親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

いびつさの居場所

中村玲太

親鸞仏教センター嘱託研究員

中村 玲太

(NAKAMURA Ryota)

 そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。

 この1年は過去の自分と向き合う日々であった。特に自分が書いた文章を見直すというのがこれほど酷な作業だとは思わなかった。研究分野としては浄土教、特に法然の直弟・證空(西山派祖)の思想を専門としてきた。その證空思想を解明するにあたり、今なお折に触れ解釈し続けているのが、我々の往生と弥陀の成仏の問題である。いわゆる「往生正覚倶時」説と呼ばれる證空の教えについてである。
 衆生を往生させなければ正覚を取らない、仏陀にならないと法蔵菩薩は誓っている。その法蔵菩薩がすでに仏陀になっているのだから、我々の往生はすでに完成しているのだ、とするのが「往生正覚倶時」説である。しかし、これは逆向きからも言えて、我々の往生が成り立たなければ――すなわち他力の信心が我々の上に確立しなければ、弥陀の正覚も成就されないのである。證空は、弥陀が正覚を成就した時を必ずしも十劫の昔に限定していない。我々の信心のところに弥陀が正覚を成就するとしている。これを受けて、書いた拙文が以下の通り。

衆生を度せんとする法蔵菩薩の兆載永劫の修行を受けて、今ここに弥陀が弥陀となる歴史の実現を自己の上に見た信仰告白こそが證空の「往生正覚倶時」説であろう。(「「機法一体」説成立の再検討――證空における「往生正覚倶時」説を中心として」『真宗教学研究』第37号〔2016〕、79頁)

 今なお苦悶する一文である。「往生正覚倶時」の説明だけであれば、上記の説明だけでもよいのであるが、そこから力んで一歩踏み越えた一文である。もしかすると余分な説明かもしれない。そして、「弥陀が弥陀となる歴史の実現」とは……? 何度読んでもこのままでよいのか難しいところなのだが、修正するのも苦しくなる一文なのだ。永井玲衣『水中の哲学者たち』の一節を思い出す。

もたもたと言葉を重ねて、話は遠回りし、関係ないようなことを口走り、いややっぱり違いますごめんなさい、と顔をしかめて、他者は、他者だから、他者だから尊重すべきなんです、と繰り返す。みんなは、え? どういう意味? もっかい言って、どういうこと、どういう意味? と身を乗り出して、彼女と共に考えようとしている。/それを見たわたしはふと思う。昔読んだわけのわからない哲学書。彼は、世界のわけのわからなさを、わからないまま伝えるしかなかったんじゃないか。(「あともう少しで」より)

 今ならわかるのであるが、先の拙文は論文を書き始めた頃、信仰の核心部分――だと思うところ――についてはじめて言葉になったものである。證空理解についてもたもたと言葉を重ね、修辞を重ね、いびつながらも少しだけ形として現れた言葉なのだろう。こうした證空理解が正しいか否かは再検討が必要である。実際、再検討もしている。ただ、わからないながら何とか證空の言葉を掴もうとした上記拙文は、法蔵菩薩の歴史を成り立たせる他力の世界に触れた当時の自分にしか書けなかったものであることに変わりはない。

 なかなか言葉を掴めないものだなと思う。実家の話に戻ると、祖母の話を振ってくれるのに、具体的な昔話は一切しなかった。自分の感情も語れなかった。地元を離れ、語る言葉もどこかに置いてきてしまっていて、最近の様子などまるで知らなかったのだから、親族や地元の知り合いが織りなす輪、そことの温度差があるのは当然だ。だから思ったのだ。変に語るのはよそう。

 一つ気づいたことがあった。みんなが語る祖母は、さっきまで生きていた祖母だった。「寒いのが嫌いなのに、今日はうんと寒くて可哀想だね」。葬儀の日にふと語られた一言にたじろいだ。地元に帰らず、地元と断絶のあった自分が圧倒されてしまったリアリティ、恐ろしく具体的なリアリティがそこにあった。圧倒されてしまう理由もそこにあったのだろう。まったく抽象的な存在ではなく、「死者」などと抽象的に括る語りが存在する余地はなかった。

 しかし、ずっと場所も時も隔てていた自分にとっては、そのようなリアリティは遥か遠い。ただ、そういう具体性とは別の次元で、自分の人生に圧倒的な影響を及ぼしている何かがある。場所も時も隔てることによってようやく気づいた、影響のようなものがある。こうして書く文章からもわかるように酷く抽象的だが、自分にとっては具体的に人生を形成している存在なのだ。

 ただ、語る言葉が出てこない。それでよいのだと思うが、きっと自分の中で言葉になった時には、もたもたした言葉になっていることだろう。上述の拙論のように書かなければならない時はある。その時に足掻いてひねり出した表現には、論文の価値とはまったく別の次元で、自分にとっての意味がある。しかし、語るより書くより、言葉が訪れるのを待つことの方が大切な経験もあるだろう。あの時、悲しみや懐かしさを適度に織り交ぜて、繕った思い出で語らなくてよかったと思う。それが受け入れられていたら、繕った物語にすがって再び語り、自分の気持ちがはじめからそうであったかのように納得していたと思う。そうやって物語が付加されると、透明な気持ちにも色が付いて鮮明になるのだろうが、今は少し待っていたい。むしろなぜこんなにも語れないのか、この違和感、不鮮明な思いと向き合うべきなのだろうと思っている。

 足掻きながら、待ちながら。これからも言葉と対峙していくのだろう。どちらにせよ、そこに在るいびつなものにも居場所を与えたい。世界がそもそもいびつなのだから、それは世界の何かを正確に切り取っているのだと信じて。

(なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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いのちの境界線で
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誕生を祝うために PDF版をDL 京都大学大学院法学研究科教授 森川 輝一 (MORIKAWA Terukazu)  誕生日おめでとう、とわたしたちは言う。家族や友人に、ときにはその日初めて会った人にさえ、わりと気楽にこの言葉を差し向ける。しかしわたしたちは、この言葉でいったい何を祝っているのだろうか。そもそも誕生とは、どういうことなのか。  誕生とはまず、①生殖、すなわち、生物としてのヒトがおこなう繁殖行為の帰結としてあらたな個体が産みだされること、である。生殖はヒトにかぎらずどの生き物でもおこなうことであるが、ヒトのいのちは、唯一のわたしという個のかたちをとってあらわれる。同じヒトではあるが、わたしはあなたではなく、わたし以外のどんな人とも同じではなく、唯一のこのわたしとして生きるのであり、誕生とはその起点に位置する出来事、つまり、②唯一無二の個のはじまりでもある。とはいえ、子どもは無人の荒野に生まれるのではなく、先に生まれていた人々のあいだに生まれ落ち、かれらが構成する社会の一員となる。わたしはわたしであってあなたたちとはちがう、とあなたたちに伝えることができるのも、あなたたちと同じ言葉を共にしているからである。このように人間の誕生には、③既存の社会への参入・所属、という要素がふくまれているのであるが、②と③の関係は緊張をはらみ、かならずしも調和的ではない。  子どもはユニークな個として生まれて来るが、親をはじめとする大人たちのほうは、自分たちがよいと思うやり方で育てようとする。たとえば、男の子だからとズボンをはかせ、怪獣やパトカーのおもちゃを買い与え、今は腕白でよいけれど、大きくなったらしっかり勉強させて将来は立派な家の跡取りに、と期待を寄せるかもしれないが、当の子どものほうは、心のなかではピンクのスカートをはいて人形遊びがしたいと思っていて、やがて時がたち、わたしはほんとうは女性として生きたいのだ、と言い始めるかもしれない。そうしたときに、そうか、ならそうするのがいい、あなたの人生はあなたのものなのだから、と応答できる人間でありたいとわたしは思うし、それが社会全体としても理にかなった態度であると考えるが、いやそれは間違っている、そんなことを許したら社会は立ちゆかなくなってしまう、と考える人が少なくないことも承知している。誕生のうちにはらまれる、上記②と③という二つの要素のあいだの軋轢や衝突のうちに、個人の自由と共同体の秩序をめぐる相克、一般に政治とよばれるいとなみが生起する、と言ってよい。  そうした問題を回避する方法として、②の要素を消し去り、③に①をひきよせる、というやり方がある。精妙な組織を構成して種族の存続をはかるアリやシロアリのばあい、はたらきアリとして生まれた個体ははたらきアリとして生き、奴隷みたいに働くために生まれたんじゃない、だの、ミュージシャンになってキリギリスと共演したい、だのと自己主張することはない(ように見える)。みながそのように個を滅却して全体に奉仕すれば、秩序の安寧と種族の繁栄はゆるぎない―という発想は、人間族の歴史においてめずらしいものではないが、その極端な事例として、前世紀前半のドイツにあらわれたナチズムがある。その迫害の対象となったユダヤ人の一人で、いのちからがら逃れたアメリカの地で政治思想家となったH・アーレントは、ナチスの全体主義国家を巨大なアリ塚にたとえてもいる。  全体に奉仕する忠良な国民を殖やすべく、ナチス体制下では多産がおおいに奨励されたが、殖えるべきは純血種の健康な個体でなければならないとされた。ちょうど家畜の繁殖と同じように、品種をそこなうとみなされた個体は除去の対象となり、やがて劣等とみなされた人々の大規模な殺害へと発展していくが、ヒトラーやヒムラーがしばしば用いたたとえによると、それは害虫の駆除や病原菌の根絶と同じことなのだという。家畜、あるいは害虫や病原菌、いずれにせよ人間は人間未満の生き物に引き下げられてしまうのであるが、同族をガス室につめこむような所業におよぶのはわが人間族を措いてなく、このような言いぐさは、他の生き物たちへの礼を欠くことになるかもしれない。  ナチスの猛威を生きのびたアーレントは、その暴虐を告発するいっぽう、新しい政治のはじまりを、個のはじまりとしての人間の誕生にもとめる。その導き手となったのは、古代ローマの哲学者アウグスティヌスの書にあらわれる、「はじまりが存在せんがために人間は創られた」という言葉である。創られた、とあるとおり、アウグスティヌスにとってこの言葉は、神による人間の創造というキリスト教の教えと結びあっている。一人ひとりのいのちは神に与えられたものであり、たんなる生殖の所産ではなく、既存の社会への隷属を宿命づけられてもいない。言いかえれば、だれもが自由な個としてこの世に到来し、自分だけの生の時間をきざんでいくのであるが、アウグスティヌスにおいてこの自由は信仰のため、すなわち、欲得まみれの世俗社会に埋没した偽りの生から魂をひきはがし、神の愛へと向け変えるための自由としてある。しかしアーレントがもとめたのは、この世に背をむけて信仰の道にひきこもる自由ではなく、世をともにする隣人たちを苦しめる社会の不正をただし、新しい世界をつくるための自由である。ゆえに彼女は、アウグスティヌスの言葉をいささか大胆に読み替えて、誕生というはじまりは、この世で人間が何かを始める自由のはじまりなのだ、と説く。だれもがユニークな個として、この世界で新しいことを「始めるために生まれて来る」のだ、というのである。国家にいのちを捧げ、敵を皆殺しにせよ、とせまる汚れて腐った大人たちに対して、いやだわたしはそんなことをするために生まれて来たんじゃない、とあらがう自由を守り抜くために。そんなことを許さない新しい世界をわたしたちはつくってゆくのだ、という希望の灯をともし続けるために。  自由と平和を言祝ぐ今日の社会は、戦争と虐殺に狂奔した前世紀の愚行と悲惨から、さしあたりとおく離れているように見える。ならばわたしたちは、子どもの誕生を、個のはじまりというその尊厳にふさわしいしかたで、祝うことができているだろうか。  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個々人の幸福を勝手に忖度して出生を悪と決めつけるベネターとはちがい、エーデルマンの「反生殖未来主義」のほうは、個々人の出生という極私的な出来事を、社会の存続の条件に回収してしまう政治の論理をきびしく撃つ。大人の社会はつねに子どもという未来を必要としており、子どものためと称して自分たちの生存をはかる、という自己保存の論理をするどくえぐり出すのである。国家による生殖の奨励という少子化談義はそのもっともわかりやすい例だが、出生を自由のはじまりととらえるアーレントの考え方にしても、子どもという未来をたのみにする点では、同じことなのかもしれない。あなたたちは自由だ、世界を新たに変えてゆくことができるんだ、というが、その変えるべき世界とは、大人たちが勝手につくったしくみやしきたりだらけなうえに、かれらの愚行によってどうしようもなく損なわれた場所ではないか。暴力、差別、格差、破壊、汚染、等々、負の遺産の一切合切を子どもらに押しつけ、きみらは自由だ、後始末よろしくね、と丸投げするなんてことがほんとうに許されるのか。こんな場所で何を始めろというのか、責任者出てこい!と若い世代に突き上げられたら、いったいどう答えればよいのか。  とはいうものの、エーデルマンが(あるいはベネターが)いかに出生の害悪や生殖の回避を説いたところで、人類みなが生殖をやめるとはとうてい考えられず、したがってこれからも、子どもたちは生まれて来るにちがいない(生殖をうながす「生の欲動」に「死の欲動」を対置し、後者を反生殖未来主義に結びつけるエーデルマンも、おそらく同じように考えている。けだし、死の欲動と生の欲動は相補的な関係にあり、せめぎあいながら共存するものなのだから)。ゆえに、わたしたち大人がなすべきことは、実に明快である。すなわち、世にはびこる暴力、差別、格差、破壊、汚染、等々の横行をおしとどめ、この世界をもう少しマシな場所に変えること、を措いてない。  ただし、子どもをダシにするのはやめよう。未来の子どもたちのために、などとはけっして口にせず、今を生きるわたしたちのために、と言うことにしよう。自分を救えないような者に、まだ生まれてもいない人々のしあわせを気遣う資格などあろうはずもなく、まだ見ぬ未来の人々に対して現在を生きる人間が果たすべき責任とは、眼前にひろがる不正と恥辱に立ち向かい、世界を少しでもよき場所に変えること以外にはあり得ないからである。始めるために生まれて来た、という言葉は、わたしたちに差し向けられている。わたしたちこそ、世界のために何かを始める位置にある。いつの日か心から、誕生を祝うために。 (もりかわてるかず・京都大学大学院法学研究科教授)著書に、『〈始まり〉のアーレント―「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010)、編著『講義政治思想と文学』(ナカニシヤ出版、2017)など。 他の著者の論考を読む...
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子どもたちの幸せのために
子どもたちの幸せのために 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI Tsunafumi) ■特集を捉える [森川輝一「誕生を祝うために」へのコメント]  森川氏の論考は短いながらも内容がとても豊富で、少子化問題やジェンダー論といったアクチュアルなテーマを視野に入れつつ、〈いのち〉の誕生をどう考えるべきかについて、複層的な思索が展開されている。大変啓発的で私としても論旨には基本的に賛成であるが、二点、気になったことを書き留めておきたい。  ひとつは、「唯一無二の個のはじまり」という点に関してである。森川氏は「誕生」の捉え方を、①生物としての誕生、②唯一無二の個のはじまり、③社会への参入、の三つに区分している。氏はアーレントを参照しつつ②を重視しているのだが、そもそも「誕生とは唯一無二の個のはじまりである」と言い得る根拠は何なのか。言い換えると、そう考えるべきであるということに私も異論はないのだが、その「べし」はいったい何なのだろうか。  事実として個々人はユニークなのだ、と言いたいところだが、それは無理である。例えば人間以外のあらゆる存在者も物質的に唯一無二であるとは言えるだろうが、その唯一無二性は私たちが人間に帰しているような「かけがえのなさ」とは違うものである。要するに、かけがえのない存在者として誰かから受けいれられて初めて氏の言う「唯一無二の個」であり得るのであって、例えば代えのきく「人材」――これは実に愚劣な言葉だ――などとして扱われている限り、「唯一無二の個」ではあり得ない。だからこそ私たちは生まれてくる子どもたちを「唯一無二の個」として受けいれるべきなのだ、という主張が意味をもつし、先にも述べたようにその主張には私も賛成である。だが問題はそもそもこの「べし」の根拠は何なのかということである。  私が思うに、その根拠は、生まれてくる子どもたちの幸せのために、ということにならざるを得ないのではないか。だが、森川氏はこの根拠づけを拒否している。というかむしろ、本論考の大半は、「子どもたちの幸せのために」という根拠づけを私たちは使うべきではないという主張に捧げられているのだ。けれどもこれは無理筋な主張であるように私には見える。もちろん、子どもたちの幸せを目的にしているように見える語りが、その実、子どもたちを大人たちの自己保存の手段として道具扱いしていることになりがちだという指摘はもっともだ。それに、「~のために」という思考が、個々人の唯一無二性や予測不可能性――つまり自由――を消去して、型にはめ込んでコントロール可能なものにしてしまう恐れ――つまり全体主義に至る恐れ――があることもその通りだろう。だが、だからといって「子どもたちの幸せために」という想いを全否定してしまうのなら、そもそも「唯一無二の個のはじまり」として誕生を祝うべきだとすら言えなくなってしまうのではないか。  もっとも、「誕生を祝うために」という本論考のタイトルからして、氏は全体主義の陥穽にはまらないような目的論的思考の可能性を示唆しているように思われる。私はそれを「祈り」のようなものと理解したが、それが氏の意図したものなのかどうかは分からない。  もうひとつの論点に移ろう。こちらは本論考の趣旨についてというより、私の関心に引きつけた論点で、D・ベネターなどの「反出生主義」に対する評価に関してである。ベネターの人間観は浅薄だといった氏の評言は、全部とは言わなくとも、ある程度妥当であるとは思うが(ベネターの名誉のために書いておくと、ベネターは快と幸福を同一視してはいないし、そもそも問題を切り分けて明確な対立軸を取り出すという議論構成をしているに過ぎないのだが)、反出生主義が提起している問題そのものの軽視は間違っているのではないだろうか。「この世は生きるに値しない」「この世は悪しき場所である」という主張が、古今東西の非常に多くの思想家や宗教者たちの共通認識であったことは忘れてはならないだろう。ベネターらの反出生主義はその現代的な表れであるわけだ。  私自身はニーチェ哲学研究者で、分野としては宗教哲学を専門としており、ニーチェがショーペンハウアーという言わば史上最強の「反出生主義者」に対していかに反論しようとしていたのかについて、少しばかり研究している(※注1)...
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ヒトのイノチのその先に
ヒトのイノチのその先に PDF版をDL 声優、日本SF作家クラブ会長 池澤 春菜 (IKEZAWA Haruna)  わたしたちの誰もが持っていて、でも誰もそれがなんなのか本当には知らない。大事にしなければいけない、何よりも価値がある、と言われていても、何故なのかはわからない。一番身近で、でも一番謎めいているもの―命。  命が何なのか、考えるきっかけとしてSFという文学を役立てることはできないだろうか。  SFの定義はいろいろある。ScienceFiction、すこしふしぎ、そしてSpeculativeFiction。スペキュレイティヴとは思弁、「理性的、空想的、形而上学的思索」つまりは「思考実験」。  わたしはSFは、IFの文学だと思っている。どこかにIFをいれる。それによって変化する物語を描く。現実をベースにした小説が箱庭だとしたら、その壁をぱたんと倒し、どこまでも想像力を働かせて飛躍する。物理的にも心理的にも、あらゆる法則に縛られない最も自由な文学、それがSF小説だと思っている。  あらゆる小説の究極の目的は、人を描くこと。だからどんなSFも、基本となるテーマは人間だ。そこから、命とは何かを考えることができるかもしれない。  「テセウスの船」という命題がある。船の部品を一つずつ入れ替えていく。全て新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か。同一性の問題。命についても同じことが考えられるかもしれない。 何を持って、命と、人とするのか。脳と体を入れ替えたら?脳を複写・転写する技術が生まれたら?  人工知能が人間を越えるとされるシンギュラリティ(技術的特異点)は早ければ2045年にやってくるとされる。ではその時、AIは命を持ったと言えるのか。  こういった問題に、物語の形で取り組み、自由な想像力で答えを模索していけるのが、SFのSFたる醍醐味だ。  例えば、アン・マキャフリーの「歌う船」。先天性の身体異常があったヘルヴァは、脳だけの存在となり、船と接続することで頭脳船として生きることになる。多くの人が当たり前のように受け止めている身体的感覚。それを先天的に持たないヘルヴァは、世界をどう感じ、どう受け止めるのか。命と体の関係、さらに脳と心の関係を通じて、心を揺さぶる一冊。  個人的に、瑞々しい感性で宇宙に飛び出し、人と接し、恋をするヘルヴァが最高にキュートなので、ぜひ読んでいただきたい。  エイミー・トムスンの「緑の少女」「ヴァーチャル・ガール」も人の境界を探る物語だ。前者は、異星探索中に事故に遭い、死にかけていたジュナが目を覚ますところから始まる。その体は異星人とまったく同じに作り替えられていた。再び迎えが来るまで、ジュナは全くの異文化であり、異質な生態系のもと、生き延びなければならない。ジャングルに生きる先住民テンドゥには独特の文化や死生観があり、ジュナは圧倒的に優れていると思っていた人類の愚かさに気づかされていく。  「ヴァーチャル・ガール」の主人公は、可憐で無垢なアンドロイドのマギー。一人のオタク青年が理想のパートナーを作りあげるピグマリオン物語であり、マギーが世界を知り、人間とは何かを学んでいく物語でもある。  ジェイムズ・P・ホーガンの「造物主の掟」「造物主の選択」はもっと大胆だ。遠い昔、地球外生命体によって土星の惑星タイタンに設置された自動操業工場。だがそのプログラムは超新星爆発によって損傷し、ロボットたちはひたすら変異と淘汰を繰り返す。やがて進化した機械たちは、機械人タロイドとなり中世様の文明を発達させた。  人の進化の過程をまるごと機械で再現し、さらに宗教まで踏み込んだ大変愉快な大風呂敷SF。人類側の主役が稀代のペテン師というのも面白い。機械の体、機械の心、だけど明確にタロイドたちは生きている。命はかように自由なものなのかもしれない。  命を扱った作品はまだまだある。いくらでも語り続けたいが、わたしが頂いた紙面、これを読んで下さる読者の忍耐力には限りがあるので、最後に新しい作品を一つ。  先日、日本映画として公開もされたケン・リュウの短編「アーク」は、人類最初の不死を手に入れた女性の話。彼女の仕事は、遺体にポージングを施し、永遠に保つプラスティネーション施術。これもまた、不死だ。二つの不死が絡み合い、生きるとは何かを問いかけてくる。  わたしたちの人生には終わりがある。だからこそ生きることに意味が、価値があるとされる、だとしたら、不死を得たとき、命の意味は変わるのか。体と脳の関係は。機械生命とは。  生きることは考えることだ。思考し、試行することをもって、我々は命に向き合うことができる。SF小説がその一助になれれば、SFを愛するものとしてこれほど嬉しいことはない。 (いけざわはるな・声優、日本SF作家クラブ会長)著書に、『SFのSは、ステキのS』(早川書房、2016)、共著『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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SFのSは、セイメイのS?
SFのSは、セイメイのS? 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO Makoto) ■特集を捉える[池澤春菜「ヒトのイノチのその先に」へのコメント]  池澤春菜氏の「ヒトのイノチのその先に」では、冒頭で「テセウスの船」という命題が紹介されている。「船の部品を一つずつ入れ替えていく。すべて新しい部品となった船は、果たして元の船と同じと言えるのか。その部品でもう一つ船を作った場合、それは新しい船か、それとも元の船か」。ローマ時代のギリシャ人哲学者プルタルコスが提示し、近代の哲学者たちまでが取り組んだ問題だ。SFでは脳と体を別のものと入れ替えたり、脳をコンピュータなどに複写・転写する技術などのストーリーを通じ、「何をもって、命と、人とするのか」、さらにAIや機械が生命を持ち得るかというテーマを考えさせてくれると池澤氏は言う。私も一人のSFファンとしてルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』(ハヤカワ文庫SF、1989年)などが思い浮かぶが、仏教的な面でも刺激を受けた。  今回のウェブ企画にも寄稿いただいている師茂樹氏の論考「人工知能を有情とみなすことは可能か」(『人間とは何か(Ⅱ)』、日本佛教学会編、法藏館、2019年所収)では、古い仏典に出る「テセウスの船」によく似たSFチックなストーリーが考察されている。ある旅人が鬼たちに遭遇し、腕や足、胴体から頭まで、順にすべてを引きちぎられ、鬼が持っていた人間の死骸のものと順に入れ替えられてしまう。そして鬼たちは旅人からとりはずした手足など新鮮な(?)身体をぺろりと平らげてしまう。そこで旅人はこれでもなお自分の体だと言えるのか、と悩む。やがて旅人は仏教僧に出会い、あなたは(世界の構成要素である)「四つの元素が集まったものを、自分の体だ、と思い込んでいるだけです」と説かれ、仏教の無我説に目覚めるのだ(詳細は師氏の上記論考を参照。なお、師氏が指摘するとおり、仏教的な枠組みで考える場合は輪廻への問いが欠かせないが、本稿では触れない)。  仏教の「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」という考え方では、私たち人間の存在を物質と精神(感覚・表象・意志的形成力・認識)の5つの要素がさまざまな因と縁によって仮に集まって構成されたものと理解する。そこに実体的な「我」は存在しない。仏典『ミリンダ王の問い』でも人間を「車」に喩え、車輪や車軸など部品に分解しても組み立てても、どこにも「我」は見当たらないと語られる。イギリスの哲学者エドワード・クレイグ氏によれば、これに対して古代ギリシャのプラトンは2頭の馬(理性と感性)に引かれた戦車(身体)を操る御者を自己に見立て、古代インドの『カタ・ウパニシャッド』では馬(感性)を操る御者(知性)に導かれた戦車(身体)に自己(アートマン)が乗っていると考えたというが、その自己は実際のところどこにいるのだろう。  この点、池澤氏が挙げるジェイムズ・P・ホーガンの『造物主の掟』(名作『星を継ぐもの』の作者の作品。創元SF文庫、1985年)では、みずからロボットや機械類を製造して異星で資源を採掘する自律型ロボットの機械人「タロイド」たちが登場する。それらはプログラムの暴走で独自の進化を遂げ、長大な時間を経て、自我意識もあれば独裁者や宗教までもある中世的な社会を築いている。作中、自分たちの「生命」の源はどこかと疑問を抱いたあるタロイドが、「死んだ」機械を分解する。すると彼は「管や繊維や金属構造材やベアリングなどのおそろしく複雑な配列……以外には、何も見つけだすことができなかった」。そして問う——「では、魂はどこにあるのか?」。  一方、池澤氏が紹介する別の作品、アン・マキャフリーの『歌う船』(創元SF文庫、1984年)では、主人公のヘルヴァは人間の脳がいわば「御者」的に宇宙船の船体に組み込まれて一体化した存在だが、どちらか一方だけでは本当のヘルヴァとは言えない。彼女は宇宙船であり、宇宙船であって初めて彼女なのだ。この作品から思い出すのはベトナムにもルーツを持つフランス人作家アリエット・ド・ボダールのアジアン・テイスト満載のSFミステリ作品『茶匠と探偵』(竹書房、2019年)。主人公のシャドウズ・チャイルドと呼ばれる宇宙船「マインド・シップ」も頭脳は人工知能的なものだが、船全体がひとつの有機的・人格的存在だ。彼女は過去の事故の深いトラウマを抱え、航行していないときは心を落ち着けるドラッグを調合する「茶匠」として日銭を稼ぐ。『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALも意思や多少の感情を示したが、「マインド・シップ」は深層心理を含む感情面が大きなウェイトを占めているのが印象深い。  脳やソフトウェアとハードウェアとの組み合わせであるどの宇宙船も機械人も、構造的にはまさに「五蘊仮和合」。しかしここに挙げたSF作品を読んでいると、(フィクションだとはいえ)そこに否定し難い「自己」的なるものが立ち現れ得る不思議に惹かれてしまう。我が身もまた、「自己」は脳の生理学的プロセスの産物に過ぎず、「無我」であると合理的に考え得たとしても、全身を捉える不安や焦燥や愛慕などを感じるとき、それはひと筋縄ではいかないのではないか……。生命はあくまでも機械に宿ると信じている機械人タロイドから見ると、人間は生命とはおよそ無縁なはずの有機的物質の奇妙な化学的構築物にすぎない。それなのに人間たちが欲望や敵意や善意を示すことに衝撃を受ける。それを「無我」だと言って、タロイドたちはすんなり納得してくれるだろうか。池澤春菜氏が紹介してくださった他のSF作品とも合わせて、考えてみるとおもしろいかもしれない。 (いとう まこと・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
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いのちの否定と肯定
いのちの否定と肯定 PDF版をDL 大阪教育大学教育学部教授 岩田 文昭 (IWATA Fumiaki)  浄土教にはいのちを否定する面と肯定する面がある。自己を罪悪深重の凡夫として捉え、この世を穢土として否定する面とともに、浄土に往生する救いの法を教え、凡夫の身をそのまま肯定する面である。このような浄土教の救いの法は、時代を越えるものである。  とはいえ、その説き方は時代により人によって変わってきた。たしかにかつては、一器の水を他の一器に移すように、師の教えがそのまま伝えられたとされた。しかし、現代ではその教説の歴史的変遷の経緯が明確に知られている。この歴史性の自覚により、過去の浄土教の教説を金科玉条のように受け取るのではなく、時機相応のものとして改めて受け取り直すことが要求されているといえよう。現代における受け取り方を探求するために、この問題をより広い文脈において考えてゆきたい。 ◆ウィリアム・ジェイムズの二類型  自己のあり方を肯定する方法は、さまざまな仕方で探求されてきた。ごくおおざっぱにそれらの方法は、二通りにわけることができる。一つはできるだけ善きことに関心をむけるという方法である。悪いものを見ないようにし、自己においても世界においても、善きことを積極的に捉え直し、その中で善きことを実践していこうとする。もう一つは、否定的なものの存在を厳粛に受けとめながら、その上でそれを乗り越える世界に触れようという方法である。悪や苦が自己やこの世界に不可避なものであるという認識をもちつつ、それらを含みながらも、自己が肯定される高い次元を模索しようとする。  この二つの方法について、ウィリアム・ジェイムズはその著『宗教的経験の諸相』の中で分析している。ジェイムズは、宗教的回心をする人には、「健全な心」と「病める魂」の二つの性格類型があると論じている。健全な心は、善きものに意図的に目を向けるあり方をしている。それに対して、病める魂は、悪や苦を見据えながら、より高い自己の在り方を模索するという。  健全な心の持ち主は、人生を善きものと感じ、世界の暗い面や自己自身の不完全さに思い悩むことは少ない。この心の持ち主は、さしあたり無意識のうちに世界の善性を信頼し、自然に幸福を感じる人といえる。しかし、むしろこの類型の本領は、意志的・組織的に悪を自身の視野の外に締め出す方法を用いることにある。ものごとを全体として善と考え、意識的に楽観的な人生観にもとづき、人間の生を肯定するのである。ジェイムズは当時のアメリカで起こっていた「マインド・キュア(精神治療)」運動を具体的な例としてとりあげ、積極的に人生を肯定する方法の特色を紹介している。  マインド・キュアは、ニューソートとも呼ばれるが、このような方法論にもとづいて、自己を肯定しようとする動きは、当時の合衆国にだけ存在したのではない。現代の日本の新宗教や精神運動においてもこのような形態はひろく認められる。新宗教のひとつである生長の家の創始者、谷口雅春は実際にニューソート(生長の家ではこれを「光明思想」と呼ぶ)に大きな影響を受けて、活動を展開していった。光明思想のような生命観は、戦後、教勢を著しく拡大した新宗教の大きな特徴である。その生命観は、ひとりひとりの心の状態や思いは、宇宙の本源的実在やエネルギーと密接につながっていると想定する。そして、宇宙の諸存在はすべて一つの生命体であり、悪は根源的な実在性をもたないとされる。新宗教におけるこのような理論構成は、宗教学者によって「生命主義」として研究されてきた(対馬路人他「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、1979年)。来世ではなく現世に重きを置くのも、生命主義の特徴のひとつである。  しかし、生命主義的な思想は新宗教だけにみられるものではない。新宗教の教理ほど体系的ではなく、また徹底したものではないにしろ、現代の学校教育やマスコミなどでも、生命主義に親近した考え方が暗黙のうちに浸透している。しばしば、「すべてのものはつながっている」「すべてのいのちは輝いている」「あなたには無限の可能性がある」などという表現がなされる。ひとりひとりの生をかけがえのないものとして見据え、できるだけ善いことや長所を見いだすことで、生が肯定されるという発想である。このような思考形態は現代における「いのち教」と呼ぶことができよう。  それでは、ジェイムズがいう「病める魂」はどのような性格類型であろうか。病める魂の持ち主は、悪の存在に悩まされる人である。世界や自己の悪い面が切実に感じられ、悪と向き合うことが本当のあり方だと考える。そのように悪や苦しみに向きあうことで、古い自己が死に、新たな自己が蘇ることがある。再生された自己においては、悪や苦は必然的なものと認められ、それらは内に含まれた仕方で統合される。このような死と再生の経験は、伝統的な宗教、とくにキリスト教や仏教において顕著にみられてきたことだとジェイムズは指摘する。事実、キリスト教では人間を原罪があるものとし、仏教では生老病死などの四苦や八苦を説く。ジェイムズはキリスト教と仏教は本質的に「救済(deliverance)」の宗教であり、その教えの核心をこう述べる。「真実なるいのち(life)に生まれうるには、人はまず真実でないいのちを忘れさらねばならない」。 ◆上田閑照の宗教哲学生命/生/いのち  キリスト教や仏教など救済宗教の「いのち」理解を考察するためのよい手がかりを上田閑照は提示している(上田閑照『宗教』岩波現代文庫、2007年)。近年の宗教哲学者の代表的存在である、上田の論をもとに肯定と否定との問題をさらに考えてみよう。  本来的に「人間として生きる」という観点から、上田は宗教の問題を考察する。上田によれば、「生きる」ことには「生命」と「生」と「いのち」の三つの次元があり、それらがダイナミックに連関してこそ「生きる」ことになる。「生命」は、生物学や生命科学の対象となるものである。「生」には「生活」という面や「人生」という面もある。そのため、さまざまな人文科学の対象となる。「生」はさまざまな意味連関の中におかれるが、それを包括する場所が「世界」である。宗教との関係で重要なのは「いのち」である。「いのち」は学問の対象とはならずに、対象化することでは触れることができないところで生きられる。生命や生とは質を異にし、詩・文学や芸術や宗教などで直接に「いのち」の言葉に触れて、「いのち」の目覚めが生起する。「いのち」の目覚めは宗教にかぎらず、詩や芸術でも自覚されることがある。ただし、「生命」から人間的な「生」へは量的な飛躍であるのに対し、「生」から「いのち」への飛躍はそうした飛躍の線を断ち切ったところから出てくる質的な飛躍である。「死」や「貧」といった否定的な契機を通して自覚されてくるのが「いのち」なのである。そして、こうしたすべての連関を含めて、その全体が生きられることが「人間として生きること」になるのだという。  上田は、悪や苦などの否定的なものを真正面から見すえることが本当の意味で「生きる」ことだとするのであり、この点、ジェイムズのいう「病める魂」と論が重なる。  ここで大切なのは、上田が捉える救済宗教の本質である。意味の総枠である「世界」と、それを越えるものは異質で断絶している。伝統的に「宗教」とされるのは、「世界」を越え包む限りない「開け」が、「世界」の内から主題化されたものだと上田は捉える。具体的にいえば、神域・神殿・教会などは地図の上に位置づけ可能な、目に見える局所であるが、本来的には「世界」とは断絶した場所なのである。しかし、それを目に見える世界内のものとして捉えると問題が起こる。  人間にはそもそも「歪み」と「転倒」の危険性がある。「歪み」とは、人間的生に関わる世界がすべてだとし、それを越えるものを見ないことである。これは宗教的なものを意図的に見ない歪みである。「転倒」とは、本来、人間的生においては見えないものを見てわかったものとして、人間的生の次元に引きずりおろすという転倒である。歪みや転倒は宗教の歴史の中でしばしば生じており、宗教思想家はそれぞれの仕方でその危険性を乗り越えようとしてきた。 ◆浄土教における否定と肯定法然・證空・親鸞  さて、上田やジェイムズの提示した宗教モデルをもとに、浄土教について考えてみよう。浄土教の祖師たちは、いずれも病める魂の持ち主であり、自己の罪悪をみすえている。なるほど、法然は通仏教の側からも「智恵第一の法然房」と讃えられ、また持戒堅固の清僧と知られていた。しかしながら自身を「戒定慧の三学の器にあらず」と認識し、また「十悪の法然」「愚痴の法然」と自覚していたと伝えられている。その法然が称名念仏の教えを説いた。ただし、念仏一行を「選択」したのは法然ではなく、阿弥陀仏であることを見失ってはならない。阿弥陀仏が余行ではなく、念仏を選択し、それを往生の本願としたということが『選択本願念仏集』の主旨であり、そのことが決定的な意味を有している。この著作には、人間的生に関わる意味世界ではない、絶対の側からの働きが表現されている。上田の言葉に従えば、「いのち」の言葉が念仏なのである。その念仏の働きには自力無功という否定の契機が内包されている。  しかし、このような法然の立場は、念仏以外の行を修する仏教者から非難されることになる。また人間の意味世界を越えた絶対の働きと、人間の生の意味世界との関係が問われることになった。法然自身は、当時の社会の仏教や道徳の規範に則った清僧として一生を過ごした。すなわち、このようにして法然は「人間として生きた」のだ。とはいえ、教団が大きくなり、信者が増えていく中で、この課題に理論的に答える必要もでてきた。  法然の高弟、證空は法然が残した課題に取り組んだ一人である。のちに浄土宗西山派の派祖とされた證空の教義は独特な名目や高尚な哲理を含んでおり理解は容易ではない。天台本覚思想に基づいた現実肯定の思想として誤解されることもある。しかし、證空も病める魂の持ち主であった。證空は人間を総じて「濁世の凡夫」「垢障の凡夫」「垢障覆の衆生」と理解し、悪や罪を正面から捉えている。そして、仏性が遍満するとしているが、遍満する仏性は「弥陀の理性」であり、そのことの「領解」がなければ、衆生は三界流転するという。さらに、念仏においても「自力の念仏」と「本願に相応した他力の念仏」とを区別している(『女院御書』下巻第七章)。阿弥陀仏の絶対性が見据えられているといえる。しかし、領解の信心において、あらゆることの意味が復活する。通仏教の修行や世俗の道徳が生き返り、人間的生の意味が肯定されるのである。古来より法然は「諸行の頸を切り」、證空は「諸行を生け捕りに」したと評される所以である。  證空は現生往生である「即便往生」を表だって説いている。「生きて身を蓮の上に宿さずば念仏申す甲斐やなからん」。この和歌は、臨終時の往生(證空はこれを当得往生という)のみでなく、生きながら往生することの重要性を端的に表現したとされている。證空はこのような独自の教学をもとに、人間として生きた。證空の場合、肯定の契機を強調することが多い。そのため、「生」から「いのち」への否定の契機がともすれば見落とされがちになる。後世において證空は、健全な心の持ち主のようにみなされ、生命主義的に解釈されることもでてきた。  親鸞の自己の罪悪性への自覚は痛切である。病める魂の典型的人物といってよい。親鸞の教えの核心は、阿弥陀仏の本願への疑いが滅して、正定聚に入って生きることにある。このことは、まさに虚仮のいのちを捨て真実なるいのちに生まれかわることを表現していることにほかならない。法然への論難に対して答えることは親鸞にとっても課題であり、『教行信証』執筆の大きな動機であった。残された課題の一つに菩提心の問題がある。親鸞はこれに対して、信心も自己がおこすものではなく、弥陀よりたまわるものだと示した。後世、絶対他力と称されるほど、弥陀の絶対性を強調したのである。他力信心に関する論理を徹底させながら、親鸞も人間として生きた。しかし、親鸞も理論的課題をすべて解決したわけではない。人間的生の意味連関の中で道徳・倫理をどう捉えるのかという課題は、そのひとつであろう。信心を獲て、現生正定聚の中に入ることは、むしろ人間的生の意味連関の再構築の始まりとなる。  ジェイムズや上田の理論が必ずしも全面的に妥当するとは限らず、また浄土教をかれらの理論で考察する必要もない。しかし、浄土教の思想をその文字の表面的な意味理解に限らず、より普遍的な次元で捉え返すことは大切なことであろう。浄土教は、現代に流布している「いのち教」と違うのか否か。あるいは、俗世から断絶した浄土を人間的生の次元に引きずりおろす転倒は生じていないか。いのちの肯定と否定の問題は、そのような問いを投げかけているように思われる。 (いわたふみあき・大阪教育大学教育学部教授)著書に、『近代仏教と青年――近角常観とその時代』(岩波書店、2014)、編著『知っておきたい日本の宗教』(ミネルヴァ書房、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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「ヤー」と「イーアー」
「ヤー」と「イーアー」 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI Tsunafumi) ■特集を捉える [岩田文昭「いのちの否定と肯定」へのコメント]  いつ頃からか、私は「いのち」という言葉が大嫌いである。「生命」とか「生」といった言葉は問題ない。平仮名で「いのち」と書いてあると、どうしても警戒してしまうのだ。なぜか。それは、「いのち」という表記を見ると、まず間違いなく「イイ話」が語られることが予想され、しかも、その「イイ話」の背後には無数の苦しみが隠れているにもかかわらず、万事オッケーであるかのような語り、万事オッケーでなければならないかのような語りになることがほとんどだからだ。そういう語りは不誠実なのではないか(注1)...
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日本仏教における「慈悲殺生」の許容
日本仏教における「慈悲殺生」の許容 PDF版をDL 龍谷大学文学部特任准教授 大谷 由香 (OTANI Yuka) ―目の前にまさにこれから大量殺人を犯そうとする者がいる。彼を殺せば多くの命が助かるだろう。しかし多くの命のために彼を殺すことは許されるのか―  釈尊が涅槃に入られてから500年ほど経った頃、釈尊が前世になさっていたような慈悲にもとづく実践を通じて、釈尊が到達したのと同じさとりを得ようというムーブメントが起こったと伝わる。いわゆる大乗仏教の興起である。前世の釈尊は「菩薩」と呼ばれていたから、大乗仏教の担い手にとって、菩薩こそ理想的な修行者像であった。菩薩として生きるためにはどうあるべきなのか、当時作られた仏典のいくつかには、その指針となる「菩薩戒」が示される。  玄奘(602―664)訳『瑜伽師地論』(以下『瑜伽論』と略)菩薩地には、いわゆる三聚浄戒が説かれる。菩薩たるもの、出家した比丘が教団内規則として護持する律蔵に加えて、あらゆる善をなし、衆生を救済しなくてはならない。さらに菩薩地には、菩薩ならではの学処として、四他勝処法とその他四十三条が別途掲載されている。これらは大乗仏教独特の観点から説かれる戒で、菩薩はこれらの戒も重ねて護持する必要があるとして提示されたものである。  四十三条のうち第九にあたる性罪一向不共戒は、いわゆる「慈悲殺生」を説く点で注目を集める。  「もしも菩薩たちが清浄な戒律に安住し、善巧方便をもって、利他のために、それ自体が罪悪である行為(性罪:具体的には殺人など)をいくつかなしたとしても、このことによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、かえって多くの功徳を生む。具体的には、菩薩は、強盗が財を貪らんがために多くの者を殺そうとしていたり、あるいは社会的に有益な人物(大徳)である声聞や独覚や菩薩に危害を加えようとしていたり、あるいは無間地獄に堕ちるような罪を多く造ろうとしているのを見たならば、このように思うのである。「私は、彼の悪衆生の命を断って地獄に堕ちよう。そのように[彼を]殺さなくては、[彼の]無間地獄に堕ちる業が成立し、[彼は]大苦を受けるだろう。私は彼を殺して地獄に堕ち、[彼が]無間の苦しみを受けないようにしよう」と。(中略)憐愍の心でもって、彼の命を断じたならば、これによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、多くの功徳を生むのである」(大正30・517中)  このように菩薩は罪を犯す悪人の命を断って、悪人が悪をなすのを防ぎ、多くの人の命が救われるのを救わねばならぬ。冒頭に示した、いわゆる一殺多生の理論は、『瑜伽論』において規定された事例であった。  しかしこの『瑜伽論』に説かれる慈悲殺生の主張が、東アジアにおける菩薩戒における主流であったかと言えば、そうではない。貞観22年(648)に『瑜伽論』が訳出される以前から、中国において菩薩戒を説く経典として広く知られていた『梵網経』は、十重四十八軽戒の筆頭に殺戒を出し、以下のように定めている。「仏は仰った、「仏子よ、自ら殺し、人に教えて殺させ、方便して殺すことを讃歎し、[殺を]なすのを見て随喜し、乃至、呪い殺したならば、殺の因・殺の縁・殺の法・殺の業が存在する。乃至、一切の命ある者は、ことさらに殺してはならない。菩薩はまさに常住の慈悲心・孝順心を起こし、方便して衆生を救護しなさい。そうある[べきな]のに、自ら心をほしいままにし、意を快くして殺生したならば、これは菩薩の波羅夷罪である」と」(大正24・1004中)  『梵網経』には『瑜伽論』菩薩地に説くような、慈悲殺生を許諾する明確な文言はない。一般的には仏教徒は「不殺生」を貫くべきであり、菩薩であるならば、その対象は人のみに限らず「一切の命ある者」でなければならない。『梵網経』にはそう説かれているのである。 ●『瑜伽論』訳出と『梵網経』注疏の制作  『梵網経』は鳩摩羅什訳出とされるものの、当初は偽撰の疑いをかけられており、積極的に注疏が作られることはなかった。『梵網経』が注目されるようになったのは、まさに『瑜伽論』の訳出があり、上記の慈悲殺生のような過激な条項が知られるようになってからであると推測されている。  玄奘による新訳菩薩地に紹介される、いわゆる「瑜伽戒」を、『梵網経』に紹介される、いわゆる「梵網戒」と、関連させて菩薩戒を解釈しようとした画期は、元暁(617―686)である。彼の著作である『菩薩戒本持犯要記』には「多羅戒本」「達摩戒本」という彼独自の用語によって、梵網戒(=多羅戒本)と瑜伽戒(=達摩戒本)との融和が試みられている(木村宣彰[1981])。  梵網戒と瑜伽戒とを融和することによって菩薩戒を理解しようとする元暁の態度は、その後さかんに作成される『梵網経』注疏の注釈態度に影響を与えた。『梵網経』を注釈するにあたって、必ず『瑜伽論』が参照されるようになったのである。この傾向は、義寂(?―684―704―?)や勝荘(?―700―713―?)に受け継がれて、法蔵(644―712)を経て、太賢(?―742―765―?)『梵網経古迹記』(以下『古迹記』と略)に引き継がれた。『瑜伽論』には上記の慈悲殺生の他にも、一般的には破戒となる行為であっても、菩薩が利他のために行ったのであれば違犯にならないということが様々に説かれる。『古迹記』は、そうした菩薩による犯戒の容認を『梵網経』の条文上には認めていく姿勢をみせる。 ●『古迹記』の日本仏教への影響  『古迹記』が日本仏教の戒解釈に与えた影響は少なくない。最澄(767―822)は南都に継承された『四分律』にもとづく受持戒を小乗戒と位置づけ、『梵網経』にもとづく大乗戒を提唱した。最澄は大乗戒の正当性を論じる『顕戒論』において、しばしば『古迹記』を引用することによって、自らの見解を補強している(大谷由香[2018][2019])。  最澄が提唱した大乗戒思想の大成者として位置づけられる安然(841―915?)は、『普通広釈』に戒の奉持についての十門を説くにあたり、『古迹記』に説かれる「護持」の十門をそのまま下敷きにしながら、太賢説を発展させ、利他のためであれば十悪五逆さえも許容されることを説明している。  また当初は比叡山の大乗戒提唱を批判していた南都においても、鎌倉期に至って律宗復興を牽引した貞慶(1155―1213)が『古迹記』研究を推し進めた。彼は著書『心要鈔』に菩薩戒の「受得」「護持」「犯失」について説くにあたり、安然が下敷きにした同様の箇所を含む『古迹記』の抜き書きを行って、まったく『古迹記』にしたがって菩薩戒を説明している。  利他のための破戒が許されるという『瑜伽論』菩薩地の言説は、『古迹記』を通じて、日本仏教における『梵網経』解釈の前提となったのである。 ●菩薩の不殺生はどうあるべきか  では『梵網経』に説かれる不殺生はどのように解釈されてきたのか。  太賢は『梵網経』の十重四十八軽戒を注釈するにあたって、多くの場合には、梵網戒の禁止事項が実際には「無違犯」であることを示す根拠として『瑜伽論』を使用する。しかし殺戒(太賢によれば「第一快意殺生戒」と呼称される)の戒条部分の注釈では、瑜伽戒の第九性罪一向不共戒を紹介しながらも「今[私の]解釈はそうではない」と述べて、慈悲殺生をまったく容認しない態度をみせている。彼は、人々にとって死が究極の苦しみであるからこそ、菩薩は絶対に殺生をしないよう戒めるために、この戒が梵網戒の第一に掲げられていると解釈する。そのゆえにたとえ殺生が未遂に終わったとしても犯戒となって波羅夷という最重罪を得る。律蔵では免罪となる意識混濁状態における殺生であったとしても、菩薩がこれを行えば、重罪を犯したことになるのは当然であろうと説明するのである(大正40・703中~下、李忠煥[2017])。  菩薩戒の理念として利他のために殺生を犯すことを容認する一方で、戒条部分ではこれを禁止する解釈を施すという『古迹記』の『梵網経』注釈態度は、日本においても菩薩戒理解の基本となったものと考えられる。  たとえば証真(?―1165―1207―?)・俊芿(1166―1227、入宋:1199―1211)に師事し、日本におけるはじめての智ち顗ぎによる『梵網経』注釈書である『菩薩戒義疏』の注疏を編んだ建仁寺八代円琳(1172―1237―?)は、『菩薩戒義疏』に「大士は機を見て殺を得る」とあるのを注釈するにあたって、聖位菩薩に限って慈悲殺生が違犯となるかどうかを議論している(『菩薩戒義疏鈔』、仏全71・85下)。東大寺戒壇院の長老をつとめた凝然(1240―1321)もまた、法蔵による注釈書である『梵網経菩薩戒本疏』に瑜伽戒の第九性罪一向不共戒が引用されるのを複注するにあたって、慈悲殺生が許される菩薩は、階位上のどの段階であるか検討を加えている(『梵網戒本疏日珠鈔』、大正62・77中~下)。  つまり仏典にみられる慈悲殺生の記述は、観音菩薩などの高位の菩薩の立場を示したものに過ぎず、自らは、慈悲殺生など到底行える立場になどないし、もし自らが殺生を犯した場合には、その意楽の如何を問わず重犯である、というのが一般的な理解である。この理解は、南都・北嶺を問わず、『梵網経』第一重戒を解釈する上での基本的姿勢であったと考えられる。 ●凡夫の慈悲殺生の容認  しかし14世紀に入ると、黒谷円戒の戒脈上にある人師の間で、凡夫による慈悲殺生の是非が論じられるようになる。その嚆矢となるのは、おそらく了慧(1251―1330)『天台菩薩戒義疏見聞』であろう。これは前に紹介した建仁寺円琳に師事した覚空による講義をもとに、了慧がまとめた智顗説『菩薩戒義疏』の複注書である。  了慧は『古迹記』を引用して、太賢が慈悲殺生を違犯と説くのを提示した上で、「今家」(智顗)は慈悲殺生を違犯としない(不入犯重)と説く。さらに覚空の師である円琳が、「聖位菩薩」の立場に限って慈悲殺生の不犯を論じたのに対し、了慧は「凡夫菩薩」の立場における慈悲殺生をも議論し、大乗仏教においては身口業ではなく意業を本とし正とするのだから、あらゆる菩薩において慈悲殺生は重犯には該当しないと説く。凡夫菩薩であっても慈悲心から殺生した場合には何らの罪にも問われることはないと判断したのである(仏全71・246上~247下)。  凡夫菩薩にも慈悲殺生を許す姿勢は、黒谷円戒の戒脈に受け継がれたようである。惟賢(1284―1378)『菩薩戒義記補接鈔』は慈悲殺生を行う菩薩を「瑜伽論」(典拠不明)にしたがって「薄地凡夫菩薩」と位置づけており(仏全71・472下)、瑜伽戒の性罪一向不共戒は高位の菩薩を対象にするというこれまでの議論をまったく無視している。仁空(1309―1388)『菩薩戒義記聞書』において、『梵網経』は癡闇の凡夫のために説かれた教えであるから、慈悲殺生もまた凡夫に通じると説く(西全別三・23上~下)。  同時期に南都で活躍した人師による『古迹記』注疏(照遠〔1302―1361?〕『述迹鈔』)では、慈悲殺生を高位菩薩に限る行為とする解釈が維持され続けるのに対して、これら黒谷円戒の戒脈上に位置する人師たちの意見には目を見張るものがある。  冒頭に示した大量殺人者を殺すことで多数の命を救うことの是非は、トロッコ問題と呼ばれる倫理学上の論題に類似するように感じられる。しかし上記に示した先徳たちは、自ら菩薩戒を受持する当事者として、目の前の悪人を殺すことの是非を切実に議論しているのであって、自らを安全圏に置き他者の生死を論じようとするトロッコ問題とは立場を異にする。菩薩戒受持者にとって、目の前の悪人を殺すことは、その悪人が犯すはずだった悪業を自らが引き受ける代受苦を前提とする。自らが地獄に転生する覚悟で、あらゆる他者の来世までを含んだ「いのち」を救うことが、現今の自分に可能か否かを当事者として論じているのである。だからこそ固定的な模範解答は用意されない。それぞれの学僧が、仏典や師説に照らしつつ、自ら選びとって、戒の持犯は語られてきた。  菩薩戒を受持しない真宗門徒の私が、菩薩戒受持者の慈悲殺生の是非について見解を述べることは、不遜以外のなにものでもない。菩薩として生きる覚悟すらもてない私が殺人を犯すとき、どんなに高邁な理想を掲げようとも、所詮は狭量な私見を出るものではない。しかし仏教徒として生きていく中で、自ら信じる理想のために、もしかして誰かの、あるいは自身の命を懸けることがあったならば、たとえその選択が誤っていたとしても、そうとしか生きられなかった私を、阿弥陀仏は慈しみ、悲しんでくださるだろう。当事者として私が殺生を語るとき、菩薩として自覚的に生きる先徳に頭を垂れつつ、そういうことを考える。 【資料略号】 大正:『大正新脩大蔵経』 西全:『西山全書』 仏全:『大日本仏教全書』名著普及会 木村宣彰[1981]「多羅戒本と達摩戒本」、佐々木教悟編『戒律思想の研究』平楽寺書店 大谷由香[2018]「太賢『梵網経古迹記』の日本における活用について」『龍谷大学論集』492 大谷由香[2019]「日本仏教における戒律の特異性」『日本佛教学会年報』84 李忠煥[2017]「太賢の戒律思想―特に三聚浄戒と「瑜伽戒」の影響について」『印度學佛教學研究』66―1 (おおたにゆか・龍谷大学文学部特任准教授)著書に、『中世後期泉涌寺の研究』(法藏館、2017)など。 他の著者の論考を読む...
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先徳との「対話」を目指して
先徳との「対話」を目指して 花園大学文学部教授 師  茂樹 (MORO Shigeki) ■特集を捉える  [大谷由香「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」へのコメント]    哲学者の河野哲也は「思考とは、他者から発せられる多様な声を自分のなかに取り込み、そのあいだの対立や闘争やすれ違いを取り持ち、それらの声を交渉させ、調停し、まとめたり、和解させたりして関連づける」という「本質的に政治的な活動」だと言う(『じぶんで考えじぶんで話せる―こどもを育てる哲学レッスン』河出書房新社、2018)。仏教者にとって「自分のなかに取り込」むべき「声」は、まずもって仏典に説かれる先徳たちの様々な言説ではなかろうか。  大谷由香「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」の中で紹介されている、『瑜伽師地論』菩薩地における「慈悲殺生」の議論、そしてそれを様々に注釈した東アジア、日本の学僧たちの「声」は、現代の我々にも多くの「思考」をもたらしてくれる。むしろ、ここで紹介されている先徳たちとの(広義の)対話の必要性は、現代においてますます高まっているように思われる。  思えば今から四半世紀あまり前、我々の社会ではオウム真理教という団体による「慈悲殺人」(彼らは「ポア」と呼んでいた)が発生した。その時、たまたま見ていたテレビのワイドショーに仏教学者が呼ばれていて、「ポアは仏教なのですか?」と詰問されていた。その学者は「ポアは仏教ではありません」と答えていた。仏教は、どんな目的であれ、殺人は肯定しないというのだ。  当時大学院生だった私は、彼がそう答えざるを得ない状況であったことに強く同情しつつも、その発言を聞いて思わず「嘘だ」とつぶやいていた。その時私は、まさに大谷が紹介する『瑜伽師地論』菩薩地の該当箇所を読んでいたのだった。私の中で複数の「声」が対立し葛藤していたことを思い出す。  『瑜伽師地論』では、大谷が紹介している「慈悲殺人」以外にも、菩薩の慈悲にもとづく加害や(現代風に言えば)ハラスメントの事例が「菩薩戒に違犯したことにはならないし、かえって多くの功徳を生む」と述べられている。その中には、権力者による仏教の強制の例もある。これなどは、昨年、アフガニスタンにおいてタリバン政権が復活したことを想起させる。この件について、日本の報道にはほぼネガティブなものしかないように思う。もちろん、それらの報道にはそれなりに根拠があるのだろうし、人権侵害があるのであれば早急に改善されるべきであると思う。その一方で、我々はこの問題について、「多様な声」に耳を傾けているのだろうか、偏った価値観だけで一方的な断罪をしてはいないだろうか、とも思う。『瑜伽師地論』やその注釈をめぐる議論も、この点から読まれ直してもよいかもしれない。  現代の倫理的問題を考える際、マイケル・サンデルが紹介したことで有名になった所謂「トロッコ問題」――大谷も言及しているが――などを参照するのもよいが、我々の有する伝統の中で豊かな倫理的議論がなされていたことに、もっと目を向けてもよいように思う。言うまでもなく、現代の(特に欧米の)価値観を否定しろと言いたいわけではないし、仏教だけを特権化すべきだとも言いたいわけではない。ただ、我々はもっと古典を含めた「多様な声」を取り込み、自分の中で葛藤させ、そして何らかの判断をする訓練をすべきだし、仏教者であるならばその中に仏典を含めるべきではないか、と思うのである。そして、大谷のこのエッセイには、そのためのヒントが多く含まれているように思われる。 (もろ しげき・花園大学文学部教授)近著に『最澄と徳一――仏教史上最大の対決』(岩波新書)。他論文等多数。 他の著者の論考を読む...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

〈いのち〉という語りを問い直す

親鸞仏教センター嘱託研究員

中村 玲太

(NAKAMURA Ryota)

■特集の趣旨

 いのち(命・生命・イノチ・寿))―の次に続ける言葉は何ですか。「大切」?それとも「矛盾」?

 私たちは「いのちという矛盾」を生きているように思います。大いなる、しかし個性も名前もないいのちれたいのはに対して、いまここを生きる「私」の誕生。大切にされたいのはいのちなのか、私なのか。私という個としてのいのちと、大いなるいのちを生きつつ、ここには調和されない緊張関係があるのではないでしょうか。そして、私を生きる以上、避けることのできない罪悪、いのちがいのちを害さずにはいられない、という問題。この罪悪の私は大切なのだろうか。

 このいのちという語りは時代によって変化し、宗教、文学、科学などによっても様々に語られてきました。いのちを語り始めるとき、まずその複雑さに一度驚くべきなのかもしれません。特集では、 〈いのち〉という語りについて改めて考えていきます。

(なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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いのちの境界線で
いのちの境界線で SF作家 飛  浩隆 (TOBI...
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誕生を祝うために
誕生を祝うために PDF版をDL 京都大学大学院法学研究科教授 森川 輝一 (MORIKAWA...
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子どもたちの幸せのために
子どもたちの幸せのために 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI...
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ヒトのイノチのその先に
ヒトのイノチのその先に PDF版をDL 声優、日本SF作家クラブ会長 池澤 春菜 (IKEZAWA...
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SFのSは、セイメイのS?
SFのSは、セイメイのS? 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤  真 (ITO...
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いのちの否定と肯定
いのちの否定と肯定 PDF版をDL 大阪教育大学教育学部教授 岩田 文昭 (IWATA Fumiaki)  浄土教にはいのちを否定する面と肯定する面がある。自己を罪悪深重の凡夫として捉え、この世を穢土として否定する面とともに、浄土に往生する救いの法を教え、凡夫の身をそのまま肯定する面である。このような浄土教の救いの法は、時代を越えるものである。  とはいえ、その説き方は時代により人によって変わってきた。たしかにかつては、一器の水を他の一器に移すように、師の教えがそのまま伝えられたとされた。しかし、現代ではその教説の歴史的変遷の経緯が明確に知られている。この歴史性の自覚により、過去の浄土教の教説を金科玉条のように受け取るのではなく、時機相応のものとして改めて受け取り直すことが要求されているといえよう。現代における受け取り方を探求するために、この問題をより広い文脈において考えてゆきたい。 ◆ウィリアム・ジェイムズの二類型  自己のあり方を肯定する方法は、さまざまな仕方で探求されてきた。ごくおおざっぱにそれらの方法は、二通りにわけることができる。一つはできるだけ善きことに関心をむけるという方法である。悪いものを見ないようにし、自己においても世界においても、善きことを積極的に捉え直し、その中で善きことを実践していこうとする。もう一つは、否定的なものの存在を厳粛に受けとめながら、その上でそれを乗り越える世界に触れようという方法である。悪や苦が自己やこの世界に不可避なものであるという認識をもちつつ、それらを含みながらも、自己が肯定される高い次元を模索しようとする。  この二つの方法について、ウィリアム・ジェイムズはその著『宗教的経験の諸相』の中で分析している。ジェイムズは、宗教的回心をする人には、「健全な心」と「病める魂」の二つの性格類型があると論じている。健全な心は、善きものに意図的に目を向けるあり方をしている。それに対して、病める魂は、悪や苦を見据えながら、より高い自己の在り方を模索するという。  健全な心の持ち主は、人生を善きものと感じ、世界の暗い面や自己自身の不完全さに思い悩むことは少ない。この心の持ち主は、さしあたり無意識のうちに世界の善性を信頼し、自然に幸福を感じる人といえる。しかし、むしろこの類型の本領は、意志的・組織的に悪を自身の視野の外に締め出す方法を用いることにある。ものごとを全体として善と考え、意識的に楽観的な人生観にもとづき、人間の生を肯定するのである。ジェイムズは当時のアメリカで起こっていた「マインド・キュア(精神治療)」運動を具体的な例としてとりあげ、積極的に人生を肯定する方法の特色を紹介している。  マインド・キュアは、ニューソートとも呼ばれるが、このような方法論にもとづいて、自己を肯定しようとする動きは、当時の合衆国にだけ存在したのではない。現代の日本の新宗教や精神運動においてもこのような形態はひろく認められる。新宗教のひとつである生長の家の創始者、谷口雅春は実際にニューソート(生長の家ではこれを「光明思想」と呼ぶ)に大きな影響を受けて、活動を展開していった。光明思想のような生命観は、戦後、教勢を著しく拡大した新宗教の大きな特徴である。その生命観は、ひとりひとりの心の状態や思いは、宇宙の本源的実在やエネルギーと密接につながっていると想定する。そして、宇宙の諸存在はすべて一つの生命体であり、悪は根源的な実在性をもたないとされる。新宗教におけるこのような理論構成は、宗教学者によって「生命主義」として研究されてきた(対馬路人他「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665号、1979年)。来世ではなく現世に重きを置くのも、生命主義の特徴のひとつである。  しかし、生命主義的な思想は新宗教だけにみられるものではない。新宗教の教理ほど体系的ではなく、また徹底したものではないにしろ、現代の学校教育やマスコミなどでも、生命主義に親近した考え方が暗黙のうちに浸透している。しばしば、「すべてのものはつながっている」「すべてのいのちは輝いている」「あなたには無限の可能性がある」などという表現がなされる。ひとりひとりの生をかけがえのないものとして見据え、できるだけ善いことや長所を見いだすことで、生が肯定されるという発想である。このような思考形態は現代における「いのち教」と呼ぶことができよう。  それでは、ジェイムズがいう「病める魂」はどのような性格類型であろうか。病める魂の持ち主は、悪の存在に悩まされる人である。世界や自己の悪い面が切実に感じられ、悪と向き合うことが本当のあり方だと考える。そのように悪や苦しみに向きあうことで、古い自己が死に、新たな自己が蘇ることがある。再生された自己においては、悪や苦は必然的なものと認められ、それらは内に含まれた仕方で統合される。このような死と再生の経験は、伝統的な宗教、とくにキリスト教や仏教において顕著にみられてきたことだとジェイムズは指摘する。事実、キリスト教では人間を原罪があるものとし、仏教では生老病死などの四苦や八苦を説く。ジェイムズはキリスト教と仏教は本質的に「救済(deliverance)」の宗教であり、その教えの核心をこう述べる。「真実なるいのち(life)に生まれうるには、人はまず真実でないいのちを忘れさらねばならない」。 ◆上田閑照の宗教哲学生命/生/いのち  キリスト教や仏教など救済宗教の「いのち」理解を考察するためのよい手がかりを上田閑照は提示している(上田閑照『宗教』岩波現代文庫、2007年)。近年の宗教哲学者の代表的存在である、上田の論をもとに肯定と否定との問題をさらに考えてみよう。  本来的に「人間として生きる」という観点から、上田は宗教の問題を考察する。上田によれば、「生きる」ことには「生命」と「生」と「いのち」の三つの次元があり、それらがダイナミックに連関してこそ「生きる」ことになる。「生命」は、生物学や生命科学の対象となるものである。「生」には「生活」という面や「人生」という面もある。そのため、さまざまな人文科学の対象となる。「生」はさまざまな意味連関の中におかれるが、それを包括する場所が「世界」である。宗教との関係で重要なのは「いのち」である。「いのち」は学問の対象とはならずに、対象化することでは触れることができないところで生きられる。生命や生とは質を異にし、詩・文学や芸術や宗教などで直接に「いのち」の言葉に触れて、「いのち」の目覚めが生起する。「いのち」の目覚めは宗教にかぎらず、詩や芸術でも自覚されることがある。ただし、「生命」から人間的な「生」へは量的な飛躍であるのに対し、「生」から「いのち」への飛躍はそうした飛躍の線を断ち切ったところから出てくる質的な飛躍である。「死」や「貧」といった否定的な契機を通して自覚されてくるのが「いのち」なのである。そして、こうしたすべての連関を含めて、その全体が生きられることが「人間として生きること」になるのだという。  上田は、悪や苦などの否定的なものを真正面から見すえることが本当の意味で「生きる」ことだとするのであり、この点、ジェイムズのいう「病める魂」と論が重なる。  ここで大切なのは、上田が捉える救済宗教の本質である。意味の総枠である「世界」と、それを越えるものは異質で断絶している。伝統的に「宗教」とされるのは、「世界」を越え包む限りない「開け」が、「世界」の内から主題化されたものだと上田は捉える。具体的にいえば、神域・神殿・教会などは地図の上に位置づけ可能な、目に見える局所であるが、本来的には「世界」とは断絶した場所なのである。しかし、それを目に見える世界内のものとして捉えると問題が起こる。  人間にはそもそも「歪み」と「転倒」の危険性がある。「歪み」とは、人間的生に関わる世界がすべてだとし、それを越えるものを見ないことである。これは宗教的なものを意図的に見ない歪みである。「転倒」とは、本来、人間的生においては見えないものを見てわかったものとして、人間的生の次元に引きずりおろすという転倒である。歪みや転倒は宗教の歴史の中でしばしば生じており、宗教思想家はそれぞれの仕方でその危険性を乗り越えようとしてきた。 ◆浄土教における否定と肯定法然・證空・親鸞  さて、上田やジェイムズの提示した宗教モデルをもとに、浄土教について考えてみよう。浄土教の祖師たちは、いずれも病める魂の持ち主であり、自己の罪悪をみすえている。なるほど、法然は通仏教の側からも「智恵第一の法然房」と讃えられ、また持戒堅固の清僧と知られていた。しかしながら自身を「戒定慧の三学の器にあらず」と認識し、また「十悪の法然」「愚痴の法然」と自覚していたと伝えられている。その法然が称名念仏の教えを説いた。ただし、念仏一行を「選択」したのは法然ではなく、阿弥陀仏であることを見失ってはならない。阿弥陀仏が余行ではなく、念仏を選択し、それを往生の本願としたということが『選択本願念仏集』の主旨であり、そのことが決定的な意味を有している。この著作には、人間的生に関わる意味世界ではない、絶対の側からの働きが表現されている。上田の言葉に従えば、「いのち」の言葉が念仏なのである。その念仏の働きには自力無功という否定の契機が内包されている。  しかし、このような法然の立場は、念仏以外の行を修する仏教者から非難されることになる。また人間の意味世界を越えた絶対の働きと、人間の生の意味世界との関係が問われることになった。法然自身は、当時の社会の仏教や道徳の規範に則った清僧として一生を過ごした。すなわち、このようにして法然は「人間として生きた」のだ。とはいえ、教団が大きくなり、信者が増えていく中で、この課題に理論的に答える必要もでてきた。  法然の高弟、證空は法然が残した課題に取り組んだ一人である。のちに浄土宗西山派の派祖とされた證空の教義は独特な名目や高尚な哲理を含んでおり理解は容易ではない。天台本覚思想に基づいた現実肯定の思想として誤解されることもある。しかし、證空も病める魂の持ち主であった。證空は人間を総じて「濁世の凡夫」「垢障の凡夫」「垢障覆の衆生」と理解し、悪や罪を正面から捉えている。そして、仏性が遍満するとしているが、遍満する仏性は「弥陀の理性」であり、そのことの「領解」がなければ、衆生は三界流転するという。さらに、念仏においても「自力の念仏」と「本願に相応した他力の念仏」とを区別している(『女院御書』下巻第七章)。阿弥陀仏の絶対性が見据えられているといえる。しかし、領解の信心において、あらゆることの意味が復活する。通仏教の修行や世俗の道徳が生き返り、人間的生の意味が肯定されるのである。古来より法然は「諸行の頸を切り」、證空は「諸行を生け捕りに」したと評される所以である。  證空は現生往生である「即便往生」を表だって説いている。「生きて身を蓮の上に宿さずば念仏申す甲斐やなからん」。この和歌は、臨終時の往生(證空はこれを当得往生という)のみでなく、生きながら往生することの重要性を端的に表現したとされている。證空はこのような独自の教学をもとに、人間として生きた。證空の場合、肯定の契機を強調することが多い。そのため、「生」から「いのち」への否定の契機がともすれば見落とされがちになる。後世において證空は、健全な心の持ち主のようにみなされ、生命主義的に解釈されることもでてきた。  親鸞の自己の罪悪性への自覚は痛切である。病める魂の典型的人物といってよい。親鸞の教えの核心は、阿弥陀仏の本願への疑いが滅して、正定聚に入って生きることにある。このことは、まさに虚仮のいのちを捨て真実なるいのちに生まれかわることを表現していることにほかならない。法然への論難に対して答えることは親鸞にとっても課題であり、『教行信証』執筆の大きな動機であった。残された課題の一つに菩提心の問題がある。親鸞はこれに対して、信心も自己がおこすものではなく、弥陀よりたまわるものだと示した。後世、絶対他力と称されるほど、弥陀の絶対性を強調したのである。他力信心に関する論理を徹底させながら、親鸞も人間として生きた。しかし、親鸞も理論的課題をすべて解決したわけではない。人間的生の意味連関の中で道徳・倫理をどう捉えるのかという課題は、そのひとつであろう。信心を獲て、現生正定聚の中に入ることは、むしろ人間的生の意味連関の再構築の始まりとなる。  ジェイムズや上田の理論が必ずしも全面的に妥当するとは限らず、また浄土教をかれらの理論で考察する必要もない。しかし、浄土教の思想をその文字の表面的な意味理解に限らず、より普遍的な次元で捉え返すことは大切なことであろう。浄土教は、現代に流布している「いのち教」と違うのか否か。あるいは、俗世から断絶した浄土を人間的生の次元に引きずりおろす転倒は生じていないか。いのちの肯定と否定の問題は、そのような問いを投げかけているように思われる。 (いわたふみあき・大阪教育大学教育学部教授)著書に、『近代仏教と青年――近角常観とその時代』(岩波書店、2014)、編著『知っておきたい日本の宗教』(ミネルヴァ書房、2020)など。 他の著者の論考を読む...
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「ヤー」と「イーアー」
「ヤー」と「イーアー」 龍谷大学経営学部准教授 竹内 綱史 (TAKEUCHI...
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日本仏教における「慈悲殺生」の許容 PDF版をDL 龍谷大学文学部特任准教授 大谷 由香 (OTANI...
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先徳との「対話」を目指して
先徳との「対話」を目指して 花園大学文学部教授 師  茂樹 (MORO...
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『アンジャリ』WEB版(2024年3月1日更新号)
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『アンジャリ』WEB版(2023年5月1日更新号)
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『アンジャリ』WEB版(2023年1月30日更新号)
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(2023年1月23日更新号)...
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『アンジャリ』WEB版(2022年5月15日更新号) 目次 「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること 「として」の覚悟――大乗仏教を信仰すること...
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投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『アンジャリ』第41号

中村玲太 掲載Contents

『アンジャリ』第41号

(2021年12月)

■ 特集「〈いのち〉という語りを問い直す」

池澤 春菜 「ヒトのイノチの先に」

岩田 文昭 「いのちの否定と肯定」

大谷 由香 「日本仏教における「慈悲殺生」の許容」

■ 連載
■ Eassais(エッセイズ)

天畠 大輔 「「あ、か、さ、た、な」で能力を考える」

宮本 ゆき 「核兵器と「悪」」

山田由香里 「祈りの造形を削り出す――鉄川与助の手仕事が生んだ聖なる空間」

■ 交差点

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コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

『現代と親鸞』第45号

中村玲太 掲載Contents

研究論文
■ 第65回現代と親鸞の研究会

坂上 暢幸 「裁判員体験とは何かを考える――裁判員制度十年を見つめて」

大城  聡 「良心的裁判員拒否と責任ある参加――制度開始十年を経て」

■ 「正信念仏偈」研究会

四方田犬彦 「アーカイヴとしての『教行信証』」

■ 源信『一乗要決』研究会

梯  信暁 「源信『往生要集』の菩提心論」

■ 第2回「現代と親鸞公開シンポジウム」報告

テーマ:「生まれることを肯定/否定できるのか?――反出生主義をめぐる問い

【提言】

青山 拓央 「生まれることの悪と、生み出すことの悪

竹内 綱史 「生のトータルな肯定は可能か――ショーペンハウアーとニーチェから」

難波 教行 「「生命讃仰」言説の落とし穴――親鸞思想を通して」

【全体討議】

加藤 秀一(コメンテーター)・中村 玲太(司会)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(31)」

コラム・エッセイ
講座・イベント

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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

「親鸞仏教センター通信」第79号

中村玲太 掲載Content

巻頭言

藤村  潔 「「モノ」と幸せ」

■ 第66回現代と親鸞の研究会報告

講師 安藤 礼二 「鈴木大拙の浄土論

報告 田村 晃徳

■ 親鸞と中世被差別民に関する研究会報告

講師 三枝 暁子 「身分制からみた中世社会」

報告 中村 玲太

■ 近現代『教行信証』研究検証プロジェクト報告

講師 栁澤 正志 「日本天台浄土教と『教行信証』」

報告 藤村  潔

■ リレーコラム「近現代の真宗をめぐる人々」

東  真行 「北橋 茂男(1900〜1966)」

コラム・エッセイ
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研究会・Interview
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

今との出会い 第220回「そういう状態」

中村玲太

親鸞仏教センター嘱託研究員

中村 玲太

(NAKAMURA Ryota)

「空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態」

(平岡あみ)


 穂村弘『はじめての短歌』(河出文庫)の第一講のタイトルは、「ぼくらは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている」。さらにその第一節のタイトルは、「〇・五秒のコミュニケーションが発動する」。そこで紹介される短歌、「空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態」にある、「そういう状態」はことあるごとに反すうしている、してしまう。ここで穂村が提示する改悪例は、「空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋は散らかっている」だ。

 誤読の可能性を減らすのが目的であれば、「散らかっている」がよい文章になる。しかし、穂村はそれを短歌における改悪例だとし、「「散らかっている」と言われると、それ以上意識や感情が動かない。「散らかっている」という言葉はラベルだから、それをペタリと貼られると、心が動かない。/だけど「そういう状態」というのは明確なラベルじゃないから「え、そういう状態って?」という心が発動する」と解説する。


 穂村弘はコミュニケーションの発動に注目するが、この言葉はあえて共通理解(穂村の言うラベル)を外す、絶妙にずらすことで、ラベルを貼りつけては表現できない生の存在、リアリティとでも言うべきものが現れていると見ることも可能だろう。それは〈生きる〉ということは、この私にしか生きられない生を生きるということであり、どうしても他者からすれば共通した理解から外れた、曖昧でわかりにくい部分が存在するはずだ。こうした部分が存在することにこそ一人一人の〈生きる〉手触りのようなものが立ち現れているとも言えよう。

 先の「そういう状態」というのは、あえてわかりやすいラベルを貼るのを一歩止まることで、そうとしか言いようのない私に生きられた部屋の手触りが現れている。


 あるいは当人にしか見えないリアリティを具体的に言語化する。このような表現はまさに詩人の面目躍如と言ったところであろう。では、「散らかっている」というようなわかりやすいラベルを貼ることは間違いなのか。そうとは言えないと思う。詩や一般的なコミュニケーションレベルの問題ではなく、私たちは常日頃、そうした共通理解の得られるような何の変哲もない言葉に、意識・無意識的に自分にしか生きられない生を託しているのではないだろうか。自分にしか生きられない生を生きている以上、どう表現されたとしてもその背後には私だけの〈生きる〉手触りが隠されている。しかし、その手触りが、他者に向けた電波には乗らないのである。

 表現されたものに〈生きる〉手触りを教えられることもある一方で、ラベリングした言葉だけの世界を生きることで、いまこの世界がわかりやすい、しかし自己のリアリティから離れたものにもなる。世界が滞留していく。心を動かなくさせるのは、自分自身についてもである。


 浄土教の説く「悪」というのは、それは普遍的な「悪」なのであろう。その悪を具体的に生きるのが私たちである。ちょうど三次元立体の表面を二次元の展開図にするようなもので、森博嗣の言葉を借りれば、「展開というのは、自分にできること、自分の現実に存在するものとして、具体化すること」(『キャサリンはどのように子供を産んだのか?』、講談社タイガ)。

 悪を自覚した先達の言葉を聞き、自分以上に自分を言い当てた言葉と出会っていく。そして私もまた罪悪を表現していく。ただ、普遍的に響く教え――個人を超えた他力による言葉――は私の生においてそれが具体的な形となって展開されていくはずだ。自分にしかない罪悪の現実性がある。


 罪悪を吐露した言葉が、一種のラベルとなり、自分が属するコミュニティではわかりやすい定型句と化していく時、果たしてそれがいま・私のリアリティと乖離してはいないか。つねにズレていくものであり、そのズレを自覚し、表現されたものと私の現実性とのあいだを揺れ動かなければならないのであろう。この二重性は離れ得るものではないが、揺れ動くことでしか世界は攪拌されないように思う。

(2021年8月1日)

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繁田
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」
今との出会い第244回「罪と罰と私たち」 親鸞仏教センター嘱託研究員 繁田 真爾 (SHIGETA Shinji)  2023年10月、秋も深まってきたある日。岩手県の盛岡市に出かけた。目当ては、もりおか歴史文化館で開催された企画展「罪と罰:犯罪記録に見る江戸時代の盛岡」。同館前の広場では、赤や黄の丸々としたリンゴが積まれ、物産展でにぎわっていた。マスコミでも紹介され話題を呼んだ企画展に、会期ぎりぎりで何とか滑り込んだ。    実はこれまで、同館では盛岡藩の「罪と罰」をテーマとした展示会が三度ほど開催されてきた。小さな展示室での企画だったが、監獄の歴史を研究している関心から、私も足を運んできた。いずれの回も好評だったようで、今回は「テーマ展」から「企画展」へ格上げ(?)したらしい。今回は瀟洒な図録も販売されたが、会期末を待たずに完売。若い来訪者も多く、「罪と罰」に対する人びとの関心の高さに驚かされた。    展示をじっくり観覧して、とくに印象的だったのは、現在の刑罰観との違いだ。火刑や磔や斬首など、江戸時代には苛酷な身体刑が存在したことはよく知られている。だがその他にも、(被害者やその親族、寺院などからの)「助命嘆願」が、現在よりもはるかに大きく判決を左右したこと。「酒狂」(酩酊状態)による犯罪は、そうでない場合の同じ犯罪よりも減刑される規定があったこと。などなど、今日の刑罰との違いはかなり大きい。    現在の刑罰観との違いということでは、もちろん近世の盛岡藩に限らない。たとえば中世日本の一部村落や神社のなかには、夜間に農作業や稲刈りをしてはならないという法令があった。「昼」にはない「夜の法」なるものが存在したのだ(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫『中世の罪と罰』)。そして現代でもケニアのある農村では、共同体や人間関係のトラブルの解決に、即断・即決を求めない。とにかく「待つ」ことで、自己―他者関係の変化を期待するのだという。この慣習は、人が人を裁くことに由来するさまざまな困難を乗り越える一つの英知として、注目されている(石田慎一郎『人を知る法、待つことを知る正義:東アフリカ農村からの法人類学』)。    「罪と罰」をめぐる観念は、このように時代や場所によって大きな違いがみられる。まさに“所変われば品変わる”で、今ある刑罰観が、確固とした揺るぎない真理に基づいているわけではないのだ。    だとすれば私たちは、いったい人間の所行の何を「罪」とし、それを何のために、どのように「罰する」のだろうか。そして罰を与えることで、私たちはその人に何を求めるのだろうか(報復?それとも改善?)。そのことがあらためて問われるに違いない。そして「罪と罰」は、おそらく刑罰に限らず、社会規範・教育・団体規則・子育てなど、私たちの社会や日常生活のさまざまな場面にわたる問題でもあるだろう。    それにしても江戸時代の盛岡では、なぜ酒狂の悪事に対して現代よりも寛容だったのだろうか。帰宅後に土産の地酒を舐めながら、そんなことに思いをはせた。   (2024年3月1日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」
今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi)  西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。   真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。 (『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)    現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。    キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。   軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。 (八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)    八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。   ①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。    曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。    強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。   ②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。    S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。   ③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。    衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。   ④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。    私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。    「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。   ⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。    長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。    私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。    私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。    「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。 (2024年元日) 最近の投稿を読む...
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今との出会い第242回「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」
今との出会い第242回 「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」 「ネットオークションで出会う、 アジアの古切手」 親鸞仏教センター嘱託研究員 伊藤 真 (ITO...
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今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」
今との出会い第241回「「菩薩皇帝」と「宇宙大将軍」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる) (「正信偈」『聖典』206頁)  「正信偈」の曇鸞章に登場する「梁天子」は、中国の南朝梁の初代皇帝、武帝・蕭衍(しょうえん、在位502~549)のことを指している。武帝は、その半世紀近くにも及ぶ治世の中で律令や礼制を整備し、学問を奨励し、何より仏教を篤く敬った。臣下は彼のことを「皇帝菩薩」と褒めそやしている。南朝文化の最盛期は間違いなく、この武帝の時代であった。  その治世の末期に登場したのが、侯景(こうけい、503~552)という人物である。武帝は彼を助けるのだが、すぐ彼に背かれ、最後は彼に餓死させられる。梁が滅亡するのは、武帝の死から、わずか8年後のことだった。  では、どうして侯景は、梁と武帝を破局に導くことになったのだろうか。このあたりの顛末を、少しく紹介してみたい。  梁の武帝が生きた時代は、「南北朝時代」と呼ばれている。中華の地が、華北を支配する王朝(北朝)と華南を支配する王朝(南朝)によって、二分された時代である。当時、華北の人口は華南よりも多く、梁は成立当初、華北の王朝である北魏に対して、軍事的に劣勢であった。しかし、六鎮(りくちん)の乱を端緒に、北魏が東魏と西魏に分裂すると、パワー・バランスは徐々に変化し、梁が北朝に対して優位に立つようになっていった。  そして、問題の人物である侯景は、この六鎮の乱で頭角を現した人物である。彼は、東魏の事実上の指導者である高歓(こうかん、496〜547)に重用され、黄河の南岸に大きな勢力を築いた。しかし、高歓の死後、その子・高澄(こうちょう、521〜549)が権臣の排除に動くと、侯景は身の危険を感じて反乱を起こし、西魏や梁の支援を求めた。  これを好機と見たのが、梁の武帝である。彼は、侯景を河南王に封じると、甥の蕭淵明(しょうえんめい、?〜556)に十万の大軍を与えて華北に派遣した。ただ、結論から言うと、この選択は完全な失敗だった。梁軍は東魏軍に大敗。蕭淵明も捕虜となってしまう。侯景も東魏軍に敗れ、梁への亡命を余儀なくされた。  さて、侯景に勝利した高澄だったが、東魏には梁との戦争を続ける余力は無かった。そこで高澄は、蕭淵明の返還を条件に梁との講和を提案。武帝は、これを受け入れることになる。  すると、微妙な立場になったのが侯景だった。彼は、蕭淵明と引き換えに東魏へ送還されることを恐れ、武帝に反感を持つ皇族や豪族を味方に付けて、挙兵に踏み切ったのである。  彼の軍は瞬く間に数万に膨れ上がり、凄惨な戦いの末に、梁の都・建康(現在の南京)を攻略。武帝を幽閉して、ろくに食事も与えず、ついに死に致らしめた。  その後、侯景は武帝の子を皇帝(簡文帝、在位549〜551)に擁立し、自身は「宇宙大将軍」を称する。この時代の「宇宙」は、時間と空間の全てを意味する言葉である。前例の無い、極めて尊大な将軍号であった。  しかし、実際に侯景が掌握していたのは、建康周辺のごく限られた地域に過ぎなかった。その他の地域では梁の勢力が健在であり、侯景はそれらを制することが出来ないばかりか、敗退を重ねてゆく結果となる。そして552年、侯景は建康を失って逃走する最中、部下の裏切りに遭って殺される。梁を混乱の底に突き落とした梟雄(きょうゆう)は、こうして滅んだのであった。  侯景に対する後世の評価は、概して非常に悪い。  ただ、彼の行動を見ていると、最初は「保身」が目的だったことに気付く。東魏の高澄は、侯景の忠誠を疑い、彼を排除しようとしたが、それに対する侯景の動きからは、彼が反乱の準備を進めていたようには見えない。侯景自身は高澄に仕え続けるつもりでいたのだが、高澄の側は侯景の握る軍事力を恐れ、一方的に彼を粛清しようとしたのだろう。そこで侯景は止む無く、挙兵に踏み切ったものと思われる。  また、梁の武帝に対する反乱も、侯景が最初から考えていたものではないだろう。侯景は華北の出身であり、南朝には何の地盤も持たない。そんな彼が、最初から王朝の乗っ取りを企んで、梁に亡命してきたとは思われない。先に述べたように、梁の武帝が彼を高澄に引き渡すことを恐れて、一か八かの反乱に踏み切ったのだろう。  この反乱は予想以上の成功を収め、侯景は「宇宙大将軍」を号するまでに増長する。彼は望んでもいなかった権力を手にしたのであり、それに舞い上がってしまったのだろうか。  では、どうして侯景の挙兵は、こうも呆気なく成功してしまったのだろうか。  梁の武帝は、仏教を重んじた皇帝として名高い。彼は高名な僧侶を招いて仏典を学び、自ら菩薩戒を受け、それに従った生活を送っている。彼の仏教信仰が、単なるファッションでなかったことは事実である。  武帝は、菩薩として自己を規定し、慈悲を重視して、国政にも関わっていった皇帝だった。彼は殺生を嫌って恩赦を連発し、皇族が罪を犯しても寛大な処置に留めている。  ただ、彼は、慈悲を極めるができなかった。それが、彼の悲劇であったと思う。恩赦の連発は国の風紀を乱す結果となり、問題のある皇族を処分しなかったことも、他の皇族や民衆の反発を買うことになった。  その結果、侯景の反乱に与(くみ)する皇族も現われ、最後は梁と武帝に破滅を齎(もたら)すこととなる。  悪を望んでいたのではないにも関わらず、結果として梁に反旗を翻した侯景と、菩薩としてあろうとしたにも関わらず、結果として梁を衰退させた武帝。彼らの生涯を、同時代人である曇鸞は、どのように見ていたのだろうか。残念ながら、史料は何も語っていない。 最近の投稿を読む...

著者別アーカイブ

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『現代と親鸞』第44号

中村玲太 掲載Contents

研究論文
研究レポート
■ 第62回現代と親鸞の研究会

佐藤 卓己 「「ポスト真実」時代の輿論主義と世論主義」

■ 第63回現代と親鸞の研究会

橋本 健二 「現代日本の階級社会とアンダークラス」

■ 第64回現代と親鸞の研究会

伊藤  聡 「「神国日本」という語りの重層性」

■ 第1回「現代と親鸞公開シンポジウム」報告

テーマ:「〈かたられる〉死者」

【問題提起】

中村 玲太 「〈かたられる〉死者」」

【提言】

加藤 秀一 「亡き人を〈悼む〉こと、「死者」を忘れること」

師  茂樹 「「死者」はどこにいるのか―仏教の死者観と人間中心主義―」

吉水 岳彦 「極楽に住き生まれて」

【全体討議】

佐藤 啓介(コメンテーター)・中村 玲太(司会)

■ 連続講座「親鸞思想の解明」

本多 弘之「 浄土を求めさせたもの――『大無量寿経』を読む――(30)」

コラム・エッセイ
講座・イベント

刊行物のご案内

研究会・Interview
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『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号)

中村玲太 目次

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亀裂のなかで生きること
亀裂のなかで生きること 神戸大学人文学研究科講師 齋藤 公太 (SAITO Kota)  新型コロナウイルスの存在が国際ニュースの一角を占めるようになったのは、2019年の末頃だったろうか。それは当初遠い場所の出来事のように聞こえていたが、日本でも感染が広がり、人々の生活が一変するまで、さして長い時間はかからなかった。今や外出時にマスクをつけ、念入りに手指を消毒する生活にはすっかり慣れた。しかし、何か世界の位相がズレてしまったような居心地の悪さは、底流のように続いている。  新型コロナウイルスとは一体何なのか。私たちはなぜこのウイルスに遭遇し、そしてどこへ向かっているのか。そこには何も意味がないのか。すべてが不明瞭なまま、とにかく日々を乗り越えるしかない。そんな感覚を抱いている人は、決して少なくないだろう。そしてこのような感覚は、10年前の東日本大震災の時にもあったことを思い出す。  今回のパンデミックに限らず、自然災害や大きな事故は、普段私たちが世界を認識するために依拠している物語や象徴体系に亀裂を生じさせる。そして、...
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呼びかけられる
呼びかけられる 哲学研究者 永井 玲衣 (NAGAI Rei)  遠くから、おーいと呼びかけられることが好きだった。  おーい、おーい、と声がする。風が顔を吹き付けていて、少し肌寒いと感じるあの日のことだ。西日の傾きがゆっくりと一日が終わることを示していて、放課後の気だるい空気が漂っている。おーい、おーい、とまだ声がする。周りにひとはいなくて、わたしは平坦なゴム製のグラウンドをゆっくり踏みしめて西校舎に向かっている。おーい、おーい。だんだんとその声が、わたしの聞き慣れた声であることが分かってくる。おーい、永井、おーい。わたしの名前が呼ばれる。わたしは振り返って、声のする方を見上げる。友だちが、校舎の3階からわたしに手を振っている。おーい、おーい。  記憶はそこで曖昧になっている。誰かに探されていたのか、その子がわたしに用があったのかは忘れてしまった。にもかかわらず、それはひどく嬉しかった記憶としてわたしの奥底に潜んでいる。  誰かがわたしを呼ぶ声。聞こえるか聞こえないかわからないままに、それでもなお、何度も何度も呼びかけるあの声。おーい、おーーーい、というのん気で、切実な呼びかけ。 *  哲学対話という奇妙な活動をしている。ある問いについて、ひとびとと考え、聞き合い、対話する。ここで行われるのは「会話」でも「議論」でもない。バラバラの人々と集まり、物事をゆっくりと深めていく時間である。  ひとびとと共に考える問いは「人間に価値はあるのか」などいかにも哲学的というものもあれば「人間関係はなぜつらいのか」など日常的な悩みのもの、「友だちの人生を生きられないのはなぜ」など、考えてみればふしぎだと思えるものなど、様々である。  わたしは自治体や学校、美術館や企業などで哲学対話をすることが多いが、ここ数年お寺でも対話を行ってもいる。ちなみに初回は「墓は必要か」という問いで、お坊さんやそのお寺の檀家さん、通りすがりの観光客、近所の人など、色々なひとが集まった。  哲学対話は真理探究の場だが、急いでわかりやすい「正解」を出したりはしない。勝ち負けを決めたり、「いいこと」を言ったひとがえらいわけでもない。ひとびとは問いの下で平等であり、そこに優劣や権力が持ち込まれないように気が払われる。それは、あくまでこの哲学探究が「対話」であることにとどまろうと努力する試みでもある。  哲学対話は「哲学」と「対話」の単なる合成語ではない。哲学的であることは、対話的であることだ。探求をするためには、その場が対話的でないと、哲学は育たない。対話に参加するあなたを、わたしたちは尊重する。言葉につまり、言いよどみ、時に沈黙するその時間も、哲学対話は丁寧に扱う。息遣い、誰かの汗のにおい、遠くで聞こえる工事の音、たまにごつんと当たる隣のひとの肘、すべてがその「場」に存在し、対話に参加していることを感じながら、わたしたちは哲学をする。  新型コロナウイルスの影響で、学校や喫茶店、お寺など、色々な場所でひらかれていた哲学対話は次々と中止になった。輪になって座ることの多い対話は、顔をつきあわせ、互いの身体の近さを感じながら話し合うことがほとんどなので、いちばんの感染症対策は、その場をひらかないことである。  こうして、多くの会議や研究会と同じように、哲学対話はオンラインで行われることが主流となった。  オンラインで対話をすることについては、否定的な意見もあるし、同時に可能性を見出す声も聞こえてくる。おそらくその両方なのだろう。身体性を伴わない対話はどこか不安でつながりが希薄に感じられるが、すべてを等し並みにしてくれる画面は、圧迫感や緊張感を軽減してもくれる。休み時間での隣同士での簡単な会話、帰り道を共にしながら、考えそびれたことを語るあの時間はなくなってしまったが、普段参加しづらい状況にあるひとが参加しやすくなったり、より自由な形式での参加が可能になりもした。  だから、オンラインでの対話は、対面の代替物というよりは、まったく別のものと考えたほうがいいのかもしれない。オンラインによって、対面と比較して何かができなくなってしまったとか、対面が可能になるまでのその場しのぎとかではなくて、また別の新しいコミュニケーションのひとつなのだ。  わたしも最初は、どうやって対面の対話にオンラインの対話を近づけられるかを考えていたように思う。かつて見知っていた地点からしか、変容したあり方を考えることができなかった。  まったく目新しいものとして、オンラインでの対話を見つめ直してみるとどうだろう。それでもやっぱり、これまでのやり方と比べてしまうけど、なぜだかふと頭に浮かんだのは、遠くにいる友だちがわたしに呼びかける声だった。 *  もしもーし、聞こえますか、と誰かがわたしに呼びかけている。はーい、とわたしが応えるが、相手には聞こえていない。オンラインでのある哲学対話の時のことだ。他のひとたちが、聞こえてますよ、こっちはどうですかと呼びかける。あれ、聞こえていないのかな、という独り言がわたしたちの耳に届く。ちがう、あなたの声は聞こえているけど、わたしたちの声があなたに届かないのだ、とわたしたちは悟って、懸命に声を出す。もしもし!聞こえていますよ!おーい、おーい、聞こえています!わたしたちは相手に聞こえないことを分かっていながら、なぜだか呼びかけている。  わたしはあの時間が好きだ。おーい、おーいと友だちがわたしの名前を呼んでくれたうれしさをなぜだか思い出す。呼びかけるということだけに集中しているあの瞬間。すぐそばにいないからこそ、声を張り上げて、その人の名前を呼ぶあの時間。  すぐ近くにいれば、わたしはあなたの肩をそっと叩くことができる。近くに座るだけで、あなたは振り向いてくれる。  だが、わたしたちはとおくとおく離れている。電波を通して、奇妙な仕方で集っている。だからこそ、わたしたちは言葉であなたにふれなければならない。祈るように、あなたに呼びかける。  あっ聞こえるようになりました、とあなたが画面の奥で嬉しそうに笑っている。それをわたしたちはよかったねえ、と祝福している。声が届く、ということによろこぶことができる。こっちも聞こえますよ、ああよかった、聞こえますか?聞こえますよ、聞こえますね、とわたしたちは何度も確かめる。  このとき、「声が届く」という普段見慣れたことがふしぎなことに様変わりする。画面に映るたくさんの人たちの背後には、それぞれの部屋がある。揺れる洗濯物、棚に押し込まれたぬいぐるみ、掃除機をかけるお母さん、横切る猫、少しくすんだ壁紙、走り回る子どもたち。のっぺりとした画面の奥に、パソコンを切ったその後に、ひとびとの生活と、それぞれのはてしなく続く人生がある。  わたしたちは本当にばらばらで、見知らぬ他者同士だ。あなたがこれまで何をして、何を食べて、何にかなしみ笑ってきたのかをわたしは知らない。そして今後、あなたが何に喜び、何を失って、どんな人になるのかも知ることはない。  だがあの瞬間だけは、おーい、おーいと互いに呼びかける。あなたの声が聞きたくて、あなたと話したくて、わたしたちは互いに一生懸命に声を届けようとする。一度つながったとしても、通信の関係で、突如としてあなたがいなくなってしまうこともある。不安定になり、一瞬だけ聞き漏らしてしまうこともある。わたしたちの対話の場は、非常に不安定で、奇妙で、もろいのだ。    本当はオンラインの場でなくたって同じだ。他者と共に考える場は、対話だけでなく議論でも、会話であっても、不安定で奇妙でもろい。しかしオンラインは、そのことがより意識される。そして、普段の場のむずかしさが再び捉え返される契機でもある。  いや、もっとシンプルに考えてもいい。哲学対話は、ひとびとと考えを問い合いながら考えを深めていく。そこにあるのは、独白的な語りではなく、あなたと共に考える共同的な語りだ。あなたが見知らぬ他者であっても、あなたが必要で、あなたと共に考えたいと思うし、あなたにも必要とされたいと思う。だからやっぱり、あなたに呼びかけられることはうれしい。  仕事の帰り道、小さな子どもが、遠くの母親におーい、おーーいと声を出しているのを見かけた。母親は少し離れた駅ビルの二階のガラス窓から、穏やかに手を振っている。子どもは隣にいる父親と手をつなぎながら、おーい、おーーいと嬉しそうに飛び跳ねている。...
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「うったう」――共感するという希望
「うったう」――共感するという希望 シンガーソングライター 寺尾 紗穂 (TERAO Saho)  アーティストとは何だろうとよく考える。私の身の回りの音楽のアーティストを見回すと、よく聞き、よく作り、よく演奏する人々という印象だ。ことに男性アーティストの多くが、熱心なリスナーであり、そこから自らの音楽にエッセンスを取り込んで作っていくことに長けているように感じる。私はと言えば、日常的に音楽を聴くことが出来ない。音楽を聴くときは誰かから「これがいいよ」と音源を渡されたり、知り合いのミュージシャンから新作を手渡された時などだ。歌もののアルバムであれば、歌詞カードを見ながら集中して過ごす一時間弱であって、それ以外に音楽を聴くということから遠ざかっている。加えて音楽を作る時間というのは日常的にない。私にとっての作曲は自転車に乗っているとき、あるいはお風呂に入っている時、あるいは駅で電車を待っている時ふいに思いつくものであって、その場でコードや歌詞を書きとめて、後でまとめることだ。例外的に人の詩に曲をつけたり、珍しく詩だけが先にできあがっている時は、30分くらいピアノの前に座って作るけれど、それは稀にだ。そんな具合だから、意識的に聞いたり作ったりがほとんどない自分はアーティストと名のっていいのかどうか、今でも自信がない。ピアノ弾き語りという形で活動はしているけれど、似非アーティストと言われても、「はい、そうかもしれません」と答えるしかない。  それでも、私は死ぬまで日本のあちこちで歌っている、という勝手な確信がある。それは私がライブをさせてもらう中で感じていることだ。ライブ後に地方で丁寧につづられた手紙をもらう事も多い。ある人は、最近離婚したこと、転職すること、うつ病に苦しんでいること、息子が大学生になること、離婚調停が長引いていることなど、それぞれの近況を綴ってくれる。そしてあなたのこの歌がこんなときに支えになった、といったことを教えてくれる。表現者にとってこれほどありがたいこともないのだ。自分が悩みながら生きて、その過程で生まれた作品が、いつのまにか誰かの心に届いているという事実に、どれほどこちらが励まされることか。  数年前、四日市市にある絵本やさんの二階のホールでライブをしたことがあった。ライブ後に絵本やさんの御主人に言われた言葉がある。 「寺尾さんはミュージシャンじゃないな。ミュージシャンてのは、お客さんを音楽世界に引き込むために、大抵前奏をつけるんだよ。あなたのは、ほとんど前奏なしで歌からぱっと始まる。ミュージシャンじゃなくてメッセンジャーだね」  なるほど、と思った。ではメッセンジャーとは何だろう。シンプルに考えれば、言葉を伝える人だ。そうかもしれない。音楽家によっては、言葉の響きは気にしても、意味をあまり重視しないという人もいる。坂本龍一さんなども、歌詞を聴かないタイプだと聞いたことがある。そういう意味では私のファンの人たちは、とてもよく言葉を聴いてくれる人たちという印象もある。歌というものを考えるとき、メロディが素敵な曲というのは色々ある。けれどその中で時代を経て残っていく歌というのは、必ず言葉が優れている。伝えたい言葉と思いがあって歌になる。それこそが歌が歌として存在する意味ではないかという気がする。  折口信夫によれば、「歌う」は「訴う」と同根の言葉であるという。訴訟と言う意味よりも、哀願や愁訴といったニュアンスだ。たしかに、そうではないだろうか。人類がはっきりとした言葉をもたないころ、つまり限りなく動物に近かったころ、おそらく悲しみや不満を表すとき、犬のようなクーンという音の高低をつけて表現していただろう。そういう原始的なところから、歌は発生している気がする。  古代、語り部といわれる、古い伝承や寿詞、呪言や呪力を有した職業集団の一つに猿女の君がある。古事記のもととなった語りを誦していたと言われる稗田阿礼も猿女の君の支族、稗田氏だ。折口によれば、猿女の君は主として鎮魂の呪言を説いたという。古今悲しみの多くは死別によりもたらされる。呪言が鎮魂のために生まれ、悲しみを「訴え」たりなだめたりして、表現してきたというのは自然なことに思える。  20代のころから別れの歌を多く歌ってきた。死は、避けるべきものではなく、私にとってはどこか身近なことだった。そして誰かを失う悲しみもまた、小さなころから強く感じてきた方だと思う。祖父母と別れる時、もう会えなくなるのではないかと泣きそうになることがよくあった。死を扱う歌も多い。「あなたの歌はどこか鎮魂のようね」と言われることもある。  こうして振り返ると、「メッセンジャー」と言われた意味がだんだん腑に落ちる。私の歌は「訴え」であるのかもしれない。元来無口なほうである。発した先から消えていってしまうような発話の言語によって人と討論することも苦手だ。それゆえ「歌う」ことが私の「訴う」術なのだ。生きれば足跡のように歌が残る。その歌を辿って心寄せてくれる人がいる。私が感じたはずのことをあなたも感じている。誰もが立場が異なり、世の中、分かりあう事の難しさを感じることも多い中で、「訴え」が静かに誰かと共鳴しうることは、今も、これからも私の中の小さな希望である。 (てらお さほ・シンガーソングライター)著書に『彗星の孤独』(スタンドブックス)など。 他の著者の論考を読む...
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「隔離」の残響
「隔離」の残響 現代美術家・ホーメイ歌手 山川 冬樹 (YAMAKAWA Fuyuki)  昨年から「隔離」という言葉を頻繁に耳にするようになった。  この言葉を聞いて、わたしがどうしても想起せざるを得ないのは、ハンセン病をめぐる「絶対隔離」のことである。ここ数年、ハンセン病療養所に通い、回復者たちと密に関わりながらアートプロジェクトに従事してきた身からすると、この「隔離」という言葉を聞くたびに、どこか刃物で胸を突き刺されるような痛みを感じずにはいられない。さすがに最近は少し聞き慣れてはきたものの、この「隔離」という言葉が急にマスメディアで取り沙汰されはじめた頃は、思わず熱を出して寝込んでしまうほどだった。  それはちょっと過敏な反応なのでは、と思う人もいるだろう。しかし果たしてそうだろうか?...
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日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について
日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「もっと乱暴に、世の中の宙ぶらりんな物語を終わらせるべく襤褸の少女を派遣するというのはどうだろう。襤褸を着た少女がよたよたと歩いてきて空を見上げ「あ、流れ星」と呟くぐらいでもいいとも思う。世のありとあらゆる物語の中を渡り歩いてラストシーンを飾るというのは、大変に幸せな職業かもしれない」(高山羽根子「「了」という名の襤褸の少女」、『うどん キツネつきの』〔創元SF文庫〕所収)    下に引っ張りすぎたTwitterが更新を渋っている。日常のネタ切れ。最初からそうしていればよいのだが、ようやく電子書籍に目を落とす。  高山羽根子を読む。高山作品としては「母のいる島」「ビースト・ストランディング」が好みではある。奇想的な物語にあって細部が際立つリアルな描写、そこに抜群のユーモアが散りばめられている。この辺が読みやすい物語ではあるが、「オブジェクタム」「居た場所」のような、いびつな日常をウロウロさせ、消化不良が続き、なぜかいつまでも自分の中で生き続ける物語もある。これもまた魅力。    もはや無意識的に「日常」と書いているが、過去に書いた自分の文章を読んでみても、「日常」や「生活」という言葉に高確率で出くわす。着実に「日常」が増えている。地に足つけた日常生活の重要性を、自分に言い聞かせるように書くのは、ダラダラと延々と続く日常の退屈さ、耐えられなさとの葛藤のようにも思う。  高山は冒頭のエッセイ中に、物語を終わらせる行為の難しさを語っている。「とくに現実に近い物語であればあるほど、終わらせ方に困る。そもそも現実は終わらないものだから、物語の上で終わらせる時には違和感を法螺で注意深く塗り潰す作業のような行為が必要だと信じ、そのために手に余らせてしまう」と。現実は歯切れが悪く、どこまでもそうでありながら続く。   Δ    日常と浄土。グダグダと延々と考えている問題だ。日常の延長が浄土なのだろうか。煩悩具足の生活を引き延ばした先が浄土ではないだろう。しかも、煩悩を本質とした生活を、自力の努力でその本質を変えることができないとすれば、我が身の想像の範疇を超えているとしか言いようがないはずだ。    ここで考えるのは、浄土がこの世、穢土と隔絶しているとして、それをどう思考すべきか。穢土と浄土を並べて相対的に比較するのは、穢土も浄土も俯瞰して見る超越的視点である。果たしてこれは凡夫の範疇で成立する視点だろうか。  しないのだと思う。この世界の否定形としてしか我々に現れ得ないのが浄土なのだと思うが、それはこの世界を超えた外側――にこちら側が立つ視点を常に奪う働きである。「今、ここでしかない」と有限性を自覚させる、外へと向かう視線を内側へとひっくり返す働きが「他力」と呼ばれる弥陀の本願力なのだと考えたい。    しかし浄土教は、この世界はこの世界のままでよい、そのまま肯定されるのだ、という思想とは一線を画すものだ。それは外側から世界や〈いのち〉を丸ごと肯定する視点を剥奪するという形で、我々に現前し続けるのが浄土の働きなのだと思う。  法然の直弟、西山義祖・證空は『散善義自筆鈔』巻一で、「具造十悪五逆、トライハ、生々世々ノ中ニ六道ニ輪廻シテ、造ラザル罪ナシ。愚痴迷惑ノ故ニ、スベテ是ヲ知ラズ。今仏願ノ不思議ナル事ヲ知ル時、無始已来ノ諸悪悉ク是ヲ悟ル事ヲ釈シ顕スナリ」(西叢二、187頁)と言う。無限の救済によって知らされる我が身は、あくまで「諸悪」、罪業を造り続けている身なのだ。それ以上ではない。ひとを傷つけ、自分を傷つけ、苦しみ呻く世界。ここにある自他の呻きの声に対して、何か超越的な視点で世界を肯定し、糊塗してしまうのではなく、悪や苦しみを「それをそれとして見る」のだ。しかし、それと同時に、人生を丸ごと否定する視点からも程遠い、いや断絶している。    無限の救済に触れる我々の視点は、この世界や〈いのち〉の全肯定でも全否定でもなく、そうした視点に立ち得ない有限なる在り方の自覚ではないだろうか。我々にできるのはせめて部分肯定だけなのだと。なぜ部分肯定ではダメなのか。本来、こう問われるべきものなのかもしれない。  いずれにせよ、無限の救済に触れる我々の現実は単なる現実ではない、外側のなさと同居した現実であり、それは無限の浄土に裏打ちされた現実なのである。   Δ    5才のよつばの日常を描く漫画、あずまきよひこ『よつばと!』(電撃コミックス)15巻を読み直しながら、『親鸞仏教センター通信』第77号(2021年6月発行)の「あとがき」の校正をしている。自分で執筆したものだが、そこには相も変わらず「日常」と書いている。「帰るべき日常などというものは本来ないのかもしれない。日常は今までに想いを馳せ、新しさに驚嘆しながらちょっとずつ作られていていく――作っていかなければならないのだろう」と。  全肯定/全否定のケジメをつけられない歯切れの悪い私の日常は、常に点検が必要だし、これはまあまあいい経験をしたと喜び、拭えぬ退屈さからSNSに逃避しては現実に巻き戻される。    本来的に帰るべき、という形容がし難いのが日常なら、それを超えた浄土こそ帰るべき存在の本来的世界だとも言えようか。帰るべき世界からの呼び声に耳を傾けて、ふと現実に巻き戻されるだけではなく、そもそも我々にとっての現実とは何かを延々と考えていくべきなのだろう。   ※本稿は、第2回「現代と親鸞」公開シンポジウム(テーマ:生まれることを肯定/否定できるのか?――反出生主義をめぐる問い)の問題提起を受けるものである。報告記事参照のこと。 (なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
飯島孝良顔写真
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  いささか面映ゆいことではあるが、ごく私的な経験談から始めたい。10代の終わり、学問的な気風に接することなく過ごしてきた私にとって、恩師が示して下さった“聖書学”という分野は、ひとつのカルチャーショックであった。聖書学は、聖書にちりばめられた「奇蹟(物語)」や「超自然」を合理主義の下に排し、人間イエスの精神とその時代を出来る限り客観的に描出することに努める営為である。すなわち、イエス自身の言行と思われたものも、福音書の記述と編集の段階で弟子や原始教団の意図や認識によって創出されたものであって、史実そのもののイエスを語るというよりも、記者や編集者それぞれの問題意識を反映した〈像〉と看做すのである。このように「史的イエス」探究を軸とした聖書学は20世紀に隆盛を極め、古代史学や社会心理学や言語学(言語行為論など)を総合的に踏まえてイエスとその時代を分析する「文学社会学」的聖書学へと結実していった。  視点を仏教に移すと、イエスのみならず仏教者もまた、史的存在であるとともに「語られる」存在たり得る。その具体例として理解しやすいのは、所謂「宗祖」と称される存在である。法然にせよ日蓮にせよ、「救済者」「超越者」として伝承されることもあれば、とくに近現代では苦悩する「求道者」「人間」として語ることが増加する面もみられる。ただ、こうした多層的な「語り」が「宗祖」に関するものと看做される限りにおいて、その「語り」は宗門内部に留まるものになる。その一方、仏教者の中には、その魅力やインパクトが大きい故に、内部だけではなく外部にも波及し得る存在もある。例えば親鸞は、宗門の内部にも外部にも大きな影響を示したのは論をまたない。あるいは一休などは、臨済宗大徳寺派の「宗祖」というわけではなかったが――いや、それ故に――宗門内部よりもむしろ外部で先んじて多く語られ、一般において逸話が広く伝承して「一休ばなし」が形成されたとも考え得る。...
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忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて
忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて 親鸞仏教センター研究員 東  真行 (AZUMA Shingyo)  言葉はあくまで伝えたいことの「入れ物」なのだと、ある音楽家はいう。寺尾紗穂氏が述べるように「歌」と「訴え」が相通じているとして、こんな言い換えは可能だろうか。訴えの込められた入れ物が歌だと。  切実な思いだからこそ、音に乗せるのか。親鸞もたくさんの和讃を遺している。それらは黙読される文字である以上に、読誦される言葉として今なお息づいている。読む者のみならず、勤行の会座を共にする聴聞者の心身をも文字通り震わせてきた。  昨年の7月になくなった映画監督、森崎東のことをふと連想する。卓越した感性で引用される数多の「歌」と、観念的とも評される直截的な「訴え」とが、森崎作品では同居している。  藤井仁子編『森崎東党宣言』(インスクリプト、2013年)には使用楽曲が約20頁にわたってリスト化されているほどで、本人のエッセイ集『頭は一つずつ配給されている』(パピルスあい、2004年)でもよく「歌」、すなわち往時の流行歌から軍歌、民謡、都々逸、漢詩、革命歌から校歌に至るまでが言及される。森崎は自身の人生を「片端から憶えては忘れてきた歌の総和である」(『頭は一つずつ配給されている』、374頁)と述懐するが、ここに「忘却」という晩年の課題が示唆されてもいるのだろう。  その「訴え」については、敗戦の翌日に自殺した兄、湊に反発するゆえの「左傾傾向」(『森崎東党宣言』、186頁)を告白する通り、天皇制や原子力発電をたびたび烈しく批判した。  また、森崎は「身」にまなざしを注いだ作家でもあった。『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』(1979年)や『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)では深刻な場面であればこそ、殊更に主人公たちの生身の存在感を強調している。渥美清演じる刑事の水虫、岩松了演じる漫画家の禿頭に執拗なまでに焦点を当てるという演出がそれであり、私などは何というか呆然とするばかりだ。   「精神」と聞いた途端に何やら心に重い疲れを感じる戦中派にとって、霊にしろ、心にしろ、魂にしろ、いわゆる精神論そのものが耐えがたくカッタルイのである。 (『頭は一つずつ配給されている』、383頁)    鈴木大拙のいう「霊性」が果たして「いわゆる精神論」であるかはともかく、大拙の表現に首肯し得なかったと記す森崎である。だからといって身体にのみこだわったわけではない。「日本精神」の鍛錬と称して毎日数百回もの腕立て伏せを断行した兄とは逆の方向で、つまり何らかの強固なイメージに肉体を追いつかせようとするのではなく、むしろ老いていく身体のように精神を捉えること。この身は老病死に遭遇しつつも、まだ何とか生きて血を通わせている。同様に老いる精神にも、しぶとく生々しい肌ざわりを見出し得るのではないか。そのように「身」をみる森崎にとって、心身は老病死の現場であると同時に根源的な生をまざまざと感じる場でもあったのではないか。  晩年の森崎が「認知症」と向き合っていた様子は、ETV特集『記憶は愛である~森崎東・忘却と闘う映画監督~』(2013年)に詳しい。記憶の総和が人生ならば、その喪失過程は生きながらの死か。森崎は自身にその問いを課すのだ。  遺作となった『ペコロスの母に会いに行く』は、ある老女(演じるは赤木春恵)の「認知症」を物語の主軸に据えるという、みずからの苦悩と真正面から対峙する内容である。物語のクライマックスでは、どんな苦難があろうと、大切な記憶を思い起こす力が人間の「身」には生じるのだと高らかに宣言される。どこまでも深く忘れるということがあったうえで、それでも記憶はよみがえるという出来事が描かれており、ここには自身への応答があるのだろう。森崎は次のようにも述べていた。   私は最近ヤタラに忘れっぽくなった自分を死につつある人とは思いません。忘却は死でなく生の普遍現象であって、人は忘却と同時に回想という記憶の再生によって常に新しい生の体験をする。むしろ長い忘却の時間を経ることで、忘れていた体験の真実の意味を知ることすらある。 (『頭は一つずつ配給されている』、379頁)    この稿を書きながら以前お聞きした、ある問いが思い出される。真宗大谷派の僧、暁烏敏から仏教を聞いた岡本禮子(法名は釋暁禮)という方の訴えである。「自分は暁烏先生に出会って、親鸞聖人の教えを聞いて、念仏さえあればどんな人生であっても生きていけると思ってきた。ところが最近は、あれだけ感動した先生の言葉が思い出せない。ときどき娘の名前もわからなくなる。ひょっとするとお念仏も出なくなるかもしれない。それでも私は救われるのか」と(加来雄之『真宗の死生観』〔大和仏教センター、2018年〕を参照)。どんなに深く教えと出会っておられたのだろう。出会ってさえいない者にとっては忘れるどころではない。  森崎は、忘却の時間に裏打ちされた回想では、もともとの経験にそなわる「真実の意味」があらわになる場合さえあると記していた。不可避の忘却を経てなお、常に新鮮に真実を思い起こし得るとは不可思議である。この力には、いかなる表現がふさわしいのだろう。森崎は、あるイギリスの劇作家の「記憶は愛である」(『頭は一つずつ配給されている』、75頁)という言葉を紹介している。あるいは「憶念はすなわちこれ真実の一心なり」(金子大榮校訂『教行信証』、岩波文庫、176頁)と親鸞が記したとき、どんな実感がその胸中に去来していただろうか。 (あずま しんぎょう・親鸞仏教センター研究員) 他の著者の論考を読む...
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景色がかわるとき
景色がかわるとき 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。  香川県にあるハンセン病療養所、大島青松園からかつて自由を求めて対岸にある庵治町へ泳いで渡ろうとし、その過程で命を落とした人々がいた。このインスタレーションでは、その事実に基づく映像作品も展示されている。([参照]...
投稿者:shinran-bc 投稿日時:

日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について

中村玲太

親鸞仏教センター嘱託研究員

中村 玲太

(NAKAMURA Ryota)

「もっと乱暴に、世の中の宙ぶらりんな物語を終わらせるべく襤褸の少女を派遣するというのはどうだろう。襤褸を着た少女がよたよたと歩いてきて空を見上げ「あ、流れ星」と呟くぐらいでもいいとも思う。世のありとあらゆる物語の中を渡り歩いてラストシーンを飾るというのは、大変に幸せな職業かもしれない」(高山羽根子「「了」という名の襤褸の少女」、『うどん キツネつきの』〔創元SF文庫〕所収)

 

 下に引っ張りすぎたTwitterが更新を渋っている。日常のネタ切れ。最初からそうしていればよいのだが、ようやく電子書籍に目を落とす。

 高山羽根子を読む。高山作品としては「母のいる島」「ビースト・ストランディング」が好みではある。奇想的な物語にあって細部が際立つリアルな描写、そこに抜群のユーモアが散りばめられている。この辺が読みやすい物語ではあるが、「オブジェクタム」「居た場所」のような、いびつな日常をウロウロさせ、消化不良が続き、なぜかいつまでも自分の中で生き続ける物語もある。これもまた魅力。

 

 もはや無意識的に「日常」と書いているが、過去に書いた自分の文章を読んでみても、「日常」や「生活」という言葉に高確率で出くわす。着実に「日常」が増えている。地に足つけた日常生活の重要性を、自分に言い聞かせるように書くのは、ダラダラと延々と続く日常の退屈さ、耐えられなさとの葛藤のようにも思う。

 高山は冒頭のエッセイ中に、物語を終わらせる行為の難しさを語っている。「とくに現実に近い物語であればあるほど、終わらせ方に困る。そもそも現実は終わらないものだから、物語の上で終わらせる時には違和感を法螺で注意深く塗り潰す作業のような行為が必要だと信じ、そのために手に余らせてしまう」と。現実は歯切れが悪く、どこまでもそうでありながら続く。

 

Δ

 

 日常と浄土。グダグダと延々と考えている問題だ。日常の延長が浄土なのだろうか。煩悩具足の生活を引き延ばした先が浄土ではないだろう。しかも、煩悩を本質とした生活を、自力の努力でその本質を変えることができないとすれば、我が身の想像の範疇を超えているとしか言いようがないはずだ。

 

 ここで考えるのは、浄土がこの世、穢土と隔絶しているとして、それをどう思考すべきか。穢土と浄土を並べて相対的に比較するのは、穢土も浄土も俯瞰して見る超越的視点である。果たしてこれは凡夫の範疇で成立する視点だろうか。

 しないのだと思う。この世界の否定形としてしか我々に現れ得ないのが浄土なのだと思うが、それはこの世界を超えた外側――にこちら側が立つ視点を常に奪う働きである。「今、ここでしかない」と有限性を自覚させる、外へと向かう視線を内側へとひっくり返す働きが「他力」と呼ばれる弥陀の本願力なのだと考えたい。

 

 しかし浄土教は、この世界はこの世界のままでよい、そのまま肯定されるのだ、という思想とは一線を画すものだ。それは外側から世界や〈いのち〉を丸ごと肯定する視点を剥奪するという形で、我々に現前し続けるのが浄土の働きなのだと思う。

 法然の直弟、西山義祖・證空は『散善義自筆鈔』巻一で、「具造十悪五逆、トライハ、生々世々ノ中ニ六道ニ輪廻シテ、造ラザル罪ナシ。愚痴迷惑ノ故ニ、スベテ是ヲ知ラズ。今仏願ノ不思議ナル事ヲ知ル時、無始已来ノ諸悪悉ク是ヲ悟ル事ヲ釈シ顕スナリ」(西叢二、187頁)と言う。無限の救済によって知らされる我が身は、あくまで「諸悪」、罪業を造り続けている身なのだ。それ以上ではない。ひとを傷つけ、自分を傷つけ、苦しみ呻く世界。ここにある自他の呻きの声に対して、何か超越的な視点で世界を肯定し、糊塗してしまうのではなく、悪や苦しみを「それをそれとして見る」のだ。しかし、それと同時に、人生を丸ごと否定する視点からも程遠い、いや断絶している。

 

 無限の救済に触れる我々の視点は、この世界や〈いのち〉の全肯定でも全否定でもなく、そうした視点に立ち得ない有限なる在り方の自覚ではないだろうか。我々にできるのはせめて部分肯定だけなのだと。なぜ部分肯定ではダメなのか。本来、こう問われるべきものなのかもしれない。

 いずれにせよ、無限の救済に触れる我々の現実は単なる現実ではない、外側のなさと同居した現実であり、それは無限の浄土に裏打ちされた現実なのである。

 

Δ

 

 5才のよつばの日常を描く漫画、あずまきよひこ『よつばと!』(電撃コミックス)15巻を読み直しながら、『親鸞仏教センター通信』第77号(2021年6月発行)の「あとがき」の校正をしている。自分で執筆したものだが、そこには相も変わらず「日常」と書いている。「帰るべき日常などというものは本来ないのかもしれない。日常は今までに想いを馳せ、新しさに驚嘆しながらちょっとずつ作られていていく――作っていかなければならないのだろう」と。

 全肯定/全否定のケジメをつけられない歯切れの悪い私の日常は、常に点検が必要だし、これはまあまあいい経験をしたと喜び、拭えぬ退屈さからSNSに逃避しては現実に巻き戻される。

 

 本来的に帰るべき、という形容がし難いのが日常なら、それを超えた浄土こそ帰るべき存在の本来的世界だとも言えようか。帰るべき世界からの呼び声に耳を傾けて、ふと現実に巻き戻されるだけではなく、そもそも我々にとっての現実とは何かを延々と考えていくべきなのだろう。

 

※本稿は、第2回「現代と親鸞」公開シンポジウム(テーマ:生まれることを肯定/否定できるのか?――反出生主義をめぐる問い)の問題提起を受けるものである。報告記事参照のこと。

(なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員)

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