親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第204回「「クロノスタシス」って知ってる?―野村佐紀子写真展”GO WEST”―」

クロノスタシス

親鸞仏教センター嘱託研究員

長谷川 琢哉

(HASEGAWA Takuya)

コンビニエンスストアで 350mlの缶ビール買って

きみと夜の散歩 時計の針は0時を差してる

“クロノスタシス”って知ってる? 知らないときみは言う

時計の針が止まって見える現象のことだよ

きのこ帝国「クロノスタシス」(2014年)


 きのこ帝国というバンドの「クロノスタシス」という曲をたまたまインターネットで聞いたのは、昨年末のことだった。スムースなR&B調の曲が自分の好みにあっていたことからまずは惹かれたのだが、しかしこの曲が私の心に強く残ったのは、その歌詞によるところが大きかった。


 この曲が描いているのは、カップルが休日の真夜中に散歩をしている情景である。二人は缶ビールを飲みながら家に帰っているところで、女性の方(ボーカルが女性なのでそのように仮定しよう)は、この夜の散歩になんだか夢のような心地よさを感じている。しかしその時突然、彼女は「クロノスタシス」って知ってる?と相手に問う。そしてそれを知らなかった相手に対して、「時計の針が止まって見える現象のことだよ」と説明する。そういう曲である。


 「クロノスタシス」というのは、動いている時計の秒針をふと見た瞬間、その時計が壊れているかのように止まって見える錯覚のことである。これは錯覚であるから、もちろん秒針はすぐに動き出すだろう。しかしその錯覚が生じている瞬間は、時計の針が永遠に止まってしまったかのように感じられる。つまり、ほんの一瞬の中に永遠(の錯覚)を感じることが「クロノスタシス」であるとも言えよう。


 そしてこの曲のおもしろさは、恋愛の一場面を描写するために「クロノスタシス」というモチーフを用いているところにある。恋人同士の心地よい夜の散歩。語り手である彼女は、この幸福がずっと続くかのように一瞬感じた。しかし彼女はまさしくその瞬間に、相手に「クロノスタシス」って知ってる?と問うのである。ということはつまり、彼女は気づいていたのだ。永遠にも感じられる今この瞬間の幸福が錯覚であり、すぐに移ろってしまうものであることを。


 さて、この曲に私が興味を惹かれたのは、ちょうどその頃、写真家・野村佐紀子が碧南市藤井達吉現代美術館で開催した個展(「野村佐紀子写真展”GO WEST”」)に合わせたレクチャーを行う機会があったからだ。野村佐紀子は長年、荒木経惟のアシスタントをつとめた写真家であり、人物ポートレートや男性ヌードを得意としている。また、荒木の作風を受け継いでか、野村の写真の多くには、生と死を見つめる独自の視線が感じられる。例えば野村は写真家としてのキャリアの当初から、後に亡くなった男性モデルを撮り続けており、その出会いと別れが自らを作家として成長させたという。生の裏側に常に存している死。生を描くことは死を描くことでもある。ごく当たり前のこうした事実を私たちは忘れがちであるが、野村の写真を見ていると自然とそうしたことが思い起こされる。


 野村の個展が開かれた碧南の美術館は、ちょうど清沢満之の自坊である西方寺の目の前に位置している。それを機縁として、今回の展示で野村は清沢満之に関連するいくつかの新作を撮り下ろした。当時は不治の病であった結核を患っていた清沢満之は、文字通り血を吐きながら自身の信仰についての思索を続けた宗教哲学者である。その意味で、写真家としての野村の作風と、モチーフとしての清沢満之の相性は良いように私は感じた。展覧会で私は野村の作品を数多く見たが、直接清沢に関係する写真以外でも、深いところで何か通底するテーマを十分に感じさせるものだった。


 野村の個展に合わせたレクチャーでは、私は清沢満之について話すように依頼されていた。しかし写真の門外漢である私が何を話せばよいのか。レクチャーの1週間程前、ちょうどそのことを考えている頃に、たまたま私はきのこ帝国の「クロノスタシス」を聞いたのだった。何となくこの曲が頭から離れず、そしてどこか野村展のレクチャーで自分が話すべきことと関係があるような気がしていた。考えはまとまらなかったが、配布資料に歌詞の一部を引用して持参した。


 そして当日。私は来場した一般の方に向けたレクチャーで、主に清沢満之の生涯と思想、信仰を紹介した。数多くの挫折に見舞われながら、清沢満之がいかにして他力信仰を獲得するための思索を行ったのか。そして失意の底にあったはずの死の直前に、いかにして清沢は「「現世に於ける最大幸福」を感じる」と語りうるほどの境地へと至ったのか。そうしたことがレクチャーの主題となった。


 一通り話し終わった後、私は最後に「クロノスタシス」について言及した。この上なく幸福な瞬間に、しかしその幸福が実は錯覚であることに気づいていることを歌った曲として。そしてそれは逆の意味で、清沢満之の信仰にも似ているような気がするとも。私が考えていたことが参加者の方々に十分伝わったかはわからないし、私自身も完全には言語化できていなかったように思う。しかし私の話を受けてキュレーターの方が、写真という芸術の特徴は一瞬を永遠に切り取ることであって、それはクロノスタシスに似ているところがある、と補足してくださった。一瞬と永遠、絶望と幸福、あるいは生と死。その反転は際どく、ある意味では錯覚のようなものなのかもしれない。しかし少なくとも清沢満之は、不幸のどん底で現世の最大幸福を感じるという信仰の逆説が、本当に自分の身の上に生じていると確信していたのだ。そして今になって思えば、野村の写真から私が感じたのも、生の一瞬を切り取ることによって、そこに死の永遠を刻みつけるといった、写真の逆説的な営みそのものだったのかもしれない。この逆説、反転がいかなるものであり、いかにして実現されるのかということ。野村展を通して私の心を捉えていたのは、おそらくこのことだったように思う。そしてそれは、どこかクロノスタシスに似ているのかもしれない。


――そして現在。あのレクチャーからわずか数ヶ月の後、私たちの生活は一変してしまった。ついさっきまで健康だった人が亡くなることもあれば、安全だと思っていたことの多くが危険なものにもなった。その反転はあまりにもたやすかった。生と死は紙一重、あるいは一体であるということが、日々、現実的に突きつけられている。私たちは平穏な日常が永遠に続くものだと思いこんでいたが、しかしそれこそが錯覚だったのだ。

 とはいえ、私たちの生活が根本的に儚く移ろいやすいものであるということは、仏教が昔から説いてきたことでもある。そしてその上で、なにか確かで、永遠に続くようなものがあるとすれば、それはこの儚く移ろいやすい生活のただ中においてのみ、現れ出るに違いない。あるいはほんの一瞬、錯覚のように。

(2020年5月1日)

最近の投稿を読む

田村晃徳顔写真
今との出会い第238回「寺を預かる」
今との出会い第238回「寺を預かる」 親鸞仏教センター嘱託研究員 田村 晃徳 (TAMURA Akinori)  学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知であろう。人は無知と言われないように学ぶ面がある。「無知の知」とは古来より伝わる大切な言葉だ。しかし、この言葉には無知である自分を蔑むニュアンスはない。それどころか、無知であることに気づいた自分のことを誇ってさえいるようにも聞こえる。学びとは知識を得ることではない。知識を得ることを通じ、自分を知ることにその目的はある。    歴史を学ぶ喜びも同様である。歴史的事項を知ることはとても楽しい。しかし事項を知るだけではただの物語だろう。それが、どのように今日の自分と関わりをもつか。このことを考えることにより自身に肉薄した事実として理解されるだろう。その時に、気づくことはただ一つ。私は先人達の努力により、今ここで生きていることができているということである。    その先人とはもちろん、祖父や父も含む。しかし、寺を支えてくれた門徒の皆さんも当然入る。門徒の方を支えてくれた、そのご家族も含むだろう。さらには、信仰を伝えてくれた先人達も含まれるだろう。このように遡っていくならば、いつかは親鸞聖人や釈尊にもつながるに違いない。    そのように考えるときに、住職達がよく使う大切な言葉を思い出した。それは「お寺を預かる」という表現である。当然のことであるが、住職が「ここは自分の寺だ」などと言い出したら、そのお寺はおしまいである。そうさせない大切な発想。それが「預かる」というものだろう。つまり、私は今、預かっているお寺において、先人達により伝えられた仏法に出遇うというご縁をいただいているのだ。親鸞聖人も『歎異抄』でお釈迦様や善導大師の名を挙げて、伝えられてきた仏法に出会えた喜びを述べている。そこに浄土真宗は自分の教えだ、といった傲慢さは皆無である。親鸞聖人もいただいた法を後世に伝えられた。それが今、私にまで伝わっている。ならば私のやるべき事も同じである。法を後世に伝えることである。    寺の歴史を学ぶ。それは知的関心だけではない。一つのお寺が誕生するまでには、悠久の仏法や、人々の歴史が必要であったことを知る。それは住職としての責任感を改めて自覚させる気づきなのである。 (2023年4月1日) 最近の投稿を読む...
菊池弘宣顔写真
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」
今との出会い第237回「本当に守るべきものを明らかにする」 親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣 (KIKUCHI Hironobu) 「あわれ、生きものは互いに食(は)み合う」 (なんと悲しいことか、生きものはお互いに争い食らい合っている)    それは、お釈迦さまの少年時代、農耕祭に臨まれた時のことである。土の中から一匹の虫が這い出てくるところに、一羽の鳥がやって来て、ついばむやいなや、飛び去っていった。それをじっと見ておられた悉多太子(しったたいし、釈尊の成道以前の名)が、深い悲しみの中より発せられた言葉であると、仏伝は伝えている。(以上、信國淳『無量寿の目覚め』〔樹心社、2005年〕所収「「個人」と「衆生」」、26頁取意)  大谷専修学院という場の基礎を築いた信國淳先生は、以下のように、「生類相克(そうこく)」を目の当たりにした少年太子の胸中に思いをいたす。   この場合太子の胸は、すべての生きものへの同苦共感の世界に生きたのである。鳥からついばまれる虫と、虫を食っていのちを養う鳥と、そのいずれにも与することなく、そのいずれをも生き、そのいずれにおいても、太子自らが生きている生命との交感、交流を感じつつ、そこに衆生世界を感得し、「あわれ、生きものは互いに食み合う」と、その如実知見を表白したのである。 (同前、26頁~27頁)   「そのいずれにも与(くみ)することなく」という一言が、私の心に残っている。食われ殺される側、食い殺す側、そのどちらか一方を支持し、正当化するというのではない。そのようなメッセージとして受け取った。思い起こされるのは、私自身の少年時代、遠足に出掛けた時のことである。一羽のアゲハチョウが、カマキリに捕まり、今まさに食われようとしている場面に遭遇した。それを見て私は、「かわいそうに。なんてひどいことをするんだ」と思い、蝶の羽からカマキリの鎌を引き離し、助けてあげた。すると、蝶はすっと飛び立っていったが、今度は、カマキリがぐったりとして動かなくなってしまった。それを見て私は、「なんてことをしてしまったんだ」とショックを受けた。カマキリは、力尽きて死んでしまったのかもしれない。どうなったのか、その顛末を見届けることはできなかった。その時のことが思い起こされてくるのである。    その時のカマキリと同じように、私自身は平生、食い殺す側になっている。自分が直接手を下さずとも、誰かに頼って、他の生き物のいのちを奪っている。他の生き物を殺して食べなければ、自身のいのちを継ぐことはできない。自分という存在は、無数の生き物たちの犠牲の上に成り立っていると言える。    さらに言えば、私は、ゴキブリやムカデなどのいわゆる害虫は、容赦なく殺してきている。害をもたらすと感じるものを何であれ、都合によって殺すような自分だから、もしも戦場に出るようなことになったら、ためらいなく人を殺してしまうのではないかと危惧している。    一方で時には、食われ殺される側に自分の身を置くということも起こり得るのかもしれない。しかし、正直に言って、食われたくないし、殺されたくない。要するに、あきらめが悪いのである。その心中は、仏陀釈尊が、『法句経』(ダンマパダ)に説かれている通りである。   一二九 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 一三〇 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。 (中村元訳『ブッダ真理のことば・感興のことば』ワイド版岩波文庫、28頁)    私自身は、自分にも、他者にも、殺されたくないのである。存在を尊重されたい、尊重したいと願っているのである。同じようにして、他者の上に私自身のすがたを見出すのであれば、他者を殺したくない、誰かに殺させたくない。その存在を尊重したいのである。  たとえ戦禍に巻き込まれたとしても、できることならば、殺されていくよりも、殺していくよりも、誰かに殺させていくよりも、どこへでも逃げ出して生き延びたいと願っている。それは、誰も皆、一人一人、仏法がはたらく器であると信じるからなのだろうか。    いま現在、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する戦争の惨状を、映像で目の当たりにしている。周辺国の脅威とも相まって、日本でも武器保有、防衛費の問題が急展開してしまっている感じがする。「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という言葉が象徴しているように、「敵」という文字が露骨に表れるようになってきている。敵と見なされたものは、当然、警戒心、不信感を抱くに違いない。それは結局、お互いを尊重して協力し助け合うような関わり合いを放棄するという方向になるのではないか。ここにきて、守るための戦いを正当化することは、極めて危険だと感じている。日本は、かつての戦争を通して、大空襲や原爆投下による被害の悲惨、苦痛、そして加害性について、身をもって知ってきたのだから、同じあやまちを繰り返してしまわないように、メッセージを発信し続けていくべきだと考える。被害の側、加害の側、どちらにもならないように模索するということがあって然るべきだと思うのである。    仏教が重んじる精神は「不害」であると聞いてきた。私自身の在り方を振り返れば、前述した通り、それを実行できてはいない。背いてばかりであると言わざるを得ない。しかし、その精神には賛同したい。誰も、傷つけない、傷つかない解決の道がある。それを探求していったのが、少年悉多太子の仏に成る歩みではなかったか。    一切の苦悩する衆生を摂め取って捨てないと誓う、本願の光に照らされて、自己中心的に分別する、執着する心の否定をくぐる。阿弥陀如来の大いなる慈悲・浄土の光に包まれて、存在の本来性に帰る。「一つである」という道理にまっすぐ順い、現実の「食み合う」世界に責任を取って生きる。それは、本願の名号・南無阿弥陀仏という呼びかけを聞く、信心をいただくというところに帰着する。    尊ぶべきは法である。本当に守るべきものを明らかにしたいと思った次第である。 (2023年3月1日) 最近の投稿を読む...
飯島孝良顔写真
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」
今との出会い第236回「想いだされ続けるということ――「淵源(ルーツ)」を求めて」 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA...
宮部峻顔写真
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」
今との出会い第235回「太った白人の家族――ネブワース2022旅行記」 親鸞仏教センター研究員 宮部 峻 (MIYABE Takashi)  今年の6月、常勤研究員として着任して早々、有給休暇をいただき、5年ぶりにイギリスを訪れることができた。目的は私が尊敬してやまない人物の一人である唯一無二のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーのネブワース公演を観に行くことであった。  原油高、空前絶後の円安、そしてウクライナ情勢の問題もあり、旅行費はずいぶんと高くついた。その事実だけで私のなかにある政治不信、反戦感情はますます高まってくるわけであったが、ともかく、リアム・ギャラガーの歴史に名を残すこととなったネブワース公演を観ることができたわけである。魅了されて以来、これまでリアムとノエルのどちらかが来日すればほぼすべてを観に行った私であるが、なかでも特別なコンサートの一つとなった。  メディアの報道で見聞きしていたが、イギリスに訪れると、ちらほらマスクをしている人もいたものの、コロナ前とほとんど変わらない日常が広がっていた。コンサート会場に移動するバスでもマスクはおろか、朝からギネスを大量に飲み、歌い、騒いでいた。私も隣の知らない客にギネスを渡された。これぞイギリス流のおもてなし。  さて、二日間で16万5千人を動員したコンサートでは、両日ともにそれぞれ前座が4組ずつ出た。私が観に行った二日目には、Fat...

著者別アーカイブ

投稿者:shinran-bc 投稿日時: