親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

【特集趣旨】仏教と現代文化―新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで―

【特集趣旨】

仏教と現代文化

―新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで―

――新しい仏像からマンガやゲーム、ネット空間の最新表現まで

嘱託研究員

青柳 英司

(AOYAGI Eishi)

 現代の多くの日本人にとって、仏教は縁遠いものに感じられるかもしれません。ですが、博物館で開催される仏像の展覧会はとても人気が高く、マンガやゲーム、音楽やYouTubeといったものの中に、仏教的な要素が見られることも決して珍しいことではありません。現代の日本人が、仏教的な「何か」に魅かれることがあるのは確かなようです。また、様々な現代文化のコンテンツを通して、仏教を少しでも身近に感じてもらおうとする実践も、積極的に行われています。

 そこで今回の特集では、現代の文化的事象の中に見られる仏教的な要素と、現代文化を通した仏教の発信について、様々な立場の方々からご論考・エッセイをお寄せいただきました。

 長い歴史と伝統があり、ともすると古いものと思われがちな仏教と、最先端の現代文化との接点について、改めて考えてみたいと思います。

(あおやぎ えいし・嘱託研究員)

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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

大根・仏教・メディア

仏教

『フリースタイルな僧侶たち』編集長

稲田 ズイキ

(INADA Zuiki)

「稲田さんは僧侶として情報発信をされてますが」

 

 ごくたまに取材などで初めて会った方に、このように言われることがある。いつも私はこの言葉にモヤモヤする。情報発信、うん、情報発信と言えるのだろうか。わからない。

 

 もちろん、判然としない言葉で語られるのは、自分が実態の見えない活動をしているせいなのだけど、なんだか渋い気持ちがする。この渋味はなんなのだろう。

 

先日のインタビュアーの方は、単刀直入にこう言ってくれた。

 

「稲田さんって、ぶっちゃけ何をしているのですか?」

 

潔い質問である。私はぽつぽつとこのように語った。

 

「『フリースタイルな僧侶たち』という雑誌の編集をしていたり、仏教にまつわるコラムを書いたり、エッセイ、小説、漫画の原作を書いたり、今はそんな感じですかね……」

 

「なるほど。それってつまり、なんなんですかね?」

 

言葉に詰まった。あちら側もすごく言いにくそうに質問をしてくれている。

 

 自分がやっていることってなんなのだろうか。たしかに、あまりにも漠然としている。ついうっかり「情報発信」と言いそうになる気持ちを抑えながら、頭の中を必死で駆け回り、うっすらと浮かび上がったある一つのイメージを言葉にした。

 

「なんか、大根を作って渡してる感じなんですよね」

 

明らかにインタビュアーは困惑していた。見事なまでになんの伏線もない、斜め上の角度から繰り出された大根に、言葉を失っていたのだ。

 

 案の定というか当たり前だけど、この発言は原稿ではカットされていた。でも、この支離滅裂な一言が、私の一番深いところからやってきた、濁りのない言葉であったのは確かなのである。

 

 ありがたいことに、この度は「メディアと仏教」について何か書いてほしいと、お題をいただいた。そこで、今自分が僧侶として、または一人の人間として、メディアというものとどのように向き合っているのか、決して無関係ではない「大根」の真意に触れながら、書いてみたいと思う。

 
 「情報発信」の言葉がここまで当たり前のものとして受け入れられるようになったのは、言わずもがな、SNSの登場が契機となっているだろう。
 

 現実の会話と異なり、Twitter、Instagram、TikTokなどのSNSを中心としたデジタル空間でのコミュニケーションの特徴は、特定の聞き手を不在にしたままに情報が送信されることにある。ゆえに、「発信」の側面だけが、今社会で躍り出ているといったところだろうか。

 

 私が「情報発信」というスタンスに違和感をおぼえるのは、その言葉が一方的な行いを指して使われるものだからである。コミュニケーションは、発信と受信の往復、そしてその主客の交代の連続によって成立している。

 

 だとするならば、「情報発信」というあり方を自分のスタンスとして置く行為は、絶えず流れるコミュニケーションの循環に石を置くような行為と思えて仕方がない。むしろ受信こそ私がやるべき仕事のような気がするのだ。

 

 このような自分のありたい姿と、僧侶という切っても切り離せない肖像とが、ぶつかってしまった出来事として象徴的だったものがある。それは私がまだ学生時代の話で、僧侶となって一年も経たない頃のことだった。

 

 映画監督の友達と、実家のお寺を舞台にした映画制作の企画を立ちあげた。登場人物に自分を含めた称名寺の家族全員、さらには近所に住む檀家さんのほぼ一家に一人に出演してもらうなどして、『DOPE寺』というミュージカル映画を作ったのだが、とある新聞社さんがその過程を丁寧に取材してくださっていたのだ。

 

 「なぜ映画を作ったのか?」と訊かれて、私は正直に「面白い作品が作りたかった」「来年から就職で東京へ行き、お寺を離れるから、生まれ育ったお寺や檀家さんたちと思い出を作りたかった」と語っていたわけなのだが、楽しみに待っていた新聞の見出しにはこのように書かれていたのだ。

 

「進む宗教離れ 檀信徒獲得のために奮闘する若き僧侶」

 

 これには、私も家族もがっくしである。本文を合わせて読めば、そう誤読もされないような内容になっていたのだが、わざわざ“そういうことではない”と取材中にも念を押していた文脈で語られてしまうことに驚いたのだ。

 

 担当の記者の方に尋ねると、「デスクにそのように修正されてしまった」と悔しそうにおっしゃっていた。そうか、そういうこともあるのだなと納得したのだが、これは裏を返せば、このように言えるのではないだろうか。

 

 デスク担当が自己判断できるレベルで、今僧侶が何か企画を立てるということが、檀信徒獲得(寺院維持)のためのアピールと当然のように直結していて、そうした寺院を維持するための行為は社会的に見ても正しいということの証である、と。

 

 私はこの新聞の見出しと情報発信という語り口は、根源的に同じものなのではないかと思っている。すべての活動が、社会的マイノリティの立場から自らのプレゼンスを上げるためのアピールとして、評価されてしまうということである。

 

 やや考えすぎかもしれないが、世間的に僧侶という存在を語る上では、こうした一つの文脈しか存在しえない、と印を押されてしまったような虚しさがあった。

 
 私が何か作品やコンテンツを作ったりするのは、「会話がしたいから」に尽きる。今回の原稿の内容に沿っていえば、発信と受信の循環を生み出したいのである。さらに大きなことを言うならば、聞き手を不在にしたまま、それでもたくさんのものたちと「会話」をする手段として、人類は「創作」という営みを発明したのではないかとすら思うのだ。そりゃいいすぎか。
 

 先述したように、情報発信者(つまるところの“インフルエンサー”と言えるだろうか)として己のスタンスを置く行為は、自分を発信者として権威づけ、受信者を受信者のままに固定する行為につながる。

 

 一方で、「創作」という営みの末に生まれた「作品」には、そうした主客の固定を促すような性質は少ないように思う。

 

 たとえば、私の大好きなバンド、BUMP OF CHICKENのボーカル・藤原基央さんは、自らの音楽をこのように語っている。

 

「たとえばその曲と聴く人の間に10歩距離があったとすると、そのうちの5歩分しか近づいてこないような音楽。残りの5歩分は、聴く人のほうが近づいていかなきゃいけない。そして、そうやって5歩分近づいていくということに意味がある音楽だと思うんです」

(『MUSICA』2011年1月号、p. 35)

 

 聴く者が歩み寄る5歩を、「解釈」と呼ぶのか「会話」と呼ぶのかは、人それぞれだとは思うが、私はこうした開け放された公園のような、受信者の能動性を促す営みを「創作」と呼びたいのである。

 

 はじめは作り手から発信されたものだが、生まれ落ちた瞬間には手放され、受信者の心の中でうごめき、たくさんの「会話」を生み出す。そこに、発信と受信の主客を分かつ線はほとんど存在しない。創作は、まだ見ぬ誰かと私をフラットな地平に置き、主客入り混じった会話をもたらすのだ。

 
 なぜそこまでして、私が「会話」にこだわるのか。それは自分が普段から何かを力強くプレゼンするよりも、人の話を聞いてうんうんうなずいたり突然ピコーンとひらめいたりしたいタイプだからということでもあるが、何よりも、私が大切にしている仏教という存在自体が、そうした「会話」が生まれ出る願いにあふれているからに他ならない。
 

 たとえば、悟りを言葉で表してはならない「不立文字」という真髄、さらには規範であるはずのお経が「如是我聞」の文言からはじまっていること、「私の教えは、川を渡るための筏(いかだ)のようなものです。向こう岸に渡ったら、筏を捨てて行けばよい」と語ったお釈迦様の言葉など、仏教は常に「私」へ向かって投げかけられ、「私」の返答を待ってくれている。そうした解釈の余地がそれぞれに委ねられているところこそ、仏教という道のメインストリートなのだと私は思っている。

 

 言い換えるならば、仏教を伝える際も、聞き手に解釈の余地が残されていなければならないと私は思うのだ。

 

 だからこそ、『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーの編集長を引き受けたときに、まずはじめに思ったのが「情報誌にはしたくない」という決意であった。次に、漠然とカルチャー誌のように仏教を語りたい意欲に沸き立ったとき、宗教と文化とは根本的に何が異なっているのかと問いを立てた。

 

 思えば、なぜ宗教と文化の間には分厚い壁があるように感じるのだろう。

 

 違いの一つとして注目したのが、言語領域と感覚領域の割合である。編集部では、宗教と文化を構成する要素のうち、言語化され万人に等しく共有できる智慧をナレッジ、言語化されず各々の感性に委ねられている智慧をセンスと、便宜上呼ぶことにしている。

 

 別に細かに検証したわけではないが、概観すると、宗教は文化に比べ、ナレッジが占める割合が大きく、文化はセンスの割合が大きいように思う。

 

 一方、先述したように、仏教は解釈の余白が個々人に開かれていたり、思想の核を言葉では表せないがために、他の宗教と比べてセンスが占める割合が大きいとも言える。

 

 このように見ると、文化と仏教を隔てている大きな壁は、実はかなり曖昧な設計であることがわかる。センスとナレッジといった画角で両者を眺めたとき、そうした分厚い壁は飛び越えて、全く新しい地平を拝むことができる可能性が垣間見えてくる。

 

 こうした経緯があって、私が編集長としてリニューアルした『フリースタイルな僧侶たち』のコンセプトは「古今東西のセンスをサンプリングし、新しいカルチャーを作る雑誌」としている。とは言っても、あまりにも独自言語すぎるので、「宗教と文化を横断する雑誌」と、今は説明することにしているのだけど。

 

 それもすべて、なるべく支配的なコミュニケーションを避け、できるだけ会話が生まれるような雑誌にしたいという私なりの仏教観を通した編集のつもりだ。

 

 「メディア」というと、拡声器のような、声を社会に大きく届けることをイメージする人も多いと思う。私もかつてはそのようにイメージしていた。

 

 しかし、新卒で入社した企業の代表(元『WIRED日本版』の創刊編集長)が、入社したばかりの私たちに「メディアはあくまで媒体(medium)であり、場なんだよ」と教えてくださったことをいまだに覚えている。

 

「メディアとは場である」

 

 私はあまりにもポンコツすぎてその会社を一年で辞めてしまったのだが、一年目というただでさえ正気を保てず限りある期間で出会った言葉のなかで、いまだ記憶から消えていない数少ない教訓の一つである。

 
 というわけで、
 

「稲田さんって、ぶっちゃけ何をしているのですか?」

 

という質問に呼応して、脳内を駆け巡ったのは、このような雑念なのであった。

 

 「創作である!」と胸を張って言えればよかったのだけど、どうしてもその言葉を背負える自信もなく、口からこぼれ出たのは、

 

「なんか、大根を作って渡してる感じなんですよね」

 

なのである。

 

 うちのお寺の檀家さんは農家の方が多く、大根だけではなく、お野菜、お花などのおすそわけを日常的にいただいている。

 

 自分が育てた大根を他人に渡す。物心ついたときから、すぐそばにある当たり前の景色ではあるけど、決して当たり前とは思いたくない美しい景色だと常々思うのだ。人の手と大根の間にある、あのなめらかな関係性を忘れないようにしたい。そのようにいつも思っていた。

 

 そんな記憶が言葉を濾過(ろか)したのだろうか。質問をされたとき、自分が世の中に出しているコンテンツや作品も、かつて檀家さんからおすそわけしてもらっていた大根のようであってほしいと思ったのだ。

 

 自分という一人の人間の身体や、仏教という2500年続く悠久なる思想を通して、一つのまとまった“何か”が自然と実る。まずはそれを形にすることで自分自身の空っぽを満たしている。

 

 その後におすそわけとして他者の手に渡すのだが、それは私の手から他者の手へ移動しただけのことであり、大それた目的だったり、ましてや市場なんて意識しちゃいない。発信なんかではなく、それは単なるおすそわけなのである。

 

 先述したように、僧侶を主体にした情報発信は、どうしても自己のプレゼンスを高めるためのマイノリティの叫びとして消費されがちだ。

 

 もちろん、必ずしもそれが悪いというわけではないが、少なくとも社会に自らの行為の意義を奪われたり、勝手に意味づけられたりしないように、私は身の回りの大切なものを一つひとつ確かめていきたいと願っている。

 

 その点、大根はすごい。私にとっては遥か大きな存在なのだ。

 

 思い出したことがある。小学校の美術の授業で、「大きな○○」という絵のお題が出て、クラスメイトの誰もが当たり障りなく「大きな太陽」だったり「大きな笑顔」の絵を描いているなか、私は「大きな大根」を描いたのだ。

 

 なぜあのとき私は大根を描いたのか。そして先日、なぜ大根と言ったのか。それはあんまり問うても意味のないことなのかもしれないし、もしかするとそうでもないのかもしれない。

 

 最後にみなさんに、この大きな大根の不思議をおすそわけしておくことにしよう。

(いなだ ずいき 『フリースタイルな僧侶たち』編集長

 著書に、『世界が仏教であふれ出す』(集英社)など。

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今との出会い 第223回「ブッダの中にアイはない!?」

仏教

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤  真

(ITO Makoto)

 9月末、長期に及んだ首都圏一都三県への緊急事態宣言がいったん解除となったが、相変わらず生活はストレスフルである。そんな中、少しでもすっきりしたいと、雑然としたデスクの片付けを試みた。するとある小さなピンバッジがどこからか出てきた。数年前に開催された仏教学に関する学会で、記念品として一人ひとつずついただいたもので、ありがたい仏像が描かれている……のではなくて、仏教に関するジョークまたはアフォリズムのような一節などが英語で記されている。学会主催校の事務局長を務められ、ジョークの達人として知られるケネス・タナカ博士が米国から取り寄せたものだという。


 私がいただいたバッジの文言はあとでご披露するとして、学会の懇親会でほかの参加者の方々とバッジを見せ合ったとき、思わず「くすっ」と笑ってしまった例をまずご紹介したい(恐縮ながらこのピンバッジが今月の「出会い」なので、あまり「ピン」とこないかもしれないが、今回は「くすっ」と言うと同時にコロナ禍のストレスもほんの少しでも「すっ」と吐き出しながらお読みいただきたい)。さてそのバッジの文言は——


 There is no I in Buddha


 直訳すれば「ブッダのなかにアイはない」。ジョークを解説するなんて「冗談だろう?!」という読者の声は聞こえないふりをして敢えて説明すれば、”Buddha”という単語の綴りのなかに”I”という文字はない、というのが文字面(もじづら)の意味。だがオチは”I”には「私」「我(われ)」という意味もあること……。なんとも洒落た「無我」の表現である。「ユーモアは仏教の教えを伝える効果的な手段でもあるのです」と、タナカ博士は言う。

 これに類したものでインターネットでもたくさん見かける有名なジョークがある(ジョークの常として、出典や創作者は不明・匿名のまま、いま風に言えばあちこちに「拡散」されている)。


 Why can’t the Buddha vacuum clean corners?(なぜブッダは掃除機で部屋の隅っこを掃除できないのか?)

 Because he has no attachments!(彼にはアタッチメントがないからさ!)


 ここではattachment は掃除機の先端に取り付ける隙間ノズル。でももう一つの意味は……「執着」だ。私たちも心の隅々にまで掃除機をかけたいものだが、掃除機自体も心だから、そこにはどれほど、どんなノズル(attachment)が付いているだろうか。


 数年前に欧州評議会を訪れたダライ・ラマ法王のニュース映像がある(これは冗談抜きで実話です)。神妙な顔つきで居並ぶ評議会のお偉方を前にして、ダライ・ラマ法王は「私はスマイル(笑顔)が大好きです。相手が笑顔になると私もとてもハッピーになれます」と切り出した。「でも相手があんまりまじめくさった顔をしていたら、こうすればいいんですよ」と言うなり、隣に座っていた理事の脇腹をいたずらっ子のように指で「つんつん」とひと突き、ふた突き!会場は爆笑に包まれた。「神秘の国の法王」に対する評議員たちの先入観というattachmentが一気に消えてなくなったに違いない。

 そんなダライ・ラマ法王が登場するジョークもある。誕生日プレゼントをもらったダライ・ラマ法王。だが箱を開けてみれば中身は空っぽ。そこでひとこと——”Just what I wanted, nothing!”(ちょうどほしかったもの、無(む)だ!)。


 笑いは消化によい、と哲学者のカントが言ったらしいが、確かにしょうかもしれない(え?誤植ですって……?)。だが笑いは一歩間違うと恐ろしい凶器にもなる。人を軽蔑し、文字通り笑い者にして傷つけるようなジョークは許されない。そうしたジョークを聞いてどっと周囲が笑えば、それはもう集団暴力だ。ぜひ心して「消化によい」笑いを噛みしめたいものである。

 もちろん仏教は人間の深い苦悩に救いの手を差し延べるものであり、特にコロナ禍で悲しみや不安が世を覆う中、切実な思いで宗教に向かう人も多いだろう。だがそんなときにも、ちょっとした笑いが、心を一瞬でも明るくするささやかな燈(ともしび)になることもあるのではないだろうか(今回の本欄もそんな思いで書いた)。


 最後に、学会で私がいただいたバッジに何が書いてあったか。それはジョークではなかった——Outside Wise, Inside a Fool(外見は賢人、中身は愚者)。心の奥底をグサっとひと刺し。みずからの存在の真実に対し深き反省を迫られるピンバッジであった。

(2021年11月1日)

追記:ケネス・タナカ博士の著書、Kenneth Tanaka, Buddhism on Air (Buddhist Education Center発行)の第40話や、同書の一部の拙訳書『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』(春秋社)のコラム欄で、ほかにも仏教のユーモラスなお話が紹介されています。

 ※追記

ケネス・タナカ博士の著書、Kenneth Tanaka, Buddhism on Air (Buddhist Education Center発行)の第40話や、同書の一部の拙訳書『アメリカ流 マインドを変える仏教入門』(春秋社)のコラム欄で、ほかにも仏教のユーモラスなお話が紹介されています。

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今との出会い第244回「罪と罰と私たち」 親鸞仏教センター嘱託研究員 繁田 真爾 (SHIGETA Shinji)  2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。    実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。    展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。    現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。    「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。    だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。    それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。   (2024年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」
今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi)  西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。   真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。 (『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)    現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。    キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。   軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。 (八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)    八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。   ①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。    曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。    強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。   ②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。    S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。   ③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。    衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。   ④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。    私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。    「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。   ⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。    長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。    私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。    私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。    「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。 (2024年元日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる) (「正信偈」『聖典』206頁)  「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。  その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。  では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。  梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。  そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。  これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。  さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。  すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。  彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。  その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。  しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。  侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。  ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。  また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。  この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。  では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。  梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。  武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。  ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。  その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。  悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。 最近の投稿を読む...

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: