩薩戒を受持する当事者として、目の前の悪人を殺すことの是非を切実に議論しているのであって、自らを安全圏に置き他者の生死を論じようとするトロッコ問題とは立場を異にする。菩薩戒受持者にとって、目の前の悪人を殺すことは、その悪人が犯すはずだった悪業を自らが引き受ける代受苦を前提とする。自らが地獄に転生する覚悟で、あらゆる他者の来世までを含んだ「いのち」を救うことが、現今の自分に可能か否かを当事者として論じているのである。だからこそ固定的な模範解答は用意されない。それぞれの学僧が、仏典や師説に照らしつつ、自ら選びとって、戒の持犯は語られてきた。  菩薩戒を受持しない真宗門徒の私が、菩薩戒受持者の慈悲殺生の是非について見解を述べることは、不遜以外のなにものでもない。菩薩として生きる覚悟すらもてない私が殺人を犯すとき、どんなに高邁な理想を掲げようとも、所詮は狭量な私見を出るものではない。しかし仏教徒として生きていく中で、自ら信じる理想のために、もしかして誰かの、あるいは自身の命を懸けることがあったならば、たとえその選択が誤っていたとしても、そうとしか生きられなかった私を、阿弥陀仏は慈しみ、悲しんでくださるだろう。当事者として私が殺生を語るとき、菩薩として自覚的に生きる先徳に頭を垂れつつ、そういうことを考える。 【資料略号】 大正:『大正新脩大蔵経』 西全:『西山全書』 仏全:『大日本仏教全書』名著普及会 木村宣彰[1981]「多羅戒本と達摩戒本」、佐々木教悟編『戒律思想の研究』平楽寺書店 大谷由香[2018]「太賢『梵網経古迹記』の日本における活用について」『龍谷大学論集』492 大谷由香[2019]「日本仏教における戒律の特異性」『日本佛教学会年報』84 李忠煥[2017]「太賢の戒律思想―特に三聚浄戒と「瑜伽戒」の影響について」『印度學佛教學研究』66―1 (おおたにゆか・龍谷大学文学部特任准教授)著書に、『中世後期泉涌寺の研究』(法藏館、2017)など。 他の著者の論考を読む...
anjyari41
先徳との「対話」を目指して
先徳との「対話」を目指して 花園大学文学部教授 師  茂樹 (MORO Shigeki) ■特集を捉える  [大谷由香「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」へのコメント]    哲学者の河野哲也は「思考とは、他者から発せられる多様な声を自分のなかに取り込み、そのあいだの対立や闘争やすれ違いを取り持ち、それらの声を交渉させ、調停し、まとめたり、和解させたりして関連づける」という「本質的に政治的な活動」だと言う(『じぶんで考えじぶんで話せる―こどもを育てる哲学レッスン』河出書房新社、2018)。仏教者にとって「自分のなかに取り込」むべき「声」は、まずもって仏典に説かれる先徳たちの様々な言説ではなかろうか。  大谷由香「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」の中で紹介されている、『瑜伽師地論』菩薩地における「慈悲殺生」の議論、そしてそれを様々に注釈した東アジア、日本の学僧たちの「声」は、現代の我々にも多くの「思考」をもたらしてくれる。むしろ、ここで紹介されている先徳たちとの(広義の)対話の必要性は、現代においてますます高まっているように思われる。  思えば今から四半世紀あまり前、我々の社会ではオウム真理教という団体による「慈悲殺人」(彼らは「ポア」と呼んでいた)が発生した。その時、たまたま見ていたテレビのワイドショーに仏教学者が呼ばれていて、「ポアは仏教なのですか?」と詰問されていた。その学者は「ポアは仏教ではありません」と答えていた。仏教は、どんな目的であれ、殺人は肯定しないというのだ。  当時大学院生だった私は、彼がそう答えざるを得ない状況であったことに強く同情しつつも、その発言を聞いて思わず「嘘だ」とつぶやいていた。その時私は、まさに大谷が紹介する『瑜伽師地論』菩薩地の該当箇所を読んでいたのだった。私の中で複数の「声」が対立し葛藤していたことを思い出す。  『瑜伽師地論』では、大谷が紹介している「慈悲殺人」以外にも、菩薩の慈悲にもとづく加害や(現代風に言えば)ハラスメントの事例が「菩薩戒に違犯したことにはならないし、かえって多くの功徳を生む」と述べられている。その中には、権力者による仏教の強制の例もある。これなどは、昨年、アフガニスタンにおいてタリバン政権が復活したことを想起させる。この件について、日本の報道にはほぼネガティブなものしかないように思う。もちろん、それらの報道にはそれなりに根拠があるのだろうし、人権侵害があるのであれば早急に改善されるべきであると思う。その一方で、我々はこの問題について、「多様な声」に耳を傾けているのだろうか、偏った価値観だけで一方的な断罪をしてはいないだろうか、とも思う。『瑜伽師地論』やその注釈をめぐる議論も、この点から読まれ直してもよいかもしれない。  現代の倫理的問題を考える際、マイケル・サンデルが紹介したことで有名になった所謂「トロッコ問題」――大谷も言及しているが――などを参照するのもよいが、我々の有する伝統の中で豊かな倫理的議論がなされていたことに、もっと目を向けてもよいように思う。言うまでもなく、現代の(特に欧米の)価値観を否定しろと言いたいわけではないし、仏教だけを特権化すべきだとも言いたいわけではない。ただ、我々はもっと古典を含めた「多様な声」を取り込み、自分の中で葛藤させ、そして何らかの判断をする訓練をすべきだし、仏教者であるならばその中に仏典を含めるべきではないか、と思うのである。そして、大谷のこのエッセイには、そのためのヒントが多く含まれているように思われる。 (もろ しげき・花園大学文学部教授)近著に『最澄と徳一――仏教史上最大の対決』(岩波新書)。他論文等多数。 他の著者の論考を読む...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

SFのSは、セイメイのS?

伊藤真

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

■特集を捉える[池澤春菜「ヒトのイノチのその先に」へのコメント]

 池澤春菜氏の「ヒトのイノチのその先に」では、冒頭で「テセウスの船」という命題が紹介されている。「船の部品を一つずつ入れ替えていく。すべて新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か」。ローマ時代のギリシャ人哲学者プルタルコスが提示し、近代の哲学者たちまでが取り組んだ問題だ。SFでは脳と体を別のものと入れ替えたり、脳をコンピュータなどに複写・転写する技術などのストーリーを通じ、「何をもって、命と、人とするのか」、さらにAIや機械が生命を持ち得るかというテーマを考えさせてくれると池澤氏は言う。私も一人のSFファンとしてルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』(ハヤカワ文庫SF、1989年)などが思い浮かぶが、仏教的な面でも刺激を受けた。

 今回のウェブ企画にも寄稿いただいている師茂樹氏の論考「人工知能を有情とみなすことは可能か」(『人間とは何か(Ⅱ)』、日本佛教学会編、法藏館、2019年所収)では、古い仏典に出る「テセウスの船」によく似たSFチックなストーリーが考察されている。ある旅人が鬼たちに遭遇し、腕や足、胴体から頭まで、順にすべてを引きちぎられ、鬼が持っていた人間の死骸のものと順に入れ替えられてしまう。そして鬼たちは旅人からとりはずした手足など新鮮な(?)身体をぺろりと平らげてしまう。そこで旅人はこれでもなお自分の体だと言えるのか、と悩む。やがて旅人は仏教僧に出会い、あなたは(世界の構成要素である)「四つの元素が集まったものを、自分の体だ、と思い込んでいるだけです」と説かれ、仏教の無我説に目覚めるのだ(詳細は師氏の上記論考を参照。なお、師氏が指摘するとおり、仏教的な枠組みで考える場合は輪廻への問いが欠かせないが、本稿では触れない)。

 仏教の「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」という考え方では、私たち人間の存在を物質と精神(感覚・表象・意志的形成力・認識)の5つの要素がさまざまな因と縁によって仮に集まって構成されたものと理解する。そこに実体的な「我」は存在しない。仏典『ミリンダ王の問い』でも人間を「車」に喩え、車輪や車軸など部品に分解しても組み立てても、どこにも「我」は見当たらないと語られる。イギリスの哲学者エドワード・クレイグ氏によれば、これに対して古代ギリシャのプラトンは2頭の馬(理性と感性)に引かれた戦車(身体)を操る御者を自己に見立て、古代インドの『カタ・ウパニシャッド』では馬(感性)を操る御者(知性)に導かれた戦車(身体)に自己(アートマン)が乗っていると考えたというが、その自己は実際のところどこにいるのだろう。

 この点、池澤氏が挙げるジェイムズ・P・ホーガンの『造物主の掟』(名作『星を継ぐもの』の作者の作品。創元SF文庫、1985年)では、みずからロボットや機械類を製造して異星で資源を採掘する自律型ロボットの機械人「タロイド」たちが登場する。それらはプログラムの暴走で独自の進化を遂げ、長大な時間を経て、自我意識もあれば独裁者や宗教までもある中世的な社会を築いている。作中、自分たちの「生命」の源はどこかと疑問を抱いたあるタロイドが、「死んだ」機械を分解する。すると彼は「管や繊維や金属構造材やベアリングなどのおそろしく複雑な配列……以外には、何も見つけだすことができなかった」。そして問う——「では、魂はどこにあるのか?」。

 一方、池澤氏が紹介する別の作品、アン・マキャフリーの『歌う船』(創元SF文庫、1984年)では、主人公のヘルヴァは人間の脳がいわば「御者」的に宇宙船の船体に組み込まれて一体化した存在だが、どちらか一方だけでは本当のヘルヴァとは言えない。彼女は宇宙船であり、宇宙船であって初めて彼女なのだ。この作品から思い出すのはベトナムにもルーツを持つフランス人作家アリエット・ド・ボダールのアジアン・テイスト満載のSFミステリ作品『茶匠と探偵』(竹書房、2019年)。主人公のシャドウズ・チャイルドと呼ばれる宇宙船「マインド・シップ」も頭脳は人工知能的なものだが、船全体がひとつの有機的・人格的存在だ。彼女は過去の事故の深いトラウマを抱え、航行していないときは心を落ち着けるドラッグを調合する「茶匠」として日銭を稼ぐ。『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALも意思や多少の感情を示したが、「マインド・シップ」は深層心理を含む感情面が大きなウェイトを占めているのが印象深い。

 脳やソフトウェアとハードウェアとの組み合わせであるどの宇宙船も機械人も、構造的にはまさに「五蘊仮和合」。しかしここに挙げたSF作品を読んでいると、(フィクションだとはいえ)そこに否定し難い「自己」的なるものが立ち現れ得る不思議に惹かれてしまう。我が身もまた、「自己」は脳の生理学的プロセスの産物に過ぎず、「無我」であると合理的に考え得たとしても、全身を捉える不安や焦燥や愛慕などを感じるとき、それはひと筋縄ではいかないのではないか……。生命はあくまでも機械に宿ると信じている機械人タロイドから見ると、人間は生命とはおよそ無縁なはずの有機的物質の奇妙な化学的構築物にすぎない。それなのに人間たちが欲望や敵意や善意を示すことに衝撃を受ける。それを「無我」だと言って、タロイドたちはすんなり納得してくれるだろうか。池澤春菜氏が紹介してくださった他のSF作品とも合わせて、考えてみるとおもしろいかもしれない。

(いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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いのちの否定と肯定 PDF版をDL 大阪教育大学教育学部教授 岩田 文昭 (IWATA Fumiaki)  浄土教にはいのちを否定する面と肯定する面がある。自己を罪悪深重の凡夫として捉え、この世を穢土として否定する面とともに、浄土に往生する救いの法を教え、凡夫の身をそのまま肯定する面である。このような浄土教の救いの法は、時代を越えるものである。  とはいえ、その説き方は時代により人によって変わってきた。たしかにかつては、一器の水を他の一器に移すように、師の教えがそのまま伝えられたとされた。しかし、現代ではその教説の歴史的変遷の経緯が明確に知られている。この歴史性の自覚により、過去の浄土教の教説を金科玉条のように受け取るのではなく、時機相応のものとして改めて受け取り直すことが要求されているといえよう。現代における受け取り方を探求するために、この問題をより広い文脈において考えてゆきたい。 ◆ウィリアム・ジェイムズの二類型  自己のあり方を肯定する方法は、さまざまな仕方で探求されてきた。ごくおおざっぱにそれらの方法は、二通りにわけることができる。一つはできるだけ善きことに関心をむけるという方法である。悪いものを見ないようにし、自己においても世界においても、善きことを積極的に捉え直し、その中で善きことを実践していこうとする。もう一つは、否定的なものの存在を厳粛に受けとめながら、その上でそれを乗り越える世界に触れようという方法である。悪や苦が自己やこの世界に不可避なものであるという認識をもちつつ、それらを含みながらも、自己が肯定される高い次元を模索しようとする。  この二つの方法について、ウィリアム・ジェイムズはその著『宗教的経験の諸相』の中で分析している。ジェイムズは、宗教的回心をする人には、「健全な心」と「病める魂」の二つの性格類型があると論じている。健全な心は、善きものに意図的に目を向けるあり方をしている。それに対して、病める魂は、悪や苦を見据えながら、より高い自己の在り方を模索するという。  健全な心の持ち主は、人生を善きものと感じ、世界の暗い面や自己自身の不完全さに思い悩むことは少ない。この心の持ち主は、さしあたり無意識のうちに世界の善性を信頼し、自然に幸福を感じる人といえる。しかし、むしろこの類型の本領は、意志的・組織的に悪を自身の視野の外に締め出す方法を用いることにある。ものごとを全体として善と考え、意識的に楽観的な人生観にもとづき、人間の生を肯定するのである。ジェイムズは当時のアメリカで起こっていた「マインド・キュア(精神治療)」運動を具体的な例としてとりあげ、積極的に人生を肯定する方法の特色を紹介している。  マインド・キュアは、ニューソートとも呼ばれるが、このような方法論にもとづいて、自己を肯定しようとする動きは、当時の合衆国にだけ存在したのではない。現代の日本の新宗教や精神運動においてもこのような形態はひろく認められる。新宗教のひとつである生長の家の創始者、谷口雅春は実際にニューソート(生長の家ではこれを「光明思想」と呼ぶ)に大きな影響を受けて、活動を展開していった。光明思想のような生命観は、戦後、教勢を著しく拡大した新宗教の大きな特徴である。その生命観は、ひとりひとりの心の状態や思いは、宇宙の本源的実在やエネルギーと密接につながっていると想定する。そして、宇宙の諸存在はすべて一つの生命体であり、悪は根源的な実在性をもたないとされる。新宗教におけるこのような理論構成は、宗教学者によって「生命主義」として研究されてきた(対馬路人他「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、1979年)。来世ではなく現世に重きを置くのも、生命主義の特徴のひとつである。  しかし、生命主義的な思想は新宗教だけにみられるものではない。新宗教の教理ほど体系的ではなく、また徹底したものではないにしろ、現代の学校教育やマスコミなどでも、生命主義に親近した考え方が暗黙のうちに浸透している。しばしば、「すべてのものはつながっている」「すべてのいのちは輝いている」「あなたには無限の可能性がある」などという表現がなされる。ひとりひとりの生をかけがえのないものとして見据え、できるだけ善いことや長所を見いだすことで、生が肯定されるという発想である。このような思考形態は現代における「いのち教」と呼ぶことができよう。  それでは、ジェイムズがいう「病める魂」はどのような性格類型であろうか。病める魂の持ち主は、悪の存在に悩まされる人である。世界や自己の悪い面が切実に感じられ、悪と向き合うことが本当のあり方だと考える。そのように悪や苦しみに向きあうことで、古い自己が死に、新たな自己が蘇ることがある。再生された自己においては、悪や苦は必然的なものと認められ、それらは内に含まれた仕方で統合される。このような死と再生の経験は、伝統的な宗教、とくにキリスト教や仏教において顕著にみられてきたことだとジェイムズは指摘する。事実、キリスト教では人間を原罪があるものとし、仏教では生老病死などの四苦や八苦を説く。ジェイムズはキリスト教と仏教は本質的に「救済(deliverance)」の宗教であり、その教えの核心をこう述べる。「真実なるいのち(life)に生まれうるには、人はまず真実でないいのちを忘れさらねばならない」。 ◆上田閑照の宗教哲学生命/生/いのち  キリスト教や仏教など救済宗教の「いのち」理解を考察するためのよい手がかりを上田閑照は提示している(上田閑照『宗教』岩波現代文庫、2007年)。近年の宗教哲学者の代表的存在である、上田の論をもとに肯定と否定との問題をさらに考えてみよう。  本来的に「人間として生きる」という観点から、上田は宗教の問題を考察する。上田によれば、「生きる」ことには「生命」と「生」と「いのち」の三つの次元があり、それらがダイナミックに連関してこそ「生きる」ことになる。「生命」は、生物学や生命科学の対象となるものである。「生」には「生活」という面や「人生」という面もある。そのため、さまざまな人文科学の対象となる。「生」はさまざまな意味連関の中におかれるが、それを包括する場所が「世界」である。宗教との関係で重要なのは「いのち」である。「いのち」は学問の対象とはならずに、対象化することでは触れることができないところで生きられる。生命や生とは質を異にし、詩・文学や芸術や宗教などで直接に「いのち」の言葉に触れて、「いのち」の目覚めが生起する。「いのち」の目覚めは宗教にかぎらず、詩や芸術でも自覚されることがある。ただし、「生命」から人間的な「生」へは量的な飛躍であるのに対し、「生」から「いのち」への飛躍はそうした飛躍の線を断ち切ったところから出てくる質的な飛躍である。「死」や「貧」といった否定的な契機を通して自覚されてくるのが「いのち」なのである。そして、こうしたすべての連関を含めて、その全体が生きられることが「人間として生きること」になるのだという。  上田は、悪や苦などの否定的なものを真正面から見すえることが本当の意味で「生きる」ことだとするのであり、この点、ジェイムズのいう「病める魂」と論が重なる。  ここで大切なのは、上田が捉える救済宗教の本質である。意味の総枠である「世界」と、それを越えるものは異質で断絶している。伝統的に「宗教」とされるのは、「世界」を越え包む限りない「開け」が、「世界」の内から主題化されたものだと上田は捉える。具体的にいえば、神域・神殿・教会などは地図の上に位置づけ可能な、目に見える局所であるが、本来的には「世界」とは断絶した場所なのである。しかし、それを目に見える世界内のものとして捉えると問題が起こる。  人間にはそもそも「歪み」と「転倒」の危険性がある。「歪み」とは、人間的生に関わる世界がすべてだとし、それを越えるものを見ないことである。これは宗教的なものを意図的に見ない歪みである。「転倒」とは、本来、人間的生においては見えないものを見てわかったものとして、人間的生の次元に引きずりおろすという転倒である。歪みや転倒は宗教の歴史の中でしばしば生じており、宗教思想家はそれぞれの仕方でその危険性を乗り越えようとしてきた。 ◆浄土教における否定と肯定法然・證空・親鸞  さて、上田やジェイムズの提示した宗教モデルをもとに、浄土教について考えてみよう。浄土教の祖師たちは、いずれも病める魂の持ち主であり、自己の罪悪をみすえている。なるほど、法然は通仏教の側からも「智恵第一の法然房」と讃えられ、また持戒堅固の清僧と知られていた。しかしながら自身を「戒定慧の三学の器にあらず」と認識し、また「十悪の法然」「愚痴の法然」と自覚していたと伝えられている。その法然が称名念仏の教えを説いた。ただし、念仏一行を「選択」したのは法然ではなく、阿弥陀仏であることを見失ってはならない。阿弥陀仏が余行ではなく、念仏を選択し、それを往生の本願としたということが『選択本願念仏集』の主旨であり、そのことが決定的な意味を有している。この著作には、人間的生に関わる意味世界ではない、絶対の側からの働きが表現されている。上田の言葉に従えば、「いのち」の言葉が念仏なのである。その念仏の働きには自力無功という否定の契機が内包されている。  しかし、このような法然の立場は、念仏以外の行を修する仏教者から非難されることになる。また人間の意味世界を越えた絶対の働きと、人間の生の意味世界との関係が問われることになった。法然自身は、当時の社会の仏教や道徳の規範に則った清僧として一生を過ごした。すなわち、このようにして法然は「人間として生きた」のだ。とはいえ、教団が大きくなり、信者が増えていく中で、この課題に理論的に答える必要もでてきた。  法然の高弟、證空は法然が残した課題に取り組んだ一人である。のちに浄土宗西山派の派祖とされた證空の教義は独特な名目や高尚な哲理を含んでおり理解は容易ではない。天台本覚思想に基づいた現実肯定の思想として誤解されることもある。しかし、證空も病める魂の持ち主であった。證空は人間を総じて「濁世の凡夫」「垢障の凡夫」「垢障覆の衆生」と理解し、悪や罪を正面から捉えている。そして、仏性が遍満するとしているが、遍満する仏性は「弥陀の理性」であり、そのことの「領解」がなければ、衆生は三界流転するという。さらに、念仏においても「自力の念仏」と「本願に相応した他力の念仏」とを区別している(『女院御書』下巻第七章)。阿弥陀仏の絶対性が見据えられているといえる。しかし、領解の信心において、あらゆることの意味が復活する。通仏教の修行や世俗の道徳が生き返り、人間的生の意味が肯定されるのである。古来より法然は「諸行の頸を切り」、證空は「諸行を生け捕りに」したと評される所以である。  證空は現生往生である「即便往生」を表だって説いている。「生きて身を蓮の上に宿さずば念仏申す甲斐やなからん」。この和歌は、臨終時の往生(證空はこれを当得往生という)のみでなく、生きながら往生することの重要性を端的に表現したとされている。證空はこのような独自の教学をもとに、人間として生きた。證空の場合、肯定の契機を強調することが多い。そのため、「生」から「いのち」への否定の契機がともすれば見落とされがちになる。後世において證空は、健全な心の持ち主のようにみなされ、生命主義的に解釈されることもでてきた。  親鸞の自己の罪悪性への自覚は痛切である。病める魂の典型的人物といってよい。親鸞の教えの核心は、阿弥陀仏の本願への疑いが滅して、正定聚に入って生きることにある。このことは、まさに虚仮のいのちを捨て真実なるいのちに生まれかわることを表現していることにほかならない。法然への論難に対して答えることは親鸞にとっても課題であり、『教行信証』執筆の大きな動機であった。残された課題の一つに菩提心の問題がある。親鸞はこれに対して、信心も自己がおこすものではなく、弥陀よりたまわるものだと示した。後世、絶対他力と称されるほど、弥陀の絶対性を強調したのである。他力信心に関する論理を徹底させながら、親鸞も人間として生きた。しかし、親鸞も理論的課題をすべて解決したわけではない。人間的生の意味連関の中で道徳・倫理をどう捉えるのかという課題は、そのひとつであろう。信心を獲て、現生正定聚の中に入ることは、むしろ人間的生の意味連関の再構築の始まりとなる。  ジェイムズや上田の理論が必ずしも全面的に妥当するとは限らず、また浄土教をかれらの理論で考察する必要もない。しかし、浄土教の思想をその文字の表面的な意味理解に限らず、より普遍的な次元で捉え返すことは大切なことであろう。浄土教は、現代に流布している「いのち教」と違うのか否か。あるいは、俗世から断絶した浄土を人間的生の次元に引きずりおろす転倒は生じていないか。いのちの肯定と否定の問題は、そのような問いを投げかけているように思われる。 (いわたふみあき・大阪教育大学教育学部教授)著書に、『近代仏教と青年――近角常観とその時代』(岩波書店、2014)、編著『知っておきたい日本の宗教』(ミネルヴァ書房、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『現代と親鸞』第45号

伊藤真 掲載Contents

研究論文
■ 第65回現代と親鸞の研究会

坂上 暢幸 「裁判員体験とは何かを考える――裁判員制度十年を見つめて」

大城  聡 「良心的裁判員拒否と責任ある参加――制度開始十年を経て」

■ 「正信念仏偈」研究会

四方田犬彦 「アーカイヴとしての『教行信証』」

■ 源信『一乗要決』研究会

梯  信暁 「源信『往生要集』の菩提心論」

■ 第2回「現代と親鸞公開シンポジウム」報告

テーマ:「生まれることを肯定/否定できるのか?――反出生主義をめぐる問い

【提言】

青山 拓央 「生まれることの悪と、生み出すことの悪

竹内 綱史 「生のトータルな肯定は可能か――ショーペンハウアーとニーチェから」

難波 教行 「「生命讃仰」言説の落とし穴――親鸞思想を通して」

【全体討議】

加藤 秀一(コメンテーター)・中村 玲太(司会)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(31)」

コラム・エッセイ
講座・イベント
刊行物のご案内

研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第223回「ブッダの中にアイはない!?」

伊藤真

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

 9月末、長期に及んだ首都圏一都三県への緊急事態宣言がいったん解除となったが、相変わらず生活はストレスフルである。そんな中、少しでもすっきりしたいと、雑然としたデスクの片付けを試みた。するとある小さなピンバッジがどこからか出てきた。数年前に開催された仏教学に関する学会で、記念品として一人ひとつずついただいたもので、ありがたい仏像が描かれている……のではなくて、仏教に関するジョークまたはアフォリズムのような一節などが英語で記されている。学会主催校の事務局長を務められ、ジョークの達人として知られるケネス・タナカ博士が米国から取り寄せたものだという。


 私がいただいたバッジの文言はあとでご披露するとして、学会の懇親会でほかの参加者の方々とバッジを見せ合ったとき、思わず「くすっ」と笑ってしまった例をまずご紹介したい(恐縮ながらこのピンバッジが今月の「出会い」なので、あまり「ピン」とこないかもしれないが、今回は「くすっ」と言うと同時にコロナ禍のストレスもほんの少しでも「すっ」と吐き出しながらお読みいただきたい)。さてそのバッジの文言は——


 There is no I in Buddha


 直訳すれば「ブッダのなかにアイはない」。ジョークを解説するなんて「冗談だろう?!」という読者の声は聞こえないふりをして敢えて説明すれば、”Buddha”という単語の綴りのなかに”I”という文字はない、というのが文字面(もじづら)の意味。だがオチは”I”には「私」「我(われ)」という意味もあること……。なんとも洒落た「無我」の表現である。「ユーモアは仏教の教えを伝える効果的な手段でもあるのです」と、タナカ博士は言う。

 これに類したものでインターネットでもたくさん見かける有名なジョークがある(ジョークの常として、出典や創作者は不明・匿名のまま、いま風に言えばあちこちに「拡散」されている)。


 Why can’t the Buddha vacuum clean corners?(なぜブッダは掃除機で部屋の隅っこを掃除できないのか?)

 Because he has no attachments!(彼にはアタッチメントがないからさ!)


 ここではattachment は掃除機の先端に取り付ける隙間ノズル。でももう一つの意味は……「執着」だ。私たちも心の隅々にまで掃除機をかけたいものだが、掃除機自体も心だから、そこにはどれほど、どんなノズル(attachment)が付いているだろうか。


 数年前に欧州評議会を訪れたダライ・ラマ法王のニュース映像がある(これは冗談抜きで実話です)。神妙な顔つきで居並ぶ評議会のお偉方を前にして、ダライ・ラマ法王は「私はスマイル(笑顔)が大好きです。相手が笑顔になると私もとてもハッピーになれます」と切り出した。「でも相手があんまりまじめくさった顔をしていたら、こうすればいいんですよ」と言うなり、隣に座っていた理事の脇腹をいたずらっ子のように指で「つんつん」とひと突き、ふた突き!会場は爆笑に包まれた。「神秘の国の法王」に対する評議員たちの先入観というattachmentが一気に消えてなくなったに違いない。

 そんなダライ・ラマ法王が登場するジョークもある。誕生日プレゼントをもらったダライ・ラマ法王。だが箱を開けてみれば中身は空っぽ。そこでひとこと——”Just what I wanted, nothing!”(ちょうどほしかったもの、無(む)だ!)。


 笑いは消化によい、と哲学者のカントが言ったらしいが、確かにしょうかもしれない(え?誤植ですって……?)。だが笑いは一歩間違うと恐ろしい凶器にもなる。人を軽蔑し、文字通り笑い者にして傷つけるようなジョークは許されない。そうしたジョークを聞いてどっと周囲が笑えば、それはもう集団暴力だ。ぜひ心して「消化によい」笑いを噛みしめたいものである。

 もちろん仏教は人間の深い苦悩に救いの手を差し延べるものであり、特にコロナ禍で悲しみや不安が世を覆う中、切実な思いで宗教に向かう人も多いだろう。だがそんなときにも、ちょっとした笑いが、心を一瞬でも明るくするささやかな燈(ともしび)になることもあるのではないだろうか(今回の本欄もそんな思いで書いた)。


 最後に、学会で私がいただいたバッジに何が書いてあったか。それはジョークではなかった——Outside Wise, Inside a Fool(外見は賢人、中身は愚者)。心の奥底をグサっとひと刺し。みずからの存在の真実に対し深き反省を迫られるピンバッジであった。

(2021年11月1日)

追記:ケネス・タナカ博士の著書、Kenneth Tanaka, Buddhism on Air (Buddhist Education Center発行)の第40話や、同書の一部の拙訳書『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』(春秋社)のコラム欄で、ほかにも仏教のユーモラスなお話が紹介されています。

 ※追記

ケネス・タナカ博士の著書、Kenneth Tanaka, Buddhism on Air (Buddhist Education Center発行)の第40話や、同書の一部の拙訳書『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』(春秋社)のコラム欄で、ほかにも仏教のユーモラスなお話が紹介されています。

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今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い 第212回「疫禍の師走に想う「思い出の国」の人たち」

伊藤真

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

 今年も師走を迎えた。本文執筆時点では、清水寺で毎年発表される「今年の漢字」はわからないが、多くの人がいくつかの共通の漢字を思い浮かべているのではないだろうか。今年は歴史に刻まれる疫禍の年となった。そんな一年を振り返って思うことは多々あるが、緊急事態宣言や外出自粛などの政策により、スポーツ、コンサート、舞台、展覧会や映画などを会場で「生(なま)」で体験する機会が失われたことも大きかった。もちろん命があってのことではあるが、文化・芸術にじかに触れることで触発されるものは大きいと改めて感じる。今回は、行政の、そして自分自身の気分的な規制もようやく緩和されつつあった10月に、地元横浜のKAAT神奈川芸術劇場で観ることができた2本の舞台作品について述べたい。


 1本は同劇場芸術監督・白井晃演出の『銀河鉄道の夜2020』。25年前の作品の再演となる音楽劇だが、楽団のライブ演奏をバックに、「語り部」的な(賢治の妹トシの?)精霊・アメユキ(さねよしいさ子)の歌がイーハトーブの物語を引き出していく。原作もこの舞台作品も解釈は色々できるだろうが、脚本の能祖將夫は「亡くなった人はもちろん、生きている人の中にも、どれだけ会いたいと切望しても2度と叶わぬ人がいる……賢治は銀河鉄道を『思い出の国』に走らせたのだ」と述べている(同作品パンフレット)。『銀河鉄道の夜』には私自身の記憶と交錯する場面も多い。それが音と光の中で役者たちが躍動する舞台上の銀河鉄道に同乗してみると、本にも増して、時空を超えた感慨を呼び覚まされた。二十数年前、豪州の冬空高く輝く南十字星やさそり座を共に眺めた人たち。さらに遡れば、タイタニック号の悲劇の夜を語り聞かせてくれた生存者の英国の老婦人。鳥捕りの男がジョバンニらに雁を試食させるシーンでは、お菓子のような味だと言っているのに、なぜか番茶に浸したタラの塩漬けの一片を美味そうにしゃぶっていた(私が幼かった頃の)祖母を思い出した……。人の人生は多くの出会いと別れで紡がれているという当たり前のことを、舞台上の、そして私の心の中の「思い出の国」の人たちと出会って改めて感じた。


 もう一本の舞台作品は、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』に想を得て、「人類すべての成長物語」を構想したという谷賢一の作・演出による『人類史』。第一幕は人類が言葉や文化・芸術を生み出すまでを、イスラエルのダンサー、エラ・ホチルドがオンラインで振り付けたという身体表現(ダンス)で描き、権力の発生とその犠牲になる青年を描いた場面はギリシャ悲劇を思わせた。そして科学革命から現代までをエネルギッシュな群像劇で描く第二部はミュージカル仕立て(作品全体の音楽は志磨遼平)。200万年の時を3時間弱に詰め込む難しさは否めないが、ストーリーも演出もてんこ盛りの贅沢なこの作品で印象に残ったのは、人類が死者の追悼を始めた太古の葬送のしめやかな場面だった。村の長老と司祭を兼ねた役回りの「老人」(山路和弘)が、われわれの生は多くの死者たちの上にあることを残された者たちに語る。その意味で、壮大な「人類の成長物語」はまた、人類にとっての「思い出の国」の住人たちに対する、挽歌であり、讃歌でもあると感じた。


 席は一つ空きで会話も控えめ、当然ながら常時マスク着用、飲食も禁止だから幕間のロビーでのグラス一杯のワインもおあずけ…。そんな中でも劇場で「生(なま)」で触れることができた二本の作品が私の心身に沁み渡らせてくれたのは、私たちの今が、私たちの人生や人類の歴史を形作って「思い出の国」へと去っていった人たちと共にあるということ。疫禍に揺れた今年、そのことのかけがえのなさに力を得つつ、同時にまたその切なさをも噛みしめる師走である。

(2020年12月1日)

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今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA...

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: